〜大学デビュー〜

 程なくして、私は無事桜庭大学に合格し、四月から学生として通うことになった。

 私は、予定通り心理学部に入学した。

 今日は、初めての講義の日だった。

 お兄ちゃんと一緒に大学へと向かう。
 
 「陽菜。覚悟しておけよ?」 

 「え?」

 突然そんなことを言い出すから驚いた。

 しかし、その言葉の意味をすぐに理解することになる。 

 「ねぇ、あの子じゃない?」

 「え! 絶対そうだよ! 碧さんと一緒に居るし」

 「やっぱそうだよね。うわぁ……やっぱり黒崎教授と碧さんの家族だね。すっごく美人……」

 何やら、コソコソ話しているのが聞こえた。 

 「ねぇ、なんかすごい視線を感じるんだけど」

 いたたまれない気持ちになった私は、お兄ちゃんにそう言う。

 「やっぱ有名人の娘であり、妹だからかな」

 何ニコニコしてるのよ。

 この空気苦手なんだけど。

 その時、女子グループが声をかけてきた。

 「ねぇねぇ! 君、名前はなんて言うの?」

 ……凄い陽キャ。

 「ひ、陽菜です……」

 このテンションについていけず、声が小さくなってしまう。

 あーあ。

 お兄ちゃんにまた陰キャとか、小馬鹿にされちゃうな。

 そう思い、お兄ちゃんの顔をチラッと見る。

 あれ……?

 何も言ってこない。

 流石に、人前では私のことをいじるわけがないか。

 一安心していると、さらなる追い打ちをかけられる。

 「名前まで可愛いじゃん!」

 「マジそれ! 陽菜ちゃんはさ、やっぱり医学部の学生?」

 「えっと……心理学部です」

 「えー! そうなの!? 何でなんでー?」

 この人たち、悪気はなさそうなんだけど……。

 それでも、ここまで問い詰められるとどう答えれば良いのか分からなくなる。
  
 「はいはいそこまで。陽菜ちょっとシャイだからさ、こういうの慣れてないんだよね。学部も、無理して俺に合わせなくて良いって言ったんだよね」

 今までただニコニコしていたお兄ちゃんが、ようやく声をかけてくれた。

 「シャイなの? そこも可愛いぃぃぃ!」 

 「やっぱり、碧さん優しいですね!」

 なんか、話が変な方向に行っている気がするけど、この地獄から開放されるのなら、何でも良かった。

 先輩たちは、笑顔のまま去っていった。

 良い人たちではあるんだけどなぁ……。

 「あれ? そういえば、お兄ちゃんに合わせなくて良いとか言われたっけ?」

 「それはまぁ、その場のノリだろ?」

 何カッコつけてるのよ。    

 「変なお兄ちゃん」

 お兄ちゃん、大学ではこんなにキャラだったんだ。

 「碧ー! おはよう!」

 しばらく歩くと、また別の人の声が聞こえた。
 
 「おはよう」

 お兄ちゃんが笑顔だ。

 お友達かな?

 「お! この子が噂の妹ちゃん?」

 「そうだよ」

 「どうも」と言って、一礼をする。

 「うんうん。兄貴と違って礼儀正しいねぇ」

 「俺と違ってって……」

 大学でのお兄ちゃん、どんな感じなんだろ。

 少し気になったが、さっきの態度を見る限り、少し貓被ってるのかな?

 そう考えると、少し可笑しくなってきた。

 「あ、妹ちゃん。少し兄貴を借りてもいいか?」

 「良いですよ」 

 「君の兄じゃないけどね。陽菜、ここからは一人で大丈夫か?」

 「大丈夫だよ。何回か来てるし」

 そう言って、私たちは別々の方向に向かって歩き出した。

 心理学部エリアに向かっていると、沢山の荷物を抱えた男性に出会った。

 「この大学の教授かな……?」

 少し、大変そうだ。

 私は、お手伝いをしようと声をかけた。

 「あの……手伝いましょうか?」

 「え……? あぁ、じゃあお言葉に甘えて」

 そう言って、教授は比較的軽いものを私に渡した。

 「この荷物を研究室まで運びたくてね」

 「研究室までですね。分かりました」

 私たちは並んで歩き出す。

 「見慣れない顔だけど、もしかして新入生かな?」

 「はい。そうです」

 「入学早々こんなこと頼んで申し訳ないね」

 「いえ、大丈夫です」

 というか、研究室ってどこのだろう。

 そんなことを思っていると、またもや質問がきた。

 「君は、どこの学生かな?」

 「心理学部です」

 その時、教授の足が止まった。

 「……どうかされましたか?」

 「いや! ますます申し訳ない。実はこれ、医学部エリアに持っていく荷物なんだ」

 医学部エリア……。

 「……逆方面ですね」

 「本当にすまない! ここまで運んでくれただけでもありがたいから、ここで戻っていいよ」

 「大丈夫ですよ。時間はまだありますし、ルートを覚える良い機会ですから」

 「本当に君は優しいんだね。親の教育が良かったのかな」

 別に優しくないし、教育って言ってもスパルタ教育だけどね。

 でも、いちいちそんなことを言わなくても良いので、ここは何も言わなかった。

 しばらく歩いて、教授の研究室に着いた。

 「ここだ」

 そう言って、教授は扉を開く。

 そこには、いかにも教授の部屋という感じの空間広がっていた。

 この人は、医学部教授なのね。

 「よし、ここに置いてて良いぞ。ありがとう。助かった」

 教授に促されて荷物をそこに置く。

 「そういえば自己紹介がまだだったな。私は御影和樹(みかげかずき)だ。医学部の教授をしている」  

 御影……。

 どこかで聞いたことのある名前だった。

 「今は人間の細胞に関する研究を行っている」

 あぁ、思い出した。

 お父さんがたまに話題に出していた人だ。

 「私は、心理学部に所属している黒崎陽菜です」

 教授だけが名乗るわけにはいかないので、私も慌てて自己紹介をした。

 「……黒崎」

 その時、御影教授の雰囲気が一変した。

 「どうかされましたか?」

 「……そうか。君が黒崎教授の娘さんか」

 同じ学部の教授なのだから、お互いのことを知っているのは当然のことだった。

 ただ、少し様子がおかしい。

 「来年には娘が入学するとか話してたのに、陽菜さんは心理学部に入学したんだな」

 お父さんが私のことを話してたの?

 でも、何でだろう。

 何故かこの人からは、お父さんに対する敵意が感じられた。

 「黒崎の娘だからどんなやつかと思っていたが、あいつの後を追って医学部に来ないあたりは、賢明な判断だな」

 態度が変わりすぎじゃない……?

 お父さんと御影教授は仲が悪かったのかな。   

 「そういえば、今年も黒崎教授の研究に興味があるって言ってた学生が入学したな。まぁ、当の本人はもう居ないがな」

 何……その言い方。

 酷すぎる。

 優しそうな教授だと思ったのに、そのイメージが一瞬にして崩れた。

 その後、私は追い出されるように研究室から離れた。

 沈んだ気持ちのまま、私は講義を受けた。

 初めての大学生活だったのに、全く楽しむことはできなかった。



 一日目の講義が終わり、家に帰ろうとした時だった。

 「……幻?」

 少し離れたところに、幻の姿が見えた。

 そういえば、入学したら幻から声をかけると言っていたのに、声をかけられていない。

 私も今思い出したから、幻だって忘れている可能性があるな。

 そう思い、私から声をかけることにした。

 「幻!」

 前を歩く幻に向かって名前を呼ぶ。

 しかし、どうやら聞こえてないようだった。

 そこで、今度はもう少し近くで呼んでみることにした。
 
 「幻! 久しぶり」

 「うわっ! びっくりした……。なんだ、陽菜か」

 「覚えててくれたんだね」

 しかも、いつの間にか呼び捨てになってる。

 一気に距離が近く感じて嬉しいな。 

 「忘れるわけないだろ。だって、あ……」

 どうしたんだろう。

 何か言いたそうなのに言葉に詰まっている感じがする。

 「……マジかよ」  

 「どうかしたの?」

 「あ、わりぃ。何でもない」

 高校生の時の幻と雰囲気が違うように感じる。

 でもまぁ、幻も大学生だから雰囲気変わることだってあるよね。

 「幻はさ、高校卒業してからすぐに一人暮らし始めたんでしょ? 慣れた?」

 「げん……? あ、俺のことか」

 「自分の名前、忘れることないでしょ」

 「苗字で呼ばれることの方が多いからな」

 幻の苗字、「八神」だもんね。

 かっこいい苗字だし、確かにそう呼びたくなる。

 一人称もちゃっかり「俺」に変わっちゃって。

 少し会わないだけで、一気に男の子から男性になった気がする。  

 「それで、一人暮らしのことだっけ? 完全に、とは言えないけど、少しずつ慣れてきたよ。でもやっぱり、たまに家族が恋しくなったりするけど」

 「幻って家族と仲悪くなかったっけ?」 

 それなのに恋しくなる……?

 「それはまぁ……やっぱアレだ。離れてから気付くってやつ?」

 それにしては、だいぶ親を嫌ってるような雰囲気があったけど。

 それでも、私は一人暮らしをしたことがないし、私自身も、家族を失って悲しかった。

 あまり仲は良くなかったけれど、少しは情が残っていたのだ。

 きっと、幻も同じ感じだろう。

 「とにかく、同じ学部に通うんだし、これからは同級生としてよろしくね」

 「そっか……。陽菜と同級生かぁ」

 「え? 何か文句あるの?」

 「いやいや! 俺は嬉しいよ。てか、口悪くない?」

 しまった。

 お兄ちゃんと話す感覚で幻と話してしまった。

 「ごめんって」

 知り合いが少ない私にとって、幻という友達が居るのはとても心強かった。

 それに、心做しか幻はお兄ちゃんと似た雰囲気を感じ、気兼ねなく話すことができたのだ。