〜大嫌いな世界で生きる私たち〜

 テレビを点けると、やれ戦争だのやれ殺人事件だのと、暗いニュース続きで嫌になる。

 歴史を辿っても、ある者は戦場で名を()せ、ある者は戦場で命を落とす。

 また、ある者は暗殺され、突如この世界から去ってしまう。

 なぜ争いが起こるのか。

 なぜ殺し合いが起こるのか。

 明確な理由はないけれど、一つの理由として人の感情が関係しているのだろう。

 怒り、憎しみ、復讐心、あるいは利己欲も関係しているかもしれない。

 いずれにせよ、悪意は人の醜さを引き出し、呑み込まれてしまった人間は一瞬にしてモンスターへと化してしまう。

 しかし、世界にはそんな人間が溢れかえっている。

 それが現実だ。

 そんな負の感情に(まみ)れたこの世界が、私は大っ嫌いだ。



***



 20X‬X年8月

 いつもと変わらない朝。

 代わり映えのしないこの空間。

 今日も一日が始まった。

 トーストの良い香りで、私は目が覚める。

 「おはよう」

 「あら、おはよう。今日の陽菜(ひな)はお寝坊さんね」

 そう言う母の声は少し冷たかった。

 現在、私は夏休み真っ只中だ。

 休みの日くらいゆっくりしても良いじゃない。

 でも、そんなことも言ってられない。

 私は今年大学受験を控えているからだ。

 昨日も遅い時間まで勉強をしていたのだ。 

 「陽菜、おはよう。珍しいね。いつもは早く起きて勉強しているのに」

 そう話すのは、兄の(あおい)

 お兄ちゃんは私より二つ歳上で、桜庭大学の医学部へ通っている。

 頭脳明晰、博学多才、おまけに医学部のエースとも言われており、周囲からの期待を一身(いっしん)に背負っている。

 「ママー! お腹空いた!」

 甘ったるい声で話すのは、妹の莉子(りこ)

 莉子は私の五つ歳下で、もう中学生だというのにどこか子供っぽい。

 それでも、持ち前の愛嬌で家族のアイドル的存在だった。 

 莉子はメイクの道に進みたいらしく、美容系の動画をよく観ている。

 「今ちょうど完成したからね。はい! 今日の朝食はエッグベネディクト風トーストよ」

 そう言うお母さんは、ブログ用にと写真を撮り始める。

 お母さんは、料理研究家として食事の様子を定期的に投稿している。

 夫を支え、三人の子供を育てる母は、主婦達から絶大な人気を誇っていた。

 そんな私たちの父親は、ちょっとした有名人だ。

 「お! 始まったぞ」

 兄の声で一斉にテレビに視線が集まる。

 『それでは次に、臓器移植に関する研究を行ってきた黒崎教授、発表をお願いします』

 「わぁ……! パパだ!」

 画面に映っている男性こそ、私たちのお父さんだ。

 『桜庭大学医学部教授の黒崎達也(くろさきたつや)です。私は臓器移植後の合併症について研究を行ってきました』

 「やっぱ父さんは凄いよなぁ。俺も見習わないと」

 今も十分凄いのに、これ以上何を見習うと言うの?

 医学生である兄は、父の研究に釘付けのようだった。

 お母さんと莉子は、理解しているかどうかは分からないけれど、二人もテレビに釘付けだった。

 私はというと、そんな話には全く興味がない。

 臓器移植後の合併症?

 お父さんの研究が凄いものとは思うし、その研究によって大勢の患者が救われることになるのだろう。

 それでも、私にとっては関係のない話だった。

 「ちょっと、陽菜。ちゃんと聞いてる? お父さんの話に集中しなさい」

 いや、今は朝食の時間なんだからご飯に集中するべきでしょ。

 「はいはい。ちゃんと聞いてるよ。合併症について? へぇ、凄いね」

 正直あまり聞いていなかった私は、適当に返事をする。

 「はぁ……全く。陽菜も受験を控えているのに、こんなんで大丈夫かしらね」

 私はつい最近成人を迎え、数ヵ月後には大学受験も控えている。

 受験先はもちろん桜庭大学だ。

 だけどそこに自分の意思はなかった。

 ただ親が決めたから、兄のようになることを期待されてていたから、同じ大学を選んだ訳だ。

 「陽菜なら大丈夫だよ。毎日勉強頑張ってるじゃん」

 お兄ちゃんに言われても説得力はなかった。

 「……大丈夫だよ。この前の模試もA判定だったし」

 「それならいいんだけど。でも、油断したらすぐに成績落ちるんだから気を抜かないのよ?」

 お兄ちゃんや莉子にはそんなことを言わないのに、なんで私にばっかり……。

 私だって特別頭が悪い訳じゃないんだし、別に良くない?

 「うん。分かったよ」

 言い返しても無駄だと分かっていたので、適当に受け流すことにした。

 そんなやり取りの中でも、莉子はテレビに釘付けだ。

 ほんと、お父さんのことが好きなんだね。

 そんなこんなで、私はとっくに朝食を食べ終えてしまった。

 「ご馳走様。上で勉強してくるね」

 「はーい」

 聞こえてるのかどうか分からない空返事をされる。

 これが私の日常だ。

 ありふれた家庭。

 いや、少し裕福な家庭なんだろうけれど、面白みもなく、ただ時間が過ぎていく毎日。

 こんなつまらない日常が、これからも当たり前に続いていくと思っていた。

 ……あの事件が起きるまでは。

 どこから間違えてしまったのだろう。

 もしかしたら、既に歯車が狂い始めていたのかもしれない。