獣道の果てに

 唸るような豪速球を受けた仙台秀英のキャッチャーが、ボールをマウンドへ返す。

 受け取った世良は、帽子を外して肘で汗を拭ったあと、右手にロジンを取り、それをゆっくりと染み込ませて、フッと指先に息を吹きかけた。

 サヨナラのピンチ。ワンボール。さらに追い詰められた状況だというのに、まったく動じていないどころか、余裕があるようにすら見える。

 世良が二球目の投球モーションに入る。また、ワインドアップ。先ほどと同様、躍動感に溢れてプレートを蹴り出した。ほんとうに飛翔する瞬間の鳥のようだ。

 腕を振り下ろす音が、こちらまで聞こえてきそうだと思ったときには、ボールがミットに叩き込まれていた。右打者に対して際どいインハイだが、球審のジャッジはまたもボール。

 球速は──151キロ。 

 「いやいやいや、上げてきたよ」

 百野のツッコミを聞いたと同時に、確信した。

 ああ、この男は、押し出しなんてハナから恐れていないのだ。世良天馬がどういう人間なのかこれっぽっちもわからないが、これだけは言える。この男は、押し出しを怖がって腕を触れないくらいなら、マウンドに上らないほうがいいとさえ思っている。

 俺も、昔はそうだった。

 どんな局面でも今の世良のように、臆せず腕を振った。振ることができた。

 投げる前に、ボールの行く末なんて考えなかった。腕を振るとき、ただその瞬間にだけ集中していた。その結果が、四球でも死球でも、次できればいいと簡単に切り替え、気にしなかった。

 でもいつからか、そういうふうには考えられなくなった。どうして、投げる前から結果を欲しがるようになったのだろう。

 思考に捉われている俺を置いて、試合は進む。

 三球目、152キロ。ストライク。

 先ほどよりも大きなどよめきが、球場を駆け巡る。

 四球目、五球目もストレート──三振。

 仙台秀英のアルプス席で悲鳴のような歓声が上がる。

 空気が変わった。電光掲示板に掲揚された旗が、はためき始めた。バックネット裏に吹く向かい風は、世良にとって追い風。

 世良の投球に引っ張られて、オーディエンスの見立てが塗り替えられていく。仙台秀英ナインの顔に、生気が戻ってくる。

 俺はもう、試合の行く末などどうでもよくなっていた。

 世良、その砂の孤島の上で、お前は何を考えている? どうしてそんなにも自由に、腕を振ることができる?

 俺は、俺の体は——なぜ、この炎天下で震えているんだ。

 世良天馬への恐怖。いや、違う。

 この震えは、熱だ。指先が、足が、胸の奥が、今にも爆ぜそうに熱を持っている。腹の底で、何かがうごめく感覚がある。

 「また昔みたいに投げればいいのに!」

 不意に、頭に紛れ込んでくる理玖の声。なぜ今、こんなことを思い出す?