「ただいま」
 僕は、いつも通り帰って、いつもの年季の入ったソファに腰掛ける。すると、いつも通り姉さんが
「お帰り〜、蒼」
そう、返してくれるのだ。それだけで、僕に存在が戻ってくる。しかも家族は、僕に気を遣って、本に浸っている間そっとしておいてくれるので、本当感謝している。
 僕は、本が好きだ。
 そして、『私に君、夏に自転車』という小説の中の女性___瀬々楽津乗___に恋をしている。
 恋が叶わないことや、このせいで虐められている事くらいわかっているのだが、好きなのだ。そして毎日のように、津乗の出てくる本を繰り返し読む。しかし昨日は、3巻の発売日で、買ってきた本を今日の楽しみにとっておいたのだ。早速ソファに座ってワクワクしながら本を開く。没頭しているうちに、もう半分も読み終わってしまった。6章、と言う文字に目を落とす。次の文を読んで蒼は絶句した。____瀬々楽津乗は死亡した。___
「は?」
 二度見、いや十度見くらいした。それくらい、彼にとっては、衝撃的だった。無我夢中で本を投げだし、外に出て、自転車に跨った。泣きたくなったからだ。それから、人の来ない、お気に入りの小さな公園に向かった。つくとすぐにブランコに座って、静かに泣き始めた。作者にとって、津乗は、ただのモブだったのだろうか。
 何分泣いただろう。
「大丈夫ですか?あっ、迷惑でしたでしょうか⁉︎ごめんなさいっ!」
という声が聞こえてきた。でも、この公園に人は滅多に来ないのに、珍しいなとだけ思った。取り敢えずこれは聞いておこう。
「どなたですか?」「あっ、瀬々楽津乗と申します!えと、ここの区域の中学生であります!」「え、せせらつのり…?あの、漢字って、もしかして浅瀬のせに人々のあれに、楽しいに津波のつに乗るの…?」「ですです、浅瀬のせに人々のアレに、楽しいに津波のつに乗るの…って、もしかして私夏読んでたりします?」「しますします!」「えええ、マジですか!」「僕、2巻の9章が好きなんです!」「わかります!」
こうして、さっきまで泣いていたことも忘れて、ヲタクたちの会話は夕方まで続くのであった。