僕は職業柄、インターホンを押して、相手が居留守を使っていないかを探る癖がある。それは扉の覗き穴を見てみたり、電気メーターの円盤が回る速度を確認したりと、世間的に知られている方法だが、それらはこんな時にも活かせる知識だと気づく。
 覗き穴に視線をやり、目を凝らしてみる。すると、家の奥の方で、何かの光が灯っているのが微かに見えた。
 相良は在宅している。と、僕は確信した。それと同時に、自分は一体何をやっているんだという思いに囚われる。それは、周りからみれば、自分が相良の家を覗き込んでいる不審者だと思われるに違いないという考えからくる羞恥心と、果たして職場の後輩に対して、ここまでする必要はあるのだろうかという瑣末な疑問が綯い交ぜとなった感情だった。
 ここで僕が大声を出して相良の名を呼び続けたとする。近隣住民の誰かが訝しげに僕を観察し、警察に通報するかもしれない。警察沙汰になれば、事情聴取もされるだろうし、もしかすると僕は不審者として扱われ、警察署まで連行されてしまうかもしれない。
 なんの罪も犯していないのに、そんな目に遭うのはごめんだ。僕はため息をついて、相良の家の玄関から離れた。
 こうなることは、安易に予想がついていたというのに、僕の心はざわついていた。なんで出てこないんだよ、仕事おわりの貴重なプライベートの時間を割いてまで、折角家に寄ってやっているのに。
 人は、他人に期待するから、苛立ちが芽生えるのだという。僕が相良の家を訪問することによって、彼が僕に助けを求めてくるかもしれないという、期待。考えてみれば、少なからずそういう思いが、僕の中にはあったのだ。こんな気持ちになるなら、来なければよかったなと思い、少し離れたところで、振り返って相良の部屋の扉を一瞥した。

 もやもやとした心持ちのまま自宅に戻り、途中で買ったコンビニの弁当をレンジで温めていると、メッセージアプリの通知音が鳴り響いた。メッセージは清志からのものだと、画面には表示されている。唐突に、なにかハイテンションなアニメキャラクターのスタンプが送られてきたらしいが、今の気分では、とてもそれに反応する気はおきなかった。
 スマホをベッドのマットレスに放り投げて、ダイニングチェアに腰掛ける。静寂の中で、レンジの作動音と、冷蔵庫のモーター音だけが鳴っている。こうしている間にも、時計の秒針は進み続け、明日に向かっていく時間は待ってくれない。何を僕は焦っているのだろう。一人になると考え込んでしまう時がある。焦っている? そうか、僕は焦っているのか。
 では、何に焦っているのだと思考を巡らせてみる。何者にもなれず、ただ日々を消化していくだけの人生。生きていることに、何か意味があるのだろうか。僕が死んでも、世界は変わらず周り続けるだろうに。そもそも生きる意味とはなんだ。その意味を探すことが、生きていくということなのか。僕はその意味を、未だ見出せていないから、焦っているのだろうか。
 レンジの終了音が室内に鳴り響いても、僕は暫くの間、ダイニングチェアに座ったまま、動くことを忘れていた。