誰かが同乗しているときにかける車内の音楽は、洋楽がいいと思っている。ラジオだと、喋っている人の話が気になって、同乗者との会話がし辛くなるし、日本語の歌だと、歌詞ばかりが頭に入ってきて、これまた会話にならない。洋楽だと、(僕は)何を言っているかよく分からないから、適当に聞き流すことが出来るのだ。
「てかさ、仕事。アキトの会社、こないだニュースに出てたじゃん。あれ、大丈夫だったのか?」
「まあ、僕には何の関係もないし。お客さんに時々話をされるだけで、特に何もないよ」
僕の勤めている会社は、運送業界では最大手のところで、社名を聞けば、おそらく日本中の人が知っていると答えるだろう。「カラー運輸」というのが正式な社名だが、世間の俗称として「シバイヌカラー」という呼び名でまかり通っている。というのも、会社のロゴが犬の足跡を模したデザインになっており、それにちなんでか、柴犬をモチーフにしたマスコットキャラクターがいるからだ。
入社当時の研修で、この俗称の由来として、「柴犬は賢く、愛嬌があり、ご主人様にはとても忠実なイメージを持たれている。我々もこのイメージにちなみ、任されたお荷物は笑顔で、迅速に、そして忠実に、お届け先に届けるようにすることを誓い、会社のイメージキャラクターを柴犬にした」と習った記憶がある。長年の歳月を経て、そのイメージが日本全国に広がり、宅配便と言えば、シバイヌカラーだというふうに定着したのだろう。
そんな会社が、清志のいうようにニュースになってしまったのは、カラー運輸の社員が、交際相手を殺害し、逮捕されたからだ。
同じ会社に勤める社員だというけれど、ニュースに名前が出るまで、僕はその人の存在も名前も、何も知らなかったのだ。だから所詮は他人事。僕が彼女に殺害されるかもしれないと怯える必要も、僕が彼女を殺害してしまうかもしれないという意味の分からない心配も、する必要がない。
現に、配達先のお客さんは大体の人がそんな話題など口にもしないし、話題にあがったとしても、せいぜい「こわいよねー」などとお互いに顔を見合わせて苦笑しあう程度だ。人を殺すような社員がいる会社に勤めているこの城谷瑛斗という男に、私も殺されたらどうしよう!などと頭のおかしい妄想をするお客さんは、今のところいない。清志が心配してくれるのはとても嬉しいけれど、それは杞憂だという他ならない。
「どんな理由があれ、人を殺すって、どんな神経してるんだろうね。ましてや付き合ってる相手だろ。オレには全く理解が出来ないね。どれだけ相手に苛立ったとしても、一線を踏み越えちゃあいけないよ」
「そうだね」
清志が知らないこの事件の詳細を、僕は知っている。一瞬、それを清志に言ってもいいのか躊躇ったが、別に守秘義務もないし、他の誰かが聞いているわけではないからいいだろうと考えなおし、口を開いた。
「その人達、別れ話がこじれて事件に発展したらしいんだ。殺された男の人は、今回逮捕された人に日常的に暴力を振るっていたみたいで、その時も別れ話を切り出されて逆上した男の人がぼっこぼこに相手を殴りつけた。で、命の危険を感じた加害者が、近くにあったお酒の入った瓶で頭を殴ってひるませた後、台所に包丁を取りに行ってとどめを刺したらしいよ」
「頭を殴っただけなら、もしかしたら正当防衛って言い切れたかもしれないけど、包丁を取りに行って刺したってことは、やっぱり殺意があったってことだよな」
「まあ、そこんところは本人にしかわからないだろうけどね。僕なら、ここでこいつを殺せば、自分は暴力に悩むことはなくなる。それならいっそって思っちゃうかもしれない。それを実行できるかどうかは分かんないけど、きっと加害者の人も似たようなことを思ったんじゃないかな」
「なるほどなー」
清志の顔をちらりと見ると、なんだか腑に落ちないような顔をしている。曲が切り替わる。昔大ヒットした、豪華客船が沈む映画の主題歌だ。
「でも、殺されたのって男なんだな。……え?おとこ?」
清志はそのニュースをちゃんと聞いていなかったらしい。たしかにこの事件の詳細はまだ報道されていないが、被害者と加害者の性別は報されているはずだ。
「……逮捕されたのも、男って言ってなかったか?」
「そうだよ。この人たちは、同性愛者だったんだ」
清志は何とも言えない表情で、僕のほうを見てきた。僕は運転しているから前を見ているしかないけれど、視界の隅に清志の顔は映っている。学生時代からサッカーに打ち込んできたせいか、よく日に焼けた顔。そこにある、ぱっちりと大きい二重の目を向けられると、僕はなぜか心がぞわっとする。彼とは長い付き合いだが、しっかりと目を合わせたことは果たして何回あっただろうか。
「すげえな、その人達。何というか、自分たちの気持ちに正直に生きてきたんだなって感じがする。ちょっとうらやましいや。あ、結末以外はね」
「今時珍しくもなんともないよ。愛の形なんて、人それぞれなんだからさ」
「アキト、きしょ……」
清志は苦笑して、僕から目をそらした。信号にひっかかる。僕は目線のやりばに困り、ふとルームミラーを見た。後ろの車の運転手の女性が、大きな口を開けて何かを言っている。車内の音楽に合わせて熱唱でもしているに違いない。
豪華客船の映画の主題歌は、一番盛り上がるラストサビにさしかかる。清志が調子はずれの裏声でそれを口ずさむ。冷房を切って窓を開けてやろうかと意地悪なことを考えるが、実行には移さない。僕が暑くなる。
「いいよなあアキトは。こんないい車を買えて。シバイヌって、給料いいのか?」
「その話何回目だよ。何回聞いてきても、答えは一緒だぞ。めちゃくちゃいいってわけじゃないけど、同年代の平均年収よりは高いって。気になるならキヨもシバイヌに入ればいいじゃん。紹介するけど」
「やーだね。こんなくっそ暑い中、人の荷物を運ぶなんて、オレにはできない」
僕は昔から清志のことを「キヨ」と呼んでいる。最初は、どこかのお婆さんみたいな名前だと嫌がられたが、僕が面白がっているうちに慣れてきたのか、そのうち何も言わなくなった。そもそも清志は自分の名前があまり好きではないらしい。僕はいい名前だと思うが、本人曰く「同じ漢字なら『せいし』のほうがよかった」とぼやいていたことがあった。あれはたしか中学生の時だっただろうか。そんな読み方をすれば、当時お年頃だった僕たちは別のものを想像してしまうなとからかうと、清志は顔を真っ赤にして殴りかかってきた(本気ではない)。遠い遠い、学生時代の思い出だ。
「アキトはその恵まれた体とかっこいい顔を武器に頑張ればいいんだよ。オレだっていつか車買って、アキトを助手席に乗せてやるからな」
「普通、助手席に乗せるって言うのは、僕じゃなくて彼女なんじゃないの」
「ばーか!オレはそんなやつより、親友を一番に乗せたいんだよ。そもそも彼女なんていねえし」
清志だって、モテそうなのになと思う。身体つきは一見細身だか、サッカーをやっていただけあって、よく見ると体格もいいし、顔だって人懐っこそうな可愛らしい印象を抱く。背も高くスタイルもいいから、その気になれば女たちの方から群がってきそうだ。なのに、僕の知る中で、彼に彼女と呼べるような女性がいたことは一度もない。だから恋愛よりも、友情を大切にするタイプなんだと、僕は思っている。
でも、二十代も半ばにさしかかってくると、さすがの清志も焦ってきているのかもしれない。いや、そういうふうには見えないな。
「ありがとう、キヨ」
僕はそう言って微笑んでみせた。こんな僕でも、親友と呼んでくれる清志の存在が嬉しかったのだ。これまでにも何度かこういう場面があったけれど、それを言われる度に、「ああ、キヨは今も僕のことを友達だと思ってくれているんだな」と再認識出来る。嬉しいことは、何度言われても心地の良いものだ。
「てかさ、仕事。アキトの会社、こないだニュースに出てたじゃん。あれ、大丈夫だったのか?」
「まあ、僕には何の関係もないし。お客さんに時々話をされるだけで、特に何もないよ」
僕の勤めている会社は、運送業界では最大手のところで、社名を聞けば、おそらく日本中の人が知っていると答えるだろう。「カラー運輸」というのが正式な社名だが、世間の俗称として「シバイヌカラー」という呼び名でまかり通っている。というのも、会社のロゴが犬の足跡を模したデザインになっており、それにちなんでか、柴犬をモチーフにしたマスコットキャラクターがいるからだ。
入社当時の研修で、この俗称の由来として、「柴犬は賢く、愛嬌があり、ご主人様にはとても忠実なイメージを持たれている。我々もこのイメージにちなみ、任されたお荷物は笑顔で、迅速に、そして忠実に、お届け先に届けるようにすることを誓い、会社のイメージキャラクターを柴犬にした」と習った記憶がある。長年の歳月を経て、そのイメージが日本全国に広がり、宅配便と言えば、シバイヌカラーだというふうに定着したのだろう。
そんな会社が、清志のいうようにニュースになってしまったのは、カラー運輸の社員が、交際相手を殺害し、逮捕されたからだ。
同じ会社に勤める社員だというけれど、ニュースに名前が出るまで、僕はその人の存在も名前も、何も知らなかったのだ。だから所詮は他人事。僕が彼女に殺害されるかもしれないと怯える必要も、僕が彼女を殺害してしまうかもしれないという意味の分からない心配も、する必要がない。
現に、配達先のお客さんは大体の人がそんな話題など口にもしないし、話題にあがったとしても、せいぜい「こわいよねー」などとお互いに顔を見合わせて苦笑しあう程度だ。人を殺すような社員がいる会社に勤めているこの城谷瑛斗という男に、私も殺されたらどうしよう!などと頭のおかしい妄想をするお客さんは、今のところいない。清志が心配してくれるのはとても嬉しいけれど、それは杞憂だという他ならない。
「どんな理由があれ、人を殺すって、どんな神経してるんだろうね。ましてや付き合ってる相手だろ。オレには全く理解が出来ないね。どれだけ相手に苛立ったとしても、一線を踏み越えちゃあいけないよ」
「そうだね」
清志が知らないこの事件の詳細を、僕は知っている。一瞬、それを清志に言ってもいいのか躊躇ったが、別に守秘義務もないし、他の誰かが聞いているわけではないからいいだろうと考えなおし、口を開いた。
「その人達、別れ話がこじれて事件に発展したらしいんだ。殺された男の人は、今回逮捕された人に日常的に暴力を振るっていたみたいで、その時も別れ話を切り出されて逆上した男の人がぼっこぼこに相手を殴りつけた。で、命の危険を感じた加害者が、近くにあったお酒の入った瓶で頭を殴ってひるませた後、台所に包丁を取りに行ってとどめを刺したらしいよ」
「頭を殴っただけなら、もしかしたら正当防衛って言い切れたかもしれないけど、包丁を取りに行って刺したってことは、やっぱり殺意があったってことだよな」
「まあ、そこんところは本人にしかわからないだろうけどね。僕なら、ここでこいつを殺せば、自分は暴力に悩むことはなくなる。それならいっそって思っちゃうかもしれない。それを実行できるかどうかは分かんないけど、きっと加害者の人も似たようなことを思ったんじゃないかな」
「なるほどなー」
清志の顔をちらりと見ると、なんだか腑に落ちないような顔をしている。曲が切り替わる。昔大ヒットした、豪華客船が沈む映画の主題歌だ。
「でも、殺されたのって男なんだな。……え?おとこ?」
清志はそのニュースをちゃんと聞いていなかったらしい。たしかにこの事件の詳細はまだ報道されていないが、被害者と加害者の性別は報されているはずだ。
「……逮捕されたのも、男って言ってなかったか?」
「そうだよ。この人たちは、同性愛者だったんだ」
清志は何とも言えない表情で、僕のほうを見てきた。僕は運転しているから前を見ているしかないけれど、視界の隅に清志の顔は映っている。学生時代からサッカーに打ち込んできたせいか、よく日に焼けた顔。そこにある、ぱっちりと大きい二重の目を向けられると、僕はなぜか心がぞわっとする。彼とは長い付き合いだが、しっかりと目を合わせたことは果たして何回あっただろうか。
「すげえな、その人達。何というか、自分たちの気持ちに正直に生きてきたんだなって感じがする。ちょっとうらやましいや。あ、結末以外はね」
「今時珍しくもなんともないよ。愛の形なんて、人それぞれなんだからさ」
「アキト、きしょ……」
清志は苦笑して、僕から目をそらした。信号にひっかかる。僕は目線のやりばに困り、ふとルームミラーを見た。後ろの車の運転手の女性が、大きな口を開けて何かを言っている。車内の音楽に合わせて熱唱でもしているに違いない。
豪華客船の映画の主題歌は、一番盛り上がるラストサビにさしかかる。清志が調子はずれの裏声でそれを口ずさむ。冷房を切って窓を開けてやろうかと意地悪なことを考えるが、実行には移さない。僕が暑くなる。
「いいよなあアキトは。こんないい車を買えて。シバイヌって、給料いいのか?」
「その話何回目だよ。何回聞いてきても、答えは一緒だぞ。めちゃくちゃいいってわけじゃないけど、同年代の平均年収よりは高いって。気になるならキヨもシバイヌに入ればいいじゃん。紹介するけど」
「やーだね。こんなくっそ暑い中、人の荷物を運ぶなんて、オレにはできない」
僕は昔から清志のことを「キヨ」と呼んでいる。最初は、どこかのお婆さんみたいな名前だと嫌がられたが、僕が面白がっているうちに慣れてきたのか、そのうち何も言わなくなった。そもそも清志は自分の名前があまり好きではないらしい。僕はいい名前だと思うが、本人曰く「同じ漢字なら『せいし』のほうがよかった」とぼやいていたことがあった。あれはたしか中学生の時だっただろうか。そんな読み方をすれば、当時お年頃だった僕たちは別のものを想像してしまうなとからかうと、清志は顔を真っ赤にして殴りかかってきた(本気ではない)。遠い遠い、学生時代の思い出だ。
「アキトはその恵まれた体とかっこいい顔を武器に頑張ればいいんだよ。オレだっていつか車買って、アキトを助手席に乗せてやるからな」
「普通、助手席に乗せるって言うのは、僕じゃなくて彼女なんじゃないの」
「ばーか!オレはそんなやつより、親友を一番に乗せたいんだよ。そもそも彼女なんていねえし」
清志だって、モテそうなのになと思う。身体つきは一見細身だか、サッカーをやっていただけあって、よく見ると体格もいいし、顔だって人懐っこそうな可愛らしい印象を抱く。背も高くスタイルもいいから、その気になれば女たちの方から群がってきそうだ。なのに、僕の知る中で、彼に彼女と呼べるような女性がいたことは一度もない。だから恋愛よりも、友情を大切にするタイプなんだと、僕は思っている。
でも、二十代も半ばにさしかかってくると、さすがの清志も焦ってきているのかもしれない。いや、そういうふうには見えないな。
「ありがとう、キヨ」
僕はそう言って微笑んでみせた。こんな僕でも、親友と呼んでくれる清志の存在が嬉しかったのだ。これまでにも何度かこういう場面があったけれど、それを言われる度に、「ああ、キヨは今も僕のことを友達だと思ってくれているんだな」と再認識出来る。嬉しいことは、何度言われても心地の良いものだ。