「……ただいま」


 ガチャと家のドアを引き開けると、今日も「おかえり」の返事は聞こえてこない。
 シャッターによって遮られ、光のない薄暗い家の中は静か。
 玄関には靴がひとつもなくて、両親のスリッパの先がこちらを向いて並んでいる。

 さっきまで感じていた外の太陽の眩しさから一転した、重苦しい暗澹が心に刺さる。

 あのあとは佐伯さんと一時間くらい適当な雑談をした。
 沈黙を予想していたけれど、さすがは陽キャ。話題の振り方がとてつもなく上手い。
 好きな小説の話だと俺が饒舌になるのを知っているのだろうか。

 涼成たちはマンガしか読まないため、意外にも小説を読むという佐伯さんに思わず熱く語りすぎてしまった。
 ちなみに俺はミステリが好きで、彼女も最近ミステリにハマっているらしい。

 今日は佐伯さんがいたため日暮れの前に家に帰って来たけれど、失敗だった。というか忘れていた。

 俺が河川敷へ行く理由のひとつには、家に入った瞬間に感じる、この暗い静寂が嫌いだからというのもある。
 いつものように陽が落ちてからこのドアを開ければ、眩しさから暗さへと突き落とされるのもなくなるというのに。


「運がないな……」


 ぼやきながら手近にスイッチあったに手を伸ばし、パチと部屋の電気を点ける。
 目の前が明るくなったことに安堵しながら、誰もいないリビングの椅子にリュックを放り投げた。

 両親は平日のほぼ毎日、遅い時間まで仕事で帰ってこない。
 金銭面で困っている家庭ではないと思うので、仕事が忙しいのだろう。
 高校生にもなって今更そのことに文句を言うつもりはない。でもやはり、家に帰ったときに誰もいない孤独感は苦手だ。


「……アイス食べるか」


 気持ちを切り替えるように呟いて、冷凍庫からソーダ味のアイスバーを取り出す。

 ソファに寝転び、扇風機の風が俺に当たるよう固定する。
 涼しい風で汗が乾いていくのを感じながらアイスを一口かじると、冷たいスッとするような爽やかさが最高で、全身の力を一気に抜いた。

 ――――ヴー……ヴー……。

 ズボンのポケットに入れていたスマホが震えて、閉じていた瞼を持ち上げる。
 涼成か純矢だろうか。
 アイスバーを口にくわえ、スマホを取り出し電源を入れる。

 送信者として表示されたのは〝佐伯みなみ〟という文字。
 完全に油断していただけけに、思わずくわえていたアイスを落としそうになった。

 確かに、あのあと河川敷でほとんど強引に連絡先を交換させられたけれど、そんなにすぐにメッセージを送ってくるものなのか。

 心の中でぶつぶつ文句を言いながら、かすかな躊躇ののち、メッセージ画面を開く。


『悠くん!』
『名前で呼んでいい?』


 彼女の声が聞こえてきそうな文面に呆れたような苦い笑みがこぼれた。
 いきなりすぎるのに、それさえ彼女らしいと言えてしまう。
 まったく、彼女は俺なんかと仲良くしていったいなにが楽しいのだろうか。


「てかもう名前で呼んでるじゃん」


 許可を求めてはいるけれど、だ。
 だめだと言っても結局名前で呼んでくるに違いない。

 別に呼ばれ方などほとんど意識しない俺にとっては、どちらでも構わないのだけれど。