俺の右隣で彼女は足を前に放り出して、後ろに手をつきながら「あ――」となにやら声を発している。
 それは放っておいて、昨日のメッセージの内容を思い出す。

 話したいこととはなんなのだろうか。
 わざわざ今日を指定したということは、なにか深刻な話であることは間違いないだろう。

 これは、どうやって本題に入れば良いのだろうか。
 収集をかけたのは佐伯だから、彼女が話を始めるのを待った方がいいのだろうか。
 それとも俺から話を切り出すべきか。

 どうすればいいのか分からず、とりあえず手元の小説に視線を向ける。文字たちをなぞるだけで、内容は一切はいってこないけれど。
 

「あ、その小説!」


 佐伯が後ろに預けていた体重を前に戻して、むくりと体を起こした。


「ああ借りてたやつ。読み終わったから返す」
「どうだった⁉︎ 面白かった?」


 グイグイと詰め寄って訊いてくる佐伯の、キラキラ輝いている瞳が眩しい。


「……まあ、控えめに言っても、死ぬ前のこの作品に出会えてよかったなと思った」
「死ぬ前って、おじいちゃんか! だけどそんなによかったなら、わたしも読んでみようかな」
「うん、いいと思う。あと、その小説借りた近所のお姉さん? にも、ありがとうって言っておいて」
「受けたまわりました!」


 ピシッと手を額の横に持ってくる敬礼のポーズをして、彼女は了解の意を示した。

 肌を撫でる蒸し暑い空気も、彼女と一緒にいる間はどこかクリアになる。
 暑さが感じなくなるというわけではないけれど、それが嫌なものではなくなるのだ。
 なんだか不思議。

 遠くはなれた川の向こう岸を意味なく見ていると、隣の佐伯が口を開くのがわかった。


「――――ねえ悠くん、わたしって、空気読めないと思う?」
「うん」
「えー即答する⁉︎」


 佐伯がごちゃごちゃと言葉を連ねて「ひどいなあ」「嘘でも否定してくれたらいいじゃん」と、顔をくしゃくしゃにして笑っている。

 そんなふうに言うなら、なぜそんな質問をしてくるのか。
 意図がまったく分からない。

 そう思ったけれど、彼女の浮かべている笑みは、いつもの明るい笑顔とは違うように見えた。
 どう違うなんて分からない。
 でも俺には、傷ついた自分を笑うことで必死に隠しているように、見えた。

 ああ、そうだ。そうだよな。
 彼女はいっつも笑顔だけれど、それは周りを明るくするためだ。
 それが本音を隠す笑顔でも、場に合わせようと意識していなくても、彼女はずっと笑っていた。

 佐伯は佐伯のやり方で、マイナスの感情が生まれないようにしていた。