俺みたいなやつは、なにかやらかしても影でボソボソと噂されるくらいだ。
 それよりも、佐伯とふたり乗りをした事実の方がやばい。

 そのことを自分で説明するのはなんだか気に病みそうなので「あーうん」と曖昧に頷いておく。

 彼女の右手には薄群青のハンディーファン。
 首に向けられたそれの風で、彼女の髪が柔らかくなびいている。

 今日は昨日よりも風がなくカラッとしているから持ってきたのかもしれない。


「その扇風機、暑い日は逆効果らしいよ」
「え、なんで⁉︎」
「送られてくる空気が生ぬるいから、熱中症のリスクが余計に上がるらしい」
「知らなかった! 意味ないじゃん!」


 あわてたように彼女は電源ボタンを連打して止めている。


「だからこんなに暑かったのかあ。確かになんだか涼しくなった気がする」


 口元に笑みを浮かべて彼女が言うけれど、もちろん気温は十分すぎるほどに高い。
 やはり彼女の暑さ察知センサーは壊れていた。

 「単純なやつは幸せそうでいいな」と意地悪く言ってみると「幸福度指数が高そう、ってよく言われるんだよね!」と胸を張って返される。
 間違いなく嫌味の一種だと思うが、彼女が気づいていないなら言わないほうがいいだろう。

 そんな気遣いをこの天然が知るはずもなく「いいでしょ」と口元を緩めながら、今日は俺の右隣に腰を下ろす。
 昨日影に入らない側に座ったのは、濡れてしまった制服を乾かすためだったみたいだ。

 そんなふうに思っていると、隣の佐伯が「ふふふふ……」と含みのある笑い方でこちらを見てきた。
 明らかに怪しい笑み。後ろ手になにかを隠し持っている。

 なんだ、と心当たりがないか昨日の会話から思い出す。


「……まさか水鉄ぽ――」
「じゃじゃーん! 最新作!」


 咄嗟に思いっきり身を引いてガードの姿勢をとった俺に、佐伯がなにかを前へ突き出した。
 水の冷たさは、感じられない。
 まさかと思ったけれど、さすがに急に水をぶっかけてくるような非常識ではなかったみたいだ。

 ならば一体なんなのか。
 やけに自信ありげだったのも気になる。

 うすく瞼を開けて手のガードを解くと、得意そうな佐伯の笑みとともに一冊の小説が見えた。
 夜桜と月の表紙、覚えのあるタイトルに目を見張る。


「え、それって……」
「作岡孝雄先生の、ミステリ小説最新刊でーす!」


 得意げに口元を緩めて「ふふん」と笑っている。
 一瞬理解が追いつかず息が上手く吸えなくなる。

 はああああ⁉︎ と叫び散らしたくなった。
 興奮から心音が徐々にどっどっどっどっど、と大きくなるのがわかる。あっつい頬は紅潮していることだろう。

 作岡孝雄先生は、俺が大ファンのミステリ作家だ。
 最新刊が発売された当日の放課後に書店へ向かったのに、早くも完売してしまっていた。

 ネットではすでに読んだひとたちが大称賛していて再入荷をずっと心待ちにしていたというのに。