もしかして、同じ名前でも違う姿の可能性もなきにしもあらず、なわけで。
ちょっと尻込みしつつ、ジークにメニューを渡し任せることに。
「ミオちゃんお酒は飲める?」
「飲めないのでジュースでお願いします」
ミオが『神の気まぐれ』と知ってもエドの態度は変わらない。ドイルも呆れ顔をしつつも止める気はなさそうだ。
「分かった。じゃ、エールを三杯とオレンジジュースを一つ」
手を上げ注文するエドにミオは目をパチクリさせる。それから、ジークをじっと見た。
「えっ、何?」
「ジークってお酒を飲んで良い年齢だったのね。子供だから駄目だと思っていたわ」
「子供……」
ジークの手からメニューがぽとりと落ちた。それを見た向かいの二人がクツクツと笑ったのはいうまでもない。
ミオの感覚では十八歳は子供だ。なにせ一回りも歳が違う。この国の成人が十六歳だと聞き納得はするも違和感は残る。
運ばれてきたエールとジュースで乾杯すると、ジークは半ばやけのように一気にそれを飲みすぐにおかわりを頼んだ。
「ジーク、そんなに急に飲んじゃ駄目よ」
「……」
「はははっは」
「くっくく」
ついつい、母親口調になれば、ジークは口を尖らせエドは腹を抱えて笑い出した。ドイルは口元を手で隠しているけれど、肩は揺れている。
「ミオ、俺は子供じゃないんだ。エールぐらいで酔わない」
実際この中で酒が一番強いのはジーク。彼がエールごときに酔うはずがない、それを知っているだけに向いの席に座る二人は尚更面白そうにミオとジークのやり取りを見ている。
「なるほど。まあ、確かにジークはガキっぽいところがあるからな」
エドがニマニマとジークを見る。隊長もうんうん、と頷くのでジークはさらに口を尖らせた。
「隊長まで。そんなことありません」
「ミオちゃん。ジークはすっごく山の中で育ったんだ。酪農をして暮らし、成人すると直ぐに騎士団に入って寮暮らしをしている。だから女性にはことごとく不慣れなんだ。気が利かないだろうけど、悪気はないから」
なるほど、とミオは頷く。見知らぬ人からの飲み物をあっさり口に入れたり、女性に誤解されるような態度をとるのはそのせいか、と納得した。
ふんふん、と聞くミオの顔はまるで姉のようで、ドイルとエドは(これは先は長いな)と確信した。つまりは長く楽しめそうだと。
「ま、ジークの話はそれぐらいにして、ミオ、何でも食べれるなら適当に注文していいか?」
「はい、お願いします」
ドイルが手を上げ幾つかの料理を注文し、エールも二杯追加した。知らぬ間にドイルとエドのエールも四分の一ほどしか残っていない。
「それで、軟膏はいつできそうかな?」
「ハーブの下準備に二週間かかるので、半月後にはお持ちできると思います」
ミオは鞄から缶を取り出し、この大きさで十個作る予定だとドイルに説明する。
ジークは隣に座るミオの腕を軽くつつくと、小さな声で話しかけた。
「わざわざ騎士団まで持って来なくても、俺が届けるよ」
「ありがとう。でも、買い取ってもらう訳だから私が訪ねるべきだと思う。お邪魔だったら止めておくけど、騎士団は私が行っても大丈夫な場所かしら?」
「時々騎士の家族や村人が差し入れに来るぐらい開けた場所だよ。一日二本だけれど辻馬車も走っている」
「じゃ、それに乗っていくわ」
辻馬車の乗り方は覚えたし、今度は町とは違う方向にも行ってみたい。もしかすると、自生したハーブを見つけられるかも知れないし。
(プランターで育てていたハーブは庭に移したけれど、全部のハーブがあるわけではないし)
開店に向けハーブは沢山仕入れていたのでまだ在庫切れはしていないけれど、これからハーブをどうやって手に入れるかを考えなければ、死活問題だ。
でも、ここで一つ気になることが。
(そういえばリズは、騎士たちは魔物が国境を超えないよう守っていると言っていたっけ)
だとすれば、国境付近まで行くのは危険なのではないだろうか。いくらハーブのためとはいえ、魔物との遭遇は避けたい。
「あの、ドイル隊長、国境付近では魔物がよく出るのですか?」
「何、大したことはない。五日に一度程度だ」
「……五日に一度」
ドイルの言葉にミオの顔が青ざめる。魔物はミオにとって日常の産物ではない。
「ミオちゃん、大丈夫大丈夫。大抵弱い奴だから」
「……大抵」
「でも、ひと月前のドラゴンはびっくりしたよな。俺もエドも見たのは初めてだけれど、ドイル隊長は何度も見ているんですよね」
「……ドラゴン」
何だそれ。安全なのか。やっぱり行くのやめようかなとミオは思う。
そしてエドが、ジークのことを気が利かないと評したのはこういうところだ。せっかくフォローしたのに怖がらせてどうすると、エドは半目でジークを見た。
「昔はあんなのがゴロゴロいたからな。しかし、仕留め損ねたのが悔しい。以前は俺一人でもやれたんだが」
ドイルの言葉に、今度はジークとエドが青ざめた。ドラゴンは、通常騎士三十人が束になって敵うかどうか。それを一人でできると言い切ったのだ。
見れば体格もこの中で一際大きい。ジークだってエドだって長身だし鍛えられているのが服の上からでも分かる。しかし、ドイルは別格。太い首に分厚い胸板、まさしく百戦錬磨の戦士だ。
「ちなみに、国境を守る騎士は何人いるのですか?」
「五十人ぐらいかな」
「それだけで大丈夫ですか?」
素人ながらにもっと人員が必要なのでは、と思ってしまう。せめて倍、いや、三倍はいて欲しい。
「そんなに不安な顔をしなくても大丈夫だ。ニ年前まで魔物はうようよいたが、勇者が魔王を倒してから強い魔物は滅多に現れない。ジークやエドは若いから魔物と戦った経験は少ないが、ベテラン騎士にしてみれば時々現れる小物など手慣れた狩りと同様。そう心配することはない。町も穏やかだろう?」
「……はい。活気があって治安も良いように思いました」
ミオの店に毎朝二日酔いの客がわんさかやってくるのも、考えようによっては平和な証かも知れない。それにこの二年間、問題なかったからこの体制なわけで。それなら大丈夫だろうと思うことにした。
「はい、料理お待たせ」
ミオがホッとしたところで女将さんが両手いっぱいに料理を持ってきてくれた。はい、はい、と次々テーブルに乗せていき、あっと言う間にテーブルはお皿でぎゅうぎゅうに。グラスの置き場所を探すのにも一苦労だ。しかしこれらの料理、と澪は並べられた皿を見る。
(お肉ばっかり)
脳筋にはバランスよく食べるという思考回路はないらしい。テーブルがほぼ茶色の料理で埋めつくされている。一口大の大きさの煮込まれた肉が幾つも入った器や骨つき肉のフライ、大きなソーセージに厚切り肉がどん!見ただけでアラサーは胃もたれがしてくる。
さらに「肉ばっかり食べてないで。これは国境を守ってくれているお礼よ」と女将が置いていったのは魚のフリッターだった。なぜ。
「さあ、食べよう。ミオも遠慮するな」
「……はい」
食べ切れるかな、とミオは食べる前からお腹をさする。でも、ジークはそんな様子に気づくことなく、嬉々として皆に肉を取り分け皿を配っていく。マメである。そして女性心にはてんで疎いようだ。
それはやけに赤い肉だった。強いて言えば馬刺しのような。
(煮込まれて赤くなったのかな? いや、違う。もともとこの色だ)
なぜなら煮汁はほぼ透明。美味しそうに食べるジークを横目に、えいっと頬張ると意外なほど口の中でほろほろと蕩けた。豚の角煮に近いけれど、脂身はそれより少ない。
一口目こそ恐る恐る口にしたけれど、あっという間に一切れ食べ終え、もう一切れと手を伸ばす。それを目敏くエドが見つけた。
「それ、美味しいよね。見た目とは違って」
「……見た目と違う」
エドが残りわずかとなった煮込みをちょいちょいと指差した。
「確かに、あんなに鱗が多く硬そうなのに煮込むと蕩けるような触感になるな」
「うろこ?」
ドイルが遠い目をし、ミオは瞠目する。
「そうそう、舌をチョロチョロ出す気持ちの悪い顔からは想像でき……」
「いやーー!!」
ジークの言葉にミオが涙目で耳を塞ぐ。ワナワナと口を震わせ目には涙が溜まる。いったい自分は何を食べたのだとブルブルしていると、騎士三人がクツクツと笑い出した。
「おい、お前達いい加減にしろ『神の気まぐれ』が可哀想だろ」
「いやいや、隊長も乗っかってましたよね?」
「ミオ、大丈夫。これは案外可愛い見た目をしているから」
そう言われたところで、もう素直に信じないぞとミオはジト目で三人を見る。そこへ追加のエールを持って女将がやってきた。ここは彼女に聞くしかない。
「あの、この肉は何の動物ですか?」
聞きたいような、聞きたくないような。それでも、白黒はっきりさせたくて問えば、女将はあっさり「一角兎よ」と教えてくれた。
「兎ですか」
ほっと胸を撫で下ろす。兎は食べたことがないけれど、海外では割とポピュラーだと聞く。それに日本だって兎を一羽と呼び、四足動物ではないと苦しい言い訳をしながら食べていた時期があった。
「それなら大丈夫。これぐらいの、耳が長くて可愛い動物よね、その魔物版なら怖くないわ」
余裕余裕と、両手で二十センチちょっとの大きさを示すと、ジークが微妙な顔をする。
「ミオ、一角兎は一メートル以上……いや大きい物だと二メートル近くあるし、雑食(・・)だから絶対に近寄っちゃ駄目だよ」
「雑食」
雑食とはこの場合、何を食べるのだろうか。いや、これ以上聞くのは止めておこう。ミオは思考を放棄し食事を続けることにした。そうでなければ、この世界で生きていけない。
「ジーク達は一角兎も退治するの」
「もちろん。それほど強くないし、肉は高値で売れるから騎士団のいい資金源になっている」
「それって、魔法で仕留めるの? それとも剣?」
「俺とドイル隊長は身体強化魔法を使い剣で、エドは炎魔法を使える」
エドが手のひらを上に向けると、直径五センチほどの火の玉が浮かんだ。ちょっと得意気に口の端を上げている。
「凄い! 初めて見たわ」
その言葉にエドはますます炎を大きくするも、ドイルに睨まれ途端それはしゅわしゅわと縮んだ。
騎士達はミオを揶揄ったことを口々に詫び、その口調に(あまり反省していないな)と思いながらもミオは許した。
そのあとは、これは鶏に似ているとかほぼ猪だとか、知るつもりの無かった肉の原型を教えて貰いながら、テーブルの上の肉を一通り口にした。少し硬いものもあったけれど、おおむね鶏肉と豚肉と解釈しておくことに。
食事も終わりに近づいた頃、ミオはドイルが右手しか動かしていないことに気がついた。右利きだとしても不自然なほど、左腕はだらりと下ろされている。
その視線に気づいたドイルが苦笑いを浮かべた。
「俺の左手は肘から下がない。不作法は多めに見てくれ」
「そんな。私こそ不躾に見てしまい申し訳ありません」
「気にする必要はない。名誉の負傷だ」
その顔に悲壮感はく、言葉通り誇りに思っているように見える。悠然と右手でジョッキを飲み干す姿は勇ましく、実際、片腕だけでも若手騎士数人が束になっても敵わない。
「ミオ、ドイル隊長は勇者と一緒に魔王を倒した一人なんだ。左手の傷はその時のものらしい」
「そうなんですか!?」
「ジーク、昔の話だ」
余計なことは話すなと眉を顰められるも、ミオは身を乗り出す。
「凄いですね。それで今は隊長として国境を守っていらっしゃるんですか」
「隊長とは名ばかりだ。何せ右腕しか使えない」
それでも一番強い。戦いに明け暮れ負傷した身でありながら、なおも国境を守る道を選んだドイルは人望が厚い。
「勇者様とドイル隊長、二人で魔王を倒したのですか?」
「いや、あと二人。魔法使いと回復魔法を使える者がいた」
おぉと、ミオは心の中で叫ぶ。まさしくこれぞ異世界。
「それで残りの三人はどこにいらっしゃるんですか?」
「回復魔法使いは王都にいて怪我人や病人を助けている。魔法使いは王都に戻る途中に姿を消した」
「消した、とは?」
行方不明ということだろうか、まさか誘拐ではないわよね、とミオは首を傾げる。
ドイルは、ほとほと困ったとばかりに大きく息を吐いた。
「そういう奴だ。よく言えば自由、悪く言えば協調性がない。王様に挨拶なんて面倒だと言って転移魔法でトンズラした」
「なっっ」
それは些か、いや、かなり自由すぎるだろう。少し羨ましくもあるが、残されたメンバーは大変だっただろうと、ドイルの眉間の皺を見ながら察する。
「大変でしたね」
「まあな。しかし、何が恐ろしいかって、全員がそうなることを予想していたってことだ」
その境地に至るまでの苦労たるや如何程か。
残された者は、驚きよりもやっぱりかと思ったらしい。
「それで、勇者様はどうしているんですか?」
おそらく一番の功労者であろうその人物のその後だけドイルの口から出てこない。
当然の問いなのだが、ドイルは暫く言葉を詰まらせ次いで遠い目をした。なんだか哀愁漂う、しかも微妙な表情だ。
「……あいつは、凱旋するなり勇者として持て囃され、さらに見目が良かったからわんさかと女が寄ってきたんだ」
「それは……喜ばしいことのように聞こえるのですが」
「怪しい贈り物をされ、魅了魔法をかけられ、媚薬を盛られてもか? ま、あいつが注目を集めてくれたから俺は助かったが」
「うっ、災難ですね。それで、勇者様はどうされたのですか?」
「最終的にブチ切れていろいろ拗らせ、魔女同様姿を消した。恐らく、自分の素性を知らないど田舎で呑気に酒を飲んでいるんじゃないかな」
どんな拗らせ方をしたのだろう。不憫すぎる。
あらかた食事が終わったところで、最終の辻馬車の時間だとジークが言い、二人は慌てて噴水へと向かった。馬車の中で、もう一度ヤロウ軟膏を作る日を確認し、ミオの初めての街歩きは無事に終わった。
4.騎士団への出張販売
町から帰って来て二週間後。
定休日なのでミオの朝はいつもよりゆっくり。昨日焼いたパンとランチの残りのスープで朝食を済ませると、庭に出てプランターから植え直したハーブに水をやる。そのあとは森に行ってラズベリーを摘みジャムを作った。
(異世界に来る前は休みといえば一日寝ていたけれど、起きて体を動かしている今の方が疲れがたまらない気がする)
自分の店を持つために修行も兼ね、朝から晩までカフェで働き、帰ってからはハーブの勉強やSNSで流行のカフェを調べたりしていた。寝るのは遅く睡眠不足だったから、休みの日は自然と昼過ぎまで寝ていたけれど、変にだるくすっきりしなかった。
この世界にきてからは、二日酔い客のために店を早く開けるから自然と早起きになり、テレビもSNSもないので早く眠るようになった。すこぶる体調がよい。
ジャムを作ったあとは、庭先でハーブティを飲みながら本を読む。充実した日々だと伸びもした。
夕方、明日の下準備を終えたころカラリとドアベルを鳴ってジークがやって来た。手には大きな紙袋を持っている。やけにでかい。
「いらっしゃい。今から軟膏を作ろうと思っていたの」
キッチンからミオが顔を覗かせる。その前には煮立った大鍋があり町で買った缶が煮られていた。
「何しているの?」
「念のため煮沸消毒した方がいいかな、と思って」
そろそろ十分たったのでよさそうだと、ミオは金属製のトレーに布巾を敷きトングを手にする。
「火傷しちゃいけないし俺がやるよ」
ジークがミオの手からトングを奪い、底に沈んだ缶を次々と取り出しトレーに並べていく。暫く冷ましてから手で持てる熱さになったところで清潔な布で拭きカウンターにそれを並べた。
まだ、荒熱はあるけれど軟膏を作っているうちに冷めそうだ。
カウンターの端には、ジークが持ってきた紙袋が無造作に置かれたままになっている。
「ジーク、これは?」
「昨日仕留めたコカトリスだよ。子供だから小さいけれど血抜きはしているから後は捌くだけ、夕飯にしようと思って持ってきた」
ミオが町で食べた料理の中にもコカトリスがあった。ほぼ鶏という説明だったはずだけれど、目の前にある紙袋はミオが知る鶏の大きさの倍はある。これで子供。
「ありがとう。……ちなみにコカトリスについて詳しく聞いてもいい?」
「前にも話したけれど、ほぼ鶏だよ」
「ほぼ……」
「そう、鶏を数倍大きくして獰猛にしただけ。あーでも尻尾の方は、うん、大丈夫そこは切ってきたから」
尻尾がどうしたのだろう。ミオは嫌な予感しかしない。
それもそのはず、コカトリスとは雄鶏と蛇を合わせたような姿で、鱗に覆われた蛇の尻尾がついている。その部分は固く食べにくいので、食用として売られるのは鶏の部分だけ。だから、ジークの言う「ほぼ鶏」も決して嘘ではない。
「それって強いの?」
「そうだな、息に猛毒があるから接近戦は気をつけなきゃいけない」
「毒……」
「バジリスクをも超える危険な致死毒だけど、肉になってしまえば問題ない」
けろっと真実を伝えるのは、繊細な乙女心に疎いから。悪気はない。しかし当然ながら途中からミオの顔色は青くなっていく。
(バジリスクは聞いたことがある、有名なファンタジー映画で見たあれよね。あれは食べれないけれど)
そっと袋の口を開けば、そこにあるのは大きな鶏肉。とういうか七面鳥。クリスマスに海外の食卓に乗るあれに見えなくもない。それにお店で食べた時は、ジューシーな鳥のから揚げだと思った。いける、はず。
「ありがとう。じゃ、これは後で食べるとして一旦冷蔵庫にしまっておくね」
「うん、それで軟膏作りだけど俺は何をすればいい?」
やはり手伝うつもりのようでシャツを腕捲りする。服装は町へ行った時と同じ洗いざらしのシャツにカーキのズボン、清潔だけれど服に気を使っている様子は微塵もない。
(でも、整った顔と鍛えられた長身の体躯だと何を着ても様になるのよね)
足だってすらりと長い。ランチタイムに顔を見せれば若い娘が色めき立ちそうだ、と親戚の姉目線でミオは思いながら、その長い足もとにある棚を開け、十冊ほどが並ぶ本の中から一冊を取り出した。
「それは?」
「ハーブの専門書よ。簡単に説明すると、ヤロウで作った浸出油と蜜蝋を湯煎にかけてかき混ぜる。で、それを缶にいれて冷やし固める」
「簡単そうに聞こえるけれど、浸出油って何?」
「それはもう作ってあるわ」
ミオは二階に行くと大きな瓶を抱え降りてきた。透明な液体にヤロウのドライハーブが浸かっている。
「これは何?」
「植物油にヤロウを浸したものよ。こうやってハーブと植物油を馴染ませ日当たりの良い場所に二週間置くと、植物油にヤロウの成分が浴出されるの。軟膏にはその油を使うのよ」
「へえ、瓶はずっと置いとくだけでいいの?」
「中身を軽く混ぜるために一日一回瓶を揺するけれど、あとはそのままよ。簡単でしょう」
瓶を揺するたびに金色の粉が輝き溶けていったことを話そうかと迷うも、結局言わなかった。
ジークを信用していないのではない。ただ、話してもジークには見えないだろうし、そのことがドイル隊長経由で広まるのがなんだか怖かったのだ。
「神の気まぐれ」が起こす奇跡として持て囃されても、それに答えられるだけ自信がない。それにヤロウ軟膏にどれだけの効き目があるのかも分からない。
「それで、この瓶をどうしたらいい?」
「あっ、えーと布でこしてハーブと植物油に分けるの」
金の粉のことを考えていたミオは、はっとして答える。先程使っていた大鍋より二回り小さな鍋を取り出し、その上に布をかぶせた。
「私は布を抑えているから、ジークはその瓶の中身をゆっくり移し替えてくれる?」
「うん、分かった」
ジークはひょいっと瓶を掴むと、少しずつ液体を注ぎ込む。実になれた手つきでだ。
「騎士団でも料理を作ったりするの?」
「もちろん。基本は見習い騎士の仕事だけれど、たまに当番が回ってくる。料理は子供の頃からしていたから得意だし楽しいよ」
「お母さんと一緒に?」
「小さい頃はね。母は数年前に亡くなって、それからは俺が母親代わりに家事と育児をしていた」
ミオは瓶を持つジークの横顔を見る。いつもと変わらず穏やかな表情、でも苦労したんだな、と思う。
妙に家事スキルが高い理由はその生い立ちからきていたようだ。
瓶の中身を全部入れ終わったところで、布を巾着状にまとめ最後の一滴まで絞ろうとぎゅっと力を入れる。
「貸して、俺がやる」
「ありがとう」
もう限界だろうと思うところまで絞ったにも拘らず、ジークに手渡すとまだまだジュッっと沢山絞れた。
「身体強化使った?」
「はは、こんなことで使わないよ」
ちょっと鍛えようかな、とミオは自分の細腕を見る。異世界で暮らすには逞しさが必要な気がした。
「で、これを蜜蝋に混ぜるんだよな」
「そうよ。まずは湯煎で蜜蝋を溶かす。えーと、鍋はこれでいいかな」