ミオもブロッコリーの茎にたっぷりのチーズを絡める。ふうふうと冷まし頬張れば、とろりとしたチーズの触感と、茹でて甘くなったブロッコリーが口の中に広がる。異世界のチーズはミオの知っているそれより味が濃くぎゅっと濃縮されていた。
「初めて食べたけれど、これは、はふっ、とっても美味しい」
「気に入ってくれてよかった。簡単だし今度は違う具材でしてみるのもいいかも」
パンをフォークに刺しチーズの中にどっぷりとつけくるくると回し、掬い上げるようにすればチーズはどこまでも伸びる。それすら楽しいようで、ジークの手と口は止まらない。
「チーズはどうやって手にしているんだ?」
「リズに頼んで街で買って来て貰っているの。この辺りは辻馬車の停留所がない代わりに手を挙げれば止まってくれるらしいけれど、一人で乗る勇気がなかなかなくて」
「それなら、俺が一緒に街に行こうか? 一度行ってしまえば次からは一人で行けると思うよ」
「いいの!?」
思わぬ申し出にミオが破顔する。そこまで喜んでもらえると思っていなかったジークは、そんなことならもっと早く言えば良かったと思う。
「ありがとう、そうしてもらえるととても助かる」
「いいよ、普段ただで食事をさせて貰ったり、ハーブティーを飲んでいるから」
「そんな、だって食材はジークが持ってきてくれたものだし、ハーブティは部屋を片付けてくれたお礼よ」
その上、町を案内してもらえるなんて申し訳ないぐらいだ。
「俺こそ大したことしていないよ。そうだ、明日はどう? 俺休みなんだ」
「せっくの休みを私なんかに付き合ってもらっていいの?」
「もちろん。あっ、そうだ、ドイル隊長から聞いて来いって言われたことすっかり忘れていた!」
焦ったのか喉にパンを詰まらせ、ケホケホと咳をするジークにミオは水を渡す。
「隊長がミオのヤロウティーを救護室に置けないかって言ってるんだけれど無理かな?」
「ヤロウティーを? 騎士団には薬があるんじゃないの?」
騎士団は国直轄の部隊。だとすれば、こんな辺境の地でも平民が買えないレベルの薬が常備していそうなもの。
しかし、ジークは首を振る。
「ポーションはあまり日持ちがしないんだ。薬草を育てることができる者も調薬できる薬師もそのほとんどは王都にいるから、こんな辺境の地だと国直轄の騎士団といえどそこまで効き目のある薬は手に入らない」
回復魔法を使える者も国には数人いるらしいけれど、それこそ王都にいてこんな場所にくることはないという。
事情を聞いて、ヤロウティが必要とされていることは理解した。でも、
「あれはあくまでハーブティだから日持ちしないわ。冷蔵庫に入れておけば二日ぐらいは持つと思うけれど、薬としてストックするには不向きだと思う」
「そうか。それだと使い勝手は悪いよな」
がっくりと項垂れるジークを見て、ミオは何か案はないかと考える。だって、ヤロウティは傷を治す。ミオだって『神のきまぐれ』として酔いどれ以外も助けたい。
「確か、ヤロウと蜜蝋と混ぜて軟膏にすることができたかも。瓶や缶で密閉すれはそれなりに日持ちはすると思う」
作ったことはないけれど、ハーブについては勉強して飲む以外の知識も持っている。固形にすれば持ち運びもできるし、騎士一人ひとりに携帯させることだってできる。考えれば考えるほど良い案に思えてきた。
「それなら、明日、蜜蝋と缶も買おう。資金は隊長からもらってくるよ」
「待って、まだ作れるって決まったわけじゃないしそれは受け取れないわ。そうだ、完成したら買い取ってもらえないか頼んでくれないかしら」
「分かった。こっちから頼んでるのだから買うに決まっているけど、隊長には伝えておく」
騎士たちは皆、寮で寝泊まりしているので帰ったら話を通してくれるという。
ちなみに、ヤロウはミオがベランダで栽培していた物を庭に移植したところ、元気に繁殖してくれている。
そのあとも二人はたらふく食べ、しゃべり、時計が十時を指したころジークは帰っていった。
「ミオ、俺が帰ったら必ず鍵をしめるんだよ」
帰り際必ずそう言うジークに(心配性ね)と思いながら、自分を気遣ってくれる人が一人増えたことを嬉しく思った。
次の日の二時、ランチ最後の客を見送ると明日のパン生地を捏ね下準備を手早く終える。
(洗い物は帰ってからにしよう)
パンは発酵時間がかかるからこの時間にはしなきゃいけないけれど、洗い物はシンクに水を溜めつけておくだけに。壁の時計を見れば、もうすぐジークが来る時間だ。ミオは手早くエプロンを外すとタッタッタッと二階に駆け上がる。
すっきりと片付いた部屋のクローゼットをあければ、季節ごとに服が整理されている。以前のようにセーターの下から半袖が出てくることはもうない。ジークに感謝だ。
「ちょっと暑くなってきたし、シャツ一枚でいいかな」
リズに聞けばこの世界にも四季はあって、これから夏になるらしい。水色のストライプのシャツと膝下丈のカーキのスカートを選ぶと、着ていた仕事用のTシャツとGパンを脱ぐ。
結んでいた髪は解いてハーフアップにし、軽く化粧をしてからハッと気がついた。
「これじゃまるで浮かれているみたいじゃない」
アラサーが十代相手に恥ずかしい。下手すりゃ犯罪者だと慌てて髪を解く。うっかり髪飾りまで付けるところだった。軽くブラシを通して鞄を持ったところで下から声が聞こえた。
「ミオ! 用意はできた?」
覗けばジークがこちらを見上げている。当然ながらいつもの騎士服ではなく、洗いざらした白いシャツにちょっと色あせた紺色のズボンを履いていた。爽やかだ。
「すぐに行くわ」
返事をして窓を閉めると、もう一度鏡を見て気合いを入れすぎていないか確認する。
スカートを履くのは異世界に来てから初めてだけれど、初の町デビューなのでそこはいいとしよう。
階段を降り扉を開けると、ジークは店のわきにリズが作った馬止めの杭に紐を縛っていた。馬の前には藁と水がすでに置かれている。
「お待たせ。休日なのにごめんね」
「いいよ、俺も久々に出かけたか……」
答えながら顔を上げたところで言葉が止まる。どうしたのかと首を傾げれば、ジークはぽかんと口を開けミオを見ていた。
「どうしたの?」
「あっ、いや、なんでもない。いつもと雰囲気が違うかからびっくりしただけで」
「髪を降ろしたからかしら。あっ、ちょうど辻馬車が来たわ」
ポクリポクリという蹄の音とガラガラと回る車両の音が聞こえてきた。ミオは異世界に来るまで馬車を見たことがなかったからその違いに気づいていないけれど、この世界の馬車のスピードは元いた世界の三倍ほど。長閑な音は存外早く近づき、そして手を上げたジークの前で止まった。
「乗ろう」
ジークは年季の入った馬車の扉を開ける。飾り彫りが施されているけれど、擦れたり傷があったりで何が描かれているのかは分からなかった。
荷馬車の中は二人掛けの椅子が左右に五列ずつ、合計二十人を乗せ引っ張る馬の数が二頭。この時点で見た目は馬だけれどミオの知る馬でない。
「ねえ、この荷馬車を引っ張っている動物は何?」
「? 馬だよ」
名前は同じらしい。
座った座席は狭く肩がくっつくほど。それに固くて、座り心地は決して良くないけれど長距離馬車ではないのでこんなものか、と思う。
この時間の馬車は空いていてミオ達以外に乗客は三人。ミオが流れる景色に目を向けると、木々の合間に畑が現れ長閑な田舎の風景が続く。暫く進んだところで道の両脇に小さな門のようなものが見えてきたのでジークに聞けば、町への入り口だと教えてくれた。
木製の門を潜ってすぐの場所にある停留所で馬車は止まりジークが立ちあがる。二人は馬車を降りてから御者席に向かい声をかけた。
「二人分」
大銅貨四枚をチャリンと渡す。これが辻馬車の代金の支払い方で、国境から町までの間は大銅貨ニ枚均一だ。
お金をぴったり払ったはずなのに辻馬車は動かない。どうしたのか思っていると御者がじっとミオを見て、遠慮がちに声をかけてきた。
「あなたが『神の気まぐれ』ですか?」
「……はい」
曖昧に微笑むと御者はパッと顔を輝かせる。その反応にミオはひっと後退りをした。
「やっぱりそうでしたか。いつか辻馬車に乗ってくれるんじゃないかと仲間と話していたんですよ。いやぁ、初めて乗った辻馬車が儂のだなんて、これは末代まで自慢できるなぁ!」
白髪まじの赤髭を撫で嬉しそうにそう語る御者に、ミオはプルプルと首をふる。
(いえいえ、私なんて。先代、先先代に比べればそれはもう落ちこぼれのようなもので……)
そんな大した者ではないのですぅ、と消え入りそうな声で呟くも御者には聞こえない。
にこにこと笑う御者に曖昧な笑顔で答えているとジークが助け船を出してくれた。
「じゃ、オレ達はこれで。ミオ、行こう」
「うん、ありがとうございます」
「お気をつけて。では「神のきまぐれ」様また儂の馬車にのってください」
「様」は心底やめて欲しいとミオは思った。
町の真ん中を突き抜けるように東西に大通りが伸び、その中央に噴水がある。噴水から南北にもう一本大通りが伸びていて、その北側の小高い丘の上にあるのが領主の屋敷、南側は日用品を置く店や民家が立ち並ぶ。
ミオは歩きながらジークから大まかな町の作りを教えてもらった。大通りは分かりやすいけれど、一本路地を入ると細かく分かれている。これは迷う自信しかない。
「辻馬車の停留所は噴水の前にもあるんだけれど、せっかくなら歩きながら町を紹介しようと思って」
「ありがとう。あっ、さっき私の分のお金も払ってくれていたわよね。これ」
そう言って小銀貨を渡すもジークは受け取らない。それどころかどこか不満そう。
「ミオ、俺は騎士として働いているしまして子供じゃない」
「でも……」
「いいから。それよりまずどこに行く?」
男の子と言われたことをまだ根に持っている。でも、そんなジークの気持ちを知らないミオは戸惑いつつ渋々銀貨を財布に戻した。
「食べ物はあとにしたいから、缶か瓶を取り扱っているお店に行きたいわ」
「じや、南の区域に行こう。ちょっと歩くけれど大丈夫?」
「うん」
歩くことになりそうなのでスニーカーを履いてきた。それにせっかく来たのだからいろいろ見てみたい。
石畳の道は整備されているけれど、石の角がかけていたり石自体にヒビが入っているものも。田舎町の領主の懐ではそこまで修理が間に合っていないようだ。
でも、町はこぢんまりとしてはいるけれど活気はある。
(一階建てか二階建ての建物がほとんど。壁は薄いベージュか白で、とんがり屋根は赤茶けたオレンジ色が一番多いけれど青や緑もある)
庭は木々が青々とした葉を茂らせ、花壇には初夏の花が咲いている。長閑で温かみのあるこの景色にどこか既視感があって、はて、と考え思い至った。
「魔女が居候しているパン屋がありそうな町ね」
今度はジークが首を傾げる。パン屋ならあるけど、と言うので、ミオはクスクス笑いながら「帰りに寄りたい」と頼む。
話しながら歩く二人の前を黒猫がよぎった。
十五分ほど歩き噴水まで来たところで南へと向かう。三つ目の角を曲がり細い道に入ると、小さな店が軒を連ねる通りに出た。どの店も軒先に棚や木箱を置き、その上に商品を陳列していた。値段らしき札も貼られている。
「ジーク、今更なのだけれど私文字が読めないの」
「そうか。でも、話す言葉ば分かるんだよね。今日は俺が代わりに読むけど、簡単な文字や数字は読めるようになった方がいいな」
「うん、リズに少しずつ教えてもらう」
ミオの返事にジークはむむっと口を尖らすも、ミオが気づくそぶりはない。
「子供向きの絵本を買って帰ろう。数字や、食べ物の絵と一緒に単語が書いてある」
「ぜひ。選んでくれる?」
「もちろん」
無邪気に喜ぶミオ。「俺も教えるし」と呟く声が届く前に、ミオが声をあげた。
「ジーク、あのお店に入ってもいい?」
むぐっと言葉を飲み込んでみれば、店先に出されたテーブルに透明な瓶がいくつか並んでいる。
薬を入れるにしては少々大きいも、飾り彫りがされていて可愛い。
ミオはジークの返事を聞くより早く、店先を除きこむ。花瓶やグラスといったガラス製品の他に大小さまざまな缶も置いていた。
二人が店に入ると「いらっしゃいませ」と年配の女性が声をかけてきた。
棚に置かれた品をちらちら見ながら、缶の置いてある棚の前で立ち止まる。大きさも色も形も違う缶が棚に奇麗に積み重ねられていて、その中の一つに手を伸ばし持ってみれば、思っていたよりもずっと重かった。
それもそのはず、ミオがよく手にしていたのは軽いアルミ缶、対してこれはブリキ素材。
ミオの祖母時代にはよく使われていた素材のせいだろうか、レトロな風合いが可愛く見える。
「騎士が携帯するなら小さな缶が良いと思うけれど、医務室に置くならある程度大きい方がいいかしら」
「そうだな、とりあえず効果を見たいからまずは医務室に置く大きさを。携帯することになれば、自分達で入れ物を用意することになるだろう」
ミオは直径八センチ、厚さ五センチほどの缶を手にする。
「これで一か月分はある?」
「まさか、騎士に傷は付き物。平時でもって五日、魔物退治があれば一度で二缶は無くなると思う」
平時でも怪我をするのは訓練をしているかららしい。生傷は絶えないとか。
それなら十個ほど作って、残り少なくなったら使い終わった空き缶を持ってきてもらって補充する方法が効率よさそう。
「取り合えず十個買おうかな。足りなければまた買いにくればいいし」
もし余るようなら、それはそれでドライハーブを入れてミオが使えばよいこと。
大きさが決まったなら次は柄選びだ。花や小鳥、蔦模様とレトロ感ましましな柄がずらりと並ぶ。
こうなると、自然とテンションも上がる。
「ねえ、この柄可愛いと思わない? あっ、こっちも素敵。これもそれも……どうしよう、迷ってしまう。ねぇジークはどれがいい?」
楽しそうに缶を幾つも持つミオに問われ、ジークは苦笑いを浮かべる。
「使うのはむさ苦しい騎士達だから、正直柄なんて見ないと思うよ」
「……そうか、そうよね」
無骨な手で蓋を開け、使い終われば乱暴に箱に投げ入れられる。すぐに凹み傷だらけだ。
しゅん、と落ち込むミオを見てジークは慌てて胸の前で手を振る。
「でも、女っ気がないからこそ、こういう柄はいいかもしれないね。ほら、なんか癒されるし?」
明らかにフォローされている。
(でも、作る私のテンションが変わるの!)
どうせなら可愛く仕上げたいというのが乙女心。この心のあり様が部屋に対しても現れれば汚部屋にはならないのだが。
騎士達がこだわらないのであれば自分が好きな柄にすればいいかと切り替えて、缶を次々と手にしていく。どれもこれも可愛くて、その中から花柄を中心に選ぶ。
楽しそうに買い物をするミオの横顔を見ながら、ジークはゆっくと待つことにした。
選んだ缶の代金を支払い鞄にしまって店を出た二人は、次は東へと向かう。食料品を扱う店は町の東側に多く、西は靴や服、馬具などを作る職人が多く住む。
「ヤロウ軟膏はいつ作るんだ?」
「下準備もあるから二週間後かな」
「作るのを見てもいい?」
「いいわよ」
ジークのことだから手伝ってくれるつもりなのだろうと思う。
そうだとしても、軟膏を騎士団に定期的に卸すとなれば仕事が増える。
騎士や農家は例外として、この国では六日働いて一日休む人が多いらしい。店や職人もそうで、だから村から町へ通う人も休日は極端に少なくなる。それなら一層のことミオの店もその日を定休日にしようかと思っていたところ。それなら軟膏を作る時間もできそうだ。
「ジーク、私の店も定休日を作ろうと思っているんだけれど」
「うん、そうした方がいいよ。俺もそう言おうと思っていたんだけれど、異世界に馴染もうと頑張っている姿見ると言い出せなくて。でも、ずっとこの世界で暮らしていくんだから、もう少し肩の力を抜かないと疲れてしまうよ」
そんな風に見られていたのかと思う。
(一回りも下の子に心配されていたなんて、ちょっと気を張り詰めすぎていたかも)
もともと仕事とあらば、寝食忘れてがむしゃらにやってしまう。結果、家には寝に帰るだけで汚部屋へとなったのだが。
それも含めて、異世界に来たのだから生き方を変えてみてもいいのでは、と思った。
「決めた、お客様が少ない日を定休日にするわ。できればその日に軟膏を作りたいのだけれど、ジークの仕事はどう?」
二週間後の定休日は、ジークが早朝当番の日だった。それなら夕方から作ろうと決め、二人は残りの買い物に取り掛かった。
「はぁ、疲れた。ありがとう、ジーク」
「どういたしまして。欲しいものは全部買えた?」
噴水のわきにあるベンチに並んで座り、ミオは歩き疲れた足を伸ばす。
鞄は缶と蜜蝋と絵本でいっぱい。チーズとパンが入った紙袋はジークが持ってくれている。
「もう少しで辻馬車がくるけれど、どうする? 帰ってもいいし、食事をしてもいいし」
「そうね。このままだと夕飯はパンだけになっちゃうし……って、ねぇ、ジークあの子迷子かな?」
大通りから逸れた細い路地の入口に男の子が一人、膝を抱え額をつけて丸くなっている。
「着ているものも良いし、迷子っぽいな。声をかけてみるか」
ジークが立ち上がりミオも後に続く。歩きながら周りを見渡したけれど、少年を探している人は見当たらない。
「どうしたんだ? 迷子なら衛兵の詰所まで連れて行くよ」
ジークがしゃがみ視線を少年に合わせた。
この街を治めている領主が雇っているのが衛兵で、領主の護衛だけでなく町の治安も守っている。
その詰め所がこの町には二ヶ所ある。一つは噴水から少し北に行ったところで主に町中でのトラブルに対応、もう一つは東門でこちらは町を守る砦の意味合いがある。
西門に詰所がないのは、西側の国境には騎士団がいて、彼らが魔物から守ってくれているからだ。
少年が顔を上げジークを見る。五歳ぐらいで、泣いて目と鼻が真っ赤になっていた。
その原因は、顔を上げたことで見えた膝がしらに。転んだのだろう、大きく擦り剝け血が流れていた。
「転んで怪我をしたのね」
ミオがハンカチを取り出し傷口にそっと当てると、少年はぎゅっと泣きそうに顔を顰めた。そして再び緑色の瞳から、ポロポロと大粒の涙を零す。
「久々の街が楽しくて……ヒック……走って気が付いたら誰もいなくて。……慌てて探そうとしたら怖い顔のおじさんにぶつかって怒られて……」
怪我はぶつかって転んだ時にできたもの。怒られて怖くなってしまい裏路地に逃げ込んだのはいいけれど、自分がどこにいるのかも分からなくなってしまった。痛い脚で必死に歩いて大通りまで戻ってきたものの、一緒に来た人はどこにもいなく心細くなったようだ。
「ちょっと待って」
ミオは鞄の中をごそごそと漁る。蜜蝋を選ぶ時に必要かもと、ヤロウの葉を袋に入れていたのを思い出したのだ。
(蜜蝋選びには必要なかったけれど、持ってきてよかった。確か揉むのよね)
こんな感じかな、とハンカチにヤロウを包みつまみ洗いをするようにこすってみる。(傷口が治りますように)と願うとハンカチ越しでかろうじてわかる程度に金色に輝いた。
「ジーク、子供を噴水まで運んでくれる?」
「分かった」
ジークは子供を軽々と抱え運ぶと、噴水の縁に座らせた。ミオは噴水の水を掬い傷口を洗うと、揉まれてつぶれたヤロウの葉ごとハンカチを傷口に当てて膝の後ろでぎゅっと結ぶ。ヤロウでの汁で緑に染まったハンカチに血が滲んだ。
「さっきの葉っぱは何?」
「傷口を治すハーブよ」
「お姉さん、お医者様?」
「違うけれど、きっともう大丈夫よ」
まだ不安そうにしている少年に、ジークは「俺もそのハーブで傷を治してもらった」と言うとズボンを捲り怪我をしていた箇所を指さす。
「ほらな、すっかり治っているだろう?」
「お兄さんもいっぱい血が出た?」
「ああ」
「僕より?」
「うん」
「泣いた?」
鼻をぐずぐずさせ、再び泣きそうになる少年をジークはひょいと縦抱きにする。
「泣かないよ、君も男だろう、もう泣かない。衛兵の詰め所まで連れていってやるよ」
よしよしと背中をポンポンする姿は実に手慣れている。そういえば六人兄弟って言っていたっけ、とミオは感心しながらその様子を見た。
ジークが持っていた紙袋をミオが抱え、ジークの案内で詰所のある場所へと向かうことに。
「すみません、迷子を見つけた……」
「ベニー坊ちゃま!!」
詰所にある椅子に座ってこちらに背を向けていた女性が、ジークの言葉途中に振り返りバッと走り寄ってきた。顔は青ざめ目は真っ赤だ。
「ベニー坊っちゃま! ご無事で良かったです。今までどこにいらしたのですか?」
「マーラ、ごめん」
「私は、もしや人攫いに会われたのではと気が気ではなく。今、御者が奥様に坊ちゃまがいなくなったことを伝えにいきましたので、まもなくこちらに来られると思います」
「うっ、お母様に会いたい……」
母の顔を思い浮かべ、再び泣きそうになったところで、マーラの視線がやっと二人に向けられた。ジークは軽く頭を下げながらベニーを降ろす。
「噴水の近くで泣いていたので連れてきました。俺は国境騎士団に所属するジークと申します」