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 さて、この成功はもちろんケンちゃんとコトラあってのことだった。
 それを絶対に記さねばならない。
 二人は子供たちを食べさせるために、一生懸命働いてくれた。もちろんやってきた子供たちも働いた。
 次にやってくる子供のために、みんなが一生懸命働いてくれた。そうでなければ、わたしたちの家族はあっという間にバラバラになっていただろう。成功を支えるのは、いつでもこういう努力なのだ。
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 そして一年目が終わる頃には七十人以上の子供たちが一緒に暮らしていた。ほかにも十人くらいの子供たちは、ミクニ老人の知り合いの家で暮らしていた。
 預けられた子供たちもとりあえずは安全だった。老夫婦たちはずいぶんと子供たちを可愛がってくれているようだったし、子供たちもまた老夫婦によくなついていた。
 そしてもう一つの変化もあった。この一年の間に、レイは屋敷のヒダカ老人のところへ働きに出るようになったのだ。レイのほかにも三人ほど子供たちが働きに出ていたのだが、レイは主にヒダカ老人の世話係のような仕事をしていた。
 レイいわく、ヒダカ老人はちっとも怖くないらしい。それどころかいつも笑顔で、とても優しくしてくれるそうだ。
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 さて、ここで一つだけはっきりさせておかねばならないことがある。
 たぶんあなたも同じ疑問を抱いているのではないだろうか?
「子供たちから涙を取らなかったのか?(キン)をとらなかったのか?」
 結果から言うと……取った。それもかなりの量をとった。
 もちろん言い訳をするつもりはない。悪いことをしたとも思っていない。子供たちは自分から涙を流してくれたのだ。無理強いしたことは一度もない。だから恥じるところは何もない。
 それに彼らの涙があったからこそ、あの厳しい時代を子供たちだけで乗り切れたのだ。
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 ちなみに子供たちから涙を搾り取るのには、コトラに涙を流させようとした作戦の数々が役に立った。
 わたしたちのマンションには『ナミダ部屋』というものがいくつかあった。
 たとえば『タマネギ部屋』。ここでは、みんなの食事のために、タマネギのみじん切りが行われていた。この部屋にはコトラがいた。コトラは特に小さな女の子に人気があった。彼女たちはいつもコトラにくっついてこの部屋にいた。そしてたどたどしい手で、ポロポロ涙をこぼしながら、みじん切りを手伝ったりするのだった。
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 次の人気は『おはなし部屋』。ここにはケンちゃんがいた。ケンちゃんは話し上手で、仕事であったつらい話や、昔の話なんかをドラマチックに語るのだった。ケンちゃんのもとには男の子らしい男の子が集まった。彼らはケンちゃんの話に泣き出し、さらにケンちゃんが盛り上がりすぎて自分まで泣き出してしまうと、今度はもらい泣きの涙を流すのだった。
 そして『くすぐり部屋』。ここはわたしの担当だった。わたしのところには人見知りするおとなしい子供がなぜか集まっていた。わたしは子供たちが近づいてくると、パッとお腹をつかまえ、くすぐり倒した。彼らの笑うこと笑うこと! 泣き出すまで笑わせると、なんだか心が通う気がした。そして子供たちは何度捕まえられても、懲りずにわたしに近づいてくるのだった。きっとみんな寂しかったのだろう。
 彼らの流した涙は金の粒となり、その粒はすべて貯金箱に入れられた。
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 貯金箱の管理はすべて『キョウコさん』が行っていた。
 そうそうキョウコさんの紹介がまだだった。
 キョウコさんというのは、ミクニ老人の孫娘に当たる人で、暇だからという理由で、子供十字軍結成の年に、わたしたちのマンションに勝手に引っ越してきた女性だった。
 ずいぶんと物事をはっきり言うタイプで、ケンちゃんよりも三つ上の年齢で、わたしたちのグループの最年長だった(といっても当時で二十歳)。
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 これも余談だが、ケンちゃんとキョウコさんはその五年後、結婚することになる(残念ながら二人が結婚した時、わたしはそばにいなかった。その理由は後で明らかにされるだろう)。そして五人の子供が誕生する。
 ケンちゃんの家庭はいつもにぎやかだ。特にキョウコさんが一番にぎやかだ。これを言うと怒られそうだが、いつでもやかましいくらいなのだ。
 余談の続きをすると、特にハッキリとした理由はないのだが、わたしたち三人はそろって三歳年上の奥さんをもらうことになる。
 なんというなかよし兄弟!
 ちなみにコトラの奥さんはもう少し後で登場する!

 ~ 子供十字軍 終わり ~