ペスカ一行はミノータルの首都を出発した。しかし空と翔一の表情は、強張っていた。
東京での戦闘は、命を落としてもおかしくはなかった。今、生きている事が不思議な位なのだ。
その東京で大惨事を起こした嫉妬の女神メイロードが、自分達を狙っている。そう聞かされれば、身震いするのも無理は無かろう。
ラフィスフィア大陸で戦争が活発化している。そんな事は、空と翔一に関わり合いが無い。ましてや、戦争などと言われても、非現実的としか思えない。それよりも、自分の身を案じる。それは当然の事であろう。
「気にしてもしょうがねぇよ。やって来たらぶっ飛ばせば良いんだし」
「冬也、お前くらいだよ。神様に命を狙われて、平然としてられるのは」
「そうです、冬也さん。呑気すぎます」
翔一と空に立て続けに言われ、冬也はムッとして言い返した。
「そんなに不安なら、特訓だ!」
「やだよ。みんなは、お兄ちゃんとは違うんだよ! 特訓して気が晴れるほど、単純じゃ無いんだよ!」
「うっせぇ、ペスカ! 怖いなら、強くなるしかねぇだろ! ビビッたまま死ぬよりましじゃねぇか! お前には、特に念入りに稽古つけてやる」
「言ったなお兄ちゃん。いつから私に勝てると思ったの?」
首都近郊の農園を過ぎた平野部に馬車を止めると、冬也はペスカ達三人を降ろす。冬也は集中し神気を体内で循環させると、一気に解き放った。冬也から解き放たれた神気は、周囲百メートルをドーム状に包む。
「空間結界を張った。この中でマナを使おうと、誰かに感知される事は無い」
「お兄ちゃん! 何時そんな芸当が出来る様になったの?」
「さっきの女神を見てて、何と無くだ!」
「何と無くって、高等技術だよ。どんどんお兄ちゃんが、神がかってく!」
驚くペスカを尻目に、冬也は先ず空に視線を向ける。
「空ちゃんは、空間結界を強化出来る様になるんだ 見て覚えろ!」
「無理ですよ!」
「無理じゃ無い!」
空の叫びを聞き流し、次は翔一に視線を向ける。
「翔一は、俺とバトルだ! かかって来い!」
「ちょっと待って冬也!」
冬也は翔一の言葉を無視して、距離を詰める。そして、鳩尾に掌底を叩き込む。とっさにマナで体を強化したものの、その衝撃は鳩尾から背中へと抜けて全身を揺らす。
翔一は膝を折り、口からは胃液が飛び出す。
「そんなんじゃ、直ぐにやられちまうぞ翔一!」
「ごほっ、本気を出さなくても」
「こんなの本気じゃねぇよ。さあ、立て! 翔一!」
立ち上がって挑まないと、これは終わらない。そう思ったのだろう、翔一は痛みに耐えて立ち上がり、全身にマナを巡らせる。
「そうじゃねぇ、翔一。マナだけじゃねぇ。加護も利用しろ」
「加護?」
「土地神の加護は上手く使えてたろ? それなら、ラアルフィーネって女神から貰った加護も使いこなせ!」
「そうは言われても、直ぐには……」
「なら、慣れろ!」
実戦で覚えさせようと考えるのは、血筋なのだろうか。翔一は立ち上がりはしたものの、全身に軋む様な痛みが走り、上手く体を動かせる状態ではない。
それは、冬也も見てわかっていた。しかし、容赦はしない。ロメリアと戦い、神の恐ろしさを痛い程わかっているからだ。
遼太郎の特訓は、あくまで初歩的なものだった。せめて戦いの中で自分の身を守れる様にするだけの特訓だ。神と直接対峙する為ではない。それも、ロメリアが弱っている事を想定していた。
しかし、今回の場合は違う。
いつ自分達がメイロードに襲われるかわからない。高尾では、他にも神がいた。その神がメイロードの代わりに襲って来る可能性だって有る。
自分が如何に上手く立ち回ろうとも、必ず翔一を守れるとは限らない。だからこそ、徹底的に加護を上手く使える様に慣れさせ様とした。
それから冬也は、翔一を数分でぼろ雑巾の様にすると、ペスカに視線を送る。
「次は、ペスカだな。行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待って、キャー!」
冬也はペスカとの距離を一瞬で詰めると、ペスカに掌底を放つ。ペスカはギリギリで避けて、距離を取りながら魔法を放った。その魔法は、全て冬也にかき消される。
再び冬也は距離を詰めて、上段蹴りを放つ。そしてペスカは飛翔し、蹴りを避けて魔法を放った。
冬也が攻めて、ペスカが躱しながら魔法を放つ。そんな攻防が数十分過ぎた所で、ペスカが苛立ち始めた。
「くっそ~。お兄ちゃんの癖に調子に乗って。空ちゃん、オートキャンセルで結界の強化をよろしく。翔一君は結界内に早く入って!」
ペスカが大声で叫ぶと、空は素早く冬也の作り出した結界の中に、自分の周囲に防御結界を張る。そして、ボロボロになった翔一は、空の結界に転がりながら入った。
ペスカは空達を見やると、冬也の作った空間結界を覆い隠すほどの、大量の炎球を作りだした。
「調子に乗ったお兄ちゃんに、愛のムチだ~!」
炎球は、一斉に冬也を襲う。しかし冬也は微動だにせず、神剣を作り出して炎球に向けて振るう。大量の炎球は、神剣の一振りで一瞬にして消えうせる。
次の瞬間には、元の場所にペスカはいない。冬也の背後から、大きなハンマーを振りかざしてペスカが迫る。
冬也はハンマーを神剣で受け止めるが、威力に圧される。ハンマーを受け止めるのを諦めて、受け流そうとする。しかし完全に受け流しきれず、ハンマーは冬也の肩口を僅かに掠める。
ハンマーの衝撃で少し眩んだ冬也を狙い、ペスカはハンマーを横薙ぎに振るう。ハンマーが、冬也を捉える。しかし同時に、冬也の蹴りがペスカの鳩尾に入る。二人は共に吹き飛ばされて、暫く立ち上がらなかった。
倒れながらも、体内に流れるマナで治癒を行っているのだろう。暫くして立ち上がった両者は、何事も無かった様な表情を浮かべていた。
「うぁ~、もう! 痛いよ、お兄ちゃん!」
「ペスカは合格! 次は空ちゃん行くか?」
「嫌、嫌です。絶対嫌!」
空は涙を浮かべて顔を横に振り、怯える様に後ずさりした。ペスカは庇う様に、空の前に立つ。
「パパリンみたいなスパルタ特訓は、お兄ちゃんだから耐えられるんだよ! 普通の人と一緒だなんて、思っちゃ駄目! 空ちゃんと翔一君の特訓は私がやるよ!」
「そうして貰えると、僕も助かるな。冬也は遼太郎さんより、容赦がない」
翔一が呟くと、空は大きく何度も頷いた。
特訓が必要なのは、翔一と空も充分に理解している。今のままでは力不足で、足手纏いにしかならない。
怖いなら、それを乗り越えられる位に鍛えればいい。そんな冬也の理屈も理解は出来る。しかし、現実はそれほど簡単にはいかない。
その理屈は幼い頃から過酷な訓練を行ってきた、冬也だから言える台詞だと思える。
しかしペスカの特訓が温い筈もない。結局この日は、日暮れまで特訓に費やされた。空と翔一は疲労で一歩も動けず、その場で野営を行った。
そして空と翔一は、まだ気がついていない。冬也とペスカ、この二人と自分達の違いに。必要なのは、腕力や戦いの技術、ましてや魔法の威力、そんな見掛け倒しの力ではない事に。
通常、首都から馬車で国境まで一日で到着する。しかし、特訓に時間を割いたペスカ達は、二日かけて国境沿いに到着した。
通行許可書を提示し、簡単に関門を抜ける。
「首都で何人か見かけたから知ってるけどさ、おっさんの猫耳は不気味だな。語尾がニャンじゃ無くて良かったぞ」
「お兄ちゃん、可愛い猫耳少女は、街に着くまで我慢だね」
「冬也。キャットピープル達は、商売で生計を立てているそうだ」
「冬也さん、可愛い猫耳少女ばかり見るのは、駄目だと思います」
「なんだよみんな、興味有るだろ? 猫耳少女」
「特に無いよ。いつからお兄ちゃんは、二次オタになったの?」
「僕は特に興味ないよ、冬也」
「がっかりです、冬也さん!」
ここぞとばかりに冬也は弄られる。そして馬車内に笑いが起きた。しかし、呑気な旅は長く続かない。行き交う馬車からは、ミノータルでは無かった視線を感じる。街道沿いで休憩しているキャットピープルからは、異物を見る様な目線を向けられ、冬也達の馬車が近づくと、慌てる様に逃げてしまう。
「なぁ、随分警戒されてねぇか?」
「縄張りに入って来た、侵入者に対する猫の本能だね」
「呑気に解説してんな、翔一! 商売人の国なんだろ? 警戒心丸出しじゃあ駄目だろ!」
「多分違うよ、お兄ちゃん。私達が亜人じゃなくて、人間だからじゃない?」
更に馬車を走らせると、武器を携えたキャットピープルの集団が、街道を塞ぐ様子が見える。流石に冬也は、馬車を停止させた。
「なぁ、あれって?」
「この国の兵士じゃない?」
冬也とペスカが話をしていると、集団が大声を上げながら近づいて来る。
「貴様らだな不審者は! 大人しくしろ!」
集団は武器を構えて、馬車を取り囲む様に展開した。翔一は身構え、空は結界の展開準備を素早く行う。しかし、それを制したのは冬也であった。
そして、冬也は静かに口を開く。
「俺達、何もしてねぇぞ。通行許可証も持ってる!」
「言い訳するな! 通報が有った。不審者は即逮捕だ!」
冬也の説明を聞こうともせずに、集団は問答無用とばかりに襲いかかって来た。そうなれば、流石に冬也も黙ってはいられない。しかし、それをペスカが一喝する。
「お兄ちゃん。攻撃しちゃ駄目! 翔一君!」
「眠れ、眠れ、永久に。夢の彼方に落ちて行け」
反撃しようとする冬也を、ペスカが止める。すぐさま翔一が、集団に催眠の魔法をかける。翔一の魔法を受けた集団は、崩れ落ち眠り始めた。
「それでペスカちゃん、この人達どうするんだい?」
「翔一君、魔法で拘束してから、睡眠を解いて。この人達には、話しを聞かないとね」
翔一はペスカの指示通りに、魔法で集団を拘束をする。睡眠を解いた途端に、拘束を解こうと集団が暴れ始めた。
「貴様ら何をする! これを解け! 反逆罪だ! いや、この場で死刑にしてやる!」
ペスカは、集団の様子に違和感を感じた。キャットピープルとは、ミノータルの首都でもすれ違ったのだ。他の亜人達からも、異物を見る様な視線は感じていた。しかし、ここまで敵愾心を露わにされる事はなかった。
ペスカは集団の様子を一瞥した後、冬也と翔一に視線を送る。
「お兄ちゃん、翔一君、この人達に何か感じない?」
ペスカの意図を読み取った冬也は、神気を目に集め集団を眺める。そして翔一は能力感知を展開させて、集団のマナをつぶさに調べた。
「ペスカ! こいつ等全員、マナに何か混じってやがる。何かされたんじゃねぇか?」
「あぁ、冬也の言う通りだ! 彼らの中に違和感が有る!」
「混沌の神って、どいつも狡い手で来るね! 空ちゃん、新必殺技だよ!」
ペスカの指示で、空は異能力のオートキャンセルを自身の周りで無く、集団に向かって展開させる。次々とパキリと音がし集団は昏倒して行った。そしてペスカは、直ぐに兵士の一人を叩いて、目覚めさせる。
キャットピープルの兵士は、目を覚ましても拘束されたままである。体の自由が利かない状況に慌て、周囲を見回し喚きたてた。
「何故だ。何故、拘束されている? 貴様らは何者だ? 我々をどうするつもりだ?」
落ち着ける様に姿勢を低くし、ペスカは話しかける。
「あのさ、あんた達は何をしに来たの?」
「我々は、不審者の通報を受けて、逮捕しに来た」
「不審者って?」
「人間だ! 人間は捕らえなければならん」
「それは、国の法律?」
「そんな法律は、この国に無い! 我が国は誰でも受け入れる、開かれた国だ!」
「じゃあ、誰の命令?」
「誰の命令とは何だ? ん、誰に命令された? 何故、人間を捕まえなければならんのだ?」
段々と目を泳がせ始めるキャットピープルを見て、ペスカ達は顔を見合わせた。一先ずペスカは通行許可証を提示し、不審者で無い事を説明する。合わせて、不当な暴力を受けそうになった為、仕方なく拘束した事を付け加えた。
キャットピープルは理解した様で、神妙な顔つきでペスカ達に謝罪をした。
「申し訳なかった。何故この様な事になったのだろう? 領主には報告しておく。安心して滞在して欲しい」
キャットピープル達の拘束を解くと、集団は一様にペスカ達に頭を下げて帰って行った。
「随分と先行き不安な展開だな!」
「そうだね、お兄ちゃん。この状況だと、不用意に町へ近づくのは危険かもね」
「ペスカ、そう言っても、どうするんだよ?」
「翔一君、ちょっと地図出して」
地図を見てペスカは唸る。暫く考える様に、地図を見つめると徐に口を開いた。
「ちょっと町に入らず、迂回しながら西へ向かおう」
「それは住人達も、彼らと同じ可能性が有るって事かい? さっきの様に解除はしないのかい?」
「翔一君。そんな事したら、汚染をした神に居場所を教えてる様なもんだよ」
「なるべく、住民達との交流は避けるって事だね」
「そう言う事。街道を進むのも避けよう。理解したら皆馬車に乗って。出発するよ」
ペスカ達は馬車に乗り込み出発する。目指すは西に有る魚人の国。不安を抱えてキャットピープルの国を進む四人に、更なる困難が訪れ様としていた。
「まだ見つからないの?」
「混沌勢の潜んでいる場所は見つかってません。それより、ラフィスフィア大陸では、戦乱が広がってますぞ。どうなさるおつもりで?」
「わかってるわよ。そんな事より、冬也君は見つかったの?」
「さぁ、知りませんな」
そこは天空の地。喚きたてる一柱の女神と、穏やかな口調で話す白い髭の男神が、顔を突き合わせている。女神に対して、白い髭の男神は畏まった態度を崩さない。身分の差というより、力の差であろう。そして女神は、声高に言い放つ。
「混沌勢の潜んだ場所の探索を、引き続き頼むわね」
「わかりましたぞ」
神妙な顔つきで、白い髭の男神が女神に頭を下げて去る。すれ違う様に、一柱の女神が現れた。一方の女神が振り向くと、近づいて来る女神の顔はかなりにやついている。
「フィアーナってば、こんな所にいたの? 探したのよ」
「ラアルフィーネ。どうしたの?」
「それよりあなた、子供がいたのね。色々詳しく教えなさいよ」
「それ何処で聞いたの? 会ったの? 会ったのね? 何処にいたの?」
放たれた言葉に、女神フィアーナは目を剥いた。慌てるように、女神ラアルフィーネの肩掴んで揺さぶる。更に、女神フィアーナはグイグイと、女神ラアルフィーネに顔を近づけて問いただす。
「ちょ、ちょっと! 近いってば! この間、ミノータルの神殿に来たわよ!」
「はぁ? なんでミノータルに? それで、今何処にいるの?」
「知らないわよ、とっくに旅立ったし」
女神フィアーナは膝から崩れ落ちる様に、四つん這いになった。その様子に、女神ラアルフィーネは少し溜息をつく。
「なによ、子供に会えないのが、そんなにショックだった?」
「そうじゃ無くて、メイロードがあの子達を狙ってるのよ!」
「それなら、隠蔽の結界を張ってあげたわよ!」
「ありがとう。ってちが~う! あの子達がいれば、混沌勢の騒動は一気に解決に向かう筈なのよ」
「あのね、フィアーナ。先に言っておきなさいよ。保護してあげる事も出来たのに」
女神ラアルフィーネは、再び溜息をついた。
冬也達と会ったのは、つい先ほどの出来事なのだ。しかも事情は本人達から聞いた。先に相談が有れば、対処のしようもあっただろう。
そして女神フィアーナは、両手を合わせて頭を下げる。
「ラアルフィーネ、あの子達を探して。お願い!」
「時間がかかるわよ。グレイラスの奴がアンドロケインにも、ちょっかい出してきてるし。ラフィスフィア程じゃないけど、荒れ始めてるのよ」
「頼りにしてるわ。ラアルフィーネ」
「まぁいいわ。でも、相手は混沌勢。何が起きるかわからないわ」
「そうね。あの子にも声をかけないと」
「ミュールね。大地母神が三柱も力を合わせれば、タールカールの二の舞を踏む事は無いわよ」
「そうね。あなたの言う通りだわ、ラアルフィーネ」
「ところでフィアーナ。冬也君って素敵ね。私、あの子と結婚するわね」
女神ラアルフィーネは、笑顔で手を振りながら去っていく。当の女神フィアーナは唖然として佇んでいた。直ぐに我に返ると、女神フィアーナは叫びながら、女神ラアルフィーネを追いかけていく。
「ちょ、ちょっと何? 何言ってんの? 待ちなさいラアルフィーネ! 待ちなさいってば!」
☆ ☆ ☆
一方ペスカ達は、なるべくキャットピープルに出くわさない様に、町や街道を避けて馬車を進めていた。
それでも、どこからともなくキャットピープル達が現れ、ペスカ達を捕まえようと向かって来る。至る所で、キャットピープルの集団を無力化し、ペスカ達は西へと向かう。
こうなってくると、町へ入ると更なる混乱を招く恐れがある。野営を余儀無くされ、常に緊張感を強いられる旅を続けていた。
訓練と実戦を繰り返した結果、翔一の能力感知は精度が上がり、攻撃の意思まで感知出来る様に成長していた。また、空のオートキャンセルは、魔法だけで無く物理も無効化出来る様に進化していた。
そこに、近接戦闘の冬也と援護射撃のペスカ。この二人の力が加われば、数十人程度の集団を相手に後れを取る事は無い。経験を重ねる毎に、一向の連携は深まっていった。
しかし、問題はいつも隠れた所で発生し、手がつけられ無くなる頃に顕在化する。
戦闘に慣れたペスカや、鈍感な冬也ならいざ知らず。戦闘を繰り返す日々は、空と翔一には過酷だった。
空と翔一は、日を追う毎に口数が少なくなり、笑顔を見せる回数が減って行く。時折、暗い表情を見せ、話しかけると無理に笑顔を作ろうとする。特に空は、ペスカや冬也にべったりとしがみつく事が増えて行った。
ペスカと冬也は、二人の変化を薄々感じつつも、何も出来ないでいる事に、歯痒さを感じていた。そんな時にたまたまオークが現れ、冬也が一撃で仕留める。ふと冬也は思う。「オークを使って、日本で馴染みのアレを作ろう!」と。冬也が視線送ると、ペスカも目を輝かせる。
「良いね! 私も手伝うよ!」
その日は、早めに野営の準備をし、冬也は準備に取りかかった。
オークを解体し、骨を砕いて寸胴へ入れる。魔法で水を出し、火を起こして下茹でをする。下茹でが終わると、野菜と一緒に再び煮込む。
寸胴をかき混ぜる作業をペスカに任せて、冬也は小麦を魔法で粉状にする。更に水と卵に塩を混ぜた液を少しずつ加え、練り込んでいく。練り込んだ塊は、魔法で平たく伸ばして暫く放置する。
更に冬也はオークの肉の塊を縛り、別の寸胴で徹底的に下茹でをして、余分な脂を抜く。脂抜きした肉を、ネギっぽい野菜と生姜っぽい野菜を加え、じっくりと塩茹でにした。
段々と周囲に、食欲をそそる香りが漂い始める。作業を眺めていた空と翔一に、笑顔が見える。
「冬也さん、もしかしてアレを作ってるんですか?」
「冬也、アレだね!」
「そうだ! 待ってろよ。俺の特製をお見舞いしてやるぜ!」
ペスカに任せた寸胴の様子を見ると、中は白濁した最良のスープが仕上がっていた。
寝かせておいた生地を、麺状に細く切って茹でる。その間に、塩茹でした肉を取り出して、魔法でスライスする。
更に、刻んだネギっぽい野菜と生姜っぽい野菜に塩を混ぜた、簡単塩だれを器に入れて、出来上がったスープで伸ばす。
最後に茹でた麺を湯切りし、スープで満ちた器に入れる。そしてスライスした茹で豚を添える。
「塩豚骨ラーメン完成だ!」
臭いが鼻腔をくすぐる。それだけでも、涎が垂れて来そうだ。空と翔一は、たまらず器を手に取り、スープを一口啜る。
「ラーメンだ。ラーメンだよ」
「うん、うん。美味しいです。すっごく美味しい」
嬉しそうに顔を綻ばせながら、空と翔一は声を上げる。続いて麺を啜る。そして、空と翔一の瞳からは涙が流れ始めていた。
たかが素人の手料理である。名店の味には遠く及ばない。しかし、『料理は思い』だ。それなくしては、料理とは呼べない。
食べる相手の事を考えて、その為に作るのが料理だ。例え名店ではなくても、そこには確かな思いが有る。
空と翔一の涙は、止めどなく流れ続けた。そして無言で食べ進める。また、二人から少し遅れて食べ始めたペスカは、冬也に優しく語り掛ける。
「美味しいよ、お兄ちゃん」
「そっか」
そして直ぐに、三人から「お代わり!」と声が上がる。
「おう! 沢山食え!」
冬也の作ったラーメンは、三人の心を温めた。その温かい気持ちが、空と翔一を癒していく。笑顔を浮かべながら涙を流す空と翔一を見て、冬也は満足そうに頷き、ペスカは笑みを深めた。
「そもそも。居住空間が無い、この馬車がいけないんだよ!」
ラーメンを食べ終わったペスカは、腕を組み鼻息を荒げて叫ぶ。そして空と翔一は、大きく首を縦に振る。対して冬也は、幼少期からアマゾンで何日も生活した事が有る。野宿や馬車の旅など何の苦痛でもない。
少し溜息をつきながら、冬也はペスカを見やる。
「何する気かは大体わかるけど、材料はどうするんだよ」
「鉄がいるね」
「魔石はどうすんだ?」
「魔石はどんな鉱物からでも作れるよ。出来たら魔鉱石が良いけど」
「だから、それを何処で手に入れるんだよ」
「採掘場が近くに有るみたいだよ。と言っても何が採れるかは、知らないけど」
「でかした、翔一君。早速行こう!」
図書館で、地図を頭の中に入れていたのだろう。翔一の言葉で、ペスカの声は弾む。そして、拳を掲げるペスカの後ろから、空の声が聞こえる。
「あのね、ペスカちゃん。行くのは良いけど、何するか教えてよ」
「戦うキャンピングカーを作るの!」
「はい?」
「へっ?」
空と翔一は揃って首を傾げる。二人の様子を見た冬也が、苦笑いしながら答えた。
「二人共信じらんねぇだろうが、キャンピングカーだよ。しかも大砲付きのな」
「だから、何を言ってるんですか冬也さん?」
「そうだよ冬也。キャンピングカーなんて、作れるはずないだろ」
空と翔一は、怪訝そうな表情を浮かべた。「幾らなんでも、それは無い。だって、ファンタジーな世界なんだし」と考えるのが普通だ。冬也でさえも、最初は驚いたのだから。
口で説明しても理解しないと判断した冬也は、地面に絵を描く。どんな馬鹿でも才能の一つや二つは持っているのだろう。冬也の描いたのは、以前ペスカが作った戦車と軍用トラックである。しかも忠実に描かれている。
しかし、どれだけ忠実に再現された絵を見ても、空と翔一はそんな馬鹿なと信じなかった。
「ペスカちゃんは、何時も突拍子も無い事を言うからな」
「そうそう。小さい頃から夢見る少女だもんね」
翔一と空が立て続けに言うと、ペスカは剝れて立ち上がった。
「そんな事言うなら、実物を見せてあげるよ! ははぁ~って、土下座させてあげるよ!」
野営で一晩を明かしたペスカ達は、馬車に乗り出発をする。採掘場は野営をした場所から近く、数時間程で到着した。
放棄されてから、かなりの年月が経過しているのだろう。採掘場には誰がいる訳でもない。そこは、渦を巻く様に地下へ向かって掘られた形跡がある。そして採掘場の周辺には、崩れた建物の跡だけが残っている。
馬車を停めて、四人は降りる。冬也と翔一は、露天掘りの周辺まで歩みを進める。
「うぉ~! でっけぇな~!」
「そうだね、露天掘りは規模が大きくなるからね」
「そこの男二人、何してんの早く来なよ!」
二人が感慨深く採掘場を眺めていると、かつて建物が有った周辺から、ペスカの声が聞こえる。二人が歩み寄ると、ペスカの指示が飛んできた。
「お兄ちゃんは神様にお祈りして」
「何の?」
「採掘の神様だよ」
ペスカは、打ち捨てられた祠を指さした。参拝者が消え、どれ位の時が経ったのだろう。崩れ果てた祠を見て、物悲し気な気分になりながら、冬也は神気を籠めて採掘の神に祈りを捧げる。
「採掘の神様、我らに恩恵をお与えください」
冬也の神気に応えるかの様に、祠が淡い光を放つ。そして、冬也の神気を吸い込んでいく。冬也の神気を吸い込み終わると、祠が放つ淡い光は僅かばかりに輝きを増す。そして崩れ果てた祠は、見る間に往年の姿を蘇らせていった。
空と翔一は驚きの余り、ポカンと口を開いて呆然としている。そんな翔一に、ペスカは指示を飛ばした。
「翔一君、マナ探知よろしく。ほら、ボケっとしてないで、早く!」
翔一は慌てて頷くと、採掘場全体を探るイメージをし、精神を集中させる。マナを少しずつ広げていくと、地中から何かの気配を感じた。
「この真下、二百メートル位の辺りに何か有りそうだよ」
「早速お祈りの効果が出たね。ナイスお兄ちゃん! それと翔一君」
「おう!」
「どういたしまして、って僕はおまけっぽい言い方は、気のせいだよね」
「取り敢えず、見に行って来るから、空ちゃんと翔一君は待っててね~!」
ペスカは翔一の言葉を無視して、笑顔で答える。そして冬也の手を引いて、採掘場を下り始めた。冬也について行こうとした空であったが、採掘場を見下ろすと足がすくんで動けなくなる
「空ちゃんは、高所恐怖症なんだから無理しないの! お兄ちゃんは、私が独り占め!」
「ず、ずるいよ。ペスカ、ちゃん」
ペスカは勝ち誇ったように、満面の笑みを浮かべ、空はガックリと項垂れた。
目的は採掘場の探索である。翔一の探知に引っかかったとはいえ、何が採れるかわからない。しかし、ペスカは嬉しそうに、冬也と手を繋ぎながらスキップする。
「お前、手を繋いでスキップすんなよ。鬱陶しい」
「良いじゃない、私の心のケアもしてよ、お兄ちゃん」
「ったくよぉ。ところで神様にお願いしたろ? 探知に反応したのは、そのおかげなのか?」
「多分ね!」
「採掘の神様ってどんな感じだろうな。筋肉モリモリな気がするな」
「確かに! でも意外と美形の女神様だったりして」
ペスカと冬也が、笑いながら神様について語っていた時に、後ろから声が聞こえた。
「呼んだかの?」
しゃがれた老人の様な声。人ならざる者の気配。決して悪霊の類ではなく、神聖な気配である。ペスカと冬也が期待を籠めて振り向く。
「なんじゃ。儂を呼んだのじゃろ? 祈ってもおったし」
そこに立っていたのは、幼稚園児と見間違う様な、少年の姿をした神様であった。ペスカと冬也は、共に少し呆気に取られて佇む。しかし直ぐに我に返り、反応を示した。
「キャ~! 可愛い~! 何この子!」
「おい! こんな所に子供が来たらあぶねぇだろ!」
「喧しいの。儂は採掘の神じゃぞ!」
ペスカは採掘の神の言葉を聞かずに、はしゃぎ立てる。
「キャ~! ほら~、高い高い~!」
「こら、持ち上げるで無い。止めんか」
「良い子でちゅね~! 高い高い~!」
「おい、聞いておるのか。坊主、止めよ。おい、撫でるな坊主、儂は子供では無い。神じゃ」
ペスカが採掘の神を持ち上げて、冬也が頭を撫でる。それは、二人が飽きるまで続けられた。
採掘の神は、元々この辺りにいた氏神で有った。かつて住んでいた土着の種族が、この地域で採掘を活発に行い、大きな信仰を集めていた。
しかし、ラフィスフィア大陸から攻め込んで来た人間達によって、土着の種族は滅ぼされた。その後、採掘場周辺は支配者の存在しない地域になった。
暫くして採掘場周辺は、キャットピープルの領土に併合された。しかし、採掘に興味を示さないキャットピープ達は、採掘場を放置し続けた。当然キャットピープル達は、氏神である採掘の神を信仰する筈も無い。土着種族の信仰を失った採掘の神は力を失い、だんだんと小さくなって行った。
「成程な。それで俺が祈ったのが、嬉しくなって出て来たと」
「そうじゃ」
「ねぇ。私達、欲しいのが有るんだけど」
「言うてみ」
「鉄と魔鉱石!」
「お安い御用じゃ。そうじゃな、その辺を掘ってみよ」
採掘の神に言われた場所を、横穴を掘る要領で、魔法を使って掘り進める。直ぐに、鉄鉱石と魔鉱石を掘り当てる事が出来た。
ペスカと冬也は、両手いっぱいに鉄鉱石の塊を抱えて、横穴から出て来る。
「あんたすげぇな」
「翔一君の探知だと、もっと下まで降りる必要があったのに。こんな近くで、採掘出来るなんてね」
「うむ。じゃが、坊主の神気を少し貰ったせいでも有るな」
「そっか。お兄ちゃんのおかげって訳だね!」
「間違えるで無い。儂の功績じゃ!」
「ねぇ採掘の神様、珪砂とソーダ灰って採れない?」
「うむ。暫く待ってるが良い」
「それじゃあ、私達はこれ運んでるから。よろしくね!」
採掘の神が、ふわふわ浮きながら採掘場の下へ降りて行く。ペスカと冬也は、数分ほど歩いて地上に出る。抱えた鉱石を降ろし、荷馬車の中にある荷物を外へ出す。そして空と翔一に、荷物を降ろした周辺の片付けを任せる。
ペスカと冬也は荷馬車を動かして、元の道を下っていた。横穴まで辿り着くと、再び採掘を始める。大量の鉄鉱石や魔鉱石を抱えて、荷馬車まで戻って来る。
手分けをして、鉱石の仕分けをしながら、馬車に積み込んでいると、採掘の神が戻って来た気配を感じた。
下を除き込むと、大人の三倍は有る砂の塊が、採掘場の下からふわふわと浮き上がって来る。
「うぉ、でか! 砂の塊が飛んできた!」
「いや、あれ神様だよ」
「そうじゃ、持ってきたんじゃ。しかし、その荷運び車は、満杯のようじゃな。ついでじゃ、このまま上まで運んでやろう」
「ありがとう。神様! 私達も戻ろっか、お兄ちゃん」
荷馬車を冬也が操り、砂の塊を引き連れて地上へと戻る。冬也達の戻って来る様を見た空と翔一は、叫び声を上げた。まぁそれも、当然の反応なのだが。
「キャー! 冬也さん、後ろ後ろ!」
「冬也、後ろ! 何か浮いてる!」
冬也は二人を鎮めて、採掘の神様を紹介した。砂の塊を降ろし、姿を現せる採掘の神を見て、空と翔一は目を疑う。しかし直ぐに二人は、丁寧に頭を下げた。
「うむ。そっちの子らは、素直で良いな。坊主共とは大違いじゃ」
「あの、ペスカちゃん達は、神様に何したんですか?」
「子をあやす様に扱いよった」
「何やってんのよ! ペスカちゃん、冬也さん!」
「そうだよ、神様にする態度じゃないぞ!」
空と翔一は、顔を青ざめさせて注意する。元々咎めるつもりもない採掘の神は、慌てた様子の空と翔一を見て、声を出して笑った。
荷物の片付けをペスカと翔一に任せて、冬也と空は昼ご飯の支度を始める。昼ご飯は、昨晩の残ったスープを利用した、野菜たっぷりの塩トンコツ鍋である。空を助手に使い、手早く作業を済ませて、冬也は料理を仕上げる。
「お~い。出来たぞ! 神様も食ってけよ」
「うむ。旨そうな香りじゃ」
「確かに美味しそう! 流石お兄ちゃん」
スープを一口啜り、採掘の神様は唸る。
「うむ。なかなかの味じゃ。やるのう、坊主」
「そっか。喜んでもらって良かったぜ」
食べ始めたペスカ達からも、次々と感想が上がる。
「労働の後は、美味しいさが増すね! 美味しいよ、お兄ちゃん」
「ラーメンとは、違った味わいが有るね」
「流石です。冬也さんの味、最高!」
冬也は満面の笑みを浮かべた。
「沢山有るからな。お代わりしろよ! 神様も遠慮しないでいっぱい食えよ!」
「うむ。儂の神力も少し戻って来た様だ。供物のおかげかの」
神様を加え、より賑やかになった食事。楽しい雰囲気が、ペスカ達の疲れを癒していった。
採掘の神様が力を貸してくれたおかげで、素材を集める事が出来たペスカは、一同にこれから作る物の詳細な説明と、役割分担をしていた。
ペスカが地面に描いた詳細な設計図を見て、翔一は感心し、空は頭を抱え、採掘の神様は興味深そうにペスカに質問をしていた。
「ふむ、面白いのう。じゃがこれでは些か材料が足らんのでは無いか?」
「そうなんだよね。どうしようか、採掘の神様?」
「ウィルラスで良い。儂が調達してきてやろう。お前達は、素材の加工をしているが良い」
「ウィル君、やるね! ありがとう」
「我が神名を短縮するな! それに馴れ馴れしい! 儂は神様じゃぞ!」
「ならウィル様で良いじゃねぇ~か。頼りにしてるぜ、ウィル様!」
「仕方の無い坊主じゃ。旨い飯に免じて許してやろう」
悪びれもせずペスカと冬也は、神様を渾名で呼ぶ。しかしウィルこと採掘の神様は、孫でも見るかの様に目じりを下げた。やがて、ふよふよと浮きながら材料を探しに、去って行った。
「ペスカちゃんに冬也。神様に対しては、敬意を払わないと」
「何言ってんだよ、翔一。様ってつけたろ」
「そうだよ。細かい事言ってないで、作業に取り掛かりなよ、翔一君」
「工藤先輩。あの神様は、田舎のおじいちゃんと同じ顔してましたよ」
談笑しつつペスカ達は、作業に取り掛かる。空は魔鉱石を使って魔石を作る。翔一は、珪砂とソーダ灰を使ってガラス作りを行う。
通常ガラスや鉄を作るには、千四百度や二千度の高熱で融解させる必要が有る。しかし、ペスカが教えた行程は、錬金術の様な内容だった。
ガラスは、炎の魔法で一気に材料を融解させ形成した後、魔法で瞬間的に冷却を行う。鉄も同様に、炎と冷却の魔法で融解と冷却を行い形成する。
融解や冷却は魔法を使えば、比較的簡単に出来る作業ではある。しかし、途中過程で炭素等の不純物を取り除くのは、冬也の様に知識が乏しい者には難しく、ペスカの補助を必要とする作業であった。
そして更に特殊なのは、溶解したガラスや鉄に魔鉱石を混ぜ、素材自体に魔法をかけられる様に細工した事である。
翔一が粛々とガラス板を作っている間は、ペスカと冬也がフレームの材料となる鉄の形成を行っていた。
魔鉱石を鉄に混ぜ、魔法で軽量化を図る。それに加え物理衝撃吸収、魔法衝撃吸収の魔法をかけていく。ガラスには物理衝撃吸収と魔法衝撃吸収の魔法に加え、透明化と暗視化の魔法をかけて、片方向からの視界を遮るガラス板を作り上げた。
必要なガラス板を作り終えた翔一を加えて、ペスカ達は車の骨格となるラダーフレームを作り上げていく。フレームの形成が有る程度完成した段階で、神ウィルラスが帰って来た。
「少々時間がかかったが、必要な物は揃ったぞ」
神ウィルラスが持って来たのは、石墨と天然ゴムに軽質ナフサである。何故、そんな材料を持ってこれたのか、翔一目を丸くしていた。
「ナフサって石油を蒸留分離して作るんだよね。どうやって持って来れたんですか?」
「手間を省いてやったんじゃ。不満かの?」
「そうだよ。材料を揃えて貰ったんだから、タイヤ作るよ」
「うむ。それなんじゃが、儂も手伝うぞ」
「ありがとう、ウィル君! 流石神様!」
「小娘、呼び名は好きにしてよい。その代わり、持ち上げるのは止めよ! 儂は赤子ではない!」
ペスカは嬉しさの余り、採掘の神ウィルラスを抱え上げる。そして叱られる。だが、仕方ないのだ。 容姿だけ見れば採掘の神ウィルラスは、神様というより少し生意気な事を言う少年なのだから。
そしてペスカは、翔一と採掘の神ウィルラスに、石墨からカーボンを作り上げる方法、合成ゴムの作り方、バイアスタイヤの作り方等を教えて、一緒に作業をする様に指示する。
翔一達がタイヤ作りをしている間、ペスカと冬也は駆動部等のパーツを作った。
特に駆動部分に関しては、繊細な作業を要求される。これによって、車の性能が大きく変わって来る。この作業こそが、ペスカの独壇場であろう。この時の冬也は、黙々と魔力の供給機となっていた。
更に、一番重要になるのが、空が作り上げている魔石である。
魔石を利用したパワーステアリングや、運転レバーからマナを流し駆動させるドライブシャフトの構造は、現代知識と異世界知識の融合である。
更に、ペスカ独自の魔石精製技術により、生前にラフィスフィア大陸で作られていた従来魔石より、消費マナが百分の一以下に抑えられ、効率化が図られていた。
粗方パーツや車のボディを作り上げた所で、日が暮れ始める。
作業は翌日に持ち越しにし、必要パーツの確認を行うペスカと翔一、夕食の準備を行う冬也と空に分かれる。
そして冬也が夕食に作り上げたのは、『野菜たっぷりオーク肉入り塩焼うどん』だった。
「坊主。これも旨い。神気が満ちて行く様じゃ」
「そっか。良かったな」
満足そうに食事をする神ウィルラスを見て、冬也は笑顔で答える。
「オークの肉は、脂っこいイメージだったけど、お兄ちゃんが作ると食べやすいね」
「下茹でしてちゃんと油抜きをすれば、食べやすくなるぞ」
ペスカが顔を綻ばせて麺を啜る。空と翔一は黙々と食事をしていた。ペスカは食べながら、採掘の神ウィルラスにこれまでの経緯を話す。
「ふむ。お前達は、随分と厄介な奴らに狙われておる様じゃな」
「そう思うなら、力を貸してよ」
「小娘よ、無理を言うで無い。儂には神気がほとんど残っておらんのじゃ」
「だから、ちびっ子なのか?」
「坊主、ちびっ子は止めよ。敬意を払わんか」
口では文句を言うが、採掘の神ウィルラスの顔は終始綻んでいる。子供好きなのだろう。幼い見た目で子供が好きというのは、少しおかしな感覚に陥るが。
四人と一柱は、夕食を楽しむと早めに寝る準備を整える。
「この辺りは、誰も近寄る者はおらんから、ゆっくりと休むが良い」
採掘の神ウィルラスの言葉に従い、ペスカ達は床につく。ペスカ達は重労働のせいか、直ぐに眠りに落ちた。
翌朝、まだ少し眠そうに、一同は目を擦りながら集まる。冬也の作った、野菜入りの麦粥を食べ、作業を再開させる。
ペスカに空と翔一が、フレーム部分に駆動部を組み合わせた後、ボディを取り付ける。ペスカ達が作業をしている間、冬也は神ウィルラスを手伝わせて、魔攻砲を二門作り上げる。座席等の内装部品は、荷馬車を転用して取り付け、数時間程で全ての行程は終了した。
出来上がったのは、全面をスモークガラスで覆われた、大型のキャンピングカー。但し、上部には大型の魔攻砲が二門設置されている。内部は一部を除き、全面をスクリーンで見渡せる様になっている。またもや、バス、トイレ、キッチン、簡易ベッドが取り付けられ、居住性を重視した作りになっていた。
「ペスカ、何時トイレとか作ったんだよ」
「昨日、お兄ちゃんが料理してる間だよ。ウィル様にも手伝って貰ったよね」
「うむ。興味深い作業じゃった」
試運転を兼ねて、空と翔一、神ウィルラスを乗せて、ペスカは車を走らせる。冬也は腕を組み、じっと黙ってペスカ達の様子を見ていた。
「何じゃこれは? 凄いのう! 凄いのう!」
「普通の車じゃないね。近未来の車だよ。これを日本に持っていっても、車検は通らないだろうけど」
「中は、簡易ホテルよりも快適じゃない? 凄いねペスカちゃん」
試運転の車内では、神ウィルラスが興奮して声を上げる。空と翔一は、自分達が作り上げた車に感心しきりだった。
試運転を終えると、ペスカは各部の調整を行う。そして試運転中、暫くじっと黙って様子を見ていた冬也が、重々しく口を開いた。
「空ちゃん、翔一。聞いてくれ」
「何ですか、冬也さん」
「何だい、冬也」
今までと違うピリピリした雰囲気の冬也に、空と翔一は真剣な眼差しを返す。
「この車を見て判ったろ。これは戦う為の車だ」
空と翔一は無言で頷く。ゆっくり確実に、一つ一つの言葉を伝えられる様に、冬也は話しを続ける。
「女神に聞いただろ。ラフィスフィア大陸で戦争が起きているって」
空と翔一は、更に真剣な表情となる。
「戦争ってわかるよな。多くの人が死ぬんだ。沢山の血が流れる。殺意と狂気が充満した場所だ」
その状況を想像したのだろう。空と翔一は、急激に顔を青ざめさせる。しかし、冬也の話しは終わらない。
「戦争に参加するって事は、多くの死を目の当たりにするって事だ。そしてこの戦争は、神によって仕組まれた物だ。人の手で抗えない理不尽だ。その中にこれから行くんだ」
空と翔一は、足をがくがくと振るわせる。それでも冬也は、二人に問いかけた。
これが現実、お前達が目を背けていた現実だ。怖くて当たり前だ。キャットピープルの集団に襲われる等とは比較にならない、狂気に満ちた場所だ。
数度の戦闘や野宿程度でホームシックにかかる位なら、この先の戦いは厳しい。しかもお前達には、命を賭ける理由がない。
ここまでの道中で、冬也は二人の様子を見て来た。そして訓練と称し、二人を試して来た。
自分やペスカと二人は違うのだ。ペスカはこの戦いの為に、転生し世界を超えた。自分はこの戦いの為に、技術と精神を鍛え上げて来た。
二人はただの一般人。不運にも異能力が目覚めた、一般人なのだ。戦う覚悟を求めるのがおかしい。戦いを強いるのがおかしい。これ以上の事を求めるなら、きっと二人は心を病んでしまうだろう。
冬也は暫く沈黙をした後、再び口を開く。それが、どれだけ二人にとって望まない事であったとしても、決断するのは今しか無いと思ったから。
「俺は、お前達をそんな場所に連れて行きたくない。お前達はここに残れ」
「冬也何を……」
「冬也さん……」
「お前等を、日本に帰して貰う様に、女神に掛け合ってやる!」
日本に帰れる。それは、空と翔一の心を震わせる。その言葉は甘美の様に響いた。
「日本に帰った後の事は、きっと親父が何とかしてくれる。お前らは安心して日本に帰れ。この世界の事は全て、俺とペスカに任せろ!」
空と翔一は、半ば巻き込まれる様に異世界に来た。無論、戦う覚悟は有った。東京での戦いでは追い詰める側だった。それに何とか生き残れた。
そして、巻き込まれる様にして来てしまった世界では、居の位置を狙われる立場にある。
加えて、余りにもかけ離れたペスカや冬也との実力差だ。親友の力になりたいと望んで、東京の戦いに挑んだ。でも、これ以上は着いて行けるのだろうか?
環境に馴染めず、故郷を思い出す事はあった。それ以上に、平和な日本と比べ、この世界では暴力が平然と行われる。
人を傷つけるのも、傷つけられるのも怖い。流血沙汰など、TVのニュースでも映さない。死体を間近に見る事が無い世界で、暮らしてきた。怖いのが当然だ。
だが、ここでは違う。そして自分達は、悪い神様から狙われている。怖い、怖い、怖い。言えずに堪えていた、二人の想いが溢れ出す。
何度、日本に帰りたいと思っただろう。
何度、夢であって欲しいと思っただろう。
言葉を失くし俯く空と翔一に、冬也から穏やかな声が聞こえる。
「良いんだ。お前等は良く頑張ったんだ。だから、良いんだ」
「冬也……」
「冬也さん……」
「日本で戦った時に、お前達に助けられた。もう充分だ、ありがとう。これは、あの時あいつを倒せなかった俺のミスだ。お前達が付き合う必要は無い」
「冬也さんのミスなんて」
空は言葉を続ける事が出来なかった。溢れ出す涙を止める事が出来なかった。涙で霞む瞳で前を見ると、愛する男の姿が有った。
大地に力強く立つ冬也。何故にこんなにも、彼の事を好きなのだろう。
最初は仲の良いこの兄妹が、羨ましいだけだった。自分もその輪に入りたいと願った。いつの頃か、冬也を一人の男として愛している事に気が付いた。失いたく無いと願った。そして力になりたいと願う。
彼の先に暗雲が起ち込めるならば、それを払う一助になりたい。帰るのは今じゃない。日本に帰るなら彼と一緒に。
「冬也、お前……」
翔一は言葉に詰まった。
翔一にとって冬也は憧れだった。常に真っすぐ強く突き進む冬也は、弱い自分にはキラキラと輝いて見えた。だからいつも一緒にいた。一緒にいるだけで、自分も強くなれた気がした。
だけど、それは間違いだった。冬也の強さは、貫き通す信念の表れだった。
自分は大抵の事を、器用にこなす事が出来る。言い換えれば無難に出来る、ただそれだけ。冬也はどんな無理な壁も越えて行く。きっと神さえも倒す。もし、叶うならその隣に。
そして自分も冬也の様に強く、今の自分を越えて強く、もっと強くなりたい。
冬也が二人から背を向けて歩き出す。
その瞬間、空は冬也に抱き着き、翔一は冬也の肩を掴んでいた。
「怖いです。怖いです。人の血を見るのは嫌です。人が死ぬのも嫌です。だけど、冬也さんの力になれないのは、もっと嫌です」
空は溢れる涙を止める事無く、冬也に熱く語りかける。
「僕は弱い。でも傍にいさせてくれないか? ここから強くなるから、絶対に負けないから」
翔一は強く意志の籠った瞳で冬也を見つめた。
「馬鹿野郎! お前ら自分が何言ってるか、分かってんのか?」
冬也の怒声が響き渡る。しかし、空と翔一は俯かず、真っ直ぐに冬也の瞳を見た。
「もう良いじゃろ。連れてってやれ」
「うるせぇよ、ウィル! 余計な事言うんじゃねぇ!」
冬也の後ろから、神ウィルラスの声が聞こえた。かけてくれた言葉は嬉しい。しかし、冬也は振り返ると神ウィルラスを睨め付けた。
勘違いするな、俺はこいつらに傷ついて欲しくないから、言ってんだ。余計な口を挟むんじゃねぇ。
冬也の想いは、神ウィルラスにも伝わっているのだろう。ゆっくりと手を挙げると、神ウィルラスは空と翔一を指さした。
「坊主、良く見よ! その二人の目を。それが逃げる者の目か? 坊主に守られるだけの目か? 確かに坊主と比べれば、弱かろうよ。それでもあれは、守護者の目だ。意思ある者の目だ。連れて行ってやれ、冬也」
神ウィルラスの、柔らかくも語りかける様な口調が、再び冬也を振り向かせる。
弱い。しかもまだ、怯えは治まらないだろう。それでも、しっかりと地に足を付けている。自分の出来る事、すべき事がわかっている。
冬也は空と翔一を見て、深いため息をついた。
「仕方ねぇな」
「そうだね。仕方ないね」
冬也の呟きに答える様に、調整を終えたペスカから声がかかった。
「せっかく、お兄ちゃんに付きまとう厄介者を、排除出来るチャンスだったのにな~」
呑気に宣うペスカを、空と翔一が睨め付ける。
「ペスカちゃん!」
「おおぅ。空ちゃんが怖い」
「ペスカちゃん、ちょっと言葉を選ぼうね」
「うわぁ。翔一君もなんか怖い」
ペスカが助ける様に冬也を見るが「今のはお前が悪いな」と言われ、取り付く島も無かった。ペスカがしょげている所に、神ウィルラスから優しい声がかかる。
「確かに、お前達の行く道は困難であろう。じゃが、乗り越えられると信じよ! お前達の無事を祈っとるよ」
神ウィルラスの優しくも力強い言葉に、全員が大きく頷いた。
「神の理不尽を、理不尽に破壊しよう。ね、お兄ちゃん」
「あぁ。そうだな」
ペスカ達はキャンピングカーに食料等の荷物を積み込む。今まで荷馬車を引いてくれた馬達は、神ウィルラスが預かってくれる事になった。
「気をつけて行くんじゃぞ」
神ウィルラスに見送られて、ペスカ達は新たな出発を果たす。目指すは、ラフィスフィア大陸。混沌の神々が起こす混乱を収め、日本に帰る為に。
ラフィスフィア大陸のとある場所で、男女が話をしていた。
「君ね。余計な死者を、増やさないでくれないかな」
「仕方ねぇだろ、始まっちまったもんは」
「それを収めろと言っているんですよ、わかるでしょ? 転生が滞ると言う事が何を意味しているか」
「そんな事、てめぇに言われなくてもわかってらぁ! 戦ってのは、血沸き肉躍る楽しいもんだ。これは違う! 洗脳による、一方的な殺略だぁ!」
「それがわかっているなら、何故?」
「わかんねぇか? 洗脳だよ、洗脳! この戦いを動かしてるのは、俺じゃねぇ!」
「グレイラスにも困りましたね。所で、彼等を捕らえる算段はついたのですか?」
「まだだな。奴ら思った以上に警戒心が強い。せっかく味方になってやったのに、俺を信用してねぇみてぇだ」
「では、メイロードの居場所は?」
「俺にもわからねぇ所に隠れていやがる。当然、グレイラスの野郎も吐きはしねぇ」
女は深いため息をついて、男を見やる。男は飄々とした様子を崩さずにいた。
「頼みますよ。飽和状態に近づいているんです」
「馬鹿野郎! お前が死ぬ気で働きゃ良いだけだろ」
「嫌ですよ。君こそ奴らの一番近い存在になったんです。自ら動く位して欲しい物ですね」
「最悪、俺が奴らをぶち殺す」
まるで喧嘩でも買う様に、男は息巻く。そして女は、軽く頷くと姿を消した。
「そういやこの間のは、ガキは生きてるんだったよな。少しは楽しませろよ」
男はため息と共に呟く。その直後に、一瞬で姿を消した。
☆ ☆ ☆
そして時は少し遡る。
帝国を取り巻く状況は、刻一刻と変化をしていく。当初は国境付近での小競り合い程度だった。集められた兵の数も然程多くは無かった。
しかし、唐突に三国は国境付近に軍を集中させた。それも、合わせて三十万は優に超える兵を終結させ、大規模な侵攻を開始した。
それに対する帝国軍は、辺境領軍を合わせても数万程度しか存在しない。故に、かつて侵略をしていた時代とは状況が真逆になる。
三方向から侵攻してくる各十万の敵に対し、まともにぶつかっても勝ち目は無い。また、国境周辺は、山岳地帯でもなければ湿地帯でもない。見渡す限りの平野である。そんな平野では、地形を利用した戦術等は使えもしない。
しかし、シグルドは自ら前線に立ち、兵を鼓舞する。
「貴様ら! 帝国は終らない! 今こそ我等の力が試される時だ! 我らの正義を、義務を果たせ!」
如何に兵を鼓舞しようが、シグルドが数百の敵を切り伏せて敵軍を怯えさせようが、兵力の差が有り過ぎる。故にシグルドは奇策を用いて戦うしかなかった。
堀を築き、馬防柵を立てる。それだけでは足りない。陣を作り多くの軍旗を立て、そこに主力が存在すると見せかける。攻めて来た所で陣を引き払い撤退する。それと同時に、潜ませていた兵で挟撃をする。また、遊撃隊を組織し敵の本陣を狙いもした。時には夜襲も行う。
そういった奇策も、戦力差を完全に埋めるまでには至らない。ただ、時間を稼ぐ程度にしかならない。
この状況で、シグルドが敢えて時間稼ぎをしてまで待ったのは、帝国側の援軍ではない。エルラフィア王国からの援軍だ。そして、彼らが運んで来るであろう最新鋭の武器だ。
それさえ有れば、戦況は一変する。だから、シグルドは凌ぐ方法で攻勢に耐えていた。
それでも、各戦線から届くのは悪い知らせばかり。そして、シグルド率いる帝国軍はじりじりと撤退させられていく。
そして、数少ない兵は更に減っていく。戦いは一方的な様相を呈していた。
一方で、トールは議会を動かそうと奮闘していた。
帝都を巡って繰り広げられた戦闘。薄行く意識の中で見た将軍の死。シグルドに聞かされた、邪神ロメリアの采配と皇帝一族の死。施政者を失い、守る盾も失った帝国は絶望的な状況だ。己が身を案じ、保身を図るのも無理はない。
しかし、帝国はこのままだと確実に滅びる。そんな状況で、トールは少女の姿を思い出す。
彼女は常に勇敢だった。前線に立ち指揮を行い、絶望的な状況に立ち向かった。彼女がいたから、内戦が終結した。彼女がいたから、神が消え去った。
自分に何が出来る? 自分は彼女の足元にも及ぶまい。でも、今は立ち上がれ。立って戦え! 彼女が守ってくれたこの帝国を、今度は自分が守るのだ。
「皆様! ここで帝国を終わらせる訳にはいかない! 直ちに軍を再編して前線へ送るべきです! そうしなければ、我が国は蹂躙される! それで良いと仰るのでしょうか!」
トールの怒声が、議会内に響き渡る。
既に対話の時期は過ぎた。もう、三国の軍は帝都から三日余りの所まで迫っている。田畑は焼き払われ、多くの住民達が殺された。
それでも、次期皇帝の選別を優先するのか? どの領軍が援軍に向かうかを揉めるのか? 違う、敵の刃が喉元に突きつけられている状況ならば、その刃を払いのける方が優先だろう。
「今は、皆様の協力が必要です。このままでは、本当に帝国は滅びてしまう。どうか力をお貸し下さい」
トールは誓った、もう何も奪わせないと。恩人のペスカ達に、なにより己の魂に。
「前線で戦っているのは、エルラフィアの方です。それなのに、我らは何をしている? シグルド殿を見殺しにしろとでも仰るのか? 違う! そんな事は断じて有ってはならないのです!」
鬼気迫るトールの気迫に、辺境領主達が感化され始めていた。そして、一人また一人と立ち上がる者が現れる。そんな時だった、兵士の一人が議会場のドアを叩いた。
「エルラフィア王国から、援軍が到着しました!」
その声に議会は騒めく。それに合わせる様にして、エルラフィア王国の大臣が数名、議会場に入って来る。
「我等、陛下の命により参上しました。軍も連れております。我等を如何様にでもお使い下さい」
「待て! それでは我が国をエルラフィアに渡すのと同義では無いか!」
「そうだ! 承服出来ぬ!」
エルラフィアの大臣が発言した所で、辺境領主達から異議を唱える者が現れる。しかし、それらの声を、トールが一喝して黙らせた。
「今それを仰るのか! それなら、何故に動こうとしなかった!」
歯軋りする辺境領主達に、トールは怒りすら覚えていた。
そうやって議論をしている時間は無い。だから、声を荒げてでも説得しようとしている。なのに何故、そんな言葉が出てくる。全力を持って抗わなければ、国が滅びるかも知れない時なのに。
「エルラフィアの兵器は、皆様が目の当たりにしたでしょう? 既に戦線は開かれているのです! ここで戦わなければ、講和も何も有りません!」
「しかし、敵軍は我等の十倍以上だとも聞く」
「だとしてもです。それとも、皆様は籠城するお覚悟か?」
「それでも、エルラフィアに内政干渉はさせん!」
「ご心配には及びません。我等は、帝国復興のお手伝いをさせて頂くだけです」
頭を下げる大臣達に、周辺領主達は怪訝の眼差しを向けた。さもありなん、この状況でエルラフィア王国が介入してくるのには、何か裏の意図が有ると疑心暗鬼になるのも理解は出来る。
しかし、今は違う。そんな事を考えている場合ではない。
「我等には戦力が足りません。エルラフィアの力を借りねば戦えません! もし、エルラフィア側に侵略の意図が有るとなれば、責任を持って私が対処致します!」
「其方に何が出来る!」
「皆様こそお忘れか? 内戦を治めて下さったのは、エルラフィアの方々です! 彼らには恩義がございます。その上で、更に手を差し伸べて下さろうとしている!」
「そ、それは……」
「今は、彼等の好意に甘えなければ、何も始まらない!」
領主達は黙るしかなかった。
トールの言葉が正しい事は、誰もが理解する所だろう。エルラフィア王国に裏の意図等ない事も薄々理解していた。しかし、帝国人としてのプライドが邪魔をした。
ただ、このまま手をこまねいていては、確実に帝国は終わる。
「わかった。トール・ワイブ少将、其方に全軍を預けよう。エルラフィア王国軍はその参加に入る様に。皆もこれで如何か?」
議員の一人が発言すると、パラパラと拍手が起こり始める。そして、議場全体へ広がっていった。
そして、帝国はその存亡をかけた戦争へと突入していく。それが、どんな結末を向かえるか、まだ誰も知らない。
「シルビア。議会の決着は?」
「我々がワイブ少将率いる帝国軍の傘下に入る事で決着しました」
「ワイブ少将? ペスカ様と共に戦った方か」
「えぇ。今回の議会で奮闘なされたとか」
「それは頼もしい」
「では、ルクスフィア卿。総大将殿と作戦会議といきましょう」
「近衛隊長殿との連絡も取らねばならんしな」
「彼の御仁の事です。無茶をしなければ良いのですが」
「卿ならば、無茶をするだろう。その無茶の結果、帝都は未だ落とされていないのだろう」
「彼の三将と対等に渡り合えるのは、我らが近衛隊長くらいでしょうし」
「三将といえば、サムウェル殿は何をしておられる。グラスキルスの睨みが効いているからこそ、彼の三国は帝国へ攻め入れなかったろうに」
「あちらでも何かが起こっていたとか?」
「それでは、グラスキルスからの応援は期待出来そうにないな」
帝国に攻め入った三国の更に東には、帝国と協定を結んでいるグラスキルス王国が存在する。帝国と戦線を開けば、瞬く間にグラスキルス王国が戦争に介入する。それ故に、三国は帝国への侵略を出来ずにいた。
しかし、現在の状況は何かがおかしい。
三国は、恐らく全軍を持って帝国を侵略しているだろう。東側の守りも気にせずにだ。そんな事は、二十年間も無かった事だ。
無論、賢帝の平和政策が功を奏したのも事実だろう。しかし国と国との関係など、そう単純なものではあるまい。
そんな話しをしながら歩いていると、城の方角から息を切らせて走って来る男が見えた。その男はキョロキョロと辺りを見回して、何かを探している様だった。
それから直ぐにシルビアを見つけたのだろう。クラウス達の方角へ真っ直ぐ向かってきた。
「シルビア殿、お久しぶりです。皆様がエルラフィア王国からの方々ですね? 私はトール・ワイブ。此度の戦で総指揮を任された者です」
「貴殿がワイブ殿か。私は、クラウス・フォン・ルクスフィア。英雄ペスカ様の弟子にして、エルラフィア軍の指揮を任されております」
「私はシリウス・フォン・メイザー。参謀として罷り越しました。英雄ペスカの義弟でございます」
「トール殿、おひさしゅうございます。力不足なのは重々承知しておりますが、帝国の為に身を粉にする所存です」
ペスカの名前が上がった瞬間、トールの表情がぱあっと明るくなった。そして、トールは三人を会議室へと足早に案内する。
会議室に入り三人を席に着かせると、トールは時間を惜しむかの様に、早口で切り出した。
「時間が有りません。どの様に三国と対抗するか会議を行いたい」
「落ち着いて下さい、ワイブ少将。時に、三国の様子はどの様な感じでしたか? 内戦の時と同じでしょうか?」
「いや、違う。奴等は目がはっきりとしている」
「洗脳された様子は無いと……」
「しかし、シグルド殿の話しでは何か違和感が有ると」
「そうでしょうな。此度の戦は恐らく神が関与しておられる」
「な、今回も、ですか!」
「メイザー卿、やはり実弾を容易して来て正解だったな」
「えぇ。どうせ神に唆されたか何かされたのでしょう。しかし、これは一方的な侵略です」
「奴等は三方から攻めて来ております。我が軍を三つに分け、それぞれに貴国の軍を配置したいと考えているのですが」
「いえ、それには及びません。敵兵を国境まで押し戻す役目は、我等にお任せを」
「それは、流石に!」
「ペスカ様と内戦を戦われた貴殿なら、見た事もあろう。その兵器を我等は持参した。シルビア、案内して差し上げろ」
「畏まりました」
クラウスの言葉でトールが思い浮かべたのは、戦車と呼ばれていた動く鉄の塊と、魔法を放つ鉄の筒だ。
その威力のすさまじさは、トールが身を持って体験している。しかも、それは内戦を僅か一日で終結させてみせたのだ。
それが有るならば、敗色が濃厚に見えた戦況が一変する。それこそ、シリウスの言葉通りにエルラフィア王国の援軍だけで、決着が着いてしまうかもしれない。
トールの胸は期待で高まる。そして、途中からシルビアを追い抜かんとするかの様に、走りだす。
エルラフィア軍が集結しているのは、城壁の外だ。そこまで行けば、希望が見える。
「お待ちください、トール殿」
「早く、早くだ。シルビア殿。あの兵器があるなら!」
トールはシルビアを急かす様に走る。そして城門を潜り抜ける。すると、見えてくる。戦車と呼ばれた鉄の塊が六台も。それも、内戦で使用された物よりも一回りほど大きく見える。
そして戦車の周辺には、ざっと百名ほど整列している。その隣には見た事も無い、小さな乗り物らしき物が多く置かれてる。
「シルビア殿。流石に兵の数が少なすぎる!」
「いえ、これで充分です。今ご覧頂いているのは、ペスカ様が乗っておられた戦車を改良した物です」
「改良? あれを更に改良したのか?」
「えぇ。先の内戦で使用したのは、あくまでも鎮圧が目的です。これは、完全なる殺戮兵器と呼べましょう」
確かに一回り大きくなっている分、詰んでいる魔攻砲も大きくなっている様に見える。
「それと、二人乗りにはなりますが、小型の戦車も用意しております」
「あれが?」
「えぇ。戦車に搭載されているよりは小さいですが、魔攻砲も詰んで有ります。小回りが利く分、戦場では戦車と同様に活躍してくれます」
「機動力も有るならば、戦線まで直ぐに辿り着けるか」
「はい。一日もかからないでしょう」
「そうなのか、素晴らしいな!」
トールが感心しきり眺めていると、遅れてクラウスとシリウスも駆けつける。そしてキラキラと目を輝かせているトールに向かい、シリウスが口を開く。
「如何ですか? ワイブ少将。戦車を二台ずつ三方から敵を挟撃します」
「メイザー卿? 確かにこれならば。ですが……」
「これで、我等は北の小国連合を打ち破りました。それに、前線には鬼神とも呼ばれた男がいます」
「シグルド殿が? 確かに、彼のおかげで戦線は崩れきっていない」
「合わせて、連れて来たのは彼が鍛えた近衛隊です」
「ワイブ少将。近衛は一騎当千だ。心配には及びません」
「ルクスフィア卿。それでも、貴国に頼る一方というのは」
「ワイブ少将は、全軍を持って帝都の守備に当たって頂きたい」
「それは何か意図が有っての事でしょうか?」
「万が一の為と言えば、お分かりになるだろう?」
そうだ。この戦に神が関与しているなら、またあの時の様な事が起こってもおかしくない。それよりも、もっと酷い事が起きるかもしれない。
神の力は計り知れない。これだけの兵器を揃えた所で、役に立たない事が起こり得るかもしれないのだ。
「そうは言え、こちらが劣勢の内は神も顔をだすまい」
「えぇ。侵攻を阻止した後は、我が軍を北、中央、南の三つに分け追撃、国境付近まで後退させます」
「それぞれを指揮するのが、ルクスフィア卿、シグルド殿、メイザー卿という事か?」
「えぇ。国境まで追い返した後に、講和に移る事が出来れば完全な勝利と呼べましょう」
「しかし、神が関与しているとなると」
「仰る通り、そこからが本番です。その為に、帝国軍は帝都の防衛に専念してい頂きたい」
「わかった。では、その作戦でいこう」
「では、我等は作戦通りに進行致します」
「シルビア。其方は、ワイブ少将の補佐をして差し上げろ」
「畏まりました。トール殿、何なりとお申し付け下さいませ」
話しが終わると、クラウス、シリウスがそれぞれ戦車に乗り込む。そして隊列は、馬より遥かに早く進んでいく。
これならばシルビアの言葉通り、一日も経たずに援軍は到着するだろう。敵軍を国境まで押し返すのも時間の問題かもしれない。それならばと、トールは城へと歩みを進める。
自分がやるべき事は守備を固める事と、敵軍を後退させた後の三国との交渉だ。
「シルビア殿。シグルド殿との連絡は?」
「既に行っております」
「では、援軍が到着する事も?」
「えぇ。勿論です」
「では、行こう! 帝国を守る為に! この戦争を終わらせる為に!」
「はい!」
戦場というものは、たった一日、いや一時間でも状況が大きく変化する。もし、シグルドという男が三人もいたならば、また違ったのだろう。しかし、そんな事は有りえない。
北方と南方の二国からの戦線は瓦解し、シグルドが前線に立っている中央部まで、南北の辺境軍は撤退を余儀なくされていた。
シグルドですら、その窮地を打開する策は持ちえなかった。せめて、南北から撤退してきた辺境軍をまとめて立て直しを図る位だろう。
しかし、見通しは暗い。中央からの軍勢に合わせて、南北からの挟撃に遭うだろう。それでは、全滅も止む無しだ。
そんな時、シグルドに一報が入る。それは、シグルドの目を再び輝かせる内容だった。
「そうか、到着したか」
「はい。これで」
「あぁ。我等は撤退をしながら、援軍と合流する。それからが反撃だ!」
「北方と南方からの軍勢は如何に?」
「あれは、中央の軍と集結させてしまった方がいい。どの道、それぞれが違う国の軍だ、足並みも揃うまい」
「では、挟撃を防げる所まで、撤退をすると?」
「その通りだ。殿は私が引き受ける。合流するまで、君達は耐えるんだ!」
「それではシグルド殿が……」
「私なら問題ない。それに、我が近衛が来ているのだろう?」
「え、ええ」
「それを率いているのは、ルクスフィア卿とメイザー卿だ。君達は、彼等の指揮にしたがうんだ」
「わかりました。ご武運を」
伝令の兵が駆けていくのと同時に、シグルドは剣を抜いて陣を飛び出した。
援軍が来るとわかっているなら、話しは早い。自分独りが囮になって、敵軍を集中させればいい。雑兵など、幾らいても相手にはならない。守るべき味方が居ないなら、暴れまわるだけでいい。単純な方法だ。
もし冬也なら、同じ選択をしただろう。
もしペスカなら、大規模な魔法で敵軍を蹂躙しただろう。
二人の真似は出来なくても、近しい事なら出来る。ここは、もう自分の戦場だ。そして、シグルドが単騎で敵軍に突っ込んで行く中、帝国軍は撤退を開始した。
「一人だってここは通さない! かかって来い蛮族共!」
そして、シグルドの戦いは始まった。敵軍に突っ込んで行ったシグルドは、あっという間に囲まれる。しかし、シグルドの強さは桁違いだった。
全方向から槍で突き刺そうとしても、それら全てが叩き折られる。そして、一瞬で命を奪われる。どれだけ剣を振り下ろそうとも、全ては跳ね返される。そして、また命を絶たれる。
魔法を放とうとも、シグルドに通じない。全ての魔法を叩き落して、ただひたすらに襲い来る敵兵を切り捨てる。それは正に鬼神の様だった。
「何をしている! 相手はたった一人だぞ! 殺せ! 殺せ! 奴を殺せば、我々の勝利は目前だ!」
敵将が何を言おうと構わない。そして、シグルドはここで死ぬつもりすらない。ただ、力任せに相手を切り殺し、この場に引き留められれば良いだけ。時間を稼げば良いだけ。
そうすれば、自ずと勝ちは転がって来る。クラウスとシリウスが、ペスカの作った兵器を携えて到着する。近衛隊も到着する。そうなれば、今度はこちらが蹂躙する番だ。
十分が経過しようが、二十分が経過しようが、シグルドが倒れる気配は無い。それどころか、シグルドの体内では猛烈な速度でマナが巡り、体を動かしている。
鬼気迫るシグルドの様子に、段々と攻撃の手が緩んで来る。自分達の攻撃が通じない事がわかったのだろう。殺せない事を理解したのだろう。そして死ぬのは自分達である事も。
もう、そこはシグルドの独壇場だった。
敵兵は怯え始めている。それは、徐々に伝播していく。どれだけ敵将が声を荒げ様と、自軍を鼓舞しようと、通じなくなっていく。
そして、一時間が経過しようとする頃に、北と南側の国から領軍を追い込もうとした軍勢が、中央からの軍勢と合流する。ここに、凡そ三十万近くの兵力が集まる事になる。
しかし、それはシグルドの読み通りだった。
混乱し始めた中央の軍と合流しようと、三国は別々の指揮系統を持った軍だ。それを率いる総大将が存在するはずもない。
三国は、個別に攻めるしかない。しかし、大軍が集中する中では指揮系統が乱れて統率が取れない。そして、前線はシグルドによって崩れ様としている。
そんな中だった。それは現れる。
大きな音と共に打ち出された弾は、敵軍のど真ん中に着弾し爆発する。一発で数百の敵兵が吹き飛ばされる。
「来たか!」
シグルドは呟くと共に、二発目が敵軍に着弾する。そして、再び数百の敵兵が吹き飛ばされた。
集中した三国の軍勢は、何が起きたのかわからず混乱を極めていた。そこに、集中砲火が続く。慌てて、撤退の指示を出そうとしても、指揮系統が混乱している。
更に悪い事に、南北の両方からも砲撃が行われた。
「何が、何が起きている!」
「閣下! 北から敵が攻撃をしかけて来ています!」
「伏兵か? そんなもの居なかっただろ!」
「帝国の援軍かと」
「くそっ! 魔法で応戦しろ!」
「しかし、軍が集中し過ぎたせいで、正確な伝令が!」
「そんなもの何とかしろ!」
それは、南の国からの軍でも同じ光景が繰り広げられていた。それぞれの国の軍が混乱をしていた。
反撃の暇を与えんとばかりに、砲撃は続く。中央に集中した軍勢は多くの兵を失い続ける。そして大半の兵を失った所で、ようやく三国の軍勢は撤退を始めた。
もう、シグルドを囲む兵もいない。後は、完全に国境まで追い返すだけだ。
「シグルド隊長。遅くなりました」
「いや、来てくれて助かった。それで、ルクスフィア卿とメイザー卿は?」
「ルクスフィア卿は北方へ、メイザー卿は南方へと追撃を開始致しました」
「流石だな。こちらの意図を酌んで、進路を変えてくれたのか」
「はい、隊長の思惑通りです。我等は中央の軍を追撃しましょう」
「ルクスフィア卿とメイザー卿には、くれぐれも油断しない様に伝えてくれ」
「神が降臨される可能性でしょうか?」
「いや、もう降臨しているかもしれない。何か異変が起きたら、直ぐに撤退を。戦車なら、直ぐに帝都まで戻れるはずだ」
「直ぐに伝えます。それと、隊長は戦車にお乗り下さい」
「あぁ」
この戦況は、直ぐにトールの耳にも届く。それは議会にも届いた。議会内には歓声が響く。そして、トールはその歓声を鎮める様に、声を大にした。
「皆様! ここからです! 直ぐに和平の使者を送りましょう!」
「して、誰が行く? トール・ワイブ少将、其方に任せても良いのか?」
「いえ。お言葉ですが、和平の使者は我が国の近衛隊長、シグルド・フィロスに賜りたく存じます」
「何を言う! シルビア殿!」
「いいえ。正式な和平交渉なら、貴国の代表がなさるべきでしょう。しかし、戦争は未だ終わっておりません。何が有るとも限りません」
「それでは、シグルド殿が!」
「人が相手であるなら、シグルド・フィロスは負けません。どうか皆様、使者は我等にお任せを!」
「それなら、フィロス卿に任せよう。皆も良いだろう?」
「何を!」
議会は、シルビアの言葉に賛同した。しかし、トールは納得がいかない様子で、顔を真っ赤に染めている。
内戦を救われ、三国の侵攻からも救われ、それで更に和平の使者まで友好国に頼ろうと言うのか。
冗談じゃない! そんな恥も外聞もない事をしてたまるか! 如何に帝国の基盤が緩もうが、誇りを忘れて帝国人と呼べるのか!
「和平の使者は我が国から派遣すべきです! 私が参ります!」
「トール・ワイブ少将、もう決まった事だ」
「ですが!」
「くどい! これで、今日の議会は解散だ。次回は引き続き新たな皇帝陛下を選ぶ事にする!」
トールの要請は議会に受け入れられない。そして、後にトールはこの事を後悔する事になる。