神とは何か。それは、信仰の対象である。
地上に生きる者の願いや希望等が集まり、力を持ったのが神である。故に、神は信仰無くしては、存在し得ない。
但し、例外も存在する。それは混沌勢と呼ばれる神々だ。彼等は憎しみ、恨み、嫉妬等の悪意が集まった物が力を持ち、神へと昇華した者達である。
故に、彼等の存在する為に必要なのは、信仰ではなく生物の悪意となる。
そして、ロイスマリアでは混沌勢を除き、神は大きく二分される。原初の神とそれ以外の神である。
原初の神はロイスマリア創生より存在した神々で、文字通り世界を創り上げた神である。それ以外の神は、ロイスマリアが繁栄する中で自然的に発生、若しくは神によって産みだされた。
無論、新たに生まれた神々の中にも、原初の神と同様に多くの信仰を集める神も存在する。しかし、それは極少数だろう。
何故なら台地を創り、海を創り、風を創り、生物に実りを齎せたのは、原初の神々なのだから。多くの信仰が原初の神々に集約されるのも、自然の節理なのだろう。
また、彼等が定めたロイスマリア三法にも、問題は有る。例えば戦いの神の様に、その存在故に、三法へ抵触する神も存在する。
故に、神々は一枚岩の様に団結している訳ではない。それこそが、虚飾の神グレイラスの狙いだった。
「貴殿らは、このままで良いとは思っておるまい」
「突然、我らを集めたと思えば、何を語っておる? 何が狙いだ、グレイラスよ」
「そうだ! 協議会であれだけの事をほざいておいて!」
「我らが連絡すれば、お前は捕縛され神格を奪われるのだぞ!」
「連絡するまでもない! 我らで捕まえてしまおう!」
「いや、貴殿らはそうはしまい」
「何故そんな事を言える!」
「貴殿らもまた、原初の神々に不満を持っているからだ」
「いけしゃあしゃあと!」
「そうだ! グレイラスの戯言など聞く必要はない!」
「あぁ、ここで捕らえてしまえ!」
グレイラスは、敢えて危険を冒して神々との接触を図っていた。集めた神は十数柱、それも全て原初以外の神々であった。
集まった神々は、グレイラスを糾弾する。当然だ、これから混乱を引き起こそうとしているのだから。
しかし、グレイラスは彼等に対して反発するのでは無く、静かに宥める様に話していた。
「我らとて、本気で戦争等と考えている訳ではない」
「ならば、何故あの様な暴言を吐いた!」
「ああでも言わなければ、あの場は収まらん」
「馬鹿も休み休み言え! 貴様ら混沌勢はいつもそうだ! 争いの火種しか生まん!」
「わかっていないようだな。我らはタールカールで四柱も仲間を失った。あの様な悲劇は、二度と繰り返したくない」
「だから、戦争は起こさないと? しかし、貴様らの神格の剥奪は決まった事だ!」
「それは、フィアーナが勝手に決めた事だ」
「勝手ではない! 三法に乗っ取り決めたのだ!」
「では、貴殿らに問う。三法は正しいのか?」
「当たり前だ。原初の神々が決めた事が、間違っているはずもない」
「アルキエルの様な例が有ってもか? 三法が正しいなら、アレは存在している事だけで罪になる」
「そ、それは……」
思う所が有るのだろう。多くの神が言葉に詰まる。
これまでロイスマリア三法に従って来た。しかし、それで問題が起こらなかった訳ではない。タールカールでは、混沌勢以上に自分達は同胞を失った。
それに考えてみれば、三法に抵触する神はアルキエルだけではない。同胞にもそんな神は居る。無論、混沌勢も同じだ。
存在するだけで罪になるのなら、なぜ神と成り得たのか?
この時のグレイラスは、集まった神々に疑念を植え付けるだけで良かった。原初の神々と彼らが定めたあやふやな法を、盲信的に信じる者達に目を覚まさせるきっかけを与えるだけで、寝返らせるのには充分だった。
「三法が間違っているのだ。それを正さねばならない」
「間違っているだと!」
「そうだ。我々が混沌勢と蔑まれ迫害されて来たのは、三法のせいだ」
「それは違う!」
「違う? いいや、違わない。我らは元々、地上の悪意を自らの体に集め昇華し、それをマナに変えて星に返す為に生まれた神だ」
「そ、そうだったのか?」
「当然だ。寧ろ、大地母神等と連携して、地上をよりよくする為に存在する神と言える」
「そんな! 詭弁だ!」
「いいや、詭弁ではない。真実だ」
「では、貴様らは常に反乱を起こしている?」
「言葉は正しく使う事だ。我らは反乱を起こしていない。弾圧されたから、抵抗しているだけだ」
「それが真実なら、タールカールの事はどう説明する!」
「一方的に、原初の神々が戦いを仕掛けて来た。我々はやむなく応戦した」
「それは、本当なのか? なら、これまで信じていたものはいったい……」
「いや、騙されるな! グレイラスの語る事が真実とは限るまい!」
「そうだ! それに貴様らは地上で戦争を起こそうとしている。これは、どう説明する?」
この論争は明らかに、グレイラスが支配し始めている。しかし集まった神々は、それに抵抗しようとする。
それも当然なのだろう。突然、今まで信じていた事が嘘だったと知らされても、直ぐには納得出来まい。だからこそ、嘘じゃなかったと自分に言い聞かせるのだ。そうしないと、心の平穏は保てまい。
それは、人間も神も同じだ。ただ、それもグレイラスの狙いとは知らずに。
当然だが、真実や正義等は見方を変えれば、どうとでも変わる。グレイラスの言っている事は、混沌勢から見た真実で有り、決して嘘は言っていない。
だからこそ、騙される。
「いいか? 貴殿らも覚えが有ろう?」
「な、何がだ?」
「原初の神が存在しているせいで、碌な役職も与えられない。だから信仰を集める事は出来ずに、神気も高まらない」
「そ、それは……」
「仮に、地上で英雄の様な存在が出てみろ。そいつは現人神として地上の信仰を集める。そうなったら、貴殿らの信仰は全て奪われる」
「そ、そんな事は……」
「無い、と本当に言えるのか?」
「い、いや」
「だから、古い体制は壊さねばならない!」
「その為に、地上に戦火を撒いたというのか?」
「そうだ。原初の神々から力を奪う。そして、我らで新しい秩序を創る」
「そんなの不可能だ!」
「いいや、可能だ。貴殿らが協力さえしてくれれば」
集まった神々は、口を閉ざし考え始める。もう、彼等はグレイラスの掌で転がされている人形と同じだ。あと一息で、全てがグレイラスの思い通りになる。
「さあ、貴殿らには明るい未来が待ち受けている」
「明るい未来?」
「これまで過ちを犯し続けていた老害は居なくなり、次は貴殿らの出番だ!」
「お、おお!」
「我の手を取れ、同士諸君! 共に未来を掴み取ろう!」
「おう!」
一柱が賛同すれば、後は芋づる式に賛同者は増えていく。
決して今までの事が、全て嘘だと納得出来た訳では無い。だとしても、潜在的に不満を持っていた神が多かったのも事実だ。
それを上手くグレイラスに突かれた。そして、希望と言う名の虚飾を与えられてしまった。
やがて、集まった神々全てが立ち上がり、熱狂し始めた。新たな秩序を創る。その中心に自分達がいる。それは、どれだけ素晴らしい事だろうと。
「同士諸君。貴殿らは仲間を集めて欲しい」
「わかった。我々こそが正義なのだと知らしめて来よう」
そうして神々は去っていく。グレイラスの意図にも気が付かずに。
「まぁ、こんなものか。それにしても愚かな連中だ。全て壊すというのに、新たな秩序など有るまい」
そうして、グレイラスは口角を釣りあげて、いやらしい笑みを浮かべる。
この場に集められた神々は、密かに仲間を増やしていく。それは、静かなる革命の始まりでも有った。
「シグルド殿。敵軍が引いていきます」
「今回も、小競り合い程度で終わったか。良かったといえば、そうなのだろうが」
「何かお考えでも?」
「あぁ。君達には悪いが、彼等からしてみれば領土を取り戻すまたとない機会だろう?」
「仰る通りです」
「それが、国境周辺の町が村を占拠したと思えば、直ぐに撤退する。その繰り返しだ」
「本格的な戦闘には至っておりませんね」
「それに夜襲もですね」
「散発的な攻撃を繰り返すのにも意図が有るはず。それが少し怖いと思ってね」
「その内、大規模な侵攻が始まると?」
「そう考えても良いと思う」
「本国のトール閣下にも報告を上げておきます」
「そうしてくれ。私はもう少しやる事が有る」
「はっ。それでは失礼を致します」
「あぁ。君も休める時に休むといい」
「有難いお言葉、感謝致します」
そう言うと、伝令の兵士はシグルドがいるテントから去って行く。そしてテント内で独りになったシグルドは、少し頭を抱える様にしてテーブルに突っ伏した。
現在侵攻中の三国との国境を境にする領土は、元々は軍国主義時代の帝国が三国から奪い取った土地である。帝国の辺境領は、先祖代々から受け継ぐ帝国の領土ではない。
如何に協定を結んでいようと、辺境領から軍がいなくなり、また帝国で内紛が起きたと知れば、領土を取り戻す絶好の機会だと考えるのが普通だろう。
しかし、三国は各々に国境周辺での軽い小競り合いを繰り返すだけで終わっている。
無論、本格的な戦争が起こるよりは、その方が良いのは明らかだ。しかし、帝国の現状をその目で見て来たシグルドは、これが単なる予兆にしか過ぎないと考えていた。
帝国の内紛には、悪神ロメリアが関わっていた。そのロメリアは姿を消した。しかし、それに変わる何某かの神が、戦争を引き起こそうと考えていてもおかしくはない。
しかし、内紛の時と明らかに違うのは、兵士の目だ。帝国兵の様に操られた様な表情はしていない。はっきりと意思を持っている。だからこそ、無為な突撃はして来ない。
必ず、何かの狙いが有るはずだ。『領土を奪還する』以外の目的が……。
もし、今回の侵攻に神の思惑が介在しているとしても、打ち破る方法はペスカ様が残してくれた。例え、その結果として神と再び戦う事になろうとも、次は絶対に負けない。
出来れば前線での指揮を辺境領主の誰かに任せ、自分と近衛数名で密かに乗り込み、三国内の内情を探りたい。
もし神の介入が真実ならば、それを阻止する。そして、本格的な戦闘が始まる前に、話し合いの場を儲けたい。それが最善だ。
ただ、今は次期皇帝の選別をしている只中だ。それに、国内の治安も乱れ始めていると聞く。早期に国内の混乱を収め、和平の協議に入らなければ、帝国は更なる痛手を被る事にもなりかねない。
「時間が欲しい。トール殿、そちらは頼みます。何とか和平の交渉を……」
一方で、報告を受けたトールも頭を抱えていた。
「そうか。シグルド殿は、この侵攻の裏に何かが隠されていると?」
「閣下も同じお考えでしょうか?」
「そうだな。俺もシグルド殿も、神の戯れをこの目で見て来た」
「では?」
「十中八九、ロメリア神とは違う神の意志が介在している」
「そうなると、厄介ですね」
「シグルド殿は、ご自分が三国を秘密裏に調査すると言っている」
「それを許可なさるので?」
「そんな危険な事をシグルド殿に頼めるか! その役目は俺が変わる!」
「ですが、閣下には帝都の守備が……」
「この際、新たな皇帝陛下の誕生を待つまでも無く、臨時議会で俺を総大将に任命してくれれば良いんだ!」
「そうすれば、シグルド殿は自由に動けますね」
「違う! シグルド殿は帝都に戻って貰うんだ! エルラフィア王国からは、援軍はあくまでも防衛の為と言われている」
「シグルド殿を前線に置いたままでは、王国からの反感を買うという事でしょうか?」
「そんなつまらない事を気にしている訳ではない! シグルド殿は善意で協力してくれている」
「その善意を都合よく利用したくないと?」
「当たり前だ! この戦は我ら帝国の手で収めねばならない。過去の遺恨も何もかも含めてだ」
「それで、閣下が和平交渉に赴かれると?」
「そうしたいが。臨時議会では、何一つ答えを出せない状態だ!」
帝国内で発生している問題は、山積みだ。
皇帝の不在と、それまで国を支えて来た重鎮達の死亡。それにより臨時で発足した議会は、次期皇帝を重職の任を託せる者を検討している。
これがすんなりとは決まらない。重職ならば議員でもある各領主の中から選べば良い。しかし、皇帝となればそれは別だ。
それは領主の立場からすれば、余りにも荷が勝ち過ぎている。故に、誰も自らが率先して皇帝になろうとはしない。
それだけではない。領主や領地経営に類する者が、領地を不在の状態が続いているのだ。各領地では、住民達から不安の声が上がっている。
住民達も洗脳されて、普通の生活を放棄していたのだ。それが、唐突に洗脳が解けた。これで何の不安も無く、元の生活に戻れる訳がない。
更に追い打ちをかけたのは、そんな混乱に乗じて一部の住民が暴徒と化した事だ。臨時議会は、帝都に集まった反乱軍は自領に戻る様に命令を下した。
帝都近くならば、直ぐに戻れるだろう。しかし、帝都から離れた辺境領ではそうはいかない。
悪い事に、現在侵攻中の三国と国境を隣接する辺境領では、村や町が襲われている。それ故に、少なからず難民が発生している。これは、今後増え続けるだろうと予測される。
議員の誰もが要職を他人に任せ、早く自領に戻りたいと考えているのだろうか。それとも何から手を付けて良いか、誰一人として正確な判断を下せないのだろうか。
いずれにしても議員達は、国の事ではなく自領の事を優先しているのだろう。故に、議会は荒れに荒れていた。
そして、ただ時間だけが無為に過ぎ去っていく。それが、後々に自らの首を絞める事になるとも気が付かずに。
☆ ☆ ☆
「これだけ探しても、冬也君が見つからないのよね」
「フィアーナ。自分の子に執心なのはわかりますが、ロメリアの捜索にも力を入れて下さい」
「やあね、セリュシオネ。ちゃんと探してもらってるわよ。でも上がって来る報告は、アルキエルが暴れているって事だけなの」
「メイロードとグレイラスの居場所は、まだ不明だと?」
「ええ。ロメリアは、メイロードの元にいるでしょ?」
「恐らくそうでしょうね」
「事を大きくする前に、何とか捕まえたいんだけど……」
「何か含みの有る感じですが、懸念でも?」
「報告がね。ちょっと……」
「何です?」
「あやふやな報告ばかりなのよ。それに、彼等の捜索に積極的じゃない神も増えて来てる気がして」
「貴女の命を聞かない神が増えるのは、困りますね。威厳が足りないのでは?」
「相変わらず、ずばっと言うのね」
「それが私の性格ですから」
神の国でも異変は起き始めていた。当初は躍起になって混沌勢を探していた神々の中から、明らかに任務を放棄していると思われる神が発生した。それは少しずつ数を増やしている。
そんな神に、再度ロメリアを探す様に言い渡すと、不満を顔に出す様になっている。勿論、彼等からの報告は虚偽とも取れる物ばかりだ。
何か有る。そう考えるのが妥当だ。しかし、何が起きているのかは、わからない。
反抗的だからと言って、彼等を裁きにかける訳にはいかない。何せ三法に抵触していないのだから。
「セリュシオネ。ちょっと調べて貰えない?」
「このままでは反乱が起きるかも知れないと、考えてますか?」
「そこまで大袈裟じゃないわよ。でも、可能性としてね」
「いいでしょう。その役目、引き受けました」
「助かるわ、セリュシオネ」
「貴女に直接頼まれて、首を横に振る神はいませんよ。いいえ、今はいるんでしたね」
ペスカ一行はミノータルの首都を出発した。しかし空と翔一の表情は、強張っていた。
東京での戦闘は、命を落としてもおかしくはなかった。今、生きている事が不思議な位なのだ。
その東京で大惨事を起こした嫉妬の女神メイロードが、自分達を狙っている。そう聞かされれば、身震いするのも無理は無かろう。
ラフィスフィア大陸で戦争が活発化している。そんな事は、空と翔一に関わり合いが無い。ましてや、戦争などと言われても、非現実的としか思えない。それよりも、自分の身を案じる。それは当然の事であろう。
「気にしてもしょうがねぇよ。やって来たらぶっ飛ばせば良いんだし」
「冬也、お前くらいだよ。神様に命を狙われて、平然としてられるのは」
「そうです、冬也さん。呑気すぎます」
翔一と空に立て続けに言われ、冬也はムッとして言い返した。
「そんなに不安なら、特訓だ!」
「やだよ。みんなは、お兄ちゃんとは違うんだよ! 特訓して気が晴れるほど、単純じゃ無いんだよ!」
「うっせぇ、ペスカ! 怖いなら、強くなるしかねぇだろ! ビビッたまま死ぬよりましじゃねぇか! お前には、特に念入りに稽古つけてやる」
「言ったなお兄ちゃん。いつから私に勝てると思ったの?」
首都近郊の農園を過ぎた平野部に馬車を止めると、冬也はペスカ達三人を降ろす。冬也は集中し神気を体内で循環させると、一気に解き放った。冬也から解き放たれた神気は、周囲百メートルをドーム状に包む。
「空間結界を張った。この中でマナを使おうと、誰かに感知される事は無い」
「お兄ちゃん! 何時そんな芸当が出来る様になったの?」
「さっきの女神を見てて、何と無くだ!」
「何と無くって、高等技術だよ。どんどんお兄ちゃんが、神がかってく!」
驚くペスカを尻目に、冬也は先ず空に視線を向ける。
「空ちゃんは、空間結界を強化出来る様になるんだ 見て覚えろ!」
「無理ですよ!」
「無理じゃ無い!」
空の叫びを聞き流し、次は翔一に視線を向ける。
「翔一は、俺とバトルだ! かかって来い!」
「ちょっと待って冬也!」
冬也は翔一の言葉を無視して、距離を詰める。そして、鳩尾に掌底を叩き込む。とっさにマナで体を強化したものの、その衝撃は鳩尾から背中へと抜けて全身を揺らす。
翔一は膝を折り、口からは胃液が飛び出す。
「そんなんじゃ、直ぐにやられちまうぞ翔一!」
「ごほっ、本気を出さなくても」
「こんなの本気じゃねぇよ。さあ、立て! 翔一!」
立ち上がって挑まないと、これは終わらない。そう思ったのだろう、翔一は痛みに耐えて立ち上がり、全身にマナを巡らせる。
「そうじゃねぇ、翔一。マナだけじゃねぇ。加護も利用しろ」
「加護?」
「土地神の加護は上手く使えてたろ? それなら、ラアルフィーネって女神から貰った加護も使いこなせ!」
「そうは言われても、直ぐには……」
「なら、慣れろ!」
実戦で覚えさせようと考えるのは、血筋なのだろうか。翔一は立ち上がりはしたものの、全身に軋む様な痛みが走り、上手く体を動かせる状態ではない。
それは、冬也も見てわかっていた。しかし、容赦はしない。ロメリアと戦い、神の恐ろしさを痛い程わかっているからだ。
遼太郎の特訓は、あくまで初歩的なものだった。せめて戦いの中で自分の身を守れる様にするだけの特訓だ。神と直接対峙する為ではない。それも、ロメリアが弱っている事を想定していた。
しかし、今回の場合は違う。
いつ自分達がメイロードに襲われるかわからない。高尾では、他にも神がいた。その神がメイロードの代わりに襲って来る可能性だって有る。
自分が如何に上手く立ち回ろうとも、必ず翔一を守れるとは限らない。だからこそ、徹底的に加護を上手く使える様に慣れさせ様とした。
それから冬也は、翔一を数分でぼろ雑巾の様にすると、ペスカに視線を送る。
「次は、ペスカだな。行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待って、キャー!」
冬也はペスカとの距離を一瞬で詰めると、ペスカに掌底を放つ。ペスカはギリギリで避けて、距離を取りながら魔法を放った。その魔法は、全て冬也にかき消される。
再び冬也は距離を詰めて、上段蹴りを放つ。そしてペスカは飛翔し、蹴りを避けて魔法を放った。
冬也が攻めて、ペスカが躱しながら魔法を放つ。そんな攻防が数十分過ぎた所で、ペスカが苛立ち始めた。
「くっそ~。お兄ちゃんの癖に調子に乗って。空ちゃん、オートキャンセルで結界の強化をよろしく。翔一君は結界内に早く入って!」
ペスカが大声で叫ぶと、空は素早く冬也の作り出した結界の中に、自分の周囲に防御結界を張る。そして、ボロボロになった翔一は、空の結界に転がりながら入った。
ペスカは空達を見やると、冬也の作った空間結界を覆い隠すほどの、大量の炎球を作りだした。
「調子に乗ったお兄ちゃんに、愛のムチだ~!」
炎球は、一斉に冬也を襲う。しかし冬也は微動だにせず、神剣を作り出して炎球に向けて振るう。大量の炎球は、神剣の一振りで一瞬にして消えうせる。
次の瞬間には、元の場所にペスカはいない。冬也の背後から、大きなハンマーを振りかざしてペスカが迫る。
冬也はハンマーを神剣で受け止めるが、威力に圧される。ハンマーを受け止めるのを諦めて、受け流そうとする。しかし完全に受け流しきれず、ハンマーは冬也の肩口を僅かに掠める。
ハンマーの衝撃で少し眩んだ冬也を狙い、ペスカはハンマーを横薙ぎに振るう。ハンマーが、冬也を捉える。しかし同時に、冬也の蹴りがペスカの鳩尾に入る。二人は共に吹き飛ばされて、暫く立ち上がらなかった。
倒れながらも、体内に流れるマナで治癒を行っているのだろう。暫くして立ち上がった両者は、何事も無かった様な表情を浮かべていた。
「うぁ~、もう! 痛いよ、お兄ちゃん!」
「ペスカは合格! 次は空ちゃん行くか?」
「嫌、嫌です。絶対嫌!」
空は涙を浮かべて顔を横に振り、怯える様に後ずさりした。ペスカは庇う様に、空の前に立つ。
「パパリンみたいなスパルタ特訓は、お兄ちゃんだから耐えられるんだよ! 普通の人と一緒だなんて、思っちゃ駄目! 空ちゃんと翔一君の特訓は私がやるよ!」
「そうして貰えると、僕も助かるな。冬也は遼太郎さんより、容赦がない」
翔一が呟くと、空は大きく何度も頷いた。
特訓が必要なのは、翔一と空も充分に理解している。今のままでは力不足で、足手纏いにしかならない。
怖いなら、それを乗り越えられる位に鍛えればいい。そんな冬也の理屈も理解は出来る。しかし、現実はそれほど簡単にはいかない。
その理屈は幼い頃から過酷な訓練を行ってきた、冬也だから言える台詞だと思える。
しかしペスカの特訓が温い筈もない。結局この日は、日暮れまで特訓に費やされた。空と翔一は疲労で一歩も動けず、その場で野営を行った。
そして空と翔一は、まだ気がついていない。冬也とペスカ、この二人と自分達の違いに。必要なのは、腕力や戦いの技術、ましてや魔法の威力、そんな見掛け倒しの力ではない事に。
通常、首都から馬車で国境まで一日で到着する。しかし、特訓に時間を割いたペスカ達は、二日かけて国境沿いに到着した。
通行許可書を提示し、簡単に関門を抜ける。
「首都で何人か見かけたから知ってるけどさ、おっさんの猫耳は不気味だな。語尾がニャンじゃ無くて良かったぞ」
「お兄ちゃん、可愛い猫耳少女は、街に着くまで我慢だね」
「冬也。キャットピープル達は、商売で生計を立てているそうだ」
「冬也さん、可愛い猫耳少女ばかり見るのは、駄目だと思います」
「なんだよみんな、興味有るだろ? 猫耳少女」
「特に無いよ。いつからお兄ちゃんは、二次オタになったの?」
「僕は特に興味ないよ、冬也」
「がっかりです、冬也さん!」
ここぞとばかりに冬也は弄られる。そして馬車内に笑いが起きた。しかし、呑気な旅は長く続かない。行き交う馬車からは、ミノータルでは無かった視線を感じる。街道沿いで休憩しているキャットピープルからは、異物を見る様な目線を向けられ、冬也達の馬車が近づくと、慌てる様に逃げてしまう。
「なぁ、随分警戒されてねぇか?」
「縄張りに入って来た、侵入者に対する猫の本能だね」
「呑気に解説してんな、翔一! 商売人の国なんだろ? 警戒心丸出しじゃあ駄目だろ!」
「多分違うよ、お兄ちゃん。私達が亜人じゃなくて、人間だからじゃない?」
更に馬車を走らせると、武器を携えたキャットピープルの集団が、街道を塞ぐ様子が見える。流石に冬也は、馬車を停止させた。
「なぁ、あれって?」
「この国の兵士じゃない?」
冬也とペスカが話をしていると、集団が大声を上げながら近づいて来る。
「貴様らだな不審者は! 大人しくしろ!」
集団は武器を構えて、馬車を取り囲む様に展開した。翔一は身構え、空は結界の展開準備を素早く行う。しかし、それを制したのは冬也であった。
そして、冬也は静かに口を開く。
「俺達、何もしてねぇぞ。通行許可証も持ってる!」
「言い訳するな! 通報が有った。不審者は即逮捕だ!」
冬也の説明を聞こうともせずに、集団は問答無用とばかりに襲いかかって来た。そうなれば、流石に冬也も黙ってはいられない。しかし、それをペスカが一喝する。
「お兄ちゃん。攻撃しちゃ駄目! 翔一君!」
「眠れ、眠れ、永久に。夢の彼方に落ちて行け」
反撃しようとする冬也を、ペスカが止める。すぐさま翔一が、集団に催眠の魔法をかける。翔一の魔法を受けた集団は、崩れ落ち眠り始めた。
「それでペスカちゃん、この人達どうするんだい?」
「翔一君、魔法で拘束してから、睡眠を解いて。この人達には、話しを聞かないとね」
翔一はペスカの指示通りに、魔法で集団を拘束をする。睡眠を解いた途端に、拘束を解こうと集団が暴れ始めた。
「貴様ら何をする! これを解け! 反逆罪だ! いや、この場で死刑にしてやる!」
ペスカは、集団の様子に違和感を感じた。キャットピープルとは、ミノータルの首都でもすれ違ったのだ。他の亜人達からも、異物を見る様な視線は感じていた。しかし、ここまで敵愾心を露わにされる事はなかった。
ペスカは集団の様子を一瞥した後、冬也と翔一に視線を送る。
「お兄ちゃん、翔一君、この人達に何か感じない?」
ペスカの意図を読み取った冬也は、神気を目に集め集団を眺める。そして翔一は能力感知を展開させて、集団のマナをつぶさに調べた。
「ペスカ! こいつ等全員、マナに何か混じってやがる。何かされたんじゃねぇか?」
「あぁ、冬也の言う通りだ! 彼らの中に違和感が有る!」
「混沌の神って、どいつも狡い手で来るね! 空ちゃん、新必殺技だよ!」
ペスカの指示で、空は異能力のオートキャンセルを自身の周りで無く、集団に向かって展開させる。次々とパキリと音がし集団は昏倒して行った。そしてペスカは、直ぐに兵士の一人を叩いて、目覚めさせる。
キャットピープルの兵士は、目を覚ましても拘束されたままである。体の自由が利かない状況に慌て、周囲を見回し喚きたてた。
「何故だ。何故、拘束されている? 貴様らは何者だ? 我々をどうするつもりだ?」
落ち着ける様に姿勢を低くし、ペスカは話しかける。
「あのさ、あんた達は何をしに来たの?」
「我々は、不審者の通報を受けて、逮捕しに来た」
「不審者って?」
「人間だ! 人間は捕らえなければならん」
「それは、国の法律?」
「そんな法律は、この国に無い! 我が国は誰でも受け入れる、開かれた国だ!」
「じゃあ、誰の命令?」
「誰の命令とは何だ? ん、誰に命令された? 何故、人間を捕まえなければならんのだ?」
段々と目を泳がせ始めるキャットピープルを見て、ペスカ達は顔を見合わせた。一先ずペスカは通行許可証を提示し、不審者で無い事を説明する。合わせて、不当な暴力を受けそうになった為、仕方なく拘束した事を付け加えた。
キャットピープルは理解した様で、神妙な顔つきでペスカ達に謝罪をした。
「申し訳なかった。何故この様な事になったのだろう? 領主には報告しておく。安心して滞在して欲しい」
キャットピープル達の拘束を解くと、集団は一様にペスカ達に頭を下げて帰って行った。
「随分と先行き不安な展開だな!」
「そうだね、お兄ちゃん。この状況だと、不用意に町へ近づくのは危険かもね」
「ペスカ、そう言っても、どうするんだよ?」
「翔一君、ちょっと地図出して」
地図を見てペスカは唸る。暫く考える様に、地図を見つめると徐に口を開いた。
「ちょっと町に入らず、迂回しながら西へ向かおう」
「それは住人達も、彼らと同じ可能性が有るって事かい? さっきの様に解除はしないのかい?」
「翔一君。そんな事したら、汚染をした神に居場所を教えてる様なもんだよ」
「なるべく、住民達との交流は避けるって事だね」
「そう言う事。街道を進むのも避けよう。理解したら皆馬車に乗って。出発するよ」
ペスカ達は馬車に乗り込み出発する。目指すは西に有る魚人の国。不安を抱えてキャットピープルの国を進む四人に、更なる困難が訪れ様としていた。
「まだ見つからないの?」
「混沌勢の潜んでいる場所は見つかってません。それより、ラフィスフィア大陸では、戦乱が広がってますぞ。どうなさるおつもりで?」
「わかってるわよ。そんな事より、冬也君は見つかったの?」
「さぁ、知りませんな」
そこは天空の地。喚きたてる一柱の女神と、穏やかな口調で話す白い髭の男神が、顔を突き合わせている。女神に対して、白い髭の男神は畏まった態度を崩さない。身分の差というより、力の差であろう。そして女神は、声高に言い放つ。
「混沌勢の潜んだ場所の探索を、引き続き頼むわね」
「わかりましたぞ」
神妙な顔つきで、白い髭の男神が女神に頭を下げて去る。すれ違う様に、一柱の女神が現れた。一方の女神が振り向くと、近づいて来る女神の顔はかなりにやついている。
「フィアーナってば、こんな所にいたの? 探したのよ」
「ラアルフィーネ。どうしたの?」
「それよりあなた、子供がいたのね。色々詳しく教えなさいよ」
「それ何処で聞いたの? 会ったの? 会ったのね? 何処にいたの?」
放たれた言葉に、女神フィアーナは目を剥いた。慌てるように、女神ラアルフィーネの肩掴んで揺さぶる。更に、女神フィアーナはグイグイと、女神ラアルフィーネに顔を近づけて問いただす。
「ちょ、ちょっと! 近いってば! この間、ミノータルの神殿に来たわよ!」
「はぁ? なんでミノータルに? それで、今何処にいるの?」
「知らないわよ、とっくに旅立ったし」
女神フィアーナは膝から崩れ落ちる様に、四つん這いになった。その様子に、女神ラアルフィーネは少し溜息をつく。
「なによ、子供に会えないのが、そんなにショックだった?」
「そうじゃ無くて、メイロードがあの子達を狙ってるのよ!」
「それなら、隠蔽の結界を張ってあげたわよ!」
「ありがとう。ってちが~う! あの子達がいれば、混沌勢の騒動は一気に解決に向かう筈なのよ」
「あのね、フィアーナ。先に言っておきなさいよ。保護してあげる事も出来たのに」
女神ラアルフィーネは、再び溜息をついた。
冬也達と会ったのは、つい先ほどの出来事なのだ。しかも事情は本人達から聞いた。先に相談が有れば、対処のしようもあっただろう。
そして女神フィアーナは、両手を合わせて頭を下げる。
「ラアルフィーネ、あの子達を探して。お願い!」
「時間がかかるわよ。グレイラスの奴がアンドロケインにも、ちょっかい出してきてるし。ラフィスフィア程じゃないけど、荒れ始めてるのよ」
「頼りにしてるわ。ラアルフィーネ」
「まぁいいわ。でも、相手は混沌勢。何が起きるかわからないわ」
「そうね。あの子にも声をかけないと」
「ミュールね。大地母神が三柱も力を合わせれば、タールカールの二の舞を踏む事は無いわよ」
「そうね。あなたの言う通りだわ、ラアルフィーネ」
「ところでフィアーナ。冬也君って素敵ね。私、あの子と結婚するわね」
女神ラアルフィーネは、笑顔で手を振りながら去っていく。当の女神フィアーナは唖然として佇んでいた。直ぐに我に返ると、女神フィアーナは叫びながら、女神ラアルフィーネを追いかけていく。
「ちょ、ちょっと何? 何言ってんの? 待ちなさいラアルフィーネ! 待ちなさいってば!」
☆ ☆ ☆
一方ペスカ達は、なるべくキャットピープルに出くわさない様に、町や街道を避けて馬車を進めていた。
それでも、どこからともなくキャットピープル達が現れ、ペスカ達を捕まえようと向かって来る。至る所で、キャットピープルの集団を無力化し、ペスカ達は西へと向かう。
こうなってくると、町へ入ると更なる混乱を招く恐れがある。野営を余儀無くされ、常に緊張感を強いられる旅を続けていた。
訓練と実戦を繰り返した結果、翔一の能力感知は精度が上がり、攻撃の意思まで感知出来る様に成長していた。また、空のオートキャンセルは、魔法だけで無く物理も無効化出来る様に進化していた。
そこに、近接戦闘の冬也と援護射撃のペスカ。この二人の力が加われば、数十人程度の集団を相手に後れを取る事は無い。経験を重ねる毎に、一向の連携は深まっていった。
しかし、問題はいつも隠れた所で発生し、手がつけられ無くなる頃に顕在化する。
戦闘に慣れたペスカや、鈍感な冬也ならいざ知らず。戦闘を繰り返す日々は、空と翔一には過酷だった。
空と翔一は、日を追う毎に口数が少なくなり、笑顔を見せる回数が減って行く。時折、暗い表情を見せ、話しかけると無理に笑顔を作ろうとする。特に空は、ペスカや冬也にべったりとしがみつく事が増えて行った。
ペスカと冬也は、二人の変化を薄々感じつつも、何も出来ないでいる事に、歯痒さを感じていた。そんな時にたまたまオークが現れ、冬也が一撃で仕留める。ふと冬也は思う。「オークを使って、日本で馴染みのアレを作ろう!」と。冬也が視線送ると、ペスカも目を輝かせる。
「良いね! 私も手伝うよ!」
その日は、早めに野営の準備をし、冬也は準備に取りかかった。
オークを解体し、骨を砕いて寸胴へ入れる。魔法で水を出し、火を起こして下茹でをする。下茹でが終わると、野菜と一緒に再び煮込む。
寸胴をかき混ぜる作業をペスカに任せて、冬也は小麦を魔法で粉状にする。更に水と卵に塩を混ぜた液を少しずつ加え、練り込んでいく。練り込んだ塊は、魔法で平たく伸ばして暫く放置する。
更に冬也はオークの肉の塊を縛り、別の寸胴で徹底的に下茹でをして、余分な脂を抜く。脂抜きした肉を、ネギっぽい野菜と生姜っぽい野菜を加え、じっくりと塩茹でにした。
段々と周囲に、食欲をそそる香りが漂い始める。作業を眺めていた空と翔一に、笑顔が見える。
「冬也さん、もしかしてアレを作ってるんですか?」
「冬也、アレだね!」
「そうだ! 待ってろよ。俺の特製をお見舞いしてやるぜ!」
ペスカに任せた寸胴の様子を見ると、中は白濁した最良のスープが仕上がっていた。
寝かせておいた生地を、麺状に細く切って茹でる。その間に、塩茹でした肉を取り出して、魔法でスライスする。
更に、刻んだネギっぽい野菜と生姜っぽい野菜に塩を混ぜた、簡単塩だれを器に入れて、出来上がったスープで伸ばす。
最後に茹でた麺を湯切りし、スープで満ちた器に入れる。そしてスライスした茹で豚を添える。
「塩豚骨ラーメン完成だ!」
臭いが鼻腔をくすぐる。それだけでも、涎が垂れて来そうだ。空と翔一は、たまらず器を手に取り、スープを一口啜る。
「ラーメンだ。ラーメンだよ」
「うん、うん。美味しいです。すっごく美味しい」
嬉しそうに顔を綻ばせながら、空と翔一は声を上げる。続いて麺を啜る。そして、空と翔一の瞳からは涙が流れ始めていた。
たかが素人の手料理である。名店の味には遠く及ばない。しかし、『料理は思い』だ。それなくしては、料理とは呼べない。
食べる相手の事を考えて、その為に作るのが料理だ。例え名店ではなくても、そこには確かな思いが有る。
空と翔一の涙は、止めどなく流れ続けた。そして無言で食べ進める。また、二人から少し遅れて食べ始めたペスカは、冬也に優しく語り掛ける。
「美味しいよ、お兄ちゃん」
「そっか」
そして直ぐに、三人から「お代わり!」と声が上がる。
「おう! 沢山食え!」
冬也の作ったラーメンは、三人の心を温めた。その温かい気持ちが、空と翔一を癒していく。笑顔を浮かべながら涙を流す空と翔一を見て、冬也は満足そうに頷き、ペスカは笑みを深めた。
「そもそも。居住空間が無い、この馬車がいけないんだよ!」
ラーメンを食べ終わったペスカは、腕を組み鼻息を荒げて叫ぶ。そして空と翔一は、大きく首を縦に振る。対して冬也は、幼少期からアマゾンで何日も生活した事が有る。野宿や馬車の旅など何の苦痛でもない。
少し溜息をつきながら、冬也はペスカを見やる。
「何する気かは大体わかるけど、材料はどうするんだよ」
「鉄がいるね」
「魔石はどうすんだ?」
「魔石はどんな鉱物からでも作れるよ。出来たら魔鉱石が良いけど」
「だから、それを何処で手に入れるんだよ」
「採掘場が近くに有るみたいだよ。と言っても何が採れるかは、知らないけど」
「でかした、翔一君。早速行こう!」
図書館で、地図を頭の中に入れていたのだろう。翔一の言葉で、ペスカの声は弾む。そして、拳を掲げるペスカの後ろから、空の声が聞こえる。
「あのね、ペスカちゃん。行くのは良いけど、何するか教えてよ」
「戦うキャンピングカーを作るの!」
「はい?」
「へっ?」
空と翔一は揃って首を傾げる。二人の様子を見た冬也が、苦笑いしながら答えた。
「二人共信じらんねぇだろうが、キャンピングカーだよ。しかも大砲付きのな」
「だから、何を言ってるんですか冬也さん?」
「そうだよ冬也。キャンピングカーなんて、作れるはずないだろ」
空と翔一は、怪訝そうな表情を浮かべた。「幾らなんでも、それは無い。だって、ファンタジーな世界なんだし」と考えるのが普通だ。冬也でさえも、最初は驚いたのだから。
口で説明しても理解しないと判断した冬也は、地面に絵を描く。どんな馬鹿でも才能の一つや二つは持っているのだろう。冬也の描いたのは、以前ペスカが作った戦車と軍用トラックである。しかも忠実に描かれている。
しかし、どれだけ忠実に再現された絵を見ても、空と翔一はそんな馬鹿なと信じなかった。
「ペスカちゃんは、何時も突拍子も無い事を言うからな」
「そうそう。小さい頃から夢見る少女だもんね」
翔一と空が立て続けに言うと、ペスカは剝れて立ち上がった。
「そんな事言うなら、実物を見せてあげるよ! ははぁ~って、土下座させてあげるよ!」
野営で一晩を明かしたペスカ達は、馬車に乗り出発をする。採掘場は野営をした場所から近く、数時間程で到着した。
放棄されてから、かなりの年月が経過しているのだろう。採掘場には誰がいる訳でもない。そこは、渦を巻く様に地下へ向かって掘られた形跡がある。そして採掘場の周辺には、崩れた建物の跡だけが残っている。
馬車を停めて、四人は降りる。冬也と翔一は、露天掘りの周辺まで歩みを進める。
「うぉ~! でっけぇな~!」
「そうだね、露天掘りは規模が大きくなるからね」
「そこの男二人、何してんの早く来なよ!」
二人が感慨深く採掘場を眺めていると、かつて建物が有った周辺から、ペスカの声が聞こえる。二人が歩み寄ると、ペスカの指示が飛んできた。
「お兄ちゃんは神様にお祈りして」
「何の?」
「採掘の神様だよ」
ペスカは、打ち捨てられた祠を指さした。参拝者が消え、どれ位の時が経ったのだろう。崩れ果てた祠を見て、物悲し気な気分になりながら、冬也は神気を籠めて採掘の神に祈りを捧げる。
「採掘の神様、我らに恩恵をお与えください」
冬也の神気に応えるかの様に、祠が淡い光を放つ。そして、冬也の神気を吸い込んでいく。冬也の神気を吸い込み終わると、祠が放つ淡い光は僅かばかりに輝きを増す。そして崩れ果てた祠は、見る間に往年の姿を蘇らせていった。
空と翔一は驚きの余り、ポカンと口を開いて呆然としている。そんな翔一に、ペスカは指示を飛ばした。
「翔一君、マナ探知よろしく。ほら、ボケっとしてないで、早く!」
翔一は慌てて頷くと、採掘場全体を探るイメージをし、精神を集中させる。マナを少しずつ広げていくと、地中から何かの気配を感じた。
「この真下、二百メートル位の辺りに何か有りそうだよ」
「早速お祈りの効果が出たね。ナイスお兄ちゃん! それと翔一君」
「おう!」
「どういたしまして、って僕はおまけっぽい言い方は、気のせいだよね」
「取り敢えず、見に行って来るから、空ちゃんと翔一君は待っててね~!」
ペスカは翔一の言葉を無視して、笑顔で答える。そして冬也の手を引いて、採掘場を下り始めた。冬也について行こうとした空であったが、採掘場を見下ろすと足がすくんで動けなくなる
「空ちゃんは、高所恐怖症なんだから無理しないの! お兄ちゃんは、私が独り占め!」
「ず、ずるいよ。ペスカ、ちゃん」
ペスカは勝ち誇ったように、満面の笑みを浮かべ、空はガックリと項垂れた。
目的は採掘場の探索である。翔一の探知に引っかかったとはいえ、何が採れるかわからない。しかし、ペスカは嬉しそうに、冬也と手を繋ぎながらスキップする。
「お前、手を繋いでスキップすんなよ。鬱陶しい」
「良いじゃない、私の心のケアもしてよ、お兄ちゃん」
「ったくよぉ。ところで神様にお願いしたろ? 探知に反応したのは、そのおかげなのか?」
「多分ね!」
「採掘の神様ってどんな感じだろうな。筋肉モリモリな気がするな」
「確かに! でも意外と美形の女神様だったりして」
ペスカと冬也が、笑いながら神様について語っていた時に、後ろから声が聞こえた。
「呼んだかの?」
しゃがれた老人の様な声。人ならざる者の気配。決して悪霊の類ではなく、神聖な気配である。ペスカと冬也が期待を籠めて振り向く。
「なんじゃ。儂を呼んだのじゃろ? 祈ってもおったし」
そこに立っていたのは、幼稚園児と見間違う様な、少年の姿をした神様であった。ペスカと冬也は、共に少し呆気に取られて佇む。しかし直ぐに我に返り、反応を示した。
「キャ~! 可愛い~! 何この子!」
「おい! こんな所に子供が来たらあぶねぇだろ!」
「喧しいの。儂は採掘の神じゃぞ!」
ペスカは採掘の神の言葉を聞かずに、はしゃぎ立てる。
「キャ~! ほら~、高い高い~!」
「こら、持ち上げるで無い。止めんか」
「良い子でちゅね~! 高い高い~!」
「おい、聞いておるのか。坊主、止めよ。おい、撫でるな坊主、儂は子供では無い。神じゃ」
ペスカが採掘の神を持ち上げて、冬也が頭を撫でる。それは、二人が飽きるまで続けられた。
採掘の神は、元々この辺りにいた氏神で有った。かつて住んでいた土着の種族が、この地域で採掘を活発に行い、大きな信仰を集めていた。
しかし、ラフィスフィア大陸から攻め込んで来た人間達によって、土着の種族は滅ぼされた。その後、採掘場周辺は支配者の存在しない地域になった。
暫くして採掘場周辺は、キャットピープルの領土に併合された。しかし、採掘に興味を示さないキャットピープ達は、採掘場を放置し続けた。当然キャットピープル達は、氏神である採掘の神を信仰する筈も無い。土着種族の信仰を失った採掘の神は力を失い、だんだんと小さくなって行った。
「成程な。それで俺が祈ったのが、嬉しくなって出て来たと」
「そうじゃ」
「ねぇ。私達、欲しいのが有るんだけど」
「言うてみ」
「鉄と魔鉱石!」
「お安い御用じゃ。そうじゃな、その辺を掘ってみよ」
採掘の神に言われた場所を、横穴を掘る要領で、魔法を使って掘り進める。直ぐに、鉄鉱石と魔鉱石を掘り当てる事が出来た。
ペスカと冬也は、両手いっぱいに鉄鉱石の塊を抱えて、横穴から出て来る。
「あんたすげぇな」
「翔一君の探知だと、もっと下まで降りる必要があったのに。こんな近くで、採掘出来るなんてね」
「うむ。じゃが、坊主の神気を少し貰ったせいでも有るな」
「そっか。お兄ちゃんのおかげって訳だね!」
「間違えるで無い。儂の功績じゃ!」
「ねぇ採掘の神様、珪砂とソーダ灰って採れない?」
「うむ。暫く待ってるが良い」
「それじゃあ、私達はこれ運んでるから。よろしくね!」
採掘の神が、ふわふわ浮きながら採掘場の下へ降りて行く。ペスカと冬也は、数分ほど歩いて地上に出る。抱えた鉱石を降ろし、荷馬車の中にある荷物を外へ出す。そして空と翔一に、荷物を降ろした周辺の片付けを任せる。
ペスカと冬也は荷馬車を動かして、元の道を下っていた。横穴まで辿り着くと、再び採掘を始める。大量の鉄鉱石や魔鉱石を抱えて、荷馬車まで戻って来る。
手分けをして、鉱石の仕分けをしながら、馬車に積み込んでいると、採掘の神が戻って来た気配を感じた。
下を除き込むと、大人の三倍は有る砂の塊が、採掘場の下からふわふわと浮き上がって来る。
「うぉ、でか! 砂の塊が飛んできた!」
「いや、あれ神様だよ」
「そうじゃ、持ってきたんじゃ。しかし、その荷運び車は、満杯のようじゃな。ついでじゃ、このまま上まで運んでやろう」
「ありがとう。神様! 私達も戻ろっか、お兄ちゃん」
荷馬車を冬也が操り、砂の塊を引き連れて地上へと戻る。冬也達の戻って来る様を見た空と翔一は、叫び声を上げた。まぁそれも、当然の反応なのだが。
「キャー! 冬也さん、後ろ後ろ!」
「冬也、後ろ! 何か浮いてる!」
冬也は二人を鎮めて、採掘の神様を紹介した。砂の塊を降ろし、姿を現せる採掘の神を見て、空と翔一は目を疑う。しかし直ぐに二人は、丁寧に頭を下げた。
「うむ。そっちの子らは、素直で良いな。坊主共とは大違いじゃ」
「あの、ペスカちゃん達は、神様に何したんですか?」
「子をあやす様に扱いよった」
「何やってんのよ! ペスカちゃん、冬也さん!」
「そうだよ、神様にする態度じゃないぞ!」
空と翔一は、顔を青ざめさせて注意する。元々咎めるつもりもない採掘の神は、慌てた様子の空と翔一を見て、声を出して笑った。
荷物の片付けをペスカと翔一に任せて、冬也と空は昼ご飯の支度を始める。昼ご飯は、昨晩の残ったスープを利用した、野菜たっぷりの塩トンコツ鍋である。空を助手に使い、手早く作業を済ませて、冬也は料理を仕上げる。
「お~い。出来たぞ! 神様も食ってけよ」
「うむ。旨そうな香りじゃ」
「確かに美味しそう! 流石お兄ちゃん」
スープを一口啜り、採掘の神様は唸る。
「うむ。なかなかの味じゃ。やるのう、坊主」
「そっか。喜んでもらって良かったぜ」
食べ始めたペスカ達からも、次々と感想が上がる。
「労働の後は、美味しいさが増すね! 美味しいよ、お兄ちゃん」
「ラーメンとは、違った味わいが有るね」
「流石です。冬也さんの味、最高!」
冬也は満面の笑みを浮かべた。
「沢山有るからな。お代わりしろよ! 神様も遠慮しないでいっぱい食えよ!」
「うむ。儂の神力も少し戻って来た様だ。供物のおかげかの」
神様を加え、より賑やかになった食事。楽しい雰囲気が、ペスカ達の疲れを癒していった。
採掘の神様が力を貸してくれたおかげで、素材を集める事が出来たペスカは、一同にこれから作る物の詳細な説明と、役割分担をしていた。
ペスカが地面に描いた詳細な設計図を見て、翔一は感心し、空は頭を抱え、採掘の神様は興味深そうにペスカに質問をしていた。
「ふむ、面白いのう。じゃがこれでは些か材料が足らんのでは無いか?」
「そうなんだよね。どうしようか、採掘の神様?」
「ウィルラスで良い。儂が調達してきてやろう。お前達は、素材の加工をしているが良い」
「ウィル君、やるね! ありがとう」
「我が神名を短縮するな! それに馴れ馴れしい! 儂は神様じゃぞ!」
「ならウィル様で良いじゃねぇ~か。頼りにしてるぜ、ウィル様!」
「仕方の無い坊主じゃ。旨い飯に免じて許してやろう」
悪びれもせずペスカと冬也は、神様を渾名で呼ぶ。しかしウィルこと採掘の神様は、孫でも見るかの様に目じりを下げた。やがて、ふよふよと浮きながら材料を探しに、去って行った。
「ペスカちゃんに冬也。神様に対しては、敬意を払わないと」
「何言ってんだよ、翔一。様ってつけたろ」
「そうだよ。細かい事言ってないで、作業に取り掛かりなよ、翔一君」
「工藤先輩。あの神様は、田舎のおじいちゃんと同じ顔してましたよ」
談笑しつつペスカ達は、作業に取り掛かる。空は魔鉱石を使って魔石を作る。翔一は、珪砂とソーダ灰を使ってガラス作りを行う。
通常ガラスや鉄を作るには、千四百度や二千度の高熱で融解させる必要が有る。しかし、ペスカが教えた行程は、錬金術の様な内容だった。
ガラスは、炎の魔法で一気に材料を融解させ形成した後、魔法で瞬間的に冷却を行う。鉄も同様に、炎と冷却の魔法で融解と冷却を行い形成する。
融解や冷却は魔法を使えば、比較的簡単に出来る作業ではある。しかし、途中過程で炭素等の不純物を取り除くのは、冬也の様に知識が乏しい者には難しく、ペスカの補助を必要とする作業であった。
そして更に特殊なのは、溶解したガラスや鉄に魔鉱石を混ぜ、素材自体に魔法をかけられる様に細工した事である。
翔一が粛々とガラス板を作っている間は、ペスカと冬也がフレームの材料となる鉄の形成を行っていた。
魔鉱石を鉄に混ぜ、魔法で軽量化を図る。それに加え物理衝撃吸収、魔法衝撃吸収の魔法をかけていく。ガラスには物理衝撃吸収と魔法衝撃吸収の魔法に加え、透明化と暗視化の魔法をかけて、片方向からの視界を遮るガラス板を作り上げた。
必要なガラス板を作り終えた翔一を加えて、ペスカ達は車の骨格となるラダーフレームを作り上げていく。フレームの形成が有る程度完成した段階で、神ウィルラスが帰って来た。
「少々時間がかかったが、必要な物は揃ったぞ」
神ウィルラスが持って来たのは、石墨と天然ゴムに軽質ナフサである。何故、そんな材料を持ってこれたのか、翔一目を丸くしていた。
「ナフサって石油を蒸留分離して作るんだよね。どうやって持って来れたんですか?」
「手間を省いてやったんじゃ。不満かの?」
「そうだよ。材料を揃えて貰ったんだから、タイヤ作るよ」
「うむ。それなんじゃが、儂も手伝うぞ」
「ありがとう、ウィル君! 流石神様!」
「小娘、呼び名は好きにしてよい。その代わり、持ち上げるのは止めよ! 儂は赤子ではない!」
ペスカは嬉しさの余り、採掘の神ウィルラスを抱え上げる。そして叱られる。だが、仕方ないのだ。 容姿だけ見れば採掘の神ウィルラスは、神様というより少し生意気な事を言う少年なのだから。
そしてペスカは、翔一と採掘の神ウィルラスに、石墨からカーボンを作り上げる方法、合成ゴムの作り方、バイアスタイヤの作り方等を教えて、一緒に作業をする様に指示する。
翔一達がタイヤ作りをしている間、ペスカと冬也は駆動部等のパーツを作った。
特に駆動部分に関しては、繊細な作業を要求される。これによって、車の性能が大きく変わって来る。この作業こそが、ペスカの独壇場であろう。この時の冬也は、黙々と魔力の供給機となっていた。
更に、一番重要になるのが、空が作り上げている魔石である。
魔石を利用したパワーステアリングや、運転レバーからマナを流し駆動させるドライブシャフトの構造は、現代知識と異世界知識の融合である。
更に、ペスカ独自の魔石精製技術により、生前にラフィスフィア大陸で作られていた従来魔石より、消費マナが百分の一以下に抑えられ、効率化が図られていた。
粗方パーツや車のボディを作り上げた所で、日が暮れ始める。
作業は翌日に持ち越しにし、必要パーツの確認を行うペスカと翔一、夕食の準備を行う冬也と空に分かれる。
そして冬也が夕食に作り上げたのは、『野菜たっぷりオーク肉入り塩焼うどん』だった。
「坊主。これも旨い。神気が満ちて行く様じゃ」
「そっか。良かったな」
満足そうに食事をする神ウィルラスを見て、冬也は笑顔で答える。
「オークの肉は、脂っこいイメージだったけど、お兄ちゃんが作ると食べやすいね」
「下茹でしてちゃんと油抜きをすれば、食べやすくなるぞ」
ペスカが顔を綻ばせて麺を啜る。空と翔一は黙々と食事をしていた。ペスカは食べながら、採掘の神ウィルラスにこれまでの経緯を話す。
「ふむ。お前達は、随分と厄介な奴らに狙われておる様じゃな」
「そう思うなら、力を貸してよ」
「小娘よ、無理を言うで無い。儂には神気がほとんど残っておらんのじゃ」
「だから、ちびっ子なのか?」
「坊主、ちびっ子は止めよ。敬意を払わんか」
口では文句を言うが、採掘の神ウィルラスの顔は終始綻んでいる。子供好きなのだろう。幼い見た目で子供が好きというのは、少しおかしな感覚に陥るが。
四人と一柱は、夕食を楽しむと早めに寝る準備を整える。
「この辺りは、誰も近寄る者はおらんから、ゆっくりと休むが良い」
採掘の神ウィルラスの言葉に従い、ペスカ達は床につく。ペスカ達は重労働のせいか、直ぐに眠りに落ちた。
翌朝、まだ少し眠そうに、一同は目を擦りながら集まる。冬也の作った、野菜入りの麦粥を食べ、作業を再開させる。
ペスカに空と翔一が、フレーム部分に駆動部を組み合わせた後、ボディを取り付ける。ペスカ達が作業をしている間、冬也は神ウィルラスを手伝わせて、魔攻砲を二門作り上げる。座席等の内装部品は、荷馬車を転用して取り付け、数時間程で全ての行程は終了した。
出来上がったのは、全面をスモークガラスで覆われた、大型のキャンピングカー。但し、上部には大型の魔攻砲が二門設置されている。内部は一部を除き、全面をスクリーンで見渡せる様になっている。またもや、バス、トイレ、キッチン、簡易ベッドが取り付けられ、居住性を重視した作りになっていた。
「ペスカ、何時トイレとか作ったんだよ」
「昨日、お兄ちゃんが料理してる間だよ。ウィル様にも手伝って貰ったよね」
「うむ。興味深い作業じゃった」
試運転を兼ねて、空と翔一、神ウィルラスを乗せて、ペスカは車を走らせる。冬也は腕を組み、じっと黙ってペスカ達の様子を見ていた。
「何じゃこれは? 凄いのう! 凄いのう!」
「普通の車じゃないね。近未来の車だよ。これを日本に持っていっても、車検は通らないだろうけど」
「中は、簡易ホテルよりも快適じゃない? 凄いねペスカちゃん」
試運転の車内では、神ウィルラスが興奮して声を上げる。空と翔一は、自分達が作り上げた車に感心しきりだった。
試運転を終えると、ペスカは各部の調整を行う。そして試運転中、暫くじっと黙って様子を見ていた冬也が、重々しく口を開いた。
「空ちゃん、翔一。聞いてくれ」
「何ですか、冬也さん」
「何だい、冬也」
今までと違うピリピリした雰囲気の冬也に、空と翔一は真剣な眼差しを返す。
「この車を見て判ったろ。これは戦う為の車だ」
空と翔一は無言で頷く。ゆっくり確実に、一つ一つの言葉を伝えられる様に、冬也は話しを続ける。
「女神に聞いただろ。ラフィスフィア大陸で戦争が起きているって」
空と翔一は、更に真剣な表情となる。
「戦争ってわかるよな。多くの人が死ぬんだ。沢山の血が流れる。殺意と狂気が充満した場所だ」
その状況を想像したのだろう。空と翔一は、急激に顔を青ざめさせる。しかし、冬也の話しは終わらない。
「戦争に参加するって事は、多くの死を目の当たりにするって事だ。そしてこの戦争は、神によって仕組まれた物だ。人の手で抗えない理不尽だ。その中にこれから行くんだ」
空と翔一は、足をがくがくと振るわせる。それでも冬也は、二人に問いかけた。
これが現実、お前達が目を背けていた現実だ。怖くて当たり前だ。キャットピープルの集団に襲われる等とは比較にならない、狂気に満ちた場所だ。
数度の戦闘や野宿程度でホームシックにかかる位なら、この先の戦いは厳しい。しかもお前達には、命を賭ける理由がない。
ここまでの道中で、冬也は二人の様子を見て来た。そして訓練と称し、二人を試して来た。
自分やペスカと二人は違うのだ。ペスカはこの戦いの為に、転生し世界を超えた。自分はこの戦いの為に、技術と精神を鍛え上げて来た。
二人はただの一般人。不運にも異能力が目覚めた、一般人なのだ。戦う覚悟を求めるのがおかしい。戦いを強いるのがおかしい。これ以上の事を求めるなら、きっと二人は心を病んでしまうだろう。
冬也は暫く沈黙をした後、再び口を開く。それが、どれだけ二人にとって望まない事であったとしても、決断するのは今しか無いと思ったから。
「俺は、お前達をそんな場所に連れて行きたくない。お前達はここに残れ」
「冬也何を……」
「冬也さん……」
「お前等を、日本に帰して貰う様に、女神に掛け合ってやる!」
日本に帰れる。それは、空と翔一の心を震わせる。その言葉は甘美の様に響いた。
「日本に帰った後の事は、きっと親父が何とかしてくれる。お前らは安心して日本に帰れ。この世界の事は全て、俺とペスカに任せろ!」
空と翔一は、半ば巻き込まれる様に異世界に来た。無論、戦う覚悟は有った。東京での戦いでは追い詰める側だった。それに何とか生き残れた。
そして、巻き込まれる様にして来てしまった世界では、居の位置を狙われる立場にある。
加えて、余りにもかけ離れたペスカや冬也との実力差だ。親友の力になりたいと望んで、東京の戦いに挑んだ。でも、これ以上は着いて行けるのだろうか?
環境に馴染めず、故郷を思い出す事はあった。それ以上に、平和な日本と比べ、この世界では暴力が平然と行われる。
人を傷つけるのも、傷つけられるのも怖い。流血沙汰など、TVのニュースでも映さない。死体を間近に見る事が無い世界で、暮らしてきた。怖いのが当然だ。
だが、ここでは違う。そして自分達は、悪い神様から狙われている。怖い、怖い、怖い。言えずに堪えていた、二人の想いが溢れ出す。
何度、日本に帰りたいと思っただろう。
何度、夢であって欲しいと思っただろう。
言葉を失くし俯く空と翔一に、冬也から穏やかな声が聞こえる。
「良いんだ。お前等は良く頑張ったんだ。だから、良いんだ」
「冬也……」
「冬也さん……」
「日本で戦った時に、お前達に助けられた。もう充分だ、ありがとう。これは、あの時あいつを倒せなかった俺のミスだ。お前達が付き合う必要は無い」
「冬也さんのミスなんて」
空は言葉を続ける事が出来なかった。溢れ出す涙を止める事が出来なかった。涙で霞む瞳で前を見ると、愛する男の姿が有った。
大地に力強く立つ冬也。何故にこんなにも、彼の事を好きなのだろう。
最初は仲の良いこの兄妹が、羨ましいだけだった。自分もその輪に入りたいと願った。いつの頃か、冬也を一人の男として愛している事に気が付いた。失いたく無いと願った。そして力になりたいと願う。
彼の先に暗雲が起ち込めるならば、それを払う一助になりたい。帰るのは今じゃない。日本に帰るなら彼と一緒に。
「冬也、お前……」
翔一は言葉に詰まった。
翔一にとって冬也は憧れだった。常に真っすぐ強く突き進む冬也は、弱い自分にはキラキラと輝いて見えた。だからいつも一緒にいた。一緒にいるだけで、自分も強くなれた気がした。
だけど、それは間違いだった。冬也の強さは、貫き通す信念の表れだった。
自分は大抵の事を、器用にこなす事が出来る。言い換えれば無難に出来る、ただそれだけ。冬也はどんな無理な壁も越えて行く。きっと神さえも倒す。もし、叶うならその隣に。
そして自分も冬也の様に強く、今の自分を越えて強く、もっと強くなりたい。
冬也が二人から背を向けて歩き出す。
その瞬間、空は冬也に抱き着き、翔一は冬也の肩を掴んでいた。
「怖いです。怖いです。人の血を見るのは嫌です。人が死ぬのも嫌です。だけど、冬也さんの力になれないのは、もっと嫌です」
空は溢れる涙を止める事無く、冬也に熱く語りかける。
「僕は弱い。でも傍にいさせてくれないか? ここから強くなるから、絶対に負けないから」
翔一は強く意志の籠った瞳で冬也を見つめた。
「馬鹿野郎! お前ら自分が何言ってるか、分かってんのか?」
冬也の怒声が響き渡る。しかし、空と翔一は俯かず、真っ直ぐに冬也の瞳を見た。
「もう良いじゃろ。連れてってやれ」
「うるせぇよ、ウィル! 余計な事言うんじゃねぇ!」
冬也の後ろから、神ウィルラスの声が聞こえた。かけてくれた言葉は嬉しい。しかし、冬也は振り返ると神ウィルラスを睨め付けた。
勘違いするな、俺はこいつらに傷ついて欲しくないから、言ってんだ。余計な口を挟むんじゃねぇ。
冬也の想いは、神ウィルラスにも伝わっているのだろう。ゆっくりと手を挙げると、神ウィルラスは空と翔一を指さした。
「坊主、良く見よ! その二人の目を。それが逃げる者の目か? 坊主に守られるだけの目か? 確かに坊主と比べれば、弱かろうよ。それでもあれは、守護者の目だ。意思ある者の目だ。連れて行ってやれ、冬也」
神ウィルラスの、柔らかくも語りかける様な口調が、再び冬也を振り向かせる。
弱い。しかもまだ、怯えは治まらないだろう。それでも、しっかりと地に足を付けている。自分の出来る事、すべき事がわかっている。
冬也は空と翔一を見て、深いため息をついた。
「仕方ねぇな」
「そうだね。仕方ないね」
冬也の呟きに答える様に、調整を終えたペスカから声がかかった。
「せっかく、お兄ちゃんに付きまとう厄介者を、排除出来るチャンスだったのにな~」
呑気に宣うペスカを、空と翔一が睨め付ける。
「ペスカちゃん!」
「おおぅ。空ちゃんが怖い」
「ペスカちゃん、ちょっと言葉を選ぼうね」
「うわぁ。翔一君もなんか怖い」
ペスカが助ける様に冬也を見るが「今のはお前が悪いな」と言われ、取り付く島も無かった。ペスカがしょげている所に、神ウィルラスから優しい声がかかる。
「確かに、お前達の行く道は困難であろう。じゃが、乗り越えられると信じよ! お前達の無事を祈っとるよ」
神ウィルラスの優しくも力強い言葉に、全員が大きく頷いた。
「神の理不尽を、理不尽に破壊しよう。ね、お兄ちゃん」
「あぁ。そうだな」
ペスカ達はキャンピングカーに食料等の荷物を積み込む。今まで荷馬車を引いてくれた馬達は、神ウィルラスが預かってくれる事になった。
「気をつけて行くんじゃぞ」
神ウィルラスに見送られて、ペスカ達は新たな出発を果たす。目指すは、ラフィスフィア大陸。混沌の神々が起こす混乱を収め、日本に帰る為に。
ラフィスフィア大陸のとある場所で、男女が話をしていた。
「君ね。余計な死者を、増やさないでくれないかな」
「仕方ねぇだろ、始まっちまったもんは」
「それを収めろと言っているんですよ、わかるでしょ? 転生が滞ると言う事が何を意味しているか」
「そんな事、てめぇに言われなくてもわかってらぁ! 戦ってのは、血沸き肉躍る楽しいもんだ。これは違う! 洗脳による、一方的な殺略だぁ!」
「それがわかっているなら、何故?」
「わかんねぇか? 洗脳だよ、洗脳! この戦いを動かしてるのは、俺じゃねぇ!」
「グレイラスにも困りましたね。所で、彼等を捕らえる算段はついたのですか?」
「まだだな。奴ら思った以上に警戒心が強い。せっかく味方になってやったのに、俺を信用してねぇみてぇだ」
「では、メイロードの居場所は?」
「俺にもわからねぇ所に隠れていやがる。当然、グレイラスの野郎も吐きはしねぇ」
女は深いため息をついて、男を見やる。男は飄々とした様子を崩さずにいた。
「頼みますよ。飽和状態に近づいているんです」
「馬鹿野郎! お前が死ぬ気で働きゃ良いだけだろ」
「嫌ですよ。君こそ奴らの一番近い存在になったんです。自ら動く位して欲しい物ですね」
「最悪、俺が奴らをぶち殺す」
まるで喧嘩でも買う様に、男は息巻く。そして女は、軽く頷くと姿を消した。
「そういやこの間のは、ガキは生きてるんだったよな。少しは楽しませろよ」
男はため息と共に呟く。その直後に、一瞬で姿を消した。
☆ ☆ ☆
そして時は少し遡る。
帝国を取り巻く状況は、刻一刻と変化をしていく。当初は国境付近での小競り合い程度だった。集められた兵の数も然程多くは無かった。
しかし、唐突に三国は国境付近に軍を集中させた。それも、合わせて三十万は優に超える兵を終結させ、大規模な侵攻を開始した。
それに対する帝国軍は、辺境領軍を合わせても数万程度しか存在しない。故に、かつて侵略をしていた時代とは状況が真逆になる。
三方向から侵攻してくる各十万の敵に対し、まともにぶつかっても勝ち目は無い。また、国境周辺は、山岳地帯でもなければ湿地帯でもない。見渡す限りの平野である。そんな平野では、地形を利用した戦術等は使えもしない。
しかし、シグルドは自ら前線に立ち、兵を鼓舞する。
「貴様ら! 帝国は終らない! 今こそ我等の力が試される時だ! 我らの正義を、義務を果たせ!」
如何に兵を鼓舞しようが、シグルドが数百の敵を切り伏せて敵軍を怯えさせようが、兵力の差が有り過ぎる。故にシグルドは奇策を用いて戦うしかなかった。
堀を築き、馬防柵を立てる。それだけでは足りない。陣を作り多くの軍旗を立て、そこに主力が存在すると見せかける。攻めて来た所で陣を引き払い撤退する。それと同時に、潜ませていた兵で挟撃をする。また、遊撃隊を組織し敵の本陣を狙いもした。時には夜襲も行う。
そういった奇策も、戦力差を完全に埋めるまでには至らない。ただ、時間を稼ぐ程度にしかならない。
この状況で、シグルドが敢えて時間稼ぎをしてまで待ったのは、帝国側の援軍ではない。エルラフィア王国からの援軍だ。そして、彼らが運んで来るであろう最新鋭の武器だ。
それさえ有れば、戦況は一変する。だから、シグルドは凌ぐ方法で攻勢に耐えていた。
それでも、各戦線から届くのは悪い知らせばかり。そして、シグルド率いる帝国軍はじりじりと撤退させられていく。
そして、数少ない兵は更に減っていく。戦いは一方的な様相を呈していた。
一方で、トールは議会を動かそうと奮闘していた。
帝都を巡って繰り広げられた戦闘。薄行く意識の中で見た将軍の死。シグルドに聞かされた、邪神ロメリアの采配と皇帝一族の死。施政者を失い、守る盾も失った帝国は絶望的な状況だ。己が身を案じ、保身を図るのも無理はない。
しかし、帝国はこのままだと確実に滅びる。そんな状況で、トールは少女の姿を思い出す。
彼女は常に勇敢だった。前線に立ち指揮を行い、絶望的な状況に立ち向かった。彼女がいたから、内戦が終結した。彼女がいたから、神が消え去った。
自分に何が出来る? 自分は彼女の足元にも及ぶまい。でも、今は立ち上がれ。立って戦え! 彼女が守ってくれたこの帝国を、今度は自分が守るのだ。
「皆様! ここで帝国を終わらせる訳にはいかない! 直ちに軍を再編して前線へ送るべきです! そうしなければ、我が国は蹂躙される! それで良いと仰るのでしょうか!」
トールの怒声が、議会内に響き渡る。
既に対話の時期は過ぎた。もう、三国の軍は帝都から三日余りの所まで迫っている。田畑は焼き払われ、多くの住民達が殺された。
それでも、次期皇帝の選別を優先するのか? どの領軍が援軍に向かうかを揉めるのか? 違う、敵の刃が喉元に突きつけられている状況ならば、その刃を払いのける方が優先だろう。
「今は、皆様の協力が必要です。このままでは、本当に帝国は滅びてしまう。どうか力をお貸し下さい」
トールは誓った、もう何も奪わせないと。恩人のペスカ達に、なにより己の魂に。
「前線で戦っているのは、エルラフィアの方です。それなのに、我らは何をしている? シグルド殿を見殺しにしろとでも仰るのか? 違う! そんな事は断じて有ってはならないのです!」
鬼気迫るトールの気迫に、辺境領主達が感化され始めていた。そして、一人また一人と立ち上がる者が現れる。そんな時だった、兵士の一人が議会場のドアを叩いた。
「エルラフィア王国から、援軍が到着しました!」
その声に議会は騒めく。それに合わせる様にして、エルラフィア王国の大臣が数名、議会場に入って来る。
「我等、陛下の命により参上しました。軍も連れております。我等を如何様にでもお使い下さい」
「待て! それでは我が国をエルラフィアに渡すのと同義では無いか!」
「そうだ! 承服出来ぬ!」
エルラフィアの大臣が発言した所で、辺境領主達から異議を唱える者が現れる。しかし、それらの声を、トールが一喝して黙らせた。
「今それを仰るのか! それなら、何故に動こうとしなかった!」
歯軋りする辺境領主達に、トールは怒りすら覚えていた。
そうやって議論をしている時間は無い。だから、声を荒げてでも説得しようとしている。なのに何故、そんな言葉が出てくる。全力を持って抗わなければ、国が滅びるかも知れない時なのに。
「エルラフィアの兵器は、皆様が目の当たりにしたでしょう? 既に戦線は開かれているのです! ここで戦わなければ、講和も何も有りません!」
「しかし、敵軍は我等の十倍以上だとも聞く」
「だとしてもです。それとも、皆様は籠城するお覚悟か?」
「それでも、エルラフィアに内政干渉はさせん!」
「ご心配には及びません。我等は、帝国復興のお手伝いをさせて頂くだけです」
頭を下げる大臣達に、周辺領主達は怪訝の眼差しを向けた。さもありなん、この状況でエルラフィア王国が介入してくるのには、何か裏の意図が有ると疑心暗鬼になるのも理解は出来る。
しかし、今は違う。そんな事を考えている場合ではない。
「我等には戦力が足りません。エルラフィアの力を借りねば戦えません! もし、エルラフィア側に侵略の意図が有るとなれば、責任を持って私が対処致します!」
「其方に何が出来る!」
「皆様こそお忘れか? 内戦を治めて下さったのは、エルラフィアの方々です! 彼らには恩義がございます。その上で、更に手を差し伸べて下さろうとしている!」
「そ、それは……」
「今は、彼等の好意に甘えなければ、何も始まらない!」
領主達は黙るしかなかった。
トールの言葉が正しい事は、誰もが理解する所だろう。エルラフィア王国に裏の意図等ない事も薄々理解していた。しかし、帝国人としてのプライドが邪魔をした。
ただ、このまま手をこまねいていては、確実に帝国は終わる。
「わかった。トール・ワイブ少将、其方に全軍を預けよう。エルラフィア王国軍はその参加に入る様に。皆もこれで如何か?」
議員の一人が発言すると、パラパラと拍手が起こり始める。そして、議場全体へ広がっていった。
そして、帝国はその存亡をかけた戦争へと突入していく。それが、どんな結末を向かえるか、まだ誰も知らない。