妹と歩く、異世界探訪記

 シグルドの報告を受けた王城内は、酷くざわついていた。それもそのはず、会議の際にペスカが語った事が信憑性を帯びて来たからだ。
 重鎮達の中には、「現在生産中の武器を持って、こちらから侵攻すべき」と声を大にする者がいた。反対に、「ロメリア教徒が暴れている中、領地を空にする訳にはいかない」と声を上げる者もいた。

 どちらも正しい。内も外も混乱を極めている。その中で、最善の策は有るのか。それを見極めねばならないのは、為政者の難しさであろう。

「クラウス、シリウス。其方達は残って、王都の軍を再編成せよ。他の者達は領地に戻って軍の編成を急げ」
「「はっ」」
「北方、南方、それと東の国境沿いの領地には、各領から援軍を出す様に! 無論、王都から援軍を出す。くれぐれも用心せよ!」

 王の命令により、城は俄かに騒がしくなる。もう、狂信者とモンスターだけを相手にしていれば良い時間は、とうに過ぎ去ったのだ。これから始まるのは戦争の準備だ。

「それとクラウス。兵器の生産はどうなっている?」
「順調に進んでおります。三日も有れば、全軍に行き渡らせるには充分かと」
「よし、街道付近にモンスター共を近付けさせるな!」
「必ず、量産した武器を各地に運んで見せます」

 こうして、エルラフィア王国も戦いの渦に巻き込まれていく。ただ、今は誰もが信じていた。直ぐにこの混乱は解消されるのだと。誰もが願っていた。戦争の準備が無駄に終われば良いと。
 しかし、悪神はそんなに甘くは無い。既に隣国である帝国は、魔の手に落ちようとしているのだから。

  ☆ ☆ ☆

 一方、ペスカ達は領都の外に陣を張り、そこで帝国軍を含んだ遠征軍は野営を行った。そして翌朝ペスカは全軍に待機の指示を出し、冬也を連れて戦車に乗り込んだ。
 
「ペスカ。お前、何をするつもりなんだ?」
「お兄ちゃん。私が何も対策せずに、のこのこ帝国にやって来たと思うの? 秘密兵器はまだ有るんだよ」
「思わないけど、説明をしろよ」

 冬也の言葉に、ペスカは戦車内の荷物を漁りだす。取り出した荷物は、大砲の弾丸だった。

「領都を破壊するつもりかよ!」
「違うよ。これで領都を救うんだよ! いいからお兄ちゃんは、魔攻砲の尾栓を開けて弾を込めて」
「難しい事言うなよ。兄ちゃんにも解る様に教えてくれよ」
「も~。魔攻砲のマナを充填してる筒部分があるでしょ。そこスライド出来るから。開けたら弾を込めて閉める。わかった?」

 少し早口になるペスカに対し、冬也は多少もたつきながら弾丸を込めて、発射準備を整える。

「お兄ちゃん。領都を突き抜ける様に真っ直ぐ飛ばしてね」
「本当に大丈夫か? 領都を吹き飛ばさないか?」
「可愛い妹を信じなよ! ほら行くよ! よ~い、発射!」

 轟音と共に、魔攻砲から発射された弾丸は、真っ直ぐ領都へと飛ぶ。領都に届くと同時に飛び散り光りを放つ。そして光は、大きな円状に領都中を包んだ。
 暫くすると、硝子を割った様な大きな音が領都から聞こえ始める。円状に包み込んだ光が崩れ始め、光は領都へ降り注ぐ。光は領都中を輝かせた。

 起こった現象を目の当たりにした、トール隊、カルーア領軍の両方に、どよめきに似た歓声が起こる。ペスカは冬也に向かい、笑顔でポーズを決めた。
 
「成功したね、多分」
「何かすげ~ぞ! ぶわって光ってキラキラって落ちて! 何だよあれ!」
「拡散型マナキャンセラーだよ。邪神ロメリアが仕掛けた空間結界の解除と、住民の精神汚染解除を同時に狙ったの」
「すげ~な、お前天才だよ。やったな!」
「そう思うなら、ペスカちゃんの可愛いお口にチュッてして!」
「するか馬鹿! 何か色々台無しだよ!」

 冬也はガックリと肩を落とす。そして不満気な表情のペスカはトールに命じ、帝国軍を領都の調査に向かわせる。また、シルビアとメルフィーには、それぞれ帝都外の調査を命じた。
 小一時間程で、帝国軍が戻って来る。トールは驚きと嬉しさが半々の様な表情を浮かべていた。

「ペスカ殿、住民達が次々と動き出しました! 皆、意識がはっきりとしており、大きな怪我をしている様子も有りません」

 少し肩を震わせながら、トールはペスカに報告する。そしてペスカは、領都の状況の変化を問いただした。

「それで、何か新しい情報は出てきた?」
「全ての住民に聞けた訳では有りません。ただ皆が一様に、一週間以上の記憶を失くしている様です」
「あなた達と同じね。領軍の行方は?」
「知っている者は見つかりませんでした」

 ペスカは、少し考え込む様に腕を組む。そこに冬也が問いかけた。

「どうするペスカ? このまま全員で帝都に向かう予定だったろ?」
「う~ん。こんなに上手く行くと思わなかったからね。トール、あなたの部下を五十人位、領都の警備に置いて行こうか」

 トールはペスカの言葉に強く頷き、走って部下達の下へ向かう。トールに続き、シルビアとメルフィーがペスカに報告へ来る。
 
「ペスカ様、帝都へ続く街道に、大軍が通った様な跡が、うっすらと残っておりました」
「ペスカ様、他の街に続く街道には、大軍が通った形跡は見当りませんでした」
 
 報告を聞き終えたペスカにシグルドが問いかける。

「どう思われますか、ペスカ様?」
「帝都に進軍中なのは間違い無いだろうね。領軍を追って帝都へ向かおう。シグルド、王都への報告よろしく」

 ☆ ☆ ☆

「へぇ~。あれを壊せるんだ。中々やるね~」
「どうする? 邪魔にならない内に潰しとくか?」
「いや~。それは止めとこうよ。せっかくだし、もう少し高みの見物がしたいじゃない」
「悪趣味だな。どの道、育ってからじゃないと、やり合っても面白くねぇしな」
「一人、面白そうなのが居るから、そっちは君に任せても良いよ」
「そりゃあ良い。育てよ、糞人間共。それで俺を楽しませろや」
「それで、女神達の様子はどうだい?」
「変わりは無いようね」
「ハハッ、相変わらず呑気だね~。だから僕にしてやられるんだよ」
「人間共を皆殺しにして、神々の力を削ぐ。そして私達がこの世界を獲る。良い作戦ね」
「前回は、人間を殺さなかったから女神にしてやられたんだ。今回は手出しをさせないよ」
「あの小娘はどうするんだ?」
「あんなのに、何かが出来るとでも? 少しはやるようになったみたいだけどさ」
「用心するに越した事は無いぞ」
「大丈夫さ。任せておきなよ、今回も楽しませてもらうさ」
 帝国各地では異変が起きていた。各都市からは男や兵士が消えていた。町や村からもだ。それは、ペスカ達が見た領都の光景と同様であった。

 消えた男衆は、兵士達と足並みを揃えて行進している。虚ろな顔をして、その目には何も映ってない様でいて、隊列は一切の乱れもない。それはある種、異様な光景とも言えよう。

 兵士達は武器を携えている。街の男達は包丁やナイフなどを手に持ち、農村の男達は鍬等を手に持っていた。
 武装した彼等が向かう先はただ一つ。帝都であった。

 ☆ ☆ ☆

 ペスカは、領都に僅かの兵を残す様に指示した後、アサルトライフルとロケットランチャーの操作説明をトール隊に指導した。

 カルーア軍も簡単に操作してみせたのだ。トール隊がそれに苦戦するわけもない。指導の後は、カルーア軍対トール隊の実戦を模した軽い演習を行った。
 そこでは、トール隊が見事な連携でカルーア軍を下した。

「なぁ、トールさんって優秀な指揮官だと思わねぇ?」
「そうだね。もっと大きな隊を任されても、おかしくないよ」
「俺よりよっぽど活躍しそうだな」
「まぁ、お兄ちゃんはそういうんじゃないからね」

 演習の後は、領都で兵站の補給を行う。そしてペスカは、トール隊とカルーア領軍を、アサルトライフル班とロケットランチャー班にそれぞれ分けて四班に再編成した。そしてシグルドを指揮官として任命する。

 帝国兵である二班の指揮を、そのままトールに預ける。カルーア領軍のアサルトライフル班はシルビア、ロケットランチャー班はメルフィーに指揮をさせる事に決めた。

 ペスカ一行はトール隊を先頭に、戦車、トラック、カルーア領軍の隊列で、領軍を追う為に進軍を開始した。

「急ぎてぇ所だけど、こればっかりは仕方ねぇのか」
「私達だけなら、直ぐに帝都へ着くけどね」
「それだと、駄目なんだろ?」
「今回ばかりは、戦力が多い方が良いと思う」
「所で、お兄ちゃんはさっきから何やってんの?」
「あぁ。これか? マナキャンセラーのイメージを固めてんだよ」
「弾が無くても撃てる様に?」
「そう。いなくなった人達が、俺達に立ち向かって来るんだろ?」
「その前に無力化させるつもりだけど」
「だったら、弾の消費は抑えねぇとな」
「お~、考えてるね」
「それと、必殺技みたいなのも考えておかねぇとな」
「ロメリア用に?」
「そう。お前の話を聞く限り、相当な相手みたいだからな」
「相当どころじゃないよ。かなりヤバいんだよ」
「だから、準備だ」

 行軍速度は、当然ながら歩兵に合わせたものになる。その為、車がスピードを出せたとしても、全体の速度は上がらない。その為、冬也は運転と監視をペスカに任せて、自分は瞑想を続けていた。

 帝国内でロメリアが暴れているのは、間違いがない。そうなると、ロメリアが再び現れる可能性も濃厚だろう。
 帝国兵や連れ去られた男達を鎮圧すれば良い訳ではない。圧倒的な力を持つ神と対峙しなければならないのだ。
 
 以前の戦いでは、ペスカの大魔法すら通用しなかったと聞く。それ以前に、悪神を前にして立つことさえ難しかったと聞く。
 そんな相手をどうすれば、倒せるのか。それを、冬也は模索していた。

 街道は帝都へと続いている。そして、相変わらず多数の足跡が残っている。それを見る度に帝国兵達は不安気な表情を浮かべる。

 説明は聞いていた。洗脳が解除される様子も見た。しかし、同胞と戦わなければならないと考えれば、不安にもなるだろう。
 そんな兵達を、時折トールが一喝していた。

「貴様ら! そんな事で仲間が救えると思うな! 前を向け! 我々は敵を挫き勝利する為に進んでいるのではない! 我らの愛する帝国を取り戻す為に戦うのだ!」

 そんな中、安堵出来る事も少なからずは有った。途中の村々の住民は、規模が少ないが幸いだったのか、精神汚染を免れていたのだ。
 住民達が言う事は、概ね予想通りであった。領軍は民兵を集めつつ、帝都へ向かい進軍した事が判明した。
 領主が強引に男達を連れて行ったと話す村人達は、怯える様に震えていた。

 精神汚染を受けていれば、怯える事も無かったろう。しかし、それでは生きているとは言えまい。空っぽになり、記憶を無くしてまで、人形の様に過ごす。それならば、怯えながらでも明日への希望を持ち、生きながらえた方がよっぽどましだ。

 そして、彼等の希望はここに有る。

 トール隊の面々は、住民達を勇気づける様に声をかけた。「安心しろ、我々が家族を取り戻す」と。そう断言した強い言葉は、自分達に発破をかけたものでもあろう。
 しかし、そこで見せた笑顔に勇気づけられた者達は少なくない。彼等もまた、住民達にとっての英雄になったのだろう。

 三日程で領境を仕切る関門に到着したが、門は開け放たれ見張りの兵が見当たらない。ペスカの指示で、トール隊が門の中を確認すると、兵士の死体が散乱している状態だった。門の中は荒れ果て、戦闘の形跡を示していた。
 
「トール、あなた達と違う紋章を付けた死体が多い様に見えるけど、帝国軍?」

 トールが歯軋りをしながら、ペスカに応える。

「ペスカ殿、この関門を守備していた帝国軍で間違い有りません」
「くそ、悪い予感ってのは、何で当たるんだよ」

 悪神は、更に追い打ちをかけるのだと、この惨状を見て冬也は痛感していた。

 兵士達を洗脳して連れて行くなら、関門を守る兵達も同様にすればいい。ここで血をながさせる必要がない。
 そうしたのは、何故か。簡単だ、こちらに精神的なダメージを負わせるため。そして、こちらを怒りで満たすためだ。

 冬也の頭には、以前に女神が語った言葉が過っていた。『怒りではロメリアを倒せない』と。女神の言葉に間違いは無い。何故なら敵は陰湿な手を使って、こちらを自分のテリトリーに引き込もうとしているのだから

「トール、兵士を埋葬してあげて。念の為に火葬でね」

 ペスカの命令に、トールが質問を返す。

「ペスカ殿、ただ埋めるのでは駄目なのですか?」
「遺体を操られて、色々されるのは面倒だしね。一応の予防策だよ」

 遺体の埋葬を終え暫く進むと、街道沿いに荷馬車が倒れ、血塗れの商人が複数倒れているのを見つける。トール隊に確認に向かわせるが、商人達は既に事切れていた。馬は逃げ荷馬車内は荒らされていた。
 その光景に、冬也は吐き捨てる様に言い放った。

「山賊って事じゃねぇよな。これがロメリアのやり方かよ!」
「冬也、怒りは抑えた方がいい。悪神の思う壺だ」

 冬也を落ち着かせるように、シグルドは答える。シグルドが敢えて言った言葉の意味は充分に理解している。しかし、感情は上手く言う事を聞いてくれない。
 好き好んで、自らが守るべき者を殺める兵は存在しない。そう、これは邪神の企みなのだ。この惨状を自分達に見せて、奴は高笑いしているのだ。
 そう考えるだけでも、胸糞が悪くなる。怒りで頭が沸騰しそうになる。
 
 遺体は手早くトール隊により火葬され、進軍を再開させる。そして、襲われる荷馬車は一台では無かった。

 帝国に近づく程、襲われる民間人の数は増えていく。誰もが逃げる所を、後ろから襲われた様に倒れていた。トール隊を始めカルーア領軍も、固い表情で押し黙っていた。
 民間人の遺体を見つめ、冬也は拳を強く握りしめ呟いた。
 
「糞野郎。自分達が何してるのか判ってやがんのか」
「お兄ちゃん、落ち着いて。ロメリアに呑まれないで」
「でもよ、糞!」

 ペスカは、先の邪神戦を思い返し冷静であろうと努めていた。また、冬也が怒りを露わにしているからこそ、冷静であらねばと思えたのかもしれない。
 憤りも悔しさも全てを呑み込んで、ペスカは無言で冬也の頭を引き寄せ、自らの胸で優しく抱きしめる。そして冬也は、黙ったままペスカに身を預ける。ペスカの温かな体温が、ささくれ立った冬也の心を、優しく癒していく。
 冬也が落着いて来た頃を見計らい、ペスカがやや厳しい口調で話しかける。

「お兄ちゃん。多分この先はもっと酷いよ。慣れろとは言わない。怒りに流されないで」
「そうだな。ありがとう、ペスカ」

 ペスカの言葉は、自分にもかけた言葉なのであろう。それを理解した冬也は、ペスカの頭を優しく一撫ですると戦車に戻る。冬也に続いて戦車に乗り込もうとするペスカに、トールが声をかけた。

「あの先に見える小高い丘を越えると帝都です」

 ペスカは冬也に戦車の運転を任せ、ハッチから体を半分出し、周囲の状況を確認しつつ進軍する。
 少し進むと、爆発音や金属がぶつかる音が聞こえて来る。その音は丘に近づく度にはっきりと聞こえる様になった。慌てて駆けだそうとするトール隊に、ペスカは隊列を崩さぬ様に指示をする。
 丘を登り切った先は、広大な平野になっており、高い城壁に囲まれた帝都が見える。そして数千にも及ぶ軍隊が、帝都を囲み攻撃をしていた。

「待てよ! ロメリアって、他の国を攻める為に兵を集めてたんじゃねぇのかよ!」
「冬也、予想は裏切られるものだよ。悪い方にね。ペスカ様、これは既に内乱です」
「そうだね。やってくれるよ、ロメリアの奴。所でトール、領軍ってあんなに多いの?」
「恐らくあれは、辺境領全ての軍が、攻めているのだと思います」

 魔法を使って城門の破壊を試みている部隊がいる一方で、弓や投石で帝都内に攻撃を仕掛ける部隊いる。他には、はしごを立て掛け、侵入を試みる部隊も見受けられる。
 帝都は完全に包囲され、侵攻を受けていた。対する帝都軍は、城壁の上から弓や魔法で対抗し、攻勢を凌いでいた。
 
 攻撃は止む事が無く続いている。魔法に当り両足を失っても、這いずる様に帝都へ攻撃を仕掛ける兵がいる。はしごから落とされ血を流しても、再び這い上がって来る兵がいる。魔法は途切れる事無く放ち続けられ、城門は破られようとしていた。

 辺境領都の軍が大挙して帝都へ侵攻した。その事実を目の当たりにし、トール隊に緊張が走る。焦燥に駆り立てられる様に、帝都に向かう者が出始める。
 皆の動揺を鎮めようと、ペスカは一喝した。
 
「落ち着け! 諸君らは何をしにここに来た。彼らも諸君らが守るべき、帝国民では無いのか? 冷静になれ!」

 ペスカの言葉に冷静を取り戻すトール隊。続いてペスカの指示が響き渡る。

「皆武器を構えよ! ロケットランチャー班は先陣、続いてアサルトライフル班が進め! トラックは後方支援。良いか! 皆隊列を崩すな」

 ペスカの命令で全軍が隊列を整える。内乱鎮圧を掛けたペスカ達の戦いが始まった。
 操られて争う事がどれだけ悲惨で、どれだけ悲しい事であろう。

 足がもげれば、両手を使い前進をさせられる。どれだけ血をながしても、痛みすら感じる事はない。マナが尽きても、強制的に魔法を使わされる。肉体が半壊しても、攻撃の手を止める事は出来ない。粉微塵になるまで戦わされる様は、地獄の亡者すら生ぬるく感じるだろう。

 戦場には狂気が宿る。だが誇りを持ち、国の為、民の為に戦うならば、倒れたとて悔いは残るまい。操られた兵達は狂気以前に、意志も闘志も感じさせない。ただ人を殺す道具、戦い続ける機械、それに何の意味が有り、何を得られるのだろう。
 果て無き悪夢は、ただ一柱の愉悦のみによって続けられる。未来もなく、救いもない。命の尊厳は失われ、全てが塵芥に変わるまで、終わる事は無い。

 ☆ ☆ ☆

「全く。悪趣味にも程が有るよ」
「まさか、帝国兵同士で戦わせるなんてな」
「流石に誤算だったね。こんな事になるなら、私達だけでも先行すれば良かった」
「言っても始まらねぇよ。それより、攻めてる奴等を何とかする方が先だ」

 如何に内乱と言えども、ここまでの惨状にはなるまい。何せ、一定数の死傷者が出た時点で、兵を引くのが極一般的な戦争であろう。小競り合い程度なら、死傷者の数はより減るだろう。

 しかし、この戦場は死ぬ事さえ許されない。

 城壁を登ろうとしている兵は、魔法によって地に叩き落される。そして、体のいずれかが壊れる事になる。それでも、よじ登る事を止めない。
 魔法を使って攻撃している兵は、倒れる事を許されない。頭はふらついている、限界がとうに訪れているのは見るも明らかだ。しかし、魔法を撃つのを止めようとはしない。

 表情を失った。兵達が傷つき倒れても、また起き上がって戦いへと戻る。それは正しく地獄の光景と読んで相応しかった。

 既に一刻の猶予も無かった。死兵より非道な凄惨から兵達を救う為には、迅速な行動が必要だった。ペスカは声を荒げて、号令をかける。

「各隊前進!」

 ペスカの号令と共に、帝都を囲む領軍に向かい前進する。ペスカは戦車から半分ほど体を出し、指示を出し続けた。
 
「トール隊ロケットランチャー班、構え! 城門の領軍に向けて、撃て!」

 一斉にロケット弾が約五十発が発射され、城門を攻撃していた領軍に降り注ぐ。弾頭が兵士に当たる寸前に光を放つ。
 光は連鎖する様に周囲を取り囲み始め、城門を攻撃していた領軍を包み込む。光が消えると、攻撃をしていた領軍は一斉に倒れ始めた。

「トール隊ロケットランチャー班は次弾装填急げ! メルフィー隊、右城壁に取り着いている奴らを狙え! てー!」

 城門から右寄りの方角で、城壁をよじ登ろうとしている領軍に向かい、約五十発のロケット弾が発射される。再び着弾と同時に光が連鎖し広がり、領軍を包む。光が消えると、兵達は崩れ落ちる様に倒れていた。
 背後からの攻撃に気付いたのか、城壁に向かい投擲を続けていた領軍が振り返り、ペスカ達に向かい前進してくる。

「トール隊アサルトライフル班、前へ。引き付けてから……。今! てー!」

 アサルトライフル班がロケットランチャー班の前方に進み、構えて狙いを定める。剣を抜き前進して来る領軍に向かい、ペスカの合図でライフル弾の雨が降る。そして領軍は次々と崩れ落ちていった。

「全軍、右へ前進!」

 ペスカの号令で、倒れる領軍を迂回し右方に前進する。ペスカ達の動きに引き付けられた様に、別の領軍が帝都から向かって来る。
 
「シルビア隊前へ! しっかり引き付けろ!」

 向かってきた部隊は、遠方から魔法を多用して攻撃してくる。だが射程が遠すぎる為、放たれた魔法はシルビア隊に届かず消えうせる。
 牽制にしては陳腐な攻撃に、意図は無いのだろう。充分に引き付けて、シルビア隊がライフルの一斉射撃を行う。領軍は、瞬く間に全員倒れ伏した。

 ペスカは一度、帝都の城壁に目を向ける。帝都城壁では、帝国軍の兵士が右往左往している。突然始まった謎の攻撃により、領軍が倒れ始めたのだ。混乱しているのは、見て取れる。

「ペスカ。城の兵士達は、洗脳されてないのか?」
「あの様子だと、もしかしたらね」
「それなら、まだ救いがあるかも知れねぇ」
「トール! 伝令を城門に送って。話が通じる様なら、こちらの状況を教えてあげて」
「了解しました。ペスカ殿」

 トールは急ぎ、城門へ伝令の兵を数人走らせる。それと同時にシグルドから、声がかかる。

「ペスカ様、領軍が左右から向かってきています」

 ペスカが確認すると、城門を中心に左側から一つ、その反対側から三つの領軍が向かって来ていた。

「お兄ちゃん。城門側から向かって来る領軍に魔攻砲を向けて! 弾丸なしでもいけそう?」
「あぁ、瞑想の成果を見せてやる!」
「よし、てー!」

 戦車の砲門から発射された冬也の魔法は、大きく弧を描き城門の右側から向かって来る領軍に着弾し光を放つ。

「次もいけるぞ、ペスカ!」
「よし、てー!」

 続く二射目も、見事に着弾し光を放つ。最初の光と交じり合い連鎖の様に広がり、三つの領軍を包んでいく。バタバタと倒れていく兵達を見れば、効果が充分なのは瞭然であろう。
 続いてペスカは、トール隊に指示を送る。狙うのは城門の左側から向かってくる領軍である。
 
「ナイス、お兄ちゃん。 トール隊ロケットランチャー班! 目標、右の領軍! てー!」

 ペスカの号令で、ロケット弾が発射される。ロケット弾が放った光は領軍を包み、兵達を救っていった。
 この時点で、城門周辺には攻撃を加える領軍の姿がいなくなる。帝都防衛側戦力にとっては、最大のチャンスが訪れた。ただ、帝国の防衛側が邪神の洗脳を受けていなければの話しではあるが。

「ペスカ様、ご覧ください。帝国軍が城門から出て来ました」

 シグルドの言葉で、ペスカは再び城門へ視線を向ける。城門が開き、大隊が出撃して来るのが見える。帝国の大隊はペスカ側に向かわず、倒れている領軍の安否確認を行っている様だった。

「ペスカ殿。どうやら、帝都の軍は精神汚染を受けていない様だ」
「よかった。どうやら伝令も間に合ったようだね」
「倒れている領軍は如何致しますか?」
「そっちは、帝国軍に任せよう」
「所でトール。今はどれだけの領軍が集まってる感じ?」
「これまで、八つの領軍を沈黙させました」
「これから到着しそうな軍は?」
「我が国には、辺境領が十ほど有ります。それらの軍がこれから侵攻してくる可能性が有るかと」
「面倒だな。まだ、相当の数が洗脳されたままかよ」
「取り合えずトールは、帝国軍に合流して、周囲の警戒に当たって」
「俺達はどうすんだ?」
「取り合えず、ドローンを飛ばして様子を見るよ」
 城門前の領軍を粗方鎮圧した後、ペスカは急いで車に戻るとパネルを操作する。その時のペスカは、酷く慌てている様子だった。
 今、城を攻めている領軍はこれが全てではない。そう予想していたからだけではなかろう。わざわざ内乱という手を使ってきたのだ。ここに何かの思惑が有っても然るべきだと、考えていたのだろう。

 そしてペスカは、ドローンを飛ばして城の周囲を探った。城の裏側では、城門と同じ様に二つの領軍が攻めているのが見える。

「将校も洗脳されてんだろ? それなのに、裏側からも攻めるなんて作戦立てられんのか?」
「お兄ちゃん。この盤面を動かしてるのは、人間じゃなくてロメリアなんだよ」
「ホント、面倒だな。何考えてんだ、糞神ってのはよ」
「それは、帝都内に行けばわかるよ。手遅れにならなきゃいいけど」
「確かにな。これじゃあ、帝国を滅ぼそうとしているとしか思えねぇ」

 ペスカにも焦りが見える。冬也の言った事が、あながちピント外れとは言い切れないからだ。だからこそ早く城外の兵を鎮圧して、帝都内の様子を探りたい。
 ドローンだけで全てを把握するのには限界が有る。なにせ城内の様に、建物の中までは確認出来ないのだから。
 今の所は落ち着いている様にも見える。だが、何が起きるかわからない。

「トール隊は、このまま周囲の確認! 残る辺境領の襲撃に備えろ!」
「はっ」
「シルビア隊、メルフィー隊は私に続け!」
「「はっ」」
「残りを素早く鎮圧するぞ!」

 そしてペスカは、戦車を中心に右にシルビア率いるアサルトライフル部隊、左にメルフィー率いるロケットランチャー部隊を展開させる。更にシグルドの乗るトラックを後方にトラック配備し、再び進軍を開始した。

 城壁を中心に回り込むと、二つの領軍が城壁に攻撃を続けていた。ペスカ達には、気が付いていない。それどころか、気にも留めていないのだろう。
 そのままペスカ達は、領軍に気付かれない様、背後へと回り込む。

「メルフィー隊、構えながらこのまま前進。射程範囲に入ったら撃て! シルビア隊、いつでも撃てるように準備しておけ!」

 後方から近づきロケットランチャーの射程に入ると、メルフィー隊のロケット弾が一斉発射される。着弾したロケット弾は、二部隊を包み込む様に大きく広がる。光が消えた時には、兵士は全員倒れていた。

 ペスカは大きく息を吐く。しかし、まだまだ安堵をするには早い。ペスカは皆を鼓舞する様に、声を荒げた。

「皆、注意を怠るな! このまま城壁を一周しながら城門へ戻るぞ! 周囲を警戒! 何か有れば直ぐに報告せよ!」

 城壁を一周し城門へ戻るペスカ達。だが途中で報告以外の軍隊とは、遭遇する事が無かった。城門へ戻ると帝国大隊が、領軍の治療や移送を忙しなく行っていた。戦車が戻って来るのを見つけたトールが駆け寄って来る。

「ペスカ殿、ご無事でしたか」
「裏で攻めてた領軍は鎮圧したよ。そっちの治療も頼む様に伝えてね」
「了解しました。しかし、帝国が精神汚染を受けておらず、助かりました」
「そうだね。それで状況は?」
「帝国、辺境領共に被害は甚大。特に辺境領からは、死者が多数出ております。要因はマナの欠乏による死亡。それと、著しく肉体を損傷させている者は、精神汚染が解除された瞬間に命を落とした様です」

 ペスカは少し目を伏せた後、質問を続ける。

「精神汚染の状況は?」
「全て治まっております。それだけに、傷に苦しんでいる者は多く。今は重傷者から優先し治療に当たっています」
「帝都内は?」
「住民達は避難しており、そちらも精神汚染は行われていない様子。建物の被害も軽微だと報告が上がっています」
「帝都が無事ってなると、狙いは城内か?」

 ペスカがトールから報告を受けていると、城門方面から近づいて来る男がいた。男は大声を張り上げながら、こちらへ近づいてくる。

「トール大佐! 今まで何をやっていたのだ!」

 声をかけられたトールは振り向くと、腕を胸の前で交差して姿勢を正した。

「将軍閣下、この様な事態になるまで、駆け付けられなかった事、不徳の致す所であります」
「いや、それは今回の活躍に免じて不問にしよう。良くこの窮地に駆け付けた。所でそちらの御仁は?」
「かの英雄ペスカ様、その生まれ変わりでございます」
「なんと! それであの未知の兵器か!」
「我等も彼女達の部隊に救われました」
「ペスカ殿。此度の支援、誠にかたじけない。改めて陛下からもお礼が有るだろう」

 将軍がペスカに頭を下げる。ただペスカは、少し面倒そうに手をひらひらと振っていた。今は、将校に構っている暇はない。それよりも、ロメリアの企みを阻止しないとならない。
 しかし、将軍は内乱が収束しつつあるとでも考えている様子だ。それには、少しひっかっかる

「全て其方らのおかげだ」
「閣下、安心してはいけません。辺境領の軍がほどなく到着するでしょう」
「その顔。援軍、では無いのだな?」
「辺境軍は、今の倍近くの兵力になります」
「一体、何が起きている?」
「邪神の仕業でございます」
「何と、報告は誠か?」
「鎮圧は、我が部隊にお任せ下さい」
「ならば、ペスカ殿。其方らは、暫くここで休まれよ。後に使いを寄こす」

 将軍はペスカ達に待機を告げると去って行く。ただ、不安は拭い切れない。このまま何もなければ、帝都は平穏を取り戻すだろう。
 そして、領兵の治療が終われば、軍も各領地へ戻っていくだろう。そうなれば、当初の目的通りに戦争を回避出来た事になる。
 だが、これで終わりのはずがない。ロメリアの事だ、これだけの大仕掛けをしておいて、ただの内乱で終わらせるはずがない。

「一先ず、みんなには休息を取らせよっか」
「あぁ、流石に連戦だったしな」
 
 そしてペスカは、シグルドを通じて兵士達に休憩する様に指示を出す。これまでの連戦で、疲れて果てていたカルーア領軍は一斉に座り込んだ。
 
 続いてペスカはここまでの情報を整理し、王都へ報告する様にシグルドに指示をする。

「ペスカ、これで終わりじゃないんだろ?」
「まだ何か起こりそうな気はするけど……。シルビア、帝都に変な気配は有る?」
「今の所は感じません。帝都に入らないと、詳しくは感知出来ませんが」

 ペスカは軽く息を吐き頭を掻き上げると、メルフィー達に向かって指示を出した。

「セムス、メルフィー。疲れてる所悪いけど、兵達全員に糧食を渡す様に伝えて。それとあなた達も休みなさい」

 セムス達は兵を動かし糧食を配り始める。しかし王都に報告をしていたシグルドが、慌てて駆け寄って来る。常に冷静なシグルドにしては、珍しく顔を青ざめさせていた。
 
「ペスカ様、大変です。北で戦争をしていた小国が戦争を集結。そのまま合流し、エルラフィア王国に侵攻を開始しました」

 一同にどよめきが起こる。エルラフィア王国を取り巻く状況は、悪化の一途を辿っていた。
 シグルドから齎された報告は、皆を震撼させる物だった。

 戦争を起こしていた北の小国が、突如として戦争を終わらせ連合を結成した後、エルラフィア王国へと進軍を開始した。
 既に国境を突破され、隣接する幾つかの領地は連携し抵抗を試みた。しかし、奮闘虚しく多くの都市を蹂躙される。北の小国連合軍は、現在も王都へ向け進行中だと言う。

「ペスカ様。小国連合はオークやトロールを前面に押し出した、モンスターとの混成部隊との事です。抵抗を行っておりますが、圧倒的に戦力が足りません」
「マナキャンセラー対策か? 考えたね」
「現在、ルクスフィア卿とメイザー卿を中心に、各領地から軍を集結させております」
「援軍の到着はこれからって事?」
「守りを固めよと陛下のご命令が有ったばかり。先手を打たれたとしか」
「どの道、回せる兵も多くないでしょ?」
「如何せんロメリア教残党騒動で、どの領地も割ける兵力が無いのが現状です。王都はドラゴンの襲来が続いており、近衛と王都守備隊で何とか凌いでおります。王都軍も割ける兵力がほとんど有りません」

 シグルドが青い顔をしながら、捲し立てる。いつも冷静なシグルドが、焦っているのだ。守るべき国には自分がいないとなれば、不安にも駆られるだろう。心強い仲間がいたとしてもだ。
 
 狙いは、帝国じゃなくてこっちだったのか? そう考えてもおかしくはない状況だ。今、王国最大の主力と言えるペスカは、帝国内にいる。仮に急いで戻ったとしても、北の戦線維持に参加できるとは思えない。

 これはマジシャンが使う、視線誘導に引っかかったのと同じであろう。

 国内で起きる数々の難問、そこに最大の脅威と成り得る帝国の異変が起きる。自然と焦点は、帝国へと向けられる。そして背後を突く様に、次の手を仕掛けて来たのだ。厄介極まりない。
 最大の脅威と思っていた帝国の異変が、ようやく鎮静の兆しを見せている。その矢先となれば、溜息すら出て来ない。

「良くここまで、色々仕掛けて来るもんだね」
「エルラフィア王国を、徹底的に滅ぼすつもりなのか? ペスカ、早く戻ろう!」
「待ってお兄ちゃん。先ずは、ライン帝国の状況確認だよ。ライン帝国が安全と決まった訳じゃないでしょ。このまま帰って、ライン帝国に後ろから攻められたら、エルラフィアは終わるよ」
「冬也。確かに、ペスカ様の仰る通りだ。それにエルラフィア王国とライン帝国の両方が倒れたら、ラフィスフィア大陸全土に戦乱が広がる可能性が有る」

 動じる冬也を落ち着かせる為に吐いたシグルドの言葉は、自分にも言い聞かせた言葉なのだろう。そしてペスカは、皆に指示を出し始めた。

「シルビア、メルフィー、セムス、休憩はお終いだよ。各隊を何時でも出発出来る様に準備させといて」
「かしこまりました」

 ペスカの指示にシグルドが問いかける。

「帝国に援軍の交渉は宜しいのですか?」
「内乱でボロボロになった帝国に兵を出せって? 私達が戻った方が戦力になるよ。シグルドは王都に連絡。マルク所長に繋ぐ様に手配して」
「承知しました」

 シグルドがトラックに駆けて行くと、冬也がペスカに話しかけた。

「良いのかペスカ? お前の事だから、何か考えが有るんだと思うけど」
「取り敢えず、直ぐに戻れる準備をするよ。お兄ちゃんも手伝ってね」
「おう! 何でもやるぞ!」

 冬也の返事にペスカは笑みを浮かべる。王都との連絡は直ぐに繋がり、マルクが焦った様な声色で通信口に出る。

「おぉ、ペスカ。そちらは、どんな感じだ?」
「こっちもバタバタだし、未だ何か起きそうな予感がしてる」
「お前の予感は当たるからの」
「それで所長。武器の生産はどんな感じ?」
「お前の指示通りに、マナキャンセラー以外の弾も作らせておる。順次、各地に向けて運んでおる」
「それなら良かった。所長は出来る限り、武器の量産を続けて」
「わかっておる、こちらは任せよ。ペスカも無事でな」
「うん。それとさ、もう一つ大至急の頼みが有るんだけど」
「何だ? 出来る事ならなんでもやるぞ」

 幾つもの可能性を考慮して、対策をして来た。それが今回は功を奏したかもしれない。しかし、如何に兵器が揃おうとも、兵力の差は如何ともし難い。何とか、しのぎきってくれればいいのだが。今は、そう願うしかない。

 ペスカはマルクとの通信を終えると、待機していた場所のすぐ近くに広がる、無人の平野に向かい冬也を連れて歩き出した。
 そしてペスカは冬也に向かい合うと、静かに話しかける。

「これからお兄ちゃんは、私をぎゅーってしてね」
「こんな時に何言ってんだよ!」
「誤解だよお兄ちゃん。転移用のゲートを開くから、私にマナを注ぐ様にぎゅーってするの」
「それじゃあ、抱き着かなくても良いんじゃねぇか?」
「駄目だよ。ぎゅーってしないと私のやる気、ゴホン! マナがちゃんと伝わらないでしょ」

 冬也は首を傾げながらも、ペスカを後ろから抱きしめて、マナを注ぐ事に集中する。ペスカは満面の笑みを浮かべて呪文を唱えた。

「大地母神フィアーナよ、御身の力を我に貸し与えたまえ。時空をつなぐ扉を御身の膝元に。ゲート開放!」
 
 ペスカの詠唱に合わせて、無人の平野が光を帯びる。そして魔法陣が浮き上がって来る。半径十メートルはある巨大な魔法陣は、淡い神秘的な光を灯していた。

「成功したよ。ありがとう、お兄ちゃん」
「なあ、抱き着く必要あったのか?」
「当たり前じゃない。私のマナは温存しておきたかったし、お兄ちゃんは馬鹿容量のマナが有るんだから、少しくらい減っても問題ないでしょ。それに頑張ったご褒美くらい、くれても良いじゃない。何でもするって言ったくせにさ、ばか」

 冬也が釈然としない様子でペスカに問うが、ペスカは頬を赤く染めながら冬也に言い返す。ペスカの言葉は終わりに近づく毎に声が小さくなり、最後の方は冬也の耳に届かなかった。

 但し、転移と言っても双方に扉がなければ、どこに飛ばされるかわからない。ペスカは気を取り直して、シグルドに王都の様子を確認させる。魔工通信で、王都でもゲートが開いた事は、直ぐに確認出来た。

「王都側のゲートは、マルク所長が上手くやってくれた様ですね」
「流石所長だね。まぁ所長は、暫くは立つ事もやっとだろうけど」
「ところでペスカ様。このゲートとは、どの位の時間持つのでしょう?」
「魔法の効果って事? それなら、お兄ちゃんのマナを利用したから、半日、いや一日は余裕だと思うよ。詳しいゲートの使用方法は、シルビアに聞いて。あの子は空間魔法に詳しいからね」

 カルーア領軍を含めた遠征隊が出立準備を始め、俄かに騒がしくなる。そんな時、帝国兵が一人駆け寄って来る。
 
「陛下がお呼びになっておいでです。至急王宮へお越し下さい」

 どの国でも通常ならば、国王やそれに類する者への謁見許可は、かなりの時間がかかる。ただ緊急事態故か、帝国側が招いてくれた。帝国の内情を確認するまたとない機会に、ペスカとシグルドは目を合わせて頷いた。

「城へは私とお兄ちゃん、シグルドで行く。シルビアは戦車、セムスはトラックで待機。メルフィーはカルーア領軍を率いて待機。いざとなったら、ゲートを潜って自力で帰りなさい」
「お待ちください、ペスカ様。それは」
「駄目だよ、シルビア。ゲートはあなたの専門なんだから。任せたよ」
「しかし、ペスカ様」
「そうです、ペスカ様」
「言う事を聞きなさい! あなた達は、エルラフィアの戦力。王国の為に力を尽くしなさい」
「かしこまりました」

 シルビアは、嫌な予感がしていた。このままペスカに会えなくなるのではないかと。だから主命に背いても、ペスカを止めようとした。
 セムスやメルフィーも同様である。このまま、すんなりと事が終わるとは考えられない。帝国にはまだ何かが有る。そんな予感がしていた。

 だがペスカの答えは、国を守れ、であった。

 跪き頭を下げる三人に、ペスカは笑顔で答える。大丈夫、安心しろと、その笑顔は言っている。ならば自分達に与えられた役目を果たそう。そして三人は、出発の準備を進めた。
 未だ、帝国内の騒動が収まったとは言えない。今まさに、辺境軍が侵攻を続けているのだろうから。少なくとも、それを鎮圧せねば帝国に平和は訪れないであろう。
 
 また小国連合の侵攻により、ロメリアの狙いが帝国なのか王国なのかが、判別し辛くなっている。
 だが、帝国内で何か起こそうとしているのも、概ね間違いは無かろう。決して油断できる状況ではない。そしてペスカを含めた三人は緊張した面持ちで、兵士の案内で王宮へと向かう。

 外出禁止令が出ていたのだろう、帝都は人々の行き交いが少なく閑散としていた。忙しなく走り回るのは兵士だけ。そして残されているのは、戦争の爪痕である。
 所々に崩れた城壁。そして城壁近くで倒れ、二度と起き上がる事の無い兵士。慌ただしく兵が行き交いしたのだろう、かつて街を彩っていた花々は踏み荒らされていた。

 帝都の人々は、どんな思いで避難をしていただろう。恐怖に打ち震えていたに違いない。戦争時の破壊音は、強烈に心を侵食する。
 仮に内乱が治まり外出禁止令が解除されても、直ぐにいつもの生活へ戻るのは難しいだろう。

 多くの兵が死に、生き残った兵も致命傷に近く、医療棟らしき施設は混雑を極めている。帝国全土で、家族を失い悲しむ者が出るはずなのだ。
 帝国に住む者達が笑顔を浮かべる日は、来るのだろうか。どれ位の時間、辛い思いをすれば気持ちは安らかになるのか。そんな事すら考えさせられる。それが戦争なのだ。望んだ事では無くても、それが戦争の末路なのだ。

 帝都は虚しさを湛えている。ただ、真の悪意は音を立てずに、侵食を続けている。それはペスカにすら気が付かない、神の御業であった。

 王宮に辿り着き、直ぐに謁見室に案内される。そして謁見室の前では、ペスカに待機を告げた将軍とトールが揃って、ペスカ達を待っていた。

「お待ちしていましたペスカ殿。さあこちらへ」

 将軍の後にトールが続き、ペスカ達は謁見室に入る。謁見室には皇帝だけで無く、皇后を始め年若い皇女や皇太子までもが、顔を揃えている。そして数多くの大臣が、壇下に整列していた。

「何だ? これって褒章ってやつか? こんな事をしてる場合なのか?」
「しっ! お兄ちゃん、黙って」
「でもよ」

 冬也の言う事は尤もだ。内々の話が有るのなら、皇帝と側近だけで充分だ。なのに、多くの家臣が整列している。
 まだ、内乱は終わっていない。それなのに、謁見室では既に内戦どころか論功すらも終わっており、後は恩賞を授けるだけといった雰囲気だ。
 それよりも先に内乱を終わらせなければならない。それに、住民達のケアや傷ついた兵士達の治療も急がせなければならないはずだ。恩賞を授けるなら、それでもいいはずだ。

 噂程度にしか耳にした事がないが、賢帝とはこの程度だったのか? そう思うのも不可思議ではない。傍から見れば、それだけ異様な光景という事だ。
 
 謁見室の中央まで歩みを進めると、将軍とトールは跪き頭を下げる。続くペスカ達も、同様に頭を下げる。そして直ぐに皇帝から声がかかった。

「皆、面をあげよ。其方が伝説の英雄、ペスカ・メイザー殿か。此度の援軍痛み入る」
「勿体ないお言葉でございます」
「伝説の英雄を見たいと皆が詰め掛けた。許して欲しい」

 ペスカが恭しく頭を下げる。続いて、皇帝から将軍やトールに声がかかる。

「ドーマン・クレイ将軍、及びトール・ワイブ大佐の両名、此度の奮迅、誠に大儀であった」

 皇帝の言葉に、謁見室内が安堵と喜びが混ざった様な雰囲気に包まれる。

「此度は戦勝の宴とはいかぬ。せめて褒美を与えよう。トール・ワイブ大佐、前へ」
 
 トールは首を傾げながら将軍を見やる。当たり前だ、内乱を治めたのはペスカであり、自分達はそれに協力しただけなのだ。褒美を貰う訳にはいくまい。

 それにどれだけの兵が苦しんでいるのか、知らないはずがあるまい。褒美なら、戦いの中で死んでいった者、著しい傷を負い生死を彷徨っている者達に与えるべきだろう。これは、誰もが望まぬ戦いだったのだから。

 自分は褒美を貰うべきではない。仮に自分がそれに値したとしても、将軍を差し置いて、自分が先というのは余りに不自然だ。
 しかし将軍は、トールの意図を察したのか、皇帝への配慮か、先に行けと首を縦に振る。 そしてトールは、疑問を感じながらも玉座の近くへと進んだ。

「近こう寄れ。それでは褒美が渡せぬ」

 トールが皇帝が座る壇上前まで近づくと、皇帝は壇上から降りて来る。皇帝はトールを立たせると、満面の笑みを浮かべてトールに近づく。大佐という立場では、皇帝の顔を見る事自体が稀である。トールは緊張した面持ちで直立する。
 ゆっくりとトールの目の前まで近づいた時、皇帝の手刀がトールの身体を刺し貫いた。

「がっ、へ、陛下、な何を……」 

 トールは、口から血を吐きながら必死で呟く。しかし、それも束の間の事だった。出血は酷く、トールの顔は見る間に青白く染まっていく。そして、膝から崩れる様に倒れ伏した。

「トール!」
「陛下! 何をなさる!」

 ペスカを始め、謁見室に居た全員が驚愕する。

 直ぐに顔を青ざめさせた将軍が、皇帝を止めようと慌てて駆け寄る。将軍が近くまで迫ると、皇帝はトールの体から手刀を抜いて振り上げる。勢いをつけて手刀を振り下ろし、将軍の首を刎ね飛ばした。

 将軍の首はコロコロと謁見室内を転がっていく。

 謁見室は騒めき、真っ青な顔で震えた大臣達が皇帝に詰め寄ろうとする。皇族達は怯えて謁見室から逃げようと動き出す。
 しかし全員が、一瞬の間に首を落とされる。謁見室の床は、真っ赤な血で染められた。

 シグルドは驚きの余り、呼吸をするのも忘れている。冬也は怒りに満ち溢れ、ペスカに抑えつけられていた。

「満足? 楽しい? 人で遊んで楽しいの? ねぇ、邪神ロメリア様」

 シグルドが、目を大きくしペスカを見つめると、皇帝が高笑いを始めた。

「ア~ハッハハ! 楽しいよ。せっかく君が遊びに来てくれたんだ。サービスしないとね」
「てめぇが邪神か! 何て事しやがる!」
「あれぇ? それは怒っているのかい? それならさぁ、もっと怒ってくれないと、全然楽しくないよ」
「お兄ちゃん、挑発に乗っちゃ駄目だよ」
「あぁ、大丈夫だ。お前のおかげで、もう冷静だ」

 邪神は、顔を歪めてペスカ達に言い放つ。

「楽しませておくれよ! さぁ! そっちの子供の方が、遊びがいが有りそうだね!」

 邪神が目線を向けると、シグルドは体を震わせながら剣を抜いた。

「良いね。その怒り、その怯え、堪らないよ! せっかくだからもう一つサービスで教えてあげよう。ここに集めたのは、ライン帝国の皇族一同と国の重鎮全員だよ!」

 シグルドの顔が更に青く染まる、しかしペスカは動じずに、邪神に問いかけた。

「皇帝陛下は、どうしたの?」
「勿論殺したさ。随分と抵抗されたけどね。流石、賢帝と言われるだけあって、なかなか手ごわかったよ」

 皇帝の体から光が溢れ、皇帝の体を四方へ飛び散らせる。光が溢れた中には、大きな翼を背に生やした少年の姿があった。

「ライン帝国の終焉だ。さぁ遊ぼう!」

 長い帝国の歴史に幕が下りる。それは、邪悪な神の手によって行われた。
 突然の状況変化に圧倒され、顔を青ざめさせていたシグルドの表情は、煮えたぎる様な怒りに満ちた表情に変わり、ロメリアを睨みつけている。

 邪神の口から放たれた、ライン帝国の終焉と遊ぼうの言葉と、謁見室の惨状は、シグルドの憎悪を燃え上がらせるには充分であった。

 シグルドは、ライン帝国の惨状をその目で見て来た。冬也を抑えながらも、腸が煮えくり返る思いであった。同じ国を守る者として絶対に許せないのは、己が守るべき民をその手に掛ける事である。

 兵士を志す動機なら、幾らでも有るだろう。しかし、兵士として従事するのは、一つの意志により成される。それは、国と民を守る事である。それ故の戦いで有るならば、好んで先陣を切ろう。体を張り命を賭しても、使命を遂行しよう。
 だが、ライン帝国の惨状は全く異なる。意図も容易く操られ、意志のないままに戦わされる。そして、犠牲になるのは民なのだ。

 シグルドは冷静ではいられなかった。純粋で真っ直ぐな程、陥りやすい罠に掛かっていた。それは、邪神の好む感情である。だからこそロメリアは、最初の獲物をシグルドに選んだのかもしれない。

 しかし、ロメリアの体から溢れた光は、謁見室内を包み込んでいく。それと同時に、シグルドは膝を突いた。先の戦いでペスカを苦しめた神の力だ。シグルドが抗えずにいるのも無理はない。

「あれれ、そんなもんかい? 少しは遊べると思ったのに、拍子抜けだね」
「それなら、俺が遊んでやるよ」
「君の出番は未だだよ。だって、物事には順番ってモンが有るじゃないか」
「あぁ? 糞みてぇな事、言ってんじゃねぇよ!」
「君の出自は知ってるんだよ。あの忌々しい女神の血を引いてるんだろ? 僕は、お楽しみを最後に取っておく方でね」

 シグルドが起き上がれない状況下で冬也が平気でいられるのは、全て女神フィアーナの血によるものだろう。

 そして、ペスカは女神フィアーナの加護を受けている。平静でいられたならば、その力は本領を発揮する。ロメリアの意識が冬也に向かっている間、ペスカはトールの下へ駆けていた。

 ペスカがトールに駆け寄る中、冬也はシグルドを守る様にして、ロメリアの前に立ち塞がる。
 そして冬也はマナを全身に漲らせる。これまで幾多の戦いを経て、マナを鍛え上げて来たのだ。冬也のマナは体から溢れる様に流れ出し、謁見室に満ちていたロメリアの力と拮抗し始める。

 そんな時だった。

「だ、い、じょう、ぶ、だ。とう、や。私が、やる。私にやらせてくれ。こいつは、絶対に、許せない」

 それは勇敢な近衛隊長が、振り絞る様にして吐いた言葉だった。

 冬也のマナによって、ロメリアから溢れた力は少し緩和されている。それでも、普通の人間ならば堪えられないだろう。しかし、シグルドは立ち上がろうとしていた。振るえる足でしっかりと床を踏みしめ、剣を抜こうとしていた。

 それは常人とは一線を画す最強故の出来事だったのか。それとも、誇りを踏みにじられた者達の無念を晴らす為の行動だったのか。
 どちらにせよ、シグルドは剣を抜く。そして、ロメリアに向かって飛び掛かった。

「駄目だシグルド! 戻れ!」

 怒りに我を忘れたシグルドに、冬也の言葉は届かない。そしてシグルドは、目に捉える事が出来ない程の速さで、邪神に斬りかかる。

 シグルドの剣は邪神の体を切り裂くが、直ぐに体は再生する。怒り任せ、何度もシグルドは光速の剣を振るう。しかし邪神は薄笑いを浮かべ、されるがままにシグルドの剣を受けていた。

「駄目だ! それじゃ奴には効かない! 戻れシグルド!」

 その時、冬也の頭に浮かんでいたのは、女神フィアーナの言葉であった。

 ロメリアは、恐怖や悪意の様な感情を食い物にする神だ。今のシグルドを見ればわかる。怒りに震え、我を忘れ、がむしゃらに剣を振るうだけなら、どれだけ強くても戦いにすらならない。それどころか、邪神ロメリアを喜ばせるだけだ。

 冬也は、前回ペスカが戦った時の様子は見ていない。だが、何となく想像は出来た。多分、今のシグルドと同じなのだろう。だからペスカは、何度も冬也に語ったのだ。怒りに流されるなと。 

 耳に届いても、頭の中には届かないのだろう。冬也の言葉は、空しく響くだけ。そしてシグルドの剣が、邪神の体を縦に切り裂く。尚も邪神は、汚らしい笑みを崩さなかった。
 丁度その時ペスカから声がかかる。

「お兄ちゃん、トールが生きてる! まだ間に合うよ!」
「お前はトールを頼む。こっちは俺に任せろ!」

 冬也に言われ、ペスカは自分とトールの周りに結界を張る。そして、トールの延命処置に取り掛かった。ペスカが治療を始めた所を確認すると、冬也は剣を抜き邪神に向かい走り出した。

 邪神は体の半分まで割かれながら、ペスカと冬也を一瞥する。そして、剣を胴に留めたまま、肉体を再生させる。
 シグルドの剣は邪神の胴に埋まる。力を入れて抜こうとしても、びくともしない。焦るシグルドの姿を楽しむ様に、邪神は手刀を振り上げた。
 邪神の口は裂けるように割れ、瞳は爛々と輝く。そして手刀がシグルドに向かい振り下ろされる。まさに斬られようとした瞬間、シグルドの体は横から体当たりされ、吹き飛ばされた。

 邪神の手刀は空を切る。忌々しいとばかりに冬也を睨め付け、再び振りかぶる。その瞬間を冬也は見逃さなかった。
 邪神の振りかぶった手を左手で押さえた冬也は、右手で胴に埋まるシグルドの剣を抜く。そして剣をシグルドのいる方角へ投げると、謁見室全体に響き渡る程の大声で叫んだ。

「目を覚ませシグルド! お前の正義を果たせ! それが出来ないなら、すっこんでろ!」
「とうや……。何を……」

 吹き飛ばされたシグルドは、呆気に取られ動けずにいた。ただ、冬也と邪神の姿を見つめていた。

「混血の分際で、僕の楽しみを奪うなよ」

 低く響き、全て凍りつかせる様な声で、邪神が忌々しそうに呟く。

「何言ってんだてめぇ! 馬鹿じゃねぇのか?」

 冬也の言葉で、邪神の表情は一変し、能面の様になる。

「僕にそんな事を言った奴は、君で二人目だよ。混血の分際で神を舐めた罰、教えてあげないとねぇ」
 
 邪神は手刀を振りかぶり、冬也に襲い掛かる。その手刀は冬也に届く事は無く、冬也は剣で受け止め弾き返す。弾き返した剣を返す様に振り下ろし、冬也は邪神に斬りかかかる。
 邪神は冬也の剣を避けようとするが、僅かに腕を斬りつけた。斬りつけられた腕の傷は元に戻る事は無く、邪神は僅かに表情を曇らせた。

「やっぱり邪魔だな。君から殺すよ混血」

 邪神は次に手刀を横薙ぎに振るうと、鋭い風の刃が冬也を襲う。冬也は、剣を真上から振り下ろし、風の刃を両断した。
 次の瞬間、邪神が光を放ち姿を消す。一瞬で冬也の後ろに回り込むと手刀を振り下ろす。冬也は振り向き様に、手刀もろとも邪神の腕を斬り払う。邪神は叫び声を上げ、後方へと逃れた。

 邪神は斬られた腕を、もう片方の手で押さえる。能面の様に、表情を消していた顔は酷く歪み、怒りに満ち溢れている。わなわなと体を震わせ、憎悪は臨界点を突破しようとしている。
 神に痛覚が有るかは、わからない。しかし、敢えて冬也は言い放った。

「おい! 痛いか? 痛いかよ? それが痛みだよ! お前はその何倍もの痛みを、人に与え続けたんだ。今更、謝って済むと思うなよ! 俺がお前を調伏してやるよ」
「貴様ぁ! よくもよくも!」

 邪神の顔が殺意に染まり、淀んだ様な黒いマナが体から漏れ出した。黒いマナは謁見室に充満し始める。ただその瞬間、黒いマナを吸い込んだシグルドが、途端に苦しみ始める。
 冬也はシグルドを見やると、黒いマナをまき散らす邪神に向かい、剣を振り下ろす。

「消え果ろ、この野郎!」

 冬也は黒いマナごと邪神を斬り払おうとした。すると、謁見室中に充満した黒いマナは消えうせ、邪神の姿もなくなっていた。
  
「シグルド無事か?」
「あぁ、すまない冬也」
   
 辺りを警戒しながら、シグルドに声を掛ける冬也。シグルドは視点の定まらない目で、冬也を見つめて答えた。
 邪神は消滅していない。それは、謁見室に満ちる濃密な殺意からも、よくわかる。少しでも気を緩めれば、狂ってしまいそうな強烈な殺意。それは、冬也に向かい放たれている。
 邪神が姿を消そうとも、謁見室に静寂は戻らない。やがて上方から、おどろおどろしい声が響く。声と共に謁見室が真っ黒く染まる。

「この腕の恨みは、命一つでは足りないぞ!」
 邪神の言葉は、一つの鍵であった。そして仕掛けた罠を発動させる。

 後ろで倒れていたシグルドが立ち上がる。黒いマナを吸い込み、その目を真っ黒に染めたシグルドは、冬也に向かい剣を振りかぶった。
 冬也には、一瞬の油断が有った。濃密なロメリアの殺気に紛れて、シグルドが剣を向けた事に気が付かなかった。戦いでは、その油断が命取りになる。邪神が高笑いをする姿が見える。しかし、冬也の頭部まで数センチまで迫った時、剣はピタリと止まった。

 邪神は、一つの誤算をしていた。

 天才と呼ばれたペスカを失ったエルラフィア王国で、精神的支柱になっていたのは、まごうこと無くシグルドである。
 極限まで技を鍛えても、強くなったとは言えない。そこに必要なのは、心の強さである。厳しい鍛錬の末に鍛え上げられた精神力は、簡単に折れたりはしない。ましてや、英雄ペスカの代わりに、国を守って来たのだから。

 その精神力こそが、神の力に抗っていた力だ。それこそが、シグルドの本領だろう。シグルドの目から黒が抜けていく。そして剣を下ろすと言い放つ。

「私を操れると思うなよ! この剣は、国と民を守る為に振るわれる! 友を斬るためではない!」
「貴様ぁ~、人間の分際で抗うかぁ~!」

 邪神の怒りが、更にヒートアップし、黒いマナが広がっていく。既に謁見室は、邪神の領域となっていく
 それは、神が遺憾なく能力を発揮できる空間である。特に邪神ロメリアの場合は、あらゆる悪意を糧とする。
 恐怖、殺意、憎悪等の悪意が入り交じる常軌を逸した空間は、既に人が抗えるレベルを超えている。邪神の洗脳を払い除けたシグルドでさえも、辛そうに顔を顰めている。

「貴様らには、神の鉄槌を食らわせてやる。消し飛べ!」

 天井を突き抜けて、謁見室を満たす様に黒い光の矢が降り注ぐ。冬也は剣と拳、それに足を使い、黒い光の矢を弾き飛ばしていく。
 そしてシグルドも同様に、剣を使い懸命に黒い光の矢を弾き飛ばす。しかし、勢いは弱まらない。

 冬也は邪神との戦闘を開始してから、始めて狼狽した表情を見せた。

 降り注ぐ黒い光の矢は、謁見室全体へと広がっている。だが、冬也には苦しむシグルドを庇う余裕どころか、トールを治療中しているペスカの護衛に回る余裕すらない。

 ただ、天才と呼ばれた魔法使いは、神の浅慮な策など簡単に凌駕して見せた。
 
「おに~ちゃ~ん!」

 その叫び声と共に、ペスカは自分の周囲に張っていた結界を、謁見室全体に広げる。そして雨の様に降り注ぐ黒い光の矢を、全て払い除けた。
 だがペスカは、トールの治療を続けている。結界に全力で注げた訳ではない。黒い光の矢が止むと共に、ペスカの結界も砕け散る。

 そして、邪神はその瞬間を見過ごさない。冬也の背を越える程に大きく黒い剣が、宙に出現する。それは、冬也に向かい振り下ろされた。冬也は剣で受け止めるが、勢いは殺せず吹き飛ばされた。

 黒い剣は次々に現れる。そして、冬也に向かい振り下ろされる。冬也は全てを受け止めるが、段々と数の多さに押され始める。
 だが冬也の危機は、シグルドの剣により救われる。ポーカーフェイスを保つ事が出来ず、苦しい表情を浮かべるシグルドが、冬也の前に立ち光速の剣を振るったのだ。
  
「助かったぜ。シグルド」
「お互い様だ冬也。君のおかげで、目が覚めた。邪神の洗脳を振り払う事も出来た」

 シグルドのおかげで、一瞬の余裕が出来た冬也は周囲を見渡す。ペスカは未だトールの治療で動けない。しかも結界を張り直す余裕は無い。
 冬也とシグルドは、ペスカを守る様に位置取りし、黒い剣を受け止め続けた。止まる事無く続く剣の嵐、二人は力の続く限り受け止める。

「冬也、このままではジリ貧だ。何か手は思いつかないか?」

 冬也の戦いを見続けていたシグルドは、冬也に光明を求めた。

「シグルド、ちょっとだけ耐えろ!」

 冬也は考える様に、一瞬目を閉じるとシグルドに答えた。そして、冬也は剣を床に突き刺し、呪文を唱え始める。

「大地母神フィアーナ。俺の母親なら力を貸してくれるよな! 悪意を粉砕しつくせ、トールハンマー!」

 冬也のマナが膨れ上がると、手には輝くウォーハンマーが現れる。冬也がウォーハンマーを振るうと、真っ黒な空間に亀裂が走り、割くような悲鳴が響き渡る。真っ黒な空間が粉々に砕けると、体中に大きな裂け目を作った邪神が倒れていた。
 神の力を借りて、神の空間を打ち破ったのだ。戦況を覆す、大きな一手となっただろう。

 しかし冬也とシグルドは、既に息が上がっている。邪神は倒れていても、直ぐに立ち上がるはず。消滅はしていないのだ、戦いは終わっていない。気を緩める訳にはいかない。そして、ペスカから声がかかる。

「トールの治療は終わったから、交代だよシグルド」

 ペスカは、トールを守る様にと、シグルドを下がらせる。そして、邪神に向かい身構える。そして邪神は、ゆっくりと体を持ち上げた。

「ふは、フハハハハハ。フハ~ハハハハ! ここまで追い詰められたのは、天地開闢以来初めてだ」
「まだまだ、終わらねぇぞ」
「そうだよ。今度こそ絶対にあんたを倒す!」
「ハハハ、良く言う。でもさ、流石に僕も力を使い過ぎた。貴様らは良く戦った。だが、そろそろ消えて貰う。神には決して抗えない事を知れ!」

 邪神は柏手をする様に手を叩き、大きな音を鳴らす。音が鳴った瞬間に、全員が頭を抱えて苦しみ始めた。

「くそっ、てめぇ!」
「うぁぁぁ、ロメリア゛~!」

 これまで何度もロメリアの力に対抗し続けた冬也のマナは、既に限界を迎えようとしてた。歯を食いしばり堪えた所で、これ以上は戦える状態ではない。
 やがて膝を突き、遂には意識を失い倒れる。一方のペスカは意識をギリギリで保ち、シグルドとトールを魔法で謁見室の外に吹き飛ばした。
 シグルドは朦朧としながらも、這う様に謁見室に戻ろうとするが、力が入らず動けない。

「ペスカ様、何を!」
「あんたは国を守りなさい。こいつは意地でも私が何とかする!」

 シグルドを逃がそうとするペスカに、邪神は目を吊り上げ睨め付ける。

「残り少ないマナで君が何を出来るんだ? ここで皆殺しにしてやるよ!」
「お断りだよ! ここで滅びろ邪神。この世界は壊させない!」

 ペスカは痛みに耐えて立ち上がり、呪文を唱える。

「貫け、神殺しの槍! ロンギヌス!」
「それは、前に見たよ。通じないんだよ!」

 邪神の領域は既に破壊され、かなりのダメージも負っている。それでも、防ぐのは容易いと考えたのだろう。ロメリアは黒いマナを噴出させ、自身の前に障壁を作り出す。

 それは完全な誤算であった。

 ペスカが作り出した槍は、障壁を突き破り邪神の肩を貫く。邪神が大きな悲鳴を上げるが、ペスカは間髪入れずに呪文を唱える。

「刺し貫け、ロンギヌス! 邪悪を滅殺せよ」

 邪神に向かい魔法の槍が飛ぶ。それを食らえば、流石の邪神でも消滅の危機に陥る。邪神は有らん限りの力で、ペスカの魔法に対抗した。

「あぁぁぁぁ~! 向こうに送ってやるよ~!」

 邪神は、ペスカが作り出した槍を、避けようとせずに手を叩く。すると邪神の眼前で空間が歪み、ゲートが出現した。そのゲートに、魔法の槍が吸い込まれる。
 ペスカは力を振り絞り魔法を放つが、全てゲートに吸い込まれる。やがてゲートは、ペスカの魔法だけで無く、倒れた冬也も吸い込んだ。

「おに~ちゃん!」

 ペスカが冬也に気を取られた瞬間であった。邪神の放った黒い光の矢が、ペスカの肩を貫いた。邪神の矢は、ペスカのマナと生命力を奪い取って行く。

 トールの延命、結界の拡大、大魔法の連続行使と、ペスカのマナは枯渇寸前であり、限界を超えて戦いを続けていた。
 ペスカはマナと生命力を奪われると、力尽きて倒れゲートに吸い込まれた。

「ここまでやったら、流石に目を付けられたろうな。そうだ! 貴様らの世界は楽しそうだし、傷を癒すついでに向こうで遊んでやろう!」

 ペスカと冬也がゲートに吸い込まれた後、邪神は独り言ちゲートを潜る。邪神がゲートを通ると手を翳し、ゲートを完全に閉じた。
 謁見室には、戦闘で遺体確認が出来ない程に砕けた死体だけ残された。この戦いで生き残ったのは、謁見室から放り出されたシグルドとトールだけだった。
 邪神が作り出した空間に、ペスカと冬也は呑み込まれていった。そして同じ空間に、邪神が入り消えていった。
 体を動かす事も出来ず、ただその光景を見つめるしかなかったシグルドは、その衝撃を受け止めきれなかった。

 一人の勇敢な男が滂沱の涙を流す事は、人生の中で何回有るだろう。悔しさで、涙を流す事が、何回有るだろう。床に何度も拳を叩きつけ、血塗れにする事が、何回有るだろう。
 悔しさを乗り越えた時に、人は成長すると言う。だが絶望は、どう処理すればいい。折れた心は、どう戻せばいい。

 力の差を感じ、それでも懸命に抗ったのなら後悔はないのか? いや、違う。後悔はいつまでも己を苛み続ける。それを晴らすのは、戦いの中でしかない。
 だが、既にその対象は姿を消した。何処にいるかもわからない。例え、居場所がわかっても、決しては届きはしない。

 もっと戦えた。もっと役に立てた。ペスカは、この世界の希望なのだ。それを守る為に、着いてきたのだ。何故、守れなかった。あの時、怒りに流されなければ、事態は変わっていたかもしれない。もっと冬也と連携して戦っていれば、倒せたかもしれない。後一息のはずだった。

 いや、違う。自分に勝てない冬也が、邪神を傷付ける事が出来た。邪神に洗脳を施されても、逃れる事が出来たのは、冬也のおかげだ。
 邪神が作り上げた空間に体を蝕まれ、立つ事さえ困難だった自分を、助けてくれたのは冬也だった。邪神の空間を壊し、攻勢に転じる事が出来たのも、冬也のおかげだ。そして自分を庇い、尽きかけたマナで邪神を追い詰めたのは、ペスカだった。

 自分は何も出来ていない。唯の足手纏いだ。何が王国一の剣士だ。何が王国最強だ。自分は何も守れない。自分は何も出来ない。最低だ。最低だ。最低だ。最低だ。最低だ。
 
 何が足りない? 覚悟か? 信念か? 技術か? マナか? そのどれでも有り、どれでも無い。わかっている、圧倒的に何もかもが足りないのだ。未熟過ぎるのだ。
 どれだけ後悔しても遅い。どれだけ涙をながしても、大切なものは帰ってこない。それが現実で。それが事実だ。

 負けたのだ。完膚なきまでに叩きのめされて、負けたのだ。

 シグルドの脳は、情報を整理しようと、凄まじい勢いで回転を続けている。しかし、心はそれを良しとはしない。自分の命など惜しくはない。それよりも、大切なものがある。それを守れなかったのが、悔しいのだ。
 シグルドの涙は止まらない。悔いても悔やみきれない。後悔と喪失感が同時にシグルドを襲い、心は張り裂けそうになっていた。

 しかし、時が止まる事はない。刻々と秒針が時を刻む様に、未来は現実になっていく。そして、シグルドの横で倒れていたトールは、意識を取り戻した。

「ここは? 私は一体?」

 トールは状況が理解出来ずに頭を揺らすが、直ぐに我に返り起き上る。トールが起き上り周囲を見回すと、閲覧室の外で隣にはシグルドだけがいた。

「シグルド殿、何が起きた? 私は陛下に刺されたはず」

 トールがシグルドに問いかけるが、シグルドは涙を流したまま答える事はない。トールはシグルドの肩を揺さぶり、声を掛け続ける。だが、シグルドには反応がない。
 シグルドの尋常じゃない様子に、顔を青ざめさせトールが問いかける。

「何が起きたのだ、シグルド殿! 説明してくれ! 陛下はいったいどうなされたのだ? 皇后陛下は? 皇太子殿下は? 将軍閣下は? ペスカ殿は? 冬也殿は? 誰もいないのは何故だ? 教えてくれ! 私は陛下に刺されたはずだ! 覚えているぞ! 何故、私は生きている? 頼むシグルド殿、教えてくれ!」
 
 シグルドは重い口を開き、トールに事の次第を説明した。トールは震えて腰を抜かした様に座り込む。シグルドは泣きながら、何度も何度も床を殴り続けた。

「私は、私は、守る事が出来なかった。何も出来なかった。何をしていた。何を、何を! くそ、くそ~!」
 
 咆哮し、涙を流し続けるシグルドに、トールはかける言葉を持ち合わせていなかった。そして、シグルドから聞かされた余りの惨状を、受け止めきれずに滂沱の涙を流し始めた。
 トールも同じ、国を守る兵士なのだ。シグルドの気持ちは痛い程に理解出来る。二人は、ただ涙を流し続けた。

 シグルドは、謁見室内での出来事を一つ一つ思い出す。その度に悔しさが増す。だが同時に、掛けられた二つの言葉を思いだした。

 目を覚ませシグルド! お前の正義を果たせ! それが出来ないなら、すっこんでろ!
 それは冬也がかけてくれた言葉。その言葉に何度も救われた。

 あんたは国を守りなさい。こいつは意地でも私が何とかする!
 それはペスカからの最後の命令。

 二つの言葉は、シグルドの戦う意志を蘇らせる。

 後悔する程、お前は強くない。お前はまだ何もしていない。せめて使命を果たせ。国を守れ、大陸を守れ。
 シグルドの中で、何度も何度も繰り返される。姿を消した友の為、尊敬して止まない人の為に、自分のすべきことは泣き喚く事ではない。そして、シグルドは立ち上がる。

「トール殿、我々は我々の使命を果たそう。国を守るのは我々だ」

 静かに、呟かれる様に吐き出された言葉。それは己を奮い立たせ、後悔を呑み込み、一歩を踏み出させる。
 そしてトールはシグルドを見上げた。そこにシグルドという男の強さを見た。自分の手で、自分を抹消したくなる程の後悔を、呑み込む強さ。最後の命令を果たす為、使命を全うする為に前に進もうとする高潔さ。

 確かにまだ何もしてないのだ。何も守れていないのだ。これから守らなければならないのだ。自分も、この男の様に立たねばならない。命を救ってくれた恩人達の為に。恩人達の分も戦わなければならない。

「そうだな、シグルド殿」

 二人の男は、前を向いた。そして困難への道を突き進む覚悟を決めた。

 そこからの行動は早かった。 
 トールは兵を集め王宮と帝都の確認を行う。シグルドは、シルビア達に事のあらましを伝え、王都へ帰還命令を出す。
 二人はそれぞれに分担を決めると、走り出した。

「ペスカ様、冬也、この命にかけて誓う。もう何も奪わせない!」

 シグルドは、俊足の魔法で王宮から帝都を駆け抜け、シルビア達が待つ王都外に辿り着く。シグルドがシルビア達に説明を行うと、シルビア達は顔を青ざめさせ震えていた。

「ペスカ様、冬也君……」
「まさか、ペスカ様が」
「くそ、邪神め!」

 シルビア達の悔しさは、自分の比ではないだろう。なにせ、傍にすらいられなかったのだから。だが、自分と同じ様に後悔だけが先に立ち、身動きが取れない様にだけはしたくない。
 彼らもまた、自分の守るべき者達なのだから。悲しむ暇も、後悔する暇も、この三人には与えてはならない。

 怒りで震え涙を流す三人に向かい、シグルドは声を荒げて命令を下す。

「シルビア殿達は、出立準備を整えろ。私は王都へ至急連絡を入れる。泣いている暇は無い! 急げ!」

 シグルドが王都に連絡を入れる為、トラックに走る。シルビア達は涙を堪えて兵達に指示を出し、戦車とトラックを始動させた。
 シグルドの連絡を受け、王都に衝撃が走る。連絡を終えたシグルドは、シルビア達に指示を出した。

「全軍これから王都へ帰還する。セムス殿、メルフィー殿は、隊を率いて北方の戦線へ向かってくれ。シルビア殿は教会でフィアーナ神からお言葉を賜り、陛下に伝えてくれ。私は、帝都に残り事態の収拾に努める。全軍状況開始!」

 戦車とトラックを先頭にカルーア領軍五十名がゲートを潜り、王都へ帰還する。王都の帰還を確認したシグルドは、王宮へ引き返し走り始めた。

 ☆ ☆ ☆

 王都の帰還を果たしたシルビア一行を待ち受ける様に、近衛隊がゲートを囲んでいた。近衛隊と軽い打ち合わせを行い、セムス、メルフィーはカルーア領軍に指示をし、兵站の補給を急いで王都で行う。
 シルビアは、フィアーナ教会に走り、教会長に事情の説明を行い、礼拝堂へと案内されフィアーナ神との交信を始めた。

 教会長が祈りの言葉を唱えると、礼拝堂が光りフィアーナ神が降臨する。女神を前に膝ずくシルビアに、女神は優しく話しかけた。

「顔をあげなさいシルビア、久しぶりですね。事情は理解してます」
「フィアーナ様、ペスカ様達はどうなったのですか?」

 問いただす様に、シルビアは勢いよく女神に近寄る。

「落ち着いて、シルビア。結果から言うわね。ペスカちゃんも冬也君も生きてるわ」

 女神の言葉に安心した様に、体から力が抜けるシルビア。しかし、続く女神の言葉に再び顔を青ざめさせた。

「勿論ロメリアの奴も消滅して無いわよ。それにしても惜しかったわね。ペスカちゃんが、回復に力を使わないで、冬也君と一緒に攻めていたら、あいつを消滅させられたかも知れないのにね」
「ペスカ様はどちらに行かれたのですか?」
「日本よ! ロメリアの奴も一緒にね」
「ゲートは? ゲートは開かないんですか?」

 女神は指先を操る様に動かすと、シルビアに返答する。

「う~ん。駄目みたい。完全に閉じられてるわ。再びゲートを開けるのは、私でも時間が掛かるわよ。多分人間では無理ね。上手い事逃げたわね。これじゃぁ、直ぐには私達も手が出せないわ」

 シルビアは、ガックリと肩を落とす。しかし女神は言葉を続けた。あっけらかんとした言い回しであれど、その言葉には先を見据えた確かな助言が含まれる。

「まぁ、良いんじゃない? ロメリアの奴がいなくなったのなら、この世界の人達は安全でしょ?」
「ですが……」
「大丈夫よ! 私の血を分けた冬也君がいるんだし。それにあっちには遼太郎さんもいるから。いざとなったら連絡位はとれるわよ」

 呑気に笑う女神を、シルビアは声も出せず、ただ見つめていた。

「今のあなた達は、ロメリアが不在の間に、混乱した世界を正す事じゃない? 急いだ方が良いわよ! 傷を癒したロメリアがいつ戻って来るか判らないんだから」

 シルビアは襟を正して立ち上がると、女神に一礼し教会を後にする。シルビアはこの時、覚悟を決めていた。いつまでも、泣いている場合じゃない。英雄の後を継ぐのは、自分だと。
 シルビアが教会を出て王城に向かい走る頃、ぺルフィー達は補給を終え北の戦線に向かい出発した。
 そして走りながら、シルビアは心の中で呟く。

「ペスカ様。冬也君。無事でいて。私は私の役目を果たします。この世界は絶対に守るから」
 
 城門を通り近衛隊と合流し、シルビアは謁見室へ入る。シルビアは、エルラフィア王に詳細を報告する。

「なんて事だ。我が国はまたしても救国の英雄を失うのか」

 だがシルビアは、エルラフィア王の言葉に、毅然と答える。その目には確かな意志が籠っている。英雄の後を継ぐ者として、世界を救うという意思が。

「いえ、ペスカ様はまだご存命です。ロメリア神はいずれこの世界に戻ると思われます。今の内に事態の収拾を図りましょう」

 エルラフィア王は、大きく頷いた。

「良くぞ申した。そうだな、今が最大の好機だ。帝国の間に開いたゲートは何時まで開いている?」
「まだ半日ほどは、余裕がございます」

 シルビアの答えを聞き、エルラフィア王は大臣の数名に命令する。

「其方は、急ぎ近衛を率いてライン王国へ行け! シグルドと共にライン王国の復興を急げ!」

 続いて伝令兵に命じる。

「兵器が出来上がり次第、北の戦線に供給を急げ!」

 エルラフィア王は立ち上がり、大きな声で扇動した。

「ロメリア神不在の今、ここが正念場だ! ラフィスフィア大陸に平安を取り戻すぞ!」

 ラフィスフィア大陸の平安をかけた戦いが始まる。そして、ロメリアが起こす騒乱は、現代日本へと移る。