堅牢な城壁と城門に守られた先は、花の都だった。

 王都リューレは、王城から東西南北の城門へ続く大通りを中心に、四つの区域が定められている。東に貴族街、西に住民街、南に商業区域、北に工業区域、さらに東西を跨ぐ様に大きな運河が流れている。
 運河の川岸には様々な木々や、色とりどりの花が咲き乱れ、人々の憩いの場になっていた。均一の高さで建てられた石造りの街並みは、見た目にも美しく整然としており、通りに植えられた木々が景観の彩りを増していた。

 南門から入り注目を集めるシグルド達に対し、ペスカ達は北門に回り込みリューレへ入る。目的の場所は工業区域の先に有る。パレードのせいか行き交う人は疎らで、時折すれ違う人をギョッとさせていた。

「なあ、ペスカ。王様にも挨拶しといた方がよくねぇか」
「あ~、やっぱりそう思う?」
「そりゃそうだろ。流石に王様を無視すんのは駄目だろ。今後の事も有るんだしよ」
「まぁ仕方ないか。ちょろっと挨拶して、直ぐに王立魔法研究所へ行こう」

 国の関連は全てシグルドに任せてしまえば面倒はない。シグルドの事だ、爽やかな笑顔で首を縦に振るだろう。しかし、その代わり近衛騎士隊長としての面目を潰す事になる。
 せっかく足並みを揃えようとしているところだ。全てを丸投げとは行くまい。そうしてペスカと冬也は、目的地を王城に変更した。

 王城の周囲には、運河から流れる様に堀が作られており、大きな橋が堀の南側に掛けられていた。橋の前後には憲兵が並び通行許可を行っている。
 戦車を堀の横に止め、二人が通行許可を貰おうと憲兵に向かい歩き出すと、頭の中に声が聞こえた。 

 ″そちらではありません。こっちに来るのです″

「ペスカ、何か言ったか?」
「何も言ってないし、何も聞こえないよ」

 尚も憲兵に向かい歩くと声が続く。

 ″そちらではありません。早くこっちに来るのです″

「ペスカ、何か言ったろ」
「あ~あ~! 聞こえないったら聞こえない」

 顔を顰め耳を塞ぐペスカ。続く声の後に頭を抱え蹲った。

 ″無視をすると、罰を落としますよ″

「うぎゃ~! わかった。わかったから。ちゃんと行くから」
「お前、何やってんの?」

 冬也は首を傾げて、ペスカに問いかけた。

「お兄ちゃん。先に行く所が出来ちゃった」
「何言ってんだよ。王様の所に行くんだろ?」
「ほら、お兄ちゃんだって言ってるよ」
「さっきからお前、誰に話しかけてんだよ」

 ″いいから早く来なさい。次はもっと痛くしますよ″

 飛び上がる様にペスカは走り出した。そして冬也は、訝しげな表情で後に着いていく。
 ペスカが向かったのは、橋の近くにある大きな教会だった。ゴシック様式に似た荘厳な雰囲気の教会に、二人は足を踏み入れる。ペスカは修道士に人払いを命じ、礼拝堂へと向かった。

 冬也は訝しげな表情で、ペスカに問いかけた。

「だからさ、早く王様の所に行かなきゃ駄目だろ」
「そんな事は、あの人に言ってよ」

 ペスカが礼拝堂の中央に指を指すと、光が集まり人型を成して行く。やがて現れたのは、長い金髪にスレンダーな体つき、やや童顔な面立ちの光り輝く美女であった。

 突然現れた美女を、冬也は思わず二度見する。美女は柔らかな笑顔でほほ笑むと、冬也に向かい歩き始める。冬也の正面までたどり着くと、美女は冬也に飛びつき早口で捲し立てた。

「あ~冬也君、冬也君、やっと会えた。久しぶりね~。大きくなったわね~。私の背を越したんじゃない? 顔は遼太郎さんそっくりになったわね~。貴方はいつ交信しても、直ぐ忘れるんだから。まぁ、少しおバカな位が可愛いんだけど」
「いや、あんた誰だよ」

 永遠に続きそうな美女の言葉を打ち切る様に、冬也は体から美女を引き剥がして呟いた。見ず知らずでも女性に抱き着かれれば、普通の男性なら少しは喜びそうな状況である。しかし冬也は、あからさまに怪訝な表情を浮かべていた。

 冬也は潔癖という訳ではない。欧米風の挨拶も理解しているつもりである。しかし、会っていきなり抱き着かれ、しかも自分や父親の名前を出されれば、怪しいと思うのも当然だろう。実のところ、問題は冬也にあるのだが、本人は全く自覚していない。

 一方の美女は、冬也に素気無く扱われ、酷く悲し気な表情を浮かべていた。流石に美女を可哀想に思ったのか、ペスカが助け舟を出した。しかしその助け舟は、予想外の展開へと進む事になる。

「お兄ちゃん。女神様だよ、女神フィアーナ様。前に話したでしょ」 
「はぁ? 女神だ? って事はあんたがペスカを巻き込んだ神様か?」

 冬也は女神を睨め付けると、声を張り上げた。その勢いに女神はややたじろぎ、後退りながら返答する。

「誤解よ。冬也君。私がペスカちゃんを助けたのよ」

 冬也とて、これまでの経緯を理解しているつもりである。しかし、納得はしていない。人に宿命を押し付ける神が、何を言い訳がましく口を開くのか、ふざけるな。
 そして尚も女神を糾弾する様に、冬也は激しく捲し立てた。

「大体女神なら、何とかって邪神をあんたが倒せば良いだろ? それを何でペスカに押し付けるんだよ!」
「そうだそうだ~! もっと言ってやれ、お兄ちゃん! 自分はお兄ちゃんに会いたくて、顕現してるくせに」
「ややこしいから、ちょっと黙れペスカ!」

 背に隠れながら、茶々を入れるペスカを叱りつけ。冬也は尚も女神を睨め付ける。女神の表情がどんどん曇っていく。見ていてわかる程に、体を振わせて冬也の視線に耐えていた。

「か、神が人に直接干渉するのは、良くないのよ」
「はぁ? ふざけんなよ! ペスカに干渉してるのは、あんたも同じだろうが! どの口で、人に直接干渉するなって言えんだよ! 他人の喧嘩に割り込むのとは、訳が違うだろうが!」
「だから、何度も言うように」
「あんた、神様なんだろ? それなりの力を持ってるんだろ? なら、なんで神様同士で決着をつけねぇ! それが筋ってもんじゃねぇのかよ!」 
「私ってほら豊穣の女神だし、戦う力無いし。エルラフィアの作物が豊なのは、私のおかげなのよ

 少し前に自らが語った「冬也が馬鹿だ」と言う言葉を、女神自信がちゃんと理解していれば、この後の悲劇は回避出来たのかもしれない。
 もしくは冬也に対し、責任逃れの言い訳をせず、正直に真実を語れば、女神は悲しい想いをせずに済んだのかもしれない。
 だが、それは後の祭りである。既に冬也の表情は、怒髪天を衝かんとしている。

「下らねぇ言い訳してんじゃねぇ! それが戦わねぇ理由になんのかよ! そうじゃねぇだろ! 人間が苦しんでるのを助けてぇ。そんな気持ちが有るなら、なんで自分が動こうとしねぇ! 神様ってのは、あんただけじゃねぇんだろ? 邪神ってのがいる位だからな。他の神様を巻き込めば、邪神くらいは簡単に始末出来るんじゃねぇのかよ! そもそも神様ってのは、人間が太刀打ち出来ない相手だろ? なんで人間に相手をさせるんだよ! 何を望んでるんだよ! そんな無茶振りをしてっから、そんな邪神なんてのがのさばるじゃねぇのかよ! 違うか、あぁ?」
「一応補足するけど、エルラフィアの作物が豊なのは、私の品種改良の成果だよ」
「ちょっと、さっきから五月蠅いわよ。ペスカちゃん」

 再び茶々を入れるペスカに、女神は眉根を寄せて言い放つ。そして、冬也はペスカを庇う様に自分の後ろに隠す。それが気に入らなかったのか、女神は顔をしかめて冬也に問いかけた。

「冬也君。貴方はどっちの味方なの?」
「ペスカに決まってんだろうが。そもそもあんた何なんだよ、さっきから馴れ馴れしい」

 この言葉が、女神への止めとなった。ガックリと項垂れ、女神は崩れる様に両膝を突く。その瞬間、俄かに礼拝堂の空気が騒めき、どこからか雷鳴が轟きだす。
 泣いているのか、女神からはぽたぽたと雫が落ちていた。暫くの間、沈黙が続く。そして女神はゆっくりと顔を上げて、冬也に囁いた。

「冬也君。お母さんの顔を忘れちゃったの?」
「はぁ? おふくろ? おふくろは死んだよ。何言ってんだ? 馬鹿じゃねぇの」

 冬也の言葉は、女神から更に大粒の涙を溢れさせた。教会の外からは、叩きつける様な雨音が聞こえ始める。流石のペスカも、憐憫の眼差しで女神を見た後に冬也へ説明をした。

「お兄ちゃん。あの女神様がお兄ちゃんのお母さんだよ」
「そんな訳無いだろ。それとも死んでこっちの女神になったのか?」
「逆だよお兄ちゃん。女神様が日本でお兄ちゃんを生んだの」

 ペスカの言葉に、冬也は声も出せない程に気が動転した。女神は嗚咽し、ぐずぐずと鼻をすすりながら話し始めた。

 ペスカの転生先を日本に決めた女神は、見知らぬ世界にただ放りだすのは可哀そうだと、安住先をさがした。そんな時に出会ったのが、冬也の父遼太郎であった。
 すぐに女神と遼太郎は恋に落ち、生まれたのが冬也だった。冬也が生まれた後に、ペスカ達の事を遼太郎に託し、女神はこの世界へと戻った。

 冬也は説明を聞かされ言葉を失くしていた。当然だろう、青天の霹靂と言っても過言ではないのだから。女神の説明を信じる事が出来ない冬也は、事情に詳しそうなペスカに助けを求めた。

「俺が神様の子? 何だその勇者設定! 普通を絵に書いたような一般人だぞ」
「まぁ、事実だから仕方ないよね。不思議に思わなかった?」
「なにが?」
「この世界に来ていきなり魔法が使えた事だよ」
「それは、確かにな」
「それにお兄ちゃんは、戦闘用の荷車を一人で動かしたでしょ? かなり訓練した人でも、荷車を動かしつつ、大砲を撃つなんて事出来ないよ。ましてやそんな状態で、あの荷車を丸一日動かしてたんだから」
「ちょっと待て! マナがどうのって、シグルドには使いこなせてないって言わればかりたろ? 多少多いにしたって、お前の謎体操が原因だろ?」
「謎体操、言うな! あの瞑想は、マナをコントロールし易くする修行だよ。シグルドが言ってるのは、普通の人とは次元が違うって話し! 元々、お兄ちゃんのマナ容量は、人間レベルを超えてるんだよ」
「でもよ。親父は言ってたぞ。お袋は居なくなったって」
「それで死んだと思ってたの? 馬鹿なのお兄ちゃんは? いや馬鹿だったか」
「いや、でもよ。俺は普通の人間だぞ」
「あのね、お兄ちゃん。普通の子供なら、パパリンの修行は過酷過ぎて死んでるよ。あれは、虐待とかそういうのを遥かに超えてたんだから」

 言われてみれば、思うところが有る。体は頑丈だったし、怪我の完治は他人よりも早かった。例え骨が折れても、直ぐにくっつくと思っていた。だから無茶が出来た。
 目の前の女神が、母だと言われても実感がない。しかし、ペスカを守る為に生まれて来た。それだけは確かなのだと冬也は確信した。

「そう言う事です、冬也君。わかったなら、母の胸に飛び込んでおいで」
「嫌だよ。馬鹿だろ、この歳になって」

 先程までの涙が嘘の様に、満面の笑みで女神は両手を広げる。しかし、それもまた素気無く冬也に断られる事で、女神は少し項垂れていた。
 しかし、女神は顔を上げ、ペスカに視線を送る。少し真剣な表情になった女神に対し、緊張感をペスカは感じた。

「ところで、ペスカちゃん。ロメリアは、恐怖や悪意の様な感情を食い物にする神って言ったよね。なのにあのざまって」

 ペスカは俯き口を噤む。確かに邪神ロメリア戦では、怒りで我を忘れていた。言い訳のしようがない。そして、女神の説教は続く。

「憎悪に呑まれては駄目。愛よ、愛。後は二人で何とか頑張ってね~」

 そう言い残すと、女神は消えて行った。だがその呆気なさに、暫く二人は言葉を忘れて立ちすくんだ。

「愛で倒せって意味わかんねぇよ。馬鹿だろ、あの女神」
「そうだね。あのロリババア」

 疲れ切った表情で二人が教会から出ると、道は水浸しになっていた。天候まで操れるなら、てめぇが何とかしろよと、冬也は気を悪くしていた。ひとしきり疲れ、重い体を引き摺る様に、二人は王城へ向かうのだった。