妹と歩く、異世界探訪記

 モンスターの大軍を蹴散らしたケーリアとペスカ達は、王都民から喝采を送られた。

 モンスターが王都を埋め尽くした時、誰もが死を想起させた。しかし、死の脅威は消え失せた。それは一時的な平和なのかもしれない。そして、自分達は勝利した。生きる事を勝ち取ったのだ。

 ペスカ達に送られた喝采は、勝利の喜びである。

 喝采を受けたペスカ達四人は、一様に疲れた表情を浮かべていた。食事もそこそこに、交代で仮眠を取るだけで、碌な睡眠も取らずに戦い続けて来たのだから。
 自分達が倒したモンスターは、進路上にいる奴らだけ。この国のあちこちで、モンスターの被害に遭っている人々がいる。まだ終わりではない。
 しかし、王都を囲む大軍を消滅させた事で緊張の糸が切れたのか、どっと疲れが込み上げて来た。
 結界を張り終えたペスカは、ケーリアに懇願する様に語りかける。

「ケーリア。悪いんだけど、部屋を三つ用意してくれない。ちょっと私たち休みたい」
「三つ? 四つではなく?」
「三つで良いの」
「承知しました。直ぐに用意させます」

 ケーリアは少し首を傾げながらも了承し、官職達に指示を送る。直ぐに部屋は用意され、ペスカ達は部屋へと案内された。疲れが顕著に表れていたのは、空と翔一であろう。口を開く事なく、案内に従って歩いていく。
 空、翔一と順番に部屋に入っていく。そして残りの一部屋は、ペスカと冬也が入っていった。空と翔一は、連日の疲れのせいか、頭が働いていない。流石の冬也も、気にする余裕が無かった。

 部屋に入ると直ぐに、空と翔一はベッドに身を任せる。冬也も部屋に入るなり、ベッドに飛び込み直ぐに寝息を立て始める。そしてペスカは部屋に侵入防止の結界を張り、冬也に布団をかけるふりをして、同じベッドに潜り込んだ。

 これは策士ペスカがもぎ取った、小さなご褒美であった。

 同時にケーリアも、国王から休息を厳命されていた。軽い食事を取りながら、周りの従者達にあれこれと指示を送る。そして与えられた部屋に入り、ケーリアはベッドに身を預けた。

 気持ちが荒ぶり、とても眠れる気がしない。しかし、本来なら動くはずの無い体を、無理に動かし戦ったのだ。体の疲れは既に限界を超えている。ケーリアは次第に眠りに落ちていった。

 その後、ペスカ達は丸二日の間、眠っていた。
 過酷な戦いを強いられて来たのだから、仕方が無いかも知れない。
 王都に到着して四日目の朝、ベッドの上で目を覚ました空は、ぼ~っとし未だ覚醒しない頭を働かせていた。

「あれ? ここどこ?」

「う~ん、そう言えば、頑張ってモンスターをやっつけて、ボコボコ道を車で走って、王都に着いて。そっか、王都に着いたら、部屋に案内されて、直ぐ寝ちゃったんだ~」

「でも、何か忘れてる気がするんだけど。ん? あれ?」

「ペスカちゃん達は、どうしたのかな~? あれれ? いや、まさかね。まさかだけどね」

 ベッドから飛び出し、空は部屋を出る。そして、たまたま廊下を歩いていた官職を捉まえて、問いただす。

「あの! ペスカちゃん、いや、私の友人はどこにいるんですか?」

 慌てた表情の空を宥める様に、官職の男は問いに答えた。

「お目覚めになりましたか、お客人。お仲間は、隣の二部屋でまだお休みなさっている様です」
「あ、あの! 女の子がいましたよね! その子はどの部屋ですか?」
「ペスカ殿ですか? 確か兄上とご一緒に、部屋に入られたと聞いております」

 その時ようやく空は悟った。

 あの時の自分と翔一は、疲れて頭が働かなかった。まさか、そんな時を狙って来るとは思わなかった。確かにペスカの疲れもピークを超えてたはず。しかしその土壇場で、ペスカは勝ちをもぎ取った。
 それならば何で冬也は、一緒の部屋を拒まなかったのか。いや、あの男の事だ、何も考えてなかったのだろう。
 そして、同じベッドで寝ているのだ。

 添い寝とか、添い寝とか~! 私だって、あんな事とかそんな事とか、キャ~!

 空は冬也の腕の中で眠る自分を夢想し、少し顔を赤らめる。しかし、出し抜いたペスカには、叱らないと気が済まない。

「鉄拳制裁あるのみ!」
 
 空は心の中で呟くと、力こぶを作りペスカの寝る部屋へ向かう。ペスカの部屋のノブを触ると、バチっと手が弾かれた。
 
「なっ! 結界? そこまでする~!」

 空は大声を上げて、戸を叩くが、何度叩いても戸を叩く音がしない。
 
「防音までしてるって訳~? 良いじゃない、ペスカちゃん。私を怒らせたら、どういう目に合うか教えてあげる。フフフフフフフフ!」

 ペスカ達の部屋の前で騒ぎ立てる空の周囲に、官職達が集まって来る。外が騒がしかったのか、翔一が目を擦りながら、部屋から出て来る。

「空ちゃん? 何してるんだい?」
「工藤先輩! 丁度良かった。この戸を破るの、手伝って下さい!」
「空ちゃん、物騒な事言わないで! 何が有ったの?」
「良いから早く! ペスカちゃんが冬也さんと添い寝で色々なんです~!」

 空の一言で、全てを察した翔一は頭を抱えた。

 面倒な事になった。空はヤンデレヒロインの様に、フフフと笑っている。自分では対処しきれない。

 頼む、冬也。早く目を覚ましてくれ。

 翔一はそう願いながらも、空に逆らえなかった。そして扉の結界を破る為の手伝いを始めた。

 一方その頃ペスカは、冬也にしがみつき、幸な顔で寝息を立てている。
 一番多くモンスターを屠り、マナを消費したペスカは回復に時間を要する。冬也も多くの神気を使った為、ペスカ同様に回復に時間を要する。
 冬也はペスカを気にする事無く、ぐっすりと眠り目覚める様子は無い。

 ドンドンと戸を叩く音は、消音効果により部屋の内部には一切聞こえない。久しぶりの冬也との添い寝を、たっぷりとペスカは堪能していた。
 
「開けゴマ! 開け、開け~! あ~もう、何で開かないのよ~!」
「そ、空ちゃん、落ち着いて!」
「落ち着けって何言ってるんですか工藤先輩! 馬鹿なの?」 
「すみません……」
「何か良い案出してください。工藤先輩は知能だけが取り柄なんですから!」
「結構酷い事言ってない?」
「はぁ? 何か言いました?」
「いえ、何も……」
「早く頭と手を動かして下さい、工藤先輩!」
「はい、わかりました」
「そうだ工藤先輩! ライフル取ってきて下さい!」
「空ちゃん、流石にそれは!」
「何か文句でも有るんですか?」
「いいえ、何でもありません」

 戸を開くまで優に三時間以上もかかり、空と翔一部屋への侵入を果たす。そして血相を変えた空は布団を引っぺがし、ペスカをベッドから引きずり落とす。
 ゴンっと鈍い音を立てて腰を打ち付け、ペスカは目を覚ます。だが依然として冬也は寝ていた。

「ペスカちゃん! 抜け駆けしない約束でしょ!」
「痛いよ! 何? 空ちゃん? 結界壊したの? 何してんの?」

 熱り立つ空に対し、ペスカは呑気に答えている。
 空はベッドからペスカを追い出すと、自分が冬也の横に滑り込む。その瞬間、我に返った様にペスカは目を覚まし、空をベッドから排除しようとする。

 こうして、冬也の添い寝をかけた、キャットファイトが始まった。
 翔一は関わるまいと、部屋を出ようとする。しかし部屋の中を覗き込む官職達で、戸の前が占拠されており出られない。
 ガヤガヤと喧しい部屋で、やっと冬也が目を覚ました。

「うっせぇぞ! 何してんだ!」

 冬也の鉄拳が、ペスカと空の頭に降り注ぐ。美少女二人は、頭を抱え部屋の中を転げまわった。
 
「翔一! お前がいるのに何騒いでんだ! 迷惑を考えろ! ちょっと来い!」

 部屋から逃げられずにいた翔一は、怖ず怖ずと冬也に近づく。そして傍観を決め込んでいた翔一にも、鉄拳が降り注いだ。翔一は痛さの余り、声を出す事が出来なかった。
 
 それから一時間、ペスカ、空、翔一は正座させられ、冬也の説教を喰らう。
 
「油断してる冬也さんが悪いです!」
「そうだよ! 私は悪くないよ!」
「冬也、僕は巻き込まれただけだよ」
「うるせえ! 黙れ!」
「はい!」
「ごめんなさい!」
「済まない冬也!」
「沢山の人に迷惑をかけたんだ、誤りなさい!」
「空ちゃんが迷惑をかけて、すみませんでした」
「ペスカちゃんが迷惑をかけて、すみませんでした」
「この子達が迷惑をかけて、すみませんでした」

 冬也に叱られすっかり静かになった三人は、戸を覗き込んでいた官職達に頭を下げる。三人の言葉を聞けば、然程反省していないのがわかる。しかし国を救った者達に、感謝はすれど文句は言えまい。官職達は、恐れ多いとばかりに、恐縮していた。
 
「まぁその位で、良いのでは無いですか?」

 官職達で囲まれた、戸の後ろから優し気な声が聞こえる。官職達は振り向くと、直ぐに膝をつく。そして官職の一人が問いかけた。

「陛下、何故ここへ? それにケーリア将軍も」
「なにやら騒いでいると聞いてな」
「ペスカ殿が目を覚まされたのだろう?」

 急いで官職達は戸の付近から退き、国王とケーリアを部屋へと通す。そして、部屋の中へ入るなり、国王とケーリアは頭を下げ、ペスカ達に感謝の言葉を重ねた。

「この度は誠にありがとうございます、ペスカ殿達が駆けつけてくれなければ、死んでいたかもしれません」
「聞けば各町を巡り、住民達を救ってくれたとか、其方らには感謝の言葉も幾重に重ねても足りぬ」
「情報が早いですね。まぁ私達はやるべきことをやった迄ですよ」

 ペスカは立ち上がり、国王達に答える。立ち上がる際に、脚が痺れたふりをして冬也に抱き着く、チャッカリを忘れないペスカであった。

「出来れば詳しいお話を聞きたい所です。ここでは何ですから、食堂へお越しください。直ぐに食事を用意させます。陛下よろしいですね?」
「構わん。それとペスカ殿等は、何かと物入りだろう。せめてもの恩だ。必要な物は何でも用意してやると良い」
「畏まりました陛下。では、皆さまどうぞ」

 食堂に入り、各々が腰かける。そして食事の準備が整うまで、情報交換が始まった。

 ペスカはシュロスタイン王国やアーグニール王国でのこれまでの出来事や、邪神ロメリアの関与についてを話して聞かせる。
 国王からは、シュロスタイン側との通信が行われ、国王同士の会議が行われた事。戦場の混乱を治めたモーリスが残った兵を引き連れて、残ったモンスターを駆逐し始めている事を知らされた。
 しかし、グラスキルス王国とは通信が行えず、状況は分からないとの事だった。

 やがて、料理が運ばれてくる。何せ丸二日も寝ていたので、お腹が減っている。
 
 いきなりガツガツ食べるとお腹を壊すかも知れない、そう考えた料理長が出したのはスープであった。
 トマトをベースに、細切れの野菜を煮込んだスープ。これは、味付けをシンプルにして野菜の味を引き出した、料理長の自信作である。お腹に染み渡り、体をじんわりと温めていく優しい味に、ペスカ達はほっこりと頬を緩めていく。

「ミネストローネみたいな味だな。うめぇな」
「うん。おなかに優しい味だね」
 
 続いてサラダやパンが出された後、肉料理へと移る。空腹であったせいか全員が完食し、満足げな笑みを浮かべていた。 

「では、ペスカ殿は直ぐに出立されると」
「ケーリア。あんたやモーリスがいてくれれば、シュロスタインやアーグニールはもう大丈夫でしょ? まだ嫌な予感がするんだよ。早く西に行かないと、手遅れになりそうな気がする」
「まぁあの糞野郎の事だ、何して来るかわかんねぇからな。あんた等、油断すんなよ!」
「わかっています、冬也殿。この国はお任せ下さい。モンスター掃討後、我等もグラスキルスへ馳せ参じます」
「ケーリア。助かるよ。でも無理はしない様にね」

 食事を終えたペスカは、ケーリアに兵站の補給を依頼する。それと、ガラス板数枚と魔石を数個用意させた。

「ペスカ、お前何作るんだ?」
「ん~。車の技術を応用した、モンスター感知器かな」
「何か手伝うか?」
「今はいい。でも明日一日、車の整備と調整をしたい。お兄ちゃんには、そっちを手伝って欲しいかな。出発は準備が整ってからにした方が良いかもね」

 部屋に戻ろうとするペスカの肩を、後ろからしっかり空が掴む。

「ペスカちゃん。冬也さんとは別の部屋ね。それか私と同じ部屋」
「嫌だ~! 兄妹の触れ合いを邪魔すんな~! それと残念ながら、部屋は余分に用意できませんでした~!」
「じゃあ、次は私と冬也さんが同室になる!」
「馬鹿言ってんじゃねぇ! 兄妹ならまだしも、年頃の男女が同じ部屋は不味いだろ!」
「冬也さん。ペスカちゃんばっかりずるいです!」

 顔を真っ赤にして、空は憤りを示す。しかし、冬也は譲らない。
 
「取り敢えず今日は、みんな体を休める事! この後だって、しんどい事が続くんだからな」

 ペスカは、空に向けて舌を出して挑発する。空は沸騰したヤカンの様に、怒りを露にする。朝のキャットファイトが再び始まろうかと、ペスカと空は視線をぶつけ合わせる。
 翔一は今度こそ巻き込まれない様にと、無言で部屋に戻った。

「ペスカはちょっと来い! 空ちゃんは、ゆっくり体を休めるんだ。良いな!」

 ペスカが冬也に引きずられて、部屋に入ると空は独りになった。そしてこの一連の行動が、空の不満を募らせる事になる。
 兄妹だから許されるなんて不公平だ。ペスカばかりが優遇されて、自分はいつも蚊帳の外。冬也を守りたくて、ここに残ったのになんで一緒には居させてくれない。

 何でいつも、ペスカちゃんばっかり! 
 何で、私じゃ駄目なの?
 冬也さんの馬鹿!

 空の嫉妬は、高まっていた。隠れ潜む嫉妬の女神でも気が付く程に。

 連日の生死をかけた戦いの中に、やっと訪れたひと時、戦士達の休息。しかし未だ闇が晴れない、ラフィスフィア大陸。これは、平和を取り戻す為に、ペスカがしかけた布石であった。
 空を独りで廊下に残し、ペスカを連れて部屋に入った冬也。部屋に入るなり、ペスカに問いただした。

「何で空ちゃんを、あんなに挑発したんだ! 何考えてんだ!」
「ちょっと面倒だから、そろそろ一人消えて貰おうかなって」
「まさかお前! 空ちゃんをこんな所に、残して行く気か?」
「違うよ! 変な勘違いしないで」
「じゃあ、どういうつもりなんだよ!」
「お兄ちゃんは、結界にありったけの神気を注いで、強化して来てよ。後は私に任せて!」

 ペスカは笑みを深めて、冬也に抱き着いた。しかし冬也はペスカの思惑を、いまいち理解が出来ない。仏頂面でペスカを引き剥がすと、冬也は部屋を出る。そして扉の外では、未だポツンと佇む空の姿があった。 
 空を想っての言葉だろう。しかし強めの言葉に、空は少したじろぐ。

「何してんだ空ちゃん! 休めって言ったろ! 早く部屋に戻ってろ!」
「あ、あの冬也さん、私」
「ペスカの頼み事で急いでるんだけど、何だ?」
「ペスカちゃんの?」
「どうした空ちゃん?」
「いえ、いいです……」

 走り去る冬也の後ろ姿を見つめて、空は寂し気に呟いた。

「冬也さんの馬鹿! 冬也さんの馬鹿! ペスカちゃんばっかり!」

 空の中に渦巻く嫉妬の情念。溜め込んだ想いが、戦いのストレスにより爆発した。
 そんな情念を操る者にとっては、恰好の餌になるだろう。一部始終を陰から覗いていた影は、舌なめずりをして下卑た笑い声を上げる。

「これを待っていたのよ。人間とは、何て愚かな生き物なのでしょう」
「メイロード、何をするか知らんが、無茶はするな」
「愛しき君、お任せあれ。今宵我等の下僕を、増やしてご覧に入れましょう」

 鷹揚に語ると、メイロードは姿を消す。暗く淀んだ空間に、独り残された邪神ロメリアは、深く息を吐いた。

「あの女もこれまでか。役に立ったが仕方ない。それより思ったより早く、供給がまた一つ途切れたな。仕方ない帝国にいる死者の軍団を東に向けよう。三日もあれば中央周辺は、死者の軍団で埋め尽くせるはずだ。待っていろ、クソガキ共。もうすぐだ」

 ☆ ☆ ☆ 

 王都各所に配置してある魔石に神気を注いで、結界を強化する。その為、冬也は王都中を走り回っていた。その間ペスカは、ケーリアの下に赴き、軽い打ち合わせを行う。ペスカの話を聞いたケーリアは、王の下へ行く。

 ドタバタと騒がしい王城の中で、空は独りベッドに蹲っていた。

 なんで、いつもペスカちゃんばっかり。ペスカちゃんさえ、いなければ。空は思考の渦に呑み込まれていく。

 やがて日が暮れる。そして夕食の場に、空は顔を出さなかった。気にかける翔一に、手を出すなとペスカは言う。
 翔一は、いたたまれない空気を感じ、そそくさと逃げ出す様に、部屋へと戻っていった。

 そして、誰もが眠りにつく夜更けに、事態は進行した。

 城内は物音一つもせず、静まり返っている。衛兵の影すら見えない。そして城の中に、一つの影が現れた。影は静かに移動し、空の休む部屋へと入っていく。影は静かに眠る空の枕元で、囁き始めた。

 愛しい男をこの手にしたく無いのか? 邪魔な小娘を排除すれば、あの男が手に入るのだぞ。
 奪ってしまえ、あの男はお前の物だ。殺してしまえ、あの娘から男を取り返せ。さあ奪え、さあ殺せ、愛をその手に掴め。
 何も躊躇う事は無い。何もお前を止めはしない。お前の好意は正しいのだ。お前の好意があの男に届かないのは、あの娘が悪いのだ。

 奪え、殺せ、掴め、その愛は、お前の手にこそ相応しい。
 
 その魂を、真っ黒に染め上げようとする、誘惑の囁き。嫉妬のメイロードは、空の魂を引きずり込もうと、囁き続ける。

 眠る空は、唸り声を立て始める。
 
「殺せ、殺せ、ペスカを殺せ」

 そうだ。殺せ。殺すのだ。お前の愛が正しい事を証明するのだ。
 メイロードの囁きは続き、空の呻く様な声は、段々と大きくなっていく。

「殺せ、邪魔なペスカを殺せ」

 邪魔であろう。憎かろう。ならば、殺せ。娘を殺せ。お前ならやれる。お前は正しい。
 
「殺せ、殺せ、うぁ~、殺せ~!」

 空が目を開け立ち上がる。虚ろな目をした空は、ゆらゆらと体を揺らしながら、ベッドから降り部屋を出ようと歩き出す。
 そして朝の騒動の際、翔一に持って来させた、ライフルを手にする。空はライフルを抱えてマナを込める。ゆっくりと、歩きながら入り口に近づく。

 メイロードは、ほくそ笑んだ。

 憎き小娘に一泡吹かせてやれると、笑っていた。メイロードの中には、仲間の手で傷を負うペスカの姿が浮かんでいたのだろう。

 こんなもので、簡単に殺せるクソガキ共ではない。生意気な小娘に、半神のガキは特に力をつけている厄介な存在だ。
 それに黒髪の小娘は、直ぐに我に返るだろう。だがそれでいい。黒髪の小娘が我に返った時、仲間を傷付けた事に深く後悔する。

 嫉妬と後悔の狭間で苦しむ黒髪の小娘を、完全な洗脳状態にするのは造作もない。後は黒髪の小娘を使って、奴らを攻撃を続ければいい。
 仲間に手は出せないだろう。そこに油断が生じる。それにクソガキ共は、怒り狂うはずだ。その怒りは愛しき君への力となる。

 メイロードが夢想に耽っている、その瞬間だった。空がライフルを撃つ。そして放たれた光弾は真っ直ぐに進み、メイロードの腹に大きな風穴を開けた。

「ぐぅあぁああ、何をする貴様ぁ~!」
「何をするって、あんたの言い付け通りに殺すのよ」
「何を言っている! 貴様ぁ、何者だぁ!」
「失礼ね。私の顔を見忘れたの? 東京では世話になったね、メイロード!」

 メイロードは、動揺を隠せなかった。

 狙いは黒髪の小娘、憎きクソガキの仲間である。目の前に居るのは、その小娘で間違い無い。何故だ、あれだけの嫉妬心が有りながら、洗脳にかからない。何故だ、精神耐性でも有るのか?
 違う。問題はそこじゃ無い。精神耐性があろうとも、あれだけの嫉妬を、我が操れないはずが無い。何故だ。何故だ。

 困惑するメイロードの目には、黒髪の小娘がニヤニヤと笑う姿が映る。

 憎らしい笑みだ。神たる我を嘲笑うか?
 愚か者には死を!
 異界の都市を一瞬で崩壊させた何倍もの神気で、大陸東を全て破壊してやる!

 メイロードの怒りは頂点に達し、神気を解き放とうとする。しかし、神気を開放する事が出来ない。それどころか、神気を纏う事すら出来ない。
 
「何をした、小娘!」
「結界だよ。お兄ちゃん特製のね。あんた等は、混血ってバカにするけど、戦の神を両断したお兄ちゃんの神気を舐めんなよ!」
「何を言っている小娘! 何を言っているのだ!」
「馬鹿だね。あんたは、罠に引っ掛かったんだよ。こんなにあっさりと、引っ掛かるとは思わなかったよ。チョロ過ぎだよ! 本当に、馬鹿!」

 メイロードの目に映る娘は、徐に黒髪を取る。すると中から金の髪が現れる。娘が指を鳴らすと、姿が変わっていく。

「貴様ぁ! いつだ! いつ入れ替わった!」
「馬鹿だね、見落としたの? 朝食の後だよ。肩を掴んだ瞬間に、魔法が発動する様、仕掛けてたんだよ」
「ならば、あの嫉妬の渦は何だ?」
「精神魔法の一種でね。自己暗示みたいな物だよ」

 ペスカは、ライフルでメイロードの右肩を撃ち抜く。メイロードは、大きな悲鳴を上げる。しかし、この部屋自体に消音の結界が張られており、音が外に漏れる事は無い。

「そもそもね、空ちゃんは、あれでかなり根性の座った子だから。あれしきの事で私に嫉妬する位なら、堂々と私に挑戦して来るよ」

 ペスカは、更にメイロードの左肩を撃ち抜く。

「考えが甘いんだよ、メイロード。人を誑かすだけで、あんた自身は何を成したの?」

 ペスカは、次に左足を撃ち抜く。

「神気が使えないあんたは、嫉妬に狂った只のオバサン。もうそろそろ、逝っときな!」
 
 ペスカは、メイロードの頭を撃ち抜く。頭を撃ち抜かれたメイロードは、ピクピクと蠢いている。

「復活は出来ないでしょ? 当然だよ。お兄ちゃんの神気の中だよ。さあ終わりだよ、メイロード。さようなら」
「させるかぁ~! まだだぁ~! 我がここで死ぬわけには行かぬのだぁ~!」

 それは、女神としての教示なのか、はたまた意地なのか。それとも、窮鼠猫を嚙むといった状態なのか。メイロードは溜めに溜めた嫉妬を一気に爆発させた。
 これはペスカに取って一世一代の賭けだった。

 仲間割れに見せかけて隙を作る。この作戦には、冬也に恋慕する空が一番適任だった。だが、空を囮にする訳にはいかない。王都へ向かう途中、空と打ち合わせし作戦を立案した。入れ替わるタイミングも、二人で図った。
 
 それでも相手は神。容易に引っ掛かるとは限らない。

 失敗すれば被害は大きい。正に綱渡りの作戦である。故に、城から全員退去させていた。だがペスカは綱渡りをしてでも、敵の戦力を削いでおきたかった。
 ロメリアだけで手一杯なのだ。更に一柱の神を相手には出来ない。しかもその一柱は、大陸全土を破壊しかねない、嫉妬の神メイロードである。暴走する前に、抑えて起きたい。

 ただ、たとえ罠に嵌っても、冬也の神気がメイロードの神気を、上回っていなければ失敗に終わる。

 メイロードが起こした爆発は、冬也の神気で張られた結界をビリビリと揺らす。爆風はペスカを吹き飛ばさんと吹き荒れる。部屋の家具は既に粉々に吹き飛んでいる。壁や柱でさえ、後欠片もない。

 ペスカは、二柱の加護を最大限に利用し、それに耐える。

 しかし、依然として爆風は収まらない。寧ろ、強まっていく。それは、メイロードが溜め込んだ嫉妬の力によるものだろう。それは、徐々に冬也の結界を蝕んでいく。
 ゆっくりと、ゆっくりと、爆風そのものが嫉妬の闇に変わり、辺りを浸食していく。

 ペスカに頭を撃ち抜かれて、蠢くだけの存在だったメイロードの体は、元の美しい肢体に戻っていく。そして、神気は膨れ上がっていく。

 冬也の神気によって守られている空間だ。それにも関わらず神気を使えるという事は、メイロードの力は冬也に勝るという事だ。

 そう、作戦は失敗したのだ。
 
 既に、冬也の結界は所々にひびが入り、崩れ去ろうとしている。そう、作戦は失敗に終わった。そして、メイロードはほくそ笑む。

「我の力を、混血如きが抑え込む? 笑わせるでないぞ!」

 そう言うと、冬也の結界を完全に崩そうと、メイロードは更に神気を高める。その時だった。

「それなら、俺も本気でてめぇを抑えりゃ良いって事だよなぁ!」
「そうです。冬也さん、ここからは私も全力です! 神の力さえ弾き返す私の能力を見せてやります!」
「空ちゃん、僕のマナを存分に使ってくれ」

 翔一が空にマナを渡し、城を包み込む様に空がオートキャンセルで冬也の結界を強化する。更に、冬也がそれに神気を上書きする。
 脆くも崩れ去ろうとしていた結界から、ひび割れが消えていく。メイロードの力を抑え込まんと強固になっていく。

「まだまだ、こんなものかと思うてかぁ~!」

 それに対抗しようと、メイロードはありったけの神気を結界にぶつける。既に爆風は、城全体を吹き飛ばそうと、暴れまわっている。

 メイロードの眼前にいるペスカは、自身の身体を守る為にマナを張り巡らせていた。しかし、一番の最前で嫉妬の力を受け続け、身体を支えるだけで精一杯のペスカは、上手く呼吸が出来ていない。このまま均衡状態が続けば、ペスカは酸欠で倒れるだろう。

「このまま、何も出来ずに死ぬが良い! 我を貶めようとした罰だ!」 
「ならば、我が大剣で禍々しい嵐を吹き飛ばしてみせよう!」

 女神との戦いに駆けつけたのは、冬也達だけではなかった。ケーリアもまた、アーグニールの将軍として城に残っていた。

「建物ならば建て直させばよい。しかし、人の命はそうは行かん。そして、お前の様な者を神とは認めん!」

 そして、ケーリアは大剣を振るう。振るった勢いは凄まじく、風を起こし暴風と完全に対抗する。
 それだけではない。ビシっビシっと音を立てて拮抗した風は、嫉妬の力で染められた闇を打ち払っていく。それは、ペスカに呪文を唱える隙を与えた。

「我が力、澱みを消す光となれ。我が力、悪意を払う希望となれ。その力を持って、我が敵を打ち滅ぼせ! 清浄の光よ来たれ、エラーリア!」

 僅かな隙を突いて発動したペスカの魔法は、ケーリアが起こした風の力を増幅させて、嫉妬の闇を払っていく。徐々に闇は収まり、暴風は完全に消え去る。

 そしてメイロードを待っていたのは、更なる敵の援軍だった。

「さて、子供達だけに戦わせるのも何ですし。私も少しは力を貸しましょうかね」
「其方がなぜここに!」
「妙な事を言いますね。貴女を捕まえる命が出てるんですよ?」
「原初ともあろう者が、地上の者に手を貸すのか! それこそ三法を冒していると思わんのか!」
「思いませんね。それに、私は腹が立っているんですよ」
「何を言っている! それは我の方じゃ!」
「生ける死者を作り出すなんて、言語道断です。死の領域を侵害してまで、やるべき事なんですか? それとも、私を敵に回す事も想定内でしたか?」
「当たり前であろう! 我が君の敵は原初の全て! 我が君に刃を向けるなら、其方とて例外ではないぞ!」
「それなら話しは早い」

 そう言うと、女神セリュシオネは指をパチリと弾く。その瞬間、結界内の空間に亀裂が走る。その亀裂は瞬く間に結界内に広がっていき、別の空間を作り上げる。

 それは只人が立ち入る事の叶わぬ、女神の領域。

 城に残っていたケーリアは、女神の領域から弾き出される。結界を張っていた空と翔一もまた、同じ様にはじき出された。

「まぁ、これでも私は優しいんです。だから、貴女に機会を与えましょう!」
「何をほざいておる!」
「ここに残った小娘と半神を殺せば、貴女を見逃して差し上げます。良い提案だと思いませんか? ここならば存分に力を発揮出来ます。それに憎いんでしょ? 小娘共が。殺せるチャンスですよ」
「其方ごと皆殺しにすれば良いだけじゃ」
「それが出来るんなら、やって見て下さい。貴女の様な雑魚に傷一つ付けられはしませんがね」
「言わせておけば、好き勝手に言いおって!」

 ペスカとケーリアによって鎮められた嫉妬の闇が、再びメイロードから溢れる様にして漏れていく。それは、切り離された空間を全て呑み込もうと広がっていく。

 それは、『地上での影響を恐れ神気を抑える』という神の本質から抜け出し、タガが外れたメイロードの本領なのだろう。

 しかし、セリュシオネの領域に居たのは、只人ではない。英雄と神の子だ。それも、戦いの中で力を増し続けている。抗えない道理はない。

 冬也は神剣を取り出すと、ケーリアを真似る様にして振るう。剣が軌道に沿って、闇が払われていく。

「我が力、澱みを消す光となれ。我が力、悪意を払う希望となれ。その力を持って、我が敵を打ち滅ぼせ! 清浄の光よ全ての闇を打ち払え、エラーリア!」

 ペスカの魔法は、周囲に広がった闇を一瞬にして消し去る。

 メイロードは、この時初めて真に理解を得たのだろう。今、殺さなければいけないのは、誰なのかという事を。
 それは、女神の領域を作り上げたセリュシオネではない。輝くばかりの才能を持った、妬ましい小娘共なのだ。

「あぁ憎らしい。あぁ恨めしい。なぜ、お前達はこうも我の邪魔をするのか。我が君に刃を向け様とするのか」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、かかって来いよ」
「地上で力を抑えなきゃいけないのは、別に神様の特権じゃないんだから」
「あぁ妬ましい、妬ましい、妬ましい。下賤の分際で我が力に抗うその力、実に妬ましい」

 そしてメイロードからは、これまでよりも更に濃厚な瘴気が溢れ出す。神ならざる者ならば、触れるだけで気が狂ったまま死に至る嫉妬の力。その力が、ペスカと冬也を襲おうと牙を剥く。
「全く、何をまごついてるのやら。でも、機会は与えましたのは本当ですよ。真に覚醒する機会をね」

 メイロードとペスカ達の戦いを、セリュシオネは見下ろしていた。それも少し溜息をつきながら。
 自分が介入すれば、直ぐに戦いは終わると考えているのだろう。それもそのはず、ここはセリュシオネの領域なのだから。領域を作り上げた本人の力が最も強く発揮されるのは、当然の事であろう。

 しかし、その思惑は別にある。

 確かに、ゾンビを作り上げ死という概念を冒涜したのは、セリュシオネにとって許し難い好意であろう。それに、メイロードを捕縛して神格を剥奪する命が、女神フィアーナから出ている。

 ここで、メイロードの力を奪い神格を壊しても、正当性はセリュシオネに有る。ただ、セリュシオネは一計を案じた。

 虚飾の神グレイラスが倒れた今でも、フィアーナに反抗する神は後を絶たない。それによって、神の世界は統制が取れていない。
 しかも、ラフィスフィア大陸は既に荒廃しかけている。これを直すのは、フィアーナでも時間を要する。
 
 ならば、新たな戦力をこちら側に迎え入れればいい。

 それに丁度いい者達がいる。一人は英雄として名の知れた者、一人は大地母神が生んだ子だ。彼らが真に力を得るのに、メイロードは丁度いい相手だ。

「だからね、早く覚醒して下さいよ」

 ☆ ☆ ☆

 メイロードから溢れた嫉妬の瘴気は、あっという間に辺りに広がる。

「お兄ちゃん、あれに触っちゃ駄目だよ!」
「わかってる」

 冬也は神剣を振るい、瘴気を払おうとする。しかし、何度神剣を振ろうとも、直ぐに瘴気は広がる。

 メイロードは白目をむいたまま、気が狂ったかの様に瘴気を振りまいている。それを直ぐにでも止めなければ、危ういのは自分達の方だ。
 だが瘴気が広がるのは早い。幾ら打ち払っても追いつかない。じわじわと首を絞められる様に、ペスカ達は追い詰められていく。

 ペスカは、そんな時でさえ懸命に頭を働かせていた。

 どうすれば、あの力を封じ籠める事が出来る? そもそも神の本気に自分達が耐え得る事が出来るのか? でも、やらねばここで終わりだ。
 どうする? 冬也の力はどの程度、メイロードに対抗出来る? 自分の力は? 二柱から貰った加護を利用すれば?

 全て、やっている。全力でやっている。それでも届かない。ならばどうする?
 
 今の自分を超えなければならない。そうしなければ、生き残れない。そうしなければ、ロメリアを倒すなんて夢のまた夢だ。

 やれ、信じろ。英雄と称えられたのには、ちゃんと理由が有る。転生前も、転生した後も、私は英雄ペスカだ。
 聞こえるだろ? 民の声が。聞こえるだろ? 助けを求める声が? その声に応えろ!

 必要なのは、己が自覚していない力を理解する事なのだろう。これまで、二柱の加護を自らの力の様に操って来た。神気に触れて来た、神気を自らの力に取り込んできた。
 その経験と、英雄への崇拝に近い想いが、ペスカの秘められた力を覚醒させる鍵となる。

「我が力、神に至りしものなり。我が力、邪を払いしものなり。そして我が力、我が敵を滅ぼすものなり。貫け、神殺しの槍! ロンギヌス!」

 呪文を唱えた瞬間、ペスカの体が光に満ちる。それは、マナの輝きとは別の光。それこそが、ペスカの秘めた力。神殺しの槍は、瘴気を消し飛ばしながらメイロードの頭上に降り注ぐ。
 そして、メイロードは頭の先から真っ二つに割れた。その瞬間、メイロードの神気は僅かに弱まり隙が生じる。
 
「お兄ちゃん!」
「おう!」

 ペスカが呼んだ瞬間には、冬也は既に走りだしていた。未だ残る瘴気を神剣で払い飛ばし、メイロードに迫る。

「あ~、あ゛ぁ~、あ゛~!」

 メイロードは二つに割れながらも、大きな叫び声を上げて腕を振り回し、更に瘴気をふりまいている。
 しかし、冬也も負けてはいなかった。神剣を振り下ろし、メイロードの力に拮抗する。

「負けるかよ! ここで負ける訳にはいかねぇよ! 絶対になぁ!」

 冬也の叫ぶ様な雄叫びと共に、神気が膨れ上がる。それは、冬也が無自覚で抑え込んでいた力なのだろう。地上に、仲間達に、害が及ばぬ様にと、内に籠め続けた力なのだろう。

 やがて、均衡は崩れる。

 大きく縦に割れたメイロードの体は、元に戻ろうとする。しかし冬也の神剣は、体から漏れる瘴気ごとメイロードの腕を両断する。
 そして横薙ぎに払われた神剣は、メイロードの首と胴を完全に切り離す。

 メイロードの神気は、一気に小さくなっていく。神気の減少と共に、人型を維持できなくなっていく。

「あっ、あ゛っ、あ゛~! あ゛~!」

 それは、最後に残されたメイロードの意地だったのかもしれない。ドロドロと溶け始めた人型は、一気に収縮する。それは、恒星が最後を向かえる時の様に、一点へと力が収束していく。

 それでも、ペスカと冬也は冷静だった。

「我と共に有れ、我と共に奔れ、我が力、我が意のままに、悪意を跳ね除けよ! アイギスの盾よここに!」

 ペスカは、爆発を予期しアーテナーの盾を出現させる。そして冬也に目くばせをし、盾に隠す。
 間一髪だった。一点に収縮した力は耐えきれずに、一気に外へと向かう。これまでにない巨大な爆発は、アーテナーの盾すらもビリビリと振るわせる。

 しかし、そこまでだった。盾を破壊するまでには至らなかった。

 そして、爆風が収まろうとする頃、冬也が神剣を振り下ろす。既に人型の欠片も無くなったドロドロの固まりは、神剣の一撃を受けて霧散した。

 メイロードの神気は完全に失われた。残ったのは小さな球だけになっていた。

「これが、神格だって言ってたね。今なら私でも壊せる気がするけど」
「それをされては困るんですよ、私の仕事ですから。一先ず及第点とだけ言っておきましょう」

 声に反応したペスカが振り向くと、そこには女神セリュシオネの姿があった。完全にセリュシオネの存在を忘れていたペスカは、叫び声を上げそうになる。

「セリュシオネ様、驚かさないで下さい」
「修行が足りていない証拠ですよ」
「お褒めの言葉を頂きたいんですけど」
「あんな雑魚を相手に手古摺っている癖に、褒めてどうするんですか?」
「セリュシオネ様、お兄ちゃんを嗾けますよ」
「止めなさい! 私はあれが嫌いなんです。あれと話すと、馬鹿がうつりそうですから」

 ペスカはクスリと笑うと、話しを続けた。

「セリュシオネ様、せっかく来て下さったんですから、何か情報下さい」
「そう言われても、大した情報は有りませんよ。あぁそう言えば、フィアーナがあなた達を探しに、地上へ降りました。いずれ会うでしょう。それと、帝国付近には注意なさい。歩く死者で溢れています」
「歩く死者? ゾンビですか?」
「ゾンビが何かは、知りませんが。死体を弄ぶ、私が一番嫌いなやり方です」

 女神セリュシオネが、早くメイロードの神格を渡せとばかりに、手を差し出す。そしてペスカは、メイロードの神格を渡すと頭を下げた。

「セリュシオネ様、ご助力ありがとうございました」
「感謝は必要ありません。私は私の為にやったまで。用が無ければ、私は行きます。くれぐれも注意なさい」

 女神セリュシオネは消えていき、ペスカは崩れる様に座り込んだ。そんなペスカの肩を、冬也が優しく叩く。

「やったな!」
「うん」

 セリュシオネが消えると共に、領域も消え去る。そして、領域から弾き出されていた空達が、ペスカと冬也を見つける。

「ペスカちゃん! 冬也さん! 無事で良かった!」
「おぅ、空ちゃん。思いっきり抱きつかれると、ちょっと痛い」
「心配かけたな」
「それで、あの神は倒せたと思って良いのかな?」
「多分ね。神格はセリュシオネ様が持って行っちゃったけど」
「取り合えず、結果良ければ全て良しって所か?」
「お二人共、流石ですな」

 神の一柱を倒したのだ、一先ずは成功と言ってもいい。しかし、セリュシオネの言葉から察するに、地上には暗雲が立ち込めたままだ。
 ペスカ達の戦いは、終わりを見せない。
 メイロードとの戦いで、城は跡形も無い程に吹き飛んでいた。それは王都も同じ。住民達を避難させて良かったと、心の底から思える程に荒れ果てている。
 戦い疲れたペスカ達は、瓦礫の山から車を掘り出すと、倒れる様にして車内で眠りに着いた。

 明け方、空が目を覚ますと、車内に冬也の姿は無かった。窓から外の様子を見ると、型の稽古をしている。
 激しい戦いを経て尚、誰よりも早く起きて稽古をする。それが、強さの秘訣なのだろう。そんな事を考えながら静かに車から降りると、気配で気が付いたのか冬也から声がかかる。
  
「なんだ、空ちゃん。起きたのか?」
「昨日はお疲れ様でした」
「空ちゃんもな。多分、空ちゃんと翔一が一番大変だったはずだ」
「確かに疲れました。でも、皆さんが無事でよかった」
「そうだな。でも、もう少し上手くやらなきゃな。あのキツイ言い方する女神みてぇによ」
「だから、朝早くから稽古をしていたんですか?」
「王都を引き換えにして、女神を倒したって、力不足でしかねぇよ」

 前日はとても忙しかった。城から全員を退去させるだけでなく、多くの住民を王都から避難させる。それは速やかに、且つ悟られずに行わなければならない。
 城の兵士や官僚達と連携しながらの作業を行い、どうにかメイロードの襲撃まで間に合わせたのだ。その上、メイロードとの戦いにも加わった。

 結果的に城や王都の建物は、崩れかかっているけれど、人的被害は限りなく少ない。上々の成果だ。自分なりにはよく頑張った。そう考えていた。

 だが、冬也は違った。悪神の一柱を倒しても、まだ足りないと言う。あの妹にして、この兄。遠い。とても遠い。
 存在の大きさを感じている空に、冬也から声がかかる。

「空ちゃん。翔一も起きてる様だったら、ペスカを叩き起こして朝食にするか」
「わかりました。様子を見て来ます」
「ありがとう。空ちゃん」

 空は走って車に戻る。そして残された冬也は、ポツリと呟いた。

「これから、だな。高尾での借りは返したけど、糞野郎はまだ生きてやがる。それに、ゾンビも気になるしな」

 そして冬也は、空に遅れる様にして車へ戻る。

 王城跡地や王都の跡地が騒がしくなり始める。そして、アーグニールの一日が始まる。 
 
 ☆ ☆ ☆ 
 
 一方、グラスキルス王国の地下牢では、話し声がしていた。看守すらいない。そんな地下牢の奥には、たった一人が投獄されているだけ。しかし地下牢から、話し声が漏れていた。
 それは男女二人の声だった。

「以上が、各国の状況です。如何なさいますか?」
「そうだなぁ。そろそろ、陛下にも目を覚ましてもらうか」
「閣下はどうなされるのです? そろそろ、牢からお出になっては?」
「あぁ出してくれ。俺は西に向かう」
「閣下、危険すぎます! エルラフィアの精鋭ですら止められなかった、死者の軍で溢れております!」
「馬鹿かミーア! だから行くんじゃねぇか!」
「閣下。ならばせめて、我らをお連れ下さい!」
「駄目だ! 行くのは俺一人で充分だ! 湾岸二国に現れたのが、本当にペスカ殿の転生体なら、いずれこの国に来るだろう。お前等はペスカ殿の指揮下に入れ」
「畏まりました閣下。ならば、通信機をお忘れなく。閣下の窮地には、必ずは馳せ参じます!」
「それは、ペスカ殿の命令次第だな」

 ミーアが牢に近づき、呪文を唱える。すると牢が開く。そしてミーアと呼ばれた女性は、男の拘束を解いた。

「くれぐれもお気をつけ下さい、サムウェル閣下」
「あぁ。陛下にはビンタでも喰らわせとけ。それと今の情報は、エルラフィア王にも伝えてやれ」
「畏まりました。他は如何されますか?」
「モーリスとケーリアに、連絡が取れる様にしとけ。シュロスタイン側に配置した兵は、そのまま北の国境を塞がせろ。アーグニール側の兵は、ケーリアの傘下に入って、モンスター狩りだ。それと、メルドマリューネの情報を急がせろ!」
「北の大国ですか?」
「あそこの王は、ペスカ殿と並び立つ魔法の天才。神に洗脳される玉じゃねぇ! それに、野心に燃える王だ。小国の占領だけで、終わるとは思えねぇ。だから、国境沿いは警備強化だ」

 槍の名人として名高い、グラスキルス王国の将軍サムウェル。彼を人々は、女好きの怠け者と呼んだ。だが、彼を良く知る者は、違う渾名で呼ぶ。

 智将サムウェル。

 ラフィスフィア大陸に置いて、サムウェルは情報を制する者だった。そして、常に先を読む。こと戦争においては、進路妨害、兵站を途絶えさせる、偽情報で混乱させる、疫病を流行らせる等で、敵の混乱状態を容易く作り出す。

 戦の場では、長棒を持って相手を制圧する。 

 サムウェルを支えるのは、彼が育てた間諜部隊である。一人一人が、類まれなる力を持つ、一人当千の部隊。諜報能力、戦闘、魔法、全てに長け、どんな厳重な警戒の中でも、情報を持ち帰る。   
 サムウェルは、自身が投獄される際に、間諜部隊に兵達の洗脳解除を命じた。結果、約半分の兵が洗脳解除に成功した。洗脳解除した兵達は、国境沿いの街に潜めさせた。
 そして、あたかも神の洗脳が継続している様に見せかけて、機会を伺っていた。
 
「さぁ~て、人間の反撃開始って言いてぇが、俺も頑張らなきゃな。モーリス、ケーリア。お前等とはもう一度会いたかったが、そうも言ってらんねぇな」 

 サムウェルは、深く息を吐く様に呟く。拘束を解除したミーアは、サムウェルに彼の愛槍を手渡す。その槍は一度たりとも、戦場に持って行った事が無い。今まで飾られていただけの武器を、サムウェルは持って来させた。

 普段の戦場であれば、長棒で充分だと言い張る男。戦場で犠牲者を出さない様に知恵を絞る男が、最も手に馴染んだ武器を手にする。それは傍観を止め、立ち上がったサムウェルの、覚悟の現われであろう。
 
「後は頼んだぜぇ~」
「閣下のご帰還を、心からお待ちしております」
「無粋な事言ってんじゃねぇよ、ミーア。次の世でも、貴方のお傍にくらい言えねぇのか?」
「お戯れはお止め下さい、閣下」
「良いじゃねぇかよ、ミーア。最後くらい、愛してると言いやがれ!」
「私の最後は、閣下の傍でございます」
「くぁ~、痺れるねぇ! 流石、俺の愛した女だぜぇ」
「閣下の愛は、下町に溢れておりますが?」
「妬くな馬鹿!」

 軽口を叩き、サムウェルは地下牢を後にする。向かうのは、死者の国と化した大陸中央。命を掛けたサムウェルの、孤独な戦いが始まろうとしていた。
 王都から少し離れた場所で一夜を過ごした住民達は、そのまま急遽設えた仮設テントで朝を向かえた。
 帰る家は瓦礫の山だ。先ずは瓦礫の撤去から始めなくてはならない。そして、買っておいた食材は、瓦礫の中だ。
 同じ様に城に備蓄している食料も、爆発で吹き飛んでいる。腹を空かしているが、「配給はままならない」と兵士から聞かされた。そして、「配給がいつになって行われるかわからない」とも言われた。

 そんな中、王都の外には王族や貴族用の仮設テントも立てられている。そして屋根のない空地で、緊急の議会が行われていた。それは、いち早い王都の復興についてである。

 幸いだったのは、人的災害がほとんど無かった事だろう。避難の際に多少の怪我をした者が出た位だ。人出なら充分だ。不足しているのは、食料と建築資材等であろう。
 但し、その不足している物をどこから調達すれば良いのか。それが問題だ。

 シュロスタインとグラスキルスとは、現在戦争の真っ只中だ。それに加え、大陸中央に有る帝国付近の情報は入ってきていない。当然ながら、それより西のエルラフィアとは連絡すら取れない。
 
 ましてや、国中にモンスターが溢れ、今なお人々は抵抗をしている。兵を派遣するにも、その兵が足りない状況だ。そんな状況下の中において、近隣の領地から物資を調達する事は不可能だ。
 
「陛下、国内の状況を安定させねば、何ともなりません」
「それには、いち早く戦争を終わらせ、兵を引き上げさせねば」
「それについては、早馬が届いている。シュロスタインのモーリス将軍からだ」
「モーリス将軍はなんと?」
「戦争は止まった。モーリス将軍は、残った兵を掻き集めてモンスター対峙を始めたそうだ」
「では、モーリス将軍の軍と合流し」
「いや、彼等は独立させて動かした方が良い。我々は国土の安定を急がせよ」
「はっ!」
「モンスターに抵抗している脱走兵達を纏めるのだ! そして、一気に反撃だ!」
「では、王都は如何しましょう?」
「引き続き瓦礫を掘り起こせ! 糧食の一つや二つは見つかるだろう。焼け石に水では有るが、それを民に与えよ!」
「はっ」
「所で、ケーリアは何処へ?」
「ペスカ殿の対応中でございます」
 
 声を張り上げる様にして、国王が檄を飛ばしている中だった。伝令の兵が議会の場に到着する。

「陛下。緊急の要件でございます」
「申してみよ」
「グラスキルスからの使者と申す者が訪れ、陛下に謁見を願っております」
「グラスキルス? サムウェル将軍の部下か?」
「恐らくは……」
「早く通せ!」
「はっ!」

 ☆ ☆ ☆
    
 食事を終えるた後、ペスカは既に試作品が完成したモンスター感知器と、その設計図をケーリアに渡していた。

「まだ改造の余地は有るから、要望があったら言ってね。ってか、改造はここに滞在してる時しか出来ないけど」
「畏まりました、ペスカ殿。早速試してみます」
 
 ペスカの意図を察したケーリアは、部下を連れて議会が行われている空地へ向かって走り出す。そしてペスカ達は車の改造に取り掛かった。

 外装の強化、足回りの整備、計器系魔石のグレードアップ、装填用砲弾の準備、内装の充実等、四人で手分けをして作業を進め、あっと言う間に時間が過ぎる。
 めぼしい作業が終わろうとしてた時だった。慌てた様子の官職が一人走り寄る。

「皆様、急ぎ謁見室にお越しください。ご報告する事がございます」

 走って議会が行われて空地に向かう。そこで一行を迎えたのは、国王とケーリア、それに大臣達である。国を動かす重鎮達が顔を揃え、張り詰めた空気を漂わせていた。

 一行が到着するや否や、国王は口を開いた。

「待っていたぞ、ペスカ殿。グラスキルスから使者が来たのだ。信じられん内容だが、心して聞いてくれ」

 国王が語ったのは、大陸中央部から西にかけての情報であった。

 帝国の壊滅とその理由、更にその脅威が東へ向かっている事。そして、魔道王国メルドマリューネの、エルラフィア王国侵攻。どれも深刻な状況に、ペスカと冬也は顔をしかめる。

 そして情報の中には、大陸の地理に疎い空や翔一でさえ、驚愕する内容が含まれていた。
 
「死者が歩いて、生者を喰らう。それで、爆発的に感染する。それってゾンビパニックじゃない! 糞ロメの奴、日本で余計な知識を手に入れたな!」
「ペスカ、ゾンビってこの世界にはいねぇのか?」
「お兄ちゃん。この世界には、ゾンビの概念が無いんだよ。死体を操るのは、死者への冒涜だからね。それに、世界に溢れるマナの均衡が破られる、禁忌なんだよ」
「武器や魔法が利かないのが厄介だな」
「多分、お兄ちゃんの神剣は利くんじゃない? ただ、対抗手段が少なすぎだね。ミーアさんだっけ、何か他にゾンビの情報無い?」

 グラスキルスから訪れたミーアと呼ばれる使者に、ペスカが問いかける。ミーアは僅かの間、思い巡らせてから答える。
 
「ペスカ様、奴らはマナを吸収する様です。その為、人型が保てなくなっても、マナを吸収し復活します」
「何だよそれ、ほぼ無敵じゃねぇか!」
「仰る通りです、冬也殿。帝国に攻め込んだ三国を呑み込み、数を増やした死者の軍は、いずれ東に到達するでしょう。何か対抗策を講じねば! 最悪の場合、こちらの全滅も有り得ます! その時間稼ぎに、サムウェル閣下が向かわれました」

 余りの出来事に、言葉が出ないのであろう。議会の場には、静寂が訪れていた。

 死者の軍団は、ほぼ無敵の集団と言えよう。神若しくはそれに近しい力を持つ者でなければ、相対する事は出来ない。寧ろ軍を差し向ければ、無駄に死者の軍団の数を増やす事になろう。
 エルラフィアの精鋭が、太刀打ち出来ずに撤退を余儀なくされたのも、仕方がないと思える。

 サムウェルが時間稼ぎに向かった。ミーアは、それを殊更に強調した。
 それは、国王や大臣達の耳にもしっかりと届いている。しかし現状で、対抗手段は持っていない。

 もしかしたら、ケーリアであれば、死者に対抗出来るかもしれない。しかしケーリアを単身で乗り込ませる訳にはいかない。国王として、そんな自殺行為を認める訳にはいかない。
 そもそもアーグニール王国の各地では、未だモンスター被害が収まっていない。ケーリアには国内のモンスターを討伐して貰わければ困るのだ。
 割ける戦力がない状況で、国王を含む大臣やケーリアでさえも、口を噤んでペスカの答えを待つ。
 
 そしてペスカは、ミーアが説明している最中、ずっと考えを巡らせていた。やがて周囲を見渡すと、重い口を開いた。

「マナキャンセラーが利くかな? それと、空ちゃんのオートキャンセル」
「待てよペスカ。マナキャンセラーってのは、クラウスさん達が帝国に持って行かなかったのか? それが通用しなかったんじゃねぇのか?」
「大丈夫、お兄ちゃん。ちゃんと改良するから。ねぇケーリア、王都が大変な状況なのはわかっているけど、グラスキルスと連絡をして、魔攻砲を急いで大量生産させて!」
「現在の我が国では無理でしょうが、グラスキルスなら未だ可能性がありますな」
「設計図は直ぐに。それと弾丸、それも後で詳しく説明してあげる」
「畏まりました、ペスカ殿」
「ミーアさん、あなたにも図面渡すから、グラスキルスで生産を開始させてね」
「承知いたしました、ペスカ様。それと私を呼ぶ際は、敬称は不要です。我等グラスキルスの間諜部隊は、ペスカ様の指揮下に入る事になっております」
「そういうのは、要らないんだけど。まぁ国の盾になって死ぬなんて、ふざけた事させないよ! あの馬鹿弟子を助けるには、迅速な行動が必要だからね」
 
 会議場の全員が、一様に頷いた。単身で向かったサムウェルを救い、中央から流れて来る脅威に対抗する。全員の意志が一致した瞬間だったろう。
 しかし静寂から解放された会議場で、大陸の事情に疎い空から質問が出る。
 
「ところでペスカちゃん、メルドマリューネっていうのは、不味い相手なの?」
「かなり不味いね。あの国の王様は、エルフなんだよ。そんで魔法の天才。神に対抗出来る数少ない人」
「でも、味方って事ではなさそうね」
「うん、物凄い野心家なんだよ。世界征服を企むくらいね。だからついた渾名が魔王。因みに知り合いの兄だったりする」
「おい、ペスカ。それってクラウスさんか?」
「当り! この状況で動きだしたのは、迷惑極まりないね。それで、ミーア。エルラフィアと連絡が取れる?」
「直接の通信は出来ません。死者の軍団のせいで、通信回線の復旧も出来ません」
「なら直接出向くしかないんだね。ミーア。あなたの部下に、エルラフィアへ図面を持って行かせて。マルス所長に渡せば、後は何とかしてくれる。それと伝言。私の机を見る様に!」
「他にお伝えする事はございますか?」
「じゃあ国王陛下に、クラウスをメルドマリューネに行かせない様に伝えといて」
「承知しました」

 ミーアが頷くと、ペスカは謁見室を後にする。
 ペスカは、ケーリアとミーアを引き連れ、会議室を借り装填式魔攻砲と弾丸の設計図を書き上げる。ケーリアは直ぐに、制作の準備に取り掛かり、ミーアは城を後にした。
 
 命がけで国を守ろうと、西へ旅立ったサムウェル。そして彼を救うために、皆が立ち上がる。
 人類の抗いは、始まったばかり。混迷極める大陸に、まだ明日の光は見えない。
 グラスキルス王国から齎された情報は、ペスカ達に衝撃を与えた。
 アーグニール王国の首脳陣を、震撼せしめた。しかし、滾り始めた熱い血は、簡単に固まりはしない。王都民全員が、団結して戦いの準備を始めた。

 未だ、アーグニール王国には、数多くのモンスターが街を襲い続けている。北からモーリスが、東からはグラスキルス軍が、それぞれアーグニール王国内のモンスターを駆逐しながら、王都を目指している。
 
 人々は救いを信じて、抗い続ける。兵士達は人を守る為に、モンスターを駆逐する。

 家族、恋人、友人、多くの大切な者を失った。戦場では、人の尊厳すら奪われた。諦めた。諦めたかった。だが、諦めさせてくれなかった。

 大丈夫か? 声が聞こえる。
 助けてやる! 声が聞こえる。
 生きろ! 声が聞こえる。
 抗え! 生きろ! その声は、命を投げ出す事を許さなかった。

 たとえ泥を啜っても、岩を齧っても、両腕を失っても、両足を失っても、死んで終わりにするな! 生きて戦え、最後は必ず勝て!

 最初は、たった数人の勇気だった。それが波紋を呼び始めた。波紋は渦となり、国中を巻き込んでいった。

 負けない。ここでは死ねない。何もかも失っても、自分の命が残ってる。

 諦めない。死んで堪るか。誰にもこの命を奪わせはしない。

 無駄にはしない。救われた命だ。次は自分が救う番だ。

 再び、あの平和な時間へ。再び、あの和やかな時間へ。再び、あの温かい場所へ。
 
 人が人に勇気を与え、人が人を守る。人が人によって救われ、人が人の為に戦う。人は抗う。人は生き足掻く。
 平和な世界を求めて、アーグニール王国全体が一つになりつつあった。

 ペスカ達は一晩を車で明かした後、ケーリアとグラスキルスの間諜部隊を集めて、作戦会議を行った。そして、戦争で数を減らしたアーグニール軍に、幾つかの指示を与えた。

 一つは、南下しつつあるモーリスとの連携。二つ目は、グラスキルス軍との連携。三つ目は議会でも決まっていた脱走兵の集結を軸にした、アーグニール軍の再編成。戦争で疲弊している三国が連携する事は、残るモンスターを一掃する上で必須となる。

 また、サムウェルから引き継いた間諜部隊も、重要な役割を担う。各国の中継役となる事で、情報の連携を密にする。それは、旧帝国の広大な土地で阻まれた、東と西で連携を取るのに、欠かせない役割であった。

 ケーリアが戦力を集め、モンスターを掃討する間、ペスカ達はサムウェルを追う。グラスキルスを越えて、そのまま西に向かう。単独で戦力となるキャンピングカーであるから、可能となる作戦である。
 そしてケーリアから要望を受けると、ペスカはその場でモンスター感知器の改良を加え、設計図を修正した。

「ペスカ殿、メルドマリューネの件は如何致しますか?」
「今は警戒を強化する位しか出来ないよ。割ける人員が少なすぎる。エルラフィアも主戦力を帝国で失っているしね」
「では俺の役目は、早く残りのモンスターを掃討して、グラスキルスに合流する事ですね」
「そうだね。よろしく、ケーリア」

 ペスカは、皆を見渡すと話を続けた。

「何とか国の体裁を保ってるのは、西の四国と東の三国を残すだけ。その内、まともな軍が残っているのはグラスキルス。エルラフィアは、南部三国の援軍を受けて何とかって感じだろうね」
「厳しい状況ですね」
「この状況で帝国から溢れるゾンビ達に気を取られれば、メルドマリューネが一気に仕掛けて来る。エルラフィアとグラスキルスが崩れたら、一気に瓦解するね」
「二十年前と違い帝国が壊滅、エルラフィアや我等東国三国も、戦力を落としている。ともすれば、特権階級が支配する奴隷大陸になりますか……」

 ケーリアがポツリと呟いた言葉に、冬也が目を丸くして反応した。

「さらっと、とんでもねぇ事を言わなかったか? 何とかって国は、そんなやべぇ所なのか?」
「メルドマリューネね、お兄ちゃん。あそこの王様はね、魔法による世界の均衡を願ってるの」
「難しく言うなよ。もう少し優しく教えてくれ、ペスカ」
「魔法による統治、完全な平等、人は等しく魔法の燃料として生きるって感じ」
「まだ難しいけど、つまり共産主義だか社会主義だかって感じか?」
「お兄ちゃんにしては、おしい所だね。地球みたいに人道的な考え方じゃ無いよ。役立たずは奴隷になるか、魔法の燃料にされて殺される。あそこに住んでいるのは、人じゃ無くて都市機能を動かす機械みたいなもんだよ」
「自由に生きようとする奴はいねぇのか?」
「いないよ。そういう教育をされているからね。マインドコントロールに近いけど」
「そんな国と今まで良く戦争が起きなかったな」
「そりゃあ、エルラフィア、ライン帝国、東の三国が同盟を組んでいたからね。不戦協定も、その同盟を盾に強制させたんだよ」
「その抑止力が、今は崩れたって事か?」
「そうだよ、お兄ちゃん。けっこう不味い状況なんだよ」
「糞野郎と、その何とかって国が手を組んだら最悪だな!」
「おおぅ! お兄ちゃんってば、偶に鋭いね! それは最悪のシナリオだけどね」
「糞野郎が潜んでるのも、案外その国だったりするんじゃねぇか?」
「可能性は有ると思うよ、面倒だから違って欲しいけどね」

 ペスカは大きな溜息をつく。しかし、少し声のトーンを上げて、話しを続けた。

「そこで、お兄ちゃんには重大な役目があります!」
「何だよ」
「お兄ちゃんの神気を込めた魔石を、大量に作って!」
「おぅ! で、何に使うんだ?」
「都市の結界に使うんだよ。お兄ちゃんの神気なら、たとえミサイルでも耐えるでしょ」
「わかった。何個くらい作るんだ?」
「今夜中に三百個は作ってね。ケーリアは、手分けして各都市に設置。シュロスタインにも設置するんだよ。明日には出発するからね。皆準備急ぐ事。解散!」

 ペスカ、空、翔一が眠る間、冬也は徹夜で魔石作りに取り組んだ。翌朝、眠い目をこする冬也だったが、作業はそれだけでは終わらなかった。
 魔石用のラフィス石を、ペスカは大量に車に積み込ませていた。

「グラスキルスに到着するまで、お兄ちゃんは魔石作り! その代わり、運転は免除してあげる。お兄ちゃんが頑張った分だけ、都市が救われるんだからね。頑張って!」

 ペスカにそう言われては、頑張らずにはいられまい。冬也は、眠気を堪えて車に乗り込み、魔石作りを開始する。
 ペスカは、冬也が作った魔石をケーリアに渡し、シュロスタイン王国とアーグニール王国の全ての街や村に設置する様に命じた。

 グラスキルスの間諜部隊を案内係に、ペスカ達は王都を後にする。ただひたすらに、西へ向けて。
 ライン帝国の東側、グラスキルス王国と挟まる様に、縦に三国が並ぶ。
 北からクライアス王国、メイレア王国、ラリュレル王国。この三国は、全軍をもってライン帝国に侵攻した。そして、侵攻した軍はライン帝国と共に壊滅した。
 
 死者が生者を喰らい伝染していく奇怪現象は、ライン帝国から溢れ三国を飲み込みつつあった。
 守る兵は無く、戦う術を持たない。王は民を見捨て、城を堅く閉ざす。広がる現象に、三国の民は成す術なく、ただ逃げる事しか出来なかった。。

 親、兄弟、友人、親戚、隣人。見知った者が、次々と死者に変わっていく。
 恐怖に駆り立てられ、人々は逃げ惑う。どれだけ逃げても奇怪現象は、爆発的に広がっていく。
 足を止めれば、喰われる。息が切れても、走り続けなければ、待つのは死。
 
 先に老人や子供が喰われていった。怪我人や病人が喰われていった。弱者を犠牲にし、他者を蹴落とし、我先にと生にしがみつく者がいた。
 そこには、愛も勇気も正義も無い。貪欲な生への執着のみが有った。
 
 こいつを盾にして、俺は生きる。
 わたしの代わりに、娘を食べて。
 お前は喰われろ、その隙に俺は逃げ延びる。
 あんた犠牲になってよ、私の為に死んでよ。

 悪意は悪意を呼ぶ。溢れる死者の大軍の前に、人々は狂気した。国王に見捨てられた者達、誰も助けてはくれない。

 自らが生きる為、当然の犠牲。弱者が先に死ぬ、他人を蹴落とす、全て自然の摂理、これは正義。
 生に執着した人々は、倫理付けた。自分の命が最も尊いと、曲解した。

 国王は、王都に残るありとあらゆる食料をかき集めて、城へ立て籠もる。大臣達や数少ない兵達は、自らの命を優先し、率先して王に協力する。王都の民は決して城に入れさせない。何故なら、食料が減るから。

 国は民を守らない。民から食料を奪い、自らが生きる事のみを重要視した。
 王族が生きていれば、国は残る。
 国王もまた曲解していた。国の有り方を。国王とはどうあるべきかを。
 
 歪みは歪みを呼ぶ。
 三国を包むのは、生者を喰らう死者の軍団。そして人々の悪意と狂気が、三国に広がる。
 国としての体裁を失い、共同体の意味を無くし、命の価値は消え去った。
  
 唯一魔道大国メルドマリューネと国境を接する、クライアス王国の人々は、メルドマリューネとの国境沿いに集まりつつあった。しかし、国境門は固く閉ざされている。
 生者を求め、すぐそこまで死者の軍団は迫っている。クライアス王国の人々は、国境門の戸を叩いた。

 早く門を開けろ。
 早く助けろ。

 国境門を囲み、人々の怒声が渦の様に巻き起こる。しかし、魔道大国メルドマリューネ側は、決して国境門を開けなかった。
 そして事も有ろうか、光の矢が降り注ぐ。それは死者の軍団にでは無く、受け入れを求め国境門を叩く避難民の頭上に降り注いだ。
 受け入れを求める人々は、あっと言う間に息絶える。人々が残したのは、憎悪に満ちた目であった。

 何故だ。何故殺した。何故助けてくれなかった。死にたくない。

 次々と失われて行く命、増え続けていく憎悪。一つ、また一つと叫び声が消えていく。その叫び声は、憎悪に変わっていく。そこはもう地獄。人非ざる者の世界だった。
  
 三国の中央部に有る、メイレア王国の国境沿いでも、救いは無かった。
 開け放たれた北のクライアス王国との国境門から、死者の軍団がなだれ込んで来る。南のラリュレル王国の国境門からは、死者の軍団に追われた避難民が走りこんで来る。

 最南のラリュレル王国の人々は、船に乗り海へ逃げ様と考える者が多かった。
 だが、船の数にも限りは有る。誰が船に乗るかで、殺し合いが起きる。そして殺し合いの結果、誰も生き残らず、船で逃げ出せた者はいなかった。
 
 逃げ場所の無い三国の人々は、東へ向かい逃げ始めていた。人々は、グラスキルス王国に救いを求めて、走り続ける。力尽き倒れる者を置き去りにして。

 ☆ ☆ ☆

 サムウェルは愛馬を繰り、国境沿いを巡っていた。

 グラスキルス王国は、クライアス王国、メイレア王国、ラリュレル王国の三国と境を接している。どの国境門も、受け入れを求める人々で溢れていた。
 怒声が鳴り止まない。門を壊しても、人々は入国をしようとする。国境の向こうでは、人々の目には悪意と狂気が満ちていた。

「決して、受け入れはさせんじゃねぇぞ!」
「しかし閣下。このままでは、暴動が起きます」
「奴らの目を見ただろ。このまま受け入れたら、奴らは暴徒となり我が国を蹂躙する! 門の守りを強化しやがれ!」
「はっ!」

 サムウェルの命を受けた兵達は、歯を食いしばって俯いた。
 
「お前等の気持ちは良くわかるぜ。だけど、今は自国の民を守れ! 愛する国を、愛する家族を守れ! 良いな!」
「はっ!」

 サムウェルは完全に国境を閉じさせた。サムウェルとて、苦肉の決断だった。
 
 狂える難民達を救ってやりたい。だが、奇怪現象の原因は判明してない。帝国では、避難民の中から、人を喰らう死者が生まれた。ミーアの報告でそう聞いている。
 もし今、受け入れた難民の中から、生者を喰らう者が現れたら、帝国と同様にグラスキルス王国は終る。
  
 兵力が充分なら、暴徒の鎮圧をするのは容易い。しかし、魔道大国メルドマリューネの脅威が有る中、割ける戦力は多くない。ほんの僅かな隙で、簡単に国が落ちる。今は些細な過ちも許されない。

 サムウェルは心を鬼にし、他国の民を斬り捨てた。
   
「モーリス。お前なら、こんな事は絶対に許さねぇだろうな。わりぃな、俺の力不足だ。それとペスカ殿にも怒られるな。あぁ、でも怒られてぇな! せっかく二十年ぶりに、会えるかも知れねぇのによぉ。でも、仕方ねぇよな。待ってる時間なんか、ねぇんだからよぉ」 

 国境門を回り終わったサムウェルは、愛馬を操りながら東の空を仰ぎ見た。
 
「けどな、俺はお前等の道になるぜ! 後は頼んだ! モーリス! ケーリア!」

 サムウェルは独り言ちると、魔法で国境門の遥か上空を飛ぶ。国境門を飛び越えると、迫り来る死者の軍団の前に悠然と降り立つ。そして、死者の軍団に向けて馬上で愛槍を構えた。

「かかって来いよ化け物共! ここからは、俺が相手してやるよ!」
 
 その体には、周りの空気が揺らめく程の闘気が満ちる。その槍は、マナを纏い光り輝く。そして、サムウェルの孤独な戦いが始まった。
 迫り来る死者の軍団の前に、サムウェルは敢然と立ちはだかる。ここ十数年見せる事が無かった、真剣な表情が浮かんでいる。

 サムウェルはこれまで、戦場で本気を出す事は無かった。モーリス、ケーリアの様な、強者を相対した時も長棒を使用した。そんな男が、愛槍を持って構える。決意を固めた姿が、そこに有った。

 サムウェルは幼い頃から、天才と呼ばれていた。勉学は言うに及ばず、武術においてもその才能は発揮された。特に秀でていたのは槍である。十歳の頃には師匠を越え、名立たる武術の達人達を倒した。そしてついた渾名は、神槍サムウェル。

 だが、サムウェルは戦う事に意味を見いだせなかった。むしろ、下町で遊ぶ事が楽しかった。野山を駆け回る事が楽しかった。悪友達と笑い合う事が幸せだった。

 だがサムウェルが十代の頃は、東方三国で戦争が絶えない時代であった。見知った者が戦場に赴き、傷を負って帰って来る。帰って来るならまだ良い、帰って来ない者もいた。

 サムウェルは思った。

 何故、戦争が起きる。殺し合いより、愛し合う方が俺は好きだ。楽しく遊ぶ方が何倍も良いはずだ。誰もが思っているはずだ。なのに何故、戦争は終らない。
 戦争が終わらないなら、俺が終わらせてやる。その後は、思いっきり遊んで、思いっきり旨いもの食べて、愛し合うんだ。

 サムウェルは一つの意思の元、兵士となった。

 殺さない。誰も殺させない。常に長棒を持って戦場に現れるサムウェルを、上席達は叱咤した。しかしサムウェルは、態度を変えない。そしてサムウェルの頭脳は、戦場で活かされた。
 
 あらゆる戦場で、あらゆる策を用い、勝利を手にする。

 敵も味方も、死者を出さないサムウェルの戦い方に、国の首脳陣は良く思わなかった。しかし確実に結果を出すサムウェルは、次第と軍の中で地位を上げ、発言力を増していく。
 首脳陣すら無視できない存在となっていくサムウェルは、やがて将軍となった。

 戦場では頭脳で相手を圧倒する。二十年前の悪夢でも、モンスター対策局参謀の一人として、活躍を認められた。ただ、本気の槍を見せた事は、一度たりとも無かった。

 今回は違う。戦場で一度も使う事が無かった槍を構えている。
 
 生者を求めて、地を埋め尽くす死者の軍団はサムウェルに襲いかかる。サムウェルは、馬上で槍を一薙ぎした。
 
 槍の軌道が光の筋となって、地を埋め尽くす死者達に向かって飛ぶ。包み込んだ光は爆発し、周囲に広がっていった。死者の軍団は、一気に燃えて崩れていく。しかし、灰になっても大地のマナを吸収して、形を取り戻していった。

「そう簡単には、いかねぇか。これじゃ、エルラフィアの連中が撤退決め込むのも、無理ねぇわな。シグルドの奴が生きてりゃ、状況は変わってただろうけどな。仕方ねぇよ、戦いの神が相手ならな。俺でも、傷なんかつけられる自信ねぇよ」

 復活しつつある死者達、そして次から次へと東から雪崩れ込んで来る。サムウェルは数度、薙ぎ払う様に槍を振るう。その度に爆発し、燃え尽きても直ぐに灰が固まり始める。

「きりねぇな。クラウスやシリウスは、どうやりあったんだ? まともに戦ったら、直ぐにマナ切れ起こしてジリ貧だぞ」

 サムウェルは頭を巡らせた。しかし、どんどんと押寄せる死者の軍団の前に、熟考している暇は無い。槍を振るい蹴散らし続ける。
 
 何か手を打たないと、待つのは無謀な死である。死者の軍がグラスキルスに流入するのを防げなければ、命を賭ける意味が無い。それどころか、来た意味すら無いだろう。敵を倒しながらサムウェルは、ある仮説を立てた。

 そもそも、こいつら本当に死体なのか?

 そもそも、モンスターだけじゃない、肉食動物に食われたって当然ながら命を落とす、そこに魂魄は残らない。死体にはマナが残る事は無く、ましてや活性化するなんて有り得ない。

 故に、魂魄が無くなった体はマナとの結びつきが消え、二度と動く事は無い。ただ、奴等が通った後には、草木が枯れ果てて行く。恐らくこいつらは、マナを吸収して身体を維持している。

 それは死して尚、魂魄が身体に留まっている事を意味している。それは、本当に死んでいると言えるのか?

 もし、これが『マナの暴走による人のモンスター化』だとすれば、生者に噛みつく事で体内に『異常変異したマナが感染』する。その結果、『マナが暴走してモンスター化』したんだと考えられないか?

 特殊な事例だが、モンスター化した時点で死んでるんだろう。それなら死者が動く事も、数を増やして行った理由も説明がつく。
 あれが一種のモンスターで、人を喰らうのもマナを吸収する一環だとする。それならば、吸収を止める方法さえ有れば、機能を停止させる位は可能かも知れない。
 それよりも、魂魄を破壊するか浄化すれば、完全に消し去る事も可能かも知れない。
 
「ただよぉ、ちょっとばかり苦手なんだよなぁ~。浄化ってのはよぉ」

 その時ふと頭の中に、かつてペスカに言われた言葉が蘇った。

「い~い、サムウェル。魔法は想像力が大切。想像力次第で、何でも出来るんだからね。柔軟に考えなさい! それとあんたは、槍が得意なんだから、槍を応用する事。人間は不得意よりも、得意を伸ばす方が成長が早いんだよ」
 
 そうだどの道、俺はマナを使って攻撃するんだし、吸収を止めるのが非効率的なら、相手のマナを逆に利用してみるか。

 サムウェルは、口角を上げ呟いた。

「ペスカ殿に教えられた知識を、やっと活かせる時が来たぜ。さて、救いの時間だ!」

 焼き尽くさない。倒さない。ただ、相手のマナは全て奪う。そして奪い尽くしたマナは、地に還す。そのイメージを膨らませて、サムウェルは槍を振るう。

「大地に還り、静かに眠れ! ちゃんと俺が埋葬してやるからなぁ~!」

 周囲を取り囲む死者の軍団に、光の筋が飛んでいく。見た目は、先程まで放っていた攻撃と何ら変わらない。しかし、光の筋を受けた死者達は、体が崩れ大地と一体になっていった。ようやく地に還る事が出来たのだろうか、先程まで何度も蘇っていた死者達が、再び蘇る事はなかった。
 
「よっしゃ! 上手くいったぜ! よく考えれば欠陥品だな。ロメリアって神は、案外馬鹿なんじゃねぇ~か」

 サムウェルが言うほど、事は簡単では無い。

 武器も魔法も通じない不死の相手と相対した時に、どれだけの人が冷静に対処出来るのであろうか。ペスカの愛弟子同然の、クラウスやシリウスでさえ、退却するので精一杯だった。
 卓越した槍の腕、どんな状況でも冷静な判断力、明晰な頭脳。これは、サムウェルが持てる力を余すことなく使った結果、成し得た事。只人では到底出来ない事である。

 だが、サムウェルとて人間である。どれだけ優れた力を持とうが、体力には限界が有る。数千、数万の大軍なら、何とか処理出来る。
 しかし相手は、百万を超えるライン帝国民。その上に、クライアス王国、メイレア王国、ラリュレル王国、各国十万を超える民が加わっているのだ。
 たった一人でこの数を相手に、何日寝ずに戦い続ければ、殲滅出来るのか?

 否、殲滅は不可能。

 サムウェルは端から、死者達を倒す方法を見つける事と、その数を出来るだけ減らす事だけしか、念頭に置いてない。
 小一時間程で、クライアス王国との国境門周辺、数キロに居た死者達を殲滅すると、サムウェルは国境沿いに南下していく。

 国境沿いを中心に走り、今にもグラスキルス王国に溢れ出そうとする、死者達の数を減らし続ける。一体たりとも国境は超えさせない。

 サムウェルは屠り続ける。そして移動は、間諜部隊が良く使う俊足の魔法を利用する。愛馬に俊足の魔法と回復魔法を連続でかけ続けて、サムウェルは猛スピードで移動する。
 死者からマナの一部を奪い魔法を使う為、自らのマナを枯らす事は無い。更に、己の体力すらも、死者から奪ったマナで充足させる。

 三国を跨ぎ、北へ南へと移動を繰り返して、サムウェルは国境を守り続ける。
 天才、神槍、智将、数々の渾名で呼ばれた男の、本領が発揮される。後に続く仲間達に託す為、絶対にこいつ等は国境を通させない。サムウェルの闘気は、最大限に高まっていた。

 この身は朽ちない。この魂は果てない。この意志が有る限り、絶対に潰えない。
 俺がここで砦となる。俺が最強の盾となる。

 たった一人の戦い。しかし孤独では無い、後に続く仲間達がいるから。
 それは未来へ繋げる、仲間達への贈り物であった。

 果ての無いサムウェルの戦いは続く。そして仲間達は、彼を追い始めている。死に行く国々で戦い続ける、サムウェルの元へ。