星野君が事故遭ったのは私の家の近所の交差点で、信号無視の車に轢かれたらしい。少しの間意識はあったみたいだから、相当辛い思いをして亡くなったはずだ。
そしてその事故はかなり大きい事故で、地元のニュースでも取り上げられた。だがそこで亡くなったのは星野君だけ。他の人も巻き込まれたみたいだが、命に別状はなかったと報道された。
星野君が亡くなったと聞かされてからの私は、ずっと自分を責めていた。
もしあの時、私がきちんと星野君の話を聞いていれば。あの交差点に行く事はなく、星野君が信号無視の車に轢かれて亡くなる事はなかった。私は星野君から本当の事を聞くのが怖くて、思ってもない酷い言葉を投げつけて逃げた。だってその言葉が最後になるなんて思ってもいなかったから。人生なんてなにがあるかわからないのに。
星野君は私の言葉を聞いて、どう思ったのだろう。私の家の近所の交差点で轢かれたって事は多分、逃げた私を追いかけてそのまま帰らぬ人となったのだ。死ぬ直前、何を思って亡くなったのだろう。
私が星野君を殺した。その事実が私の心を支配して、好きなアニメを観ても笑えなくなった。星野君はもう観たくても観れないのに、私が笑っていいはずがない。
私は星野君のお葬式に出なかった。いや、出れなかったのだ。目を閉じたまま、もう二度とあの笑顔を見せてくれないというのを目の前で見てしまえば、現実を認めざるを得ない。今でも涙が止まらないのに、本人を見てしまえば私は絶対壊れると思った。でも私にその資格はない。だって私のせいで星野君は亡くなったのに、その元凶が泣いている姿を遺族は見たくないだろう。
こんなに色んな理由を述べたが、結局星野君の最期に会うのが怖かったのだ。それにお葬式に行けば夏音ちゃんも居る。夏音ちゃんに会うのも怖かった。だって彼女である夏音ちゃんは、私の事を憎んでいるだろうから。
私は星野君に自分の家を教えていない。なのにあの日、星野君は私の家の近所にいた。それは私の家を唯一知っている夏音ちゃんが、星野君に教えたって事だろう。私と星野君の共通の知り合いは、夏音ちゃんぐらいしかいないから。
こんな状況だが私は大学受験を受け、難なく合格した。私の内心を考えもしない両親はすごく喜んでいた。いつもは何してもスルーのくせに、私が家を出ると確定した途端、態度を変える。自分の両親ながら吐き気がした。
私の居場所はどこにもなくなった。そして─仮面─を外す所もなくなった。学校ではいつも通り笑顔でいて、受験が終わった事によってバイトも再開したからそこでも笑顔を絶やさない。いつもどんな時でも笑顔でいるのが、みんなが求める─私─だから。泣き顔なんて見せてられない。
長期休暇をもらっていたバイトは結局辞めた。あそこの場所に行ったら、絶対星野君の事を思い出して泣いてしまう。そんな人間使えない。だから自分から辞めた。それに夏音ちゃんに会うのも気まずいし。
私は星野君が居なくなった事によって、心から笑う事もなければ好きなアニメも好きと思えなくなってしまった。ようは星野君に会う前の私に戻ったという事だ。もしかしたらそれより状況は悪いかもしれない。だって、前は好きなアニメの事は一人でも好きと思えていたから。それ以上に星野君の事が好きだったということだ。
本来ならばそれは良い事なのに、今は全く良くない。その理由が振られたとかならこの世に生きているからまだいい。私の場合はもう想い人はこの世に居ないのだ。伝えたくても伝えられない。それは自分のせいだと言うことは痛い程わかっている。
その事実が辛くて私は暇さえあれば泣いていた。私に泣く資格がないのはわかってる。だけど止められないのだ。
星野君、ごめんなさい。私があの日逃げないで話を聞いていれば、死なずに済んだのに。ごめんなさい、ごめんなさい。
寝ても醒めても星野君の笑った顔が頭から離れなくて、ずっと自分を責め、届くはずないのに謝っていた。
それでも時は過ぎていく。高校を卒業し、早めの春休みに入った。その間に一人暮らしをする物件を決め、契約をし、引越しの準備に取り掛かった。親が費用を出してくれるから荷物は全部引越し業者に頼む事にした。と言ってもそんなに荷物はないから、一番安いパックで済むだろう。こういう時荷物が少ないと得だ。いやでもどうせ親に出してもらうなら沢山荷物があった方が良かったかも。
そういえば星野君はどこの大学に行きたかったのだろう。それに将来、なりたい物はあったのだろうか。
よくよく考えてみれば私と星野君はアニメの話はするものの、お互いの将来とか、家族関係を聞いた事がなかった。私が家族の事を聞かれたくないから、星野君にも聞かなかった。今思えばもっと色々聞いとけば良かったと思う。
私は星野君の事を全然知らないのに好きになったということだ。もしかしたら裏の星野君はもっと怖いかもしれないのに。...いや、それはないな。星野君は誰に対してもあんな感じだろう。何も考えてなさそうで、よく周りを見ている。その観察力で私の─仮面─にも気づいた。家族ですら気づかなかった、笑顔の─仮面─に。
でもどうして星野君は私の─仮面─に気づいたのだろう。中学の時、接点なんてなくて、バイト先で会った時には既に─仮面─に気づいていた。
「それも聞いとけば良かったなぁ...」
星野君が亡くなってからの私は後悔ばかりしている。ああすればよかった、こうすればよかったって。後悔先に立たずとはこの事かと身をもって知った。
星野君が亡くなってから、良くも悪くも色んな事を知った。好きな人を亡くす辛さ、人生、絶対に次がある訳ではない事。それを糧に成長するのはアニメだけの話だけで、実際はずっとうじうじして糧になんて到底出来ない。
「いよいよ明後日だな。」
淡々と日々を過ごしていると、あっという間に家を出る二日前となっていた。その時には星野君の事もあまり思い出さなくなっていた。
「うん、そうだね...」
「なんだ、元気ないのか?」
「いや、そんな事ないよ!それより珍しいね、私を連れて外食なんて。」
「一人娘が門出だもの。お祝いぐらいするわよ。」
私はあろうことか、両親と太陽と外食に来ていた。今まで私の誕生日すら忘れていた両親が、だ。本当に私が家から出るのが嬉しいのだろう。
でもそれを顔に出したら折角のいい雰囲気が台無しだ。だから私は─仮面─を被って答えた。
「そっか...ありがとう!嬉しいよ。」
「何でも好きな物頼めよ。遠慮なんてしなくていいから。」
「そうよ、これは葉月のお祝いだからね。あ、でも太陽も遠慮なんてしなくていいからね。」
「もちろん、そのつもり。」
「なんだ、図々しいやつだなー」
父親のツッコミで母親はもちろん、太陽も軽く笑った。私も表面上は笑ったが、結局最後に美味しい所を持っていくのは太陽なんだなと冷静に考えていた。
「美味しかったわね!」
「そうだな、またここに来ような。今度は太陽の受験が成功した時だな。」
「そうでなくても二人で来たらいいじゃん。それに俺、その歳になってまで家族と来るとか恥ずいし。」
「太陽は辛辣だなぁ」
はははと、母親と父親は笑った。私は隣を歩いてる太陽を見て、こいつやばいなと思った。どうして思った事ズバッと言っても嫌われないの?もしこれが私だったら生意気って言われて小言が始まるのに。
「あ、そうだ。父さんと母さんは先帰っててよ。俺、姉ちゃんとコンビニ寄ってから帰る。」
「え?」
「あら、そうなの?なら帰るわね。帰り暗いから気をつけるのよ。」
両親は眉をひそめたが、それ以上何も言わず送り出した。
「はいはい。さ、姉ちゃん、行くよ。」
太陽は固まってる私の手を引いて、来た道を戻り始めた。そっちにコンビニなんてない。私は一体、どこに連れて行かれるのだろう。
「姉ちゃん、何欲しい?俺奢るよ。」
「いや、いいよ。自分で買う。」
「俺が勝手にここに連れてきたんだから買うよ。何がいいの?」
「...じゃあ、ミルクティー」
「おけ」
ガコンと、自販機からミルクティーが出てきた。それを受け取ると、温かくて冷えていた手先が温まっていくのを感じた。
太陽は私と二人で話したいからと、公園に連れてきた。そこは皮肉にも、元バイト先の近くの公園。星野君とラーメン屋に行った時、時間をずらしてバイト先に入ろうとして、時間を潰した公園だ。今思えばあの時一緒に入っていれば、星野君は死なずに済んだかもしれない。
次から次へと、星野君との関わりで後悔ばかり出てくる。
「珍しいね、太陽が私と話したいなんて。」
「まあね。あの二人がいる時に話すると、いい顔しないじゃん?だから。」
「あぁ、なるほどね。で、何の話?」
確かに、私と太陽が話しているとあの二人はいい顔をしない。だからと言って太陽と話す事もないからこうやって面と向かって話すのは何年ぶりだろうか。
「話したい事は沢山あったんだ。でも最初はまず、謝らせて。ごめん。」
ベンチに並んで座っていた太陽がいきなり立ち、私に深々と頭を下げてきた。
「謝られる様な事あったっけ。」
考えてもわからない。そんな私を太陽は目を見開いて驚いていた。
「俺がいるせいで、あの二人からの扱いが酷くて姉ちゃんはずっと辛い思いをしてたじゃん。」
「あー、そういう事ね。」
太陽から詳しい話を聞くと、どうやら両親は太陽に私の悪口を毎日のように言っていたらしい。最後には必ずあいつはダメだ、どうして同じ環境で育ったのにこうも違うのか。頼れるのは太陽だけだと言っていたらしい。あまりにも酷い言葉過ぎて、傷つくよりも笑いが先に来た。だったら私を殺すか、施設に居れて、捨てちゃえばすれば良かったのに。
「だから姉ちゃんとなるべく一緒に居ないようにしてたんだ。これ以上、姉ちゃんに辛い思いして欲しくなかったから。」
「そうだったんだ。私はてっきり、太陽も私の事を嫌いなんだと思ってた。」
「そんな事ない。俺、こう見えて姉ちゃんの事尊敬してるんだ。」
「私のどこに尊敬する所あるの?」
学業もスポーツも何もかもが太陽の方が優れている。それなのに私のどこに尊敬する所があるのか。
「好きな事を一人でも追いかけてる所。俺にはそれ、出来ないから。そういう所、尊敬もしてるし羨ましいとも思ってる。」
私が太陽の事を羨ましいと思うように、太陽もまた私の事を羨ましいと思っていたんだ。隣の芝生は青いとはまさにこの事だ。
「確かに、太陽飽きっぽいもんね。」
「そうなんだよ。俺自身、どうにかしないといけないとは思ってるんだよ。どうしたらいいと思う?」
「それ私に聞く?...まぁ、色んな事に興味があるって事でそれはそれでいいんじゃない?これから本当に好きな事が出来ると思う。そしたら人間、変われるよ。」
星野君に出会った私がそうだった。星野君と関わったから、─仮面─を外して色んな人と関わってみたいと思った。だからきっと太陽もそうなると思う。ただ私みたいに、その光を失わないようにだけはして欲しい。
「...そっか。なんか姉ちゃんとこうして話すの、どれぐらいぶりだろう。」
「それ私も思った。太陽さえ良ければ私の家に遊びにおいで。あの家に居たらしんどい事も多そうだし。」
「ありがとう。是非そうさせてもらうよ。」
そこからぽつぽつと、最近学校で流行ってる事や好きな事、マイブームなど、今まで話してこなかった隙間を埋めるみたいに沢山話をした。どの話も面白くて、久々に家族の前で─仮面─を外して笑った。そんな私を太陽は否定しなかった。
私は太陽の事をずっと勘違いしていたみたいだ。太陽は私の事を嫌いなんだ、居なくなって欲しいんだと思っていた。でもそれは違った。太陽はこんな私の事を尊敬してると言ってくれた。話そうと思えばいくらでも話せる方法はあった。だけどそれをしなかったのは結局、自分の弱い所を刺激されたくなかったからだろう。
「そうだ、姉ちゃん。もう一つ大事な事伝えなきゃいけなかったんだ。」
他愛のない話がつき、もうそろそろ帰らないとな、と考え始めた頃。太陽が真面目なトーンでそう言ってきた。
「なに?」
それが少し怖くて、背筋を伸ばした。
「前にうちの近所の交差点で、交通事故があったの知ってるよね?」
「もちろん。」
忘れる訳ない。そのせいで私は最愛の人を失ったのだから。
「そこで亡くなった人居たじゃん?その人の妹と俺、同じクラスなんだ。」
「え!?そうなの?」
星野君に妹が居たのを知らなかった。本当に私は星野君の事を何も知らない。
「うん。で、その妹さんが今度俺ん家に来るんだ。」
「そうなんだ。変な事しないでよ。」
「しねーよ。それに妹さんは俺に会いに来るんじゃなくて、姉ちゃんに会いに来るんだから。」
「え、なんで?」
「あの交通事故で亡くなった人と姉ちゃん、同級生だったんでしょ?その関係で話したい事があるんだって。」
星野君の事をやっと思い出さなくなってきたのに。妹さんに会ってしまえば嫌でも星野君の事を思い出してしまう。そうしたら私はもう正常でいられなくなる気がする。
「いつ来るの?」
そう聞いた私の声は震えていた。
「明日。」
「明日!?」
だけど太陽があっさり明日と言うもんだから、驚いて声を大きく出してしまった。もう少し先の話だろうと思っていた。なのに明日。心の準備も出来ないではないか。
「どうして急に言うの!?」
「仕方ないじゃん。話す機会なかったんだから。」
「ラインとかで良かったじゃん。」
「ほら、今日外食する事、姉ちゃんが色々な準備終わってからって決まってたじゃん?その時に色んな事話すついでに言えばいいかなって。それに姉ちゃん、話す前に俺が言っても、聞く耳持たなかったでしょ?」
「まぁ、一理ある。」
もし太陽の気持ちを聞く前だったら、こうやって素直に話を聞いていなかったかもしれない。それを考えると太陽の判断は正しい。
「明日の何時頃来るの?」
「なるべく早い時間に行くって言ってた。」
「アバウトだな...」
でも星野君の妹らしい。星野君も適当な所あったから。
「さーて、話したい事も話せたし帰るか。」
「そうだね。かなり寒くなってきたし。」
さっき買ってもらったミルクティーはすっかり冷えて、暖かいドリンクとは言われないとわからないぐらいになっていた。
「コンビニ寄るってあの二人に言っちゃったから、寄ってから帰ろ。」
「いいけど、コンビニだけにしてはかなり遅いから怪しまれない?」
「俺が欲しい物がなくて何件も回ってたって事にすればいいよ。そうしたらあの二人は何も言わないから。」
「すごっ。策士だね。」
「まあね、あの二人の扱いは慣れてるから。」
太陽は苦笑した。優遇される側にも悩みってあるのだな。
「姉ちゃんはさ、事故で亡くなった人の事好きだったの?」
コンビニに向かう途中、太陽が聞いてきた。
「なんで?」
「だって部屋でずっと泣きながらその人の名前呼んでるじゃん。」
「そんなに聞こえてたんだ...ごめん。」
太陽の部屋と私の部屋は隣同士にある。でも太陽の部屋からは滅多に音がしなかったから、私の部屋からもしてないと思っていた。まさか聞こえていたとは...。恥ずかしくてそれこそ泣きたくなってくる。
「いや、全然大丈夫。好きな人が亡くなるのは想像を絶する程辛いはずだから。」
「...うん、本当に辛い。でも星野君が死んだのは私のせいだから。私が辛いなんて言葉を使っていいはずないんだ。」
誰にも言うつもりなかった想い。太陽は静かに頷いた。
「そっか。姉ちゃんが思う事に口出しはしないけど、これだけは言わせて。その想い全部、妹さんに話して。絶対。」
「うん、わかった。」
そこで話は終わり、コンビニに入った。太陽は私に肉まんを奢ってくれた。
久々に食べた肉まんは温かくて、どことなく星野君のぬくもりと似たものを感じた。
次の日。私は星野君の妹さんをソワソワと待っていた。
早くに来ると太陽は言っていたから、朝の五時から起きて準備していた。両親は仕事、太陽は友達と遊びに行ってしまったから家には誰も居ない。リビングには時計の針の音が響いている。
今日ここに、星野君の妹が来る。妹さんは私に何を話したいのだろう。それにどうして私と太陽が姉弟とわかったのだろう。どこにでもある苗字だから、名前でわかった訳ではなさそうだ。
ピンポーン。
午前十時。家のチャイムが鳴った。
「はーい」
ゆっくりと玄関の鍵を開けると、そこには星野君をそのまんま女性にした人が立っていた。
「初めまして。兄ちゃん...星野悠の妹の悠香(ゆうか)と言います。」
「初めまして。草辺葉月と言います。...どうぞ上がってください。」
「ありがとうございます。お邪魔します。」
悠香さんがぺこりと頭を下げると、黒髪ボブが綺麗に揺れた。私より五つも下とは思えない程清楚で落ち着いている。
「そこの椅子に座っててください。今、飲み物出しますから。」
「全然、お気遣いなく。」
用意していた紅茶にお湯を入れると、リビング中に紅茶の匂いが広がった。
「どうぞ。お口に合うかわからないんですけど...」
「ありがとうございます、いただきます。...ん、美味しい!どこの紅茶ですか?」
悠香さんは目をキラキラさせながら聞いてきた。紅茶が好きなのだろうか。
「ごめんなさい、家にあったの適当に使ったのでどこのかわからないんです...」
「あ、そうなんですね...」
「...もし良かったら、少しわけましょうか?」
あからさまに落ち込む悠香さんを見ていられなくて声を掛けると、再び目をキラキラさせた。
「いいんですか!?」
「はい!家族もそんなに紅茶を飲む人じゃないので。」
「ありがとうございます!」
「今持ってきますね。」
瓶に入った紅茶のパックを数パック取り出し、透明の袋に入れて悠香さんに渡した。
「ごめんなさい、何に入れたらいいかわからなくてそのまま袋に入れちゃいました...」
「全然大丈夫ですよ!これをお供に本読んだら絶対最高だろうなぁ...」
紅茶のパックを見ながら目を細める悠香さんは、星野君にそっくりだった。やはり兄妹だなと改めて思った。
「今日私が来る事、いつ太陽君から聞きましたか?」
悠香さんは私が向かいに側に座ると聞いてきた。
「昨日です。ちょうど二人で話す機会があって、その時に。」
「そうだったんですね。太陽君には早目に言っといてって伝えてたのですが...。予定とか大丈夫でしたか?」
「明日でこの家を出るので、元々予定入れてなかったんです。だから大丈夫ですよ。」
「そんな大変な時にお時間を頂きありがとうございます。それじゃあ早く終わらせた方がいいですね。本題に入りますね。...葉月さんは、兄ちゃんの事を誤解してます。」
「え?」
急に星野君の話題になって、飲んでいた紅茶のカップを落としそうになった。
「多分、葉月さんは兄ちゃんに彼女が居ると誤解してると思います。だけどあんなアニオタに彼女なんて出来るわけありません。断言しますし、本人も居ないって言ってました。むしろ好きな人に誤解されててどうしようと悩んでいました。」
「好きな人って...」
「はい、葉月さん、あなたの事です。兄ちゃんは葉月さんの事が好きでした。バイト先の人にも相談してたみたいです。」
パズルの最後のひとピースがハマった気がした。バイト先で相談していた人と言うのは、夏音ちゃんの事だろう。そしてあの日、私が二人の会話を勘違いしたのは最初から聞いていなかったから。それなのに勝手に二人は付き合ってると決めつけて、一人で被害者ぶって。
私はなんて取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。もしあの時、勇気を出して事務所に入っていれば。星野君は今も生きていて、もしかしたら私の隣に居たかもしれない。
「そうだったんだ...」
色々とショックで、そう言うのが精一杯だった。
「はい。私ももっと早く葉月さんにこの事を話に来たかったのですが、少し忙しくて...。遅くなってしまってごめんなさい。」
「そんな事ないです!むしろ謝らなきゃいけないのは私の方です。」
また頭を下げられて、心が痛くなった。私の勘違いで星野君は死んだのに。悠香さんが謝る事なんて何一つないのに。
「え?」
「私の勘違いがなかったら、星野君は今も生きてたと思います。だから私のせいで星野君は死んだんです。本当にごめんなさい。謝っても許してもらえるとは思ってません。だけどごめんなさい。」
─その想い、全部妹さんに話して。絶対。─
昨日太陽に言われた通り、自分が思っている事を全て告白した。謝っても星野君は帰ってこない。だからと言って謝らなくていい訳ではない。
「そんな...葉月さんのせいじゃないです。たまたま兄ちゃんの運が悪かっただけです。だからどうか頭を上げてください。」
机に頭がつきそうなほど頭を下げていると、悠香さんが焦りながらそう促してきた。ゆっくり頭を上げ、あの日あった事を話した。
「あの日、星野君は多分、私にその勘違いを解こうとして話に来たんです。でも私は自分の事でいっぱいいっぱいで。酷い言葉を言っちゃって、そのまま逃げたんです。そしたらその言葉が最後になるなんて...。ごめんなさい、ごめんなさい...!」
悠香さんに謝っているのか、星野君に謝っているのかわからなかった。そんな私を悠香さんは慰めてくれた。
「誰だってその会話が最後になるなんて思いません。だから葉月さんが悪い訳じゃないです。悪いのは信号無視をした車です。」
悠香さんの言う事も一理ある。信号無視した車がきちんと止まっていれば、星野君が事故に遭う事はなかった。それはわかっている。ようは自分の気持ちの問題なのだ。現に私がちゃんと話を聞いていれば、星野君が事故現場に行く事もなかったのだから。
「...本当に悪いのは事故を起こした車だって事はわかってます。だけど自分の気持ちが収まらないんです。だって私が話を聞いていれば星野君が事故現場に行く事はなかったから。」
「確かにそうですね。でもそんなに自分を責めても意味ないです。自分を責めて、兄ちゃんが帰ってくるわけでもないのに。何より、葉月さんが苦しむのを兄ちゃんは望んでないです。」
「...っ」
悠香さんが言っている事は全部正しい。自分を責めても、星野君が帰ってくるわけじゃない。私が自分を責めているのは結局、自分を守りたいからだ。私はこんなに反省してるんだ、だからみんな私の事を責めないでって心のどこかで思っているのだ。誰も私の事なんて責めてないのに。実の家族の悠香さんだって私の事は責めず、悪いのは事故を起こした車だって割り切ってるのに。
それを五つも下の人に言われてやっと気づくなんて。もうどっちが年上なのかわからない。
「あ...言い方強かったですよね、ごめんなさい!だから泣かないでください。」
「え...あ、私泣いてるんだ...」
悠香さんに言われて、やっと自分が泣いている事に気づいた。星野君が亡くなってから、私は一体どれぐらい泣いたのだろう。
「ごめんなさい、早く泣きやみます。」
「全然大丈夫ですよ。兄ちゃんの事、すごく大事に想ってたんですよね?ありがとうございます。」
お礼を言うのは私の方だ。星野君と私が再会して、仲良くしてくれたからこの想いや─仮面─を被らなくてもいいのだとわかった。
「こちらこそっ、星野君が想ってくれたから色んな事に気づけました。ありがとうございますっ。」
泣きじゃくりながらお礼を言い悠香さんを見ると、星野君そっくりの顔で微笑んでいた。それが星野君にされているようで、また涙が溢れた。そんな私を悠香さんは静かに見守ってくれた。
「すみません、もう大丈夫です...」
もうすぐ大学生になろう人が大泣きして、五つも年下の子に待ってもらった図が冷静に考えると恥ずかしい。
悠香さんは興奮気味で話し始めた。
「泣くほど兄ちゃんの事が好きって事じゃないですか!素晴らしいです。もし嫌ではなかったらこの出来事を小説にしてもいいですか!?もちろん、本名では書かないし、フィクションも加えます。」
紅茶の件と言い、どうやら悠香さんは好きな事になると饒舌になるようだ。それは私や星野君でも言える事だけど。
「いいですよ。本、お好きなんですか?」
「はい!年間百冊以上は読みます。」
私がアニメを好きなように、悠香さんは本が好きなんだ。本オタクと言うのだろうか。そういう人には出会った事がないから新鮮だ。
「私、あんまり本を読まないから、本を読む人尊敬します!」
「ありがとうございます!本はいいですよ!現実では有り得ない事が本では体験出来るのでおすすめです。」
「そうなんですね。やっぱり好きな作家さんとかあるんですか?」
本好きな人は大体推し作家がいるとなにかで見た。
「ありますよ!私のおすすめは愛先生の小説ですね。実体験を元に何作も書いてて、それが壮絶な話なのに今は幸せに暮らしてるみたいで、そういう所が推せます。」
「なるほど...」
私も星野君に対して好きなアニメの話をしてる時、こんな早口で目をキラキラさせていたのかな。
その人...愛さんに是非会ってみたいな。壮絶な過去を持っていて、今は幸せに暮らしてる。どうやって幸せになったのか聞いてみたい。
「まあ私の話は置いといて、私からも質問してもいいですか?」
「え、あ、はい」
何を聞かれるのだろうか。怖くて姿勢を正した。
「生前の兄ちゃんはどんな人だったんですか?家ではほぼアニメの話しかしてなかったから...」
そんな大した事なくて安心した。
「私と話すのもアニメの話だけだったので、家との差はそんなにないと思います。星野君に妹が居た事を、太陽に言われて初めて知ったので。」
「そうなんですね...」
「あ、でも多分、星野君がどんな人だったかを聞くなら夏音ちゃんっていうバイト先が同じだった女の子がいるんですけど、その子に聞いた方がいいです。私より星野君の事詳しいと思います。」
落ち込んでしまった悠香さんを慰めるように。早口で夏音ちゃんを紹介した。
「あ、その子にはもう話を聞きに行ったんです。」
「え?」
話を聞いてみると、星野君が事故で亡くなった後、奇跡的にスマホは無事だったみたいで、そこから直近で連絡を取りあっていた人達に話を聞きに行ったらしい。生前の星野君の事を聞きたかったのもあるし、私を探す目的でもあったみたいだ。
「夏音さんって方に葉月さんの名字が草辺って聞いて、そういえば草辺って同じクラスに居るなって思って。太陽君に聞いてみたら葉月さんがお姉さんって言うから、ここまで辿り着けました。」
だからここに来たばかりの時、少し忙しかったと言っていたのか。それにしても凄い。一人の証言で、ここまで辿り着ける人は早々いない。将来は探偵になれそうだ。
「すごい...探偵みたい...」
「そんな事ないですよ。皆さんが沢山のヒントをくれたからここまで辿り着けました。皆さんのおかげです。まぁ一番は、クラスに太陽君がいた事なんですけどね。」
「それでもすごいですよ!悠香さんもお兄さんを亡くして辛いのに、私を探して話に来てくれて。本当にありがとうございます。」
もし悠香さんが話に来なかったら、私はずっと勘違いしたままこれからの人生を過ごす所だった。それは自分自身にも、星野君に対しても良くない。悠香さんが来なかったら、こうも思わなかっただろう。感謝してもしきれない。
「私こそ、急に来たのに出迎えてくれてありがとうございます。それと、兄ちゃんの事を好いてくれてありがとうございます。」
悠香さんは静かに涙を流しながら軽く頭を下げた。その涙は今まで見てきたどの涙よりも綺麗だった。
「これ使ってください。」
「え、あ、ありがとうございます。」
ハンカチを渡すと、優しく自分の目元を拭く悠香さん。その姿も絵になる。
「ハンカチ、洗って返しますね。」
「もし良かったらそのハンカチ、あげます。まだ一回も使ってないので綺麗です。」
「え!尚更申し訳ないです。」
「いいんです。むしろ貰ってください。今日会えて、本当に良かったです。そのお礼だと思って。」
「...わかりました、ありがとうございます。大事にします!」
ハンカチを大事そうに握る悠香さんを見て、そういえば結局私は星野君にアクリルスタンドを貰ったお礼をしていなかった事を思い出した。なんでも後回しはダメだなと実感した。
「今日はお忙しい中、ありがとうございました。」
「こちらこそ、色々と知れてよかったです。ありがとうございます。」
「紅茶も美味しくいただきますね。」
「ぜひ飲んでください。今度メーカーを聞いておきます。そしたらまたお知らせしますね。」
「ありがとうございます!楽しみにしてます。」
私達はあの後、星野君の事を沢山話した。星野君の部屋はどんななのか、好きな教科や食べ物など本当に些細な事を私が聞いて、悠香さんはなんでも教えてくれた。
ずっと気になっていた将来、なにになりたかったのかも。将来の夢を聞いた時は星野君らしいと、つい笑ってしまった。
「今度私と会う時は一人暮らししてるので、ぜひ泊まりに来てくださいね。」
「行きます!あの...もし良かったら敬語じゃなくてタメ口でもいいですか?ずっとお姉ちゃんが欲しくて...」
「もちろんだよ!」
「きゃっ」
モジモジと恥ずかしそうにしている悠香さん...いや、悠香ちゃんが可愛くてつい抱きしめてしまった。
「悠香ちゃん、見た時から可愛くて私も仲良くなれたらいいなって思ってたんだけど、私なんかが仲良くなっていい相手じゃないって思って言えなかったの。」
「可愛いなんてそんな...。それと、ちょっと苦しいです...」
「あぁ、ごめんね!」
悠香ちゃんを解放させてあげると、顔を見合せて笑った。心から笑い合うなんて、星野君と一緒に居た時以来だ。その流れで私達は連絡先を交換した。
「兄ちゃんが言っていたの、今ならわかる気がするな...」
「ごめん、聞き取れなかった。何か言った?」
「いや、独り言だから大丈夫!あ、そうだ。これを渡さないと。はい、これ。」
悠香ちゃんが渡してきたのは薄いピンクの紙の手紙だった。表には私の苗字、裏には星野君の名前が書いてあった。
「星野君からの手紙?」
「うん。兄ちゃんの荷物を整理してたら通学カバンから出てきた。中身は誰も見てないから大丈夫。」
「ありがとう。読んでみる。」
「うん、そうして。それじゃあ、また今度家に遊びに行くね!落ち着いたら連絡してー」
「わかった、待ってるね!気をつけて帰るんだよー」
「はーい」
悠香ちゃんの姿が見えなくなるまで見送り、家に入るとすぐに部屋に籠った。
星野君が手紙を書いてまで伝えたかった事はなんなのだろう。どきどきしながら中から便箋を取りだした。
─草辺さんへ─
まず初めに、今回、初めて手紙を書くので書き方が変かもしれません。それでも頑張って書いたので最後まで読んでほしいです。
手紙を書こうと思った理由は、草辺さんが俺と夏音さんとの関係を勘違いしていると思い、その誤解を解くために手紙を書きました。
ラインでも送ったと思うけど、俺と夏音さんは付き合っていません。夏音さんと仲良くしていたのは、俺の恋愛相談をしていたからです。そしてその相談相手は草辺さん、あなたです。
俺は草辺さんの事が好きです。草辺さんの存在全てが好きですが、いつも笑顔を絶やさない所や、俺に対して本当の笑顔で笑ってくれる所が特に好きです。
もしこの気持ちに応えてくれるなら、受験が終わった次の日、ショッピングモールに朝十時に来て下さい。そこで俺自身からも気持ちを伝えます。
最後に、草辺さんは自分自身に自信がもてたら俺にしてくれるような顔で他の人にも接するって言ったけど、言われた時は少し嫉妬した。だって本心から笑ってる草辺さんはキラキラしてて、可愛いから。他の人に見せたくないって思った。だけど草辺さん自身、変わろうとしてるんだよね。それを否定する訳にはいかないから、俺はそんな草辺さんを応援するよ。それと、草辺さんはもっと自分に自信をもって大丈夫だよ。もしそれで離れていく人がいるなら、俺が傍にいるから。だからもっと草辺さんの良い所、色んな人に広めよう。
それじゃあ、ショッピングモールで待ってるから。
星野 悠 より
手紙を読み終えると同時に私は家を出ていた。ショッピングモールに向かう為だ。
星野君がそこに居ない事はわかっている。だけど向かわずにはいられなかった。
確か受験の次の日はショッピングモールに入っているお店で好きなアニメのグッズの発売初日だった。ビジュアル的にも私が好きなやつ。だから星野君は誘ってくれたのだろう。私と仲直りする為に。
ショッピングモールに着き、アニメグッズが売っているお店に行くと、品数はかなり少なかったが私と星野君が好きなキャラのアクリルスタンドが偶然にも、一つずつ残っていた。
それらをすぐ手に取ってお会計した。この二つは絶対離してはいけないと思ったから。
私が主人公推し、星野君がヒロイン推しだったからだ。
このアニメの内容は、最初は恋人同士だった主人公とヒロインが喧嘩をしてしまい別れ、彼女の方が敵側に心を操られ、敵側になってしまう。その彼女を救う為に主人公が敵を倒していく良くありがちな話だ。
最終的にこの二人は恋人同士に戻るのだが、戻るまでのストーリーが深くて涙無しでは観れない。
そして主人公がかっこいいのはもちろん、ヒロインも最初は可愛いだけなのだが敵側に操られた事によってかっこよくなる。そこが星野君がヒロインを好きになったポイントみたいだ。
だからこの二人のアクリルスタンドは離してはいけない。私と星野君はどう足掻いても一緒に居る事は出来ない。だからせめてアクリルスタンドぐらいは二人で居させてあげたい。
それにこのアクリルスタンドのビジュアルは、二人が恋人に戻り、結婚式を挙げる時のビジュアルだ。私と星野君と何もかもが反対だ。
「葉月ちゃん...?」
アニメグッズを買ったお店の前のベンチで座っていると、夏音ちゃんがおずおずと声を掛けてきた。
「夏音ちゃん...久しぶり。」
私が無断欠勤する前に会ったきりだったから、半年は会っていない。声だけで言えば、星野君が亡くなった時に聞いているが。
「久しぶり。元気だった?」
夏音ちゃんは気まずいはずなのに、いつも通りの態度で私に接してくれた。
「元気だったよ。そういう夏音ちゃんも元気だった?」
「私も元気だったよ。...ねぇ、もしこれから時間あったらカフェ行かない?」
「...いいよ」
ショッピングモールに急いで来たから服も適当だが、頷いた。人前に出ても恥ずかしくないような服は着てるし、なにより新しい生活をする前に、色々な事をきちんとしようと思ったからだ。
これも悠香ちゃんが家に来なかったら考えなかった事だ。いや、考えられなかった事。でも今は違う。いつまでもうじうじしているだけではダメって、気づけたから。
「葉月ちゃんは大学、どういう所にしたの?」
カフェに入って注文が終わると、夏音ちゃんが聞いてきた。
「就職が有利な大学。特段とやりたい事もなかったから。」
「すごーい!夏音はね、アパレル系の大学に行くんだ。」
確かに夏音ちゃんはいつもオシャレで、バイトに来る時ですら可愛い服を着ていた。
「夏音ちゃん、オシャレだもんね。良いと思う。」
「えー、嬉しい!ありがとう!」
話が一段落するのを見計らったみたいに、注文した品が届いた。私がカフェオレで、夏音ちゃんがオレンジジュースだ。
「カフェに来てオレンジジュースって変だよね。コーヒーが苦手なんだよね。」
自嘲気味に笑う夏音ちゃんを見て、胸がぎゅっと掴まれてる感覚になった。
「そうなんだ。でもカフェのオレンジジュースって市販のとは違う味がして美味しいよね。私も好きだよ。」
私も一時期オレンジジュースにハマって、色んな所のオレンジジュースを飲みまくった。それで辿り着いたのがカフェのオレンジジュースはどこもめちゃくちゃ美味しいという事だ。
だからカフェでオレンジジュースを頼む人を変だとは思わないが、世間では変だと思うのだろう。だって肯定した私を見て、夏音ちゃんは目を見開いていたから。
「そんな事初めて言われた。いつも友達には変としか言われなかったから...」
「人それぞれ好き嫌いあるからね。自分の好きな事を肯定してくれない人となんていなきゃいいんだよ。あ、でもその友達がそれ以外では話が合うとかだったら別だけど。」
自分で発した言葉だけど、自分で言っている気がしなかった。
「そっか、無理してその子といる必要ないんだね。」
「うん。夏音ちゃんはいつも明るくて元気いっぱいなのが沢山ある良い所の一つなんだから、それを消す様な人間となんて居ない方がいいよ。もったいない。」
素直に思っていた事を言うと、夏音ちゃんは笑った。
「なんで笑うの!?」
「ごめんごめん。葉月ちゃんが私の事そう思ってたんだなって思うと嬉しくて。なんか葉月ちゃん、変わったね?」
「そう?」
「うん。今の葉月ちゃんの方が夏音は好きだなぁ。」
夏音ちゃんの言葉で、さっき自分が発した言葉が自分で言っている気がしなかったのは、考えが変わったからだという事に気がついた。その考えを変えてくれたのは紛れもなく星野君の手紙だ。
「今日、星野君の妹の悠香ちゃんがうちに来たんだ。そのおかげかも。」
だけど私は手紙の事は言わなかった。あの手紙は私だけの物。星野君が伝えたかった事が全部書かれた手紙。他の人に言いふらすのはやめようと思ったのだ。
「夏音の家にも来たよ。中一なのにしっかりしてるよね。」
「私も思った。弟と同い年とは思えない。」
太陽は歳相応の振る舞いだが、悠香ちゃんは本を沢山読んでいるからなのだろうか、実年齢よりプラス二ぐらい上な気がする。
そこで会話が終了してしまった。いつもだったら夏音ちゃんから色んな話題を提供してくれるから、無言になった事などなかった。
私は夏音ちゃんの優しさに甘えていたのだなと実感した。
「葉月ちゃん、あのね...」
無言を断ち切ったのは夏音ちゃんだった。
「私、悠君の事が好きだったの。」
その言葉と同時に夏音ちゃんは一筋の涙を零した。その涙は次々に溢れてきた。
「一目惚れってやつなのかな。初めてバイト先で会った時に好きだってなったの。だけどすぐに告白するのは変な人に見られるから。もっと仲良くなってから告白しようと思って、仲良くなる為に色んな話をした。そして仲良くなったかなって思った矢先、葉月ちゃんが入って来たの。」
夏音ちゃんはそこで言葉を切った。涙を拭く目的でもあるのだろうが、実際は違う。これ以上話して、私に嫌われてしまう事を恐れているのだ。
昨日までの私と、全く同じ事を考えているから。その思いは痛い程わかる。だから今、私がかける言葉は。
「夏音ちゃんのペースでいいから、その先の話も聞きたいな。大丈夫、私はどんな夏音ちゃんでも受け止めるよ。」
私がかけて欲しかった言葉を夏音ちゃんにかけた。
夏音ちゃんは少し迷ってから続きを話してくれた。
「葉月ちゃんが入ってきた時は同年代の女の子が入って来て嬉しかったの。でも悠君と葉月ちゃんが再会して。悠君は葉月ちゃんの事しか見てないし、考えなくなったの。」
「それにすごく腹が立った。私の方が先に働いてて、好きになったのに。悠君が葉月ちゃんの話をする度にイライラした。どうして大して関わりもなかった葉月ちゃんなのって。でもそう思う自分も嫌で。」
「だからこの気持ちを整理する為に、悠君に告白したの。結果は聞かなくてもわかると思うけど、ダメだった。でもずっと葉月ちゃんの事を嫌うよりかは気持ちが楽になった。素直に、悠君と葉月ちゃんの事を応援しようと思えた。」
「悠君に葉月ちゃんの事を沢山聞かれて、答えた。その時間も楽しくて好きになりかけてたの。だけどあの日、悠君が葉月ちゃんに想いを伝えるにはどこがいいか聞かれて答えた。でも葉月ちゃん、それを事務所の外から聞いちゃったんだよね?それも夏音達が付き合ってると思うような所だけを。だからその日のバイトに来なくて、それ以降一回も来なかった。」
「葉月ちゃんに申し訳ない事したと思って何回も連絡したんだけど、全部無視されて。それに大してもイラッとした。夏音はただ相談に乗ってただけなのに。それを勝手に勘違いして、悠君からの連絡すら無視して。そのせいで悠君は事故に遭った。」
夏音ちゃんの言葉はどれも正しくて、心の痛い所を突いてくる。
聞きたくない。今すぐここから逃げ出したい。でもこれを聞かなければ前に進めないとも思った。
「悠君が事故に遭ってしばらくしてから悠香ちゃんから電話があった。悠君が死んだって。それで葉月ちゃんにも連絡したの。葉月ちゃんも悠君が亡くなった事を知る権利があるから。出てくれないんじゃないかってヒヤヒヤしながら電話掛けたから、出てくれて良かったよ。」
「葉月ちゃんに連絡し終えた後、ニュースでも報道された。場所的に葉月ちゃんに手紙を渡そうとして、事故に遭ったんだって思った。」
「悠君が死んだのは葉月ちゃんのせいだって思った。あの日、葉月ちゃんが夏音達の関係を誤解しなければ、悠君が葉月ちゃん家に行こうとしなかった訳だし。」
「...手紙の事、知ってたの?」
話を遮ってはいけないと思ったけど、聞かずにはいられなかった。
だって私は知らないと思ってさっき言わなかったのだから。
「悠君から、どうしたら誤解を解けるか相談されてたからね。それで悠君の友達に手紙を提案されたみたいで、書いて届ける事も聞いてた。葉月ちゃん家の住所を教えたのも夏音だし。」
やはり私の家の住所を教えたのは夏音ちゃんだったのか。
「話を戻すけど、夏音、毎日葉月ちゃんの事を恨んだ。葉月ちゃんが誤解しなければ。その前に、葉月ちゃんがあのバイト先に来なければ良かったのにって。そうしたら夏音と悠君が付き合ってる未来もあったと思うから。でもね、ある日ふと考えたの。もしこれが逆の立場だったらって。」
「逆の立場...?」
「うん。夏音が葉月ちゃんの立場だったらって。そしたら同じ事してたと思うなって。だって葉月ちゃんも悠君の事が好きだったからあの日誤解した訳でしょ?その気持ちは痛い程わかるから。葉月ちゃんだけを責めるのは違うなって。あの状況じゃ夏音だって勘違いしてただろうし。」
「それに辛いのは夏音だけじゃないとも思った。葉月ちゃんは優しいから、自分のせいで悠君が死んだって毎日自分を責めてそうだなって。そしたら葉月ちゃんに謝らないといけないって考えになったの。勝手に葉月ちゃんの事を恨んで。葉月ちゃんだって辛いのに。だから今謝るね。勝手に恨んでごめん。こんな汚い人だけど、もう一度仲良くしてもらえるかな?」
真っ直ぐな瞳を向けられて、それが眩しくて、一瞬逸らしたくなったが耐えた。
「話してくれてありがとう。私こそ、また仲良くして欲しいな。」
夏音ちゃんは夏音ちゃんなりに悩んでたんだ。それに謝らなければいけないのは私の方だ。夏音ちゃんが言う通り、私が誤解なんてしなければ星野君は生きてた訳だし、私があのバイト先を選ばなければ星野君と夏音ちゃんが付き合っていた未来もあったかもしれない。
でももう遅い。人生はどれだけ後悔してもその時は戻って来ない。大事なのは、その後悔をした後にどうやって生きていくかが重要なのだとやっとわかった。
「ありがとうっ...本当にごめんねっ...」
夏音ちゃんが泣きながら謝るから、つられて私も泣いた。
「ううん、私こそごめんね。勝手に勘違いして、夏音ちゃんの心に傷を負わせて。」
「謝らないでよ。誰にも勘違いする事はあるよね。それに事故を起こしたのは葉月ちゃんじゃないんだし。」
「それ、悠香ちゃんにも言われた。」
「はは、やっぱり悠香ちゃん、中一じゃないのかもね。」
泣きながら私達は笑いあった。幸い、案内された席は人目につかない所だから思う存分泣けた。
「あ、そうだ。葉月ちゃん、大学はどこから通うの?」
泣き終えた私達はお腹が空いてケーキを頼んだ。そのケーキを食べながら夏音ちゃんが聞いてきた。
「一人暮らしするんだ。明日引越し。」
「え!のんびりしてて大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、準備は終わってるし。後は業者さんが運んでくれるの待つだけ。」
「すごーい、大人みたい。」
「そういう夏音ちゃんは大学、どこから通うの?」
「夏音はね、実家から。大学卒業までは実家にいるかなぁ。」
そういえば夏音ちゃんは家族と仲が良かった事を思い出した。
「私さ、両親と仲が良くないから元々一人暮らしはしようとしてたんだけど、引越しとか家の契約の費用全部両親が出してくれてさ。それほど私と居たくなかったんだなって思うと複雑な気持ちだよね。」
「確かに。お金出してくれるのは嬉しいけど、自分が邪魔者みたいで辛いよね。」
「そうそう!」
夏音ちゃんとこんなに深く家族の話をするのは初めてだった。自分の話をしてもつまらないと思っていたから。
だけどそんなつまらない話でもしてもいいのだと知った。それが本当の─私─なのだから。
「今日は沢山話せて良かった。ありがとう。」
カフェを出た帰り道。夏音ちゃんがお礼を言ってきた。少し目元が腫れているけれど、笑顔が可愛かった。
「私こそ話せて良かった。ありがとう。」
私も笑顔を返すと、夏音ちゃんはもっと笑顔になった。
「葉月ちゃん、本当に変わったよね。憑き物が取れた感じ。」
「もう人に嫌われるのを恐れないから。だからこれからは本当の─私─で接していくね。あ、でもそれがもし嫌だったらすぐ言って!」
「嫌になんてならないよ。だって今の葉月ちゃんの方が人間らしくて接しやすいもん。」
「そっか。」
自分では上手く笑顔を作っているつもりでも、周りから見たら作ってる笑顔ってわかっていたのか。
でもその時はそうでなければ人に嫌われるのが怖かったから、その作り笑顔は無駄ではない。いや、無駄にはしない。全部今後の人生に役立てていこう。
「それじゃあ夏音、家族と待ち合わせしてるからここで。今度はきちんと遊びに行こうね!」
「うん!気を付けてね!」
夏音ちゃんと駅で別れ、私は帰路についた。今日は色んな事があった。星野君の妹の悠香ちゃんに会って真実を聞いたり、夏音ちゃんの本心を聞いたり。
もしこの順番が逆だったら、私はちゃんと話を聞かなかっただろう。でもこんなに都合良く物事が進むだろうか。悠香ちゃんと会った後にタイミング良く夏音ちゃんに会えたのが引っかかる。
そこで私は一つの結論に辿り着いた。そしてそれを確認する為、早く帰路を歩いた。早くしないと、聞けなくなってしまうから。
家に入ると太陽の靴があった。リビングを覗いても居ないから、太陽の部屋のドアをノックした。
「太陽、居るでしょ。少し話したいんだけど。」
「はいはーい、入ってー」
少し機嫌がいい太陽に言われドアを開けると、椅子に座ってニコニコしていた。
久々に太陽の部屋に入ったが、本棚には漫画が巻数ばらばらに入っていたり、教科書が適当に入っていたり。男子らしい部屋になっていた。昔はその棚に戦隊モノのおもちゃとか置いてたのに、どこにやったのだろう。
「太陽と悠香ちゃん、グルだったんだよね?」
ドアを閉め、静かに鍵も閉めた。太陽の部屋には勉強を集中する為にと、私の部屋にはつけてくれなかった鍵が取り付けられている。だから私達が話をしていても、両親は簡単に入って来れない。
「なんでそう思うの?」
太陽はニコニコ笑顔を崩さず聞いてきた。少し、いや、かなり変な笑顔だなと思ったが言わなかった。
「だって物事が上手く進みすぎてない?私が星野君からの手紙を読んで、ショッピングモールに行ってたまたま夏音ちゃんと会うなんて。」
「うん、それで?」
「だから太陽と悠香ちゃんが連絡を取り合って、私と夏音ちゃんが話をする機会をくれたのかなって。それに不自然な点はあったんだよ。」
「どういう所が?」
「いつも帰ってくる時間を伝える太陽が、今日は伝えて来なかったから。あと出かける時の持ち物が少なすぎる。」
太陽が出かけた時の事を思い出すと、帰り時間は言わないし持ち物も少なかった。でもその時の私は悠香ちゃんが来る事に緊張してその意味まで考えなかった。多分、そういう私の性質を利用したのだろう。
「はぁー、さすが姉ちゃん。よく人の事見てるね。」
太陽はさっきまでの変なニコニコ笑顔を辞め、柔らかく笑った。
「そうだよ、俺と悠香はグルだったんだよ。悠香から姉ちゃんの動きを聞いて、俺と一緒にショッピングモールに居た夏音さんに、姉ちゃんの所に行くよう仕向けた。」
「私がもしショッピングモールに行かなかったらどうしてたの?だって手紙は読んでないんでしょ?あとなんで夏音ちゃんと一緒に居たの?」
「姉ちゃんが自らモールに行ってくれたのはまじで予想してなかった。行かなかった時はなんとしてでも行かせようとは考えてたんだけどね。...と、まあ、全部順番に話すから。まずは座ったら?どうせあの二人はしばらく帰って来ないし。」
太陽に促されてベットに座った。私が使っているベットより質がいい。
「俺と悠香、付き合ってるんだよ。」
「うん。それで...って、え!?」
言葉の意味を理解し、驚いて太陽を見る。太陽は真顔だった。
「中学生ともなれば恋人の一人や二人居てもおかしくないよ。」
「二人はやばいでしょ。」
「確かに。まあまあ、それはいいとして、俺と悠香は付き合ってて、そのお兄さんが亡くなった時は悠香も辛そうだった。それはもう見てられない程。」
もしかしたら今日の態度は気丈に振る舞っていただけだったのかも。
「それなのにどうして、星野君を事故に遭わせたみたいな人に律儀に誤解を解きに来たの?」
「悠香はお兄さんから姉ちゃんの事をよく聞いてて、恋愛相談も乗ってたみたい。それで姉ちゃんは悪い人じゃないってわかってたから、誤解を解かなきゃいけないって。兄ちゃんもそれを望んでるからって。」
「悠香ちゃん...」
悠香ちゃんは本当に強い。自分で気持ちを持ち直して、人の為に動いた。身内を亡くしてそれを出来る人は中々居ない。
「でもそれには色んな人の話を聞かなきゃいけなかった。だから唯一生き残ってたスマホで直近の人に連絡をしていった。まあ、直近と言っても夏音さん以外居なかったんだけど。」
「夏音ちゃんとは二人で会いに行ったの?」
「うん。そうじゃないと今日に繋げられなかったから。夏音さんが悠香のお兄さんに告白した事、悠香から聞いて知ってたから、姉ちゃんの事恨んでるだろうなって。その心のケアもしないといけないなって。それで何とか今日に間に合わせるように二人でケアをして、今日、適当な理由をつけてショッピングモールに呼び出した。」
「...どうして太陽も協力したの?」
どういう経緯で悠香ちゃんが家に来て、誤解を解いてくれたのか。そして夏音ちゃんの本心を聞けた経緯はわかった。だけど肝心な理由がない。悠香ちゃんは星野君の為だとわかるけど、それに太陽が協力する理由はない。いくら彼女といえど、学生の一ヶ月という結構な時間を使ってまで協力するとは思えなかったのだ。
「悠香の力になりたいと思ったのもあるけど、一番は昨日も話したけど、姉ちゃんには俺と過ごして沢山辛い思いさせたから。少しでも恩返ししたかったんだ。」
「恩返し...?」
「姉ちゃん、俺と会話しなくても夕飯を作ってくれたり、俺の洗濯物も文句一つ言わず干してくれたりしたじゃん。それは並大抵の人じゃないと出来ない。本当に感謝してるんだ。ありがとう。」
昨日は謝罪で、今日はお礼。人に素直にされる事に慣れていない私には、どう反応していいか迷ってしまう。
「それはあの二人に太陽の事やってないと小言を言われるからだよ。自分を守りたかったの。」
「それでもやってくれた事には変わらないから。それによく考えて見なよ。あの二人、姉ちゃんが居なかったら家の事やる人居ないからこんなに仕事出来てないよ。もっと姉ちゃんに感謝するべきだよ。」
太陽の言葉一つ一つが心に染みた。私が今までやってきた事は全部、無駄じゃなかったんだ。
「なんで泣いてんの!?」
今までの行いが認められた気がしてまた涙が出た。この一ヶ月で、どれぐらい涙を流したのだろう。
「ずっと自分の事なんて誰も見てくれないと思ってたから。見てくれてた事が嬉しくて...」
「ほんと姉ちゃんは泣き虫だなぁー」
言い返そうかと思ったが、確かに最近の私は泣いてばかりだから言い返せなかった。そんな私をよそに、太陽は漫画を読み始めた。
「あ、そうだ。今日の夕飯、俺が作るよ。」
「え!?」
泣きじゃくった目でぼーっと太陽の部屋を見渡していると、急に言われた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん。」
「だって太陽、料理作れんの?」
私の記憶の中では太陽が料理を作った事など、一度もない。驚いても無理はない。
「姉ちゃんが高校卒業したら家から追い出す事をあの二人に聞かされてたから、俺が料理作れるようにならないといけないなって思って、この一年間悠香に教えてもらった。」
「なんか今日かなりの情報量なんだけど...。頭の整理が追いつかない。とりあえず今度悠香ちゃんに会ったらお礼するわ。」
「まあまあ、引っ越す前に全部の事がわかって良かったじゃん。これですっきりして大学生活送れるでしょ?」
さーて、夕飯作るかぁと部屋から出て行った太陽を呆然と見る事しか出来なかった。太陽は私がこれからずっと自分を責めない為に、今日という引越しの前日に間に合うように動いてくれたんだ。
太陽の事、ずっと嫌いだった。両親には優遇されて、勉強もスポーツも出来て、友達も沢山いる。私には無いものばかり持ってて、それが悔しくて腹が立って。太陽も私の事嫌いなんだと思う事で、その気持ちをどうにか抑えていた。
でも太陽は本当はすごく優しい人だと言うことがわかった。私としばらく関わらなかったのも、私がこれ以上辛い思いをしない為。そして両親に優遇されてると思っていたけど、それはそれで悩みがあったみたいだ。
夏音ちゃんの事だってそう。夏音ちゃんも、悩みなんてなさそうだと思っていた。でも実際は自分の汚い心と戦ってた。
私は結局、人を表面上の姿でしか見ていなかったのだ。自分は本当の自分を見てって思ってたくせに、人の事は見ないなんて。都合がいいにも程がある。
でもそれに気づけた。だからもうこれからは人を表面上で判断しない。もしそれでも表面上で判断しそうになった時は、今日の事、星野君からもらった手紙を読み返して、思い出そう。そしてこれからは自分も─仮面─を被らずに人と接してみよう。
時によっては被る時も必要だと思うが、ずっと被ってる必要はないのだ。好きな事を好きだと言い、それを認めてくれる人と付き合おう。
「太陽ー、私も手伝うよ」
星野君が好きだと言ってくれた、本当の私で。
「姉ちゃん、早くー」
「ちょっと待ってよ。」
「もう姉ちゃん遅いから置いてく。行こ、悠香。」
「え、あ、うん。」
太陽は私の隣に居た悠香ちゃんにそう声を掛けて、先に行ってしまった。悠香ちゃんは申し訳なさそうな顔をしながら、そのあとをついて行った。
「ふふ、ほんとあの二人ってお似合いだよね。」
私の後ろに居た夏音が、先程悠香ちゃんが居た所に来た。その顔にはうっすら汗が滲んでいる。今日は冬にしては少し歩くだけで汗が滲む陽気だ。
「ね、ほんとお似合いだよね。」
「中学生時代から続いてるカップル、あの二人以外見た事ないかも。」
「しかもほぼ喧嘩もしないみたいだよ。すごいよね。」
「価値観が一緒なんだね。早く結婚しないかなぁ。そしたら私、お化粧したい。」
「もうそろそろするんじゃない?お互いそこそこ稼いでるだろうし。」
夏音はこの二人以外に長く続いてるカップルを見た事ないと言ったが、実は私は一組だけある。その人達は高校生からの付き合いだが、ほぼ変わらないだろう。
その人は愛さんという有名な小説家だ。前に悠香ちゃんが一番好きだと言っていた小説家だ。その人が書いた作品の映画化にも私は携わった。
愛さんは映画化の進行状況にちょくちょく見に来た。作者さんが見に来ることはよくあるが、それで面倒なのが口出しされる事だ。作った作品の解釈がズレてたら怒られるし、怒りが頂点に来ると脚本全部書き直せまで言われた事ある。
だけど愛さんはそんな事一回も言った事なかった。むしろ沢山褒めてくれた。
そんな愛さんと理由は忘れたが二人で話す機会があった。そこで私は、どうして辛い過去があったのに今はそんなに幸せで居られるのかを聞いた。愛さんは優しく笑った。
「確かに、辛い事の方が多かったけど、柊が私の事をずっと好きで居てくれたから今、幸せなんだと思う。」
愛さんは一旦そこで言葉を切ると、私の頭を撫でた。
「葉月さんにも、いつか絶対そういう人が現れるよ。だから大丈夫。」
星野君以外に好きになる人なんて現れるだろうか。
そう思ったが愛さんに言われると不思議と現れる気がして、頷いた。
愛さんとの事を思い出しながら二人で悠香ちゃんと太陽の事を話していると、やっと目的地に辿り着いた。先に行った二人はお参りをしている最中だった。
「あ、やっと来た。俺達、先にお参りしちゃったよ。」
二人がお参りし終わるのを静かに待っていると、先に終わらせた太陽が私達に気づいた。
「全然いいよ。それに多分、私達お参り長くなると思う。だから休憩所行ってていいよ。お金は渡すから。」
「いや、お金はいいよ。元々そのつもりだったし。な、悠香。」
「うん。こっちの事は心配しないで平気だよ。だから葉月ちゃん、兄ちゃんに最近あった事沢山教えてあげてね。葉月ちゃんからも聞きたいだろうから。」
「わかった。ありがとう。」
再び二人を見送り、私と夏音は星野君のお墓の前にしゃがんだ。
星野君が亡くなってから、早い物で十二年が経った。
そして今日は私と太陽、悠香ちゃん、夏音の四人で星野君のお墓参りに来ていた。
「悠君が亡くなってから、もう十二年経つんだね。」
夏音は星野君のお墓を撫でながら呟いた。その顔は寂しそうで、でも懐かしむようななんとも言えない表情をしていた。
「時の流れって早いよね。私達ももう、三十だよ。」
「もう一生独身なままな気がしてきた。」
「同意見。」
顔を見合せて笑い、二人同時に星野君のお墓に向かって手を合わせ、目を瞑った。
星野君、久しぶりだね。今日はいい報告があって来たんだ。
私が映画監督で、太陽が漫画家。悠香ちゃんが脚本家で、夏音ちゃんがメーキャップアーティスト。
それが今の私達の職だ。今日星野君のお墓参りに来たのは命日が近いというのもあるが、この四人が集結した映画が公開されるからだ。
私は大学に進学後、声優になろうと思った。星野君が声優になりたいと言っていたからだ。
あの一件がなかったら、星野君は声優になっていたと思う。だから私がその願いを叶えなければいけない。
その思いがあった私は声優になる為にはどうしたらいいのか色々調べたが、ふと星野君はそんな事望んでいない気がした。星野君の手紙に、私はもっと自由に生きていいと書いてあったのを思い出した。
では私は何になったらいいのか。このまま真面目に勉強して、そこそこの会社に就職も考えた。だが気が乗らない。そんな時に見つけたのが映画監督だ。
映画監督はアニメはもちろん、実写の映画も作らなければいけない。それでも向いていると思ったのは、人を観察するのが得意だからだ。まさか─仮面─を被っている時に使っていた技が職になるとは思わなかった。本当に人生は何が起こるかわからない。
何が起こるかわからないと言えば、太陽と悠香ちゃんの選んだ職にも驚かされた。
悠香ちゃんは最初、小説家になりたいと言っていた。私と星野君の出来事を、物語にしていたぐらいだ。だが私が映画監督になる事を伝えると、なら自分は脚本家になると言い出した。自分の好きな事をやりなと言っても脚本家になると言い切った。その理由がわかったのがこの映画が作られるという話になってからだ。
今回の映画は、太陽が書いた漫画が実写映画になるのだ。太陽が漫画を描いていた事を、私はこの時初めて知った。私が一人暮らしを初めてから描き始め、高校一年生の時にデビューし、そのデビュー作が今回、アニメ化を通り越して実写映画化に抜擢されたのだ。
ちなみにデビューした所は少女漫画雑誌だ。ストーリーは、ずっと笑顔で明るい─仮面─を被っている少女が、一人の男の子と出会い、徐々に─仮面─を外していくストーリーだ。
原作を読んだ時、この作品は私と星野君の事を書いているのだろうなとわかった。フィクションも加えているが、ほぼノンフィクションに近い。でも決定的に違うのはラストだ。
私と星野君は結ばれる事はなかった。だけどこの漫画に出てくる二人は結ばれる。そっちの方が反響がいいからだろうと思っていたら、違った。太陽いわく、漫画でぐらい二人を付き合わせたかったとなんとも優しい理由だった。なのに自分は反響がいいからという、なんて最低な理由を考えてしまったのか。
そして悠香ちゃんが脚本家になると言ったのは、太陽が描いた漫画が映画化した時に携われるように、という本当に太陽を好きなんだなとわかる理由だった。映画化出来る作品なんてほんのひと握りなのに、太陽を信じて脚本家になった悠香ちゃんは凄いと思ったし、愛だなとも思った。
余談だが、両親は太陽が漫画家になるのを最初は否定して、沢山嫌味を言ってきたらしい。だがデビューするとなった途端、手のひらを返してさすが太陽だの、やっぱりうちの子だのとおだててきたらしい。それがかなり気持ち悪かったと、二人で飲みに行った時に愚痴られた。
実写映画化が発表された後は批判が凄かった。それもそのはず。いつの時代も漫画が実写映画化すると、出来が悪いからだ。漫画勢の人からしたらアニメ化もしていないのになぜ実写なんだという理由みたいだ。だが私が作ると発表されると、批判などなくなった。私は自分が受け持った作品をアニメや実写問わず、全部有名にしたからだ。
この三人が揃った事も奇跡なのに、なんと夏音も役者さんのメイク係として揃ったのだ。四人で顔を合わせた時は笑ってしまった。こんな偶然あるのかと。そしてこうも思った。星野君が天国から見てて、四人を揃わせたのかなと。
そうだったら嬉しいな。だって星野君と出会ってなかったら今の私はここにいないし、この四人とも仲良くする事はなかった。今も─仮面─を被ったまま、誰にもアニメが好きな事を言わず、太陽との仲も勘違いしたままだった。
あの時、あの場所で星野君と再会したから今の私がある。感謝してもしきれないし、本音を言えばそれを本人に直接言いたかった。
だけどそれは叶わない。だからお墓の前にはなってしまうけど、お礼を言うね。
私と再会してくれてありがとう。本当の私を否定せず、認めてくれてありがとう。あの日、勘違いして話を聞かなくてごめんなさい。私がそっちに行った時は今度こそ話を聞くから、その時は私の恋人になってください。
おこがましい事を言っている自覚はあるよ。だけど星野君が私に自由に生きろって言ったんだからね。私は自分の好きなように生きるし、好きな事を好きって言うよ。
─そんな草辺さんが俺は好きだよ─
星野君の声が聞こえた。驚いて目を開けると、同じく目を開けた夏音と目が合った。
「もしかして葉月、今、悠君の声が聞こえた?」
「うん。え、夏音も聞こえたの?」
「うん。じゃあ悠君、ここに来たんだね。」
夏音はそう言うと、お墓を見ながら静かに涙を流した。夏音は十二年経った今でも、星野君の事が忘れられないのだ。だから三十になっても彼氏一人作らず、独身を貫いてる。それは私にも言える事だが。
私も星野君のお墓を見る。当然だが、本人の姿は見えない。よくお墓に向かって話すのは無意味だ、そこに死んだ人は居ないって言われるが、私はそんな事ないと思う。だってそうでなければ今聞こえた声に説明がつかないから。あれは絶対星野君の声で、ここに来たのだ。
「悠君、葉月ちゃんになんて言ってた?私には─これからも草辺さんの事よろしくね、夏音さん─だった。」
「私には─そんな草辺さんが俺は好きだよ─だった。星野君、夏音の事は下の名前で呼ぶのに私の事は呼んでくれないんだね。」
少し拗ねたようにお墓に向かって言うと、夏音が笑った。
「でも名前より、好きだよって言われた方が嬉しいよ。」
「そっか。だけどここでぐらい、名前で呼んでくれてもいいんじゃない?ねぇ、星野君?」
「まあまあ、それはあっちで悠君と再会した時の楽しみにしとけって事だよ。それに葉月も悠君の事名前で呼んでないじゃん。」
「だって名前呼ぶの恥ずかしいから...。でもそうだね、あっちに行った時の楽しみにしとくのもいいね。」
「うんうん、楽しみにしてな。わたしはそんな二人を影から見てるからさ。」
影に隠れながら見てるジェスチャーをした夏音が面白くて笑った。
「そろそろ行く?あの二人も待ってるだろうし。」
「そうだね。あー、また明日から忙しい日々が始まるよー」
「映画が公開されちゃえば私達みたいな制作陣は今より暇になるよ。そしたらまたここに来よう。」
「そうだね!それじゃあ悠君、またね。」
「またね、星野君。」
立ち上がると、ずっと同じ体制だったからか足が痺れていた。だが少し歩くと治った。
「葉月、ほんと髪伸びたよね。」
歩いていると、夏音が私の髪を触りながら言った。
「そういう夏音は結構短くしたよね。」
「長い方が似合うと思ってたんだけど、気分転換に短くしたらこっちの方が似合ってたっていうね。」
高校生の時はお互い同じぐらいの髪の長さだったが、今は私は腰ぐらいまでのロング、夏音は顎ぐらいまでのボブカットと、真反対な髪型をしていた。
「うん、夏音は短い方が似合ってるよ。長いのも可愛かったけどね。」
「ありがとう。葉月も長いの、似合ってるよ。といっても短いの見た事ないんだけどね。」
「あー、言われてみたら小さい頃からずっと髪伸ばしてたかも。たまに揃える程度はしてたけど、髪が長いと表情が隠れるからさ、便利だったんだよね。」
「...今も表情を隠したいから髪長くしたままなの?」
私が昔を懐かしむように話したからだろう。夏音は心配そうに聞いてきた。
「んーん、今は伸ばしたいから伸ばしてる。」
「そっか、なら安心。」
夏音は胸をなで下ろした。
私が家族になんて言われて育ったのか、夏音には話した。だから心配してくれたのだろうが、今は本当に吹っ切れてなんとも思っていない。
「ふふ、今日の夜、私の奢りでご飯食べに行こっか。」
「え!いいの!?行く行く!夏音、寿司がいいなぁ」
「あ、一人称夏音に戻ってるよ。」
「え!気づかなかった。ありがとう。」
夏音は自分の事を呼ぶ時はずっと名前でだったが、それだとこれから大人になった時に恥ずかしいからと、大学に進んでからは私と呼ぶようにしたみたいだ。それで私と一緒に居る時にもし、自分の事を名前で呼んでいたら教えて欲しいと言われていた。
「やっぱり、葉月といると気が緩んじゃうなぁ。」
「私の前では一人称、名前でもいいんじゃない?他の所で気をつければいいだけなんだから。」
「そうだとさ、つい癖で名前で呼んじゃいそうで。だから葉月と居る時でも気をつける。」
「そっか。それで話戻すけど、寿司でもいいけどあの二人にもどこがいいか聞かないとね。」
「二人も寿司って言ってくれると信じてる。」
「ははは」
静かな霊園に、私達の笑い声が響いた。
その日の夜。三人に寿司を奢った帰り道。私は近所の海に来ていた。そしてカバンから紙が入った小瓶を取り出した。
靴を脱いで足だけ海に浸かると、冬の夜に海は流石に寒かったが我慢し、小瓶を海に流した。
小瓶の中の紙には、十二年前の私に向けた手紙が入っている。届く訳ないとは思っているが、もし届いたら。今の私はこんな感じなんだよって安心させてあげたい。
─仮面─を被って辛い思いをしていた私。星野君を亡くして辛い思いをしてた私へ。今の私は楽しくやってます。でも今は辛いよね。だけど諦めないで。次期に色々な誤解が解けて、─仮面─を被らなくても生きていけるようになるから。だからそれまで、その辛さに耐えてね。
ふよふよと海の表面を漂っていた小瓶はやがて見えなくなった。これで今日の私のミッションは完了だ。
「あの...!」
帰ろうと海から足を出し、靴を履いていると男の人に声を掛けられた。誰も居ないと思っていたからかなり驚いた。
「なんでしょう?」
夜の海で何をされるかわからない。警戒しながら男の人を見ると、男の人は暗い夜でもわかる程顔を真っ赤にしていた。
「貴方の事、好きです。一目惚れしました。友達からでもいいので付き合ってください...!」
男の人はそう言うと、アニメとかで出てきそうな感じで頭を下げ、手を差し出してきた。
「...私、忘れられない人が居るの。それでもいい?」
急に声を掛けてきて、怪しさ満点だ。なのに私はそう返していた。
「いいです。絶対僕の事好きにさせてみせます。」
ぼんやりとしか見えていなかった男の人の顔が、頭を上げた事によって、月明かりが差しよく見えた。黒縁眼鏡の奥の瞳は、しっかりと私を捉えている。
一目惚れというのも今どき珍しい。それを本人に伝える事も珍しい。この人、もしかしたら今まで人と付き合った事ないのかな。それとも違う時代から来たのかな。
本気でそう考えるぐらいに今、目の前に居る人は今の時代に居なさそうな人間だ。だがどこからともなく星野君に雰囲気が似てる。
「そう。なら友達からよろしくね。」
怪しさしかないのに、男の人の手をとっていた。男の人は一層顔を赤くし、私の事を抱きしめた。初めて男の人に抱きしめられ、男の人って力が強くて、こんなに身体つきも違う事を知った。
ねぇ、星野君。私、この人の事、好きになってもいいかな。もちろん、星野君の事は忘れないよ。ちゃんと星野君の事はずっと想ってるし、自分がした事も忘れない。だけど今、生きている時だけはこの人と生きてもいいかな。
星野君にそう心で問いかけたが、もちろん返事はない。でもきっと星野君なら、草辺さんの自由に生きなって言ってくれる。
私も男の人を控えめに抱き締め返した。男の人は驚いていたが、私を抱きしめる力をもっと強くした。
止まっていた私の恋が、再び動き出した気がした。
そしてその事故はかなり大きい事故で、地元のニュースでも取り上げられた。だがそこで亡くなったのは星野君だけ。他の人も巻き込まれたみたいだが、命に別状はなかったと報道された。
星野君が亡くなったと聞かされてからの私は、ずっと自分を責めていた。
もしあの時、私がきちんと星野君の話を聞いていれば。あの交差点に行く事はなく、星野君が信号無視の車に轢かれて亡くなる事はなかった。私は星野君から本当の事を聞くのが怖くて、思ってもない酷い言葉を投げつけて逃げた。だってその言葉が最後になるなんて思ってもいなかったから。人生なんてなにがあるかわからないのに。
星野君は私の言葉を聞いて、どう思ったのだろう。私の家の近所の交差点で轢かれたって事は多分、逃げた私を追いかけてそのまま帰らぬ人となったのだ。死ぬ直前、何を思って亡くなったのだろう。
私が星野君を殺した。その事実が私の心を支配して、好きなアニメを観ても笑えなくなった。星野君はもう観たくても観れないのに、私が笑っていいはずがない。
私は星野君のお葬式に出なかった。いや、出れなかったのだ。目を閉じたまま、もう二度とあの笑顔を見せてくれないというのを目の前で見てしまえば、現実を認めざるを得ない。今でも涙が止まらないのに、本人を見てしまえば私は絶対壊れると思った。でも私にその資格はない。だって私のせいで星野君は亡くなったのに、その元凶が泣いている姿を遺族は見たくないだろう。
こんなに色んな理由を述べたが、結局星野君の最期に会うのが怖かったのだ。それにお葬式に行けば夏音ちゃんも居る。夏音ちゃんに会うのも怖かった。だって彼女である夏音ちゃんは、私の事を憎んでいるだろうから。
私は星野君に自分の家を教えていない。なのにあの日、星野君は私の家の近所にいた。それは私の家を唯一知っている夏音ちゃんが、星野君に教えたって事だろう。私と星野君の共通の知り合いは、夏音ちゃんぐらいしかいないから。
こんな状況だが私は大学受験を受け、難なく合格した。私の内心を考えもしない両親はすごく喜んでいた。いつもは何してもスルーのくせに、私が家を出ると確定した途端、態度を変える。自分の両親ながら吐き気がした。
私の居場所はどこにもなくなった。そして─仮面─を外す所もなくなった。学校ではいつも通り笑顔でいて、受験が終わった事によってバイトも再開したからそこでも笑顔を絶やさない。いつもどんな時でも笑顔でいるのが、みんなが求める─私─だから。泣き顔なんて見せてられない。
長期休暇をもらっていたバイトは結局辞めた。あそこの場所に行ったら、絶対星野君の事を思い出して泣いてしまう。そんな人間使えない。だから自分から辞めた。それに夏音ちゃんに会うのも気まずいし。
私は星野君が居なくなった事によって、心から笑う事もなければ好きなアニメも好きと思えなくなってしまった。ようは星野君に会う前の私に戻ったという事だ。もしかしたらそれより状況は悪いかもしれない。だって、前は好きなアニメの事は一人でも好きと思えていたから。それ以上に星野君の事が好きだったということだ。
本来ならばそれは良い事なのに、今は全く良くない。その理由が振られたとかならこの世に生きているからまだいい。私の場合はもう想い人はこの世に居ないのだ。伝えたくても伝えられない。それは自分のせいだと言うことは痛い程わかっている。
その事実が辛くて私は暇さえあれば泣いていた。私に泣く資格がないのはわかってる。だけど止められないのだ。
星野君、ごめんなさい。私があの日逃げないで話を聞いていれば、死なずに済んだのに。ごめんなさい、ごめんなさい。
寝ても醒めても星野君の笑った顔が頭から離れなくて、ずっと自分を責め、届くはずないのに謝っていた。
それでも時は過ぎていく。高校を卒業し、早めの春休みに入った。その間に一人暮らしをする物件を決め、契約をし、引越しの準備に取り掛かった。親が費用を出してくれるから荷物は全部引越し業者に頼む事にした。と言ってもそんなに荷物はないから、一番安いパックで済むだろう。こういう時荷物が少ないと得だ。いやでもどうせ親に出してもらうなら沢山荷物があった方が良かったかも。
そういえば星野君はどこの大学に行きたかったのだろう。それに将来、なりたい物はあったのだろうか。
よくよく考えてみれば私と星野君はアニメの話はするものの、お互いの将来とか、家族関係を聞いた事がなかった。私が家族の事を聞かれたくないから、星野君にも聞かなかった。今思えばもっと色々聞いとけば良かったと思う。
私は星野君の事を全然知らないのに好きになったということだ。もしかしたら裏の星野君はもっと怖いかもしれないのに。...いや、それはないな。星野君は誰に対してもあんな感じだろう。何も考えてなさそうで、よく周りを見ている。その観察力で私の─仮面─にも気づいた。家族ですら気づかなかった、笑顔の─仮面─に。
でもどうして星野君は私の─仮面─に気づいたのだろう。中学の時、接点なんてなくて、バイト先で会った時には既に─仮面─に気づいていた。
「それも聞いとけば良かったなぁ...」
星野君が亡くなってからの私は後悔ばかりしている。ああすればよかった、こうすればよかったって。後悔先に立たずとはこの事かと身をもって知った。
星野君が亡くなってから、良くも悪くも色んな事を知った。好きな人を亡くす辛さ、人生、絶対に次がある訳ではない事。それを糧に成長するのはアニメだけの話だけで、実際はずっとうじうじして糧になんて到底出来ない。
「いよいよ明後日だな。」
淡々と日々を過ごしていると、あっという間に家を出る二日前となっていた。その時には星野君の事もあまり思い出さなくなっていた。
「うん、そうだね...」
「なんだ、元気ないのか?」
「いや、そんな事ないよ!それより珍しいね、私を連れて外食なんて。」
「一人娘が門出だもの。お祝いぐらいするわよ。」
私はあろうことか、両親と太陽と外食に来ていた。今まで私の誕生日すら忘れていた両親が、だ。本当に私が家から出るのが嬉しいのだろう。
でもそれを顔に出したら折角のいい雰囲気が台無しだ。だから私は─仮面─を被って答えた。
「そっか...ありがとう!嬉しいよ。」
「何でも好きな物頼めよ。遠慮なんてしなくていいから。」
「そうよ、これは葉月のお祝いだからね。あ、でも太陽も遠慮なんてしなくていいからね。」
「もちろん、そのつもり。」
「なんだ、図々しいやつだなー」
父親のツッコミで母親はもちろん、太陽も軽く笑った。私も表面上は笑ったが、結局最後に美味しい所を持っていくのは太陽なんだなと冷静に考えていた。
「美味しかったわね!」
「そうだな、またここに来ような。今度は太陽の受験が成功した時だな。」
「そうでなくても二人で来たらいいじゃん。それに俺、その歳になってまで家族と来るとか恥ずいし。」
「太陽は辛辣だなぁ」
はははと、母親と父親は笑った。私は隣を歩いてる太陽を見て、こいつやばいなと思った。どうして思った事ズバッと言っても嫌われないの?もしこれが私だったら生意気って言われて小言が始まるのに。
「あ、そうだ。父さんと母さんは先帰っててよ。俺、姉ちゃんとコンビニ寄ってから帰る。」
「え?」
「あら、そうなの?なら帰るわね。帰り暗いから気をつけるのよ。」
両親は眉をひそめたが、それ以上何も言わず送り出した。
「はいはい。さ、姉ちゃん、行くよ。」
太陽は固まってる私の手を引いて、来た道を戻り始めた。そっちにコンビニなんてない。私は一体、どこに連れて行かれるのだろう。
「姉ちゃん、何欲しい?俺奢るよ。」
「いや、いいよ。自分で買う。」
「俺が勝手にここに連れてきたんだから買うよ。何がいいの?」
「...じゃあ、ミルクティー」
「おけ」
ガコンと、自販機からミルクティーが出てきた。それを受け取ると、温かくて冷えていた手先が温まっていくのを感じた。
太陽は私と二人で話したいからと、公園に連れてきた。そこは皮肉にも、元バイト先の近くの公園。星野君とラーメン屋に行った時、時間をずらしてバイト先に入ろうとして、時間を潰した公園だ。今思えばあの時一緒に入っていれば、星野君は死なずに済んだかもしれない。
次から次へと、星野君との関わりで後悔ばかり出てくる。
「珍しいね、太陽が私と話したいなんて。」
「まあね。あの二人がいる時に話すると、いい顔しないじゃん?だから。」
「あぁ、なるほどね。で、何の話?」
確かに、私と太陽が話しているとあの二人はいい顔をしない。だからと言って太陽と話す事もないからこうやって面と向かって話すのは何年ぶりだろうか。
「話したい事は沢山あったんだ。でも最初はまず、謝らせて。ごめん。」
ベンチに並んで座っていた太陽がいきなり立ち、私に深々と頭を下げてきた。
「謝られる様な事あったっけ。」
考えてもわからない。そんな私を太陽は目を見開いて驚いていた。
「俺がいるせいで、あの二人からの扱いが酷くて姉ちゃんはずっと辛い思いをしてたじゃん。」
「あー、そういう事ね。」
太陽から詳しい話を聞くと、どうやら両親は太陽に私の悪口を毎日のように言っていたらしい。最後には必ずあいつはダメだ、どうして同じ環境で育ったのにこうも違うのか。頼れるのは太陽だけだと言っていたらしい。あまりにも酷い言葉過ぎて、傷つくよりも笑いが先に来た。だったら私を殺すか、施設に居れて、捨てちゃえばすれば良かったのに。
「だから姉ちゃんとなるべく一緒に居ないようにしてたんだ。これ以上、姉ちゃんに辛い思いして欲しくなかったから。」
「そうだったんだ。私はてっきり、太陽も私の事を嫌いなんだと思ってた。」
「そんな事ない。俺、こう見えて姉ちゃんの事尊敬してるんだ。」
「私のどこに尊敬する所あるの?」
学業もスポーツも何もかもが太陽の方が優れている。それなのに私のどこに尊敬する所があるのか。
「好きな事を一人でも追いかけてる所。俺にはそれ、出来ないから。そういう所、尊敬もしてるし羨ましいとも思ってる。」
私が太陽の事を羨ましいと思うように、太陽もまた私の事を羨ましいと思っていたんだ。隣の芝生は青いとはまさにこの事だ。
「確かに、太陽飽きっぽいもんね。」
「そうなんだよ。俺自身、どうにかしないといけないとは思ってるんだよ。どうしたらいいと思う?」
「それ私に聞く?...まぁ、色んな事に興味があるって事でそれはそれでいいんじゃない?これから本当に好きな事が出来ると思う。そしたら人間、変われるよ。」
星野君に出会った私がそうだった。星野君と関わったから、─仮面─を外して色んな人と関わってみたいと思った。だからきっと太陽もそうなると思う。ただ私みたいに、その光を失わないようにだけはして欲しい。
「...そっか。なんか姉ちゃんとこうして話すの、どれぐらいぶりだろう。」
「それ私も思った。太陽さえ良ければ私の家に遊びにおいで。あの家に居たらしんどい事も多そうだし。」
「ありがとう。是非そうさせてもらうよ。」
そこからぽつぽつと、最近学校で流行ってる事や好きな事、マイブームなど、今まで話してこなかった隙間を埋めるみたいに沢山話をした。どの話も面白くて、久々に家族の前で─仮面─を外して笑った。そんな私を太陽は否定しなかった。
私は太陽の事をずっと勘違いしていたみたいだ。太陽は私の事を嫌いなんだ、居なくなって欲しいんだと思っていた。でもそれは違った。太陽はこんな私の事を尊敬してると言ってくれた。話そうと思えばいくらでも話せる方法はあった。だけどそれをしなかったのは結局、自分の弱い所を刺激されたくなかったからだろう。
「そうだ、姉ちゃん。もう一つ大事な事伝えなきゃいけなかったんだ。」
他愛のない話がつき、もうそろそろ帰らないとな、と考え始めた頃。太陽が真面目なトーンでそう言ってきた。
「なに?」
それが少し怖くて、背筋を伸ばした。
「前にうちの近所の交差点で、交通事故があったの知ってるよね?」
「もちろん。」
忘れる訳ない。そのせいで私は最愛の人を失ったのだから。
「そこで亡くなった人居たじゃん?その人の妹と俺、同じクラスなんだ。」
「え!?そうなの?」
星野君に妹が居たのを知らなかった。本当に私は星野君の事を何も知らない。
「うん。で、その妹さんが今度俺ん家に来るんだ。」
「そうなんだ。変な事しないでよ。」
「しねーよ。それに妹さんは俺に会いに来るんじゃなくて、姉ちゃんに会いに来るんだから。」
「え、なんで?」
「あの交通事故で亡くなった人と姉ちゃん、同級生だったんでしょ?その関係で話したい事があるんだって。」
星野君の事をやっと思い出さなくなってきたのに。妹さんに会ってしまえば嫌でも星野君の事を思い出してしまう。そうしたら私はもう正常でいられなくなる気がする。
「いつ来るの?」
そう聞いた私の声は震えていた。
「明日。」
「明日!?」
だけど太陽があっさり明日と言うもんだから、驚いて声を大きく出してしまった。もう少し先の話だろうと思っていた。なのに明日。心の準備も出来ないではないか。
「どうして急に言うの!?」
「仕方ないじゃん。話す機会なかったんだから。」
「ラインとかで良かったじゃん。」
「ほら、今日外食する事、姉ちゃんが色々な準備終わってからって決まってたじゃん?その時に色んな事話すついでに言えばいいかなって。それに姉ちゃん、話す前に俺が言っても、聞く耳持たなかったでしょ?」
「まぁ、一理ある。」
もし太陽の気持ちを聞く前だったら、こうやって素直に話を聞いていなかったかもしれない。それを考えると太陽の判断は正しい。
「明日の何時頃来るの?」
「なるべく早い時間に行くって言ってた。」
「アバウトだな...」
でも星野君の妹らしい。星野君も適当な所あったから。
「さーて、話したい事も話せたし帰るか。」
「そうだね。かなり寒くなってきたし。」
さっき買ってもらったミルクティーはすっかり冷えて、暖かいドリンクとは言われないとわからないぐらいになっていた。
「コンビニ寄るってあの二人に言っちゃったから、寄ってから帰ろ。」
「いいけど、コンビニだけにしてはかなり遅いから怪しまれない?」
「俺が欲しい物がなくて何件も回ってたって事にすればいいよ。そうしたらあの二人は何も言わないから。」
「すごっ。策士だね。」
「まあね、あの二人の扱いは慣れてるから。」
太陽は苦笑した。優遇される側にも悩みってあるのだな。
「姉ちゃんはさ、事故で亡くなった人の事好きだったの?」
コンビニに向かう途中、太陽が聞いてきた。
「なんで?」
「だって部屋でずっと泣きながらその人の名前呼んでるじゃん。」
「そんなに聞こえてたんだ...ごめん。」
太陽の部屋と私の部屋は隣同士にある。でも太陽の部屋からは滅多に音がしなかったから、私の部屋からもしてないと思っていた。まさか聞こえていたとは...。恥ずかしくてそれこそ泣きたくなってくる。
「いや、全然大丈夫。好きな人が亡くなるのは想像を絶する程辛いはずだから。」
「...うん、本当に辛い。でも星野君が死んだのは私のせいだから。私が辛いなんて言葉を使っていいはずないんだ。」
誰にも言うつもりなかった想い。太陽は静かに頷いた。
「そっか。姉ちゃんが思う事に口出しはしないけど、これだけは言わせて。その想い全部、妹さんに話して。絶対。」
「うん、わかった。」
そこで話は終わり、コンビニに入った。太陽は私に肉まんを奢ってくれた。
久々に食べた肉まんは温かくて、どことなく星野君のぬくもりと似たものを感じた。
次の日。私は星野君の妹さんをソワソワと待っていた。
早くに来ると太陽は言っていたから、朝の五時から起きて準備していた。両親は仕事、太陽は友達と遊びに行ってしまったから家には誰も居ない。リビングには時計の針の音が響いている。
今日ここに、星野君の妹が来る。妹さんは私に何を話したいのだろう。それにどうして私と太陽が姉弟とわかったのだろう。どこにでもある苗字だから、名前でわかった訳ではなさそうだ。
ピンポーン。
午前十時。家のチャイムが鳴った。
「はーい」
ゆっくりと玄関の鍵を開けると、そこには星野君をそのまんま女性にした人が立っていた。
「初めまして。兄ちゃん...星野悠の妹の悠香(ゆうか)と言います。」
「初めまして。草辺葉月と言います。...どうぞ上がってください。」
「ありがとうございます。お邪魔します。」
悠香さんがぺこりと頭を下げると、黒髪ボブが綺麗に揺れた。私より五つも下とは思えない程清楚で落ち着いている。
「そこの椅子に座っててください。今、飲み物出しますから。」
「全然、お気遣いなく。」
用意していた紅茶にお湯を入れると、リビング中に紅茶の匂いが広がった。
「どうぞ。お口に合うかわからないんですけど...」
「ありがとうございます、いただきます。...ん、美味しい!どこの紅茶ですか?」
悠香さんは目をキラキラさせながら聞いてきた。紅茶が好きなのだろうか。
「ごめんなさい、家にあったの適当に使ったのでどこのかわからないんです...」
「あ、そうなんですね...」
「...もし良かったら、少しわけましょうか?」
あからさまに落ち込む悠香さんを見ていられなくて声を掛けると、再び目をキラキラさせた。
「いいんですか!?」
「はい!家族もそんなに紅茶を飲む人じゃないので。」
「ありがとうございます!」
「今持ってきますね。」
瓶に入った紅茶のパックを数パック取り出し、透明の袋に入れて悠香さんに渡した。
「ごめんなさい、何に入れたらいいかわからなくてそのまま袋に入れちゃいました...」
「全然大丈夫ですよ!これをお供に本読んだら絶対最高だろうなぁ...」
紅茶のパックを見ながら目を細める悠香さんは、星野君にそっくりだった。やはり兄妹だなと改めて思った。
「今日私が来る事、いつ太陽君から聞きましたか?」
悠香さんは私が向かいに側に座ると聞いてきた。
「昨日です。ちょうど二人で話す機会があって、その時に。」
「そうだったんですね。太陽君には早目に言っといてって伝えてたのですが...。予定とか大丈夫でしたか?」
「明日でこの家を出るので、元々予定入れてなかったんです。だから大丈夫ですよ。」
「そんな大変な時にお時間を頂きありがとうございます。それじゃあ早く終わらせた方がいいですね。本題に入りますね。...葉月さんは、兄ちゃんの事を誤解してます。」
「え?」
急に星野君の話題になって、飲んでいた紅茶のカップを落としそうになった。
「多分、葉月さんは兄ちゃんに彼女が居ると誤解してると思います。だけどあんなアニオタに彼女なんて出来るわけありません。断言しますし、本人も居ないって言ってました。むしろ好きな人に誤解されててどうしようと悩んでいました。」
「好きな人って...」
「はい、葉月さん、あなたの事です。兄ちゃんは葉月さんの事が好きでした。バイト先の人にも相談してたみたいです。」
パズルの最後のひとピースがハマった気がした。バイト先で相談していた人と言うのは、夏音ちゃんの事だろう。そしてあの日、私が二人の会話を勘違いしたのは最初から聞いていなかったから。それなのに勝手に二人は付き合ってると決めつけて、一人で被害者ぶって。
私はなんて取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。もしあの時、勇気を出して事務所に入っていれば。星野君は今も生きていて、もしかしたら私の隣に居たかもしれない。
「そうだったんだ...」
色々とショックで、そう言うのが精一杯だった。
「はい。私ももっと早く葉月さんにこの事を話に来たかったのですが、少し忙しくて...。遅くなってしまってごめんなさい。」
「そんな事ないです!むしろ謝らなきゃいけないのは私の方です。」
また頭を下げられて、心が痛くなった。私の勘違いで星野君は死んだのに。悠香さんが謝る事なんて何一つないのに。
「え?」
「私の勘違いがなかったら、星野君は今も生きてたと思います。だから私のせいで星野君は死んだんです。本当にごめんなさい。謝っても許してもらえるとは思ってません。だけどごめんなさい。」
─その想い、全部妹さんに話して。絶対。─
昨日太陽に言われた通り、自分が思っている事を全て告白した。謝っても星野君は帰ってこない。だからと言って謝らなくていい訳ではない。
「そんな...葉月さんのせいじゃないです。たまたま兄ちゃんの運が悪かっただけです。だからどうか頭を上げてください。」
机に頭がつきそうなほど頭を下げていると、悠香さんが焦りながらそう促してきた。ゆっくり頭を上げ、あの日あった事を話した。
「あの日、星野君は多分、私にその勘違いを解こうとして話に来たんです。でも私は自分の事でいっぱいいっぱいで。酷い言葉を言っちゃって、そのまま逃げたんです。そしたらその言葉が最後になるなんて...。ごめんなさい、ごめんなさい...!」
悠香さんに謝っているのか、星野君に謝っているのかわからなかった。そんな私を悠香さんは慰めてくれた。
「誰だってその会話が最後になるなんて思いません。だから葉月さんが悪い訳じゃないです。悪いのは信号無視をした車です。」
悠香さんの言う事も一理ある。信号無視した車がきちんと止まっていれば、星野君が事故に遭う事はなかった。それはわかっている。ようは自分の気持ちの問題なのだ。現に私がちゃんと話を聞いていれば、星野君が事故現場に行く事もなかったのだから。
「...本当に悪いのは事故を起こした車だって事はわかってます。だけど自分の気持ちが収まらないんです。だって私が話を聞いていれば星野君が事故現場に行く事はなかったから。」
「確かにそうですね。でもそんなに自分を責めても意味ないです。自分を責めて、兄ちゃんが帰ってくるわけでもないのに。何より、葉月さんが苦しむのを兄ちゃんは望んでないです。」
「...っ」
悠香さんが言っている事は全部正しい。自分を責めても、星野君が帰ってくるわけじゃない。私が自分を責めているのは結局、自分を守りたいからだ。私はこんなに反省してるんだ、だからみんな私の事を責めないでって心のどこかで思っているのだ。誰も私の事なんて責めてないのに。実の家族の悠香さんだって私の事は責めず、悪いのは事故を起こした車だって割り切ってるのに。
それを五つも下の人に言われてやっと気づくなんて。もうどっちが年上なのかわからない。
「あ...言い方強かったですよね、ごめんなさい!だから泣かないでください。」
「え...あ、私泣いてるんだ...」
悠香さんに言われて、やっと自分が泣いている事に気づいた。星野君が亡くなってから、私は一体どれぐらい泣いたのだろう。
「ごめんなさい、早く泣きやみます。」
「全然大丈夫ですよ。兄ちゃんの事、すごく大事に想ってたんですよね?ありがとうございます。」
お礼を言うのは私の方だ。星野君と私が再会して、仲良くしてくれたからこの想いや─仮面─を被らなくてもいいのだとわかった。
「こちらこそっ、星野君が想ってくれたから色んな事に気づけました。ありがとうございますっ。」
泣きじゃくりながらお礼を言い悠香さんを見ると、星野君そっくりの顔で微笑んでいた。それが星野君にされているようで、また涙が溢れた。そんな私を悠香さんは静かに見守ってくれた。
「すみません、もう大丈夫です...」
もうすぐ大学生になろう人が大泣きして、五つも年下の子に待ってもらった図が冷静に考えると恥ずかしい。
悠香さんは興奮気味で話し始めた。
「泣くほど兄ちゃんの事が好きって事じゃないですか!素晴らしいです。もし嫌ではなかったらこの出来事を小説にしてもいいですか!?もちろん、本名では書かないし、フィクションも加えます。」
紅茶の件と言い、どうやら悠香さんは好きな事になると饒舌になるようだ。それは私や星野君でも言える事だけど。
「いいですよ。本、お好きなんですか?」
「はい!年間百冊以上は読みます。」
私がアニメを好きなように、悠香さんは本が好きなんだ。本オタクと言うのだろうか。そういう人には出会った事がないから新鮮だ。
「私、あんまり本を読まないから、本を読む人尊敬します!」
「ありがとうございます!本はいいですよ!現実では有り得ない事が本では体験出来るのでおすすめです。」
「そうなんですね。やっぱり好きな作家さんとかあるんですか?」
本好きな人は大体推し作家がいるとなにかで見た。
「ありますよ!私のおすすめは愛先生の小説ですね。実体験を元に何作も書いてて、それが壮絶な話なのに今は幸せに暮らしてるみたいで、そういう所が推せます。」
「なるほど...」
私も星野君に対して好きなアニメの話をしてる時、こんな早口で目をキラキラさせていたのかな。
その人...愛さんに是非会ってみたいな。壮絶な過去を持っていて、今は幸せに暮らしてる。どうやって幸せになったのか聞いてみたい。
「まあ私の話は置いといて、私からも質問してもいいですか?」
「え、あ、はい」
何を聞かれるのだろうか。怖くて姿勢を正した。
「生前の兄ちゃんはどんな人だったんですか?家ではほぼアニメの話しかしてなかったから...」
そんな大した事なくて安心した。
「私と話すのもアニメの話だけだったので、家との差はそんなにないと思います。星野君に妹が居た事を、太陽に言われて初めて知ったので。」
「そうなんですね...」
「あ、でも多分、星野君がどんな人だったかを聞くなら夏音ちゃんっていうバイト先が同じだった女の子がいるんですけど、その子に聞いた方がいいです。私より星野君の事詳しいと思います。」
落ち込んでしまった悠香さんを慰めるように。早口で夏音ちゃんを紹介した。
「あ、その子にはもう話を聞きに行ったんです。」
「え?」
話を聞いてみると、星野君が事故で亡くなった後、奇跡的にスマホは無事だったみたいで、そこから直近で連絡を取りあっていた人達に話を聞きに行ったらしい。生前の星野君の事を聞きたかったのもあるし、私を探す目的でもあったみたいだ。
「夏音さんって方に葉月さんの名字が草辺って聞いて、そういえば草辺って同じクラスに居るなって思って。太陽君に聞いてみたら葉月さんがお姉さんって言うから、ここまで辿り着けました。」
だからここに来たばかりの時、少し忙しかったと言っていたのか。それにしても凄い。一人の証言で、ここまで辿り着ける人は早々いない。将来は探偵になれそうだ。
「すごい...探偵みたい...」
「そんな事ないですよ。皆さんが沢山のヒントをくれたからここまで辿り着けました。皆さんのおかげです。まぁ一番は、クラスに太陽君がいた事なんですけどね。」
「それでもすごいですよ!悠香さんもお兄さんを亡くして辛いのに、私を探して話に来てくれて。本当にありがとうございます。」
もし悠香さんが話に来なかったら、私はずっと勘違いしたままこれからの人生を過ごす所だった。それは自分自身にも、星野君に対しても良くない。悠香さんが来なかったら、こうも思わなかっただろう。感謝してもしきれない。
「私こそ、急に来たのに出迎えてくれてありがとうございます。それと、兄ちゃんの事を好いてくれてありがとうございます。」
悠香さんは静かに涙を流しながら軽く頭を下げた。その涙は今まで見てきたどの涙よりも綺麗だった。
「これ使ってください。」
「え、あ、ありがとうございます。」
ハンカチを渡すと、優しく自分の目元を拭く悠香さん。その姿も絵になる。
「ハンカチ、洗って返しますね。」
「もし良かったらそのハンカチ、あげます。まだ一回も使ってないので綺麗です。」
「え!尚更申し訳ないです。」
「いいんです。むしろ貰ってください。今日会えて、本当に良かったです。そのお礼だと思って。」
「...わかりました、ありがとうございます。大事にします!」
ハンカチを大事そうに握る悠香さんを見て、そういえば結局私は星野君にアクリルスタンドを貰ったお礼をしていなかった事を思い出した。なんでも後回しはダメだなと実感した。
「今日はお忙しい中、ありがとうございました。」
「こちらこそ、色々と知れてよかったです。ありがとうございます。」
「紅茶も美味しくいただきますね。」
「ぜひ飲んでください。今度メーカーを聞いておきます。そしたらまたお知らせしますね。」
「ありがとうございます!楽しみにしてます。」
私達はあの後、星野君の事を沢山話した。星野君の部屋はどんななのか、好きな教科や食べ物など本当に些細な事を私が聞いて、悠香さんはなんでも教えてくれた。
ずっと気になっていた将来、なにになりたかったのかも。将来の夢を聞いた時は星野君らしいと、つい笑ってしまった。
「今度私と会う時は一人暮らししてるので、ぜひ泊まりに来てくださいね。」
「行きます!あの...もし良かったら敬語じゃなくてタメ口でもいいですか?ずっとお姉ちゃんが欲しくて...」
「もちろんだよ!」
「きゃっ」
モジモジと恥ずかしそうにしている悠香さん...いや、悠香ちゃんが可愛くてつい抱きしめてしまった。
「悠香ちゃん、見た時から可愛くて私も仲良くなれたらいいなって思ってたんだけど、私なんかが仲良くなっていい相手じゃないって思って言えなかったの。」
「可愛いなんてそんな...。それと、ちょっと苦しいです...」
「あぁ、ごめんね!」
悠香ちゃんを解放させてあげると、顔を見合せて笑った。心から笑い合うなんて、星野君と一緒に居た時以来だ。その流れで私達は連絡先を交換した。
「兄ちゃんが言っていたの、今ならわかる気がするな...」
「ごめん、聞き取れなかった。何か言った?」
「いや、独り言だから大丈夫!あ、そうだ。これを渡さないと。はい、これ。」
悠香ちゃんが渡してきたのは薄いピンクの紙の手紙だった。表には私の苗字、裏には星野君の名前が書いてあった。
「星野君からの手紙?」
「うん。兄ちゃんの荷物を整理してたら通学カバンから出てきた。中身は誰も見てないから大丈夫。」
「ありがとう。読んでみる。」
「うん、そうして。それじゃあ、また今度家に遊びに行くね!落ち着いたら連絡してー」
「わかった、待ってるね!気をつけて帰るんだよー」
「はーい」
悠香ちゃんの姿が見えなくなるまで見送り、家に入るとすぐに部屋に籠った。
星野君が手紙を書いてまで伝えたかった事はなんなのだろう。どきどきしながら中から便箋を取りだした。
─草辺さんへ─
まず初めに、今回、初めて手紙を書くので書き方が変かもしれません。それでも頑張って書いたので最後まで読んでほしいです。
手紙を書こうと思った理由は、草辺さんが俺と夏音さんとの関係を勘違いしていると思い、その誤解を解くために手紙を書きました。
ラインでも送ったと思うけど、俺と夏音さんは付き合っていません。夏音さんと仲良くしていたのは、俺の恋愛相談をしていたからです。そしてその相談相手は草辺さん、あなたです。
俺は草辺さんの事が好きです。草辺さんの存在全てが好きですが、いつも笑顔を絶やさない所や、俺に対して本当の笑顔で笑ってくれる所が特に好きです。
もしこの気持ちに応えてくれるなら、受験が終わった次の日、ショッピングモールに朝十時に来て下さい。そこで俺自身からも気持ちを伝えます。
最後に、草辺さんは自分自身に自信がもてたら俺にしてくれるような顔で他の人にも接するって言ったけど、言われた時は少し嫉妬した。だって本心から笑ってる草辺さんはキラキラしてて、可愛いから。他の人に見せたくないって思った。だけど草辺さん自身、変わろうとしてるんだよね。それを否定する訳にはいかないから、俺はそんな草辺さんを応援するよ。それと、草辺さんはもっと自分に自信をもって大丈夫だよ。もしそれで離れていく人がいるなら、俺が傍にいるから。だからもっと草辺さんの良い所、色んな人に広めよう。
それじゃあ、ショッピングモールで待ってるから。
星野 悠 より
手紙を読み終えると同時に私は家を出ていた。ショッピングモールに向かう為だ。
星野君がそこに居ない事はわかっている。だけど向かわずにはいられなかった。
確か受験の次の日はショッピングモールに入っているお店で好きなアニメのグッズの発売初日だった。ビジュアル的にも私が好きなやつ。だから星野君は誘ってくれたのだろう。私と仲直りする為に。
ショッピングモールに着き、アニメグッズが売っているお店に行くと、品数はかなり少なかったが私と星野君が好きなキャラのアクリルスタンドが偶然にも、一つずつ残っていた。
それらをすぐ手に取ってお会計した。この二つは絶対離してはいけないと思ったから。
私が主人公推し、星野君がヒロイン推しだったからだ。
このアニメの内容は、最初は恋人同士だった主人公とヒロインが喧嘩をしてしまい別れ、彼女の方が敵側に心を操られ、敵側になってしまう。その彼女を救う為に主人公が敵を倒していく良くありがちな話だ。
最終的にこの二人は恋人同士に戻るのだが、戻るまでのストーリーが深くて涙無しでは観れない。
そして主人公がかっこいいのはもちろん、ヒロインも最初は可愛いだけなのだが敵側に操られた事によってかっこよくなる。そこが星野君がヒロインを好きになったポイントみたいだ。
だからこの二人のアクリルスタンドは離してはいけない。私と星野君はどう足掻いても一緒に居る事は出来ない。だからせめてアクリルスタンドぐらいは二人で居させてあげたい。
それにこのアクリルスタンドのビジュアルは、二人が恋人に戻り、結婚式を挙げる時のビジュアルだ。私と星野君と何もかもが反対だ。
「葉月ちゃん...?」
アニメグッズを買ったお店の前のベンチで座っていると、夏音ちゃんがおずおずと声を掛けてきた。
「夏音ちゃん...久しぶり。」
私が無断欠勤する前に会ったきりだったから、半年は会っていない。声だけで言えば、星野君が亡くなった時に聞いているが。
「久しぶり。元気だった?」
夏音ちゃんは気まずいはずなのに、いつも通りの態度で私に接してくれた。
「元気だったよ。そういう夏音ちゃんも元気だった?」
「私も元気だったよ。...ねぇ、もしこれから時間あったらカフェ行かない?」
「...いいよ」
ショッピングモールに急いで来たから服も適当だが、頷いた。人前に出ても恥ずかしくないような服は着てるし、なにより新しい生活をする前に、色々な事をきちんとしようと思ったからだ。
これも悠香ちゃんが家に来なかったら考えなかった事だ。いや、考えられなかった事。でも今は違う。いつまでもうじうじしているだけではダメって、気づけたから。
「葉月ちゃんは大学、どういう所にしたの?」
カフェに入って注文が終わると、夏音ちゃんが聞いてきた。
「就職が有利な大学。特段とやりたい事もなかったから。」
「すごーい!夏音はね、アパレル系の大学に行くんだ。」
確かに夏音ちゃんはいつもオシャレで、バイトに来る時ですら可愛い服を着ていた。
「夏音ちゃん、オシャレだもんね。良いと思う。」
「えー、嬉しい!ありがとう!」
話が一段落するのを見計らったみたいに、注文した品が届いた。私がカフェオレで、夏音ちゃんがオレンジジュースだ。
「カフェに来てオレンジジュースって変だよね。コーヒーが苦手なんだよね。」
自嘲気味に笑う夏音ちゃんを見て、胸がぎゅっと掴まれてる感覚になった。
「そうなんだ。でもカフェのオレンジジュースって市販のとは違う味がして美味しいよね。私も好きだよ。」
私も一時期オレンジジュースにハマって、色んな所のオレンジジュースを飲みまくった。それで辿り着いたのがカフェのオレンジジュースはどこもめちゃくちゃ美味しいという事だ。
だからカフェでオレンジジュースを頼む人を変だとは思わないが、世間では変だと思うのだろう。だって肯定した私を見て、夏音ちゃんは目を見開いていたから。
「そんな事初めて言われた。いつも友達には変としか言われなかったから...」
「人それぞれ好き嫌いあるからね。自分の好きな事を肯定してくれない人となんていなきゃいいんだよ。あ、でもその友達がそれ以外では話が合うとかだったら別だけど。」
自分で発した言葉だけど、自分で言っている気がしなかった。
「そっか、無理してその子といる必要ないんだね。」
「うん。夏音ちゃんはいつも明るくて元気いっぱいなのが沢山ある良い所の一つなんだから、それを消す様な人間となんて居ない方がいいよ。もったいない。」
素直に思っていた事を言うと、夏音ちゃんは笑った。
「なんで笑うの!?」
「ごめんごめん。葉月ちゃんが私の事そう思ってたんだなって思うと嬉しくて。なんか葉月ちゃん、変わったね?」
「そう?」
「うん。今の葉月ちゃんの方が夏音は好きだなぁ。」
夏音ちゃんの言葉で、さっき自分が発した言葉が自分で言っている気がしなかったのは、考えが変わったからだという事に気がついた。その考えを変えてくれたのは紛れもなく星野君の手紙だ。
「今日、星野君の妹の悠香ちゃんがうちに来たんだ。そのおかげかも。」
だけど私は手紙の事は言わなかった。あの手紙は私だけの物。星野君が伝えたかった事が全部書かれた手紙。他の人に言いふらすのはやめようと思ったのだ。
「夏音の家にも来たよ。中一なのにしっかりしてるよね。」
「私も思った。弟と同い年とは思えない。」
太陽は歳相応の振る舞いだが、悠香ちゃんは本を沢山読んでいるからなのだろうか、実年齢よりプラス二ぐらい上な気がする。
そこで会話が終了してしまった。いつもだったら夏音ちゃんから色んな話題を提供してくれるから、無言になった事などなかった。
私は夏音ちゃんの優しさに甘えていたのだなと実感した。
「葉月ちゃん、あのね...」
無言を断ち切ったのは夏音ちゃんだった。
「私、悠君の事が好きだったの。」
その言葉と同時に夏音ちゃんは一筋の涙を零した。その涙は次々に溢れてきた。
「一目惚れってやつなのかな。初めてバイト先で会った時に好きだってなったの。だけどすぐに告白するのは変な人に見られるから。もっと仲良くなってから告白しようと思って、仲良くなる為に色んな話をした。そして仲良くなったかなって思った矢先、葉月ちゃんが入って来たの。」
夏音ちゃんはそこで言葉を切った。涙を拭く目的でもあるのだろうが、実際は違う。これ以上話して、私に嫌われてしまう事を恐れているのだ。
昨日までの私と、全く同じ事を考えているから。その思いは痛い程わかる。だから今、私がかける言葉は。
「夏音ちゃんのペースでいいから、その先の話も聞きたいな。大丈夫、私はどんな夏音ちゃんでも受け止めるよ。」
私がかけて欲しかった言葉を夏音ちゃんにかけた。
夏音ちゃんは少し迷ってから続きを話してくれた。
「葉月ちゃんが入ってきた時は同年代の女の子が入って来て嬉しかったの。でも悠君と葉月ちゃんが再会して。悠君は葉月ちゃんの事しか見てないし、考えなくなったの。」
「それにすごく腹が立った。私の方が先に働いてて、好きになったのに。悠君が葉月ちゃんの話をする度にイライラした。どうして大して関わりもなかった葉月ちゃんなのって。でもそう思う自分も嫌で。」
「だからこの気持ちを整理する為に、悠君に告白したの。結果は聞かなくてもわかると思うけど、ダメだった。でもずっと葉月ちゃんの事を嫌うよりかは気持ちが楽になった。素直に、悠君と葉月ちゃんの事を応援しようと思えた。」
「悠君に葉月ちゃんの事を沢山聞かれて、答えた。その時間も楽しくて好きになりかけてたの。だけどあの日、悠君が葉月ちゃんに想いを伝えるにはどこがいいか聞かれて答えた。でも葉月ちゃん、それを事務所の外から聞いちゃったんだよね?それも夏音達が付き合ってると思うような所だけを。だからその日のバイトに来なくて、それ以降一回も来なかった。」
「葉月ちゃんに申し訳ない事したと思って何回も連絡したんだけど、全部無視されて。それに大してもイラッとした。夏音はただ相談に乗ってただけなのに。それを勝手に勘違いして、悠君からの連絡すら無視して。そのせいで悠君は事故に遭った。」
夏音ちゃんの言葉はどれも正しくて、心の痛い所を突いてくる。
聞きたくない。今すぐここから逃げ出したい。でもこれを聞かなければ前に進めないとも思った。
「悠君が事故に遭ってしばらくしてから悠香ちゃんから電話があった。悠君が死んだって。それで葉月ちゃんにも連絡したの。葉月ちゃんも悠君が亡くなった事を知る権利があるから。出てくれないんじゃないかってヒヤヒヤしながら電話掛けたから、出てくれて良かったよ。」
「葉月ちゃんに連絡し終えた後、ニュースでも報道された。場所的に葉月ちゃんに手紙を渡そうとして、事故に遭ったんだって思った。」
「悠君が死んだのは葉月ちゃんのせいだって思った。あの日、葉月ちゃんが夏音達の関係を誤解しなければ、悠君が葉月ちゃん家に行こうとしなかった訳だし。」
「...手紙の事、知ってたの?」
話を遮ってはいけないと思ったけど、聞かずにはいられなかった。
だって私は知らないと思ってさっき言わなかったのだから。
「悠君から、どうしたら誤解を解けるか相談されてたからね。それで悠君の友達に手紙を提案されたみたいで、書いて届ける事も聞いてた。葉月ちゃん家の住所を教えたのも夏音だし。」
やはり私の家の住所を教えたのは夏音ちゃんだったのか。
「話を戻すけど、夏音、毎日葉月ちゃんの事を恨んだ。葉月ちゃんが誤解しなければ。その前に、葉月ちゃんがあのバイト先に来なければ良かったのにって。そうしたら夏音と悠君が付き合ってる未来もあったと思うから。でもね、ある日ふと考えたの。もしこれが逆の立場だったらって。」
「逆の立場...?」
「うん。夏音が葉月ちゃんの立場だったらって。そしたら同じ事してたと思うなって。だって葉月ちゃんも悠君の事が好きだったからあの日誤解した訳でしょ?その気持ちは痛い程わかるから。葉月ちゃんだけを責めるのは違うなって。あの状況じゃ夏音だって勘違いしてただろうし。」
「それに辛いのは夏音だけじゃないとも思った。葉月ちゃんは優しいから、自分のせいで悠君が死んだって毎日自分を責めてそうだなって。そしたら葉月ちゃんに謝らないといけないって考えになったの。勝手に葉月ちゃんの事を恨んで。葉月ちゃんだって辛いのに。だから今謝るね。勝手に恨んでごめん。こんな汚い人だけど、もう一度仲良くしてもらえるかな?」
真っ直ぐな瞳を向けられて、それが眩しくて、一瞬逸らしたくなったが耐えた。
「話してくれてありがとう。私こそ、また仲良くして欲しいな。」
夏音ちゃんは夏音ちゃんなりに悩んでたんだ。それに謝らなければいけないのは私の方だ。夏音ちゃんが言う通り、私が誤解なんてしなければ星野君は生きてた訳だし、私があのバイト先を選ばなければ星野君と夏音ちゃんが付き合っていた未来もあったかもしれない。
でももう遅い。人生はどれだけ後悔してもその時は戻って来ない。大事なのは、その後悔をした後にどうやって生きていくかが重要なのだとやっとわかった。
「ありがとうっ...本当にごめんねっ...」
夏音ちゃんが泣きながら謝るから、つられて私も泣いた。
「ううん、私こそごめんね。勝手に勘違いして、夏音ちゃんの心に傷を負わせて。」
「謝らないでよ。誰にも勘違いする事はあるよね。それに事故を起こしたのは葉月ちゃんじゃないんだし。」
「それ、悠香ちゃんにも言われた。」
「はは、やっぱり悠香ちゃん、中一じゃないのかもね。」
泣きながら私達は笑いあった。幸い、案内された席は人目につかない所だから思う存分泣けた。
「あ、そうだ。葉月ちゃん、大学はどこから通うの?」
泣き終えた私達はお腹が空いてケーキを頼んだ。そのケーキを食べながら夏音ちゃんが聞いてきた。
「一人暮らしするんだ。明日引越し。」
「え!のんびりしてて大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、準備は終わってるし。後は業者さんが運んでくれるの待つだけ。」
「すごーい、大人みたい。」
「そういう夏音ちゃんは大学、どこから通うの?」
「夏音はね、実家から。大学卒業までは実家にいるかなぁ。」
そういえば夏音ちゃんは家族と仲が良かった事を思い出した。
「私さ、両親と仲が良くないから元々一人暮らしはしようとしてたんだけど、引越しとか家の契約の費用全部両親が出してくれてさ。それほど私と居たくなかったんだなって思うと複雑な気持ちだよね。」
「確かに。お金出してくれるのは嬉しいけど、自分が邪魔者みたいで辛いよね。」
「そうそう!」
夏音ちゃんとこんなに深く家族の話をするのは初めてだった。自分の話をしてもつまらないと思っていたから。
だけどそんなつまらない話でもしてもいいのだと知った。それが本当の─私─なのだから。
「今日は沢山話せて良かった。ありがとう。」
カフェを出た帰り道。夏音ちゃんがお礼を言ってきた。少し目元が腫れているけれど、笑顔が可愛かった。
「私こそ話せて良かった。ありがとう。」
私も笑顔を返すと、夏音ちゃんはもっと笑顔になった。
「葉月ちゃん、本当に変わったよね。憑き物が取れた感じ。」
「もう人に嫌われるのを恐れないから。だからこれからは本当の─私─で接していくね。あ、でもそれがもし嫌だったらすぐ言って!」
「嫌になんてならないよ。だって今の葉月ちゃんの方が人間らしくて接しやすいもん。」
「そっか。」
自分では上手く笑顔を作っているつもりでも、周りから見たら作ってる笑顔ってわかっていたのか。
でもその時はそうでなければ人に嫌われるのが怖かったから、その作り笑顔は無駄ではない。いや、無駄にはしない。全部今後の人生に役立てていこう。
「それじゃあ夏音、家族と待ち合わせしてるからここで。今度はきちんと遊びに行こうね!」
「うん!気を付けてね!」
夏音ちゃんと駅で別れ、私は帰路についた。今日は色んな事があった。星野君の妹の悠香ちゃんに会って真実を聞いたり、夏音ちゃんの本心を聞いたり。
もしこの順番が逆だったら、私はちゃんと話を聞かなかっただろう。でもこんなに都合良く物事が進むだろうか。悠香ちゃんと会った後にタイミング良く夏音ちゃんに会えたのが引っかかる。
そこで私は一つの結論に辿り着いた。そしてそれを確認する為、早く帰路を歩いた。早くしないと、聞けなくなってしまうから。
家に入ると太陽の靴があった。リビングを覗いても居ないから、太陽の部屋のドアをノックした。
「太陽、居るでしょ。少し話したいんだけど。」
「はいはーい、入ってー」
少し機嫌がいい太陽に言われドアを開けると、椅子に座ってニコニコしていた。
久々に太陽の部屋に入ったが、本棚には漫画が巻数ばらばらに入っていたり、教科書が適当に入っていたり。男子らしい部屋になっていた。昔はその棚に戦隊モノのおもちゃとか置いてたのに、どこにやったのだろう。
「太陽と悠香ちゃん、グルだったんだよね?」
ドアを閉め、静かに鍵も閉めた。太陽の部屋には勉強を集中する為にと、私の部屋にはつけてくれなかった鍵が取り付けられている。だから私達が話をしていても、両親は簡単に入って来れない。
「なんでそう思うの?」
太陽はニコニコ笑顔を崩さず聞いてきた。少し、いや、かなり変な笑顔だなと思ったが言わなかった。
「だって物事が上手く進みすぎてない?私が星野君からの手紙を読んで、ショッピングモールに行ってたまたま夏音ちゃんと会うなんて。」
「うん、それで?」
「だから太陽と悠香ちゃんが連絡を取り合って、私と夏音ちゃんが話をする機会をくれたのかなって。それに不自然な点はあったんだよ。」
「どういう所が?」
「いつも帰ってくる時間を伝える太陽が、今日は伝えて来なかったから。あと出かける時の持ち物が少なすぎる。」
太陽が出かけた時の事を思い出すと、帰り時間は言わないし持ち物も少なかった。でもその時の私は悠香ちゃんが来る事に緊張してその意味まで考えなかった。多分、そういう私の性質を利用したのだろう。
「はぁー、さすが姉ちゃん。よく人の事見てるね。」
太陽はさっきまでの変なニコニコ笑顔を辞め、柔らかく笑った。
「そうだよ、俺と悠香はグルだったんだよ。悠香から姉ちゃんの動きを聞いて、俺と一緒にショッピングモールに居た夏音さんに、姉ちゃんの所に行くよう仕向けた。」
「私がもしショッピングモールに行かなかったらどうしてたの?だって手紙は読んでないんでしょ?あとなんで夏音ちゃんと一緒に居たの?」
「姉ちゃんが自らモールに行ってくれたのはまじで予想してなかった。行かなかった時はなんとしてでも行かせようとは考えてたんだけどね。...と、まあ、全部順番に話すから。まずは座ったら?どうせあの二人はしばらく帰って来ないし。」
太陽に促されてベットに座った。私が使っているベットより質がいい。
「俺と悠香、付き合ってるんだよ。」
「うん。それで...って、え!?」
言葉の意味を理解し、驚いて太陽を見る。太陽は真顔だった。
「中学生ともなれば恋人の一人や二人居てもおかしくないよ。」
「二人はやばいでしょ。」
「確かに。まあまあ、それはいいとして、俺と悠香は付き合ってて、そのお兄さんが亡くなった時は悠香も辛そうだった。それはもう見てられない程。」
もしかしたら今日の態度は気丈に振る舞っていただけだったのかも。
「それなのにどうして、星野君を事故に遭わせたみたいな人に律儀に誤解を解きに来たの?」
「悠香はお兄さんから姉ちゃんの事をよく聞いてて、恋愛相談も乗ってたみたい。それで姉ちゃんは悪い人じゃないってわかってたから、誤解を解かなきゃいけないって。兄ちゃんもそれを望んでるからって。」
「悠香ちゃん...」
悠香ちゃんは本当に強い。自分で気持ちを持ち直して、人の為に動いた。身内を亡くしてそれを出来る人は中々居ない。
「でもそれには色んな人の話を聞かなきゃいけなかった。だから唯一生き残ってたスマホで直近の人に連絡をしていった。まあ、直近と言っても夏音さん以外居なかったんだけど。」
「夏音ちゃんとは二人で会いに行ったの?」
「うん。そうじゃないと今日に繋げられなかったから。夏音さんが悠香のお兄さんに告白した事、悠香から聞いて知ってたから、姉ちゃんの事恨んでるだろうなって。その心のケアもしないといけないなって。それで何とか今日に間に合わせるように二人でケアをして、今日、適当な理由をつけてショッピングモールに呼び出した。」
「...どうして太陽も協力したの?」
どういう経緯で悠香ちゃんが家に来て、誤解を解いてくれたのか。そして夏音ちゃんの本心を聞けた経緯はわかった。だけど肝心な理由がない。悠香ちゃんは星野君の為だとわかるけど、それに太陽が協力する理由はない。いくら彼女といえど、学生の一ヶ月という結構な時間を使ってまで協力するとは思えなかったのだ。
「悠香の力になりたいと思ったのもあるけど、一番は昨日も話したけど、姉ちゃんには俺と過ごして沢山辛い思いさせたから。少しでも恩返ししたかったんだ。」
「恩返し...?」
「姉ちゃん、俺と会話しなくても夕飯を作ってくれたり、俺の洗濯物も文句一つ言わず干してくれたりしたじゃん。それは並大抵の人じゃないと出来ない。本当に感謝してるんだ。ありがとう。」
昨日は謝罪で、今日はお礼。人に素直にされる事に慣れていない私には、どう反応していいか迷ってしまう。
「それはあの二人に太陽の事やってないと小言を言われるからだよ。自分を守りたかったの。」
「それでもやってくれた事には変わらないから。それによく考えて見なよ。あの二人、姉ちゃんが居なかったら家の事やる人居ないからこんなに仕事出来てないよ。もっと姉ちゃんに感謝するべきだよ。」
太陽の言葉一つ一つが心に染みた。私が今までやってきた事は全部、無駄じゃなかったんだ。
「なんで泣いてんの!?」
今までの行いが認められた気がしてまた涙が出た。この一ヶ月で、どれぐらい涙を流したのだろう。
「ずっと自分の事なんて誰も見てくれないと思ってたから。見てくれてた事が嬉しくて...」
「ほんと姉ちゃんは泣き虫だなぁー」
言い返そうかと思ったが、確かに最近の私は泣いてばかりだから言い返せなかった。そんな私をよそに、太陽は漫画を読み始めた。
「あ、そうだ。今日の夕飯、俺が作るよ。」
「え!?」
泣きじゃくった目でぼーっと太陽の部屋を見渡していると、急に言われた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん。」
「だって太陽、料理作れんの?」
私の記憶の中では太陽が料理を作った事など、一度もない。驚いても無理はない。
「姉ちゃんが高校卒業したら家から追い出す事をあの二人に聞かされてたから、俺が料理作れるようにならないといけないなって思って、この一年間悠香に教えてもらった。」
「なんか今日かなりの情報量なんだけど...。頭の整理が追いつかない。とりあえず今度悠香ちゃんに会ったらお礼するわ。」
「まあまあ、引っ越す前に全部の事がわかって良かったじゃん。これですっきりして大学生活送れるでしょ?」
さーて、夕飯作るかぁと部屋から出て行った太陽を呆然と見る事しか出来なかった。太陽は私がこれからずっと自分を責めない為に、今日という引越しの前日に間に合うように動いてくれたんだ。
太陽の事、ずっと嫌いだった。両親には優遇されて、勉強もスポーツも出来て、友達も沢山いる。私には無いものばかり持ってて、それが悔しくて腹が立って。太陽も私の事嫌いなんだと思う事で、その気持ちをどうにか抑えていた。
でも太陽は本当はすごく優しい人だと言うことがわかった。私としばらく関わらなかったのも、私がこれ以上辛い思いをしない為。そして両親に優遇されてると思っていたけど、それはそれで悩みがあったみたいだ。
夏音ちゃんの事だってそう。夏音ちゃんも、悩みなんてなさそうだと思っていた。でも実際は自分の汚い心と戦ってた。
私は結局、人を表面上の姿でしか見ていなかったのだ。自分は本当の自分を見てって思ってたくせに、人の事は見ないなんて。都合がいいにも程がある。
でもそれに気づけた。だからもうこれからは人を表面上で判断しない。もしそれでも表面上で判断しそうになった時は、今日の事、星野君からもらった手紙を読み返して、思い出そう。そしてこれからは自分も─仮面─を被らずに人と接してみよう。
時によっては被る時も必要だと思うが、ずっと被ってる必要はないのだ。好きな事を好きだと言い、それを認めてくれる人と付き合おう。
「太陽ー、私も手伝うよ」
星野君が好きだと言ってくれた、本当の私で。
「姉ちゃん、早くー」
「ちょっと待ってよ。」
「もう姉ちゃん遅いから置いてく。行こ、悠香。」
「え、あ、うん。」
太陽は私の隣に居た悠香ちゃんにそう声を掛けて、先に行ってしまった。悠香ちゃんは申し訳なさそうな顔をしながら、そのあとをついて行った。
「ふふ、ほんとあの二人ってお似合いだよね。」
私の後ろに居た夏音が、先程悠香ちゃんが居た所に来た。その顔にはうっすら汗が滲んでいる。今日は冬にしては少し歩くだけで汗が滲む陽気だ。
「ね、ほんとお似合いだよね。」
「中学生時代から続いてるカップル、あの二人以外見た事ないかも。」
「しかもほぼ喧嘩もしないみたいだよ。すごいよね。」
「価値観が一緒なんだね。早く結婚しないかなぁ。そしたら私、お化粧したい。」
「もうそろそろするんじゃない?お互いそこそこ稼いでるだろうし。」
夏音はこの二人以外に長く続いてるカップルを見た事ないと言ったが、実は私は一組だけある。その人達は高校生からの付き合いだが、ほぼ変わらないだろう。
その人は愛さんという有名な小説家だ。前に悠香ちゃんが一番好きだと言っていた小説家だ。その人が書いた作品の映画化にも私は携わった。
愛さんは映画化の進行状況にちょくちょく見に来た。作者さんが見に来ることはよくあるが、それで面倒なのが口出しされる事だ。作った作品の解釈がズレてたら怒られるし、怒りが頂点に来ると脚本全部書き直せまで言われた事ある。
だけど愛さんはそんな事一回も言った事なかった。むしろ沢山褒めてくれた。
そんな愛さんと理由は忘れたが二人で話す機会があった。そこで私は、どうして辛い過去があったのに今はそんなに幸せで居られるのかを聞いた。愛さんは優しく笑った。
「確かに、辛い事の方が多かったけど、柊が私の事をずっと好きで居てくれたから今、幸せなんだと思う。」
愛さんは一旦そこで言葉を切ると、私の頭を撫でた。
「葉月さんにも、いつか絶対そういう人が現れるよ。だから大丈夫。」
星野君以外に好きになる人なんて現れるだろうか。
そう思ったが愛さんに言われると不思議と現れる気がして、頷いた。
愛さんとの事を思い出しながら二人で悠香ちゃんと太陽の事を話していると、やっと目的地に辿り着いた。先に行った二人はお参りをしている最中だった。
「あ、やっと来た。俺達、先にお参りしちゃったよ。」
二人がお参りし終わるのを静かに待っていると、先に終わらせた太陽が私達に気づいた。
「全然いいよ。それに多分、私達お参り長くなると思う。だから休憩所行ってていいよ。お金は渡すから。」
「いや、お金はいいよ。元々そのつもりだったし。な、悠香。」
「うん。こっちの事は心配しないで平気だよ。だから葉月ちゃん、兄ちゃんに最近あった事沢山教えてあげてね。葉月ちゃんからも聞きたいだろうから。」
「わかった。ありがとう。」
再び二人を見送り、私と夏音は星野君のお墓の前にしゃがんだ。
星野君が亡くなってから、早い物で十二年が経った。
そして今日は私と太陽、悠香ちゃん、夏音の四人で星野君のお墓参りに来ていた。
「悠君が亡くなってから、もう十二年経つんだね。」
夏音は星野君のお墓を撫でながら呟いた。その顔は寂しそうで、でも懐かしむようななんとも言えない表情をしていた。
「時の流れって早いよね。私達ももう、三十だよ。」
「もう一生独身なままな気がしてきた。」
「同意見。」
顔を見合せて笑い、二人同時に星野君のお墓に向かって手を合わせ、目を瞑った。
星野君、久しぶりだね。今日はいい報告があって来たんだ。
私が映画監督で、太陽が漫画家。悠香ちゃんが脚本家で、夏音ちゃんがメーキャップアーティスト。
それが今の私達の職だ。今日星野君のお墓参りに来たのは命日が近いというのもあるが、この四人が集結した映画が公開されるからだ。
私は大学に進学後、声優になろうと思った。星野君が声優になりたいと言っていたからだ。
あの一件がなかったら、星野君は声優になっていたと思う。だから私がその願いを叶えなければいけない。
その思いがあった私は声優になる為にはどうしたらいいのか色々調べたが、ふと星野君はそんな事望んでいない気がした。星野君の手紙に、私はもっと自由に生きていいと書いてあったのを思い出した。
では私は何になったらいいのか。このまま真面目に勉強して、そこそこの会社に就職も考えた。だが気が乗らない。そんな時に見つけたのが映画監督だ。
映画監督はアニメはもちろん、実写の映画も作らなければいけない。それでも向いていると思ったのは、人を観察するのが得意だからだ。まさか─仮面─を被っている時に使っていた技が職になるとは思わなかった。本当に人生は何が起こるかわからない。
何が起こるかわからないと言えば、太陽と悠香ちゃんの選んだ職にも驚かされた。
悠香ちゃんは最初、小説家になりたいと言っていた。私と星野君の出来事を、物語にしていたぐらいだ。だが私が映画監督になる事を伝えると、なら自分は脚本家になると言い出した。自分の好きな事をやりなと言っても脚本家になると言い切った。その理由がわかったのがこの映画が作られるという話になってからだ。
今回の映画は、太陽が書いた漫画が実写映画になるのだ。太陽が漫画を描いていた事を、私はこの時初めて知った。私が一人暮らしを初めてから描き始め、高校一年生の時にデビューし、そのデビュー作が今回、アニメ化を通り越して実写映画化に抜擢されたのだ。
ちなみにデビューした所は少女漫画雑誌だ。ストーリーは、ずっと笑顔で明るい─仮面─を被っている少女が、一人の男の子と出会い、徐々に─仮面─を外していくストーリーだ。
原作を読んだ時、この作品は私と星野君の事を書いているのだろうなとわかった。フィクションも加えているが、ほぼノンフィクションに近い。でも決定的に違うのはラストだ。
私と星野君は結ばれる事はなかった。だけどこの漫画に出てくる二人は結ばれる。そっちの方が反響がいいからだろうと思っていたら、違った。太陽いわく、漫画でぐらい二人を付き合わせたかったとなんとも優しい理由だった。なのに自分は反響がいいからという、なんて最低な理由を考えてしまったのか。
そして悠香ちゃんが脚本家になると言ったのは、太陽が描いた漫画が映画化した時に携われるように、という本当に太陽を好きなんだなとわかる理由だった。映画化出来る作品なんてほんのひと握りなのに、太陽を信じて脚本家になった悠香ちゃんは凄いと思ったし、愛だなとも思った。
余談だが、両親は太陽が漫画家になるのを最初は否定して、沢山嫌味を言ってきたらしい。だがデビューするとなった途端、手のひらを返してさすが太陽だの、やっぱりうちの子だのとおだててきたらしい。それがかなり気持ち悪かったと、二人で飲みに行った時に愚痴られた。
実写映画化が発表された後は批判が凄かった。それもそのはず。いつの時代も漫画が実写映画化すると、出来が悪いからだ。漫画勢の人からしたらアニメ化もしていないのになぜ実写なんだという理由みたいだ。だが私が作ると発表されると、批判などなくなった。私は自分が受け持った作品をアニメや実写問わず、全部有名にしたからだ。
この三人が揃った事も奇跡なのに、なんと夏音も役者さんのメイク係として揃ったのだ。四人で顔を合わせた時は笑ってしまった。こんな偶然あるのかと。そしてこうも思った。星野君が天国から見てて、四人を揃わせたのかなと。
そうだったら嬉しいな。だって星野君と出会ってなかったら今の私はここにいないし、この四人とも仲良くする事はなかった。今も─仮面─を被ったまま、誰にもアニメが好きな事を言わず、太陽との仲も勘違いしたままだった。
あの時、あの場所で星野君と再会したから今の私がある。感謝してもしきれないし、本音を言えばそれを本人に直接言いたかった。
だけどそれは叶わない。だからお墓の前にはなってしまうけど、お礼を言うね。
私と再会してくれてありがとう。本当の私を否定せず、認めてくれてありがとう。あの日、勘違いして話を聞かなくてごめんなさい。私がそっちに行った時は今度こそ話を聞くから、その時は私の恋人になってください。
おこがましい事を言っている自覚はあるよ。だけど星野君が私に自由に生きろって言ったんだからね。私は自分の好きなように生きるし、好きな事を好きって言うよ。
─そんな草辺さんが俺は好きだよ─
星野君の声が聞こえた。驚いて目を開けると、同じく目を開けた夏音と目が合った。
「もしかして葉月、今、悠君の声が聞こえた?」
「うん。え、夏音も聞こえたの?」
「うん。じゃあ悠君、ここに来たんだね。」
夏音はそう言うと、お墓を見ながら静かに涙を流した。夏音は十二年経った今でも、星野君の事が忘れられないのだ。だから三十になっても彼氏一人作らず、独身を貫いてる。それは私にも言える事だが。
私も星野君のお墓を見る。当然だが、本人の姿は見えない。よくお墓に向かって話すのは無意味だ、そこに死んだ人は居ないって言われるが、私はそんな事ないと思う。だってそうでなければ今聞こえた声に説明がつかないから。あれは絶対星野君の声で、ここに来たのだ。
「悠君、葉月ちゃんになんて言ってた?私には─これからも草辺さんの事よろしくね、夏音さん─だった。」
「私には─そんな草辺さんが俺は好きだよ─だった。星野君、夏音の事は下の名前で呼ぶのに私の事は呼んでくれないんだね。」
少し拗ねたようにお墓に向かって言うと、夏音が笑った。
「でも名前より、好きだよって言われた方が嬉しいよ。」
「そっか。だけどここでぐらい、名前で呼んでくれてもいいんじゃない?ねぇ、星野君?」
「まあまあ、それはあっちで悠君と再会した時の楽しみにしとけって事だよ。それに葉月も悠君の事名前で呼んでないじゃん。」
「だって名前呼ぶの恥ずかしいから...。でもそうだね、あっちに行った時の楽しみにしとくのもいいね。」
「うんうん、楽しみにしてな。わたしはそんな二人を影から見てるからさ。」
影に隠れながら見てるジェスチャーをした夏音が面白くて笑った。
「そろそろ行く?あの二人も待ってるだろうし。」
「そうだね。あー、また明日から忙しい日々が始まるよー」
「映画が公開されちゃえば私達みたいな制作陣は今より暇になるよ。そしたらまたここに来よう。」
「そうだね!それじゃあ悠君、またね。」
「またね、星野君。」
立ち上がると、ずっと同じ体制だったからか足が痺れていた。だが少し歩くと治った。
「葉月、ほんと髪伸びたよね。」
歩いていると、夏音が私の髪を触りながら言った。
「そういう夏音は結構短くしたよね。」
「長い方が似合うと思ってたんだけど、気分転換に短くしたらこっちの方が似合ってたっていうね。」
高校生の時はお互い同じぐらいの髪の長さだったが、今は私は腰ぐらいまでのロング、夏音は顎ぐらいまでのボブカットと、真反対な髪型をしていた。
「うん、夏音は短い方が似合ってるよ。長いのも可愛かったけどね。」
「ありがとう。葉月も長いの、似合ってるよ。といっても短いの見た事ないんだけどね。」
「あー、言われてみたら小さい頃からずっと髪伸ばしてたかも。たまに揃える程度はしてたけど、髪が長いと表情が隠れるからさ、便利だったんだよね。」
「...今も表情を隠したいから髪長くしたままなの?」
私が昔を懐かしむように話したからだろう。夏音は心配そうに聞いてきた。
「んーん、今は伸ばしたいから伸ばしてる。」
「そっか、なら安心。」
夏音は胸をなで下ろした。
私が家族になんて言われて育ったのか、夏音には話した。だから心配してくれたのだろうが、今は本当に吹っ切れてなんとも思っていない。
「ふふ、今日の夜、私の奢りでご飯食べに行こっか。」
「え!いいの!?行く行く!夏音、寿司がいいなぁ」
「あ、一人称夏音に戻ってるよ。」
「え!気づかなかった。ありがとう。」
夏音は自分の事を呼ぶ時はずっと名前でだったが、それだとこれから大人になった時に恥ずかしいからと、大学に進んでからは私と呼ぶようにしたみたいだ。それで私と一緒に居る時にもし、自分の事を名前で呼んでいたら教えて欲しいと言われていた。
「やっぱり、葉月といると気が緩んじゃうなぁ。」
「私の前では一人称、名前でもいいんじゃない?他の所で気をつければいいだけなんだから。」
「そうだとさ、つい癖で名前で呼んじゃいそうで。だから葉月と居る時でも気をつける。」
「そっか。それで話戻すけど、寿司でもいいけどあの二人にもどこがいいか聞かないとね。」
「二人も寿司って言ってくれると信じてる。」
「ははは」
静かな霊園に、私達の笑い声が響いた。
その日の夜。三人に寿司を奢った帰り道。私は近所の海に来ていた。そしてカバンから紙が入った小瓶を取り出した。
靴を脱いで足だけ海に浸かると、冬の夜に海は流石に寒かったが我慢し、小瓶を海に流した。
小瓶の中の紙には、十二年前の私に向けた手紙が入っている。届く訳ないとは思っているが、もし届いたら。今の私はこんな感じなんだよって安心させてあげたい。
─仮面─を被って辛い思いをしていた私。星野君を亡くして辛い思いをしてた私へ。今の私は楽しくやってます。でも今は辛いよね。だけど諦めないで。次期に色々な誤解が解けて、─仮面─を被らなくても生きていけるようになるから。だからそれまで、その辛さに耐えてね。
ふよふよと海の表面を漂っていた小瓶はやがて見えなくなった。これで今日の私のミッションは完了だ。
「あの...!」
帰ろうと海から足を出し、靴を履いていると男の人に声を掛けられた。誰も居ないと思っていたからかなり驚いた。
「なんでしょう?」
夜の海で何をされるかわからない。警戒しながら男の人を見ると、男の人は暗い夜でもわかる程顔を真っ赤にしていた。
「貴方の事、好きです。一目惚れしました。友達からでもいいので付き合ってください...!」
男の人はそう言うと、アニメとかで出てきそうな感じで頭を下げ、手を差し出してきた。
「...私、忘れられない人が居るの。それでもいい?」
急に声を掛けてきて、怪しさ満点だ。なのに私はそう返していた。
「いいです。絶対僕の事好きにさせてみせます。」
ぼんやりとしか見えていなかった男の人の顔が、頭を上げた事によって、月明かりが差しよく見えた。黒縁眼鏡の奥の瞳は、しっかりと私を捉えている。
一目惚れというのも今どき珍しい。それを本人に伝える事も珍しい。この人、もしかしたら今まで人と付き合った事ないのかな。それとも違う時代から来たのかな。
本気でそう考えるぐらいに今、目の前に居る人は今の時代に居なさそうな人間だ。だがどこからともなく星野君に雰囲気が似てる。
「そう。なら友達からよろしくね。」
怪しさしかないのに、男の人の手をとっていた。男の人は一層顔を赤くし、私の事を抱きしめた。初めて男の人に抱きしめられ、男の人って力が強くて、こんなに身体つきも違う事を知った。
ねぇ、星野君。私、この人の事、好きになってもいいかな。もちろん、星野君の事は忘れないよ。ちゃんと星野君の事はずっと想ってるし、自分がした事も忘れない。だけど今、生きている時だけはこの人と生きてもいいかな。
星野君にそう心で問いかけたが、もちろん返事はない。でもきっと星野君なら、草辺さんの自由に生きなって言ってくれる。
私も男の人を控えめに抱き締め返した。男の人は驚いていたが、私を抱きしめる力をもっと強くした。
止まっていた私の恋が、再び動き出した気がした。