俺は小さい頃からアニメが大好きだ。ヒーロー物からアイドル物まで、ジャンル問わず好きだ。よく男が女物のアニメを観ていると馬鹿にされるイメージが強いが幸い、アイドル物を観ている俺を誰も馬鹿にしなかったおかげで伸び伸びとアニオタライフを送れた。それにアニメのおかげで沢山の友達が出来た。

俺の人生はアニメで出来ていると言っても過言ではない。アニメがなかったら、俺には何も無かっただろうから、アニメがある時代に生まれて本当に良かったと思う。


そんなアニオタな俺にも、中学生の時、気になる子が出来た。その子は草辺(くさべ)葉月(はづき)と言い、中学の同級生だ。

草辺さんを気になりだしたのは俺と同じ、アニオタなのではないかと思ってからだ。そう思ったきっかけは、草辺さんの通学カバンに俺が一番好きなアニメのキーホルダーが付いていたのが一瞬、見えたからだ。でも聞けなかった。だって草辺さんの周りにはいつもキラキラした人が居て、アニメの話をする隙なんてなかった。それに、草辺さん自身もアニメの話をして欲しくないのではないかと、何となくだが思った。だから聞けなかった。

そして何も聞けないまま、中学を卒業した。お互い進路は違ったからもう会う事はないだろう。

高校に入学して、すぐにバイトを始めた。お小遣いだけでは、アニメに使うお金が間に合わないからだ。

初めてのバイトは飲食店のキッチンスタッフだった。料理なんてしない俺には覚えるまでかなりの時間がかかったが、皆優しく教えてくれたおかげでバイトに行く事が苦痛にならなかった。

学校に行き、バイトがある日はバイトに行く。そんな日々を過ごしていると、俺はあっという間に高校三年生になった。周りは進路を考え始めて塾に行き始める人もいたが、俺にはそれがなかった。

俺はアニメの声優になるのが夢だ。だから高校を卒業したら専門学校に行こうと考えている。勉強もそこそこ出来るおかげで推薦で行ける。

俺の人生は本当に順調に進んでいた。草辺葉月に再会するまでは。

草辺さんに再会したのは高校三年生の夏頃だ。いつも通りシフトの時間ギリギリにバイト先に行くと、草辺さんが髪を結んでいる所だった。

「あれ、草辺さん?」

俺が声を掛けると草辺さんはこちらを向いた。たった三年会っていないだけなのに、だいぶ大人っぽくなっていた。

「星野君だよね、久しぶり。」

覚えてくれてたんだ。接点なんてあまりなかったのに。

「久しぶり。ここで働いてたんだね。」

驚いてそう言うと、草辺さんは眉をひそめた。

「半年前から働いてましたけど?」

「え、そうだったの?シフト、自分の所しか見てなかったから知らなかった。」

「まあ、ホールとキッチンじゃあシフト別だからね。」

「そうそう。とりあえず、これからよろしく。と言っても俺、高校卒業したらここ辞めるんだけど。」

「あ、そうなの。じゃあそれまでの間よろしくね。」

「ん、よろしく。」

話しているとかなりギリギリの時間になり、急いで着替えた。

更衣室で着替えながら、頭の中は草辺さんの事しか考えられなかった。

草辺さん、ここで働いてたんだ。なんで気になっている人が近くにいたのに気づけなかったのか。自分の視野の狭さに腹が立つ。

前に出ると、何をしたらいいかわからないぐらいお客さんが居なかった。

「俺、暇だから上がってもいいかな?」

足りない物を補充していると、一緒のシフトの人が聞いてきた。

「俺は大丈夫ですけど、勝手に上がって怒られませんか?」

「怒られないよ。むしろお客さん少ないのに従業員多いと怒るじゃん、ここの店長。」

「確かに。」

ここの店の店長はお客さんが少ないと従業員を早く上がらせる。その時間でお金を計算してる俺にとっては最悪な店長だ。

売り上げを増やしたいという気持ちもわからなくはないが、従業員にも都合があって働いてるのだ。もっと大切にして欲しい。

「なら上がっちゃっていいんじゃないですか?」

「よっしゃー!なら俺上がるわ。混んできたらめんご。」

「大丈夫ですよ。俺もそこそこ出来るんで。」

「成長したなぁ。じゃ、あとよろしく!おつかれー」

「お疲れ様です。」

シフトの人を送り出し、足りない物の補充を再開すると、倉庫に取りに行かないと足りない物があった。

...倉庫、ごちゃごちゃしすぎててどこに何があるかわからないんだよな。シフトの人に聞いとけばよかった。

若干の後悔を抱きつつ倉庫に行くと、草辺さんがちょうど倒れかかる所だった。

「大丈夫?」

急いで支えると、目をぎゅっと瞑っていた草辺さんはゆっくり目を開けた。

「うん、大丈夫!ありがとう、助かった!」

支えたのが俺だと気づくと、草辺さんははにかみながらお礼を言った。その表情は俺の心をぎゅっと掴んだ。

「それは良かった。てかこの量の納品、片付けてくれてたんだね。ありがとう。」

「全然!今日お客さん少なくてやる事ないし。だったらやっとこうかなって。」

草辺さんはさも当然のように言うが、それが出来る人は中々いない。俺が今まで見てきた人は暇だったら同じシフトの人とお喋りをして、何もしない人達だ。ここのバイトの唯一嫌な所だ。

「なら俺も手伝うよ。このダンボールからやっていけばいい?」

草辺さんがやってくれてるのを、見て見ぬふりなんて出来なかった。

「え!大丈夫だよ。一人で出来るしさ、何よりここ暑いから。」

でも草辺さんは首を横に振った。どうやら草辺さんは自分の事より、人の事を心配する人みたいだ。自分だって倒れかけたくせに。

「それ言ったら草辺さんだって暑いでしょ。それに、また倒れそうになったら危ないからね。」

「ぐっ、」

「さ、やろ。二人でやった方が早く終わるよ。」

草辺さんは反論の余地がないのがわかったのか、作業を再開した。少し意地悪な言い方になってしまったが、そうでなければ草辺さんは首を縦に降らなかっただろう。見かけによらず、頑固な人みたいだ。


「終わったー!」

今日は本当にお客さんの入りが少なかった。だから料理の注文もぜんぜん入らないおかげで、倉庫の整頓はすぐに終わった。草辺さんがある程度片付けてくれてたのも大きい。

「ほらやっぱり二人でやった方が早かったでしょ。」

「早かった。手伝ってくれてありがとう。」

「俺もどこに何があるかおおよそ知れて良かった。」

「知らなかったの?私より働いてる年月長いのに?」

「だって足りない物あったら他の人が持ってきてくれてたし。」

「じゃあ知れるいい機会だったんだね。」

「そうそう。」

中学生時代は草辺さんと話す接点がなかったから、話すとこんなに面白いとは思わなかった。もっとツンとしている人をイメージしていた。

「葉月ちゃーん、こっちの補充終わったよー」

ダンボールを片付けていると矢野(やの)夏音(なつね)さんが倉庫に顔を出した。

「ありがとー。こっちの補充、まだ終わってないんだ。倉庫の整頓しててさ。」

草辺さんは笑顔で矢野さんと話している。でもその笑顔はなんだが無理しているように見えた。と同時に、その笑顔には見覚えがあった。中学で友達と話している時の草辺さんも、今みたいな無理してる笑顔だった。

あの時はなんとも思わないで草辺さんの事を見ていたが、年月が経って見てみると違和感に気づけるなんて。俺も成長したという事だろうか。

話が終わったのか、草辺さんはダンボールを片付け始めた。

「矢野さんと仲いいの?」

気づくと俺はそう聞いていた。なぜそんな事聞いたのか自分でもわからない。

「うん。」

草辺さんは不思議そうにしながらも頷いた。でも俺はそれがどうしても納得出来なかった。

「へー、なんか意外。」

「え?」

「だって草辺さん、あんなキラキラした子と一緒にいるイメージなかったからさ。」

俺はそこで一旦言葉を切った。そしてこう続けた。

「無理してない?大丈夫?」

草辺さんは俺の方を向いた。その顔はさっきの違和感を感じた顔ではなかった。多分、これが本当の草辺さんなのだろう。

「無理なんてしてないよー。夏音ちゃんと居て、めっちゃ楽しいよ!あ、私ダンボール捨ててくるね。」

「あ、うん...」

だが草辺さんはすぐに目を逸らした。そして作り笑顔に戻り、ダンボールを持って外に出て行った。

どうして草辺さんはあんな作り笑顔で人に接するのだろう。俺と話していた時にはそれを感じなかったから、草辺さんも知らない内に俺と話す時は作り笑顔を作っていないのだろう。


その後も、ずっと草辺さんの事を考えていたらバイトが終わっていた。

学校の後のバイトはかなり疲れる。それに加えて土曜日の明日もバイトはある。お金のためとはいえ、休みたい。大人は毎日何も言わずにこれをこなしてて凄いなぁ。

着替えながら改めて大人を尊敬し、更衣室を出ると草辺さんと合致あった。

「あ、草辺さん、お疲れ様。」

「おつかれー」

草辺さんはさっきの事なんてなかったかのように笑顔だった。

「あれ、さっき矢野さん帰ってったけど。」

俺が更衣室に入る前、矢野さんはもう着替え終えてて、帰っていた。だからてっきり草辺さんも帰っているのかと思っていた。

「夏音ちゃん、家族が迎えに来てくれたみたいでさ。先に上がっていいよーって言ったんだ。」

「あ、そうだったんだ。優しいね。」

ホールの人は上がる時にトイレ掃除とゴミ捨てをやらないといけない。二人いる日は分担してやるみたいだが、多分それを草辺さん一人でやったのだろう。

「そう?だって家族が待ってるんだよ。早く帰らせてあげたいじゃん。」

草辺さんはその後にも言葉を言いたそうだったが、言わなかった。多分深く聞いてはいけないやつだと悟った俺は知らないふりをする事にした。

「そっか...じゃあまた今度。」

「うん、またねー」

草辺さんと別れ、外に出る。夜といえど外は暑い。でも俺はチャリで来ているから、夜風が心地よい。

「ただいまー」

チャリを漕ぐ事十五分。家に着いた。何の変哲もない、どこにでもあるような一軒家だ。

「おかえり。夕飯、机にあるからね。」

家に入り声を掛けると、母さんが反応してくれた。

「わかった。ありがとう。」

「食べ終わった食器は洗っておいてね。」

「ん。」

手洗いを済ませてリビングに入ると、机にはカレーが置いてあった。カレーは大好物だから嬉しい。

夕飯を食べながらスマホを開き、通知を全部確認して、最後にインスタを開く。家族と一緒に夕飯を食べる時にはお行儀が悪いだのなんだので怒られて出来ないから、バイト終わりで一人で夕飯を食べる日は好きだ。

インスタをネットサーフィンしていると、とあるアカウントが目に止まった。

そのアカウントはアニメのグッズを主に載せていて、たまにそのグッズと出かけた写真を載せていた。そのアニメは俺がずっと追っかけをしているアニメで、すぐにフォローした。

どうやらこのアカウントの人...葉っぱという人はアニメが漫画時代から好きみたいで、漫画の感想も載せていた。こんな熱狂的なファンがいるなんて、是非会ってみたい。

「ちょっと、早く食器洗って!カレーだから汚れ落ちなくなるでしょ!」

夕飯を食べ終わってもダラダラとスマホを見てると、母さんが叱ってきた。こうなった母さんは少し面倒臭い。

「はーい、今やる。」

さっさと食器をシンクに運んで洗った。母さんはすぐに動いた俺にそれ以上言う事はなく、リビングを出て行った。俺が洗い物をしているか確認しに来たのだろう。たまに忘れてやらない時があるから。

洗い物をしながら、ふと草辺さんの事が頭に浮かんだ。

三年ぶりに会った草辺さんは大人っぽくなっていた。確か草辺さんはそこそこ頭のいい高校に進学した。そこで色んな人と出会って、大人っぽくならなければいけない事があったのかも。

そういう事を考えると自分は結構甘い人生を送ってるな、と思う。子供の頃から好きな事を追って、周りもそんな俺を認めてくれてる。それが当たり前と思わないで、大事にしないとな。

そんな俺らしくない事を考えて一日が終わった。



「悠ー!起きなさい!今日バイトなんじゃないの?」

母さんの声で目が覚めた。寝ぼけた目でスマホを開くと、バイトの時間三十分前だった。

「やばっ」

すぐに飛び起きて身支度を整えて部屋を出ると、妹と出くわした。

「また寝坊してんの?ウケる。」

「ウケねーし。」

妹と話している余裕がない俺は、素っ気なく返事して一階に行き、外に出た。

今日は土曜日で、憎い程の晴天だ。バイト先は混んでいるだろう。最悪だ。

「おはようございます。」

店に入り挨拶すると、昨日早く帰った人が一人で料理を作っていた。

「おはよー。ちょっと混んできてるから助けて欲しい。」

「了解です。」

早足で事務所に入り、着替える。着替えながら今日のシフトの人を思い返す。確かフードは俺も入れて三人居たはず。だけど一人しかいなかった。

なぜだろうと不思議に思いながら前に出た。

そしてその答えはすぐにわかった。ホールの人が一人休んだからだ。だからフードで前も出来る人が前に行ってしまって、一人で料理を作る事になってしまったみたいだ。連絡をくれれば、早く来たのに。...まあ寝坊した人が言える事ではないが。

「星野、ごめん、倉庫からケチャップ持ってきて。」

「あ、はい。」

作っていた料理を出して倉庫に行くと、私服姿の女性が必死に何かを探していた。

「どこにあんの...」

独り言の声で、それが草辺さんだとわかった。そして何を探しているかもわかった。

「制服ならここだよ。」

草辺さんは多分、休んだ人の代わりに来たのだ。だって昨日シフトを確認した時には草辺さんの名前はなかったし、仮にシフトが入っていたら倉庫で制服を探しているのはおかしい。

「星野君。」

俺の事を見上げる草辺さんの目元はいつもよりキラキラしていた。化粧をしているのだろうか。

「草辺さん。おはよう。」

「おはよう。制服、上にあったんだね。ありがとう。」

昨日は気づかなかったが、制服を受け取る為立ち上がった草辺さんは、俺と頭一つ分の差があった。

「草辺さん、俺より背低いからね。」

ついからかってそう言うと、草辺さんは頬を膨らませた。

「うわ、ひどっ。こう見えて女子の中では高い方なんですけど。」

「はいはい。早く着替えてきな。前、めっちゃ忙しそうだから。」

「言われなくても行きますー」

頬を膨らませたまま草辺さんは事務所に入って行った。俺も人の事を言っている場合ではなかった。ケチャップを持って前に戻らないと。



「上がります、お疲れ様です。」

「おつかれー」

二十時。次のシフトの人と交代して、ゴミを捨てて上がった。今日はいつもの土曜日より混んだ気がする。疲れた。

そういえば今日は好きなアニメのショップが、ショッピングモールに来た日だ。すっかり忘れててシフトを入れてしまった。明日行ってもまだグッズ残ってるかな。

更衣室を出るとまた草辺さんに出くわした。ちょうどロッカーから荷物を出している所で、荷物の一つに目が止まった。

「あ、草辺さん、それ...」

草辺さんが持っていたのはアニメのショップ袋だった。

しかも今日、ショッピングモールに来たやつだ。

「好きなの?そのアニメ。」

そのアニメが好きなら是非、語り合いたい。その思いで聞いただけだった。なのに...。

「...友達に頼まれて買っただけだから知らない!」

草辺さんは怒ってしまった。内心驚きつつ、冷静に返事をした。

「あ、そうなんだ...」

なんで草辺さんが怒っているのかわからなかったが、知らないと言われたらそれ以上聞けない。

「うん、そう!それじゃあまたね!」

俺が何か言う前に草辺さんは事務所を出て行った。よくよく考えてみると、友達に頼まれただけの自分はよく知らない物の事を聞かれても困るだろう。だからってあんなに強く言う必要は無いと思うが、急に聞いた俺も悪かった部分はある。

そう結論づけて、家までの帰路をチャリで漕いだ。今日は疲れたからスマホを見ずに早く夕飯を食べて、お風呂に入ってベットの中でスマホを開こう。

家に入り予定通り動き、帰ってからものの三十分でベットの中にいた。いつもは一時間以上かかるから、夕飯の時にスマホを見ているのが原因だとわかった。だからといって辞める気は無いが。

通知を見終わりインスタを開くと、ついこの間フォローした葉っぱさんが更新していた。内容はアニメの新グッズを買い、飾ったみたいだ。

「あれ?この袋...」

写真に映っていた袋を拡大すると、今日草辺さんが持っていた袋にそっくりだった。

確かに、今日のショップはこの辺に住む人でこのアニメが好きな人はかなり行ったはずだから、袋を持っているからといって草辺さんとは限らない。だけど袋の柄まで草辺さんが持っていたのと一致しているのだ。このアニメは希望したお客さんに渡す袋にも工夫がしてあって、一枚一枚、微妙に柄が違うのだ。だから誰かと一緒ということがまずない。

でも草辺さん、友達に頼まれたと言っていたな。その友達が草辺さんからグッズを受け取り、載せたのかもしれない。...いや、だとしたら友達に代行と書くだろう。フォローしているアニオタの人で代行してもらった人は、大体そう書いてアカウントまで載せている。そうなるとこのアカウントは草辺さんのだろうか。

眠かったはずなのに目が覚めてしまった。これが解決しないと寝れない。

「よし、今度草辺さんとシフトが被った日に聞いてみよう。」

悩みに悩んだが俺の頭では解決しない事がわかった。だから次に会った時に少しかまをかけながら聞いてみる事で一旦は解決した。これで寝れる。



「ねぇ、このキャラかっこいいと思わない?」

そう結論づけた日から何日か経ち、草辺さんのシフトと俺のシフトが被ってなおかつ、休憩が被った日があった。これは好都合と同じアニメの違うキャラの写真を見せて聞いてみた。

「んー、そうだねー」

だが草辺さんは当たり障りのない返事をし、スマホを見た。作り笑顔をしながら。

それにイラッとした俺は単刀直入に聞く事にした。

「ねぇ、やっぱりこの間のやつ、自分用に買ったやつでしょ?」

「この間も言ったけど、友達用だよ。なんでそう思うの?」

草辺さんの作り笑顔は心の内が見えないから怖い。でもここで引く訳にはいかない。身近でアニメの話が合う人なんて、中々出会えないのだから。

「俺、草辺さんのアカウント見つけたし。」

ほらとインスタを見せると、作り笑顔をしていた草辺さんの笑顔が固まった。それを見て、このアカウントは草辺さんのものだと確信した。だけど草辺さんは認めそうにない。だからもう少し詰める事にした。

「このグッズの写真、この間持ってた袋の日にちと一緒なんだよね。」

気分は犯人に証拠を持ちながら詰め寄る警察官だ。なるほど、警察官はいつもこんな気持ちなのか。

「そうだよ。あのグッズは自分の為に買ったよ。なんか文句あります?」

草辺さんは睨みつけながら聞いてきた。だけど睨みつけが甘くて全然怖くない。それが可愛くて、面白くてつい笑った。

「文句なんてないよ。それに他の人にも言わないよ。」

「...じゃあなんでしつこく聞いてきたの?」

草辺さんはそれでもまだ疑っているようだった。本当に他の人に言う気はないが、どうしてそこまで他の人に知られるのが嫌なのだろう。別に悪い事をしている訳では無いのだから好きと胸を張ったらいいのに。

「俺もそのアニメ好きだから。草辺さんも好きなんだったら仲良くしたいなと...」

「誰推し!?」

先程とは打って変わって草辺さんは食いついてきた。その目は睨みつけてきた時とは違ってキラキラしていた。

「さっき写真で見せた人が好き。」

「うんうん!かっこいいよね!私も最初はその人が好きだった。」

「今の推しはこの間のグッズの人?」

「そう!話を見ていくにつれその人に感情移入してさ。今やその人に貢ぐ為にバイトしてる。」

「...すごいね」

自分から聞いといてなんだが、草辺さんの勢いに少し引いてしまった。そうか、あのアカウントを動かしている張本人なのだ。そりゃあアニメへの愛が強いはずだ。

「てことは遠征も行くの?このアニメって遠い所でコラボするの多いし。」

こんなにアニメへの愛が強いのだ。当然、遠征も行っているのだろう。

だが草辺さんのテンションは見るからに下がった。

「遠征は行かないよ...遠いし何よりお金かかる。今、一人暮らしする為の費用も貯めてるし。」

俺は一人暮らしなんて考えた事も無かったからもちろん、貯金もしていない。やはり草辺さんは俺より先を行っている。

「へー、そうなんだ。俺たまに行くよ。」

「え!どこまで!?」

テンションが下がっていた草辺さんのテンションが再び上がった。

「親が結構協力してくれるからかなり遠くまで行く。」

「いいなぁー」

そう言う草辺さんは遠い目をしていた。だが俺はそれより気になる事があった。

「ねぇ、草辺さん。ちょっと近いかも...」

俺達はあと少しでおでこがぶつかる距離にいた。それにやっと気づいた草辺さんは離れた。

「わぁ!ごめんね!...いった!」

その拍子にロッカーに頭をぶつけていた。痛がっている草辺さんには悪いが、すごく面白い。

「待って、面白い。」

素直に感じた事を言うと、草辺さんは頭をさすりながら頬を膨らませた。草辺さんは反論しようとすると、頬を膨らませるくせがあるみたいだ。

「心配とかないんですか?」

「心配ももちろんあるけどそれより面白さが勝ってる。」

「酷い!かなり痛かったんだからね?」

「いや、自分でやったんじゃん。」

「そうだけど...」

なにも言えなくなってしまった草辺さんも面白くて声を出して笑った。

「草辺さんって面白いね。」

「そんな事ないよ。ただ星野君の笑いのツボが浅いだけじゃない?」

「まぁ、人の笑いのツボはそれぞれだからね。俺は草辺さんの事面白いと思うよ。それに...」

言葉を切り、草辺さんを見る。その顔は作り笑顔では無い、本当の草辺さんだ。本当の草辺さんを見ると顔が綻ぶ。

「俺は自然な草辺さんの方が好きだよ。」

俺がそう言うと、草辺さんは驚いていた。そしてみるみるうちに涙目になっていった。

「え、俺なんか変な事言った?」

俺のどの言動で涙が出そうになったのか。思い返しても思いつかない。それでなにも言わない草辺さんが怖い。

「ねぇ、本当に大丈夫?もうすぐ休憩終わるけど...」

その言葉で顔を隠していた草辺さんは顔から手を離した。もう涙目ではなく作り笑顔になっていた。

「うん!もう大丈夫。さー、働くかぁー!」

草辺さんはスマホをポケットに入れて、事務所のドアノブに手をかけた。

「あ、ねぇ、連絡先交換しようよ。」

草辺さんに行って欲しくなくて。つい声が張ってしまった。こちらを振り向いた草辺さんは不思議そうに首を傾げていた。インスタを知っているのに、他の連絡先を交換する意味がわからないのだろう。

「ほら、インスタは知ってるけど、ラインの方がアニメの話するのにいいかなって。」

「あぁ、それもそうだね。」

それらしき理由をつけると納得してくれたのか、ラインのコードを出してくれた。

少し休憩時間が過ぎてしまったが、そんなに混んでいないから大丈夫だろう。

友達の欄に草辺さんがいる。飛び上がりたいほど嬉しい。

「これでいつでもアニメの話出来るな。」

「うん!すっごく嬉しい...」

草辺さんはキラキラした目でスマホの画面を見ている。ラインを交換しただけでこんなに喜んでもらえて俺も嬉しい。

「俺も嬉しいよ。改めて、これからもよろしく。」

「うん!よろしく!」

作り笑顔では無い笑顔を向けられて、つい目を細めた。

草辺さんの本当の笑顔は、雨上がりの葉っぱみたいにキラキラしている。その笑顔を、俺だけに向けて欲しい。

今までは草辺さんの事、気になるだけだった。でも今は恋愛感情で好きだ。こんなに趣味があって、話していて楽しい人、中々出会えない。でも草辺さんは俺の事、ただ趣味の合う異性の友達ぐらいにしか思っていないだろう。

決めた。俺がここを辞めるまでの間に、草辺さんに俺の事を意識してもらう。そして卒業式が近づいたら告白しよう。

そう決心して休憩から戻った。




そう決心してからの俺は毎日草辺さんにラインを送った。内容は主にアニメの事。というかアニメの話しかしてない。

最初はぎごちない返事だった草辺さんも、俺が毎日ラインをするからか話す時と同じ返信になっていた。それだけで嬉しかった。

「兄ちゃん、明日から学校でしょ!準備出来てんの?」

ばんっと、勢いよく入ってきたのは妹だ。

今年の夏休みは時が過ぎるのが早くて、もう夏休みが終わる前日になった。と同時に、進路を確定する時期にもなった。まあ俺は推薦で行く事がほぼ確定しているから、あまり関係ないのだけれど。

それよりも、今は妹に腹が立つ。人がラインのトーク履歴を見ながらニヤニヤしてる所に入ってきやがって。空気を読め、空気を。

それを本人に言ったら怖いし何より面倒臭い事になる。だから心の中だけに収めておこう。

「出来てまーす」

「ならいいけど。最近、スマホばっかり見ちゃって。彼女でも出来たの?」

「まだ彼女じゃねーし。」

「ふーん。もし出来たら連れて来てよね。」

「なに?俺が他の人に取られちゃうのが嫌なの?身内の嫉妬が一番きついんだけど。」

「は?なに自惚れてんの?こんなアニオタなお兄ちゃんの彼女で本当に良いのか聞く為に決まってんでしょ。」

「なぁ知ってるか?この世にはアニオタな女の子もいるんだぜ。」

「そりゃあね。私だって本オタクだし。」

そう、妹は俺と反対で本オタクなのだ。部屋には所狭しと本棚が並んでいて、その中もびっしり本が詰まっている。その本は全て小説だ。漫画しか読まない俺には、本棚を見ただけで目眩がしてしまう。

「だったらなんで聞くんだよ。」

「お兄ちゃんのは行き過ぎたオタクだから。彼女の約束より推しの事を優先して別れられそう。」

「お前の俺へのイメージはなんなの?」

「頭にハチマキ巻いてそうなオタク。」

我が妹ながら酷い。俺は頭にハチマキを巻いたオタクみたいに汚くない。そう思われない為に容姿を綺麗にしているのに。

「そんな心外みたいな顔されても、イメージ聞いてきたのはそっちじゃん。」

妹はやれやれと肩を竦めた。もうどっちが年上なのかわからない。

「はいはい、そうですね。で、そろそろ出てってもらえますかね。準備出来てるのを確認しに来ただけでしょ。」

「そうだった。仕方ない、今日の所は引き上げよう。」

「是非そうして。」

言動がいちいちウザイ。だけどそれを言ってまた反論されるのも面倒臭いから、頷いといた。

妹が居なくなった部屋は物静かになった。俺は明日からアニメショップで販売されるグッズの買うものをリストアップする為、再びスマホに目を戻したのだった。



「ねみー...」

夏休みが終わり、一ヶ月半ぶりの登校日。俺は目を擦りながら駅から学校まで歩いていた。夏休み中は遅く寝て遅くに起きるという昼夜逆転の生活をしていたから、早起きに慣れるまで時間がかかりそうだ。

ただ今日は午前授業で早くに帰れるし、好きなアニメの新グッズが発売される日だから何とか眠気と戦えそうだ。

「悠ー、おはよー」

下駄箱につくと友人が数人寄ってきた。それだけで眠気は吹き飛んだ。

「おはよう。夏休み中、何してた?」

「ずっとゲームだよ。そう言う悠は?」

「俺はアニメの追っかけだよ。」

「ブレねーなー、悠は。進路はどうすんだっけ?」

「俺、声優になりたいから専門学校行くつもり。」

「すげーな、俺まだなんも決めてない。」

「だったらそこそこの大学に行って就職すれば?多分、そっちの方が稼げるよ。」

「そうだよなぁー」

友人と話しながら、そういえば草辺さんは進路、どうするのかなと気になった。一人暮らしをするとは言っていたけど、それ以外は何も知らない。

俺って草辺さんとアニメの話はするものの、そういう将来とか、家族関係とか話した事がなかった。ただなんとなくではあるが、草辺さんは家族との関係は良くないのではと思っている。家族の話をする時の草辺さんは、いつも辛い顔をするから。

「で、悠は彼女出来た?」

「え?」

草辺さんの事を考えていると急に話を振られて、首を傾げた。友人は笑いながら説明してくれた。

「ここにいる奴ら全員夏休み中に彼女出来たから、悠はどうなのかなって。」

「あぁ、そういうやつね。もちろん、出来てないよ。」

「なんだよ。じゃあ気になる人とかは?」

「気になる人はいるよ。」

「その話詳しく!」

つい本当の事を言うと友人達はがっついてきた。男子高校生らしい。

「秘密ー。その人が彼女になったら教えてやるよ。」

「くぅー、余裕ぶっこきやがってー」

友人とじゃれながら、いつも通りの日常が戻ってきたなと実感した。



「悠ー、昼飯食ってかね?」

「あー、ごめん、今日は予定ある。」

「なんだ?その気になってる人とか?」

「違う。アニメの新グッズが発売されるから買いに行く。じゃあまた明日な。」

「おー、気をつけて行けよー」

「おー」

友人と下駄箱で別れ、走って駅に向かい丁度来ていた電車に乗り込んだ。インスタを開くと既にグッズを買った人が載せてて、欲しいグッズがなくなってない事を祈った。

最寄り駅からアニメショップは歩いて五分の所にある。そんなに栄えていない地元にアニメショップがあるのは、地元の自慢出来る唯一のポイントだ。

お店に入ってすぐの所に好きなアニメのコーナーが出来ていた。そこそこ人が居たが堂々と近づき、お目当てのグッズを手に取った。

自分が欲しかったグッズは全部とまではいかないが手に取れた。これで今日のミッションは終了だ。この後バイトが入っているが頑張れる。

さあお会計をしようと歩き始めたが、立ち止まった。草辺さんが好きなキャラのアクリルスタンドがラスイチだったからだ。

とりあえず手に取り、買うか悩んだ。多分、これから草辺さんもここに来るだろう。俺が買わずに、それまでこのアクリルスタンドが残っているだろうか。...いや、残っていないだろう。アニメでは最近、このキャラをメインの話があったから人気になった。だからこのキャラのグッズは大半が売り切れているのだろう。


「ありがとうございましたー」

悩んだ末、俺はアクリルスタンドを買う選択をした。今度バイトのシフトが被った時にそっと渡せばいいだろう。

少し他のコーナーも見てからお店を出ようとすると、さっきまで俺が居たコーナーに草辺さんがいた。コーナー付近を歩いて、あからさまに落ち込んだ。本人は本気で落ち込んでいるのだろうが、見ている側としたら面白い。

「あれ、草辺さん?」

「星野君。」

あたかも今見つけたみたいに声を掛けると、草辺さんは俺のショップ袋を見て悲しそうに目を下げた。

「もしかしてグッズ買いに来たの?」

「うん。欲しかったやつ全部売り切れてなかったんだけどね。」

草辺さんは自虐気味に笑った。今回たまたま俺は手に入ったけど、もし逆の立場だったら辛い。

「今回売り切れるの早いよね。俺も欲しかったの全部は買えなかった。あ、そうだ。これあげるよ。」

袋から草辺さんが好きなキャラのアクリルスタンドを出すと、下がっていた目が大きく見開いた。

「え!買えたの!?なんで!?」

「来たら残り一個で、草辺さんに会ったらあげようと思って。」

「えぇ...優しすぎる...」

「草辺さんのおかげで最近、アニメの話出来て楽しいからさ。そのお礼。」

「それ言ったら私もだよ。だから受け取れない。」

アクリルスタンドを差し出したが、中々受け取ろうとしない。痺れを切らした俺は草辺さんの手に無理矢理握らせた。

「はい、これで草辺さんの物。」

「ありがとう...あ、じゃあお金払うよ。」

「本当に大丈夫だから。お礼だと思って受け取って。」

カバンを漁って財布を出そうとしている草辺さんを止めた。そういうつもりで買った訳ではないから。

「私もお礼したい。」

「あ、だったらお昼奢ってよ。まだ食べてないでしょ?」

こうなった草辺さんは引かない。だから別の提案をした。草辺さんも制服姿のままだから、お昼を食べずに直行でここに来たのだろう。

「食べてない。」

「ならそうしよう。どこで食べよっか。あ、今日バイト入ってる?」

「入ってる。なんなら連勤。」

「何時から?」

「十六時。てかシフト一緒だよ。」

「え、そうなの?」

「うん。ちゃんとシフト見た方がいいよ。」

「まあまあ。それならバイト先で食べる?」

「やだ。働く以外であそこに行きたくない。」

「ウケる。んー、だとしたら俺がよく行く所でもいい?ここから近いからさ。」

「いいよ、どこでも。」

「ありがと。あー、腹減った。」

俺が先頭を切って歩くと、その後ろに草辺さんが着いてきた。

草辺さんはずっと俺の後ろを歩いた。俺の歩くスピードが早くて追いつけないのかと思って少し遅めにしたが、どうやらそうではないみたいだ。

「なんで後ろ歩くの?」

横断歩道が赤になったタイミングで聞いた。立ち止まってもなお、草辺さんは後ろにいる。

「なんとなく。」

「そっか。」

それ以上、聞かなかった。いや、怖くて聞けなかった。シンプルに俺の隣を歩くのが嫌だという理由だったら立ち直れない。


「ここだよ。」

何も話さずに歩く事五分。行きつけのお店に到着した。

「ラーメン屋なんだね。」

「そう。ここ、安いのにめっちゃ量多くて、しかも美味しいんだ。」

「へぇー」

草辺さんの反応はあまり良くない。もしかしてラーメンが苦手なのかもしれない。

「ラーメン嫌いだった?」

「え?そんな事ないよ。休日に自分で作るぐらいには好きだよ。なんで?」

違った。ならどうしてそんな無表情なのだろう。

「なんかお店を見た時の反応が良くなかったからさ。」

「え、ごめん。」

謝る草辺さんを見て、しまったと思った。本当の草辺さんはこうなのだろう。いつもの愛想がいい草辺さんに慣れてしまっているせいで、本当の草辺さんを否定して謝らせてしまった。俺だけは草辺さんの全部を肯定したかったのに。

「謝らなくて平気だよ。さ、中入ろ。」

「うん...」

草辺さんに気にしてほしくなくてそう言ったが、言い方が良くなかったかもしれない。草辺さんの表情は暗いまま戻らない。

「いらっしゃいませー。何名様ですか?」

「二人です。」

「申し訳ございません、今二名様で座れる席がなくて、カウンターで一つ空いてしまう形なら案内出来るのですが、よろしいでしょうか?」

「あー...」

どうしようか。二人並んで座れなければ、初めて来た草辺さんはどうしたらいいかわからないだろう。

どうする?という意味を込めて草辺さんの方を見たが、なにか考え事をしているのか気づいてくれなかった。この様子だと話も聞いてなさそうだ。

「どうする?草辺さん。」

「へぇ?」

やはり話を聞いてなかった。そんな所も可愛いと思ったが、今は早く決めないといけない。

「今二人席が満席で、カウンターなら一つ空いちゃうけど座れるって。どうする?」

「カウンターで大丈夫だよ。」

草辺さんは一瞬お店を見渡すとそう言った。流石、ファミレスでホールをやっているだけあって状況判断が早い。

「そう?ならそれでお願いします。」

「ありがとうございます。こちらです。」

店員さんが案内してくれた席は少し小太りで偏見だが、痴漢とかしそうなサラリーマンを挟んだカウンター席だった。

「こちらお冷です。注文の際はカウンターに向かってお声掛けください。」

「ありがとうございます。」

お冷を受け取って草辺さんが一番端、俺がサラリーマンを挟んだ隣に座った。サラリーマンは料理が来たばかりで、帰る気配はない。

さて、どうするか。俺はいつも食べる物は一緒だからいいが、草辺さんはどうしたらいいかわからないだろう。俺から誘ったのに何も教えないのは酷い話だ。...そうか、ラインでやり取りすればいいのだ。我ながら名案だ。

「君、わからないの?おじさんが教えてあげるよ。」

隣からそんな声が聞こえてきて見ると、サラリーマンが草辺さんに声を掛けていた。

「あ...大丈夫です。調べるんで。」

草辺さんは素っ気なく言いスマホを見ようとしたが、サラリーマンは腰を浮かして草辺さんに近づいた。

「調べるより常連の人に聞いた方が確かだよ。おじさん、よく来るからおすすめ沢山あるから。」

そう言いながら草辺さんの太ももを触っているのが見えた。草辺さんは怖いのか声を出さない。そのせいかサラリーマンは触るだけには収まらず、スカートに手を入れようとした。

「何やってんだよ、おっさん。」

俺はサラリーマンの肩を掴みながら、出来る限り怖い顔で聞いた。そんな俺を見てサラリーマンは震え上がった。

「いや、その...わからなそうだったから教えてあげようかと...」

「じゃあその手はどう説明すんだよ。」

サラリーマンの手は未だに草辺さんの太ももにある。言い訳は出来ない。

「ちっ、なんだよ、彼氏持ちかよ。だったらこんな所来んなよ。貧乏人が。」

「おい、待てよ!」

サラリーマンは人が変わったかのようにそう言い放ち、荷物をまとめて出て行った。追いかけようとしたが、草辺さんに止められた。

「いいよ、追いかけなくて。」

「でも...」

「助けてくれてありがとう。怖くて声出せなかったから助かったよ。」

「それなら良かったけど...気づくの遅かったよな。本当にごめん。俺が誘ったばかりに怖い思いさせちゃった。」

「もー、全然大丈夫だよ!それよりほら、早く食べよ!おすすめ教えてよ。」

草辺さんは笑顔でそう言ったが、その手は震えている。かなり怖かっただろう。なのに俺に気を遣わせない為に無理している。

「...わかった。なら店員さんに事情説明して席隣にしてもらうよ。」

草辺さんの返事を聞かず、近くにいた店員さんを捕まえて事情を説明した。本当はこのまま帰る方がいいのだろうが、それだと逆に草辺さんが気にするだろう。だったら俺が隣に座って守ればいい。

店員さんは店長らしき人に事情を説明し、店長が俺と草辺さんに頭を下げた。

「お客様に大変不快な思いをさせてしまい、申し訳こざいません。今後、気をつけていきます。今回の食事の料金は二名様とも、いただきません。」

「そんな...申し訳ないです。」

草辺さんは困ったように俺の方を見たが、無視して店員さんの提案に頷いた。

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

店員さんが再び頭を下げ、居なくなったと同時に草辺さんがひっそり声を掛けてきた。

「いいの?料金払わなくて。」

「店長さんがいいって言ってるんだからいいんじゃない?だって草辺さんが怖い思いしたのは事実だし、俺からしたら足りないぐらいだし。」

俺は表情にこそ出てはいないが、かなり怒っていた。そんな俺を見て草辺さんは。

「うわぁ...こわー」

少し引いていた。それでも良かった。俺の大事な人の心に傷をつけられたのだ。怒らない訳がない。




ラーメンを食べた後に外に出ると、暑いと感じずむしろ涼しかった。

「あー、美味しかった!」

草辺さんは本当に美味しかったのか、にこにこしている。そんな姿を見てると心がほっこりする。

「それは良かったよ。あのじじいさえいなければもっと良かったのに...」

少し引いていた怒りを再び思い出して、イラついた。自分でも驚く程、怒りを引きずるタイプだったみたいだ。

「まあ確かに、あんな事があったけどラーメンは美味しかったから!連れてってくれてありがとう。」

眩しい笑顔を向けられて、怒りはどこかに行ってしまった。本人が喜んでいるのならいいだろう。だからといってあいつを許す訳ではない。

「ありがとう。今度はもっと空いてる時に行こう。」

「そうだね。あ!私奢ってない!どうしよう。」

草辺さんは本当に忘れていたみたいで焦っていた。俺は覚えていたが、あんな事があってお金を払ってもらうなんて出来なかったから言わなかった。それに。

「あー、じゃあまた今度奢ってよ。」

「あ、そっか。従食奢ればいいね。」

「いや、今日みたいに二人で出かけて奢ってよ。」

「え?」

二人で出かける口実が出来た。俺自身では誘えなかったと思うから、それだけはあのじじいを褒めたい。何度も言うが、許してはない。

「俺、変な事言った?」

「うん。え?だって...」

その後に続く言葉はなんとなく想像はつく。でもそれで草辺さんは俺を少しでも意識している事がわかった。

「ん?」

首を傾げながら草辺さんの顔を覗き込むと、真っ赤になっていた。表情がコロコロ変わって可愛い。

「んーん、なんでもない!そうだね、また二人で出かけようね。どこ行こっか!」

「まあ実際、俺ら受験生だからしばらく無理だけどね。」

そんな草辺さんが愛おしくて。ついからかった。

「星野君って性格悪いって言われない?」

草辺さんは俺をじとっとした目で見ながら聞いてきた。

「言われない。」

「じゃあその人の目がおかしいんだね。」

「酷い事言うね。そういう草辺さんはなんか言われないの?」

「言われませんけど?星野君以外の人と関わる時は言動に気をつけてますから。」

「俺、それは喜んでいいやつ?」

「星野君の取り方によるんじゃない?」

いつだかの俺と似た言い方をされ、俺達は顔を見合わせて笑った。気づいたら草辺さんは後ろではなく、隣を歩いていた。

「草辺さん、そっちの方がいいよ。いつもの貼り付けてる笑顔より。」

「...もっと自分自身に自信がもてたら皆にもこの顔で接するようにするよ。だから今は星野君の前でだけ。」

草辺さんは誤魔化さず、遠い目をしながら言った。

「そっか。じゃあ俺は貼り付けてる笑顔じゃない草辺さんを見る、第一号だね。」

「そうそう。家族にもこの顔は見せてないからね。」

「そうなの?疲れない?」

「今までは疲れたって思う事もあったけど、今は星野君と話せるからそこまでじゃないよ。」

「そっか。役に立てたようでなにより。」

「本当に感謝してるよ、ありがとう。星野君と再会できて、本当に良かった!」

「俺も...」

「俺も?」

「いや、やっぱりなんでもない。」

─俺も、草辺さんと再会できて良かったよ。─

そう言いたかったが、言えなかった。俺が草辺さんに対して素直になるのはいいが、草辺さんが俺に対して素直になられると恥ずかしくなってしまう。

そのまま無言で歩き、バイト先に着いた。

「一緒に入るとなんか変だから私、近くの公園で時間潰してくるね!」

「え、あ、うん...」

走り去って行く草辺さんを見送りバイト先に入ると、クーラーが心地良かった。

「おはようございます。」

「あ!悠君おはよー」

事務所に入ると夏音さんがいた。今日は夏音さんもシフトが一緒だったのか。

「おはよ、来るの早いね。」

「今日、やる事ないから早く来ちゃった。悠君とか葉月ちゃんが早く来たら話せばいいかなって。」

「そっか。」

夏休みに入る少し前、俺は夏音さんに告られた。だけど俺は草辺さん以外考えられないから断った。夏音さんは俺が草辺さんを好きな事をわかった上で、告白してくれたらしい。このまま受験を迎えるのは嫌だからと。強い人だなと思う。

それから草辺さん関係で仲良くなって、下の名前で呼ぶようになった。

「ねぇねぇ、葉月ちゃんとはどうなったの?」

着替えて更衣室から出ると、夏音さんに聞かれた。

「どうもなってないよ。」

「早く告らないと、葉月ちゃん可愛いから誰かに取られちゃうよー。私を振ったんだから、ちゃんと付き合ってよね。」

「わかってるんだけどさ、いざ本人を前にすると可愛くて言えないんだよ。」

「うわー、惚気だぁー」

夏音さんは楽しそうに頬に手を当てた。よく告白を断った相手の恋愛話なんて聞けるな。俺だったら草辺さんの恋愛話なんて、死んでも聞きたくない。

「でも多分、相手も俺の事、気にはなってると思うんだよ。」

「うんうん、夏音もそう思う。」

「だから、今度二人でどこかに行った時に告ろうかなって。でも受験前だとあれだから、終わった後で。」

「そうだね。うつつ抜かして大学落ちても嫌だしね。」

「そうそう。で、どこ行ったらいいと思う?」

「んー...」

バイトが始まるまで、俺達は必死に告白スポットを探した。だが結局二人で居ればどこでもいいという事で解決した。

「あ、でもさ、告白はどこでもいいにしても、二人で遊びに行く場所は決めといた方がいいんじゃない?」

「そうだね。探してみるよ。」

草辺さんと俺の共通の趣味はアニメだ。だから好きなアニメのイベントに行って、帰り際に想いを伝えよう。

ちょうど受験が終わった次の日に、ショッピングモールに入っているお店で好きなアニメのグッズが売られるらしい。ビジュアル的にも草辺さんが好きそうだ。今回、受験は金曜で次の日が休みだ。これに行こう。

「もー!悠君面白い!」

スマホとにらめっこしていると、夏音さんが笑った。多分、必死に草辺さんに告る準備をしているからだろう。

「夏音さんもね。」

夏音さんは俺の事を面白いと思うのかもしれないが、俺からしたら夏音さんも面白い。俺だったら、告白して断られた相手に笑顔で関われない。

「悠君、こことかどう!?」

そう言いながら夏音さんに見せられたのは、ショッピングモールから少し歩いた所にある謎解き館だ。ここはよくテレビにも取り上げられてて、カップルにおすすめと言われている。確か、謎を解いている間は手錠をかけたはず。

「いいね、楽しめそう。」

カップルではなくても、手錠をしていれば意識はしてくれるだろう。その前に、俺の意識がなくならない様にしなければ。

「あ!そろそろ時間だね。また後で続きは話そー」

「そうだね。」

時間を見ればあと三分でシフトの時間だ。もう前に出て準備を始めよう。

「あれ?そういえば葉月ちゃん来てなくない?」

「あ、ほんとだ。」

夏音さんに言われて、草辺さんが来ていない事に気がついた。

「珍しいね。シフト忘れてるのかな?」

「どうだろう。」

そんなはずはない。俺とアニメショップで会った時、シフトが被っていると言っていた。だから忘れている訳ではないのだろう。

でもだったらなぜ、今ここに草辺さんは来ていないのか。...もしかして公園からここに来るまでに事故にあったとか?そうしたらシフトを覚えていても来れない。

もやもやした気持ちを抱えて事務所を出ると、人が居た気配がした。

「悠君!?どこ行くの?」

お店の裏口を開けたが人は居ない。だけど絶対人が居たはずだ。

「どうしたの?」

夏音さんが心配そうに聞いてきた。

「いや...人が居た気がして。」

「え?もしかして葉月ちゃんだったのかな...?もし私達の話を聞いてたとしたら...」

一気に血の気が引いていく気がした。もし俺達の話を聞いていたとしたら、一体どこから?この際、俺が草辺さんの事を好きなのがバレるのはいい。問題は俺と夏音さんが付き合ってると勘違いされる事だ。

いつも早めに来る草辺さんが時間になっても来ないということは、後者だろう。俺達が付き合っていると思って、気まずくて来れないのだと思う。

「ちょっと二人とも、シフト始まってるよ。何してんの?」

裏口を開けたまま二人で固まっていると、シフトリーダーが呼びに来た。この人は仕事こそ早いが、物の言い方が強くて苦手だ。

「なんでもないです、すみません。」

「全く、学生だからって手抜かないでよね。」

「はい...すみませんでした。」

これ以上ここに居たらうだうだと説教される。危機感を感じた俺達は反省してるフリをして前に出た。草辺さんには後でラインを入れておこう。そうしたら誤解だってわかってくれるだろう。



そう軽く考えていた俺は本当に馬鹿だ。草辺さんは一筋縄で扱える人ではないという事を忘れていた。

草辺さんは見事に俺のラインを無視した。既読にもならないし、バイト先にも来ない。今まで友達同士でもこんな事、起こった事ないからどうしたらいいかわからない。夏音さんのラインにも草辺さんは既読をつけないみたいだし。


「それで、私の所に来たってわけ?」

「うん。もうお前しか頼れる人いないんだよ。このままだと俺、受験が危うい。」

八方塞がりになった俺は妹の部屋を訪れていた。妹なら沢山本を読んでいるからいい案があるかもしれないと考えたからだ。藁にもすがる思いだ。

「学校知ってるんでしょ?直接会いに行けばいいじゃん。」

「ちょっとそれはストーカーみたいじゃん...」

「じゃあもう縁がなかったんだよ。諦めて違う子にしなよ。バイト先で告られた子にでもしときな。」

妹には夏音さんに告られた事を話しているから知っている。話したと言っても、夏音さんとのラインを勝手に見られて問い詰められたのだが。

「そんな...見捨てないでくれ。」

「私も忙しいの!はい、出てって!」

妹に追い出されて、仕方ないから自分の部屋に戻った。これで手はなくなった。

「どうしたらいいんだよ...」

スマホを見るが草辺さんからの通知はない。今までは毎日のようにやり取りしてたのに。たった数ヶ月前の事だが懐かしく感じる。あの時に戻りたい。そしてその時の俺に、夏音さんと話す時はラインにしろって言いたい。

だが時は戻らない。進む一方だ。そんなあるはずのない事を考えるより、これからどうするか考えないと。



「はぁ...」

そんな簡単に考えられてたら苦労してない。俺は何も考えられないまま、年を越し、受験まで残り一ヶ月を切っていた。

「悠、どうしたんだよー」

放課後。机に突っ伏していると友人に声を掛けられた。ぶっちゃけ今はそっとしておいてほしいが、友人をなくすのも嫌なので答えた。

「気になってる子に誤解されててさ、ラインも既読になんないんだよ。」

「うお、まじか。だったら手紙は?」

「えっ!」

がばっと起き上がり、友人を見る。友人は驚いていた。

「え、なになに?俺、なんか変な事言った?」

「言ってない。むしろいい事言ってくれた。そっか、手紙っていう手があるのか...!ありがとな!早速書いてみるよ。」

「お、おう。なんかよくわかんないけど役に立てたなら良かったよ。」

驚いてる友人をよそに、俺は荷物をまとめて学校を出た。そしてその足で文房具屋に行き、便箋を買った。

「ただいま!」 

「おかえり、兄ちゃん、ねぇ今日の夕飯...」

「ごめん、後にして!」

妹の問いかけを無視して部屋に入り、便箋と向き合った。だが手紙なんて小学生の時に国語の授業でやったっきり書いてない。しかも授業のは堅苦しい書き方だったから、今回草辺さんに書くのには向いていない。

手紙は一見簡単そうだが、結構奥が深い。書き方によって捉え方も変わるし、書く順番もある。まあそれはラインでも言える事だが。

誰か、手紙を書くのが得意な人はいないか。その人に書き方を教えてもらえれば書けなくはない。


「で?それでまた私の所に来たってわけ?」

俺はまた妹の部屋を訪れていた。妹なら本を沢山読んでいるし、文章の書き方も得意だろうと思い立ったからだ。持つべきはこういう妹だ。

「お願いします、手紙の書き方を教えて下さい。」

「さっき私が夕飯の相談をしようとした時無視したよね?都合が良すぎない?」

俺が帰った時に妹が話し掛けてきたのは、夕飯の相談だったのか。

「その件に関しては本当にごめんなさい。ちなみに夕飯はカレーがいいです。」

「よく今の状況でリクエスト出来たね...。まぁ、カレーは簡単だから採用するけど。」

「よっしゃあ。」

俺が軽くガッツポーズをすると、妹は眉間に皺を寄せた。

「夕飯で喜んでる場合?今は手紙の書き方を私に聞いてるんじゃないの?」

「いや、そうだけど、夕飯は素直に喜ばないと...」

「はぁ...こんな兄ちゃんに好かれた女の子に心底同情する。」

「それで、手紙の書き方は教えてくれるんですか?」

「もし教えないって言ったら?」

「教えてくれるまで部屋から出ない。お風呂もトイレも我慢する。もちろん、夕飯も。」

「やば、愛が重っ...。わかった、教えるよ。部屋に籠られても邪魔だし。じゃあ今から書き方のポイント言うから、メモして。」

「はーい」

妹が教えてくれた書き方のポイントを一言も漏らさず、全部メモした。リスニングテストでもこんなに集中した事ない。

「これぐらいかな。後は教えた事を上手く組み合わせて、書くだけ。」

「本当にありがとな、今度お礼するからさ。」

「じゃあ欲しい本あるから買って。」

「おっけー。次の給料入ったらな。あ、手紙これから書くから夕飯出来たら呼んで。」

「はいはい。全く、都合がいいんだから...」

妹の小言は無視して自分の部屋に戻った。そして再び便箋と向き合い、手紙を書いた。

妹にポイントを聞く前は何から書いたらいいかわからなかったのに、今はスラスラと書ける。

草辺さんに夏音さんとの関係は誤解だということ、俺が草辺さんの事をどう想っているのか。それらを全て手紙に書いた。書いてる途中、すごく恥ずかしくてグチャグチャに丸めてしまいたかったが、なんとか耐えて手紙を書ききった。

「兄ちゃん、夕飯出来たよ。」

ちょうど書き終わったタイミングで妹が呼びに来た。

「ありがとう。俺もちょうど手紙書き終わった。」

「書けたんだね、良かったよ。でもその手紙、どうやって渡すの?」

「あ、考えてない。」

「はぁ!?人に聞いといて考えてないとか、ほんとに兄ちゃんって考えなしだよね!もう知らない!」

妹は勢いよくドアを閉めて、音を立てながら階段を降り、一階に行ってしまった。それもそうか。せっかく手紙の書くポイントを教えたのに、渡す方法を考えてないと言われたら腹が立つだろう。

「まじでどうしよう...」

とりあえず夏音さんに草辺さんに誤解を解くために手紙を書いた事を伝え、その手紙をどうやって渡したらいいのかもラインで送り、夕飯を食べに一階に下がった。

「いただきます。」

妹はまだ怒っているのか俺の挨拶を無視した。まあ、今回に関しては百、俺が悪いから仕方ない。

「ご馳走様でした。」

「...美味しかった?」

妹はムスッとしながら聞いてきた。こういう所は年相応で可愛いのになぁ。

「美味しかったよ。作ってくれてありがとう。」

「ちょっと、子供扱いしないで!それに髪型崩れる!」

頭を撫でてやると、めちゃめちゃ怒られた。もう夜でどこにも行かないのだから髪型なんて崩れてもいいではないか。それを言ったらもっと面倒臭い事になるから言わないけれど。

「はいはい、ごめんね。」

適当に謝り、食器を片付けて自分の部屋に戻った。スマホを見ると、夏音さんから返事が来ていた。

─おぉ!手紙っていう手があったね!流石悠君!─

─夏音、葉月ちゃんの家知ってるから、そこに届けに行けばいいんじゃないかな?─

なるほど、家に届けに行けばいいのか。そうしたらポストに入れるだけで直接顔を合わせなくていいから気まずくないし、逃げられる心配がない。

─もし良かったら家教えて欲しい─

直ぐに既読がついて、返事が来た。教えてもらった住所はバイト先からさほど遠くなかった。

─ありがとう!今度届けに行ってくるよ。そしたらまた連絡する─

これまたすぐに既読がついて、頑張れというスタンプが送られてきた。本当に夏音さんは優しいな。告白を断った相手にここまでしてくれるなんて。俺もいつか夏音さんに好きな人が出来たら協力しよう。その時、傍に草辺さんがいたらいいな。




「悠、明日受験でしょ?準備出来てんの?」

受験前日の朝、母さんが聞いてきた。このやり取りをここ一週間、毎日している。

「出来てるよ。それに俺、推薦だから特にやる事ないし。」

「推薦でも面接はあるでしょ。ちゃんと出来るの?」

「大丈夫だって。もう毎日聞かれて耳にタコが出来る。」

「出来ないから大丈夫よ。それより悠も大学受験の歳になったのね。早いわぁ。」

これも毎朝言っている。最初の朝は最後まで話を聞いてしまって、遅刻ギリギリだった。それから俺はこの話が出たらすぐに家を出る支度をしている。

「じゃあ俺、行くから。行ってきます。」

「行ってらっしゃい、気をつけてね。」

母さんに手を振り、家を出た。その足取りはいつもとは違い、少し緊張している。この間書いた手紙を、草辺さんの家に届けようとしているからだ。

本当は夏音さんに教えてもらった次の日に届ければ良かったのだが、受験まで結構日にちがあった。早く手紙を届けてしまえば手紙のせいでモヤモヤして、そのせいで受験に集中出来なくなってしまったら申し訳ないから受験前日の今日、届ける事にした。一日ぐらいならそんなにモヤモヤする事もないだろう。

「おはよー」

「おはよ、悠。いよいよ明日だなー」

「だなー」

教室に入ると、友人数人が最後の勉強に取り掛かっていた。俺は勉強はしなくていいからそんな様子を机に突っ伏しながら見ていた。

「そういえば悠、気になってる子とどうなったんだよ。」

この間手紙の案を出してくれた友人が聞いてきた。みんなも勉強の手を止めて、興味津々に俺を見ている。

「今日、手紙を渡しに行こうと思って。」

「おぉ!いいねぇ、悠君。余裕があって。それに比べて俺たちは...!」

泣くふりをする友人を見て苦笑いした。

結構推薦だと楽だと思われがちだがそうでもない。推薦はあくまでも推薦だから、絶対受かると約束されている訳ではない。それに日々の努力で推薦枠を勝ち取る訳だから結局、今大変な思いをするか日々大変な思いをするかのどちらかだ。

「まあまあ、みんななら大丈夫だって。俺が言うんだから間違いない!」

でもそれを言ったら受験でピリついている空気がもっと悪くなると思った俺は、おちゃらけといた。

「そうだな、推薦の悠がそう言うんだったら大丈夫だな。よし、俺達もあと少し頑張って、大学では彼女を作るぞ!」

「おぉー!」

謎の一体感で友人達は勉強を再開した。みんな、彼女とはつまらないと言われ別れたみたいだ。

俺はその姿を見ながら、少し眠りについた。




「じゃあな、悠!明日はお互い頑張ろうな!」

「おう!頑張ろうな!」

友人と別れ、俺は最寄り駅に着いた後、草辺さんの家に向かう道を歩いていた。地図上だと、住宅に囲まれている道を歩き、交差点に出てやおらしたら草辺さんの家が出てくるみたいだ。

草辺さんはこの景色を毎日見ているんだ。何を考えながらこの景色を見ているのだろうか。

たまにスマホの地図を確認しながら歩いていると、目の前に女子高生がいた。女子高生は急に立ち止まると顔を手でおおった。どこか具合が悪いのかと心配になり少し近づくと、見覚えのある制服だった。

「草辺さん!!」

「星野君...」

そう、顔をおおっていた女子高生は草辺さんだったのだ。その顔は涙でぐちゃぐちゃだ。

「どうしたの!?どこか痛い?」

「なんでもない。」

前にラーメン屋に行った時みたいに痴漢まがいな事をされて、怪我をしたのかもしれないと思い聞いたが、違うみたいだ。

「そんな事ないでしょ。どうしたの?転んだ?」

草辺さんは危なっかしい所があるから聞いたが、これまた違うみたいだ。

「そんなにドジじゃない!ほんとに大丈夫だから。てかなんでここにいんのよ。」

「草辺さんがライン全部無視するから直接話に来たんだ。」

本当は手紙を届けに来たのだが、それを言ったらなんで家を知っているのか聞かれて拗れそうな気がしたからやめた。それで夏音さんの名前を出したら、誤解が一生解けない。

「彼女がいるくせに、直接話しに来たとか馬鹿じゃないの!?」

「誤解だよ。それは...」

草辺さんは俺の言い分を聞かず、両耳を塞いだ。

「聞きたくない!星野君なんて大っ嫌い!」

「あ、待って...!」

草辺さんは俺の事を見向きもせず走って行ってしまった。ここで草辺さんを追いかけないと、もう一生すれ違ったままな気がして追いかけた。

交差点に出て、赤信号から青信号になった。あともう少しで草辺さんに追いつく。今度こそ、きちんと目を見て誤解を解いて、自分の想いを伝えるんだ...!

手紙の存在を忘れて、本人に直接言う事しか頭になかった俺は、信号無視の車が突っ込んで来てたのに気づくのが遅れ、気づいた時には道路に倒れていた。

何が起こったのか、一瞬わからなかった。そして唯一わかったのは、俺は信号無視の車に轢かれたという事だ。

全身に激痛が走ってる。痛くて声が出せない。身体から熱がどんどんなくなっていく感じがわかる。血が沢山出ているのが目の端で見えた。

あぁ、俺死ぬんだ。まだなんにもなれてないのに。声優にもなれてないし、草辺さんに誤解されたままだし、想いも伝えてない。

死にたくない...死にたくない!

そう心では思っていても身体は違うみたいだ。身体は鉛をつけてるみたいに動かないし、目も数秒前まで薄く開いていたのに、今はぴったりくっついて開けられない。

色んな事が頭をよぎる。これが走馬灯というやつだろう。

今日母さんに手を振ったのが最後だった事、妹に手紙の書き方を教わった事。夏音さんに恋愛相談をしてもらった事。こんなに沢山の事してもらったのに、俺まだ何も返せてない。

人は死ぬ最後まで聴覚は残ると何かで聞いた事がある。それは本当だ。だってもう何もわからないはずなのに、音だけは聞こえる。救急車の音を最後に、俺は十七年の命に幕を閉じた。