第1章
【憧れの女子校生活】


高校1年生、4月。

今日からわたしは新しいわたしになる。

初めて知りあう子たちと、新たな人間関係を築いていく。

大丈夫かな。大丈夫だよね。

自分に言い聞かせながら、緑野(みどりの)女子学院の正門をくぐる。

今日は高校の入学式。

第一志望の高校に推薦で合格したわたしは、晴れて花の女子高生になる。

真新しい制服を着た女の子たちが、保護者と一緒に正門から続く並木道を歩いている。

中学時代ブレザーだった制服は、冬はジャンパースカート、夏はセーラー服。

特にセーラー服を着るのは憧れだったから、今から夏服の季節が待ち遠しい。

それにしても、女子校だから当たり前だけれど本当に見渡す限り女の子しかいない。

地元の男女共学中学に通っていたわたしにとっては、やっぱり新鮮な光景だ。

校舎の前まで行くと、先生達がクラス分けのプリントを配っていた。

この学校はクラス分けを掲示板に貼り出すのではなく、先生がプリントを配るシステムらしい。

プリントをもらって自分のクラスを確認すると、わたしはF組だった。

友達できますように……!

そう心の中で唱え、一度深呼吸してから教室のドアを開けて中に入る。

座席表で自分の席を確認していたら、何人かの子と目が合って、その中のひとりが「おはよう」と笑顔で声をかけてくれた。

「おはよう」

「名前なんて言うの?」

高村(たかむら)(もえ)です」

「萌ちゃんっていうんだ! 可愛い名前だね」

「ありがとう」

「萌ちゃん、ちっちゃいね~! 身長何センチ?」

「140センチくらいかな」

予定より3ヶ月早く未熟児で生まれたこともあり、わたしは同年代の平均身長よりもかなり背が低い。

家族や親戚からは「まだまだこれから伸びるよ」と言われているけれど、結局中学2年生くらいからほとんど身長は伸びず、140センチちょっとで成長が止まってしまった。

背の順で並ぶ時もずっと一番前だし、物心ついた時から「チビ」とからかわれることも多くて、背の低さは今もコンプレックスだ。

「マジで!?  かわいい~!」

「ちょっと、抱っこしてもいい?」

だけど、そんなわたしの気持ちに反してあっと言う間に数人の子達に囲まれた。

これが女子校のノリなのかな?

でも、みんな話しやすそうな子たちばかりで良かった。

このクラスは外部生だけというのもあるかもしれないけれど。

藤華女子学園は幼稚園・中学・高校・大学の附属校で、中学から持ち上がりの内部生と、高校受験して入った外部生でクラスを分けているらしい。

つまり、わたしのクラスはみんな別々の中学から来ていて、今日が初対面ということになる。

* * *


「新入生の皆さん、入学おめでとうございます」

そして、簡単なホームルームのあとに体育館で入学式が始まった。

先生の話を聞きながら、いよいよ高校生になったんだと実感した。

中学受験させようとしたお母さんに「中学は地元の公立に行くかわりに高校はしっかり勉強して入れるところに行く」と約束した通り、自分の成績よりワンランク上の学校だったけど、塾通いして頑張って勉強して推薦で合格した。

楽しい高校生活になるといいな。

もう中学時代のような目に遭いたくない。

だから、地元から1時間以上かかるこの学校を、私立の女子校を選んだんだ。

入学式が終わって教室に戻ると、再びホームルームが始まった。

今日は初日だから自己紹介をすることになり、「出席番号順に教卓の前に出て」と担任の小島先生が言った。

前に出なくちゃいけないなんて緊張する。

何を話したらいいんだろう……。

悩んでいる間にもどんどん順番が近づいてくる。

そして、「じゃあ次は高村さん」と先生がわたしの名前を呼んだ。

返事をして前に出ると、みんなの視線が一気にわたしに集中する。

「高村 萌です。趣味は音楽を聴くことです。よろしくお願いします」

皆から拍手が起きて自分の席に戻ると、一気に緊張が抜けた。

本当に簡単な自己紹介だったけど、とりあえず終わって良かった。

その後は今後のスケジュール説明など簡単なホームルームと、グラウンドに出て桜の木の下で記念撮影をして入学初日が終了した。


* * *


高校に入学してから1週間が経った。

わたしの高校生活は順調な滑り出しで、入学式の翌日から友達がたくさん出来た。

中でも特に仲良くなったのは5人のメンバーで、お昼休みも一緒にお弁当を食べている。

気がつけば、わたしのグループがクラスでいちばん人数の多いグループ。

みんなで教室の机を寄せてワイワイ話しながら食べるのはホントに楽しい。

学食もあるけれど、中高合同学食で混み合っているから、わたし達は教室でお弁当を食べることにしている。

「みんな部活とか決めた?」

「悩むよね~」

「萌ちゃんは?」

「わたしは帰宅部かな」

これは入学前から決めていたこと。

小学6年の時から通っている塾の先生から事前に藤華女子は部活必須じゃないと聞いていたし、特に入りたい部活もないから。

それに部活には、中学時代の苦い思い出もあるし。

「うちの学校ってチア部が結構強いらしいよ」

「チア部か。なんか女の子って感じだよね」

「でも体力的にはキツそうだよね」

「そうかもね~」

みんなで部活の話で盛り上がっていたら、あっと言う間に予鈴が鳴った。

放課後も時間が許す限り仲良しグループの子達と中庭でガールズトークを楽しんでいる。

本当は学校帰りに制服で寄り道って憧れていたけれど、校則では寄り道禁止だから、入学早々校則違反する勇気がなくて駅ビルのお店には行っていない。

今日もいい天気だからと放課後に中庭のテーブルに集まった。

みんな中学が別々だったから、話は昼休みの続きでそれぞれの中学時代の部活の話になった。

「萌ちゃんはお昼に部活は帰宅部って言ってたけど、中学時代は何部だったの?」

「演劇部だったよ」

「へぇ、演劇部あったんだ?」

「うん。人数すごく少なくて地味な印象だったから、演劇部っていうだけでなんとなく他の生徒からバカにれてる感じだったけどね」

「え~!? それ酷いね」

「うん。でも、わたしの場合はそれだけが理由じゃなかったみたいだけど」

「どういうこと?」

(れい)ちゃんの問いに、わたしは一呼吸置いてから話し始めた。

中2の頃、わたしはクラスの男子にからかわれたり、クラスが違うほとんど話したことのない女子達に嘲笑されたりしていた。

はっきりした理由は今でもよくわからないけれど。

やるべきことはしっかりやらないと気が済まない性格で、掃除や行事の練習を真面目にやらない男子達に「ちゃんとやって」と注意したりしていたから、恐らくそういうのをウザいって思われていたのかもしれない。

小柄で眼鏡もかけていたことから、クラスでリーダー格の男子がわたしに「もやしメガネ」なんてヘンなあだ名をつけたり、わたしの口真似をしてバカにしたように笑ったり、昼休みにわたしの好きな曲がかかってもわざと放送を切ったりする嫌がらせをされたりもした。

「そういうのがイヤで、男子と関わるのもイヤになって女子校を選んだの」

「そうだったんだ……」

あの頃のわたしは、男子達のからからかいの対象にされてクラスでの居心地が悪かった。

完全に孤立していたわけではなかったし、“いじめ”と言えるほどのものでもなかったかもしれないけど。

でも、みんなただ黙って見ているだけで、かばってくれるような友達はいなかった。

そんなわたしにとって学校の中で唯一居心地のいい場所が演劇部だった。

人数が少ない分アットホームな雰囲気だったし、やるべきことはしっかりやる性格が先輩達には「一生懸命やる真面目な子だ」と気に入ってもらえて、可愛がってもらっていた。

「だから、先輩達との仲は良かったんだ」

「じゃあ、演劇部自体は良い人ばかりだったんだね」

「うん。でも、わたしが引退する時の大会は雰囲気悪かった」

先輩達が引退した後、わたしは演劇部の部長になった。

2年生はわたしともうひとり男の子のふたりだけで、必然的にわたしが部長になるしかなかったんだけど。

わたしが通っていた中学の演劇部では、年に3回地元の中学校合同で開催されている市内大会に参加していた。

1、2年の大会は特に問題なく和気あいあいと舞台を終えられた。

そして、3年の夏。

わたしにとって最後の大会は、わたしが大好きな小説を台本にして劇をすることになった。

部員のみんなにも小説を読んでもらって、この作品でやろうということになった。

夏の大会は部長が主役になることが伝統だったから、わたしが主役。

そして、配役、照明、音楽…ほとんどを部長であるわたしが考えて、練習が始まった。

でも、少しずつ後輩の子達の態度が変わった。

練習を真面目にやってくれなくなった。

考えられる原因は、 “廃部”。

わたし達3年生が引退してしまうと、部員は2年生の男子2人と女子2人の4人だけになる。

だから、来年の春には廃部になるだろうという話が出ていた。

後輩のひとりは、「わたし、廃部になったらバスケ部入ろうかな」なんて早くも廃部後の話をしていた。

大会に向けてまとまらなければいけないはずが、どんどんまとまりが悪くなっていた。

真剣に悩んで、仲良しの先輩に相談した。

先輩は、「萌ちゃんはよく頑張ってるよ」と言ってくれたけど。

親や顧問の先生には「部長として力不足じゃないのか」と言われた。

このままじゃダメだと思ったわたしは、後輩の女の子ふたりを呼んで、話し合いをした。

「何かあるなら正直に言って」

そう言ったわたしに、後輩の子達が口を開いた。

「今回の劇って、全部先輩が決めてるじゃないですか。うちら正直あんな内容だと思わなくて」

「でも、ちゃんと事前に台本見せて確認とったよね?」

「そうですけど……」

でもやっぱりホントは嫌だった、と言いたげな後輩。

だけど、今から台本を替えてやるには時間がなかった。

「わたしが勝手に決めたのは申し訳なかったけど、大会まであまり時間がないし、今の台本で一緒に頑張って欲しい」

そう話をして、なんとかやり遂げた最後の大会。

だけどやっぱり納得いかない部分があったようで、わたしにとって最後の大会は後味の悪いものになってしまった。

そして卒業式の日。

部活の後輩から先輩への卒業プレゼントは、花束と寄せ書きの色紙か手紙、というのが定番だった。

それは演劇部でも同じで、わたしも1・2年の時は先輩に手紙を書いてプレゼントしていたのだけど。

「先輩、プレゼントです」

そう言って渡されたもの。

それは、黒い大きなゴミ袋。

中には、部室にあった過去の大会で使用した大道具や小道具や衣装が入っていた。

“思い出の品”と言えば表現は綺麗だけど、要するに、ただの用済みのゴミだった。

しかも花束や手紙のプレゼントはなくて、渡されたのは本当にその大きなゴミ袋ひとつだけ。

ただショックだった。

そんなにわたしは後輩に良く思われていなかったのか、と。

演劇部に入っていたせいでバカにされたり、中学生活最後の最後にあんなイヤな思いをしてしまった。

これが、わたしの中学時代の部活の苦い思い出だ。

そういうこともあって、わたしは高校で部活に入りたいとは思っていなかった。

そもそも演劇部に入ったのも、中学では部活必須で大の運動嫌いなわたしは文化部に入るしかなく、その文化部も演劇・美術・吹奏楽部の3つしかなくて消去法で演劇部を選んだだけ。

正直、演劇なんて全く興味がなかったから、高校に入ってまで続けたいとは全く思っていなかった。

塾に通っているとか、家から学校までちょっと遠いとか、自分の時間がほしいっていうのも、もちろん理由ではあるけど。

「そっか、色んなことがあったんだね」

「うん。だから、高校生活は楽しいものになるといいなと思って」

「大丈夫だよ!うちらと楽しく過ごそう!」

玲ちゃんが笑顔で言ってくれた。

「ありがとう」

嬉しいな。

出会ってまだ数日なのにこんな話をしても大丈夫かなと思ったけど。

でも、みんなと本当に仲良くなりたいから勇気を出して正直に話した。

みんなとなら気が合いそうだし、仲良くなれる。

その時、わたしは心からそう思っていたんだ。


* * *


少しずつ高校生活に慣れ始めた4月の終わりのある朝。

地元の駅に着いたら、ホームに見覚えのある人の姿が見えた。

理世(りよ)先輩?」

「萌ちゃん!」

わたしが声をかけると、先輩もわたしに気づいてくれた。

「偶然ですね。先輩もこの時間ですか?」

「うん、そうなの」

理世先輩は中学時代に所属していた演劇部の1つ上の先輩。

お互いGLAYの大ファンで、部活の時間はいつもバンドトークで盛り上がっていた。

先輩が部活を引退した後も、中学を卒業した後も、お互い手紙で連絡を取り合って交流が続いていた。

最後の大会で後輩との関係に悩んでいた時も、親身に相談に乗ってくれたのも理世先輩だ。

「高校生活はどう?」

「通学に1時間以上かかるのは大変だけど、気の合う子が多くて毎日楽しいですよ」

「そっかぁ。良かったね」

なんてお互い近況報告をしていたら、

「じゃあ、わたしはここで乗換だから」

あっという間に先輩が降りる駅に着いた。

「またね」

「また今度遊びに行きましょう!」

笑顔で手を振って別れる。

まさか先輩に会えるとは思わなかったな。

短い時間だったけど、話ができて嬉しかった。

高校生活が始まってから数週間経ったけど、今は毎日が楽しい。

地元から通学に片道1時間以上かかるのはちょっと大変だけど、さすが私立だけあって校舎は綺麗だし、設備が整っている。

女子校だからか、先生もおっとりのんびりしていて優しい先生が多い。

クラスでは、最初に仲良くなったグループで休み時間に話したり、一緒にお弁当を食べたり、放課後にみんなでお茶したり、憧れてた女子校生活を満喫している。

毎日が順調で楽しくて、この時のわたしは、ずっとこんな楽しい高校生活が続くと思っていた。



【崩れていく輪】


ゴールデンウィークを過ぎて、わたしは誕生日を迎えて16歳になった。

誕生日はグループの子達に祝ってもらえて、すごく嬉しかった。

毎日が充実しているからか、1日過ぎるのが早い。

そして、あっという間に中間試験がやってきた。

高校生活最初の定期試験で緊張していたけど、塾通いのおかげで手応えはあると思う。

そして試験最終日、最後の試験が終わった。

終わったとたん、解放感に溢れたみんなの声で一気に教室が騒がしくなる。

「お疲れ~」

玲ちゃんたちに声をかけられた。

「お疲れ~! やっと終わったね!」

わたしもやっと終わった嬉しさで声を弾ませて言った。

そして、初めてのテストが終わった解放感と疲労感を味わいながら、家に帰った。

自分の部屋でのんびりしていたら、自宅電話が鳴った。

私はまだケータイを持っていないから、友達とも自宅の電話で話すことが多い。

電話にでると、かけて来たのは仲良しメンバーのひとり、メグちゃんだった。

『試験やっと終わったね』

『これでのんびりできるね』

とりとめのないやりとりをした後、

『実はちょっと萌ちゃんに伝えないといけないことがあるんだけど……』

『なに?』

言葉の切り出し方になんとなくイヤな予感がしながらも、気になった。

『あまり言いたくなかったんだけど。実は、うちのクラスで萌ちゃんのこと嫌っている子たちがいるんだよね』

「…え…?」

思わず声に出してしまった。

わたしのことを嫌ってる子たちって……。

『誰?』

なんとか平静を装って訊いてみた。

『中山さんのグループの子たちと、佐倉さんのグループの子たちと、真野さんかな』

「…うそ…」

佐倉さんのグループは派手なノリの子たちで、わたしが苦手なタイプの子が多いから、距離を置いていた。

真野さんは、佐倉さんたちとは違うけど、言葉遣いや態度が悪く、先生達には早くも問題児として見られていて、やっぱりわたしは苦手なタイプ。

だから、多分向こうもわたしのことが苦手なんだろうと納得できた。

でも、中山さんのグループの子たちとはわりと話をしていて、仲良くなれたと思っていたのに。

“嫌い”って、なんで?

突然の話にショックを受けて、そのあと返信することができなかった。

それからのわたしは、“クラスの子に嫌われている”ということがいつも心にひっかかっていた。

でも、玲ちゃんを始め、仲良しグループの子たちは普通に接してくれていたから、気にしないようにしていた。

だけど、昼休みにみんなでお弁当を食べている時、ふと視線を感じて顔を上げると、佐倉さんがわたしの方を好意的ではない目で見ているのを時々感じていた。

何かしたのかなと考えても心当たりはない。

ただ、少なくとも佐倉さんは確実にわたしのことをよく思っていない。

それは、はっきりとわかっていた。


* * *


それから、約1カ月が過ぎた、6月の下旬。

梅雨真っ只中のある日、わたしは朝から腹痛がひどくて、学校を休むことにした。

午後には痛みも治まり、明日は学校へ行けるかなと思っていたら、自宅に電話が来た。

電話をくれたのは、珍しく美菜(みな)ちゃんだった。

グループの中でも、わたしは特に玲ちゃん、メグちゃん、(きょう)ちゃんと話すことが多くて、電話もその3人の誰かからくることが多かったんだ。

『萌ちゃん、大丈夫?
珍しく今日休みだったから心配したよ』

『大丈夫。ごめんね、心配かけて。
もう治ったから、明日は学校行くよ』

『そっか、良かった。じゃあ、明日待ってるね』

『うん。ありがとう』

“待ってるね”

その一言が、わたしにとってはすごく嬉しかった。

クラスにわたしのことを嫌っている子がいても、仲良しグループの子たちがいる。

だから、大丈夫。

わたしは、そう信じていた。

今思えば、この頃から少しずつ何かが変わり始めていたのに、わたしはまだ気がついていなかったんだ。


【友達の忠告】



期末試験も目前に迫った7月最初の月曜日。

照りつける日射しが夏らしくなった。

「おはよう」

教室に入って、いつも通り玲ちゃんたちに声をかけた。

「……。おはよう」

今までとちょっと雰囲気が違う。

それは、わたしが学校を休んだ翌日から、なんとなく感じていたことだった。

でも、休み時間もお昼もいつも通り一緒に過ごしていたし、わたしは気のせいだろうと深く考えないようにしていた。

だけど、今日は明らかにいつもと違う。

休み時間もわたしには声をかけず、生徒委員の奈々ちゃんのところへ行って、何か話している。

なんとなくイヤな予感が胸に芽生えた。

お昼休み。

ここ最近、わたしたちは教室ではなく屋上で食べているから、お弁当を持って屋上へ行った。

でも、いつもと違うのは、奈々ちゃんがいること。

彼女はいつも、真野さんグループの子たちとお弁当を食べていた。

だから、なんで今日はわたしたちのグループにいるのか不思議だった。

屋上でお弁当を食べながら、なんとも言えない空気が流れている。

玲ちゃんが、メグちゃんや京ちゃんと目配せしている。

明らかにいつもと違う。

そして、意を決したように、玲ちゃんが言った。

「萌ちゃんに、話があるんだ」

「話?」

わたしに?

ビックリして顔を上げると、今度は奈々ちゃんが口を開いた。

「あのね。萌ちゃんの何気ない一言で傷ついている子がクラスにいるから、気をつけてほしいんだ」

………え? どういうこと…?

わたしには、全く思い当たることがない。

「わたしたち、結構他のグループの子たちから相談されていたから。わたしたちからちゃんと言おうってことになったの」

藍ちゃんが真剣な表情で言った。

他のグループの子たちに相談されてた?

そんなに深刻な状態だったの?

「前に、萌ちゃんのこと嫌ってる子がいるって話したよね? その時に気づいてくれるかなって思ってたんだけど……」

メグちゃんは、ちょっと怒っているような感じだ。

他の子たちも、みんな神妙な面持ちで下を向いている。

「みんなもそう思ってたの……?」

震える声で、わたしはそう尋ねた。

「うん。だから気をつけてほしいんだ」

ちゃんが静かに言う。

「わかった。教えてくれてありがとう……」

そう言うのがやっとだった。

突然の話に、わたしはただ戸惑うばかりだった。

最近、なんとなく感じていた違和感の原因は、これだったんだ。

でも、気をつけるって言ったって、どうしたらいいんだろう。

急にそんなことを言われても、どうしたらいいかわからないよ。


* * *


翌日、憂鬱な気持ちで学校へ行くと、玲ちゃん達の態度が変わり始めた。

わたしが話の途中で発言しても、ちゃんと言葉を返してくれない。

わたしの発言はスルーされて、他のメンバーで会話を続けている。

そして、わたし自身も昨日のことがショックで何を話したらいいかわからなかった。

昼休みはまた昨日と同じメンバーで屋上に集まった。

そして、奈々ちゃんから言われた衝撃の一言。

「昨日気をつけるって言ってたけど、正直、反省の色が見られないんだよね」

反省の色が見られない?

なにそれ?

わたし、反省してないわけじゃない。

ただ、どうしたらいいかわからないんだよ。

そもそも、人の性格って、たった1日で変わるものじゃないと思う。

「そんなことないんだけど。具体的に何をどう気をつければいいかわからなくて……」

力なくそう呟いたわたし。

だけど、みんなは何も言ってくれない。

どうして?
わたしが一体何をしたっていうの?

納得できないままお弁当を食べ終えて教室に戻ると、佐倉さんグループの子たちが嘲笑するような目でわたしを見てきた。

他のグループの子たちも、冷たい視線をわたしに向けている。

わたしたちのグループが揉めているということにみんな気づいているのだろう。

そして5時限目、保健の授業。

隣の人とペアになって、脈拍をはかるというものがあった。

わたしは佐倉さんグループにいる波田さんとペアになってしまった。

波田さんはあからさまにイヤそうな顔をして、仲の良い子たちに「マジ最悪」というような視線を送っている。

それに気づいた佐倉さんが、わざとらしく「ガンバってぇ~」と言った。

周りでクスクス笑いが起きる。

なに? なんなの、これ?

突然変わり始めたクラスの雰囲気に、わたしはどうすることもできなかった。

そんな不穏な空気の中、翌日には7月下旬にある林間学校の話し合いが行われた。

わたし達のグループが揉めたことがきっかけになってしまったのか、クラスの雰囲気は悪くなり、なかなか決まらなかった。

いつもはそれほど厳しくない担任の小島先生が、「最低なクラス」という言葉を使って怒るほどまとまらなくなっていた。

さらにその翌日、ついにわたしが恐れていたことが起きた。

林間学校の部屋割りで、わたしだけいつものグループから外されてしまった。

しかも、わたしはよりにもよって佐倉さんグループと同じ部屋。

唯一、クラスで大人しいグループにいた成海(なるみ)さんと一緒だったのが救いだった。

でも、こんな状態で林間学校なんて行きたくない。

欠席したら体育の成績に響いてしまうほぼ強制参加の学校行事だ。

ただでさえ体育が苦手なわたしは休むわけにはいかないし、どうしたらいいんだろう。


【甦るトラウマ】


やっとの思いで期末テストを乗り越えて、試験明け休みに入った。

学校に行かなくていいのは嬉しいけど、ひとりでいると色々考え込んでしまう。

思い出すのは小中学生時代も友達関係に悩んでいたこと。

それは、わたしにとってのトラウマと言えるかもしれない。

あれは小学4年生の時。

いつも一緒に遊んでたグループの子達の態度が突然変わった。

休み時間、わたしだけ外して集まって、わたしの方を見てはヒソヒソ話してる。

「わたしに言いたいことがあるならハッキリ言ってよ」

勇気を出してそう言っても、

「はぁ? 別に萌ちゃんのことなんか話してないし」

と言い返されるだけ。

そのうち、他の子たちまでわたしに対する態度が変わった。

「お母さんが有名だからって自慢してるよね」

ある時、聞こえた悪口。

ああ、原因はこれか、と思った。

お母さんは名前の知られている仕事をしていたから、友達と自分の家庭環境や生活の違いを理解できる年齢になってきて、反感を持ち始めたらしい。

よくある女子同士の陰口や悪口だけど、自分が言われる側になるのは辛かった。

それに、わたしもみんなのことが羨ましかった。

わたしには父親がいないから。

父親の記憶は微かにあるけれど、気がついたらいなくなっていたという感じだ。

保育園に通っていた頃に、「名字が変わるからね」と言われた記憶はあるけれど、それが離婚したからだということは幼いわたしには理解できなかった。

物心ついた頃から、お母さんとわたしとお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの4人暮らしが当たり前になっていた。

お母さんは仕事が忙しく、小学生の頃から自宅ではなくマンションを借りて本格的に仕事をしていたから、顔を合わすことはほとんどなかった。

だけど、父親がいなくて寂しいとか、お母さんとあまり会えなくて寂しいと思ったことはそんなになかった。

学校行事にお母さんが来られなくても、お祖母ちゃんが来てくれた。

同じ県内に住む叔母さん家族とも仲が良くて、3歳上の従姉とは姉妹同然のように過ごしていた。

だから、父親がいないということはわたしにとっては大変なことではなかった。

お父さんがいなくてお母さんがかわりに働いているから、あまりお母さんに会えないのは仕方ないということも、子供心になんとなくわかっていた。

それでも、“普通の家庭とは違う”ということは、全く気にならないと言えばウソになる。

片親だからという理由でいじめられたことはなかったけれど、陰口や悪口を言われたことはたくさんあった。

ある程度仲良くなった子がいても、別の子から、「あの子、萌ちゃんの悪口言ってたよ」と言われたり、ほとんど話したことがないのに、好意的ではない視線を向けられたり。そんな状態は、小学校を卒業するまで続いた。

お母さんはわたしに中学受験させようとしていたけれど、遠くまで通うのは大変だし、ほとんどの子が地元の公立中学に進学するなかで私立中学の受験をしたら、またみんなの反感をかってしまう。

今思えば、みんな小学校から持ち上がりになるのだから、逆に離れるべきだったのかもしれないけれど。

その時のわたしはただでさえ「みんなと違う」という目で見られていたから、これ以上みんなと違うことはしたくない、という思いが強かった。

だから、中学は地元の中学に行きたいと話した。

だけど結果的には、小学校から持ち上がりのメンバーゆえに、わたしに反感を持ってる子たちの嫌がらせが中学でも続いてしまった。

中学での出来事は、演劇部に入っていたからというだけではなくて、そんな小学校時代からの経緯もあった。

小学校でも中学校でも友達関係でイヤな目に遭っていた。

だから、今度こそ地元から離れた学校に行きたかった。

誰もわたしのことを知らない環境で、過去を忘れて、新しいわたしになって楽しく過ごしたかった。

それなのに、ここでもわたしはうまくやっていけないの?

こんなに友達とうまくやれないなんて。

それは、やっぱりわたし自身の性格に問題があるからなの?

確かにわたしは思ったことをハッキリ口にする性格で、知らない間に他人を傷つけてしまっていたのかもしれない。

だけど、具体的に何がいけないのか自分ではよくわからない。

考えれば考えるほど、どんどん気持ちが深く沈んでいく。

もう、わたしにはどうしたらいいのかわからなかった。


【最悪の林間学校】



林間学校当日。

わたしは、重い心と体を引きずるように学校へ向かった。

今日が来ることが嫌で嫌で仕方なかった。

だけど、今週末にはGLAYのライブがある。

これが終わればライブに行けるんだから、乗り越えるしかないと自分に言い聞かせて、参加することにした。

バスで出発して間もなく、偶然にも週末に行くライブの会場が見えた。

ライブに行くための試練だと思って、頑張ろう。

絶対に何かイヤな事が起こるという予感を振り払うかのように、わたしは隣の席になった紺野さんに、 わざとハイテンションで話しかけ続けた。

途中でカラオケを始めて、誰が入れたのかGLAYの曲が流れた。

みんなわたしがファンだと知っているから、すぐわたしにマイクが渡ってきた。

カラオケは小さな頃から家族と行っていて大好きだけど、歌の上手さは全く自信がない。

「わたしはいいよ」と遠慮したけれど、結局歌うことになった。

でも、みんなのからかうような面白がっているような雰囲気にいたたまれなくなった。

もしかして、面白がってわざとわたしに歌わせたんじゃないか、とイヤな考えが浮かんだ。


林間学校初日の夜。

寝る前にわたしは同じ班の子達に「寝る時は冷房を消して欲しい」とお願いした。

元々わたしは冷え症体質で、前月に冷房をつけたまま寝て風邪をひいたこともあり、何より楽しみにしているライブ前に体調を崩してライブに行けなくなることが心配だった。

同じ部屋の子は、一瞬「え?」という顔をしたものの、わたしの言葉通り寝る時は冷房をつけずにいてくれた。

翌日、朝から同じ部屋の子達は何やらヒソヒソ話していた。

そしてわたしに対する態度が、明らかに今まで以上にキツくなっている。

でも、わたしに直接何か言うわけではなかった。

そして会話の一部から、「昨日、高村さんのせいで寝てる時すごく暑かった」という様な事を言っていると気づいた。

その日の夕方、成海さんに「昨日の夜は暑かったのにごめんね。すごく楽しみにしてる事があって、体調崩したくなかったから」と正直に話した。

でも、成海さんもわたしが佐倉さんたちに嫌われてる事を知っていて、わたしに話しかけられることに戸惑っている様だった。

そして、その日の夜。

精神的にも体力的にも疲れ切っていたわたしは、消灯時間と同時に眠りについた。

でも、ふと夜中に突然目が覚めた。

同じ部屋の子達は、わたしが寝ている部屋の障子を閉めて、向こう側の部屋でまだお喋りしている。

目が冴えてしまったわたしは、しばらく何気なくその子達の話を聞いていたけれど、わたしの話をしていることに気づいた。

しかも、良い話ではなく、明らかに悪意を含んだ悪口。

きっかけになったのは、やはり前日の「寝る時は冷房を消してほしい」という発言だった。

「っていうかアイツのせいで昨日の夜マジで暑かったんだけど!」

黒沢さんの言葉をきっかけに、他の子たちからも次々とわたしの悪口が飛び出していく。

「今日、成海さんに、“ぶっちゃけ高村さんてどうよ?”って聞いたの。そしたら、“なんかよく喋る子だよね~”だって。あの子ホントいつもうるさいもんね~」

「ひとりっ子だからわがままなんじゃない?」

「男に対しては態度変えそうだよね~」

「この前、高村さんに “髪染めてる?”って聞いたら “染めてないけど誰か何か言ってた?” ってしつこく聞いてきたよ~」

ちょっと、この状況はマズイ。

自分の悪口をここまでハッキリ聞いたことなんて初めてだった。

あまりにもショックで、布団の中で必死に涙をこらえていた。

こんなに彼女達の怒りをかってしまったのは、わたしの昨日のわがままな発言が原因なんだ。

謝るしかない!

勇気を振り絞って、わたしは起きて障子を開けて彼女たちに話しかけた。

「さっきから話聞いちゃってたんだけど。昨日の事、 本当にごめん。でも、いくらなんでもそこまで悪口を言うのはないんじゃないかな……」

今にも泣き出しそうな声でうつむきながら言ったわたし。

「はぁ!? 今さら何言ってんの? あんたのせいでうちら昨日マジ眠れなかったんだけど!」

でも、佐倉さんは容赦なくキツイ口調で言い返してきた。

他の子達も険しい表情でわたしを見ている。

結局きちんと話し合うことも和解する事もできずに、話は終わってしまった。

それどころか、益々わたしに対する嫌悪感を募らせてしまった。

この夜をきっかけに、わたしの悪口のネタは益々増えた様だった。

同じ部活らしい他のクラスの子達にも、「あの子性格悪いよ~」と言っているのを聞いてしまった。

わたしはどこにも居場所がなくて、他に話せる友達もいなくて、自由時間はただ部屋のトイレやロビーのお土産コーナーで時間を潰すしかなかった。

そしてやっと迎えた最終日。

学校に着いて家に帰る時には、精神的にボロボロだった。

帰り道、何度も溢れてくる涙をこらえた。

たった3泊4日だった林間学校。

だけど、わたしにとっては まるで1週間以上にも思えるほど長い長い地獄の4日間だった。


【覚悟を決めた日】


林間学校当日。

わたしは、重い心と体を引きずるように学校へ向かった。

今日が来ることが嫌で嫌で仕方なかった。

だけど、今週末にはGLAYのライブがある。

これが終わればライブに行けるんだから、乗り越えるしかないと自分に言い聞かせて、参加することにした。

バスで出発して間もなく、偶然にも週末に行くライブの会場が見えた。

ライブに行くための試練だと思って、頑張ろう。

絶対に何かイヤな事が起こるという予感を振り払うかのように、わたしは隣の席になった紺野さんに、 わざとハイテンションで話しかけ続けた。

途中でカラオケを始めて、誰が入れたのかGLAYの曲が流れた。

みんなわたしがファンだと知っているから、すぐわたしにマイクが渡ってきた。

カラオケは小さな頃から家族と行っていて大好きだけど、歌の上手さは全く自信がない。

「わたしはいいよ」と遠慮したけれど、結局歌うことになった。

でも、みんなのからかうような面白がっているような雰囲気にいたたまれなくなった。

もしかして、面白がってわざとわたしに歌わせたんじゃないか、とイヤな考えが浮かんだ。


林間学校初日の夜。

寝る前にわたしは同じ班の子達に「寝る時は冷房を消して欲しい」とお願いした。

元々わたしは冷え症体質で、前月に冷房をつけたまま寝て風邪をひいたこともあり、何より楽しみにしているライブ前に体調を崩してライブに行けなくなることが心配だった。

同じ部屋の子は、一瞬「え?」という顔をしたものの、わたしの言葉通り寝る時は冷房をつけずにいてくれた。

翌日、朝から同じ部屋の子達は何やらヒソヒソ話していた。

そしてわたしに対する態度が、明らかに今まで以上にキツくなっている。

でも、わたしに直接何か言うわけではなかった。

そして会話の一部から、「昨日、高村さんのせいで寝てる時すごく暑かった」という様な事を言っていると気づいた。

その日の夕方、成海さんに「昨日の夜は暑かったのにごめんね。すごく楽しみにしてる事があって、体調崩したくなかったから」と正直に話した。

でも、成海さんもわたしが佐倉さんたちに嫌われてる事を知っていて、わたしに話しかけられることに戸惑っている様だった。

そして、その日の夜。

精神的にも体力的にも疲れ切っていたわたしは、消灯時間と同時に眠りについた。

でも、ふと夜中に突然目が覚めた。

同じ部屋の子達は、わたしが寝ている部屋の障子を閉めて、向こう側の部屋でまだお喋りしている。

目が冴えてしまったわたしは、しばらく何気なくその子達の話を聞いていたけれど、わたしの話をしていることに気づいた。

しかも、良い話ではなく、明らかに悪意を含んだ悪口。

きっかけになったのは、やはり前日の「寝る時は冷房を消してほしい」という発言だった。

「っていうかアイツのせいで昨日の夜マジで暑かったんだけど!」

黒沢さんの言葉をきっかけに、他の子たちからも次々とわたしの悪口が飛び出していく。

「今日、成海さんに、“ぶっちゃけ高村さんてどうよ?”って聞いたの。そしたら、“なんかよく喋る子だよね~”だって。あの子ホントいつもうるさいもんね~」

「ひとりっ子だからわがままなんじゃない?」

「男に対しては態度変えそうだよね~」

「この前、高村さんに “髪染めてる?”って聞いたら “染めてないけど誰か何か言ってた?” ってしつこく聞いてきたよ~」

ちょっと、この状況はマズイ。

自分の悪口をここまでハッキリ聞いたことなんて初めてだった。

あまりにもショックで、布団の中で必死に涙をこらえていた。

こんなに彼女達の怒りをかってしまったのは、わたしの昨日のわがままな発言が原因なんだ。

謝るしかない!

勇気を振り絞って、わたしは起きて障子を開けて彼女たちに話しかけた。

「さっきから話聞いちゃってたんだけど。昨日の事、 本当にごめん。でも、いくらなんでもそこまで悪口を言うのはないんじゃないかな……」

今にも泣き出しそうな声でうつむきながら言ったわたし。

「はぁ!? 今さら何言ってんの? あんたのせいでうちら昨日マジ眠れなかったんだけど!」

でも、佐倉さんは容赦なくキツイ口調で言い返してきた。

他の子達も険しい表情でわたしを見ている。

結局きちんと話し合うことも和解する事もできずに、話は終わってしまった。

それどころか、益々わたしに対する嫌悪感を募らせてしまった。

この夜をきっかけに、わたしの悪口のネタは益々増えた様だった。

同じ部活らしい他のクラスの子達にも、「あの子性格悪いよ~」と言っているのを聞いてしまった。

わたしはどこにも居場所がなくて、他に話せる友達もいなくて、自由時間はただ部屋のトイレやロビーのお土産コーナーで時間を潰すしかなかった。

そしてやっと迎えた最終日。

学校に着いて家に帰る時には、精神的にボロボロだった。

帰り道、何度も溢れてくる涙をこらえた。

たった3泊4日だった林間学校。

だけど、わたしにとっては まるで1週間以上にも思えるほど長い長い地獄の4日間だった。


【闘いの幕開け】


林間学校の時のショックと、ライブが終わってしまった寂しさを引きずりながら、あっというまに夏休みが終わった。

最初の1週間は短縮授業だったから毎日早く帰れたけど、10日も過ぎると本格的に授業が始まった。

この頃から、予想通りグループの子達の態度がはっきりと変わった。

わたしが何か言っても「だから?」とでも言いたげな雰囲気になって、誰も会話を続けてくれない。

数日間そんな状態が続いて、わたしはついに自ら彼女達から離れる事を決めた。

4時限目の授業が終わると、自分の席に座ったままひとりでお弁当を食べる様になった。

覚悟していたこととはいえ、教室の中でひとりでお弁当を食べることは、本当に辛いことだった。

みんなに見られてるんじゃないか。

何か言われてるんじゃないか。

そんなことばかり考えてしまう。

でも、こんな状況だとストレスでほとんど食べられないなんて聞いたこともあるけど、わたしの場合は違った。

毎朝5時半起きだから、4時限目が終わる頃にはすごくお腹が空く。

こんな辛い状況でもお腹は空くんだなと何とも言えない気持ちになる。


* * *


2学期が始まって数週間が経つと、文化祭と体育祭の準備で慌ただしい雰囲気になってくる。

藤華女子は、文化祭を9月最後の土日、体育祭を翌週の土日に行うというスケジュールの学校。

わたしは体育祭の用具係になっていて、放課後に残って打ち合わせや準備をするようになった。

紺野さんも同じ係だけど、林間学校での出来事以来、わたしを避けるようになっていた。

わたしはお弁当をひとりで食べるようになってから、休み時間もひとりで過ごすようになって、完全にクラスで孤立していた。

休み時間もお昼休みもひとり。

休み時間は授業の小テストの勉強をしたり予習をして過ごす。

お昼休みはさっさとお弁当を食べて、残りの時間はトイレにこもってスマホで音楽を聴く。

わたしが完全に孤立したことで、佐倉さんと真野さんを中心に、本格的な嫌がらせが始まった。

体育祭の予行で行進練習をしていた時のこと。

佐倉さんグループのひとりである赤田さんが何度もわたしの方をバカにしたような視線で見ている。

「では、Bグループの人たち移動して下さい」

先生の言葉に、Bグループ列の先頭にいたわたしは走り出した。

でも、後ろの人たちがついてこない。

なんで移動しないの?

わたしたちのクラスはBだよね?

不安に思ったわたしは、「うちらBでしょ?」と近くにいた子に言った。

その瞬間、わたしの周りがイヤな空気に変わった。

そして、波田さんとその友達の緒方さんがわたしの方をチラチラ見ながらヒソヒソ話を始めた時、「うちらBでしょ?」と言っているのが聞こえた。

明らかにわたしの口真似だ。

さっきの言い方が気に食わなかったの?

こんなことでいちいち何か言われるなら、わたし、何も言えないよ……。

本当は列の並び順が波田さんたちの前だけど、前に行きづらくてふたりの少し後ろを歩いていたら、「高村さん、前でしょ?」とキツイ口調で緒方さんに言われた。

そして、そのあともふたりは何度かわたしの方を睨むように見ていた。

体育の授業で、体育祭競技の練習をすることになった時のこと。

練習をする為にグループを組むことになった。

人数が中途半端になってしまい、先生の指示で真野さんのグループの黒田さんが、わたしのいるチームに移ることになった。

真野さんがふざけながら「ざまぁみろ」と言っているのが聞こえて、それは「高村さんと同じチームになってざまぁみろ」という意味なんだろうなと雰囲気で察してしまった。

結局黒田さんは先生がいなくなると真野さんのグループに戻ってしまった。

わたしは残ったメンバーで練習をするつもりでいたけど、同じチームの子たちはいつまでたっても練習を始めようとしない。

わたし以外のメンバーで雑談をしているだけで、授業が終わってしまった。

やっぱり、みんなはわたしと一緒に練習するのがイヤなんだと思った。

こんなことが起こるたびに、わたしの心はどんどん重く沈んでいく。

これが、覚悟していた孤立なんだ。


【ぼっちの文化祭】




文化祭が翌々日に迫った放課後。

いよいよ当日が近づいて、みんな教室に残って準備を進めていた。

わたしはみんなから外されることがわかっていたから、あまり放課後に残って手伝いをしていなかった。

この日も少しだけ残ってさりげなく帰ろうとしたんだけど、偶然にも昇降口で黒沢さんグループの子に会ってしまった。

「高村さん、今日用事あるの?」と尋ねられ、「ないけどクラスの中にいたくないから帰る」とはさすがに言えずになんて言おうか迷っていたら、残って手伝ってほしいとお願いするような口調で言われた。

向こうからそう言ってくれてるなら、もしかしたらクラスの中に戻れるチャンスかもしれないとかすかな希望を持ってわたしは手伝うことを決めた。

でも、わたしが教室に入った瞬間、それまで騒がしかった教室が一瞬にして静まり返った。

なんとも言えないイヤな空気が教室中に流れる。

戸惑うわたしの耳に、追い打ちをかけるような言葉が飛び込んできた。

「ちょっと、入ってこないでよぉ~」

からかうような楽しむような口調で、わざと大きな声で信じられない一言を口にしたのは真野さんだ。

教室にいた他の子たちは、誰も何も言わなかった。

その瞬間、今までなんとか耐えてきたわたしの心は限界に達し、 思わず教室を飛び出してトイレに駆け込んだ。

ひとりになったとたん、涙が溢れだした。

またクラスの中に戻れるかもしれないなんて期待したりして、バカみたい。

わたしを教室に戻したのは、わたしが嫌われてることを思い知らせるためだったんだ。

今すぐ消えたい。あんなクラスになんて戻りたくない。

こらえてた気持ちが、どんどん涙になって流れてくる。

お昼にひとりでお弁当を食べていても、陰口を言われているのに気がついても、絶対学校では泣かなかったわたしが、初めて学校で泣いた瞬間だった。

でも、みんなの前では絶対泣きたくなかった。

それが、わたしの“負けたくない”という意地だったから。

なんとか気持ちを落ち着かせて教室に戻ったわたしは、「何を手伝えばいいの?」と声をかけた。

でも、「ちょっと待ってて」と言ったきり、みんなわたしがいないかのように振舞っている。

やっぱりもう帰ろうとさり気なく教室の後ろのドアから出ようとした時、真野さんと仲の良い子に気づかれてしまった。

そして再び真野さんに「今日帰るんなら、明日1日中残ってやってもらうからね」

と、またキツイ一言を言われ、結局引き留められて手伝うことになってしまった。


* * *


そして迎えた文化祭当日。

初日は午前中が店番で、午後から自由時間だった。

でも当然一緒に回ってくれる人なんていなくて、様子を見に来てくれたお祖母ちゃんと終わりの時間まで時間を潰した。

2日目も、サボることができない性格のわたしは結局学校に行った。

クラスの子たちと顔を合わせたくなくて、1日中イベントをやっている講堂に入り浸って時間を潰すことにした。

文化祭独特の賑やかなお祭りムードが、余計わたしに孤独を感じさせる。

来週の体育祭も、同じ孤独感を味わうことになるのか……。

そう考えただけで、どうしようもなく重い気持ちになる。

文化祭が終わる時間まで、あと何時間あるんだろう。

ひとりで過ごしていると、時間が経つのがものすごく遅い。

なんとか文化祭終了の時間まで過ごしたけれど、精神的にかなり疲れ切っていた。

独りぼっちで過ごした文化祭は、とてつもなく長く感じた。


【初めての投稿拒否】



文化祭が終わると、今度は体育祭に向けて本格的に練習と準備が始まった。

わたしに対するクラスのみんなの態度は、どんどん冷たくなっている。

授業中はまだ授業に集中すればいいけど、休み時間や昼休みは辛くてしょうがない。

学校に行くことがたまらなく嫌で、日曜の夕方になると、明日なんてこなければいいのにと思いながら、ひとり部屋で泣いている。

それでもわたしは学校を休まなかった。というより、休めなかった。

それは、休んでしまったらクラスのみんなに、そして自分自身に負けるような気がしていたから。

だけど、文化祭の出来事と毎日のストレスで心はボロボロになっていた。

最近では、学校じゃなくて休みの日に買い物に出かけても、全然知らない人がわたしの方を見ているだけで、わたしのことを見ているような気がしてしまう。

人が怖い。人の目が怖い。

確実にわたしの心は蝕まれている。

限界が近づいてきている。

そう思ったわたしは、ついにお祖母ちゃんに言った。

「明日、学校休んでいい?」

明日は体育祭予行で、1日中体育祭の為に練習をすることになっている。

授業ではないから、好きな者同士で過ごす時間が多くなる。

わたしは絶対またひとりだ。

あのクラスの中でまたひとりきりで1日を過ごすのかと思うと、耐えられない。

「明日だけでいいから。明後日からはまたちゃんと学校に行くから」

すがるように言ったわたしに、お祖母ちゃんは怒ることなく

「わかった。じゃあ、明日は“腹痛でお休みします”って先生に電話してあげる」

優しくそう言ってくれた。

お祖母ちゃんは、わたしがクラスで孤立状態になっていることを知っている。

1学期の終わりの出来事も、林間学校での出来事も、全部話していた。

祖母には「それはあなたにも原因があるんだから、みんなが落ち着くまで耐えなさい」と言われていた。

だから、学校を休めなかったというのもある。

でも、日に日にエスカレートしていくクラスの子達の嫌がらせに必死に耐えているわたしの気持ちを、理解してくれていた。

そして翌日、わたしは初めての登校拒否をした。

後ろめたい気持ちがないわけではなかったけど、毎日の苦しみから一瞬でも解放された嬉しさの方が大きかった。

今日1日ゆっくり休んで、また明日から頑張ろう。

そんな前向きな気持ちを粉々に打ち砕く出来事が翌日に起こってしまった。



【わたしの存在価値】




翌日、わたしはお祖母ちゃんに言った通り、支度をして学校に向かった。

今日は土曜日だから半日頑張ればいいんだ。

そう自分に言い聞かせて教室へ入った。

わたしが学校を休んだことで、少しは何か変わるんじゃないかと思ったりもしたけど、クラスのみんなの態度は相変わらずだった。

そして、2時間目の授業。

グループワークの課題が出て、グループを決めることになった。

自分からどこかのグループに行かなければ、絶対どこにも入れてもらえない。

わたしは勇気を出して、成海さんがいるグループのところへ行った。

避けられているのは充分わかっているけど、今のわたしはクラス中が敵だ。

どうせ授業で一緒に組まなくちゃいけないのなら、少しでも話せそうな子と一緒のグループの方がいい。

そう思ったわたしは、成海さんに「入れてもらっていい?」と訊いた。

「人数の関係でまだわからない」 と困ったように言われたけれど、わたしは入れてもらえると思っていた。

そしてメンバーの名前を書くプリントに名前を書き始めた時、わたしは自分の順番を待っていた。

ところが、本来ならわたしの順番のはずが、さっさと次の子が名前を書いてしまった。

たまたま気づかなかったのかもしれない。

そう思ってしばらく待ってみたけど、成海さんたちはわたしの存在を完全無視して雑談を始めてしまった。

やっぱりわたしは外されたんだ。

気がつけば、グループが決まっていないのはわたしひとりだけ。

泣きそうになりながら、一番前の教壇にいる先生のところへ行った。

「……あの、まだグループ決まってなくて……」

消え入りそうな声で言ったわたしを、一番前で話し合っていた佐倉さんグループが「ざまぁみろ」と言いたそうな表情で笑いながら見ている。

佐倉さんグループだけじゃなく、他の子たちもみんな、哀れむような楽しむような視線でわたしを見ているような気がした。

みんなの注目を集めてしまったわたしは、自分がどうしようもなく惨めで情けなくて、唇を噛みしめた。

今すぐ教室から飛び出したい気持ちを必死に抑える。

「高村さん、どのグループなら入れそう?」

先生が優しい口調で訊いてくれて、わたしは仕方なく入学当初に仲良くなったグループのところへ行った。

「高村さん入れてあげてくれる?」

先生の言葉に、みんな頷いてくれた。

でも、少ししてグループの子のひとりが最初に入ろうとした成海さんグループのところへ行って何かを話している。

偶然聞こえてきたのは「ちょっと、来ちゃったんだけど」と「頑張れ」という会話。

一緒に組みたくなかったわたしが来ちゃったことに対しての「頑張れ」という意味だとわかってしまったわたしは、みんなにとって迷惑な存在でしかないんだと思い知らされた。

このクラスで、わたしの存在価値なんてない。

そもそもわたしがこの世に存在する価値なんてないのかもしれない。

こんな思いをしてまで、わたしはここにいる意味があるのかな。

頑張る意味があるのかな。

そう思ったら、何もかもがイヤになった。



【体育祭と心の叫び】



体育祭当日。

登校拒否は1日だけと決めていたから、わたしは前日の辛さを引きずりながらも学校へ向かった。

わたしは用具係という体育祭の中でも一番大変な係で、朝5時起きで学校に行って準備しなければいけない。

本番中も係の仕事で慌ただしく、応援席で過ごす時間はあまりなかった。

独りで過ごすことが辛かったわたしにとっては、かえって係の仕事に集中することで気を紛らわすことができて良かったけど。

そして、体育祭が終わった後も用具の片付けや確認でかなり時間がかかった。

1年生は最後まで仕事があったけど、同じ係の紺野さんはいつの間にか先に教室へ戻ってしまった。

結局わたしひとりでクラスの仕事をして、教室に戻ったのはクラスの中で一番最後。

体力的にも精神的にもヘトヘトで自分の席に戻ると、机の上に小さな塊が入ってるビニール袋が置いてあった。

茶色くて丸くて小さな塊が見えて、パッと見たところ、梅干しの種のようだった。

誰かがお昼にわたしの席でご飯を食べて、ゴミを捨て忘れたのかな?と思って、よく確認せずにそのビニール袋をゴミ箱に捨てた。

その直後、最初に仲良くしていたグループの子達がまたわたしの方を見てヒソヒソ話を始めた。

不思議に思っていたら そのなかの数人がわたしの席に来て、

「萌ちゃん、教育実習の先生が作ってくれたクッキー 捨てちゃったの!?」

怒ったように強い口調で言った。

話を聞くと、さっきわたしが梅干の種だと思っていたものは、教育実習の先生が作ってくれたクッキーだったらしい。

でも、わたしが席に着いたとき、クッキーが配られていることなんて誰も教えてくれなかった。

わたしはあまりにも疲れていて、色や大きさから完全に梅干の種だと思い込んでしまった。

そう伝えても、彼女たちは「梅干の種なんか置いてあるわけないじゃん!」とわたしを責めるばかり。

みんなから見れば、わたしは “人が作ってくれたものをわざと捨てた最低な子” になっているんだ。

でも、わたしには本当にクッキーではなくゴミに見えてしまったんだ。

そう見えてしまったのは、疲れていたからだけじゃなくて、わたしの心が荒んでしまったからなのかな。

ホームルームが終わっても彼女たちの怒りはおさまらなかったようで、 「いつもうちらが悪いみたいに言わないでよ」 ときつく言われてしまった。

「そんなこと一言も言ってない!」と言い返したかったけど、今の状況では何を言っても責められるだけだとわかっていたわたしは、「うん、そうだね。ごめんね」と言うのが精一杯だった。

帰りの電車の中で、わたしは必死に涙をこらえていた。

そして家に帰ってすぐ、お祖母ちゃんに今回のことを話した。

前日のグループ決めの出来事もあり、こらえきれずにわたしはお祖母ちゃんの前で思い切り泣いた。

泣きじゃくるわたしを抱きしめて、「よく頑張ったね。最初は萌にも原因があるんだからしょうがないって思ったけど、授業に支障をきたすのはさすがにひどいね」と言ってくれた。

その言葉に、張りつめていた心が一気に緩んで、わたしは声をあげて泣いた。

クラスでひとりになってから、こんなに泣いたのは初めてだ。

お祖母ちゃんも、わたしの頭を撫でながら泣いていた。

小さな体で大きな苦しみに必死に耐える孫の姿を、お祖母ちゃんはどんな風に見ていたのだろう。

こうなるきっかけはわたしが自分で作ってしまったのかもしれない。

自業自得と言われれば、確かにそうかもしれない。

気づかないうちにみんなにイヤな思いをさせていたのなら、謝るから。

お願いだから、もうやめて。

もう充分思い知ったよ。

わたしがどんなに価値のない存在かってこと。

どんなにみんなにとってイヤな存在かってこと。

だから、もう許して―。

泣きながら、わたしは心の中でそう叫んでいた。



【負けずに闘う覚悟】


文化祭、体育祭と学校の一大行事が終わって、校内の賑やかな雰囲気が少しずつ落ち着き始めた。

いつのまにか季節は秋へ移り変わっていたけれど、わたしは相変わらずクラスで孤立していた。

毎日重い心を引きずるように学校に通っていた。

もう、学校では笑うことも話すことも出来なくなっていた。

心も表情もない。まるで人形になってしまったみたい。

ただ、勉強についていけなくならないように、ただ授業を受ける為だけに登校してた。

そんなある日、久しぶりに仕事が一段落したお母さんが家に帰ってきた。

ちゃんと話した方がいいのかな……。

よく、“いじめられてることを家族に話せない”という話を聞く。

家族に心配かけたくないから。

自分がいじめられてるなんて、情けなくて言えないから。

自分がいじめに遭っているなんて認めたくないから。

理由は色々あるだろうけど。

わたしは、逆に子供の頃からお祖母ちゃんやお母さんになんでも話していた。

恥ずかしいとか心配かけたくないという気持ちより、普段の会話として話して聞いてもらうことでストレスを発散させていた。

だから、今回も話をしておこうと思って、口を開いた。

「お母さん。あのね…わたし、今クラスでひとりになってて……」

「うん。ババから聞いたよ。そんなに辛いなら、学校退学する?」

話している途中で、お母さんが言った。

予想していなかった言葉に、わたしは驚いた。

「高校は義務教育じゃないんだし、勉強は学校に行かなくてもいくらでもできるよ」

はっきり言って、お母さんのその言葉は、すごく意外だった。

学校を辞めるという選択は、絶対に許されないと思ってた。

むしろ、『そんなことで負けたらだめ。ちゃんと学校に行きなさい』って言われると思っていた。

退学という言葉を聞いた時、わたしは初めて自分がそこまで追い詰められていることを自覚した。

学校を辞めるという選択肢を考えた時、わたしは不意に中学3年の時のことを思い出した。

わたしが藤華女子を選んだきっかけ。

それは、塾の先生に薦められたからだ。

でも、実際に自分で学校見学に行って、学校の雰囲気と在校生の雰囲気を気に入って、自分でもこの学校なら自分に合いそうだと思って選んだ学校だった。

そう、もともと自分で行くと決めた学校なんだ。

自分で決めた学校を1年も経たずに辞めてしまうのは、悔しい。

クラスは最悪だけど、学校の雰囲気や先生はいい先生が多くて好きだし。

それに、学校を辞めて普通の道から外れることは正直怖かった。

「いや、もう少し頑張るよ」

それが、わたしの出した答えだった。

不思議なことに、学校に行けなくなるかもしれない状況になって初めて、わたしは「ちゃんと勉強したい」と思った。

決して勉強が好きだったわけじゃないのに。

当たり前のことが当たり前じゃなくなるかもしれないと感じた時、初めて人は当たり前の大切さに気がつくものなのかもしれない。

わたしは、友達と過ごすためじゃなく、勉強するために学校に行くんだ。

そう割り切って学校に行けばいいと自分に言い聞かせた。

ここで負けるわけにはいかない。

闘う強さを持たなくちゃ、生きていけない。

闘うことを決めた私は、毎日休まずに学校に通った。

存在を無視され、グループ決めをすれば外され、話したり関わったりすればバカにしたような目で見られる。

ある授業で、ビデオ鑑賞の感想を書いて先生が良いと思った人の感想を読み上げた時のこと。わたしの感想だとわかると、黒沢さんグループの子がわざと耳を塞ぎながら反応を窺うようにわたしの方を見てきたこともあった。

悔しいのは、誰が見てもわかるようなやり方ではなく、そういった本人にしかわからないようなやり方で嫌がらせをしてくること。

誰かに話しても、「それは気のせいじゃないの?」「自意識過剰、被害妄想」と思われてしまうような、あからさまではないイジメ。

本当に陰湿なやり方だった。

辛くて苦しくて、泣きたくて、何度もこのクラスから自分の存在を消したいと思った。

でも、“消えたい”とは思っても、“死にたい”とは思わなかった。

理由はふたつある。

ひとつは、GLAYのライブに行けなくなるのが嫌だったから。

他人からすれば、くだらない理由かもしれない。

でも、わたしにとっては中学時代から大好きなバンドのライブが何よりの心の支えだった。

そしてもう1つは、自分が生まれた時の話。

お母さんの妊娠中毒症により予定より3ヶ月早く生まれたわたしは、生まれた時の体重が約900グラムだった。

「赤ちゃんが生きて生まれてくる確率は30%。母親の体も非常に危険な状態で、今後は植物人間状態になるかもしれない」

医師にそう告げられ絶望的だったふたつの命は、奇跡的に助かった。

「あなたは神様に守られて生まれてきた奇跡の子なんだよ」

お祖母ちゃんからその言葉を聞いた時、わたしが生まれてきたことは奇跡なんだと感動した。

きっと、わたしが今生きているのは、神様からの「生きなさい」というメッセージなんだ。

だから、せっかく生かしてくれた命を、与えられた人生を、無駄にしてはいけない。

簡単に死を考えてはいけない。

そう強く思った。

今が辛いのは、これから待っている楽しい未来のための試練。

そう思って乗り越えるしかなかった。

もうひとつ、心の支えになったのは、中学時代からの友達である理世先輩の存在だ。

GLAYの話を中心にした交流を続けていたし、春に偶然駅で会ってから、一緒の電車に乗って登校していた。

一緒に話せる時間はわずか十数分だったけど、それでもわたしにとっては大きな支えだ。

学校ではひとりでも、わたしには先輩がいる。そう思えた。

そして毎朝学校に向かう電車の中で大好きなGLAYの曲を聴きながら、頑張らなきゃと自分に言い聞かせていた。

毎日過ごすうちに、佐倉さんや真野さんは、どうやらわたしが優等生タイプなのが気に入らないらしいことがわかってきた。

一緒に暮らしている祖父母が言葉遣いや身だしなみに厳しいから、わたしは先生や先輩からは“真面目でしっかりした子”として気に入ってもらえることが多かった。

それに同年代の子に比べてかなり小柄で、“小さくて可愛い”という印象も手伝ってか、高校の先生も何人かはわたしのことを「高梨さん」ではなく「萌ちゃん」と呼んでくれている。

そんな様子が、彼女たちにとっては妬みの対象になったのかもしれない。

そんな妬みで人を傷つけるような人たちに負けたくない。

彼女たちに勝つためには、“学校”という場所にいる以上、勉強で見返すしかない。

どうせひとりなら、その時間を勉強する時間に使おう。

そう決めたわたしは、ひたすら勉強に打ちこんだ。

勉強に打ち込んだ理由はもうひとつある。

ライブに行くことを、祖父母に許してほしかったから。

お母さんから預かっているという責任があるからか、周りよりも小柄というハンデを気にしていたのか、ふたりは勉強に関しては特に厳しい。

「1位になれ」とは言われたことはないけれど、平均かできれば中の上を目指してほしいという思いはあるようだ。

小学中学年の頃から家庭教師をつけられたり、塾に通っていた。

もともと小さな頃から習い事もせず、クラブや部活に打ち込むこともなく、これと言った特技がなかったこともあったのかもしれない。

わたしが従姉や部活の先輩の影響でGLAYのファンになって夢中になり始めた中学生の頃から、お祖母ちゃんは「ちゃんと勉強しないとGLAY関係全面ストップさせるよ」が口癖だった。

クラスでひとりになったわたしにとっての心の支えを絶対に失くしたくない。

ライブに行くためには、ちゃんと勉強して結果を出して認めてもらうしかない。

年明けには、東京ドームのライブに行くことが決まっていた。

2学期を乗り越えれば、またライブに行ける。

そのためにも、頑張らなくちゃいけない。


【祖母の存在の大きさ】


長い長い毎日を必死に過ごして、季節は冬に変わった。

期末テストを終えて訪れた試験明け休み。

束の間の休息に、一気に体の力が抜ける。

ずっと張りつめてた心を和らげられる時間。

2学期最後の日、無事に終業式を終えてお昼過ぎに家に帰った。

明日から冬休みが始まる。

短い休みでも、疲れ果てた心を休ませられるのは嬉しい。

部屋でのんびり過ごして、夕方に1階へ下りると、お祖母ちゃんが和室で横になっていた。

寝ているのかなと思って近づいてみたら、何か様子が違う。

顔は苦痛にゆがみ、体が痙攣したように震えている。

「お祖母ちゃん、どうしたの!?  大丈夫!?」

わたしが体を揺すると、お祖母ちゃんは絞り出すような声で「…お腹…痛い…」と呟いた。

わたしは慌てて2階の部屋にいたお祖父ちゃんを呼んで、車で病院に連れて行ってもらった。

家で待っている間、気が気じゃなかった。

盲腸は手術済みと聞いたし、風邪とは症状が違う。

考えたくないけど……まさか命にかかわる病気だったりしないよね?

しばらくして、ふたりが病院から帰ってきた。

風邪だと言われて薬をもらったけれど、翌日の夜もまた発作的にひどい痛みが襲ってきた。

今度は腹痛だけじゃなく頭痛も酷いと言って、前日と同じように痙攣を起して、半分意識を失っているような状態になった。

やっぱりおかしいと、もう一度お祖父ちゃんに病院に連れて行ってもらったけど、医師には「風邪」と言われたらしい。

その翌日の朝も、発作のように痛みが襲って苦しんでいた。

一体どうしちゃったんだろう。

今まで、大きな病気もせず過ごしていたのに。

もしお祖母ちゃんに万が一のことがあったら、わたしはどうなる?

考えただけで怖い。

お願いだから早く良くなって……。

そんなわたしの思いが通じたのか、4日目からは少しずつ症状は回復し、発作もなくなっていた。

そして、1週間後にはだいぶ元気になっていた。

冬休み最初の1週間はそんな大騒動で過ぎたけれど、大晦日には叔母や従姉もわたしの家に来てくれて、みんなで正月を迎えた。

あと1週間で、また闘いの日々が始まる。

でも、3学期を乗り越えれば…2年になればクラス替えがある。

あと数ヶ月耐えれば、今のクラスから解放される。



【わたしの大切な居場所】




 
冬休み後半はあっという間に過ぎて、3学期が始まった。

そして、3学期が始まってすぐの土曜日。

ずっとずっと支えにしていた東京ドームのライブの日が来た。

藤華女子は土曜も授業があって、学校帰りに会場へ行くことになる。

わたしにはまだライブの相方がいなかったから、ひとりで行くことを決めていた。

学校帰りにひとりでライブに行くのは初めてだったから、正直不安もあったけど。

でも、ライブが観られる嬉しさの方が遥かに大きかった。

朝からずっと落ち着かなくて、授業中もずっと上の空。

45分、4時間という時間がすごく長く感じた。

今までは日曜や夏休み中にライブに行っていたから、なんだか不思議な感じ。

こうして普通に授業を受けていると、ライブに行くという実感があまりわかない。

わたしはホームルームが終わるとすぐに食堂へ向かってお昼ご飯を食べた。

ご飯を食べ終えて、いよいよ東京ドームへ。

制服のままだと、校則上寄り道禁止になっているから、先生に見つかるとまずい。

学校最寄り駅の駅ビルにある化粧室で、用意してきていた私服に着替えた。

そして、ついに到着した東京ドーム。

電車の窓から外の様子を見ると、たくさんの人で溢れていた。

いつも映像で観ていた会場に、本当に自分がいるんだ。

多くの人が友達と来ている中でひとりというのは気にならないわけじゃないけど、クラスでずっとひとりで過ごしていたせいか、慣れてしまった。

ひとりに慣れるなんて、ホントは寂しいことかもしれないけど。

開場の時間になり、いよいよドームの中に入って自分の席へ向かう。

改めて場内を見てみると、本当に広い。

でも、こんなに広い会場の中に独りでも、クラスの中で感じる惨めさや冷たい視線はない。

それはきっと、みんなここにいる理由が同じだから。

前回のライブに参加してから約半年が過ぎていた。

本当に色々なことがあった。

たくさん悩んで、傷ついて、苦しんで、泣いた。

心から笑うことができなくなっていた。

何度も挫けそうになって、何度も逃げ出したくなった。

それでも踏ん張れたのは、歯を食いしばれたのは、今日この日のため。

そう、全てはこの日のために頑張ってきたんだ。

だから今日は、いっぱい楽しもう。

いっぱい笑おう。

いっぱい叫ぼう。

いっぱい歌おう。

本当のわたしを取り戻そう。

本当の笑顔を取り戻そう。

そう思っていたら、「間もなく開演します」というアナウンスが流れた。

場内の期待と緊張感が一気に高まる。

そして、場内が暗くなった瞬間、割れんばかりの大歓声。ついにライブが始まった。

わたしが毎日通学の電車の中で聴いていた楽曲が演奏され、聴きながら、2学期のことを思い返した。

何度この曲に励まされただろう。

何度この曲に救われただろう。

今この瞬間、こうしてこの歌をライブで聴けただけで、頑張ってきた甲斐があった。

心からそう思えた。

「今回のツアーでは、周りの人たちに対する愛情を忘れないでほしい、身近な友達や家族を大切にしてほしいということを伝えたい」

そんなMCのあとに演奏された曲も、毎朝電車の中で聴いていた曲だった。

“身近な友達や家族を大切に…”という言葉が、胸にずっしりと響いた。

この言葉を、クラスのみんなに聞かせたいと思った。

そしたら、みんなの態度も少しは変わるかもしれないのに。

曲が進むにつれ、会場の一体感が増していく。

体中で、会場がひとつになっているのを感じる。

アリーナ席にいると、会場の歓声がまるで天井から降り注いでくるように聞こえる。

ドームが揺れているんじゃないかと思うほどの歓声。

メンバーがMCで「今日が最終日じゃないかって思うくらいの盛り上がりだ」と言うほどの盛り上がりだった。

アンコールは、みんなリラックスしていて、和やかで温かい雰囲気に包まれる。

彼らのライブは、この一体感と和やかな雰囲気が最大の魅力。

熱気で溢れていた会場に、今度はほのぼのとした空気が漂う。

この温かい空気は、ここでしか味わえない。

ここなら、誰もわたしを冷たい目で見たりしない。

ここなら、誰もわたしの存在を無視したりしない。

ここなら、わたしは独りじゃない。

クラスではたった独りでも、学校に居場所がなくても、わたしの居場所は、ここにある。

感動と興奮に包まれて、ライブは終了した。

ライブが終わると、まるで夢から醒めた様な感覚になる。

午前中に学校で授業を受けてたはずなのに、同じ日の出来事とは思えないくらい、非日常な空間と時間だった。

本当に夢のように楽しくて幸せな時間だった。

胸の奥がほんわか温かい気持ちで溢れている。

クラス中の悪意に晒されて汚れきっていた真っ黒な心の水が一気に流れて、透明で濁りのないキレイな水がひたひたと心に注がれたような…そんな感覚。

今日、この場所に来れて良かった。

ライブに参加できて良かった。

これで、また明日から前を向いて頑張れる。

また明日からも闘える。



【最後の試練】



最高のライブを終えたわたしは、2学期と同様勉強に打ち込みながら毎日を過ごした。

ほんの少し変わったのは、クラスの中でも、話しかけてくれる子が出始めたこと。

最初にわたしに忠告をした奈々ちゃんも、少しだけど話してくれるようになった。

実は、最初に仲良くしていたグループの子達とも2学期の後半からまた一緒にお弁当を食べていた。

でも、ただ一緒にいるというだけで、話しかけてくれるわけではなかったし、わたしも何も話さなかった。

それは、3学期になってからも変わらなかった。

そんな中、1月の終わり頃から、2月中旬にある

合唱祭の練習が始まった。

本番で優秀賞を取ることは出来なかったけど、練習の成果を発揮して歌うことが出来た。

ずっとよどんでいたクラスの雰囲気が、合唱祭を機に少しだけ良くなった。

あと1か月で、このクラスから解放される。

そう思っていたわたしに、最後の試練が訪れた。

芸術選択の授業でとっていた音楽の最後の授業で、自由発表をすることになった。

みんな友達同士でグループを組んでいたけど、わたしはやっぱりひとりで。

誰のグループにも入れず、たったひとりで発表をすることになってしまった。

楽器も弾けない、人前で堂々と歌える歌唱力もないわたしは、何をしようか真剣に悩んだ。

悩んだ末、GLAYの曲をリコーダーで吹くことにした。

2月末の発表の日。

みんなグループで歌ったり楽器を演奏する中で、ついにわたしの番が来た。

ひとりで発表するのはわたしだけだから、余計に目立つ。

中学時代演劇部だったから、人前で何かする度胸はついているはずだったけど、黒沢さんと仲の良い子たちが冷やかすような目で見ているのに気づいて、足がすくむ。

演奏を始めたものの、緊張で指は震え、足も震え、何度もミスって演奏は最悪だった。

終わった瞬間、悔しさなのか終わった安心感なのか、涙が溢れてきた。

必死に涙をこらえて席に戻り、授業を終えた。

授業が終わって教室に戻ると、佐倉さんグループの子達が早速黒沢さんの所に行って何か話していた。

さりげなく様子を見ると、予想通りわたしの発表前のコメントを口真似して、面白がっていた。

それからすぐ、期末テストを迎えた。

このテストが終われば、やっとこのクラスから解放される。

そう思いながら試験勉強を頑張っていた。

そしてテストが終わって保護者会の日。

藤華女子はテストの後に保護者会を開いて、テストの結果を生徒ではなく保護者に渡すという学校だった。

保護者会の日は、丸1日学校が休みになる。

わたしが家でのんびりしていたら、お祖母ちゃんが帰ってきた。

心なしか嬉しそうな顔をしている。

渡されたテスト結果を見ると、なんと、わたしはクラス順位1位になっていた。

「萌、ホントによく頑張ったね。担任の先生も褒めてたよ。“色々大変だったのに、よく負けずに頑張ってくれましたね。高村さんはとても強い子ですね”って」

小島先生、そんなこと言ってくれたんだ。

2学期が始まって少しして、お祖母ちゃんにクラスでのことを話した時。

「担任の先生にちゃんと相談したいから、時間空けて下さいって話してみて」と言われて、そのことを先生に伝えたら、「まずは高梨さんとお話させて」と言って、わたしと1対1で面談室で放課後に話を聞いてくれた。

「欠点を指摘されてグループで上手くいっていない」

そう正直に話すと、

「欠点なんてみんなあるんだから。あなたがそんなに自分を責めることないのよ」

そう言ってくれた。

小島先生だけじゃなく他の先生方も、わたしのことを気にかけてくれていた。

廊下や職員室で会うと声をかけてくれたり、気さくに“萌ちゃん”と呼んでくれたり。

テストの採点もちょっと甘くしてくれたり。

もしかしたらそれは小島先生がうまくはからってくれたことだったのかな。

わたしの頑張りを、必死に闘ってる姿を、先生達はちゃんと見てくれていたんだ。

陰で応援してくれていたんだ。

見て見ぬふりをせず、さりげなく生徒を見守ってくれていた。

そして、努力をしっかり認めてくれる先生達だった。

だから、わたしは学校を辞めずに頑張れた。

頑張って良かったと心から思った。

小中学時代は成績で1位なんて縁がなかったし、文系は良かったけど理系がダメで、平均するとちょっと上くらいだったから、こんなに成績が上がるなんて、自分でも信じられなかった。


【勝敗の行方】



充実感と達成感に包まれて、修了式の日が来た。

今日で、このクラスとはお別れ。

やっと、長かった闘いが終わる。

朝のホームルームのあと、修了式の前に掃除をすることなっていて、それぞれ班ごとに掃除を始めた。

わたしの班はトイレ掃除。

掃除をしていたら突然、立川さんがテストの順位を訊いてきた。

この時のわたしは、1位をとってあれだけ喜んでいたのに、なぜか自分が1位だということをすっかり忘れていた。

掃除が終わったあとも、立川さんはクラス1位が気になるようで、色んな人に「1位誰?」と聞き回っていた。

彼女はクラスの中でも、成績が良い子として知られていた。

もしかしたら、今までずっと1位をとっていたのかもしれない。

それが今回は1位じゃなくて、誰が1位をとったか気になっていたのかもしれない。

修了式のため、体育館に行ってクラスの席で始まるまで待ってる間も、周りの人に「誰?誰?」と聞いていた。

「高村さん、学年順位何位だった?」

立川さんに改めて訊かれて学年順位を答えると、「マジで!? やっぱり高村さんが1位か」
と言われた。

そのあと、わたしの近くの席で立川さんの言葉を聞いたらしい真野さんが口を開いた。

「クラス1位とクラス最下位がこんな近い席なんて滑稽だな」

自嘲気味に言ったその言葉は、まるで負けを認めるような言い方だった。

真野さんは、単位が足りず留年が決まっていた。

そして、藤華女子で留年せず退学して別の高校に転校することになったらしい。

なんだか不思議な気分だった。

もしわたしがあのままクラスでの辛さに負けていたら、わたしが学校を退学していたかもしれないから。

修了式を終えたあとの、最後のホームルーム。

先生の話のあとに、みんなで合唱祭の発表曲を歌った。

歌いながら、泣いている子もいた。

このクラスのメンバーと別れるのが寂しいのか、感動しているのか。

一方でわたしは、絶対泣かないと思っていた。

あれだけ傷ついて、「みんなと離れるのは寂しい」なんて正直思えなかったし、1日でも早くこのクラスを出たかったから。

でも、歌いながらなぜか最初の頃の楽しかった毎日が甦ってきて、胸が詰まった。

どんどん目頭が熱くなる。

泣きたくないとなんとか涙を流さずに最後まで歌った。

みんなで先生に「ありがとうございました」を言ったあと、クラスは解散になった。

解散したあと、真野さんの周りにはお別れの挨拶をするために何人かの子が集まっていた。

これが最後だからと、深呼吸して、わたしは真野さんの席に行った。

「元気でね」

「うん」

たった一言だけど、頷いた真野さんの表情は、少し優しかった気がした。

入学してすぐの頃、わたしは真野さんとも時々一緒に帰ったり、話をしていた。

第一印象は“サバサバした子”。

悪い印象ではなかったし、最初は仲良くなれると思っていた。

いがみあう仲になってしまったのはクラスメートとして残念だけど、彼女のことを許せるかと訊かれたら、やっぱり答えは「NO」だ。

でも、必死に闘ってきたわたしを最後は認めてくれたような気がした。

「じゃあね」

もう二度と会うことはないだろう。

人がまばらになった教室で、意を決して談笑しているグループの所に行くと…

「萌ちゃん、期末テストでクラス1位だったんだよね、すごいね」

そう言ってくれたのは玲ちゃん。

わたしは最後に玲ちゃんグループのところへ行った。

残っていたのは、玲ちゃん、メグちゃん、美菜ちゃん、京ちゃんの4人。

「マジで!?  成績表見せて!」

メグちゃんに言われて、今朝のホームルームで配られた1年間の成績表を見せる。

なぜかみんなで成績表の見せあいになり、ワイワイ盛り上がった。

その瞬間は、入学したばかりの頃の楽しい雰囲気に戻ったような気がした。

「じゃあ、わたしはそろそろ帰るね」

ひとしきり話した後、わたしは立ち上がった。

「そっか。また、新学期にね」

「うん、またね」

久しぶりにお互い笑顔で話せた。

様々な思いを胸に、わたしは教室を出た。

帰りの電車の中で、2学期にずっと聴いていた楽曲を聴いた。

最後の歌詞は、“生きることは辛いな”。

そう、生きることは時としてとても辛くて。

でも、楽しい時だってある。

決して楽しいとは言えなかった1年だったけど。

でも、欠点を指摘されて自分と向き合うことができた。

逆境の中で立ち向かう強さを学んだ。

努力すれば、結果が自分に返ってくることを学んだ。

だから、わたしにとってはきっと意味のある1年だったんだ。

生きることは辛いけど、あきらめなければ、いつか光が射す。

2年生になったら、今度こそ楽しい高校生活が送れるように。

もう一度、新しいわたしになろう―。


第2章
【新たな出会い】


高校2年生初日。

クラス替えがどうなっているかドキドキしながら学校へ向かった。

1年生の時は外部生と内部生でクラス分けされていたけど、2年からは外部生、内部生混合になる。

それに、2年生からは受験を意識したコース別クラス編成になって、文系·理系·総合クラスに分かれる。

わたしは文系コースを選んでいた。

学校に着いてクラス分けのプリントをもらって自分の名前を探すと、わたしはA組だった。

ざっと同じクラスの子の名前を確認すると…運悪く、今年も佐倉さんと同じクラスだった。

真野さんが退学したから、あとは佐倉さんとさえ同じクラスにならなければ…と思っていたのに、神様は意地悪だ。

いや、緑野女子は仏教校だから、「仏様は意地悪だ」が正しいのかな?

って、別にどっちでもいいんだけど。

教室の中に入って、自分の席に着く。

クラス名簿を見ながら、教室を見回してみる。

仲良くなれそうな子、いるかな…。

6月には、高校生活の一大イベント、修学旅行がある。

早く友達ができないと、グループ決めの時にひとりになる。

去年の二の舞になるのはもうイヤだ。

しばらく教室の様子を見ていて、あるひとりの子に目がいった。

名前は伊東(いとう)春花(はるか)さん。

長めの黒髪をポニーテールにしてる。

大人しそうで、真面目そうな感じ。

文学小説とか読んでそうで、頭も良さそう。

第一印象は、そんなイメージ。

このクラスの中では、一番雰囲気的に話しかけやすそう。

何かきっかけがあったら話したいな。

「はい、席に着いてください」

少しして、担任の岡崎先生が教室に入ってきた。

最初に見てビックリしたのは、男性なのにすごく小柄なこと。

わたしより少し高いくらいの身長。

小柄ゆえに、気さくで話しやすそうな雰囲気の先生。

一部の子はすでに岡崎先生を知っていたようで、岡ちゃんなんて呼んでいる。

先生の話とお決まりの自己紹介が終わった後、クラスの係決めが行われた。

どれにしようかな。

黒板に書かれた係の一覧を見ながら考える。

去年と同じで鍵係がいいかな。

鍵係とは、教室を移動する授業の時に、教室のドアの鍵を開け閉めする係。

去年もやっていて、そんなに面倒じゃない係だと知っていた。

先生の指名で書記係になっていた伊東さんに「わたし、鍵係で」と言って、名前を書いてもらった。

伊東さんも同じ係だったらいいな。

そう思っていたら、ラッキーなことに、伊東さんが鍵係のところに名前を書いた。

仲良くなれるチャンスかも!

そう思ったわたしは、係決めが終わった後の休み時間、勇気を出して伊東さんの席へ行った。

「伊東さん、わたしと同じ係だよね、よろしくね」

1年生の時のことがあって、もしかしたらわたしの笑顔はぎこちなかったかもしれない。

でも、伊東さんは笑顔で、「うん、よろしくね」と言ってくれた。

これが、のちに長いつきあいになる春花ちゃんとの出会いだった。

* * *


翌日から伊東さんは休み時間にわたしの席に来てくれるようになって、お互い「春花ちゃん」「萌ちゃん」と呼びあうようになった。

そして、お昼休みも一緒にお弁当を食べるようになった。

数日後のお昼休み。

「他の友達も一緒に食べていい? 食堂で待ち合わせしてるんだ」

「あ、そうなんだ。うん、大丈夫だよ」

いっちゃんは中学から持ち上がりの内部生で、中学時代からの友達がいるという。

気の合う子たちだといいなと少し不安に思っていると、

「みんないい子たちだから大丈夫だよ」

春花ちゃんがそう言ってくれて、安心した。

食堂に行くと、出入り口に近い席にいた3人の子たちがいっちゃんに気づいて手招きした。

「お邪魔シマス…」

ちょっと緊張気味に挨拶して席に座る。

「萌ちゃん、紹介するね。西本(にしもと)夏希(なつき)ちゃん、 南川(みながわ)秋穂(あきほ)ちゃん、北村(きたむら)(ゆき)ちゃん」

春花ちゃんが3人の名前を教えてくれた。

「初めまして、高村 萌です」

まだ緊張の残る笑顔で、わたしは自己紹介をした。

「萌ちゃんかぁ~可愛い名前。よろしくね」

北村さんが人懐っこい笑顔で言ってくれた。

春花ちゃんが言っていた通り、3人とも気さくで話しやすくて、わたしたちはすぐに意気投合した。

それから、休み時間に話したりお昼休みは毎日5人で食堂に行って食べるようになった。

お互いの連絡先も交換した。

夏希ちゃんは理系クラスで、イマドキのオシャレな女子高生っていう感じ。

ギャル系ではないけど、背が高くて大人っぽい。

秋穂ちゃんはロングヘアの女の子っぽい感じの子。癒し系でお嬢様っぽい雰囲気。

雪ちゃんも秋穂ちゃんと同じクラスで、ちょっとぽっちゃり体型の人懐っこい子。

特に秋穂ちゃんと雪ちゃんは隣のクラスということもあって、休み時間もよく話すようになった。

そして、春花ちゃんとは話せば話すほどお互い好みが合うことがわかった。

そんな感じで、わたしの高校2年生の始まり
は、新しい友達ができて順調。

でも…やっぱり1年生の時のことを思い出すと、怖い。

今は仲良くしてくれていても、またひとりだけ外されたらどうしよう…。

そんな不安は、いつも消えなくて。

一緒にいるときは、今まで以上に言葉の使い方や言い回しに気を遣っていた。

1年生の時、クラスの子達に言われたこと。

“何気ない一言が人を傷つける”―。

もう去年のような失敗はしたくない。

今度こそは、せっかく仲良くなれた友達に嫌われたくない。

決めたんだ、わたしは今度こそ新しいわたしになるって。

今度こそ変わるんだ、って―。


【夢のはじまり】





春花ちゃんと仲良くなってから数週間が過ぎたある日の休み時間。

「イラスト描いたの持って来たんだけど…」

ちょっと恥ずかしそうにしながら、春花ちゃんがわたしの席に来て小さな紙を差し出した。

イラストを描くのが趣味だと聞いて、今度見せて欲しいとお願いしていたから持ってきてくれたんだ。

もらったイラストを見た瞬間、

「うわ、可愛い!」

思わずそう口にしてしまった。

小さな白い紙に描かれていたのは、ふたつ結びの女の子がテディベアを抱っこしている少女マンガ風のイラスト。

一目見て、わたし好みの絵だと思った。

今まで周りに絵を描くのが好きな子はいたし、わたしも小学生の頃はマンガクラブに入って絵を描いていた。

だけど、わたしは絵を描くのが苦手だったし、周りの子が描く絵も、個人的に好みではないものだった。

でも、春花ちゃんにならお願いできるかもしれない。

そう思ったわたしは、思い切って打ち明けた。

「実はわたし、小説書いてるんだけど。今度、イラスト描いてくれないかな?」

わたしがそう言うと、

「そうなの?もちろんいいよ!」

春花ちゃんは快諾してくれた。

それから、中学時代に初めて書いた作品を読んでもらった。

最初は恥ずかしかったけど、

「萌ちゃん、小説すごく感動したよ!秋穂ちゃん達にも読んでもらいなよ!」

興奮気味にそう言ってくれて、とても嬉しかった。

しばらくして、春花ちゃんから「描けたよ」とイラストをもらった。

それは予想通りとても可愛くて、小学生の時から少女小説が大好きだったわたしは、まさに少女小説の挿絵のようなイラストにとても感動した。

「すごい、可愛い!ホントにありがとう!」

「どういたしまして」

「今また小説書いてるんだけど、そのイラストもお願いしていい?」

「もちろんいいよ!小説楽しみにしてるね!」

それからわたしは、自分の作品を春花ちゃん達に読んでもらうようになった。

たった数人でも、自分の作品を読んでくれる人がいる、それだけでとても励みになった。

そして、漠然としていた夢が少しずつはっきりと見えてきた。

小さな頃から特技になるような習い事をしたことがなく、部活に夢中にもならなかったわたしが唯一得意なこと。

それは、文章を書くことと、自分で物語を考えること。

春花ちゃん達に「感動した」と言ってもらえて、すごく嬉しかったから。

いつか自分の作品をもっとたくさんの人に読んでもらいたい。

誰かに感動してもらえるような小説を書きたい。

それが、わたしの夢の始まりだった。



【お泊まり女子会】



春花ちゃん達とは日を追うごとに仲良くなって、独りでお弁当を食べていたのが信じられないくらい昼休みは毎日5人でワイワイ楽しく過ごしている。

新しい友達が出来たことをお祖母ちゃんに話すと、「今度うちに遊びに来てもらったら?」と言ってくれた。

お祖母ちゃんもわたしに友達が出来て楽しく過ごしているのが嬉しいみたいだ。

「じゃあ、4人いるんだけど今度泊まりで来てもらってもいい?」

わたしが訊くと、

「あら、賑やかでいいわね」

と言って快諾してくれた。

みんなにその話をしたら、喜んでくれて「楽しみ!」と言ってくれた。

そして中間テスト最終日の土曜の夕方から、1泊でお泊まり女子会をすることが決まった。

当日テストが終わると駅で待ち合わせて、わたしの地元へ向かった。

自宅までは学校最寄り駅から1時間弱。

電車の中ではすっかり遠足気分でワイワイ盛り上がった。

地元の駅に着いてわたしの家まで歩いていると、

「すごい、緑がいっぱい」
「避暑地みたい」
「空気がおいしい」

みんな感動してくれている。

わたしにとっては当たり前の場所で、何もない田舎だと思ってるけど。

都会に住んでいるみんなにとっては、新鮮なのかな。

何もない所だけど、自然がいっぱいで癒されるところは、自慢かもしれない。

家に着くと、お祖母ちゃんが笑顔でみんなを迎えてくれた。

雪ちゃんが、手土産に有名なシュークリーム屋さんのシュークリームを持ってきてくれて、みんなでお喋りタイム。

いつも昼休みに食堂で話している雰囲気と全く同じ感じ。

そのあとはわたしの部屋に集まって漫画を読んだり話したりしているうちにあっというまに夕飯の時間。

お祖母ちゃんが張り切って作ってくれた得意料理。

みんな「美味しい」と大感激してくれた。

祖母の料理上手は、わたしの自慢。

ごはんのあとは、ジャンケンで順番を決めてお風呂タイム。

お風呂タイムが終わると、今度はパジャマパーティー。

夜になると、お決まりの?告白タイム!…と言っても残念ながら女子校育ちのみんなにまだ恋の話題はなく。

お互いの家庭事情や友達事情の話になった。

最初に話したのはわたし。

父親がいないこと。母親の仕事のこと。そして、去年のこと。

春花ちゃんは、去年クラスに馴染めず、わたしと同じようにひとりで辛かったことを話してくれた。

雪ちゃんは、生まれつき発作が起きる持病があり、薬を飲まないと発作を起こしてしまうことや、中学時代から病気が主な原因でいじめにあっていたことを話してくれた。

夏希ちゃんは、わたしと同じように両親が離婚し、父親がいなくて祖父母と暮らしていること、そしてお母さんが亡くなってしまったことを話してくれた。

秋穂ちゃんは、家が古本屋さんの仕事をしていることを話してくれた。

みんなの話を聞いて、わたしは初めて人それぞれの人生があることを実感した。

自分が今までいかに狭い世界しか知らなかったかを思い知った。

辛い思いをしているのはわたしだけじゃない。

みんな、それぞれの痛みや傷を抱えて生きているんだ。

わたしはまだそんなことさえ知らない子供だった。

こうして誰かと出会って話を聞くことは、とても大事なことなんだ。

お互いちょっとシリアスな話をしたあとは、それぞれ持ち寄った映画を見たり、人生ゲームで盛り上がったりして、夜中まではしゃいだ。

まるで、修学旅行の夜みたいな雰囲気。

翌日も、みんなでワイワイはしゃぎながらご飯を食べた。

記念にわたしの家の庭で写真を撮って、午後にはカラオケに行って盛り上がった。

そして、あっという間に夕方。

せっかくだからと5人での初プリクラを撮って、別れた。

友達とこんなに長い時間一緒に過ごして笑ったのはいつぶりだろう。

一緒にいて話がつきなくて、みんなちゃんと私の話も聞いてくれて。

本当に楽しい時間を過ごせた。

きっと、このメンバーでならこれからも楽しくやっていける―。

そう思える2日間だった。


【友達と修学旅行】




あっという間に、高校2年生のメイン・イベント、修学旅行の日がやって来た。

行先は北海道で、4泊5日。

春花ちゃんとすっかり仲良くなったわたしは、グループも部屋割もすべて春花ちゃんと一緒。

去年の林間学校のように、部屋割やグループ決めで独りになることはなかった。

ただ、問題がひとつ。

最終日前夜だけ、部屋割が佐倉さんとその友達2人と同じになってしまったんだ。

ゴールデンウィーク前のある日、昼休みに部屋割を決めていることに気づかず、勝手に決められてしまった。

ちょっと不安を抱えながら、家を出た。

都内の駅で春花ちゃんと待ち合わせて空港へ向かう。

こうして一緒に行ける友達が出来て、本当に良かった。

空港に着いてから出発までの間は、みんな友達同士で雑談したり写真を撮ったり、自由に過ごしていた。

わたしも、いつものメンバーで記念撮影をしたり、雑談して過ごした。

そしていよいよ搭乗時間になり、飛行機の中へ。

飛行機の座席も春花ちゃんと隣同士。

ひとりじゃないっていうことはホントに心強い。

出発時刻になり、いざ北海道へ。

わたしは、北海道に行くのは今回が初めてじゃない。

お祖母ちゃんが北海道生まれだったこともあり、過去2回北海道に行ったことがあった。

小さかったから、あまり記憶にはないけど。

「なんで函館スルーなんだろう……」

でも、見事なまでに、わたしが一番行きたかった函館がスルーされていた。

小さい頃に家族旅行で行ったことはあるけど、断片的にしか覚えてない。

いつかお金貯めて友達と行こう、そう心に決めた。

約1時間半の空の旅。

無事に千歳空港に到着して、わたし達のクラスは、小樽へ向かった。

小樽運河で記念撮影したあとは、班ごとの自由行動。

定番のガラス工芸館とオルゴール館を見て回った。

夜は札幌のホテルに宿泊したけれど、とても綺麗なホテルだった。

特にイヤな雰囲気になることもなく、初日を終えた。

2日目はレクリエーションがメイン。

わたし達は事前に決めていたダンスに参加した。

でも早々に終わってしまって、部屋にテレビもなく、時間が経つのがとても遅く感じた。

一番退屈な時間で、ちょっとホームシックになってしまった。

3日目には、足寄で逆コースのクラスと合流。

里桜ちゃん、雪ちゃん、すみれちゃんの3人はわたしといっちゃんのクラスとは逆コースだった。

だからこの日に合流できるのを楽しみにしていたんだ。

5人で記念の写真撮影をして、束の間の5人集合を楽しんだあとは、またそれぞれのコースへ。

その日の夜は、クラスの中でも席が近くてよく話すようになった子達とみんなで心理テストをしたりして盛り上がった。

4日目は、牧場見学からスタート。

牛の乳搾り体験や、バター作りを体験。

自分で作ったバターをクラッカーにのせて食べたら、とても美味しくて感動した。

どこまでも広がる大地と緑がいつもと違う景色で新鮮だった。

“霧の摩周湖”で有名なほど晴れる確率は低い摩周湖観光は綺麗な快晴だった。

そして、夜はついに一番不安だった黒沢さん達と同じ部屋。

嫌でも、去年の林間学校のことを思い出してしまう。

またわたしの悪口を言われたらどうしよう。

早々に布団に入って寝ようとしたけど、気になってなかなか寝つけなかった。

結局、悪口を聞くことはなかったけど、熟睡できないまま最終日を迎えた。

全日程が無事に終了して、空港に向かうバスの中は旅疲れと前日の寝不足でグッタリだったけど。

「春花ちゃん、ずっと同じ班になってくれてありがとね。楽しい旅行になって良かったよ」

「こちらこそ、萌ちゃんのおかげで楽しかったよ」

その一言がとても嬉しかった。

この時からきっと、わたしと春花ちゃんはお互いを大切な友達だと思い始めていた。

去年の林間学校と違うこと。

友達がいること。ひとりじゃないこと。

それだけで、気持はこんなにも晴れやかで穏やかで、周りの景色が明るく見える。

世界が180度変わる。

東京に着くと、梅雨らしい曇り空だった。

でも、家に帰ってきたら今まで見たことがないキレイな2重の虹が見えた。

雨上がりの綺麗な虹。

暗く冷たい雨のあとに待っている、綺麗な景色。

それはまるで「苦しいことのあとには幸せが待っているんだよ」という、神様からのメッセージのようだった。

そう、暗く冷たい雨のような日々はもう終わり。

わたしには、この日見た虹のように、色鮮やかな毎日が待っていたんだ。


【充実した夏休み】




修学旅行から帰ってくると、すぐに期末テストがやってきた。

そして、期末テストが終わって試験明け休み。

去年はグループの子達に外され始めて辛かった時期。

だけど、春花ちゃん達とはお泊まり会や修学旅行を機に更に仲良くなって、5人で一緒に映画を観たり、夏休みの終わりにはディズニーシーに行くことも決まっていた。

わたしは、8月の終わりにまたGLAYのライブに行けることも決まっていた。

去年とはうってかわって、楽しみが目白押しの夏休み。

毎日何の不安もなくて、精神的にとても安定した状態。

お祖母ちゃんと買い物に行ったり、ゲームをしたり、大好きな音楽を聴いたり本を読んだりしてのんびり毎日を過ごしていた。


* * *


8月下旬のライブ当日。

今回はファンクラブ限定ということで、みんな1人参加のライブ。

1人参加は既に経験済みだったから、不安はなかった。

立ち見席だから、場内に入ったらすぐに自分の席を確保しなきゃいけない。

どの辺がいいかな…とひとりで歩きながら場所を探していたら、偶然通りかかった女性と目が合った。

「こんにちは」

思い切って挨拶すると、

「こんにちは」

その女性も、優しそうな笑顔で返してくれた。

年齢は、わたしより2、3歳上くらいかな?

ほんわかした雰囲気で、話しやすそう。

一目見て直感で「仲良くなれそう」と思ったわたしは、

「おひとりですか?」

勇気を出して話しかけてみた。

「はい」

「じゃあ、良かったら一緒に観ませんか?」

「ぜひ!」

そしてわたしたちは、一緒にライブを観ることになった。

お互い立見席だから、隣同士の場所を確保すれば一緒に観ることができる。

ライブが始まるまでの間、メンバーの中では誰のファンか、どの曲が好きかなどの話で盛り上がった。

初対面にも関わらず話が盛り上がるのは、同じバンドのファンだからこそだと思う。

前々から、“ライブ会場で知り合った人と友達になった”という話に憧れていたわたしは、すごく嬉しかった。

ライブ中もお互い思い切り楽しんで、ライブが終わった後も一緒に帰った。

帰りの電車の中では、ライブの興奮が冷めやらず、終わったばかりのライブの感想をお互い熱く語り合った。

すっかり意気投合したわたしたちは、別れ際に連絡先を交換した。

彼女の名前は、蒼山(あおやま)沙織(さおり)さん。

年齢はなんとわたしより8歳上で、すでに社会人として働いているという。

初対面の人とこんなに急速に親しくなったのは、初めてだった。

去年は、あんなに人と接することや人が怖いと思っていたのに。

こんな風に、自分から話しかけたことがきっかけで、仲良くなれるなんて…。

思いがけない新しい出会いに感動して、胸の奥が温かくなった。

蒼山さんと別れて電車を乗り換えると、隣の席の人もわたしと同じライブに行った人だったらしく、「ライブの帰りですよね? 実は行きも同じ電車だったんですよ」と話しかけてくれた。

それから、駅に着くまでお互い今日のライブの話で盛り上がった。

残念ながら名前も聞かず、連絡先交換もしなかったけど。

「またどこかでお会いできたらいいですね」

という言葉で別れた。

みんなひとりでの参加だったから、話しかけやすかったというのもあるだろうけど。

こんなに初対面の人とたくさん話せたライブは初めてだった。

きっと、これは去年頑張ったご褒美なんだ。
そう思える、とても素敵な1日だった。


* * *


まだライブの余韻が残る、9月の初めのある日。

わたしはまだ夜が明けきらない時間に起きて、眠い目をこすりながら出かける支度をした。

行先はディズニーシー。

春花ちゃん達とみんなで約束をしていた日だ。

友達と行くのは初めてだったから嬉しくて、まるで遠足前日の小さい子みたいに何度も目が覚めてしまった。

残念ながら、台風が接近していて天気はとても悪かった。

もともと晴れ女のわたしも、この日は雨の力に勝てなかったみたいだ。

だけど、みんなで傘をさしながら園内を歩いてアトラクションに乗って、雨にも負けず風にも負けずワイワイはしゃいで思い切り遊んだ。

お店に入ってお土産を見たり、夜には学校のお昼休みと同じように5人でご飯を食べてガールズトークしたり、1日中めいっぱい遊んで楽しんだ。

帰りの電車の中、心地よい疲労感を味わいながらこの夏休みを振り返った。

楽しいことばかりだった夏休み。

去年の夏休みは、1日1日過ぎていくのが怖かった。

2学期が始まることがたまらなく憂鬱だった。

でも、今年はそれほど憂鬱な気持ちはない。

苦手な授業を受けなくちゃいけないとか、文化祭や体育祭の準備で忙しくなるのが面倒だとか、その程度のことで。

こんなに充実した気持ちで過ごせた長期休みは、高校生になってから初めてだった―。


【文化祭でアオハル】



夏休みが明けると、学校は文化祭と体育祭の準備で忙しい。

わたしのクラスは、イントロクイズをメインにした縁日をすることに決まっていた。

去年よりちゃんと放課後に残って準備を手伝っている。

放課後も去年のようにクラス中でハブられることはなく、春花ちゃんと楽しく過ごせている。

佐倉さんからの小さな嫌がらせ…例えばイントロクイズを作るのにわたしの好きな曲をかけて反応を見ていたり、体育祭のダンス練習で手を繋がなければいけない時にちゃんと手を繋いでくれないということはあるけど。

やることがあまりにも低レベルでいちいち気にするのもバカバカしかった。

それに2年になってすぐ、去年仲良くしていた真野さんの悪口を言っているところを目撃してから、ハッキリ気づいてしまったんだ。

結局一人じゃ何もできなくて、誰かとつるんで人を悪く言うのが好きな子なんだ。

真野さんが退学していなくなったとたんに、今度は真野さんの悪口を言う、その幼稚さを知ってしまったから。

気にするだけ無駄だと思うようになった。



* * *


文化祭当日、クラスの当番が終わったあとは春花ちゃん達と一緒に校内を回った。

たったひとりで時間を潰して過ごしていた去年の文化祭が嘘みたい。

翌週末の体育祭は、当日に春花ちゃんが体調不良で休んでしまうハプニングがあったけど、秋穂ちゃん達と一緒に過ごした。

去年はどうせひとりだからと参加しなかった後夜祭も、4人で一緒に観た。

屋台の食べ物を買って、4人でワイワイ食べながらダンスやバンド演奏を観て、これぞ学祭の雰囲気を味わえた。

去年の学校行事は身を潜めるようにして過ごしていたし、どこにいても落ち着かず疎外感を抱いていた。

でも今は、自然にこの空間にいて馴染んでいる。

友達と呼べる子がいて、一緒に笑っている。

普通に高校生活を送れている。

そんな当たり前のことが、すごく嬉しかった。


【色づいていく世界】




11月に入って、すっかり秋も深まった。

朝晩の空気はひんやりして、かすかに冬の気配がする。

毎日5人で一緒に休み時間やお昼休みを過ごしている。

授業の話、好きな音楽や本の話、昨日観たテレビの話。

毎日、食堂や教室で何気ないことではしゃいで笑ってる。

クラスでも話せる子が増えて、お互い漫画や小説を貸し借りして感想で盛り上がったりしてる。

休みの日は、お祖母ちゃんと一緒に近所のお店へ買い物に出かけて。

お気に入りの歌や本を見つけたら、春花ちゃん達に話す。

そして、夏休みにライブで出会った沙織さんとは、週に1回メールでやりとりをするようになった。

新曲の感想や出演したテレビやラジオの話などで盛り上がっている。

入学当初以来、初めて心から学校を楽しいと思えた。

日曜の夜と月曜の朝の憂鬱な気持ちがなくなっている。

緩やかに穏やかに時間が過ぎていく。

毎日が闘いだった去年の今頃を思い出す。

あの時は毎日が真っ暗で、この苦しみがずっと続くんじゃないかって思ってた。

でも、よく歌の歌詞に出てくる通り。

明けない夜はない。やまない雨はない。

いつか、明るい光は見えるんだ。

わたしが望んでいたのは特別なことじゃない。

こうして、気の合う友達と何気ないお喋りで笑い合ったり、休みの日には遊びに出かけたり。

そんな普通の毎日を過ごしたかっただけ。

穏やかな日々を過ごしたかっただけなんだ。


* * *


やっと訪れた平和で穏やかな毎日。

去年は果てしなく長く感じていたけど、今年は時間の流れが早い。

冬休みが明けると、今度はすぐに合唱祭の練習に明け暮れる毎日。

それと体育の授業で創作ダンスをしていて、修了式の後に優秀なチームが講堂で発表をすることになっていたから、ダンスの練習もあった。

わたしのチームはチア部の子がいたこともあってクラスの代表に選ばれ、昼休みや放課後に練習をしていた。

チームリーダーは、去年も同じクラスで佐倉さんグループの子。

でも、佐倉さんのように嫌がらせをしてくることはなかった。

春花ちゃんとは違うチームで、普段あまり話さないメンバーだから、正直馴染めてない感じがしたけど。

2月中旬に合唱祭を終えると、ダンスの練習で毎日が過ぎて、期末テストがやってきた。

テスト期間中はいつも神経が張り詰めているけど、今回だけは、テンションが高かった。

実は、期末テスト期間中の日曜に、念願だった碧先輩とのライブ参加が決まっていたんだ。

テスト期間中にライブなんて絶対に反対されると思ったから、チケットが取れた後の事後承諾。

ライブに行ったせいで成績が下がったなんて怒られたくなかったから、ダンスの練習で毎日クタクタだったけど、テスト勉強もいつも以上に頑張った。


* * *


ライブ当日。

中学時代からずっと一緒にライブに行きたいと思っていた理世先輩と初めて一緒にライブに行ける喜びで、朝方何度も目が覚めて落ち着かなかった。

地元の駅で待ち合わせて一緒に会場に向かう。

電車の中で、今日はどんなライブになるんだろうとワクワクしながら話をしていた。

最近ひとり参加が多かったから、こんな風に誰かと話しながら一緒に会場へ行けることが嬉しかった。

会場に着いてグッズを買って開場待ちの列に並ぶ。

いつものライブ参加のパターン。

待ってる間、3月とはいえ、まだ肌寒い風が吹き抜けていた。

開演してしまえば瞬く間に時は過ぎてしまうのに、こうして待っている時間は妙に長く感じるから不思議だ。

やっと開場時間になって、自分の席へ着く。

一歩場内に入った瞬間から、異空間だった。

いつもなら開演するまで明るいはずの場内は暗くなっていて、青いライトに包まれている。

聞こえてくるのは鉱山の中のような深海の中のような不思議な効果音。

まるで遊園地のアトラクションに乗っているような雰囲気だった。

不思議な空間の中でみんな今か今かと始まる瞬間を待ちわびている。

そして開演時間になり、青いライトが消えて完全に場内が暗くなった瞬間。

会場中が総立ちになり、大歓声が起きた。

理世先輩にとっては初めてとなるライブ。

時々顔を見合わせてノリ方を確認しながら、約2時間半の夢のような時間は終わった。

先輩は初めてのライブに大満足のようだった。

やっぱりステージから遠い席だったけど、それでもあの一体感とあったかい雰囲気を理世先輩と味わえただけで本当に嬉しかった。

帰りの電車の中ではお互い大興奮でライブの感想を語り合った。

地元に着いた途端に現実に引き戻され翌日、期末テスト最終日。

ライブの興奮が醒めない頭でなんとか全部のテストを終えた。

ライブに行けるからといつも以上に頑張ったおかげで、2年生になってから一番良い結果だった。

試験明け休みはゆっくりしようと思っていたのに、ダンスの練習で学校に行くことになった。

修了式の日、講堂での発表が終わって、ようやく長かった練習漬けの毎日から解放された。

そして春休み。

わたしは4月の初めに、今度は沙織さんとライブに行くことになっていた。

ずっとメッセージのやりとりはしていたものの、直接会うのは初めて会った去年の夏以来。

当日の朝、会場最寄り駅で待ち合わせ。

2人で近況報告やバンドの話で盛り上がって、グッズを買った後はランチタイム。

雑誌にも載っているという有名なお店に連れて行ってもらって、のんびり外の景色を見ながらお喋りをした。

開演時間までまだ時間があるということで、隣の駅まで足を伸ばして都内を散策。

そして夕方には、雑誌に載っているという有名なクレープ屋さんでクレープを食べた。

お店を出ると、日が傾き始めていた。

春の夕暮れは柔らかい空気と空の色。

徐々にライブの時間が近づいている。

会場には開場待ちの列ができている。

朝来た時は1日長いなと思っていたけど、あっという間にもうすぐ開演の時間だ。

今日が終わったら…春休みもあと数日で終わる。

そして、わたしはついに受験生になる。

そう考えたら、なんだか切なくなった。

今度のライブは参加できないかもしれないのかな。

わたしのことだから、受験日と重ならない限り、きっとまた事後承諾で行くんだろうけど。

2度目の沙織さんと一緒に観たライブは最高に楽しくて、すでに先月参加していたからか、一瞬で終わってしまったような気がした。

「またライブであいましょう」

別れを名残り惜しく感じながら、そう言ってそれぞれの帰路へ。

帰りの電車の中で、わたしはライブの余韻に浸っていた。

あと数日で高校2年生が終わる。

この1年を思い返したら、楽しいことばかりだった。

笑顔の多い1年だった。

去年は、こんな素敵な時間が訪れるなんて思っていなかった。

春花ちゃん、秋穂ちゃん、雪ちゃん、夏希ちゃん、沙織さんとの出会い。

わたしの世界は、新しい出会いによって鮮やかに色づき始めている。

そう、それはまるで緑が芽吹き、花が色鮮やかに咲き乱れる春のように。

すべての色を失ってモノクロームだった私の心が、カラフルに彩られていく―。



第3章
【桜舞う新学期】



新学期、新しい空気に包まれて校舎へ向かう。

クラス分けのプリントを見ると、わたしと雪ちゃんが同じクラス。

そして、春花ちゃんと秋穂ちゃんが同じクラス。

さすがに4人同じクラスはないか。

さぁ、教室に行こう。

―――………

目に映ったのは自分の部屋の景色。

どうやら、クラス替えの夢を見ていたみたい。

でも、あまりにもリアルだった。

もしかしてあのクラス替え、ホントになったりして……。


* * *


翌日の朝、まだ数日前のライブの余韻が残ったままわたしは学校へ向かった。

「おはよう~」

「おはよう」

校門で春花ちゃん達と待ち合わせて校舎へ向かう。

「クラス替えどうなってるかな?」

「わたし、昨日夢で見たんだけど。わたしと雪ちゃんが同じクラスで、春花ちゃんと秋穂ちゃんが同じクラスだったの」

わたしがそう言うと、

「そうなの? じゃあ、よろしくね、春花ちゃん」

秋穂ちゃんが笑顔で春花ちゃんに言った。

「でも、夢だからね。ホントかわかんないよ」

なんて言いながら校舎に行ってクラス分けのプリントをもらう。

ドキドキしながら自分の名前を探すと、わたしは去年と同じA組。

そして雪ちゃんもわたしと同じA組。

春花ちゃんと秋穂ちゃんが隣のB組だった。

そう、わたしが夢で見たクラス分けと全く同じ。

「萌ちゃん、すごいね! ホントに夢の通りだよ!」

雪ちゃんが興奮気味にわたしに言う。

「ホントだね、わたしもビックリだよ」

まさかホントになるなんて……。

そのあと5人で話しながら教室へ向かった。

わたしのクラスは、去年に引き続き岡崎先生が担任。

クラスをざっと見回すと、去年同じクラスだ
った子が多い。

見た感じ、絶対タイプが合わなそうっていう子はいない。

佐倉さんは文系コースから総合コースに進路を変えて、クラスが別になっていた。

やっと離れることが出来て、正直心底嬉しかった。

ホームルームと始業式を終えて、早くも帰りの時間。

わたしたちはまた5人で集まって一緒に帰った。

外に出ると、グラウンドの桜が見事に満開になっていた。

あまりにもキレイで、わたしたちは思わず立ち止まる。

「ねぇねぇ、ちょっとお花見してこうよ!」

雪ちゃんが嬉しそうにグラウンドに走っていく。

わたしたちも雪ちゃんの後に続いて、誰もいないグラウンドへ。

風に舞って、はらはらと落ちる桜の花びら。

「花びらつかまえられない~」

風に舞う花びらを子供みたいにつかまえようとする雪ちゃん。

「春だね~」

しみじみつぶやく秋穂ちゃんとすみれちゃん。

黙ってみんなの様子を見ている春花ちゃん。

5人で、学校の校庭でお花見。

桜吹雪の中、友達と制服姿で笑い合っている。

それはまるでドラマのワンシーンみたいだった。

こんな風に5人で心から笑い合えたのは、この日が最後だった。



【変わる友情】




きっかけはなんだったんだろう?

今でもはっきり思い出せない。

でも、1年間一緒に過ごして、お互いの性格がだいぶわかってきて。

少しずつわたしたちの心に変化が訪れていたのかもしれない。

受験生ということもあって、選択の授業も増え、わたしは春花ちゃん、秋穂ちゃんと一緒の授業が多かった。

最初は休み時間に何気なく雪ちゃんの話題が出ただけなんだけど…。

「雪ちゃんって、自分でも言ってたけど、やっぱりちょっと変わってるよね」

「うんうん。なんか結構話がかみ合わない時あるし」

「話してることもなんかちょっと変だよね」

話し始めたら、予想以上に3人でどんどん盛り上がっていた。

雪ちゃんは、よく言えば無邪気で純粋。

でも、それは時として幼すぎて呆れてしまう部分でもあった。

そんな独特のキャラが、5人の中でも少しずつ目立ち始めていた。

3人で雪ちゃんの話で盛り上がるようになってから、わたしたちは雪ちゃんの言動や仕草が今まで以上に気になるようになった。

昼休みや休み時間、雪ちゃんが席を外した時に「さっきのウケたよね~」なんて言い合うようになっていた。

“この子の独特のキャラにはついていけない、わたしたちには合わない”

今まで内心では思っていても、友達だからと口にするのを避けていたこと。

それが、ふとしたはずみで解禁された。

3人とも実は同じ気持ちだったことを知り、一種の連帯感が生まれて、3人で雪ちゃんの話をするのが楽しくなっていた。

雪ちゃん抜きで3人でいる方が楽しいと感じるようになっていた。

夏希ちゃんも、お昼休みや休み時間を理系クラスの友達と過ごすようになって、少しずつ5人の絆はゆるみ始めていた。


* * *


春花ちゃん、秋穂ちゃんとの3人での居心地がよくなってしまったことで、わたしたちは日に日にある気持ちが強くなっていた。

“雪ちゃんと離れたい”―。

特に、中学時代から雪ちゃんと仲良くなり、一番つきあいの長い秋穂ちゃんは、その気持ちが強かった。

秋穂ちゃんは、わたしや春花ちゃん以上に雪ちゃんの独特のキャラに振り回されていて、ストレスがたまっているようだった。

「どうしようか?」

「もうそろそろ限界だよね…」

そして、5月のある日。

ついに、わたしたちは雪ちゃんと話し合う決断をした。

昼休み、食堂にいつも通り4人で集まった。

どう切り出そうか。

3人で目配せして、少しの間沈黙が続いた。

さすがに、いつもと様子が違うことに気づいた雪ちゃんが「どうしたの?」と訊いてきた。

「あのね…」

わたしは遠慮がちに口を開いた。

「最近ちょっと雪ちゃんとは考え方とか合わない部分があって…」

「そっか、わかった。気をつけるようにするわ」

雪ちゃんが、そんなに気にした様子もなく明るく言う。

「いや、気をつけるとかそういう問題じゃなくて……」

やっぱり雪ちゃんには理解できてないんだ。

「その…雪ちゃんとは性格的に合わないっていうか…」

わたしは言葉を選んで慎重に話した。

「どうすればいいの? わたし、頑張るから……」

少しずつ深刻な雰囲気を察したのか、雪ちゃんが真剣な表情で言った。

どうしよう。なんて言ったらいいんだろう。

わたしが考えていたら、

「頑張るって言われても、わたし、もう雪ちゃんと一緒にいるの無理なの」

いつも大人しくて控え目な秋穂ちゃんが、珍しくキツイ口調で言った。

ずっと仲良くしてきた秋穂ちゃんのその一言は、雪ちゃんにとってかなりきいたみたい。

「…そう…なんだ…」

ひどく落ち込んだ様子で先に教室へ戻って行った。

その姿が、1年生の時にグループの中で欠点を指摘されたわたしの姿とダブって見えた。

もしかしたらあの時、玲ちゃん達もこんな気持ちだったのかな……。

ふと、そんなことを思った。

翌日、秋穂ちゃんに絶縁宣言された雪ちゃんは、昼休みに自分から食堂ではなく部室へ向かって、ひとりでお弁当を食べるつもりのようだった。

「昨日、秋穂ちゃんよく言ったね~」

3人で食堂に集まってお昼ご飯を食べながら、昨日の話で盛り上がった。

「秋穂ちゃんがあんなにハッキリ言うなんて思わなかったよ」

「雪ちゃんかなり落ち込んでたよね」

色々話していたら、あっというまに予鈴が鳴
った。

教室へ戻ろうと廊下を春花ちゃんと歩いていたら、偶然部室から戻ってきたらしい雪ちゃんに会った。

雪ちゃんは、目が合うとわたしと春花ちゃんのところへ来て、すがるように言った。

「ねぇ…わたし、どうしたらいいのかまだよくわからないけど、頑張るから…」

昨日と同じセリフ。

「雪ちゃん…」

必死な姿に、また1年生の時のわたしとダブって胸が痛む。

一方、春花ちゃんは無言のまま憮然とした表情で窓の外の景色を見つめている。

全く雪ちゃんと目を合わせようとしない。

……怒ってる。

わたしは、初めて春花ちゃんが怒っているところを見た。

“わたしも、もう雪ちゃんとはつきあえない”と言いたいのが、その態度でわかった。

春花ちゃんにも絶縁を態度で示された雪ちゃんは、最後の砦というように同じクラスのわたしに頼ってくるようになった。

雪ちゃんと離れたいという気持ちはあるものの、グループからひとりだけ外される辛さを知っているわたしは、雪ちゃんを完全に突き放すことが出来ずにいた。

突然友達から突き放されてショックな雪ちゃんの気持ちは、痛いほどよくわかる。

でも、雪ちゃんの幼くてすぐに人を頼るところや、空気の読めないところ、独特のキャラにつきあうのに疲れて、離れたいと思ういっちゃんや秋穂ちゃんの気持ちもよくわかる。

どちらの立場もわかるだけに、両方の気持ちに引っ張られて、わたしは心の中でひとり葛藤していた。

わたしは、ひとりでお弁当を食べる辛さや、休み時間や授業で孤立する辛さを身をもって経験している。

雪ちゃんに同じ思いを味わわせたくない。

同じ痛みを知っているのに、自分の立場を守るために同じ目に遭わせるような人になりたくない。

どうすればいいんだろう。
どうしたらいいんだろう。

悩んで悩んで、秋穂ちゃんに夜中までメッセージアプリで相談した日もあった。

悩んだ末、わたしは雪ちゃんに言った。

「わたしも前に同じようなことがあったから、雪ちゃんの気持ちはよくわかるんだ。でもね、雪ちゃんにはもうちょっと精神的に大人になってほしい。正直言って、雪ちゃんが今の状態のままなら、やっぱりわたしも雪ちゃんと一緒にいられない」

それが、わたしの出した答えだった。

この選択が正しかったのかは、わからないけれど。

両方の立場に立って真剣に悩んで考えて出した、精一杯の答えだった。



【高校最後の夏休み】




期末テストが終わって、高校生活最後の夏休みが始まった。

わたしは、夏休み初日に沙織さんとディズニーランドに行くことになっていた。

「ライブ以外でも遊びたいですね」なんて話していたことが実現したんだ。

当日は、気持ちのいい快晴。

写真を撮ったりアトラクションに乗ったり、閉園まで楽しい時間を過ごした。

沙織さんは社会人ということで、同い年の友達より落ち着いた感じだから、一緒にいて安心できる。

ひとりっ子のわたしには年の離れたお姉さんの様な感じ。

閉園まで遊んで帰りはクタクタだったけど、夏休み初日に早くも楽しい思い出が作れた。

翌日の午後は、明清女子大学のオープンキャンパスに参加した。

お祖母ちゃんが一緒に付き添ってくれて、キャンパス内を見て回った。

女子校というのは今と変わらないし、自然が多いところも緑野女子と似ている。

歴史のある由緒正しい雰囲気の大学。

お祖母ちゃんは学校の雰囲気をとても気に入って、「いい学校じゃないの。合格出来るように頑張りなさい」と言ってくれた。

家族はみんなこの学校を受験することに大賛成だった。

夏休み最後の日、秋穂ちゃんからメールが来た。

【明日から学校だね。萌ちゃん、体育祭の係で雪ちゃんと一緒だけど大丈夫?】

【大丈夫だと思うよ。普通のクラスメートとして接すればいいことだし】

わたしは、クラスの係で雪ちゃんと同じ体育祭の鈴割係になっていた。

3年生になってすぐに決めたから、当然の様に友達として一緒の係を選んだ。

あの時はこんなことになるとは思っていなかったな。

でも、一緒の係である以上は、普通にクラスメートとして接するようにしようと思っていた。

雪ちゃんと離れたかわりに、秋穂ちゃんとの仲は去年より深まっていた。

明日から、また学校が始まる。

いよいよ、受験も始まる。

この時は、まだ受験が私達にとって大きな波になるなんて思っていなかった。


【涙と笑顔の学院祭】


夏休みが明けると、文化祭と体育祭の準備に追われる毎日。

今年は高校生活最後の学祭だから、いつも以上にみんなが張り切っている。

そして、文化祭が終わるとすぐに体育祭。

体育祭は、3年生のダンスと鈴割が毎年の見せ場。

特に、扇子を使って制服のスカートを着て踊るダンスは、藤華女子の体育祭の伝統だ。

3年生になるとすぐ体育の授業で練習が始まっていた。

そしてもうひとつの見せ場が鈴割。

クラスごとに中に垂れ幕を入れた鈴を作って玉入れの玉を投げて割る出し物。

わたしと雪ちゃん、春花ちゃんと秋穂ちゃんでそれぞれ鈴割の係になっていた。

放課後に残って鈴作りをすることになっているけど、さすがに受験が近づいてきて、塾や予備校に通う人が増え始めて残ってくれる人は少なくてなかなか進まない。

人数が少ない中で鈴作りをしていたある日。

雪ちゃんとは同じ係のクラスメートとして接していたつもりだったけど、ふとしたことから秋穂ちゃん達と離れることになった時の話になった。

「萌ちゃん、わたしに精神的に大人になって欲しいって言ってたけど、大人になるってどういうこと? わたしにはやっぱりわからないよ」

「………」

多分、何を話しても雪ちゃんには伝わらないだろうと思った。

わたし達と離れてからの雪ちゃんの様子を見てきたけど、1年生の時のわたしと決定的に違うのは、雪ちゃんにはある程度話せる親しい子が結構いるということ。

たとえうわべだけのつきあいで、相手が本当は雪ちゃんと仲良くするのを嫌だと思っているかもしれなくても、わたしみたいに完全に孤立している感じではなかった。

それに、わたし達が直してほしいと思っているところを直そうと努力している様子もなく、開き直っているだけのように見えた。

「自分の欠点と向き合うのは嫌かもしれないけど、もっと真剣に自分と向き合って考えたら?  わたしは1年生の時に、ホントにひとりぼっちになって自分の欠点と向き合ってきたんだ。雪ちゃんは本当にひとりになったことないからそうやって甘えていられるんだよ」

今まではひとりになる辛さを知っているからと雪ちゃんの気持ちに寄り添っていたわたしも、「甘えないで」という気持ちが強くなっていた。

「そんなこと言われたって、わたしは萌ちゃんみたいに強くないもん……」

雪ちゃんはついに泣き出してしまった。

近くにいた子達が何事かとわたしたちを見ている。

わたしだって強いわけじゃない。

でも、負けたくなかったから必死に変わる努力をして、新しい人間関係を築いた。

誰だって、自分の弱さや欠点とは向き合いたくない。

自分自身にちゃんと正面から向き合う勇気を雪ちゃんに持って欲しかった。

でも、きっと雪ちゃんにはわかってもらえないんだ。

その日を境に、わたしは雪ちゃんと話さなくなった。



* * *


体育祭当日。天気は生憎の曇り空。

わたしは沙織さんを招待して、学校に来てもらっていた。

午前中の競技が終わり、昼休み。

春花ちゃんと秋穂ちゃんに沙織さんを紹介した。

短い時間ではあったけど、食堂で沙織さんとも話が出来て嬉しかった。

そして、午後にはついに3年生の見せ場のダンス。

この半年間、ずっと授業で練習して、夏休み明けからは朝も早く集まって練習していた。

ついに本番が始まる。

入場の音楽が流れてそれぞれの場所へ。

代表の子が、指導してくれた先生に一言話したあと、音楽が流れて本番が始まった。

みんなが気持ちをひとつにして踊り、ダンスは大成功。

大きな拍手をもらって退場したあと、すぐにまたグラウンドに戻って先生に花束を渡す。
そして今度は鈴割が始まった。

クラスごとに集まって作った鈴に玉を投げて、みんなで鈴を割る。

全クラスの鈴が割れると、マイムマイムが流れ始める。

最初はクラスのみんなで踊って、だんだん輪が広がって最後には学年みんなで手を繋いで踊る。

これも、毎年3年生がやっている伝統だ。

みんなで手を繋いで中心に集まって笑顔で手拍子をして、最後の学祭を楽しんでいる瞬間だった。

全ての競技が終わって片付けをしたあとは、後夜祭。

去年は春花ちゃんと一緒に見られなかったけど、今年は春花ちゃん、秋穂ちゃんと3人で一緒に見た。

それは、これから訪れる受験の波に飲まれる前の、楽しい時間だった。



【受験と友情】



学園祭が終わると、一気に受験シーズンが到来。

推薦組は11月から面接が始まるため、面接の練習やH.R.で受験対策講義などが行われるようになった。

学園祭前に指定校推薦が取れていたわたしは、面接に備えて準備を始めた。

クラス内でも、「指定校?公募? 一般?」なんて会話が頻繁に飛び交うようになっていた。

「あの子はどこを受けるんだろう?」という探り合いの目も感じ始めていた。

それまで受験の話をあまりしていなかったわたし達も、昼休みに推薦なのか一般なのか話すようになった。

学校名まではまだ言わなかったけど、わたしと春花ちゃんは推薦、秋穂ちゃんは一般で外部大学を受験。

でも、緑野女子は附属大学があるから、全体的に受験と言ってもそれほどピリピリした感じではなかった。

先生達も落ち着いて見守ってくれている様子だった。

11月に入って、いよいよ指定校と公募推薦の面接が目前に迫ってきた。

わたしも含め、推薦組は緊張感に包まれていた。

そして、この頃から秋穂ちゃんの様子が変わり始めた。

昼休みに一緒にいてもどこか上の空で、口数も少なくなった。

あまり笑わなくなったし、ほとんどわたしと春花ちゃんの2人で話をしている状態。

「最近、秋穂ちゃんの様子おかしいよね?」

「やっぱり春花ちゃんも思ってた?」

「うん。やっぱりうちらが推薦だから気にしてるのかな」

「そうかもね…」

「なんかあるなら相談してくれればいいのにね」

帰り道。わたしはいつも途中まで春花ちゃんと一緒に帰っているから、2人で歩きながらそんな話をした。

秋穂ちゃんの様子は日に日に変わり、しゃべらないどころか時計を見てはそわそわしたり、顔を机に伏せてかなり落ち込んでいる雰囲気だったり。

たまりかねてわたしが「何かあったの?」と聞いても、「別に…」と言うだけで、何も話してくれない。

ついには、昼休みの途中で教室に戻ってしまうようになった。

「何なんだろうね?」

「何かあるなら友達なんだから話してくれればいいのに」

突然変わってしまった秋穂ちゃんの態度に、わたしたちは戸惑うばかりだった。

思い当たるのはのは進路や受験のこと。

受験を機に、今度は秋穂ちゃんとの仲がすれ違い始めていた。


* * *


11月下旬。ついにわたしの指定校推薦の面接の日がやってきた。

面接はそんなに長い時間をかけることもなく、特に大きな失敗もなく無事に終わった。

数日後、担任から封筒をもらって中を開けると、合格通知が入っていた。

「高村さん、おめでとう。合格です」

「ありがとうございます!」

見事第一志望校に合格が決まったわたしは、一気に力が抜けた。

これであとは卒業を待つのみだ。

その後、春花ちゃんも第一志望校に推薦で合格。

そして、一般受験と言っていた秋穂ちゃんも、12月の頭にはAO入試で合格が決まった。

晴れて3人とも進路が決まったことで、お互いの大学名もカミングアウト。

春花ちゃんは男女共学の大学、秋穂ちゃんはわたしと同じく女子大だった。

昼休みにはそれぞれの大学のパンフレットを見せ合ったりした。

一時期は明らかにおかしかった秋穂ちゃんも、受験が終わって様子が戻った。

そしてまた3人で食堂でくだらない話で盛り上がったりわたしの家で遊んだり、残り少ない高校生活を満喫していた。

あと3か月で高校生活が終わる。


【卒業まで、あと少し】




冬休みが終わって年が明けると、学校は完全に受験モード。

推薦で進路が決まっている生徒については、新たにクラス決めをして特別授業として通常の授業とは違う内容で4時間の半日授業を行う。

わたしと春花ちゃん、秋穂ちゃん、3人は特別授業組だった。

授業が終わったあとは、食堂でお昼ご飯を食べながらお喋り。

もう午後の授業はないから、好きなだけ話していられる。


あとわずかになった高校生活。

春花ちゃん、秋穂ちゃんとはできるだけ一緒に楽しく過ごしたかった。

でも…やっぱり、また秋穂ちゃんの態度が変わり始めた。

話しても妙にそっけない感じがする。

「お昼一緒に食べて帰ろう」と誘っても、「今日は予定があるから」と言って断られる。

それなのに、他の子と食堂に来てお昼を食べているのを目撃したこともあった。

受験の時から様子がおかしいと思ってはいたけれど、はっきり理由も話してくれず、秋穂ちゃんが何を考えているのかわからなかった。


わたしは秋穂ちゃんのことを春花ちゃんと同じように一番の友達だと思っている。

だから、何かあるなら正直に話してほしいし、悩みがあるなら話してほしかった。

友達として頼ってほしかった。

授業が始まって数日経ったある日、授業が終わったあとに思い切って3人で本音トークをした。

秋穂ちゃんは、私と春花ちゃんが去年からの友達だからふたりで盛り上がっていてちょっと入りづらいと感じていたようだった。

お互い最近気になっていたことを話し合えてスッキリした。

それから数週間、高3の最初の時のような雰囲気に戻って、授業後は毎日食堂で話をした。

久しぶりに夏希ちゃんと一緒にお昼を食べた日もあった。

そして1月いっぱいで授業は終了。

2月は合唱祭と卒業式予行以外は休み。

卒業記念にと、2月の初旬に久しぶりに雪ちゃん以外のメンバーでディズニーランドへ出掛けた。

真冬の寒さも気にせず久しぶりに大はしゃぎした。


2月下旬。私は高校生活最後に最高のプレゼントをもらった。

いつも何よりも心の支えにしていた大好きなGLAYのライブ。

ホール規模といういつもよりかなり小さな会場のチケットが当たって、それも8列目という今までで一番ステージに近い席で、今回の相方も沙織さん。

初めて間近で見たメンバーの姿にふたりとも大興奮&大感動。

みんなキラキラと輝いていて、まぶしくて。

でも、親しみのあるほのぼのとした雰囲気。

本当に夢を見ているような時間だった。

何度励まされ、何度救われたかわからない。

クラスでひとり戦えたのも、勉強を頑張れたのも、全部彼らのおかげ。

これはきっと、辛いことがあっても負けないで頑張ったご褒美。

卒業直前に最高の思い出が作れて最高に嬉しかった。

高校の卒業式は3月2日。

卒業まで、あと少し。



【旅立ちの日に…】




3月2日。

今日、わたしは緑野女子学院を卒業する。

いまいち卒業を実感できずにいるけれど。

卒業式の会場は、学校から20分くらい歩いたところにある市民会館。

会場までの道を、春花ちゃん、秋穂ちゃんと3人で歩いた。

こんな風に制服で一緒にいられるのも今日で最後だ。

会場に着いてクラスごとに並んで、いよいよ卒業式が始まった。

みんなで、この学校ではお馴染みの仏教歌を歌い、校歌を歌う。

クラスごとに担任が一人ずつ名前を呼ぶ。

知ってる子、知らない子、仲良くなった子、離れてしまった子、苦手だった子。

もう、この中のほとんどの子達とは会わなくなるだろう。

わたしのクラスの番になり、自分の名前が呼ばれるのをドキドキしながら待っていた。

「高村 萌」

「はい」

大きな声で返事をして立ち上がる。

卒業式は厳粛な雰囲気の中無事に終わった。

式が終わって学校に戻ると、今度は食堂でお別れの会。

クラスごとに用意されたお弁当を食べながら、みんなで乾杯して歓談。

先生たちから歌のプレゼントがあって、最後にはみんなで『さくら』を大合唱。

泣き出す子、思いきり笑顔で歌う子。

色々な思いが溢れている。

最後に飛び交ったピンクのハート型風船が、歌の通りまるで桜の花びらのように揺れている。

高3の始業式の日に、5人で笑いながら校庭で見た桜を思い出す。

もう二度とあの日には戻れない。

そう思ったら、なんだか切なくなった。

先生方の拍手に包まれて、卒業生が退場。

それぞれの教室に戻って、最後のホームルームのあとクラスは解散になった。

最後にわたしは、担任の岡崎先生、春花ちゃん、秋穂ちゃん、夏希ちゃんと写真を撮った。

雪ちゃんとは、体育祭の頃からほとんど話さなくなっていて、最後も言葉を交わさず別れてしまった。

夏希ちゃんは理系クラスで新しい友達関係を築いて、その子達と一緒に過ごしていた。

ずっと仲良くしてきた秋穂ちゃんも、本音トークをしてから元に戻れたように思えたけどやっぱりどこか気持ちがすれ違ってきていた。

今日が最後だから一緒に帰りたかったけど、他の友達と話しこんでしまっていた。

結局わたしは、2年生の時からずっと一緒に過ごしてきた春花ちゃんと2人で一緒に帰ることになった。

出会って仲良くなれても残念ながら気持ちが離れてしまった子が多かった中で、最後まで心から信じ合い、仲良くいられたのは、春花ちゃんだった。

「もう制服でこの道を歩くの最後だね」

「うん。なんか切ないよね」

しんみり話していたらあっというまにいっちゃんと別れる場所に着いた。

「じゃあ…またね」

「うん。またね」

さよならじゃない。

卒業してもきっと、春花ちゃんとはずっと友達でいられると信じているから。

そしてわたし達は、それぞれの道へ歩き出した。

毎朝歌った仏教歌。

苦手だった授業。

好きだった授業。

休み時間のおしゃべり。

食堂でくだらないことで大笑いした昼休み。

いつも裏門から春花ちゃんと一緒に歩いた帰り道。

もう全部今日で最後なんだ。

たったひとりになっていじめと必死に闘った1年生。

新しい出会いに楽しいことだらけだった2年生。

受験という大きな波と友達関係の難しさを知った3年生。

振り返ればあっという間の3年間だった。

もし1年生の時にあきらめていたら、この日は迎えられなかった。

学校から逃げ出したくて、自分の存在を消したかったあの頃のわたしを思い出す。

生きるって、楽しいことばかりじゃない。

辛いこともたくさんある。

だけど、苦しみを乗り越えたら前より強い自分になれる。

新しい世界が待っている。

だから必死に闘っていたあの頃のわたしに、今、教室で闘っているあなたに伝えたい。

あきらめないで、生きること。



第4章
【新人行員の悩み】


今日も読者ゼロか。

朝の通勤電車の中、スマホを見ながら心の中でため息をつく。

今私が見ているのは、小説投稿サイト

『novelove』(ノベラブ)のマイページだ。

家族にも友人にも内緒で作品投稿を始めて約一ヵ月、PV数はわずか二桁、読者ゼロ。

SNSでも投稿サイトで活動していることは宣伝してないからか、全く読まれている気配がない。

私の夢は、作家になることだ。

小学生の頃からずっとなりたいと思ってきた。

簡単になれるものじゃないということはわかっている。

誰もがなれるものじゃないということもわかっている。

それでも “いつかなれる” と思い続けている。

だから、定時で上がりやすく土日が休める事務職に就いて自分の時間は作品執筆をしようと思って今の仕事を選んだ。

だけど、現実は……

「今日は業後に新商品の勉強会があるので、高村さん参加してください」

朝礼で部長から今日の連絡事項として告げられた言葉に、内心「定時で帰りたいのに」と思う。

まだ入行して数ヶ月の私は、新人向け研修や支店での勉強会などスケジュールがぎっしり。

学生時代、勉強は苦手な方ではなかったけど(むしろ文系の成績はかなり良かったけど)、慣れない環境の中、慣れない専門用語で交わされる研修や勉強会は覚えることが多すぎて頭の中がパニック状態だ。

それでも来月からは窓口に出て接客をしなければいけない。

まだまだ商品知識事務知識もないし、電話対応も緊張してばかりの状態で大丈夫なのかと今から不安で仕方がない。


* * *


「ただいま~」

勉強会を終えて自宅に着いた時には19時を過ぎていた。

「おかえり」

「もうすぐごはん出来るから早く着替えてきなさい」

家に帰ると、迎えてくれたのは母と母方の祖母。

今は親子3世代の3人暮らしだ。

自分の部屋で部屋着に着替え、テレビを見ながら3人で夕飯を食べていると、

『あなたはちゃんと答えられますか?円高・円安ってなに?』

何気なく聞こえてきた言葉に思わず反応してしまう。
 
「これ、新人研修でやったな~」

思わずそう口にすると、

「萌が銀行に就職したなんて、お祖父ちゃんが生きてたら大喜びしてただろうね」

祖母がしみじみと口にした。

「え、そうなの?」

「そうよ。お祖父ちゃんは経理の仕事してたし色々な銀行に取引があったからね」

「そっか、そうだったんだ」

小さな頃から一緒に暮らしていたのに、祖父から仕事の話を詳しく聞いたことはなかった。

いわゆる思春期と呼ばれる年齢になってからは、祖父とは口喧嘩ばかりしていて、仕事の話なんて聞こうとも思わなかった。

「あと1年生きててくれたら、萌の銀行の制服姿見られたのにね……」

寂しそうにつぶやく祖母の言葉に、少し切なくなった。

祖父は1年前、私が大学4年の春に病気で亡くなってしまったから。

途中からウザいとばかり思うようになっていたけど、せめて銀行の制服姿見せてあげたかったな……。


* * *


夕飯を食べ終えてお風呂に入り、自室のベッドで横になりながらnoveloveにアクセスする。

相変わらず、わたしの作品は読者ゼロでPVもほとんど動いていない。

「どうしたら読まれるんだろう……」

思わずつぶやきながら、トップページにあるランキングを見る。

総合10位内の作品は、総長・暴走族・溺愛という言葉がタイトルやキーワードに散りばめられている。

noveloveの作品では大人気のワードだ。

ためしに1位の作品を数ページ読んでみたけれど、「小説」というよりは「ブログ日記」のような文章に自分とは全く無縁の世界の話で自分の好みではなかった。

「サイトの小説って、なんかイメージ違うんだよなぁ……」

再びひとりごとをこぼしながらため息をつく。

中学生の頃から小説家になりたいという想いで小説を書いていた私は、具体的に行動に移す勇気がないまま時が過ぎていき、愛読していた少女小説文庫が廃刊になってしまった大学生の頃にネット小説の存在を知った。

だけど、書籍やサイト内でヒットしている作品は10代向けの小説と言いながら普通の中高生が経験するような恋愛ではなく、自分の好みとは全然違うのだ。

それでもネットの広告で偶然見つけた「novelove」にたどり着き、客観的に見て自分の作品はどんな印象なのか知りたい気持ちもあって作品公開したものの、ただ公開するだけでは全く読まれないことを痛感している。

(やっぱり他の人の作品に感想とか残して交流しないとダメなのかな…)

正直、ネット上で見ず知らずの人とやり取りすることに抵抗感がある私としては、他人の作品に感想やレビューを残すことはかなり勇気がいることだ。

(サイトでたくさんの人に読んでもらうって難しいんだな)

そんなことを考えながら、明日の仕事に備えて眠りに就いた。


 * * *


夏の訪れを感じる7月、私はついに窓口デビューを果たした。

初めは指導員の先輩が隣についてくれて制服には実習中バッチもつけているとは言え、まだまだわからないことだらけで、とてもひとりで全てをこなすことはできない。

落ち着けば覚えていてわかるはずの事務手続きや商品知識も、いざお客様を前にすると緊張してパニックになってわからなくなってしまうことが何度もあった。

接客は大学時代のアルバイトで経験があるとはいえ、まるでジャンルが違うし、求められるレベルも違う。

そんな重いプレッシャーと高い緊張感と戦いながら日々目の前のお客様を捌くことで必死だ。

そして窓口に出始めて2週間が経つ頃には隣に先輩がつく期間が終わり、ひとりで窓口に立つようになった。

「わからなければ後ろに下がって訊いていいから」と言われているものの、やはり隣に先輩がいる安心感があるのとないのではまるで違う。

それでも「やるしかない」と覚悟を決めて頑張っていたある日のこと。

「いらっしゃいませ」

必死に笑顔を作り、お客様をお迎えした瞬間。
 
「またあなたなの?」と不機嫌そうな顔で言われてしまった。

年齢は60代くらいの女性だけど、私は全然そのお客様のことを覚えていない。

明らかに怒っている様子のお客様にどう対応していいかわからず、一瞬他の先輩や上司に替わってもらうことを考えたけれど、ちょうどお店が混雑していて、みんな忙しそうに動き回っている。

ここはひとりで乗り越えるしかない。

そう言い聞かせて、なんとか受付を終え、お客様がお帰りになったあと。

「高村さん、この書類もらい方違うよ」

後方事務担当の先輩に指摘され、お客様に連絡をすることになってしまった。

さっき散々イヤな態度を取られていたから正直もう関わりたくなかったけれど、不備を出してしまった以上はまずは私から連絡をしなければいけない。

意を決して電話をするとお客様はすでに自宅に戻っていたようで、ご本人が電話口に出た。

まだ慣れない不備対応にしどろもどろになりながらも、なんとかもう一度ご来店をお願いしたいことを伝えると、案の定お客様は再び怒りだし、「なんであなたみたいな人が窓口に出てるの? あなたなんか大嫌い! 近寄らないで!」とヒステリックに怒鳴られてしまった。

これはもう新人の私では対応できないと判断し、半泣き状態で部長に電話を替わってもらった。

電話を終えたあと、部長からお客様があれだけお怒りになっていた理由を聞いた。

実は前にも私が受付をしたことがあり、その時は不備はなかったものの、とても時間がかかって内心かなりご不満だったそうだ。

私としては1回目の受付も2回目の受付も、自分なりに一生懸命受付をしていたつもりだ。

決してわざと時間をかけて受付をしたわけでもなければ、わざと不備を出してしまったわけでもない。

だからこそ「なぜそこまで言われなくちゃいけないの?」という気持ちがこみ上げて、悔しくて仕方なかった。

その後、なんとか1日仕事を終えたけれど、帰る前に更衣室で号泣してしまった。

たった2回しか対応していないお客様に「大嫌い」とまで言われたことがあまりにもショックで、さすがにこの日は「もうこの仕事やめたい」とまで思った。

正直、運悪く変なお客様に当たってしまったのだとは思う。

いくら不備があったとはいえ、あそこまでヒステリックに怒鳴るお客様はそんなにいないだろうとは思う。

だけど、この出来事で身に染みて学んだことがある。

それは、“私にとってはたくさん受けているお客様のひとりでも、お客さまにとっては私の対応が全て”であるということ。

私はそのお客様だけを受付しているわけではなく毎日毎日何十人というお客様の受け付けをしているけれど、お客さまにとってはその時受け付けた窓口担当者の印象が全てなんだ。

だからこそ、ひとりひとりしっかり丁寧に応対をしなければいけないと実感した1日だった。

【祖母の異変】


はじまりは本当に突然だった。

いや、思えば何か変だなと思うことは時々あった。

だけど、小さな頃から毎日一緒にいたから、あまり深く考えていなかった。

大好きな祖母がまさか認知症になるなんて、想像もしていなかった。

それは、社会人になって初めて有休を取った8月下旬のある日のこと。

明日からまた仕事だという憂鬱さを抱えながら、私は早めに眠りに就いた。

ちょうど眠りに落ち始めた頃、突然部屋のドアをノックする音が聞こえた。

「大変、大変!」

切羽詰まったようにそう言って顔を覗かせたのは、既に眠っていたはずの祖母だった。

「なに、どうしたの?」

眠りかけていたところを起こされて不機嫌さ丸出しで言うと、

「お腹がピーピーでトイレが大変なの、110番して!」

泣きそうな表情で言う祖母を見て、明らかに様子がおかしいと感じた。

内容からして、お腹を壊してお手洗いを汚してしまい、腹痛で辛いから救急車を呼んでほしいということなのかと思った。

でも、救急車なら119番だし、ただお腹を壊しただけなら救急車をよぶほどのことでもないはずだ。

何かがおかしい、と思った私はとりあえず1階にあるお手洗いの様子を確認することにした。

もしも本当に汚してしまって大変な状態なら、すぐ掃除をしないといけない。

そう思って恐る恐る1階のお手洗いを見たけれど、特に何も変わった様子はなかった。

「ねぇ、お手洗いはなんともないけど、どうしたの?」

祖母に訊いても、相変わらず「お願いだから110番して!」と繰り返している。

一体何が起きてどうしたらいいのか戸惑っていると、騒ぎに気づいた母が2階の自室から降りてきて「どうしたの?」と声をかけてくれた。

「お祖母ちゃんの様子が変なの」

思わずそう言うと、母は「お母さん、ほら、なんでもないよ。大丈夫だから寝よう」と祖母に声をかけて寝室へ連れて行った。

その後、祖母は何事もなかったかのように眠りに就いたようで、朝まで起きてこなかった。

それから祖母の様子は明らかにおかしくなっていった。

夕飯を食べるとすぐに寝室に行って眠り、数時間後に起きてきて意味不明なことを言い出す。

初めのうちは寝ぼけているのかな?と思っていたけれど、突然人格が変わったような話し方をしたり、何もない空間を見て「あそこに女の子がいる」言い出したり、病的な異変を感じるようになった。

それでも朝起きると夜のことは記憶にないようで、普通に会話ができていたから、一時的な睡眠障害なのかもしれないと思っていた。

しかし、数週間経った頃、今度は日中も様子がおかしくなり始めた。

目が虚ろになり、意味もなく部屋をうろつくようになり、言動もおかしい。

さらに、ただ歩いているだけで何もないところでつまずいて転びそうになる。

日に日におかしくなる祖母を見るのはとにかくショックだった。

そして叔母と相談し、ついに祖母を病院に連れていくことになった。

私は仕事で付き添うことができなかったけれど、母と叔母が連れて行ったところ「せん妄」と診断されたとのことで。薬も処方してもらったとのこと。

これで少しは落ち着くだろうと思っていたのだけれど、現実は甘くなかった。

祖母の様子は改善するどころか悪化してしまい、ついにはトイレも一人で行けない状態になってしまった。

朝方になると、寝室のベッド脇にある窓のブラインドカーテンの紐を使って音を鳴らし、「お母さん、お母さん」と呼ぶ。

夕方になると「うちに帰ります」と言って家を出ようとする。

支離滅裂なこと言ってわけがわからない状態なのに、不思議と玄関の鍵を開けて外を出ようとすることはできてしまうから、夜は知らない間に出て行ってしまわないように玄関のドアを紐でつないで開けられないようにした。

完全におかしな状態になってしまった祖母を見て、「やっぱりもう一度病院に連れて行こう」と決めて、母と叔母が再び最初とは違う病院に連れて行った。

そして診断されたのは「レビー小体型認知症」と「パーキンソン病」だった。

薬が処方され、今後は祖母を日中デイサービスに預けるという方向で話が進み始めた。

母と叔母が中心になってケアマネージャーと相談し、平日は日帰りのデイサービス、週末は土曜の朝から日曜の夕方まで預かってもらえるショートステイをお願いすることになった。

これでやっと落ち着けると思ったけれど、現実は甘くなかった。

デイサービスはあくまで高齢者を預かる場所であって、認知症患者専門のスタッフがいるわけではないということを思い知らされる出来事があった。

ショートステイの夜になると「薬を飲まない」と電話がかかってきたり、「これ以上うちの施設では対応できない」と言われたりして、母は度々ケアマネージャーと相談し、何度かデイサービスセンターの場所を変えていた。

そして薬が効き始めたこともあるのか、12月に入り年末近くなってようやく祖母の状態が安定し始め、デイサービスも落ち着いて過ごせるようになった。

また、支離滅裂なことを言う症状も減り、普通の会話も出来るようになった。

だから私は、このまま症状が治って元の祖母に戻ってくれると錯覚してしまっていた。

この時の祖母は小康状態だっただけで、認知症もパーキンソン病も既に祖母を大きく蝕んでいたのだ。