叔母の家と決別し、久我家で過ごし始めて気が付けば二週間がたっていた。
 何も家事をしないのは落ち着かないからと拭き掃除や朝食の手伝いをするようになり、昼は学校へ行き、夜は雨音と穏やかに過ごす日常に慣れ始めたこの頃、双葉にはとある悩みがあった。
 それは学校でのこと。
「双葉、一緒にご飯食べない?」
 双葉に嘘の告白をしてきた田辺が昼食の時や帰宅時に誘って来るようになったのだ。
 好きな人がいると公言しているが、どうせ遊びだと思われている節があるので、断っても強引に話を進められそうになる。周りは囃し立てるばかりで誰も助けてくれない。
 また揶揄っているのだろう。双葉が調子に乗ったらノリが分からないと嘲笑されるのが目に見えているので、双葉はどんどん学校が憂鬱になっていった。
 雨音には双葉の内情は殆ど筒抜けなので学校で何やら不快な出来事があるらしいと伝わっている。相談してほしいと言われたが、雨音からは学校へ行かなくても良いと軽い調子で言われそうなので、結局相談はしなかった。
 大きな問題ではないはずだ。揶揄い方が変わっただけ。そのはずだ。
「双葉はさ、俺のこと嫌い?」
 昼休憩の最中、双葉の了承も得ずに隣に腰を下ろした田辺が顔を覗き込んでそう聞いて来た。
 彼の友人達は少し離れた所で食事をとりながらことの成り行きを見守っている。まるで檻の中の動物だ。監視とは違う。娯楽の一種を見るような視線に辟易した。
「嫌いとはでは」
「じゃあ、好き?」
 好きではない。しかしそう答えて良い物か分からず黙るしかない。
「ふうん、そっか。あのさ、今日の放課後空けて欲しいんだけど」
「迎えが来るので……」
「ちょっとの間でいいから」
 有無を言わさない口調に了承しないわけにはいかなかった。
 正直、田辺と話すのは苦手だ。嘘の告白をされ、ノリが悪いと全てを否定されたことを思い出してしまう。いつまでも根に持っているみたいで嫌なのに、頭の中に浮んで消えてくれない。
 憂鬱だと気分が沈むほど時間は早く過ぎ、あっという間に授業が全て終了した。そして、放課後になった。
 部活がある生徒達はさっさと教室を出て行き、帰宅する生徒も早々と帰って行く。その中に数人教室に残る双葉をちらりと見たものがいた。恐らく、昼休憩中に田辺が双葉を誘っているのを聞いた人達だろう。
 変な噂が広がったら嫌だな。
 ただでさえ変な男に片想いをして弄ばれているなんて言われているのだ。これ以上は噂の中心に立ちたくない。
 双葉はそっとため息を吐き、ポケットを探ってスマホを取りだした。これは、先日雨音からプレゼントされたものだ。双葉は持っていなくても問題ないと言ったが、何かあった時に連絡できないと困るからと渡された。
 待ち受け画面は雨音と共に撮ったものだ。ぎこちない笑顔の双葉と爽やかな笑みを浮かべている雨音の写真。画像フォルダには久我家の真澄や叶野、他の者達や雨音と共に散歩をするあの庭の写真なども保存してある。
 必要ないと思っていたのにたくさん写真を撮ったおかげで手放せない存在になりつつあるスマホを慣れないてちきで操作し、雨音に少しだけ遅れる旨を送り、画面を暗くした。
「双葉、時間取ってくれてありがとう」
 その声に顔をあげると、隣に田辺が立っていた。いつの間にか教室には双葉と田辺だけになっており、ふたりきりの空間に緊張する。
「あ、いえ」
 向こうが立っているのに座っているのは失礼かと思い立ちあがる。
 田辺の身長は双葉よりもずっと高いが、雨音よりは低い。慣れた目線の高さじゃないことに違和感を覚えつつ、少しだけ距離をあけた。
「話があるんだ」
 田辺は緊張した様子で口を言った。
「好きなんだ、双葉のこと」
 吐き出された言葉にすうっと頭の芯が冷えていく。
「罰ゲームで告白して酷いこと言ったのに今更何言ってんのって感じかもしれないけど、本気。今度こそ嘘じゃない」
 田辺の顔は真摯で、嘘を吐いているようには見えない。しかし、前の告白の時だって双葉は嘘を吐かれているなんて思いもしなかった、これは嘘じゃないと言われても信じられる要素はない。
 真剣に向き合ってくれているのだから、きちんと思いを返すべきだろうか。前のことなんて流して?
「わたし……好きな人がいるので」
 声が震えた。
「ごめんなさい」
 頭を下げたらまた田辺の友人が笑いながら教室に入って来るのではないか、そんな想像が過り、顔を上げた双葉の視線は教室の扉へ向かった。
 扉は沈黙している。
「……今日は誰もいないよ」
 双葉の視線の意図はしっかりと田辺に伝わった。
 彼は痛みをこらえる様に笑い、頭を下げた。
「ごめん、本当に。罰ゲームなんかで告白するべきじゃなかった。揶揄ってごめん。酷いこと言って、傷つけてごめんなさい」
 田辺の声からは懺悔するような響きがある。きっと自身の行動を心底後悔したのだろう。
 その態度に双葉は首を横に振って答えた。
「気にしていないです。でも、もうああいうことはしない方がいいと思う」
 双葉の言葉に田辺は掠れた声で「うん」と言い、もう一度謝罪を口にした。
「ごめん」
 それに双葉は笑って、何でもないことのように受け止めた。
 謝っているのだから許すべきなのだ。まだじくじく痛む気がするが、双葉が気に止めなければいいいだけ。
 双葉は田辺に笑いかけ、罰ゲームの告白は過去のものへと昇華し、本物の告白はきっぱりと断った。
「それじゃあ、私はこれで……」
「ちょっと待って」
 迎えが来るからと帰ろうとした手を取られる。触れた熱に体が強張ったが、悟られないように引き攣る頬を必死で緩めた。
「好きな人ってあいつだよね? あの白髪の」
「そうですけど」
「あいつは止めた方がいい」
 きっぱりとした物言いは、双葉が弄ばれているという噂を聞いたからだろう。
 心配ないと否定しようとしたが、その前に田辺が続ける。
「信じられないかもしれないけど、あいつは人間じゃない。あやかしなんだ」
 驚きで声も出なかった。
 どうして田辺があやかしの存在を知っているのだろうか。
「な、なんで」
「もしかして知ってた? じゃあやっぱり妖狐の婚儀に利用されたのか……」
 困惑する双葉を置いて田辺はひとり納得したようにぽそりと呟く。
 田辺が双葉の両肩をがしりと掴んだ。
「ひっ」
 驚いて短く悲鳴を上げる双葉に気付かず、今にも噛み付きそうな表情で迫ってきた。
「あやかしの感性は人間と違うんだ。俺たちの常識なんて通用しない。それにあの久我雨音は女を切っては捨て切っては捨てる悪い男だと聞く。双葉も遊ばれて……」
「そんなことないです!」
 聞き捨てならない言葉に反射的に否定した。
「雨音様はそんなことしないです」
「……久我雨音に近寄る女はみんなそう言うんだ。そして捨てられて泣くんだよ」
 田辺は憐れむ様に言う。
「みんなって誰ですか……それに、どうして田辺君はあやかしの事を知っているんですか?」
「うちの親が仕事で関わるから、そこから聞いた。でも上流階級の中では常識、っていうか、暗黙の了解らしい。言ってはいけないわけじゃないけど、混乱を避けるために公言はなるべく避けるようにってね」
 田辺は落ち着いてきたのか気まずげに双葉の肩から手を離した。
「みんなっていうのは、上流階級の女の人。久我家に取り入ろうとすり寄ってる所を見たことある。すごい冷たい目をして振り払ってた。あんな男が双葉を相手するわけないよ」
 その言葉で田辺が何を言いたいのか漸く分かった。
 双葉と雨音はつり合っていないからきっと遊ばれているだけで、傷つく前に離れろと言外に伝えているのだ。
 あやかしは人の常識が通用しないと言ったが、双葉の常識だってクラスメイトには馬鹿にされた。
「……私は、雨音様を信じます」
 双葉らしからぬ強い眼差しに田辺は虚をつかれた顔をした。
「そう……じゃあ俺から言うことはない。ただあやかしなんかとは幸せになれないと思うよ」
 まるで呪いのような言葉を最後まで聞かず、双葉は鞄を持って教室を出た。
 あやかしと人間は違う。幸せになんかなれない。そんな言葉がぐるぐると回り嫌な考えに押し潰されそうになりながら昇降口へ向かう。
 靴箱の前に田辺の友人達がいてぎくりと体が強張ったが、揶揄ってくる様子はない。きっと田辺を待っているだけだと気づき、顔を伏せてその場を足早に去った。
 早く、雨音の顔が見たい。その一心で校門を目指した双葉の視界に車が映る。しかし、それはいつも真澄が乗っているものでも雨音の車でもない。見たこともない赤いスタイリッシュな車に足が止まる。
 雨音はまだ来ていないのだろうか、とスマホを確認しようとした時。
「双葉!」
 前方から聞き覚えのある声が聞え、はっとした。そして、赤い車の後部座席の窓から顔を出した人物に驚いた。
「梓さん!?」
 片手を上げて答えた梓に駆け足で近寄る。
「乗りさない」
 梓に言われるままに後部座席に乗りこみドアを閉めた途端、車が発進した。
「どうして、梓さんが?」
「雨音はちょっと用事があるって連絡が来ているはずよ」
 慌ててスマホを確認すると双葉が送ったメッセージに『今日は迎えに行けそうにない。代わりに梓が行くから何かあったらすぐに連絡して』と返信が来ていた。その後、反応のない双葉を心配する連絡が連なっている。
『連絡が遅くなってごめんなさい。今梓さんと合流しました』とゆっくり返事を打った。
「五分返事がないだけで連投してくるなんてキモイわね……」
 梓が双葉のスマホの画面を見ながら顔を引き攣らせた。
「雨音様、心配性みたいです」
「あの久我雨音が女に執着するなんて、人生何が起こるか分からないわね」
 梓は驚いたような呆れた様な顔で言った。
 それに運転席にいる環も同意したが、双葉はその言葉の意味がよく分からなかった。
「私の知っている久我雨音は女嫌いで、どんなに美しい子が擦り寄って来ても無視するか舌打ちするかで全く靡かない男だったのよ。婚儀だってただの通過儀礼としか捉えていなくて、婚儀はするけど結婚はしないなんて公言していたわ」
「そうなんですか?」
 雨音を幼少期から知っている梓が言うのなら本当なのだろう。田辺も女性を切っては捨てていたと言っていたが、擦り寄って来る人を相手にしなかったという意味だと分かった。
「ええ。雨音にとって双葉は特別なのよ」
「特別……」
 その言葉に浮かれそうになったが、すぐに環が言っていた婚儀で心を操っている話が浮かびすっと気持ちが凪いだ。
「……それは婚儀のせいではないですか? 婚儀が雨音の心を縛っていて、私に執着しているだけなんじゃ」
「は? 婚儀にそんな機能はないわよ」
 暗くなった双葉の言葉を梓があっさり否定した。
「でも、環さんがこの間言ってました」
「ああ、あれですか」
 環は、今思い出しましたという風に言う。
「あれは嘘です」
 そうしてあっさり、軽い口調で告げられた言葉に双葉は絶句した。
「いやあ、まさかあんな嘘を信じているとは思いませんでした。あれは作り話で、私の負け惜しみです」
「負け惜しみって言うと私が負けたことにならない?」
 悪びれる様子もない環に梓がため息を吐き、代わりに謝罪を口にした。
「ごめんなさいね。環ってば私の事になると周りが見えなくなるの」
「いえ、それよりも婚儀にそんな機能ないって本当ですか?」
 必死の形相で梓に詰め寄ると梓はあっさりと頷いた。
「心を縛るなんてできないわよ。そんな力があるのなら私と婚儀を済ませているはずでしょ? 婚儀の水は相手との相性を見る物でしかないわ。私と雨音は相性が死ぬほど悪くて水を飲めなかったってだけ」
「飲めなかった?」
 思い返せば双葉は雨音と梓の婚儀が失敗になった理由を知らない。
「言っていなかったかしら? 婚儀の時に水を飲もうとしたけど無理だったの。匂いがね、もう無理だと言っていたわ。飲んだら死ぬとさえ思ったから口も付けなかった。その後の候補者も全員同じ理由で駄目になったの。無理やり飲もうとした者もいたらしいけど、泡を吹いて倒れたらしいわ。そもそも相手が飲んでも雨音が飲まないと意味ないしね」
 梓の引きつった表情から婚儀がどれだけ壮絶だったのか察せられた。
 双葉が飲んだ水は蜂蜜のように甘く、死ぬような思いなど程遠かった。
 あれは双葉と雨音の相性が良かったからなのだろうか。
「だからね」
 梓は真剣な表情で双葉を見ていた。
「婚儀が失敗に終わった者はもう諦めが着いているからいいのよ。厄介なのは婚儀を行わなかった者よ。彼女達は今でも私だったら婚儀が成功したはずだと信じているから、双葉を目の敵にしている者も多い。気を付けなさい。貴方が本気で雨音を好きなら絶対離しちゃ駄目よ。そして、あやかしを簡単に信じてはいけない」
 するりと伸びた手が双葉の頬へ伸び、長く綺麗な爪が皮膚を撫でる。
 頬に意識が集中していたが、眼前に迫った梓の目にぎくりとした。大きな目の中央に鎮座する瞳孔が猫のように縦長の楕円になっている。その目に見つめられると落ち着かない気持ちになった。
「あやかしは貴方が思っているよりもずっと狡猾なんだから」
 体を離した梓の雰囲気は穏やかなになっていた。いつの間にか詰めていた息を吐き出す。
「びっくりしました」
 素直に言葉を吐きだし、胸を撫で下ろす双葉に梓は軽やかに笑った。
「私に対しても緊張感を持つのは大事よ」
 そう言われても今更梓に対して警戒するのは難しい。
 そうこうしている内に車が久我家に敷地内は入った。開けた庭先からは玄関の様子が良く分かった。
「え」
 視界の飛び込んできたものに双葉は思わず呆然とした。
 玄関の前に数人集まっている。その中には雨音の姿もあるのだが、彼の前には黒髪の美しい女性がいた。驚いたのはふたりの様子が親し気だったからだ。
 雨音はこれまで女性に対して、どこか冷たい態度を崩さなかった。女性に微笑んでいる所を見るのは初めてで動揺した。
「あれ久我家の分家、稲葉家の長女よ。名前は朱莉。雨音とは幼い頃からの知り合いで、私と同じ元婚約者よ。……何であんなに笑っているのかしら」
 梓が説明してくれているうちに車が止まった。庭先に入って来た車に玄関に立っていた者達の視線が集まる。
 車窓から雨音と目が合った。
 途端、彼の顔がとろりと甘く蕩け、嬉しそうに駆け寄って来た。
「双葉、おかえり」
「雨音様、ただいま……うぐ」
 車を降りた瞬間抱きしめられ、息が止まるかと思った。
「大丈夫? 何か嫌なことがあっただろ。全部わかるからちゃんと話してね。もしかして梓に何かされた?」
「違います、何もないですよ」
 田辺に呼び出されていた辺りでの双葉の心境を感じ取って、心配していたのだろう。連絡を返すのが遅くなったせいで随分気を揉んだらしい。申し訳なくなり、そっと雨音の背に触れると嬉しそうに耳元でふふっと笑う声が聞えて来た。
「ちょっといちゃつくのは後にしなさいよ」
 車を降りて来た梓にはっとして雨音から距離を取る。雨音のスキンシップの多さに段々と慣れはじめていたが、人前でやることではなかった。
「す、すみません」
 かあっと顔を赤くしながら謝罪をする。
「そうだった。まだ話は終わって居ないんだった」
 いつもは離れたくないとごねる雨音だったが、今日はすんなり離れて振り返った。
「待たせて悪いね」
 雨音がちっとも悪いと思っていない声色で言い、双葉の手を握って玄関前で待っている者達の元へ向かう。
 玄関の前には真澄の他にふたり見覚えのない男女がいた。ひとりはスーツ姿の体格の良い男性。吊り上がった目が印象的で、目が合うとつい委縮しそうになる。その隣に立っているのが、先程雨音と親し気に笑っていた女性――稲葉朱莉だ。腰まである長い黒髪を靡かせて立つ姿は一枚絵のようで見惚れてしまう。梓とは系統の違う美人だ。
「……いいよ。それで、そちらが?」
「ああ、俺の花嫁の双葉だ。双葉、こっちは、稲葉朱莉。うちの分家の人間だ」
 先日まで婚約者だったはずが、いつからか花嫁に昇格していたらしい。突っ込める空気ではないので、そのまま頭を上げる。
 雨音の説明は端的でわかりやすいが、無駄を排除しすぎて情報が無さすぎる。
「どうも初めまして双葉さん。私は雨音の幼なじみみたいなものよ。よろしくね」
 そっと差し出された手を反射的に握る。ひんやりとした細い手だ。
「それにしても雨音が結婚したとは聞いていたけど、こんなに溺愛しているとは思わなかったなぁ。私のこと放って走って迎えに行っちゃうんだもん」
「当たり前だろ」
 ばっさり切って捨てるような物言いに双葉は違和感を覚えた。
 車で見た時の様な親し気な空気どころか、笑顔すらない。雨音の表情は無表情に近い。
 どうしたのかと雨音を見上げ、視線が合うと「なに、どうしたの?」と目を細められた。
「い、いえ、話が終わっていないと言っていたので、何の話をしていたのかと思って」
「ああ、そうだった。実はパーティーの招待が来ているんだ」
 雨音はため息を吐いた。
「双葉が高校を卒業するまでは花嫁のお披露目はしないと言っていたのに分家連中が一回顔を見せろと騒いでいるらしい。それを断っていたところだよ」
「断っても大丈夫なんですか」
「全く問題ないよ」
 しっかりと頷く雨音に朱莉が首を振った。
「問題大ありよ。当主を継いだのに顔を見せないなんてありえない。双葉さんが出たくないと駄々を捏ねているなんて噂をしている者だっているの。人間だからって批判している者だって少なくないんだから顔見せは早くすべきよ」
「誰だそんな馬鹿なことを言っている奴は。俺が双葉を見せたくないからだと訂正しておけ」
「あのねえ」
 ふたりが言い合いを始めたのを眺めながら、双葉は朱莉の言葉を考えていた。
 人間である田辺があやかしとは生きていけないと言っていたが、あやかし側だって懸念や批判が浮かぶのは当然のこと。双葉の顔を見た所で批判が落ち着くとは思えないが、少なくとも駄々を捏ねているとは思われないはずだ。
「顔見せは必要よ」
 そう言ったのは、傍観に徹していた梓だ。
「批判の声を抑える意味もあるけど、婚儀を成功させて力を安定させた双葉に感謝している者もいるの。交流の場は設けるべき。それに雨音の独断で決めて良い事じゃないわ。双葉に話を聞きなさいよ」
 梓の言葉に雨音は苦虫を噛み潰したような表情をした後に困ったように双葉を見た。
「……双葉はパーティーなんて出たくないよね」
「聞き方どうにかしなさいよ」
「お前は黙ってろ」
 雨音と梓の聞き慣れた言い合いをしり目に双葉は覚悟を決め、拳を握った。
「あの、私も出た方がいいと思います。でも、パーティーなんて経験がないのでマナーも何もなっていないですし、雨音様の恥になってしまうかもしれないので、どうか少しだけでも良いので時間をください」
 お願いしますと続けようとしたが、不意に体を持ち上げれて叶わなかった。
「恥なんて思うわけない。双葉は立って微笑んでいるだけで良い。ご飯も好きに食べて良いし。マナーが気にならない立食会にしよう。分からないことがあったら俺に何でも聞けばいい」
「で、でも、本当に私常識何てなくて」
「大丈夫。こんばんはいい天気ですねって言っておけばいいから」
 良いわけないのは、いくら知識が無くても分かる。
「……もしかして、パーティーまで時間が無いんでしょうか?」
 大丈夫だと言って勉強の時間を設けようとしない雨音に思い浮かんだ懸念の口にする。雨音は眉を寄せて、
「明日だって」
 と呟くように言った。
「あ、した?」
「こいつらが勝手に決めたことだから無理に行く必要はないよ。後日でもいいし、行かなくても良い」
 明日何て寝たらすぐに来てしまう。普通のテストとは違い、見た目も大事なパーティーで徹夜明けの酷い顔で行くわけにはいかないので一夜漬けなど言語道断だ。つまりもう時間が無い。雨音は鷹揚に笑っているが、朱莉はちっとも笑っていない。
「準備期間がなくてもごめんなさい。実は当初はただの親戚の集まりになる予定だったの。それに誰かが雨音や双葉さんを呼ぼうと言い出して……大規模なパーティーの肩慣らしにもなるし良いかもってなって」
「まぁ、いいんじゃない? 最初から大企業の重鎮が集まる所に入れられるよりは。服も準備のこっちでしてあげるし、私もいるしね」
 朱莉をフォローするように梓が言う。
 どれだけの規模かは分からないが、確かに人数が少ない方が有り難い。
「双葉、無理しなくていい」
「大丈夫です。何とかやってみます」
 心配げな雨音に微笑んで返す。すると、抱き上げていた体をそっと降ろされ、優しく抱きしめられた。
「可愛い。大好き」
 ふわふわとした心持が伝わって来て、人目があるというのについ頬が緩んだ。
 ふと雨音越しに無表情の朱莉の姿が見え、一瞬呼吸が止まった。双葉と目が合った彼女はすぐに微笑んだので、気のせいかと思ったが、気持ちがざわついた。
「それじゃあ、明日。よろしくお願いしますね」
 美しく微笑み去って行った朱莉に少しだけ不安が残った。