「好きです、付き合ってください」
 放課後、人のいなくなった教室で作野双葉は告白を受けていた。十八年生きてきて告白をされるのは初めての経験だ。
「え、えっと」
 どうしよう。双葉はかあっと顔を赤くしながら俯き、ぎゅっとスカートの裾を握りしめた。
 相手はクラスメイトの田辺篤という人で、三年生で初めて同じクラスになった。これまでに話をしたのは数える程度だ。ちらりと長い前髪の隙間から相手を盗み見るとにこりと微笑みかけられ、慌てて目を逸らした。
「ごめんなさい、わたし、あなたのことよく知らないので」
 震える声で何とか断る。すると大きなため息が聞こえてきた。
 え、と驚いて顔を上げる。先程の笑顔はすっかり消え失せ、不貞腐れたような顔が目の前にあった。
 続いて勢いよく教室の扉が開き、聞こえてきた声に双葉はぎくりと体を震わせる。
「振られてやんの!」
「ばっちり撮ってたからな~、明日皆に見せよ~」
 ぎゃははと笑いながら出てきたのは、田辺と仲の良いクラスメイト達だった。ひとりが田辺の肩を組みにやついた笑みを双葉に向けた。
「どんな気持ちよ、篤くん」
 からかうような口調に田辺は顔をしかめて言った。
「作野さんノリ悪すぎだわ。罰ゲームだって分かるでしょ、普通」
「あはは、だよなぁ。双葉ちゃんさぁ、もしかしてまじで告られたと思った? ないだろ、自分の顔、鏡で見なよ」
 何を言われているか、よく分からなくて言葉がでなかった。
「あれ? 固まっちゃった」
「もういいじゃん、行こうぜ」
 俯く双葉を置いて、田辺とクラスメイト達が去っていく。その時、耳に届いた言葉は双葉の心を抉った。
「あーあ、愛華ちゃんとお近づきになれると思ったのにな」
 愛華は、双葉の別クラスに席を置く従姉妹の名前だ。
 彼らは愛華に近付くために双葉に嘘の告白をしたのだと気がついた。
 悔しくて涙が滲む。でも、泣きたくなくてぎゅっと唇を噛み締めた。
 分かっていたのに初めての告白に少しだけ浮かれてしまった。そっと顔を上げて、目に溜まった水滴を拭うととぼとぼと教室を出た。

 双葉の両親は、双葉が八歳の時に事故でこの世を去った。奇跡的に後部座席に寝ていた双葉だけが助かり、親戚の元を転々とした後に母の妹家族に引き取られた。
 最初から双葉への叔母さん達の態度は冷たかった。引き取られて初めて会った時に叔母さんは双葉を忌々しげに見た後、大きくため息を吐いて言った。
「姉さん、余計なもの遺したわね」
 叔母さんへの母への苦言は度々続いた。その言葉の裏には母への並々ならぬ嫉妬と憎悪が隠れ、それは全て双葉へと向けられた。
 学校から帰宅し、家に入るとリビングから家族団欒の賑やかな笑い声が漏れている。ここで言う家族は叔母夫婦とその娘の愛華だ。
「ただいま帰りました」
 リビングに顔を出して声をかける。三人はテレビに視線を向けたまま双葉の声には応えない。いつもの事なので気にせず台所へ行き、夕食づくりに取り掛かった。
 同居人でしかない双葉は家事ができない三人の代わりに全ての家事を担っている。
 ご飯、味噌汁、焼き魚、サラダ、和え物を作り、ダイニングテーブルに並べ「できました」と声をかける。
 返答は期待できないので、そのまま自室へ戻ろうとした時。
「ぷっ」
 愛華の吹き出す声が聞こえてきた。
「あはは、ちょっと双葉、罰ゲームで告白されて本気にしたの?」
 はっとして視線を愛華に向けると、彼女は口許を押えて笑っていた。その手にはスマホが握られていて、すぐに放課後の嘘告白のことがクラスメイトから伝わっているのだと気がついた。
「どういうこと?」
 叔母がスマホを覗き込み、表示されているやりとりを見た。そして、その顔に笑みが浮かぶ。
「ええ、これ本当のこと? 恥ずかしい」
「お前なんかが告白されるわけがないだろう、鏡を見ろ」
 叔母さんの嘲るような声と叔父さんの呆れた声にかっと顔に熱が集まる。
 恥ずかしくてたまらない。
 双葉は悪いことなどしていないのにまるで責められているような気分になり、俯いた。
「またそうやって黙りするじゃん。そういうとこがウザいんだよ」
 だって、何か言ったら怒るから、と反論したいのに声が詰まって出ていかない。
「ていうか、告白してきたのって篤くんなの? 篤くんは私のことが好きだからあんたに告白なんてするわけないじゃんね」
 そんなこと知らなかったのだ。まるで常識のように言われても困る。
 ずっと黙っている双葉に腹を立てたのか、愛華がテーブルの上に置いてあったリモコンを投げて来た。
 ごん、と額に固いものがぶつかる。
「いっ……」
 骨に響く痛みに顔を歪め、ぶつかった所を手で押えると苛立たしげな愛華の声が届く。
「持ってきなさいよ、それ」
 額に当たって床に転がるリモコンを指差して言う愛華の言葉に従い、リモコンを拾い上げてテーブルに置いた。
「さっさと消えてよ、本当に目障り」
 愛華の言葉に溢れてきそうな涙を堪えてリビングを出て自室へ向かった。
 二階の角部屋。元々物置にしていた一室が双葉の部屋だ。未だに一部は物置になっているので、双葉の私物は学校で使うものか、愛華のおさがりの服くらいだ。。
 物置に置いてあった椅子に座り、膝を抱える。
 なにが、悪いのかな。双葉はこの椅子に座りよく考えることがある。
 双葉がすることは大抵誰かの怒りに触れる。苛立たしげな表情や憤った言葉を浴びせられる。
 双葉は何が悪いのかわからなかった。しかし、お前が悪いと言われ慣れているせいで、全て自分が悪いように思ってしまう。
 とろくて、うざいから。愛華が言う言葉だ。
 顔が嫌いだと叔母さんは言う。
 鏡を見ろ、と叔父さんの言葉を思い出して、物置の中に埋もれている曇った手鏡を取りだして見た。
 鏡に映っている自分の顔はのっぺりしている。よく眠れないせいでずっと目の下にはくっきりと隈が出来ているし、黒髪には艶がない。
「暗い……」
 自分でも思うのだからきっと人から見たら不快に感じるレベルなのだろう。そして、目が隠れるぐらい長い前髪が陰気さを加速させているのだということは、わかっている。
 しかし、どうしても前髪を切る勇気はなかった。自分の顔に自信がない。叔母さんに「姉に似ている目で見るな、不愉快だから」と言われたことがあり、誰かが自分の顔を見て不快に思うのが怖くなって、ますます髪を切れなくなった。
 はぁとため息をついた時、顔を歪めたせいか額が傷んだ。
 前髪をそっと上げてみるとリモコンが当たった額が赤くなっていた。
 押すとじんわりと痛みが広がる。痛みで愛華がどれだけ苛立っているかわかった気がしてまたじわりと涙が滲んだ。
 たんこぶ程度で終わればいいな、と双葉は椅子の上で丸くなった。
「お母さん、お父さん……」
 ぽつりと死んだ両親を読んでみる。当たり前だが、応えはない。代わりにリビングから誰かの笑い声が聞こえて来た。
 両親が死ぬまでは幸せだった。
 聡明で穏やかな父と、良く笑う母に挟まれ、双葉も良く笑っていたように思う。
 母は『お父さんとお母さんは、学生の時に出会ったの。お父さんが家庭教師のバイトで家に来ていてね』と良くふたりの馴れ初めを教えてくれた。双葉も将来はふたりのような仲良しな家族になりたいと夢に見ていた。
 それなのに、幸せは急に壊された。双葉が学校に行っている間にふたりは事故に合い、死んだ。悲しみを受け入れることが出来ず、苦しみならが双葉はまるで死んだように生きている。何故生きているのかも分からない。
 いつか、誰かと結ばれたのならふたりみたいな仲の良い夫婦になりたい、とその願いだけを胸に今日もひっそりと息をしている。