私──アンナ・リバールーン、パメラとネストール姉弟(きょうだい)国境(こっきょう)にいた。

 国境(こっきょう)の門の左右は、赤レンガの壁が長く長く続いている。

「私に彼を()せてもらえませんか。私は聖女です。病人を治癒(ちゆ)するのが仕事ですよ」

 私がそう言うと、中年警備員は若い警備員と顔を見合わせた。

 口にマスクをしているヘンデル少年は、中年警備員の息子だ。

 彼は(せき)こみながら国境(こっきょう)の門の後ろに立っている。
 
「マードックさん」

 すると若い警備員が中年警備員に言った。

「私の母は昔、聖女に腰痛(ようつう)を治してもらったそうです。一度ヘンデル君を、この女性に()てもらったらどうです?」

 中年警備員のマードック氏はそれを聞いて何か考えていたが──、舌打ちしておもむろに門を開けたのだ。

「お前たちは門を()えてはいかん。聖女を(かた)っているのならば承知(しょうち)しないぞ。即刻(そっこく)通報する!」
「分かりました」

 私はうなずいた。

 ネストールといえば草原の岩場に座って、昼寝を始めた。

「ヘンデル、こっちに来てベンチに座れ。この女性がお前のことを()てくれるそうだ」

 マードック氏は静かに腕組みをしながら言った。

 ヘンデル少年はグレンデル王国側に歩いてきて、詰所(つめしょ)の前のベンチに座った。

「やはり(のど)や肺から出る(アーダ)の量が少ない……」

 私はヘンデル少年を()てつぶやいた。

 私の目には彼の(のど)や肺から()れ出す(アーダ)が、とても(うす)く消え入るように見えている。

 正常な人間の(アーダ)ならば、光って胸全体を包んでいるはずだ。

「これは(のど)と肺に何らかの疾患(しっかん)があるということです」

 私はヘンデル少年の(アーダ)を見ながら、父親のマードック氏に聞いた。

「ヘンデル君はどのような生活環境で()らしていたのですか?」
「うーむ……実は三年前にグレンデル王国のローバッツ工業地帯で()らしていて、だいぶ煙を吸ってしまったようなのだ。一年くらい住んでいたか……」
「今は引っ越しをなされた?」
「そう、今はこの国境(こっきょう)付近で生活している。ここの空気はきれいなほうだと思う」

 ローバッツ工業地帯で一年だけ生活……。
 
 しかし吸い込んだ煙の量としては、そんなに多くはないと推察(すいさつ)する。

「ローバッツ工業地帯には炭鉱(たんこう)があるな。石炭の鉱山(こうざん)だ。周辺には大きな鍛冶(かじ)屋の村がある」

 知識が豊富なパメラが説明してくれた。

鍛冶(かじ)屋は石炭を使うので煙は出る。だが、ローバッツ工業地帯で(やまい)流行(はや)った話は、聞いたことがない」

 私は考え込んでから、ベンチに座っているヘンデル少年に聞いた。

「ヘンデル君、どこが(もっと)(つら)いですか?」
「ときどき、すごく胸が苦しくなるんだ。そうするともう歩けなくて……ゴホッ、ゴホッ……」

 彼はまた()き込んだ。

 私は彼の胸の(アーダ)をもっと深掘(ふかぼ)りして(なが)めた。

 おや? よく見ると薄い(アーダ)の中に深緑色の(アーダ)が少量、混ざっている。

 私が(アーダ)()る場合、深緑色は毒をもった物質を示す。

「その濃い緑色の……何それ?」

 パメラが首を(かし)げた。

 パメラは治癒(ちゆ)はできないが、私と同様に(アーダ)が見える。

 私はヘンデル少年の胸を透視(とうし)して、肺の中を(のぞ)いた。

 私の目は、人体の中を()かして見ることができる。

「あっ、これだ!」

 私は声を上げた。

 肺の奥に緑色の付着物が見えたのだ。

 まるで植物の胞子(ほうし)がこびりついているように見える。

 あきらかに(よこしま)毒素(どくそ)だ。

「ヘンデル君、これから治癒(ちゆ)を開始します」

 私はヘンデル少年に言った。

「しっかりと、『天使よ、治癒(ちゆ)をお願いします』と言ってください」
「は、はい。『天使よ、治癒(ちゆ)をお願いします』」

 この言葉が天から治癒(ちゆ)魔法を(さず)かるときの言葉の(かぎ)となる。

 この言葉を患者(かんじゃ)に言ってもらわないと、その人に治癒(ちゆ)魔法はかからない。

「天使よ、命じます。肺の邪悪な異物を取り(のぞ)きたまえ」

 私は頭の中に浮かんだ図形の通りに指を動かした。

 すると、私が透視(とうし)しているヘンデル少年の肺の中に変化があった。

 深緑色の付着物が浮き上がり、粉々になった。

 私が肺の中を(ヴォロンテ)操作(そうさ)し、付着物に変化を与えたのだ。

 そして深緑色の粉は肺から出て、毛穴から体外に蒸散《じょうさん》した。

「毒が出たね」
 
 パメラはそう言ってニヤリと笑った。

「えっ? な、何だ? ど、どうなったんだ?」

 父親のマードック氏は心配そうに息子のヘンデルを見た。

「あれ?」

 ヘンデル少年は胸をさすってけろりとして言った。

「胸が……胸が苦しくないよ。(のど)も痛くない」
「ヘ、ヘンデル!」

 マードック氏がヘンデル少年を抱きしめようとしたが、私はすぐに止めた。

「だめです。まだ終わっていません。パンを用意してください」
「は? パ、パン? あの食べるパンか?」

 マードック氏は目を丸くした。
 
 パンの使用。

 これが聖女の治癒(ちゆ)魔法の仕上げである──。