♢常連さん【サンマづくし】
定食居酒屋は常連客で基本は成り立っている。いつもの日常の風景はとても平和だ。
いつも夕方過ぎに来る白髪の上品な女性がカウンター席に座る。きっと、誰かと話したいから来るのかもしれない。その証拠として、いつもなぜか居酒屋なのにお酒を頼まない。ウーロン茶を飲みながら店員と話したり、他の客と話をしたいから来ているという感じだった。
近所に住んでいるらしく、夕食を食べにくることが目的となっているようだった。樹さんはどんなお客さんにも優しいし、サイコさんはどんなお客さんとも話が合わせられるので、年齢は違えど、世間話をするには好都合と言ったところだろうか。ここは定食屋も兼ねているので、昼間もやっているし、家庭料理が比較的安く食べることができる料金設定だ。夜でもお酒なしでご飯だけを食べに来る人も多い。
ここは、一種の語り場であり、サロンのような場所でもある。近所には長く住む常連さんも多く、たまに来る怨み晴らし目的ではない客のほうが多い。常連は、多分裏家業のことは知らずに来ているような気がする。たいていの怨み晴らし依頼者は一度来ると二度と来ることはない。だから、主な収入源はご近所などのなじみの常連さんと言ったところだろう。しかも、有名漫画家が経営しているとなれば、最近ではアニメや原作の漫画ファンも訪れる。タイミングが合えば、原作者に会えるということで、遠くから何度も足を運ぶ人もいるらしい。
「ここへ来るとなんだか落ち着くし、楽しい気持ちになるの」
珍しくおばあさんが話しかけてきた。私も毎日夕食をここで食べているので、常連の一人ではある。
「私、一人暮らしなのよ」
おばあさんは、聞いてもいないのに自分語りをはじめた。
「大震災があって、子供も孫もみんな死んでしまった。怨みは大自然にあったとしても、こればかりは裁くことはできないんだよね。震災被害は法律も、妖怪の手にも負えないよね。自分自身で折り合いをつけて納得するしかないんだよね。怨む相手がいないというのもやるせないもんだよ」
おばあさんはこの店のことを知っているようだった。
「ここの店員さんやお客さんと話しているとね、寂しいという気持ちが一瞬忘れられるのよ。話しているときは、孤独を感じないでしょ。だから、辛くなると、ここへ来るの。たまーに芋焼酎なんかもいただくけれど、私、お酒に弱いからあまり飲めないのよね。ここの料理は本当に天下一品よ。一人暮らしだと、自分のためだけに一食作るのが面倒なのよ」
まるで、同級生のような距離感で話しかけて来る。この間、私は一言も話していないのに、おばあさんはずっと話続けていた。
たまにスーパーマーケットなんかで急に話しかけて来る年配の女性がいるが、まさにそんな感じだ。このネギが安いとか、この魚がおいしいとか、初対面の人に普通に話しかけて来るタイプの女性は割といたりする。10代の私なんかは、一瞬戸惑ってしまうけれど、いつも適当に相槌を打ってにこにこしていることが多い。女性というものは話したがり屋な生き物なのだろうか?
一定の歳を取ったら初対面の人間に話しかけるという行為が苦痛だとか恥ずかしいなんていう気持ちはどこかに吹き飛ぶのかもしれない。でも、その方が生きていて得しているような気がした。少なくともこの人は、私のような女性に話しかけていることが楽しいと感じているようだ。なんだか、私なんかでも人のためになったような気がして、少しうれしい気持ちになる。
「たしかに震災は人の命を奪いますけれど、誰かのせいにできませんよね。病気もそうかもしれません。仇討ちが可能じゃないケースも世の中たくさんありますよね」
私はようやくはじめての一言を発言することに成功した。
「ここの一押しは、魚料理よね。私は和食が好きだから、ここのあっさりした味付けが好きなの。みそ汁なんて最高よ。私の母の味みたいなの。今日はさんまづくしのセットを注文したの。さんまの焼き魚と大根おろしがマッチしていて、本当においしかったわ。みそ汁はさんまのつみれ。普通なのにおいしい料理ってそうそうあるもんじゃないよね」
こんなに歳を重ねても母親の味は忘れない、この女性の脳裏に刻み込まれているってことなんだ。私は改めて料理の奥深さを知った。人々の心を支える居酒屋がここにあることはとてもいいことで、誰かのために何かをしているエイトはやっぱりすごいのかもしれない。
♢親子連れのお客様【寒天ゼリー】
休日に割とよくいるのが、はじめてで親子連れのお客様。彼らは漫画の妖怪学園エンマのファンで家族旅行のついでに定食屋に立ち寄ったというケースが多い。原作者が経営している定食居酒屋で何か食べてみよう、もしかしたら、原作者に会えるかもしれないという期待があるのだろう。
昼間、エイトはあまり下に降りてくることは少ないが、遅めの昼食を取りにたまに店にやってくることもある。でも、たいていは、二階に届けることのほうが多い。仕事の合間に食べるという感じだろうか。エイトは自宅の一階が定食屋というわけで、食べるものに困ることはない。作ってくれる人もいるという恵まれた環境だ。
「ママ、漫画家先生っていないの?」
「今日はいないみたいだね」
親子でファンの場合、子供はキャラクターのファンで、母親はイケメン原作者のファンで、父親は漫画に出て来るセクシーキャラクターのファンだったりすることが多い。セクシーと言っても少年漫画なので、そこまでのものではないのだが、声優の声も評判が良く、声優ファンということも多い。
一応、ファン向けにイラストポスターとサインを店内に貼っているので、カメラで撮影していくお客さんは多い。たいていは、エイトには会えずに終わってしまうことが多い。
「今日は水瀬先生は?」
たいていそういった客は申し訳なさそうにこっそり樹さんに聞くことが多い。しかし、子供の場合は、会えると思って来たりするので、泣いてしまうとか、言うことを聞かない場合もある。そんな時は、ちょっとしたキャラクターグッズを子供にプレゼントしたり、お菓子をあげることも多い。樹さんは気配りが細かい。エイトは創作に入ると部屋にこもってしまう。よって、仕事中はなかなか呼び出すことは難しい。波に乗っているときに邪魔をしてしまうと、次の波が来るまで調子がでないという話だ。
以前に比べたら、手書きではないので、消しゴムをかけたりスクリーントーンを貼ったりする手間はなくなったようだ。それでも緻密な作業なので、集中して描かないと間違いが起こったり、作画ミスのようなことも起きる。
編集さんとは基本はメールや電話でやり取りをするけれど、時々うちに来て打ち合わせをすることもある。今は30代くらいの男性編集者なので、私としては安心だったりする。ちなみに妖力があるからといって、漫画に生かすことはできないらしい。銀色に光った状態で描くと早いとかはないらしい。漫画家としての成功は半妖だということは関係なく、彼の才能なのだろう。
子供がエイトに会えずにがっかりしながら、お子様ランチを食べている。子供向けのランチも提供しているあたり、ストライクゾーンが広い。お父さんとお母さんは天丼を注文しているようだ。昼間のランチタイムは夜とはまた違った雰囲気がある。和風の店内が夜とは違う色合いになっているような気がする。
「いらっしゃい」
エイトの声がする。子どもの目が輝く。そして、その母親の目も輝く。人に夢を与える仕事というのはこういうものなのだろうか。
サインと握手と写真の3点セットを終えると、エイトは寒天ゼリーをサービスした。寒天ゼリーは体にもよく、子供にも女性にも人気のメニューだ。果物と野菜の汁を上手にブレンドしたゼリーはくせがなくおいしい。オレンジ色のゼリーには、気配りと思いやりも入っている一品だ。
♢7歳のお客様(コンビーフ&チーズ)
小学一年生のゆらちゃんという女の子が毎日、夕ご飯を食べに夕方やってくるようになった。こども食堂以来の常連さんだ。お母さんと二人暮らしでお母さんは主に夜仕事で出かけているので、夜ご飯は家にあるものを適当に食べるという生活らしい。お母さんは、夜ご飯を作っていかないのだろうか? 昼食は給食で栄養がばっちりだから、夜はちゃんとしたおかずを食べなくても大丈夫だという考えだというらしい。朝は母親は寝ているので、菓子パンを適当に食べてほしいと言っていたとのことだ。
これは世にいうネグレクトという虐待じゃないだろうか? 私は目の前の一人の子どものことが心配になった。私も母子家庭で育っているが、母親は夜の分は作り置きをしてレンジで温めるだけでおいしくたべられるように工夫していた。長期休みはおべんとうを作ってくれていたし、栄養が取れないとか食事に困ったことはない。それは子供として恵まれた生活だったと思う。
よくよく観察をするといつも同じ服を着ているような気がするし、お風呂も毎日入っていないような感じもする。これは、児童相談所へ相談しないといけない案件ではないだろうか? でも通報って虐待ではなければ大げさじゃないだろうか?
「うちのまかないめしはおいしいかい?」
サイコさんは居酒屋裏メニューのまかないめしを無料で与える。赤字じゃないのだろうか? 今日はコンビーフとチーズを混ぜてレンジであたためたものだった。溶けたチーズがコンビーフに絡んでとてもおいしそうな一品だった。その他、定食屋の余った食材でうまく一食分が栄養の偏りなくまかなわれていた。
私は奥の方へ行き、サイコさんに耳打ちした。
「あの子、母親が育児放棄しているんじゃないでしょうか? それと、毎日無料で食事って居酒屋のお金は大丈夫なんですか?」
樹さんが丁寧に説明する。
「最近はうちも毎日こども食堂をやっているけれど、以前ボスが子ども食堂に行ったときにいつでも食べたい子は来ていいって公言したんだよね。あと、半妖には国から半妖手当も出ているから、そういった手当を経営に回したりしているんだよね」
「半妖手当なんてあるんですか?」
「国としては、怨みを晴らすという仕事をしている半妖への謝礼金みたいなものらしいよ。これも大昔からあるもので、その時代の単価に合わせて支給されているんだよ」
私も世間も知らないことがたくさんあるのかもしれない。国の裏にはきっともっと秘密が隠されているのかもしれない。
「まかない食は、従業員が食べたりするものだから。余った食材でちゃちゃっとつくったりするものだからね。一人分くらいは特に支出がかわるものでもないよ。見た目や食材にこだわらず、食品ロスをなくすという目的も大きいね」
樹さんはやはり色々考えている。エイトがこの店を安心して任せているのは合点がいく。
食品ロスかぁ、たしかに余った食材を捨てるという問題はどこの家庭にもあるし、スーパーやコンビニでは賞味期限があるから、捨てないといけないよね。それは、衛生上のきまりで仕方ないけれど、もっと困った子供のために賞味期限が近いものを活かせないのかな。
「わたし、ゆらちゃんの件、NPOをやっている小春さんに相談してみます」
部屋に戻ると、私は早速名刺を探し出し、電話をかけてみた。
「もしもし、小春さん? 私、鈴宮ナナです。」
「ナナちゃん? ひさしぶり」
「今、大丈夫ですか?」
「いいわよ」
「実は、子ども食堂を利用したゆらちゃんが毎日うちの居酒屋に夕食を食べに来るんです。母親が夕食を作っていないらしくて。夜の仕事をしているらしいし、子供一人で夜放っておくなんて……」
「わかった。私の方も色々対処してみるけれど、児童相談所に相談してみようか? 今から行ってみるよ」
「レオさんとはどうですか?」
「彼はまだ残業で帰宅してないし、私もNPOの事務所で残業。意外と一緒にいる時間って少ないのよね」
「でも、幸せそうですね」
「ありがとう。そうね、食品ロスの取り組みとして今、うちの団体でフードドライブ事業も実施しているの」
「フードドライブ?」
「食品を福祉施設や困っている人に渡す取り組みなのよ。できるだけ簡単に食べられるものが助かるっていう話だけど、食べ物だけで子供が救われるのかと言ったら家庭の問題が根深いから難しい問題よね。でも、一緒に対処しましょう。まず私もその子に会ってみるから、待っていて」
あどけない顔をした少女がおいしそうにまかない飯を食べている様子を見ると心がひどく傷んだ。
たしかに、半妖に母親にうらみをはらす依頼が子どもからあるわけではない。母親がいなければ、子供が小さければ一人で生きていくことはできない。それに、どんな親でも子供は母親が大好きだ。半妖に依頼するはずはない。これは、半妖でも解決ができない難問だと私は頭を抱えた。
♢半妖と妖怪の父と
エイトが珍しく、たまの休みにでかけないかって誘ってきた。家族としての絆や結束を深めたいとか言っていたけど、家族と言っても二人しかいないじゃん。チーム半妖のみんなには休みを与えたらしく、私とエイトの二人きりで出かけることになった。
私は高校三年で受験生だけど、成績は上位なので、内部推薦が確実だ。だから、受験生とはいってもそんなに勉強しないと大学に行けないという焦りはなかった。そして、エイトと一緒の時間を共有したいという独占欲に似た気持ちになる。一緒にいて楽しいし、もっと一緒にいたい。そんなことははじめてだ。とはいっても、母のお墓参りだ。納骨を済ませてから、郊外の墓地に来るのは二回目だろうか。なかなか、歩いていくことができる距離じゃないので、ここには毎日のようには来ることができない。
エイトの外車がきらきら光っていた。太陽の光に反射され、コーティングされた車のボディーが角度によって違う色に見えるような気がする。それくらい光沢すらも素敵な車で、エイトもいつもの部屋着のスウェットやジャージではないというあたりが、かっこよさを際立たせる。とはいっても、普通のジーンズにTシャツという格好でも充分この人の場合、目立つような気がする。半妖のせいだろうか? オーラとか存在感が普通の人と少し違うような気がする。
「実は、今日、親父と会う約束をしているんだ」
「どこで?」
「墓場の近くにある雑木林にいるという手紙を受け取ったんだ」
「何年ぶりなの?」
「俺が覚えている記憶に親父はいない。だから、会っていても赤ん坊のころだったのかもしれないな」
「写真はみたことあるの?」
「おふくろに見せてもらった写真には写っていたが、正直人間と見た目は変わらないんだよな。一人で会うのも緊張するし、今は家族となったナナと一緒に会おうと思ってな」
「お父さん、何か話したいことがあるのかな?」
「親父には、どういうつもりで俺を作ったのか聞いてみたかったんだ。おふくろ一人に育児を押し付けてどこかにいっちまったんだからな。ようやく問い詰められるってもんよ」
「緊張しているんだね。エイトの顔がさっきから笑っていないから」
「うるせぇ」
強がっているエイトだけれど、本当は怯えているような不安な気持ちが伝わってくる。それは、彼と父との距離がそうさせているんだろう。なぜ今まで連絡をよこさなかったお父さんが今になって? 半妖のさだめを辞めることができれば、エイトの肩の荷は下りるのに。
怨みというのは決していい結果を生まないことをエイトはよく知っている。相手を怨み、その怨念を晴らしても、根本的な解決にはならない。依頼人の自己満足だ。その人の過去がまっさらに清算されるわけではない。それを一番身近に感じているエイトは怨みを晴らすことのむなしさを一番感じているのではないだろうか? 怨んだ人の元へ怨念は自分に返ってくると聞いた事がある。それは、自分が不幸になること、それでも怨むことを辞めない人間。そのはざまにエイトたち半妖はいる。
人間の嫌な部分を見る仕事。好きで半妖になって生まれたわけではないのに、人間たちの終わらない怨みと向き合うことをさだめとされた彼はとてもかわいそうな立場にあると思う。そうしないと、ここで生活ができないなんて、半妖こそが怨みを持つ可能性はある。妖怪と人間の間に子供を作った親に対して怨みを持っているものは多いだろう。一生懸命育ててくれなかった親に対してはその怨念は強いだろう。でも、自分の怨みを晴らすことはできない半妖。なんてかわいそうなのだろう。
私は、エイトのことをぎゅっと抱きしめたくなった。それは、恋愛ではない愛情が芽生えている、そんな気がする。一見スマートでちゃらっとした見た目の彼が背負う運命はあまりにも重すぎる。
「自己責任って言葉があるけど、怨みを持たなければいけなくなる経緯には自己責任もかなりあることが多い。結果、悪くなったのは他人のせいだと全部他人が悪いという話に切り替える人間も多いんだ。親父は自己責任を果たさずいなくなっちまった。その経緯をちゃんと聞きたいんだ」
「私がいてもいいの?」
「ナナは家族なんだ。一緒に来てほしい。そろそろ、親父との約束の時間だな」
そう言いながら、カーブを曲がり、運転の速度を上げる。山の方へ向かうので、坂道にさしかかると、アクセルを踏み込む。やっぱり運転する男の人の姿はかっこいいような気がする。2割か3割増しのかっこよさだと実感する。さらさらした金色の髪が、太陽に当たると黄金色の輝きを放つような気がする。
私がエイトを独り占めしている快感が少しばかり心地よかった。たった一人の家族と認められている。そして、実のお父さんに会う。エイトは、どれほどの緊張をしているのだろう? エイトにとって他人も同じだろう。だから、一人だと勇気が出ないというのもあるかもしれない。彼を支えてあげたい、そんなことを勝手に思ってしまう自分がいた。
♢死神と告白
少し墓場のある山の気温が低いと感じる。そして、カラスの鳴き声と共に雑木林には不気味な風が吹く。死神が現れそうな雰囲気が漂う。今はシーズンではないので、墓参りの客は誰一人としていない。どどうと風が吹く。それは下から上に吹く不思議な風だった。私は、思わず目をつぶった。
「よう、エイトか」
少し低めの渋い声がする。エイトと声の質が似ているような気がする。目を開けると、一見人間のように見える男性が立っていた。直感でお父さんだと思った。黒い服に身を包み、私たちが着ているようなデザインとは違う死神らしい服装の男性が目の前にいつのまにか立っていた。若い期間が長いという通り、あまり老けて見えないので、エイトと兄弟と言ってもおかしくないような風貌だ。
「親父か」
エイトは睨みつける。
「怖い顔をするな。お前のことはずっと遠くから見ていた。だから、結婚しようと思った女性が亡くなってその娘の保護者になったいきさつも知っている。俺が担当したのは、おまえの婚約者だったからな」
「……どういうことだ」
「俺は死神を生業としている。これは、選べない仕事であり、あの世へ連れていく人間だって選ぶことはできない。決められたことをしなければいけない。息子の婚約者が死ぬことは決められていた。それを覆すことはどうあがいても一介の死神では無理なのだ」
この人が、私のお母さんをあの世に連れて行った張本人ということ? 衝撃的な事実が受け入れられず、私はぼうぜんと立ち尽くした。
「線香をあげさせてほしい」
「自分が殺した張本人なのに、よくそんな真似ができるな」
「好きでやったことではない。だからこそ、手を合わせたいんだ」
死神が墓の前で手を合わせるなんてなんて滑稽で不思議な場面なのだろう。私は、唖然とする。
「おまえは半妖だ。だから、怨みを晴らすさだめとなっている。同様に、死神には仕事の選択肢はない。つまり、毎日誰かをあの世に連れていかなければいけない。しかし、誰かがやらなければ魂はさまよってしまう。だから、必要な仕事だ。半妖のさだめは大昔に決められているが、それは必要な仕事ではないと思っている。だから、私は、国の主要人物と話し合う機会を設け、半妖のさだめを撤廃するという計画を推し進めている。自分の怨みは自分で晴らす、人間の自己責任だろ。半妖がやるべきことではないと思っている」
「今頃のこのこ出てきて、半妖のさだめを撤廃するとか調子のいいことを言いやがって。なんで、おふくろと俺を置いていなくなった?」
エイトは激怒していた。法律のことよりも家族のことを考えてほしいのだろう。
「私は若いころに死神を辞めようと思い、人間として生きようと思っていた。だから、結婚したし子供も授かった。俺の考えが甘かった。死神界は辞めることを許さない社会だ。結果、死神界から追手が来て、家族をあの世に連れていくと言われたんだ。俺は死神として戻らなければいけなくなった。寿命が長い分、永遠に仕事をしなければいけない。若い時期が長いのも死神の仕事を円滑にするためのシステムらしい。だから、せめて半妖の息子には自由に生きてほしいと思った」
「なんで、おふくろと結婚しようとしたんだ」
「好きになったからに決まっているだろ。俺たち妖怪は自分の姿を人間にも見えるようにも見えないようにも自在に操ることができる。俺は人間として生活しようと思っていた時に、妻となる女性と出会った。あんなに気丈でしっかりした女はそうそういない。人間の女に興味はなかったのだが、あいつは別格だった。惚れたと思ったら手放すな。エイト、いい女ってのは滅多に出逢えない。だから、ナナさんを手放すなよ」
母親のことをべた褒めされて、エイトは少し怒りが静まったようだ。父親が母を愛していたという事実。死神界のシステムが悪いのだから、父をそれ以上責められることではない。しかし、それ以上にナナさんを手放すな、なんて、まるで私たちが恋仲みたいじゃない?
「ナナさん、息子をよろしくお願いします。ナナさんのお母さんのことは申し訳なかった。私がやらなくても別な死神が魂を持って行っただろうから、結局死神社会の歯車に逆らえなかった。でも、今後二人をバックアップしていきたい。また、連絡する。私はずっと息子を見守っていた。これからもそれは変わらない」
そう言うと、死神は消えた。あっというまに煙のごとく消滅したのだ。やっぱり人間ではなかった。銀色の髪は、父親譲りのようだった。銀色の髪に、顔立ちも似ていた。あごがシュッとしていてシャープなところも華奢で色白なところも、自然と父と息子は似るものだと思い知らされた。
私たちは無言で、何も言えず、そのままお母さんのお墓参りを済ませた。やはり無言で線香に火をつけ、手を合わせる。その行為は母を敬い崇める行為であり、今はそういった手段でしか母に対して生きているものは何もできない。もしかしたら、生きている者の自己満足にすぎない行為なのかもしれない。でも、手を合わせる行為は唯一の母とのつながりであり、私たちの大切な時間だった。
「美佐子さん、娘さんを大切にします。ずっと俺がナナを守ります」
墓に向かってエイトは宣言する。これはどういう意味だろうか? 家族として大切にするっていう意味? 受け取り方によってはプロポーズみたいだ。でも、勇気のない私はそれ以上聞くことはできなかった。きっと家族として大切に思っているっていうことだろう。
♢告白と依頼
帰宅途中、車までの山道で私がつまづく。すると、当たり前のようにエイトが支えてくれたおかげで私は転ばずに済んだ。エイトが私の手をつかむ。小さなことだけれど、支えられているという安心感が私を包む。
「ここは足場が悪い。転びやすいから、ちゃんとつかまれ」
思わぬ手つなぎの瞬間、私の胸は高鳴っていた。見上げると、彼がいて、私を支えてくれる。二人でひとつになったような気持ちになる。なんとなく、車につくまで手を放さずにいたのだが、車に乗るときにまで手をつなぎっぱなしというわけにはいかず、私は手を離さざるおえなかった。自分の気持ちに嘘をつけない。エイトの気持ちを確かめたい、確かめてみよう。エンジンをかけて、運転を始める前にちゃんと話してみよう。本当は帰った後のほうがいいのかもしれないが、今を逃したら聞くタイミングがなくなってしまいそうだった。
「どこかで食べて帰るか?」
いつも通り、エイトは食事の話をする。
「私、卒業したら一人暮らしをしようと思う」
私は提案をしてみる。それは、エイトへの気持ちがこれ以上大きくならないようにしたいという気持ちからだった。
「一人暮らしなんかしなくても、うちから通えるだろ? 金もかかるだろうし。俺と一緒に住むのは嫌か?」
エイトは寂しそうなまなざしを向ける。
「エイトは私のこと好き?」
「好きだよ」
あまりにも普通に答えたので、きっと人として、家族としての好きだという意味だろうと思い、もう一度聞いてみる。
「女性として好き?」
その質問にエイトは沈黙する。やっぱり女性としては好きではないのかもしれない。だって、一度だって私のことを意識している彼を見たことがない。一緒に住んでいて何もない。それは女性として魅力を感じていないということなのかもしれない。保護者としては正しい行いだけれど、好きという感情が混じりあうと、正しくないことを望む自分がいた。正しい行為がさびしくわびしいなんておかしな感情だ。
「ナナは未成年で、高校生。元婚約者の子どもだ。俺は保護者だと自覚をもって生活していたから、最初の頃はそういった目で見ないようにしていたよ。一緒にいて何も意識しなかったわけではない。本当は恋愛対象としてみてしまう自分がいた。軽蔑してくれ。俺は成人男性でまだ20代だ。理性を保っていただけで、徐々に崩壊するような気持ちを立て直すだけで精一杯だった。さっきお墓の前で言った台詞はプロポーズを事前に許可してもらおうという意味合いもあったんだけどな」
「プロポーズ?」
「やはり親御さんに挨拶するのが礼儀だろ。だから、親父にも会わせたんだ。高校を卒業したら俺と結婚してくれないか? ずっと傍にいてほしい」
「え……」
私は戸惑った。正直、まだ結婚まで考えていなかった。付き合うを飛び越えて、結婚? しかも母親の元婚約者と。お母さんはやきもちをやいてしまうのではないだろうか? もしかして、安心してくれるだろうか? どうやっても母の気持ちを確かめられない今となっては想像でしか答えは見つからない。確認のしようもない。私は母親を裏切ることになる? そんな不安もあった。
「こうやって近づいたらエイトはドキドキする?」
私は彼を試すようにエイトの顔と私の顔が近づけた。助手席と運転席の距離は元々近い。
「いっつもドキドキさせられっぱなしだよ」
そういうことをさらっというエイトも好きだったりする。エイトは若いし、女性経験もないらしい。一緒に住んでいてなにも感じていないならば、寂しいような気がしたが、意識していてくれたという事実に嬉しい私がいた。
エイトは私の髪の毛を撫でるとそのまま唇と唇をくっつけた。それは世にいう口づけという行為なのだと客観的に思ってしまう自分がいた。そんな客観的な自分は、プロポーズもはじめてのキスも墓場の駐車場というシチュエーションさえおかしく普通ではないような気がしていた。そして、この人が母親の元婚約者であり、保護者であるという事実も妙な感じがしていたが、他の人とは違う幸せを手に入れている自分を客観的に祝福している自分が存在している。冷めた一面を自分で見つけたような気がする。
「俺たちには普通の関係じゃないことがたくさんある。保護者であり、元婚約者の娘であり、その娘の父親代わりなんだよな。年だって、7つも上だ。しかも半妖ときた。でもさ、一人の男と女でもある。ナナの母親を好きだった時期もあるわけで、俺はひどいやつだと思っている。でも、ナナと結婚したいと思っている」
彼は少し沈黙してから、最後の一押しの言葉を発した。
「ずるいかもしれないけれど、この思いは本当だから」
私は、彼の沈黙から本気の気持ちを悟る。
「……でも、いいのかな。やっぱりお母さんを複雑な気持ちにさせてしまうよね。私自身が複雑だもの。お母さんのことを好きだったから、今があるわけだよね。だから、過去を含めて全部受け入れたうえで快諾します」
私は、彼の申し出を受け入れた。その瞬間私は、彼女という恋人を通り越して、一気に彼の婚約者になった。多分、その瞬間が今なのだろう。保護者から婚約者というおかしくもある関係性に自分でも少し独特な人生だとつっこむ。でも、目の前にいる人が半妖でもあるのに、相手も自分が好きならば、それは成立する事実だと思った。彼が私に対して、実は一生懸命我慢していたとかドキドキしていたとかそれを隠し通そうとしていた時期があったと想像しただけで、かわいいとすら思える自分がいた。
初キスの感触なんて味わう間もなく、もう一度見つめた後、彼は二回目の深いキスをする。それは、唐突で長く深い時間が過ぎたような気がした。今まで彼が我慢していたという欲望が伝わるようなキスだった。エイトが男性だという、彼の隠れた部分が垣間見えたような気がした。
キスについてこんなに分析している自分は冷静で少し変わっているかもしれない。でも、幸せという気持ちは本当だ。彼が私に向かってほほ笑む。私もほほ笑む。その時間が幸せだから。どうか、この時間がずっと続きますように。お母さん、わがままな私たちを見守っていてください。そして、私は最後にわだかまっていたことをエイトにお願いした。
「エイトにお願いがあるの。母親の怨みを晴らして!」
「まさか、半妖死神の力を使って怨み晴らしをするのか?」
「エイトは自分自身の怨みは晴らすことができないでしょ。でも、私の依頼ならば怨みを晴らすことができる」
「でも、怨みを晴らしたからと言って幸せになるとは限らないぞ。そして、怨みは己に帰ってくると言われている。それに、それ相応の刑罰は法律で課されているはずだ。美佐子さんの場合は、ひき逃げではないし、飲酒運転でもない。悪意のない殺人だ。寿命が半分になってもいいのか?」
エイトは真剣なまなざしで問いかける。
「わかっている。自己満足でもいいし、もしも幸せになれなくてもいい。でも、不平等だよね。殺人犯だって、出所して楽しく生活している人間もいるんだし」
「そうだな、悪いことをしてものうのうと生きている奴だっている。この世の中は不平等でできているのかもしれない」
「正式に依頼します。ずっと迷っていたの。きっと母もそのほうが浮かばれるから」
「わかるよ。でも、死んだ人の気持ちなんて誰にもわからないはずなのに、生きている人が勝手に解釈して代弁することが多いんだよ。仇討ちは死んだ人のためじゃなくて自分のためだったりするんだよな」
「その通りだよ。私も実際自分の気持ちを納得させるために依頼しているのかもしれない。母のためというベールの下で私は勝手な思いをエイトに依頼しているのかもしれない。でも、道徳的に正しくなくてもいいの。私が後悔したくないから」
「わかったよ」
思いを通じ合えたはずなのに、私とエイトは無言のまま重い空気を背負い、車で自宅に向かう。
♢仇討ち
チーム半妖が打ち合わせしているときに、思い切って一緒に行きたいと提案してみた。エイトは驚いた顔をして、反対した。
「私の思いを見届けたい。そうしないと、きっと怨みは終わることはないと思うの」
「仇討ちが終わっても、怨みが終わることはないと思うよ」
樹さんが優しく諭す。みんなが悲しそうな顔をして私をみつめている。それは、人間が立ち入れない領域に踏み込むべきではないという表情だった。たくさんの怨みと向き合ってきた半妖たちだからこそ、人間の欲深さ、傲慢さ、強欲でわがままな部分を知り尽くしているのだろう。そして、人が持つ怨みの根深さや執着心を知り尽くしているというのが半妖なのだろう。人間が持つ一番嫌な汚い部分を見続けなければいけない半妖たちは辛い運命を持っている。それをエイトの父親がなくすように動いてくれていることは救いだと思う。
「加害者は80歳の無職男性。元々会社員で温厚でまじめな性格。最近は足腰が悪く、車で外出することが多いとの情報だ」
鬼山さんが資料を読み上げた。
「高齢であるが故のアクセルとブレーキの踏み間違えという最近よくある事故だな」
少し怒りの表情のエイト。
「でも、悪気はないと思う。ただ、運が悪かったとしか言いようがないのよ。その人にも家族がいるわけだし、孫もいて高齢の妻と静かに暮らしている幸せな家庭みたいよ」
愛沢さんは被害者を庇った表現をする。どんなに人柄が良い人だとしても、私たちにとっては敵であり、忘れられない事故だ。時間が風化させるなんてありえない。絶対にない。
「足腰が悪いから車で移動するという考え方は間違っていると思う」
足腰が悪ければ、ブレーキを踏むタイミングが遅れることだってあるし、他人に迷惑をかける可能性である年齢であることをわかっていながら、平然とハンドルを握ることは許せない事実だった。もちろんベテランで、長年無事故無違反だったとしても、判断力の低下や認知機能の低下は訪れる。若い人だって、そういったことはあるだろうが、ニュースになり高齢ドライバーの問題がとりだたされていた。自分は大丈夫だと思っていたから、運転して事故を起こしたのだろう。もちろん、お詫びの言葉や謝罪は充分にされたと思う。でも、母が帰って来ることはない。
「でもさ、お母さんが生きていたら、エイトとナナが仲良くなったら色々面倒だったんじゃない? それこそ泥沼だよね」
ギャルのサイコがずばりと言い放つ。たしかにそれは本当のことだ。
お墓参りのあと、私たちの関係をチーム半妖のメンバーにエイトは素直に告げた。私がまだ高校生で、エイトが半妖保護者で、元母の婚約者であるというこじれた関係だが、みんななんとなく気づいていたようだった。知らないだろうと思っていたのは私たちだけだったようだ。その事実を知ると、私は少し気恥ずかしくなった。
「でも、私のたった一人しかいない母親は死んでしまった」
「今は不幸かもしれない。でも、そのおかげでこうやって楽しく暮らしている現実もある。だから、無理に仇を討つ必要もないと思う」
樹さんが諭す。樹さんは穏やかな緑の癒しパワーを持つ半妖だ。だからなのか、いつも緑のオーラに囲まれた穏やかな空気を放つ。彼の性格はとても温厚だと思う。でも、やっぱり、誰が正論を言おうと怒りや憎しみは消えない。教科書どおり、道徳的なことで片づけられる問題ではないことが世の中にはあると思う。たとえば、身内や大切な人を傷つけられたり、消された場合は、顕著だと思う。
「もし、その相手から怨みを買って仇討ちされる可能性もあるかもしれない」
鬼山さんは、日に当たらない痩せた顔で、表情を変えずに諭す。できればそういったことを私にはしてほしくないのかもしれない。
エイトは重い口を開く。
「俺がナナの立場ならば、仇討ちを望む気持ちはわかる。そして、婚約者が殺されたならば、仇を取りたいと思うのが普通だ。しかし、俺は自分の意志で仇を取ったり、仲間に依頼はできない。だから、ずっと我慢していた。怨みは自分に返ってくると言われている。もし、この先自分が不幸になったとしても仇討ちを実行するか?」
「私、幸せになりたいけれど、そのために、エイトの分も仇を討ちたい。どうしても、相手が普通に生活しているなんて許せないの。人間ってどす黒い部分があるよね。自分でも初めて気づいた。自分が怖い……。どんな不幸の見返りがあるんだろう?」
私は自分の腹黒い部分に気づき、とても嫌悪感を感じる。そんな自分が大嫌いだけれど、嫌な部分を切り離せるはずもなく、自分として生きていかなければいけない。仇を討ったことも全部ひっくるめて自分の人生として背負っていかなければいけないと思っている。
「実際悪いことをすれば自分に返ってくると言われているが、ほとんど迷信だ。それは、半妖の俺たちが良く知っているよ。実際怨みを果たした人が全員不幸になったという話は聞かない。因果応報っていうのは半ば都市伝説レベルの話だ」
「私も参加させて。見てるだけでいいから」
私は無理を言って仇討ちに参加を望んだ。
「人間は参加するの禁止なんだよねぇ」
サイコさんは困った顔をした。しかし、エイトはその申し出に対して、
「覚悟があるならば、特例として付き添ってみている分にはかまわねー。俺と一緒に仇を討ったという事実を受け止めて、背負って生きていく覚悟はあるか?」
「覚悟は決めたよ。エイトが今までやらなければいけなかったさだめを私も一緒に背負って生きていきたい」
その言葉の重みと真剣な表情に誰一人文句を言うものはいない。
「さて、今夜は仇討ちだ。今日は、店はいつもどおりやってくれ。漫画のアシスタントの仕事もいつも通りやってほしい。特別な仇討ちとなるのだから俺一人でやる」
「せんせぇが一人でやるの? サイコもやりたかったぁ。考えただけで、わくわくするねぇ。どんな方法で葬るんだい? 寿命は半分残すとしても高齢なんだろ。あまり寿命は残っていないと思うけどねぇ」
サイコさんは人の不幸をわくわく楽しんでいるあたり、サイコパスと言われている理由も納得する。悪い人ではないと思うけれど、そのあたりは私とは感覚が違うと思う。
「それなんだけどな、相手は高齢だ。早めにあの世に行くことになるだけだが、ナナは苦しめたいか? 入院するような外傷を負わせたいか?」
「私のお母さんと同じことを味わってほしいの」
「でも、即死は半妖の力ではできないけどな」
「恐怖を味わってほしい。でも、罪を背負い、恐怖を覚えていたまま生きていてほしいの」
「交通事故に遭わせるということか?」
「遭わせるけれど、ケガはさせないよ。その人、ちゃんと警察に連絡して、相応の対応をしてくれたし、免許は取り消しになっているし」
「相手もその時、驚いただろうし、恐怖を味わったと思う。でも、ケガをさせないけれど、車が衝突するかもしれない恐怖を味わってほしいの。私、性格悪いかな?」
「そうか、今夜は俺とナナだけで行こう。トラックは幻想の術で見えるように本物のように見せることができるからな」
銀色に輝くエイトを久しぶりに見た。死神モードとなったとき、髪の毛が金色から銀色に変わる。もちろん、金色は脱色しているだけで、本来は黒い髪の毛なのだろうけれど。銀色は死神である父親譲りの純粋な髪色だ。これが妖怪である彼の部分を顕著に表している。彼からみなぎる銀色のオーラは体全体をつつむ。彼は半妖仲間の中でも妖力が高いらしく、この姿を見た半妖はみんな一様に従うらしい。生死を扱う仕事が定めとなる半妖には死神の力がとても魅力的なのだろう。
日が落ちてきたこの時間にエイトは加害者の男性の元に向かう。どうやら散歩しているらしく、いつも通るという道が半妖にはわかるらしい。
「ここでまっていれば、奴は来る」
銀色になると、髪が長くなり、別人のような雰囲気になる。エイトはだまっていると本当に美しい。そして、恐ろしさと特別な力を兼ね備えた最強の何者かになる。それは、依頼者にとってはヒーローかもしれないし、仇討ちされた側からすれば、悪役かもしれない。でも、それは人によって感じ方が変わるので、何者かとしか言えない。
死神だけれど、半分だけという不思議なポジション。この人の死神としての仕事を私は今依頼し、立ち会うこととなる。初めての瞬間だ。
♢半妖と私
エイトが銀色のオーラにまとわれながら私の手をひく。いつもの優し気な頼りないけだるい雰囲気はなく、いつもとは別人なような研ぎ澄まされたオーラを解き放つ。
何者も寄せ付けない孤独な光を身にまといながら、絶対的な強さと力を兼ね備えた一人の死神がいた。それは、命を半分いただくという神聖な行為をつかさどる人間が手出しできない領域にいる者。その立場ではなければ絶対に手出しの出来る行為ではなく、一人の人間の人生を左右させる行為を自分自身でしなければいけないさだめを背負った男の背中だった。
彼はずっと他人の怨みをその手で晴らしてきた。それが、自分が希望することではなくとも、人間に怨みがある限り、彼らが仕事をしなければいけないという寂しくも辛い仕事だ。
今日、依頼人として私は立ち会う。それは、彼の負の部分を理解して、分かち合いたいという気持ちもあった。ただ愛し合うという資格は私たちにはないような気がした。怨みを背負い、その仕事を理解してはじめて彼と一緒になる資格があるような気がした。それは半妖と一緒になるという意味なのだろうと思う。普通の夫婦とは違うさだめ。
この行為によって、二人の悲しみが終わるかもしれない、という不確かな希望を持っていた。悲しみが終わることなんてないけれど、自己満足することで事故を一区切りできるかもしれない、そんな薄い希望を持っている自分がいた。
きっとエイトはそんなことは思っていないだろう。たくさんの人が怨みを晴らした先に笑顔がないという事実を何度も見てきているだろうと思う。笑顔になれなくても、心のつっかえがとれるかもしれない、淡く馬鹿げた期待は私の心の隅にあるからには、仕方ないことだろう。
人間は愚かで弱い生き物だ。それは私も同じであり、極めて弱く愚かだと自覚している。父親になるかもしれなかった人と一緒になろうなんて思っているのだから。お母さんに顔向けできない。しかも、仇を討つなんてお母さんは生きていたらきっと止めたと思う。それをわかっていて加害者に危害を加えようとしている私は、道徳の時間ならば悪い例そのものだろう。わかっているけれど、もう後には引けない。これは、私の気持ちの問題だ。
エイトが手をぎゅっと握る。半妖の姿のエイトは裁きを行う人間の元に一瞬で行くことができるらしい。ここは、加害者の高齢男性が散歩しているルートなのだろう。
細い道路をゆっくり男性が歩いてくる。足を若干引きずっている。普通の人より歩く速度が遅い。普通に見かけたら席を譲ったり荷物を持ってあげたくなってしまうような老いた人だった。でも、それでも私情のほうがぐんと強まる。この人がいなかったら、お母さんは死ななくて済んだ。それ相応の恐怖を与えたい。外傷は与えないけれど、心の恐怖を与えてやる。そんなことを思っている私はきっと鬼だろう。人間の皮を被った鬼だ。
「よお、人を死なせた気分はどうだった?」
エイトのいつものサディスティックな語調がさらに今日は尚更強く感じる。これは、エイトの怨みが入っているからだろう。個人的感情を挟まないことが鉄則だが、今回は仕方のないことだ。しかし、いつも自分が怨んでもいない他人の怨みを晴らすために人を痛めつけ、半分の寿命を奪う行為は心を鬼にして行わなければ成し得ないことだ。半妖たちはどんなに辛くても、それを誰一人嘆かずに生きている。私は今、彼らを改めて賞賛している。
「お前は誰だ?」
「半妖の死神だよ。寿命を半分いただきに来た」
「わしは80歳を過ぎている。残り僅かな命なんぞくれてやる」
老人は静かに答えた。驚いているが、受け止めているというようにも感じられた。
「幻想の術」
エイトが静かで平坦な声でつぶやくと、そこには大型の車が現れ、老人にむかって走ってくる。その速度はとても早く、老人の足ではとても逃げ切れる距離はなかった。老人は立ち尽くして、目の前の大型車を見つめ、動けずにいた。そこには覚悟があったようにも思う。もう、車にひかれて死ぬしかない、あきらめの沙汰だったように思う。
しかし、幻想の車なので、見えてはいるが実在しないことを私たちは知っている。老人は一瞬のうちに驚きと恐怖から死を覚悟したように思えた。車は非常にリアルで、幻影だとは誰も思わないだろう。そのまま、ぶつかりそうな距離の時に老人は気を失って倒れてしまった。
「これでいいのか?」
「うん、これでいい。気を失っているのかな。放っておいていいかな」
「今、死んだよ」
「え? だって、これは幻の車だし、寿命は半分しかいただいていないはずだよね。外傷もないし」
「寿命を半分もらった。今、この人の寿命が尽きたんだ。元々持病もあったし、精神的に交通事故で参っていたみたいだったからな」
どこかさみしそうな表情のエイトが問いかける。目的は達成したのにどこか心がむなしく、自分たちがこの人の最後のときを決めてしまったような罪悪感までが私を襲った。
「この人は最近、心を病んで幸せな生活ではなかったそうだ。死亡事故によって家族からだいぶ責められていたみたいだ。免許を自主返納しなかったからだと親戚からも罵声を浴びせられて、夫婦仲も家族の仲も悪くなったらしい。孤独になって死ぬ。これは、この人には決まった運命だったんだよ。さあ行こう。誰かが発見するさ。俺たちに関係のないことだ」
そういったエイトの背中は氷のように冷たく、私のような罪悪感は微塵も感じられないような気がした。それは、割り切った考えを持たないとこの裁きを行うことはできないのかもしれない。
遠くから、誰かの声が聞こえる。
「人が倒れているぞ、救急車だ」
誰かが発見してくれたらしい。怨んだ相手の最期を見た私の心には少しも幸せな気持ちが浮かぶことはなかった。虚無感というのだろうか、何とも言えないすっきりしない気持ちが残った。これは一生味わい続けなければいけないあと味なのかもしれない。これが、怨みを晴らした人間の末路であり、怨みを晴らした分、何かを背負うことがさだめなのかもしれない。
結果、母親の仇を討ったのだが、それで幸せになった者は自分を含めて誰もいないことに気づいた。自分のための仇討ちとなったような気もする。すっきりした爽快感はひとつもなく、死んだ高齢男性の家族は死を悲しむのかどうかもわからないくらい、亡くなった男性の家庭は既に崩壊していたようだ。
長生きしたとしても幸せが待っているかどうかはわからない。この人は交通事故を起こしたことによって、最後の最後に不幸な末路だったのかもしれない。いずれ寿命が尽きるときがやってくる。そのときに、幸せなのかどうかは誰にもわからない。今日の事実は自分が背負っていかなければいけない。怨んだら自分に返ってくるというのは、罪悪感や自己に対する憎悪感なのかもしれない。
見上げたエイトの横顔は冷たく割り切った顔をしていたが、どこか寂しさやむなしさを漂わせているように思えた。エイトの手をぎゅっと握る。彼の手はとても冷たく、血が通っていないかのようなまなざしは私にはどうすることもできない彼の領域なのだと実感した瞬間だった。彼は何度も怨みを晴らすたびに胸糞悪い辛さとわびしさとやるせなさとの葛藤の中で生きてきたのだろう。
寿命は半分になってしまったが、私は特別な宿命を背負った彼のそばで支えよう、そう決意した瞬間だった。
♢漫画ファンのモデルのお客様【アイス天ぷら】
土日の休日や夏休みなどの長期休みは漫画ファンのお客さんが来ることが多い。大学生や社会人をはじめ、親子連れで来る場合もある。昼に来て、エイトがいなければ夜も来る場合も結構ある。親子でファンです、なんていいながら、母親や父親のほうがファンだったケースも多々ある。エイトが描いている漫画は大人が見ても楽しめるし、絵柄はキャラクター性があって女性うけもいい。ビジュアルと話の内容が万人受けで、子供にもわかりやすいという有能ぶりだ。
エイトを一目見たいということで、かなり遠くからやってきたというお客さんもいる。エイトを見たら、写真と握手とサインの三セットは必須となっている。どんなファンに対してもエイトは優しく丁寧に接する。読者様は神様だという精神がどんなに売れても根幹にあるのだろう。原作を離れて、映像化の場合はオリジナルストーリーが作られることもあるし、お菓子やおもちゃにもキャラクターが使われる。作者の手の届かない場所まで作品が広がってしまう。そのあとは、原作者にも触れられない領域に入ってしまうと嘆いていたことは一度あったような気がする。
きっともっと作者として作品を支配したいけれど、映画やグッズは他人に任せるしかないし、下手したら原作にいないようなキャラクターが出ることもある。でも、それは、キャラクターが育ったという証拠だとエイトは語っていた。
「あの、水瀬エイト先生っていらっしゃいますか?」
一人の女性客がサイコさんに質問した。大きなつばの帽子を目深にかぶり、サングラスをかけている。毛先はカールした長髪の女性だ。変装的な感じなのはあまり人に見られたくないということだろうか? オタクを知られたくないという女性は割といるような気がする。でも、隠しているのにゴージャス感がにじみ出ている。オーラというのだろうか。美人ですという表示が全身からあふれているのだ。こんな美人にまでファンがいるなんて。私はドキッとする。
「せんせえなら、まだ仕事中。もう少ししたらこっちに来ると思うケド、あんたファン?」
サイコさんが話しかける。
「はい。とりあえず、ビールでも飲もうかな。ってホットビールなんてあるんですか?」
「珍しいっしょ。冷え症な女性が結構頼んだりするんだよね」
「ホットビールにぶり大根をお願いします」
女性が帽子を取ったが、サングラスはつけたままだ。ロングスカートのワンピースが女性らしい印象をさらに上昇させているような気がする。
「仕事終わったぁ。なんか夕飯頼むわ」
二階のほうから仕事を終えたエイトがおりてきた。伸びをしながら、肩のストレッチをはじめる。本当に自由な人だ。それを見た女性が、エイトのほうへ駆け寄りる。
「あの、水瀬エイト先生でしょうか?」
「あぁ、そうだけど」
エイトは女性をじっと見つめる。知り合いではなさそうだ。
女性はサングラスを取ると、大きな美しい瞳をのぞかせた。
「私、先生の大ファンなんです。サインをお願いします」
サイン色紙を準備しているあたり、ガチなファンなのだろう。でも、どこかで見たことがあるような、ないような……。
「もしかして、モデルのセリカさん?」
私は、つい声を出す。エイトはモデルや芸能事情には詳しくないので、芸能人なのか? というような感じで彼女をまじまじと見つめた。
「はい、お忍びでやってきました。先生の作品を読むと、仕事のモチベーションがあがります。常日頃感謝しております」
セリカは話し方も丁寧で上品な人だった。
「こんな美人にファンと言われちゃあ、今日は特別サービスだ」
「先生、噂通りのイケメンですね」
「あぁ? 漫画家にしてはイケメンっていう話か? この程度はどこにでもいるだろ?」
「芸能人でもそんなにいないくらい素敵で、後光がさして見えます」
本当に女性はうれしそうに握手を求めた。そして、記念写真を撮ると、エイトが言ったとおりの特別サービスとして、アイスクリームの天ぷらを出す。
「珍しいですね」
「珍しいメニューがあると、ここでしか食べられないから来た甲斐があったって思ってもらえるかなっていつも研究してるんでな」
「また、来てもいいですか?」
「もちろん」
モデルは、絶対エイトに惚れているような気がする。絶対そういった目で見ているとしか思えない。
「これ、私の連絡先です。プライベートでお会い出来たらと思います」
憧れのまなざしで女性が名刺を差し出す。私の心臓はドキドキする。エイトは美人のモデルにひとめぼれしてしまうのではないかと本当に心臓が落ち着かない。
「俺、結婚決めた人がいるから、これは受け取れない。でも、ファンだという気持ちはうれしいし、これからも店に来てくれ」
あまりにもあっさりエイトが名刺を受け取らなかったのは私が見ていたから?
でも、彼は元々まっすぐで一途で、外見で人を判断する人じゃなかったってことを思い出す。良い人に出会えたんだな。そう思っていると、エイトが私の方を見て、手招きする。
「彼女、俺の結婚相手になる人なんだ」
「若い!」
私のことを見たセリカは結婚相手が私だということを知って、驚いていた。彼女だって若いけれど20歳くらいだろうか。セリカは会釈すると、注文した料理を食べて、漫画について熱く語っていった。この人の気持ちを支えている漫画を描いているエイトはすごいな。人を動かす力を秘めた物語って尊い。簡単にできることではない。私は改めて、彼のことを尊敬した。