今までの辛い生活が嘘のように、優しく穏やかで、賑やかな時間が流れている。
蜘蛛屋敷で暮らし始めて、数日。
ちび蜘蛛ちゃんたちのおやつを持って居間を訪れれば、しずれが難しそうな表情を浮かべていた。
おやつをちび蜘蛛ちゃんたちに差し出せば、みな嬉しそうにわけあっている。
一方で、何やら悩んでいるしずれの元へと向かう。
その場には他にも朽葉さんや蛇さん、蜘蛛妖怪たちがいる。
「ウチの一門の事業の売り上げが、好調だ」
「えぇ、ですねぇ」
人間の娘を娶る、力のある妖怪たちは、それなりに人間界で影響力のある事業に携わっている。しずれたちももちろんそうであるようだ。
しかし、しずれは朽葉さんと顔を見合わせている。事業が好調ならば、それは良いことではないのだろうか……?
「蛇効果か」
蛇……って、蛇さん!?
「えぇ、フユメさまのお陰ですね」
「フユメさま……?」
聞き慣れない名に、蛇さんを見やる。
「我が名だな。妖怪たちの間ではそう呼ばれるのだ」
「ふゆはには話していなかったのか?」
しずれが意外そうな表情をする。その、妖怪たちの名前は特別だからでは……。
「我はそれより、おじいちゃんと呼んで欲しいのだ」
その見た目からはなかなかそうは呼べないが、しかし長生きであることは、確かだと思う。
「でも……実家の守り神さまでしたし」
おじいちゃん、と呼ぶのは憚られる。
尤も、もう月守家を離れてしまったから……元守り神だが。
「構わぬさ」
「そうそう、俺たちは遠慮なくじいさんと呼ぶ」
「しずれ!?」
いいの!?思えば妖怪の知識だって、最低限のことしか知らない。蛇さんは『おじいちゃん』でいいと言うけれど、それが本当に許されるのかは、分からない。
「まぁ、特別に許してやろう。ここでできた茶飲み友だちが孫だと言うからな!」
……茶飲み友だち……?
すると蛇さんの隣に腰掛けていた蜘蛛妖怪が頷く。シルバーブロンドに色素の薄いガラス玉のような瞳を持つ妖艶な青年の姿をしている。
「そうよの。しずれもちび蜘蛛たちも、みな孫のようなもんじゃ。さて、花嫁殿よ。遠慮することはない。孫がかわいくないジジイなどおらぬのだ。孫娘にかわいく『おじいちゃん』と呼ばれたいからの」
え……っと。
「そうそう、そうだ」
本当に……いいの?
「じゃぁ……その、おじいちゃん……」
そう呼べる存在も、私にはいなかったから……どうしてか嬉しい。
「うむ……!よいなぁ、やはり孫娘」
「だろう?」
おじいちゃんのお友だちの蜘蛛妖怪が頷く。
「因みに、ナガレと言う。俺たちの中では、一番の古参だ」
ナガレさん……と言うのか。
「あの、種類は……」
「タイリクユウレイグモ」
「ゆうれ……?」
「そう名前が付いてしまったのだから仕方がない。しかし、他にも面白い部分はあるぞ。島国なのに、大陸なのだ」
あ……確かに。蜘蛛の名前と言うのは、知れば知るほど興味深い。
「さぁて、じいじは大変満足しておるからな……!喜べ蜘蛛坊!金運をがっぽがっぽとあげてやろう!」
「いや、それなりでいい!そんなに上げるな!そんなに好調になったら鬼どもが怪しんで査察に来るわぁっ!」
そうしずれが叫べば、おじいちゃんが『それもそうか』と苦笑する。
鬼は妖怪が介入している人間の経済も監視しているらしいから。査察なんてことになったら大変である。
「なら、人並みに」
「それで充分だ。まぁ浮いたお金はみなへの福利厚生にでも回すか……。何か希望はあるか?」
すると、手をあげたのは、ゆららちゃんだった。
「あの、しずれさま……欲しい、ものがっ」
「珍しいな。何だ?」
「あの、ふわっふわな布と、綿」
「……何か作るのか?」
「ん。ぬいぐるみ。ふゆはちゃんにあげるの」
ぬいぐるみ……私に!?
「いいかもな。ふゆはは、ねこも好きだった」
そう言えば……しずれと婚約してから、猫のぬいぐるみをもらったのだっけ。あの頃はにゃーちゃんたちを猫の妖怪だと思っていたから、にゃーちゃんたちみたいと大切にしていたのだ。結局ヒメに取られてしまったが。
ヒメは私がプレゼントを贈られたことが許せなかった。だから全て奪った。
しかしそんな実状を知ったしずれが、その後はすぐに食べられるお菓子など形の残らないものを、蛇さんやねこさんたち経由で差し入れてくれたのだ。
けれどここならば、もうヒメに取られずに済む。
「あの……ねこは……にゃーちゃんたちも、いたから……。その、蜘蛛も好き……」
むしろ、しずれたちのお陰で好きになった。
「じゃぁ……もふもふ蜘蛛さん、作る!楽しみに……してて!」
ゆららちゃんが張り切って教えてくれる。蜘蛛の……ぬいぐるみ。
「難しいんじゃ……」
何せ脚が8本ある上に……人間で言えば腕にあたる触肢まであるのだ。
「ゆららは裁縫上手だから、驚くほどのもんを作ってくるさ」
「任せロ……!」
「……!それじゃぁ、楽しみにしてるね」
「うん!」
ゆららちゃんが優しく抱き締めてくれる。
「よし。最高のもふ布と綿を仕入れる」
「ではすぐに手配を」
朽葉さんが素早く手配に向かってくれた。何だか楽しみである。