この現代日本には、実は今もなお妖怪が存在している。一般人の知らないところで、一般人に紛れながら暮らしている。

だが、完全に知られていないと言うわけではなく、妖怪と古来取引のあった限られた名家や一部の人間たちには知られている。そして力の強い妖怪たちは時に人間の花嫁を迎えるのだ。

それは何故だかは分かってはいない。だが力のある妖怪たちは唐突に感じるものなのだそうだ。この人間は、自身の花嫁だと。そう思ってしまえば、攫ってしまいたくなると言われている。昔は攫って無理矢理嫁にしていたらしいのだが、今は花嫁の意思も尊重されるし、迎えることができるのは花嫁が18歳になってからだ。

少し前までは16歳だったのだが、成人年齢が変わった影響を受け、18歳になってからではないと花嫁として囲えなくなってしまったらしい。

でも、それも花嫁のためだから仕方がないと、妖怪たちもそれを呑んだ。

それに、妖怪がどんなに恋焦がれても、花嫁が望まなければ花嫁として迎えられない。これは日本妖怪たちのトップに君臨する鬼の一族が定めたものだ。

日本妖怪たちの中で、妖力としては鬼が強い。鬼がそう決めたのなら、他の妖怪たちも従う。

しかし、力のある妖怪たちのほとんどが人間社会の中で多大な影響力や経済力を得ており、花嫁になれば一生幸せに暮らせるのだから、断る花嫁はほとんどいない。

だが花嫁がためらう理由があるとすれば、寿命だ。人間と妖怪の寿命は……違うから。

それでも私は……妖怪に嫁ぐことは苦ではなく、むしろ輿入れが2年先延ばしになってしまったことに、ひどく落胆した。だが……。

「ようやっと……」
私、月守ふゆはの輿入れの日がやって来た。私の婚約者が、妖怪が迎えに来る日。
ここから解放される日。

そんなめでたい日。この家のひとたちにとっては厄介な前妻の娘が出ていく日。

見送りとは程遠い、侮蔑の笑みを浮かべて私を睨むのは、後妻と後妻が産んだ娘のヒメと息子のよく。そして3人が私に何をしても知らぬ存ぜぬを貫く……実の父。

私が生まれたのと同時に実母は天に召された。その後父親は、長らく妖怪と取引のある霊力を強く持つ家系の長として、後妻を迎え、霊力の強い娘と跡取り息子を産んだ。

妖力が一定以上ある妖怪はその人間に霊力が見えなくても見ることができる。だが本気で隠れれば、相当な霊力がなければ見ることができない。
因みに微弱な妖力を持つ妖怪たちは、普通の人間の目には映らない。相当霊力がなければ見えない。たまに、普通の人間の目に映ることはあるけれど、それは稀だ。

あの家は、その霊力を武器に妖怪と取引をしてきた家だ。
一方で私は霊力をほとんど持たなかった。そして離れに追いやられて育った。

私は生活費と住むところを与えられてはいたが、親からの愛情を受け取れず、離れで寂しく育った。
それでも、私の婚約者の妖怪を知る妖怪たちがいてくれた。彼らは、強い妖怪の蛇さんの影響なのか、不思議と私の目にも映り、支えてくれた。彼らがいたからこそ、ここまで来られたのだ。

婚約者は彼らと共に輿入れすることを赦してくれたから。婚約者が迎えに来るまで、彼らと待つつもりだったのに。
呼んでもいないヒメたちが気持ちの悪い笑みを浮かべながらやって来た。

そして誰よりも最初に口を開いたのはヒメだった。
母親ゆずりの色素の薄い髪と目に、圧倒的な美貌を持つ少女だ。
その美しさと霊力の高さ故に、鬼に選ばれた少女。
黒髪黒目の地味な私とは、何もかもが対照的である。

「見物ね!アンタみたいな役立たずが妖怪の花嫁になれるだなんて思ってもみなかったけど」
妖怪が花嫁を迎えるかどうかは霊力じゃない。妖怪からしてみれば、霊力が強い方が妖怪的には美味しいそうだが、全てがそれで決まるわけじゃない。選ぶのは、あくまでも妖怪の意思なのだから。

この家は霊力が強い娘を代々輩出し、様々な妖怪にも娘を嫁がせて来た。だからこそ出た、驕りか。

「でも、アンタを嫁にもらうだなんて酔狂な妖怪がいると思えば。まさかの化け蜘蛛だなんてね!」
ヒメの侮蔑をはらんだ言葉にチクりと刺さるものがある。

「あっはっはっはっ!一体どんな化け物がアンタを嫁として迎えに来るのかしら?腕は何本?目はいくつあるのかしら!きっと物凄い醜い化け物ね」
何も……知らないくせに。

「よしなさいな、ヒメ」
後妻がヒメを窘めるが、その表情は醜く歪んでいた。

「それでも、化け蜘蛛も少しは稼いでいるのですから。この家に払われる結納金も弾むはずよ。もちろんあなたを選んだ鬼には遠く及ばないけれど」
結納金……か。それは妖怪が人間の花嫁を迎えるにあたり、花嫁の家族に支払うものだ。妖怪の中には稼いでいるものもいるから、それだけその金額は弾む。

ヒメは鬼に選ばれた。鬼ならその財力も果てしない。例えば鬼の長の嫁にでもなれば、一生遊んで暮らせるような額が与えられる。
だと言うのに、私の結納金までせしめようとしているだなんて。

「とっととこの家から出て行け!姉さまを虐める悪女め!」
更には異母弟のよくが吐き捨てる。よくもまぁ、ありもしないことを吐けるものだ。自分の母親と姉が私にしていることが、何だと思っているのか。
けれど逆らえば、もっと酷いことを言われる。じっと耐えなくてはならない。そばで怒りをあらわにする蛇さんに首をふり、大丈夫だと目で訴える。

しかしその時、蛇さんが上空を見る。何かが……来るの……?そしてその時。

「我が花嫁、迎えに来た」
ふわりと降り立ったのは、色の抜けた白い髪と青い瞳の和服の青年である。その顔立ちは思わずぼうっとしてしまいそうなほど、美しく、頭からは2本の鬼角が伸びている。
まるで、妖怪の中でもひときわ美しいとされる、鬼のようだ。

「さて、早速行こうか」
鬼角の青年がサッと手を差し出せば、緊張しながらもその手をとろう……そうした時だった。

「ちょっと待ってよ……!」
不意にヒメの甲高い声が響く。

「どきなさい!まさかもう迎えに来てくださるなんて!嬉しいわ!私の旦那さま!」
歓喜の声をあげて近づいてくるヒメ。

は……?ヒメの、旦那さま……?
ヒメは何を言っているの……?ヒメの婚約者は鬼でしょう……?彼は私の……。

「そうよね!お姉さまを迎えにくる妖怪なんて、いるはずがないわ!今日は鬼さまが私を迎えに来てくれる日だったのね!」
そんなバカな。ヒメはまだ17歳。花嫁が18歳になるまでは、花嫁として迎えることができない。そう決めたのは鬼。鬼がまだ17歳のヒメを迎えに来るはずはない。
それに彼は鬼ではなくて……。

「さぁ、私の旦那さま!」
「や、やめて……っ!」
咄嗟にヒメが彼に触れようとするのを阻止しようと、彼に腕を伸ばせば、ヒメがカッと目尻を吊り上げる。

「どきなさい!」
「嫌……っ」
しかしその時、ふわりと温かい腕が私を包み込む。

「我が花嫁が、こうも愛おしいことをしてくれるとは」
頭上から優しい声が降ってくる。そして彼の顔を見上げた瞬間。
彼の背中から、バリバリっと大きな音を立てながら2メートルほどもあるのではないかと思われる、異形の腕を3対顕現させた。そしてその腕の先端から伸びる爪をヒメに突き付け、その1本はヒメの喉すれすれに突き付けられた。

『躾がなっていないようだな。貴様が俺に触れることは許していない』
妖力を帯びる異形の声が地を這うように響く。

「ひっ!?何!?これ、お、鬼さまなのに、何でそんなもの、生えてっ」
そしてヒメが脅えたように後ずさり、尻もちをついた。

後妻とその息子も顔を真っ青にして脅えて動けない。そして彼の異形の覇気を前に、我関せずだった父親も驚いて顔をこわばらせている。

私を迎えに来るのが彼であると……みんな、知っていたはずなのに。
今さら何故、恐れるのか。
今日、彼が私を迎えに来ることなど、当の昔に決まっていたことだ。

「あ、アンタなんかが私のお、鬼さまなわけない!ば、化け物おおおおぉぉぉぉぉっっ!!」

『当たり前だ、愚かな人間』
彼が当然のように吐き捨てる。当然だ。今までヒメにはさまざまなものを奪われて来たが、彼だけは、奪われたくないと思った。そして彼もまた……ヒメではなく、私を選んでくれている。

それに……。

『いつ、俺が鬼だなどと言った』

「え?でも、角っ」
彼の言葉に、ヒメが狼狽える。今さら何を言っているのか。

『鬼以外にも、角を持つ妖怪など五万といるだろうが。我は蜘蛛妖怪の長。大蜘蛛とも呼ばれている』
そう、この背中から伸びる腕も、蜘蛛の腕である。
今日ここに、私を迎えに来るのは、私の婚約者である大蜘蛛に他ならないと言うのに。


「ひっ!ば、化け物!近づかないで!わ、私は鬼に選ばれた花嫁なのに!

『だから何だ?』
大蜘蛛が冷たく吐き捨てる。

『それに……借りがあるのは鬼の方だ。何せ鬼の決め事通りにここまで待ってやったのだから。それに力は鬼の方が強くとも、蜘蛛妖怪を敵に回して困るのは鬼の方だと知らないのか?』

「わ、わわ、私は鬼の長の花嫁なの!ひれ伏しなさい!」
鬼の……長。つまり日本妖怪のトップだ。
彼は借りがあるのは鬼の方だと言ったが、長の花嫁であるヒメを相手取るのは、さすがに分が悪いのではなかろうか。
しかし、彼は何の問題もないように飄々としていた。

「お、お、鬼さまが知ったら、ただじゃおかないわ!」

『安心しろ、それはない。だが長の顔に免じて、殺さないでやるだけだ。そう、生きていればそれでいい』
そう言って彼が蜘蛛の腕の先の鋭い爪を構えれば。
『その薄汚い口をまずは引き裂こうか。』
そうほくそ笑み、ヒメに向けて一気に振り下ろす。

「きゃあああぁぁぁぁぁ―――――っっ!!!」
ヒメが涙と鼻水をだらだらと流しながら、泣き叫ぶ。

「や、やめてください!」
それは、自分でも意外な反応だった。大蜘蛛は爪を止めて優しく私を見降ろす。
「ふゆは」
私の名前……。咄嗟のことで驚きつつも、再び口を開く。

「あの、もう、やめてください」

「何故だ?ふゆははあれらが憎くはないのか?」
私にかける優しい声には、寒気をもよおすような強大な妖力は、微塵もはらんでいない。
だからこそ、私も彼に言葉を返すことができる。

「それは、そのっ。それでも、ダメです!鬼との争いになってしまいます!あなたに、怪我をしてほしくありませんっ!」

「……俺が恐くはないのか」

「あなたは、優しいから!本当は、優しいから。だから、やめてください」
そう訴えれば、うーんと考え込み、そして再び口を開く。

「我が花嫁が懇願するのなら、この場はおさめてやろうか」
そう言うと、ささっと蜘蛛の脚を背中に収納する。

「あっ」
しかし彼が腕を閉まってしまったことに、咄嗟に名残惜しそうに声を漏らしてしまった。

「どうした?」

「その……脚」
「……触りたかったのか?」
それは……その。

「我が嫁になるのだから、これからいつでも触らせてやる」
そう言うと彼がそっと微笑んでくれる。それなら……いい、のかな。こくんと頷きを返す。

「では、このまま行こうか。ふゆは、荷物は」

「あの、あちらに」
蛇さんが荷物の鞄をひとつ持ってきてくれて、サッと現れた彼の付き人と思われる茶髪茶眼の青年がそれを受け取る。

「では、私がお持ちいたします」
「こいつは供の朽葉だ」
彼が朽葉さんを紹介してくれれば、朽葉さんが優しくこちらに微笑みかけてくれた。
そして離れで共に過ごした妖怪たちも付いてくる。

「にゃーちゃん、ねこさん」

「にゃっ!」
と、まるで猫妖怪のように鳴く、猫耳のような三角の突起を頭につけた子で、幼稚園児くらいの大きさで、薄茶色にこげ茶色のメッシュの髪をしている。金色のぱっちりとした目はかわいらしく、瞳孔は縦長。
そして彼と同じ髪と目の色だが、20代くらいの青年の姿をしている妖怪も一緒だ。青年も頭に猫耳のような三角の突起をつけている。

「だけど蜘蛛さんのお家だから、ねこちゃんたちは、大丈夫でしょうか」
事前に彼らの意思は確認しているが、ここにきて少し、不安になってきてしまった。

「ふゆは、彼らは猫妖怪ではないぞ」

「えっ」
でも……猫耳が……。

「しっぽがないだろう」

「そう……言えば?」
彼らの背後をまじまじと見る。

「彼らはネコハエトリ。ハエトリグモという種類の蜘蛛妖怪だ」

「えぇーっ!?」
衝撃であった。

「あの、では蛇さんも!?」
白い髪に赤い瞳、色の抜けたような透明感を持つ肌を持つ好青年を見る。

「蛇は、蛇だ」

「我は蛇妖怪だ」

「蛇さんは、そのまま蛇妖怪でよかったんだ」

「あぁ、家にとりつく種類の蛇妖怪だ。家にとりつくとは言え、気に入った家人がいればついていく」
蛇さんが頷いてくれる。

「ま、待て!」
その時、声をあげたのは当主であり、私の父だった。

「その方に、去られては困る!それに、蜘蛛も!」

「アナタ何言ってるの!?あの化け物の仲間なら、とっとと出て行かせなさいよ!」
後妻が叫ぶ。

「そうよ!蛇なんて気持ち悪いわ!何でウチに蛇なんて取りついてるのよ!追い出して!」
ヒメが続いて叫ぶ。

「や、やめるんだ!そんなことをしたら月守家がっ!」

『あんな化け物どもは月守家から追い出さないと!!』
母娘が息を合わせたかのように叫ぶ。

「も、もうやめろ!これ以上あの方の機嫌を損ねるな!」
当主が冷や汗を垂らしながら喚く。

「別に、言いたいのなら言うといい」
ふわりと、蛇さんが纏う空気が変わる。

「お前たちがどんなに我の機嫌を損ねようと、もう我がここにとどまることはない。長らく栄えさせてやったというに、化け物などと呼ばれてはな。それにそなたらは長年に渡り我のお気に入りを虐げたではないか。我らがいなければ、今頃大蜘蛛がこの家ごと滅ぼしていただろうな。鬼の長の制止も振り切って、花嫁を手にしていただろう」

「な、お気に入り?それはまさかっ」
父が目を見開き、私を睨む。

「……ひっ」
私を意味もなく責める時と同じ剣幕に、びくんと肩をすくませる。

「大丈夫だ」
そっと抱きしめてくれるのは、大蜘蛛だ。

「何故、何故仰っていただけなかったのですか!」
一方で父親が蛇に向かって叫ぶ。

「……何故?我のせいにする気か?愚か者め。我はふゆはを気に入ったから側にいた。それだけだ。我の加護を受けていると慢心し、そんなことにも気づかずふゆはを冷遇するとはな。それに蜘蛛たちも、その長を化け物と蔑む家になど、滞在しまい。彼らもまた、ふゆはを気に入っているようだ」

「にゃっ!」
「ん」
ふたりも頷く。

「今後、この俺を敵に回したこの家には、蜘蛛はいつかないだろう」
「無論、蛇もな」

「その方がいいじゃない!蜘蛛なんて気持ち悪い!」
「そうよ!蛇だって!」
「お父さまはどうしてしまったのですか!」
後妻とヒメ、よくが叫ぶ。

「お前たちは何ひとつ分かっていない!彼らに去られたら、我が家は!」
父親が頭を抱えて崩れ落ちる。

「うむ。そうだなぁ。蛇がいなくなれば今まで栄えていたこの名家も一気に落ちぶれるだろう。この蛇が金運やら商売繁盛やらいろんな加護を授けていたのだ。しかも神気すら帯びる蛇の気配で悪い妖怪が寄ってこない。更には潜り込んだとしても蜘蛛妖怪がいれば悪いモノは狩って退治してくれるし、寄せ付けなくもできる」
彼が教えてくれる。

「家に置いておけばそんなメリットも招く2種類の妖怪が去り、今後も来ないとなれ……もう、終わったようなものだな」
先ほどのお返しとばかりに彼がほくそ笑む。

「では、行こうか」
そう言うと、彼は妖力を使い、私たちを一気に転移させた。

大蜘蛛の住まう屋敷へと……。