エピソード2
side九条理央


 プルルル……プルルル……プルルル……

 「もしもし俺だけど」

 『もしもし理央? どうしたんだ』

 「いや、高校受かったから一応報告しておこうと思って」

 『一応かい! それで、どの高校に行くことにしたんだ? 理央変に秘密主義だから、全然教えてくれなかったよなー。まさかオレと同じ高校とか?』

 「うん」

 『分かってるって。冗談だ……ろ……って、え!? 今うんって言ったよね?』

 「そうだって」

 『宮園って、あの宮園だろ?』

 「宮園学園以外にどこがあるって言うんだよ」

 『それはそうだけど。お前明智高校目指してたんじゃないのか?』

 「……? 俺そんなこと言った覚えはないぞ?」

 『あれ、じゃあ誰だったのかな。ごめん。驚きすぎてオレまでおかしくなったみたいだ』

 「そんなに驚くことでもないだろ」

 『そうだよな。ただ、適当な高校行くって言ってて、お前のその頭脳が勿体ないなって思ってたから』

 「まぁ、そうだな……」

 それもずっと前の話だけど。

 『レスリング強豪校で世界一目指すって言ってたじゃん』

 「それは言ってない」

 電話の向こうで明るく笑う樹の声が聞こえる。

 全く、俺で遊んで何が楽しいんだか。

 『どうだ? 少しはリラックスできたか?』

 「今のって励ましてたんだ。てか緊張してないし」

 『緊張っていうか、なんか理央最近悩んでるみたいだったから』

 「それは……」

 『まぁ、生きてりゃ何かしらあるさ! 若者よ、今を楽しめ』

 何を言ってるんだか。

 一つしか変わらないくせに。

 「ありがと」

 でも樹のおかげで落ち着いたのは確かだった。

 『おう! じゃあ切るぞ。始業式まで体調整えてろよ?』

 「分かった。じゃあ、また」

 そう言って俺は電話を切った。

 "宮園学園"

 樹の言う通り、俺は元々この高校を目指していなかった。

 ただ何となく、宮園学園に入学したい、いや入学しなければならないという気持ちになった。

 もしかしたら、あのこととなにか関係があるのだろうか……。

 樹と俺は小学生の時に入ったサッカークラブで仲良くなった。

 孤独だった俺を救ってくれた、まさに恩人のような存在だ。

 あいつには妹がいるらしいが、実際に会ったことはないな。

 彼女も無事、宮園学園に合格したらしい。

 特に関わることはないけど、樹の妹がどんな人なのかは少し気になる。

 それに、俺には夢がある。

 絶対に、なんとしてでも叶えなければならない夢。

 その夢だけは、なんとしてでも叶えたい。

 「ようやく……」

 その呟きは、薄暗い部屋の中で静かに消えていった。





 いよいよ入学式の日を迎えた。

 俺は今日から宮園学園に通うことになる。

 特別な理由はないし、家からの距離が近いという理由でこの高校を選んだ。

 ……というのが建前。

 その時、テーブルに用意されているご飯が目に入った。

 一つひとつ丁寧にラップがかけられている。

 その隣には、"温めて食べてね"というメッセージも添えてある。

 別に親と仲が悪い訳ではない。

 ただ、親父は俺が生まれて直ぐに亡くなり、お袋がその分、働かなくてはいけない。

 お袋は忙しいため一緒に居る時間が限られてくるのだ。

 簡単に食事を済ませた俺は学校へ行く準備を始める。

 何度も思い出してしまうこの瞬間。

 「いってきます」

 誰も居ない部屋にそう呟いた。





 学校に着くとまだあまり生徒は来ていないようだった。

 クラスを確認すると、俺はA組だった。

 それから直ぐに教室へと向かう。

 早めに着いた俺は、特にすることもなかったため、時間になるまで少し寝ることにした。

 しばらくすると、だんだん騒がしい声が聞こえ始める。

 「……うるさい」

 人がだいぶ集まってきたようだ。

 そして何故か、俺に声をかけて来る人も居た。

 「ねぇねぇ! 理央君だよね! どこ中出身なの?」

 「榎本中学」

 「そうそう! わたしと同じ中学なんだ! ねー?」

 なんでアンタが自慢げなんだ。

 てか誰なんだよ。

 「そうだったの。中学校の時はあんま話さなかったよね。同じクラスになったのも何かの縁だし、これからよろしくね」

 慣れない笑顔を作ってみせる。

 きゃー!!!

 ったく……。

 他の生徒もいるんだから少しくらい静かにしろっての。

 流石に耐えられなくなった俺は、少し用事があると言ってその場から離れることにした。

 そろそろ樹も来てるだろうし、顔を出しに行くか。

 樹は確かA組だったよな。

 そう思いながら樹の教室に向かっている途中、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 「あ! いたいた! おーい。理央ー」

 丁度いい所に。

 「おはよ、樹」

 「そこは樹セ・ン・パ・イだろ!」

 「はいはい樹」

 「やっぱ呼び捨て……。まぁいいけどよ。てかどうしてここにいるんだ?」

 「逃げてきた」

 「あっちゃーもう騒がれてるのか。モテる男は辛いねぇ」

 「別に、俺は大切な人に好かれればそれで十分」

 「きゃー乙女の心にクリティカルヒット!」

 樹は少し、いや大分おかしい部分がある。

 でも樹のこういう性格が、何度も俺を救ってくれたんだろうな。

 「でも未だに信じられないわ。理央と同じ学校通えるの」

 「俺も。樹の後輩になるなんて」

 「もう何も突っ込まないわ」

 あーいいな。

 この空気感。

 「あ、ちなみに澪はC組だからよろしくな!」

 「澪って妹か。関わることはあんまりないと思うけど、まぁ、分かった」

 そろそろ時間だな。

 「じゃあな、みんなと仲良くしろよ」

 「分かったよ。センパイ(・・・・)

 樹は満足そうな笑顔で去っていった。

 やっぱり樹はどこか憎めないところがある。
 
 正直俺はあの騒がしい空間に戻りたくなかったが、人がぼちぼち揃い始めたため、仕方がなく教室に戻ることにした。
エピソード3
side東雲唯


 『予定より早く着いちゃったかな』

 やっぱりこの季節は冷えるな。

 そう考えていると、後ろから声が聞こえてきた。

 『ごめん! 待たせたか?』

 『ううん。私も今来たところ』

 『そっか……。それなら良かった』

 そう言って私たちは微笑み合う。

 『あ、そうだ。これクリスマスプレゼント』

 『わぁー! 私からもこれ! プレゼント』

 『じゃあ一緒に開けるか』

 ……あ!

 『同じものだな』

 『同じものだね』

 私たちはまた笑い合った。

 『じゃあ、お揃いってことで』

 そう言って、彼は私に微笑みかける。

 あぁ……。

 やっぱり好きだな。



***



 入学式から早くも一週間が経った。

 まだ分からないことが多いけど、大分このクラスにも慣れてきた。

 そういえば澪ちゃんも仲のいい子ができたようだ。

 澪ちゃんによると、その子は榎本中学校出身らしい。

 榎本中学といえば、高校の名門といえば宮園学園というように、中学校の名門といえばと質問すれば、ほとんどの人が榎本中と答えるほど有名な学校だった。

 そして、樹くんが言っていた理央くんも榎本中学校出身のと聞いた。

 その話を聞いた時、私は妙に納得した。

 彼の代表挨拶は、いかにも頭の良い人が考えたかのような文章だったからだ。

 トップの成績で合格したのを見る限り、理央くんはよっぽど頭が良いのだろう。

 「おはよー!」

 入学式後のことを思い出していると、後ろから声を掛けられた。

 澪ちゃんの明るい声に反応して、私も明るい挨拶をする。

 「そういえば唯、部活何にするか決めた?」

 「私はやっぱテニス部かな」

 私は中学校からテニスを始めたけれど、思いのほか楽しくて高校でもテニス部に入ろうと決めていた。

 そして私のペアは、澪ちゃんだった。

 「やっぱり! うちもテニス部にしようとしてた! また一緒に組めるといいね」

 そんなことを言っているうちに学校に着いた。

 「それじゃ、また後でね」

 そうして別々の教室に向かっていった。





 「今日は委員会を決めていきたいと思います」

 委員会か……。

 私は入学した時から決めていたものがある。

 「それでは次に、図書委員になりたい方」

 「はい」

 「はい」

 え……?

 「それでは図書委員は東雲さんと九条さん。お願いします」

 嘘でしょ!?

 あんなに有名な人が私なんかと同じ委員会になったら、周りからなんて思われるか。

 その時冷たい視線を感じた。

 ビクッ

 何……今の。

 「係活動は早速今日からお願いします」

 不安は消えないまま、ついに係の仕事の時間になってしまった。

 「あの……よろしくお願いします」

 「……うん」

 シャイな人なのかな。

 「あ、あの……」

 「ねぇ、必要な時以外あんまり話しかけないでもらえる?」

 ……え?

 今私に言ったんだ、よね?

 何よ!

 感じ悪っ。

 いくら顔が良くても、性格悪かったらね。

 「そう。分かった」

 そうは言っても、私も特に話すことはなかったため、彼の話を受け入れるしかなかった。

 そこからは気まずい時間だけが流れていった。

 こんなんじゃ勉強にも集中できないな。

 そんなことを思いながらも、私は早く時間が過ぎるのを祈ることしかできなかった。





 「ねぇ、理央くんってどんな人なの?」

 「え……。どんな人って、急にどうしたんだ?」

 あれから、何回か一緒に活動する機会があったが、その度に冷たい視線を向けられている気がする。

 もちろん、私の気のせいかもしれないけど、あんなことを言われたのだから気になるのも当然だ。

 「ただ気になっただけだよ。すごく冷たい人だなって感じがするし」

 「理央が? 唯に?」

 「うん。私なにか悪いことしたかなって」

 「唯は何も悪くないだろー。あんま気にすんなよ。アイツ昔から人と関わるのは苦手だったからな」

 そうなのかな?

 でも他の人とは普通に話してる気がした。

 それに……。

 ほら、あそこでも。

 「え? でもあそこ……」

 ふと、女子に囲まれている理央くんを見つけ、私はそこに視線を移した。

 「理央くん笑ってる」

 「……何やってんだあいつ?」

 「ふふっ」

 「急にどうした!?」

 「なんか、樹くんなんか変な顔してるから」

 「え? あぁ、いや普通におかしいだろ。すごく機嫌悪そうなのに作り笑顔なんかしちゃってさ」

 「普通に楽しそうに見えるけど」

 「そりゃあオレの方が理央との時間長いからな」

 そういうものなのかな。

 私には普通に笑顔で話しているようにしか見えない。

 あれ?

 そういえば。

 「そういえば、私たちは小さい時から一緒なのに、私は理央くんのこと全く知らなかったよ?」

 そうだ。

 私たちは幼馴染。

 だからといって共通の友人がいるとも限らないけど、全く存在を知らなかったというのもおかしな話だ。

 「あの時は理央も荒れてたからなぁ。そんなやつ、唯に会わせる訳にいかないだろ? しかも人嫌い丸出しで。だいぶ丸くなった方だよ、あれでも」

 そうだったのか。

 じゃあなんで私にはあんな態度をとるんだろう。

 その時一瞬理央くんと目が合った気がした

 「あ……」

 「どうかしたか?」

 「ううん、なんでもない」

 結局理由は分からないままか。

 それでも樹くんに話したことで、いくらか気持ちが軽くなった気がした。





 「あ、唯ちゃん! 今日部活オフだけど、この後用事あったりする? 駅前のケーキ屋さんに行きたいなって思ったんだけど」

 「ごめん! 今日は図書当番なんだよね」

 「じゃあ仕方がない。また時間が合う時に行こうね」

 「うん!」

 紗奈ちゃんとは澪ちゃんに似ていることもあり、すぐに仲良くなった。

 「ていうか、放課後でも本借りに来る人っているの?」

 「うん。この学校結構色々なジャンル揃っててさ、紗奈ちゃんも本借りてみたら?」

 「私本読むと眠くなるからなー」

 「そっか。でも気が向いたらいつでも来てね!」

 「気が向いたらね」

 読書が苦手なところも澪ちゃんと似てるなぁ。

 「そういえばさ、九条理央も同じ日に当番なんだよね?」

 「そうだよ。でも全然話さないんだけどね」

 というより向こうがなんだか私を避けてる気がするんだけど。

 「でもさぁ、あいつ見てるとほんとに理央か? って思うことがあるのよね。まるで別人みたい」

 「そうなの?」

 「うん。小学校も一緒だったから分かるけど、理央は殴り合いばっかしてて残念イケメンって呼ばれることもあったからさ」

 嘘っ……。

 あんなクールそうな人が。

 樹もそんなことを言っていた。

 それにしても残念イケメンって。

 まぁ、正直私もその通りだと思うから何も言い返せないけど。

 「中学の時もそうだったんだけど、ある日急に人が変わったみたいに落ち着いたんだよね」

 そうなの?

 それってまるで私みたいじゃん。

 ある日急に医者になりたいって言い出した、私に似てる。

 理央くんに何かあったのかな?

 「まぁ、喧嘩しなくなったことはいい変化だし、特に気にしてないんだけどね!」

 ただ私にはいつも冷たいんです。

 そう言っても信じてもらえなさそうだったから、そのまま受け流すことにした。

 「じゃああたしは帰るね! バイバイ!」

 「うん! また明日ね」

 そう言って私たちは別れ、私は図書室へと向かった。

 そういえば、理央が丸くなったって樹も言ってたな。

 人ってそんな急に変わるものなのかな?

 それとも本当に別の人に変わったとか?

 「そんなわけないか」

 ありえないことを考えながら図書室の扉を開いた。

 先に来ていた理央くんは、さっき話を聞いたからかいつも以上に遠い人に感じた。





 紗奈ちゃんの言う通り、実際放課後に本を借りに来る人は多くはない。

 それでも借りに来る人は何人かいるし、私も静かに過ごせるこの時間が好きだった。

 「こんにちは」

 「…………」

 やっぱり今日も返事なしか。

 無駄に話しかける必要はないけど、それでも一応挨拶をしようと思ったんだけどな。

 理央くんは何やら難しい参考書を開いて勉強をしているようだった。

 私もその横で勉強を始めた。

 医学部を目指す私にとって、勉強時間を確保することは何よりも大切だった。

 そのため、借りに来る人がいない時は、こうしてカウンターを借りて勉強時間に費やしている。

 その時、隣からの視線を感じた。

 「どうしたの?」

 私は気になって尋ねてみると、

 「……別に」

 と、素っ気ない答えが返ってきた。

 何よ、用事があるならはっきり言ってくれればいいのに。

 こんなことを言うと、また意地悪な言葉が返ってくると思い、口に出しかけたその言葉を飲み込んだ。

 「すみませーん。この本を借りたいのですが」

 すると、本を借りたいという声が聞こえた。

 「分かりました。返却期限は二週間後です。忘れずに返却してくださいね」

 理央くんのいつもと違う優しい声が聞こえる。

 何よ。

 そんなに私のことが嫌いだって言うの?

 そもそも私何もしてないよね?

 ますます謎が深まっていた時だった。

 「あ、あの! 理央くんですよね? 榎本中出身の! 私C組の渡辺凛と言います!」

 「C組……。てことは一ノ瀬と同じクラスか」

 え?

 澪ちゃんのこと知ってるの?

 「澪ちゃんのこと知ってるんですか?」

 どうやら彼女も私と同じことを思っていたみたいだ。

 「いや、ただ単に友人の妹だったから」

 「お兄さん……。てことは樹さんのことですよね!」

 この子凄いな。

 どうしてそんなに話しかけられるの?

 それに理央くんも普通に話してるし。

 「あのっ連絡先とか交換していいですか?」

 !!

 その時ふとその言葉が聞こえた。

 なるほど。

 この子は理央くんに好意を寄せているんだ。

 何故か私は居心地の悪さを感じ、本の整理をするために椅子から立ち上がった。

 「……本の整理をしてきます」

 「あ! ごめんね。気を遣わせちゃって」

 自覚はあるだけマシ、か。

 「いいえ、大丈夫です。ですがここは図書室なので、もう少し静かにしてもらえると助かります」

 そうありきたりな事を言って私は逃げるようにその場を離れた。

 何やら話し込む2人の声が聞こえる。

 その時一瞬、ほんの一瞬だけど理央くんの雰囲気が変わった気がした

 「……ッ!! 今のは?」

 でもすぐにさっきと同じ、優しい表情に戻った。

 その代わり女の子は焦るように図書室を出ていった。

 「……九条理央」

 そう呟く声は静かな図書室の中で消えていった。

 広い図書室に、私と理央くんの二人だけ。

 一瞬見せた険しい表情が頭から離れない。

 私に向ける冷たい視線とはまた別のもの。

 もしかしたら理央くんはなにかを抱えてるのかもしれない。

 そんな考えが頭に浮かんだが、確かめるすべもなく、私はただ本の整理をすることしかできなかった。
エピソード4
side九条理央


 「おーい! 理央ー」

 俺を呼ぶ樹の声が聞こえた。

 「今日部活オフだし、一緒に駅前のケーキ屋に行かね?」

 「いや、俺今日図書当番だし。そもそも甘いもの嫌いだからパスで」

 樹は俺が甘いものが苦手だということを知っているはずなのに、毎回甘いものを食べに行かないか誘ってくる。

 「当番とかしっかりやる柄じゃないのに、理央ほんと変わったよなー」

 俺をなんだと思ってるんだ。

 「まぁ真面目に生きるのはいいことだよな。じゃあ俺は澪を連れてケーキ屋に行ってくるわ!」

 妹も大変だよな。

 こんな変な兄がいて。

 「あ! 今失礼なこと考えてたなー」

 「……別に」

 「まぁそんな理央も好きだぜ」とウインクをしながらクサイセリフを性懲りもなく言ってくる。

 「あ! 当番と言えば唯も同じ日に当番なんだよな? 殴ったりするなよー?」

 「そんな事しねぇし」

 こいつはちょくちょく東雲の話を挟んでくる。

 二人は幼馴染らしいが、俺には関係ない事だし話のタネに出すのは程々にしてほしいよ。

 「じゃあまた明日な!」

 「あぁ。また、明日」

 そう言って俺は図書室へと向かった。





 「失礼します」

 そう呟き、俺は静かな図書室へと足を踏み入れた。

 俺は特別本が好きな訳じゃないけれど、静かな場所が好きだからこの委員会を選んだ。

 こういう空間は、俺が唯一無になれる場所だ。

 俺は、本を借りに来る人がいない時間を使って、勉強をすることにした。

 別に進路を決めているわけじゃないけど、勉強していて悪いことはないだろう。

 その時、図書室の扉が開いた。

 「あ……」

 入ってきたのは東雲唯だった。

 そりゃあ同じ日に同じ当番なんだから、図書室に来るのは当然か。

 ただ異様に気まずい。

 だから俺はつい、唯を無視してしまった。

 「こんにちは」

 「…………」

 あ、今のはマズかったかな。

 唯だって気まずい表情を浮かべている。

 かといって今更挨拶を返すのもおかしいから、結局気まずい空気だけがその場に漂う。

 その時、隣からガサゴソと動く音が聞こえた。

 どうやら彼女も勉強を始めたようだ。

 「どうしたの?」

 あ……。

 俺は無意識に唯の方を見ていたようだった。

 「……別に」

 また冷たい反応をしてしまう。

 どうしてもっと普通に接することができないんだろう。

 そんなことを考えていると、

 「すみませーん。この本を借りたいのですが」

 どうやら本を借りに来たようだ。

 「分かりました。返却期限は二週間後です。忘れずに返却してくださいね」

 ほら、こんな風に話しかければいいのに。

 俺は何をやってるんだか。

 「あ、あの! 理央くんですよね? 榎本中出身の! 私C組の渡辺凛と言います!」

 コイツはまたどうして自己紹介を始めたんだ?

 「C組……。てことは一ノ瀬と同じクラスか」

 そんな気持ちを悟られないように、俺は適当に言葉を選んだ。

 「澪ちゃんのこと知ってるんですか?」

 しまった。

 確かに急に一ノ瀬の名前出したら変に思うよな。

 「いや、ただ単に友人の妹だったから」

 まぁ事実だしいいか。

 「お兄さん……。てことは樹さんのことですよね!」

 なんなんだコイツ?

 用が済んだならさっさと帰ればいいものを。

 「あのっ連絡先とか交換していいですか?」

 ……は?

 なんで俺がコイツと連絡先交換しないといけないんだ?

 だからといって、そんなことはここでは言えない。

 居心地の悪さを感じたのか、唯はその場を立って本の整理をしてくると言った。

 「あ! ごめんね。気を遣わせちゃって」

 自覚があんならやめろよ。

 「いいえ、大丈夫です。ですがここは図書室なので、もう少し静かにしてもらえると助かります」

 図書委員らしい言葉を放ち、彼女はこの場を後にした。

 「それで……。どうですか?」

 まだ続くのかよ…… 。

 「ごめんな。俺たちまだお互いのこと知らないし、連絡先は交換できない」

 「そっか」と呟く声が聞こえる。

 良かった。

 ようやく諦めたのか。

 「じゃあお互いのことを知っていけばいいってことですよね?」

 コイツの頭はお花畑なのか?

 俺が嫌がってるって分からないのかな。

 俺はつい険しい表情を見せてしまった。

 もう我慢の限界だ。

 「あのさ、連絡先交換したくないって言ってるの、分かるかな? 正直そういうのマジで迷惑。用が済んだならさっさと帰ってくれない?」

 俺は極めて優しい表情で言うように努めた。

 酷いことを言ってるのは分かっている。

 ただそれはお互い様じゃないか。

 「……ッ! 分かり、ました……」

 はぁ……。

 やっと行ったか。

 「……ボソッ」

 その時、唯の声が聞こえた気がしたが俺は特に気にしなかった。

 「ホントに、俺は何やってんだか」

 そう呟く声は、静かな図書室の中で消えていった。





 「理央ー。部活行こうぜ!」

 「あぁ」

 図書室で感じていた不思議な気持ちは、気付いた時にはすっかり忘れていた。

 係が被るのは一週間の中で一回あるかどうかなので、関わるタイミングがほとんどなかったからだ。

 そもそもあいつは俺と違い、明るい性格で男女関係なく、クラスの人気者となっていた。

 そんなあいつが俺みたいなやつと関わりたいと思うはずがなかった。

 「でさー、オレがブリッジしながら廊下歩いてたら、校長とばったり会っちゃってさ」

 何やってんだこいつ。

 学校でもこんな感じだったのかよ。

 考え事をしている俺を現実に戻してくれるのも、こいつの変な性格のお陰だった。

 それがこいつにとっていい事なのかは知らないが。

 「よーし。じゃあ一年、とりあえずグラウンド十周な。他はパス練!」

 宮園学園は進学校でありながら、サッカーの強豪校でもあった。

 だから、俺たち一年が練習できる時間は少ないが、それでも俺はサッカーができることに満足している。

 「……ハァハァ。おい理央どうしてそんなにピンピンしてんだよ」

 「そうか? ずっと体力作りしてたからかな」

 「だとしてもこの広いグラウンド十周走って疲れねぇとか、まじバケモンだわ」

 そんくらいの覚悟がなきゃ、ここの部活やってけないだろ。

 それに不良に絡まれたくなくて逃げてりゃ、自然に体力つくさ。

 ただのチームメイトにそんなことを言うわけにもいかず、

 「お前も体力作りすれば十周なんて余裕になるよ」

 と、茶化しながら答えた。

 「よしっ。じゃあ今日の練習はここまで! しっかり休むんだぞ」

 結局、今日も一年生はボールを使った練習をしなかった。

 高総体も控えているし、今が一番集中したい時期なんだろう。

 「ふぅ……。お疲れ、理央」

 「お疲れ様」

 「それにしても理央は凄いよなー。あんなに走っても体力残ってるとか。オレなんかすぐにへばって、監督に毎回怒られてたわ」

 「壊滅的に体力なかったもんな」

 「それはオレがボール捌きが上手すぎるが故に、神様が体力不足という代償を負わせたのさ! 全く……。天才は辛いぜ」

 相変わらずの変人っぷり。

 でも実際、樹が言っていることは間違っていない。

 樹は最初こそ体力がなかったものの、実力は本物だった。

 それこそ正に天才と呼べるくらいに。

 そんな奴がこの一年で体力不足という課題を克服できたのだ。

 次のエースはこいつで決まりだな。

 もし樹が突然プロを目指すと言い出しても、俺は快く応援するだろう。

 「あ! 唯ー」

 その時、遠くで手を振っている唯の姿が見えた。

 「澪ちゃん課外あるみたいで、先に帰っててだって」

 そう言う彼女の声が聞こえる。

 「何だ樹。彼女か?」

 先輩が樹をからかうように言う。

 「違うよー。幼馴染!」

 「それにしては仲良さそうだぞー」とまた茶化す声。

 何だって恋愛に結び付けたがるんだな。

 それでも確かにただの幼馴染というには二人は仲が良さそうに見えた。

 「じゃあ理央また明日な! 皆もまたな!」

 東雲もこちらに一礼をして一緒に帰っていった。

 明るい樹と誰にでも優しい唯。

 もしかしたら、俺が一番お似合いな二人だと思っているのかもしれない。
エピソード5
side東雲唯


 「てかあいつ、なんで課外受けることになったんだ?」

 今日は三人で一緒に帰る約束をしていた。

 でも澪ちゃんは課外を受けることになっため、今日は二人で帰ることにしたのだ。
 
 「なんか今日テストあったみたいで、澪ちゃん合格できなかったんだって」

 うちの高校は進学校だけあって、定期的にテストがある。

 それも突然実施されることもあるから、常に気が抜けない。

 「だからあんなに勉強しろって言ったのに」

 「澪ちゃん曰く勉強のモチベがないんだって」

 「こうなるって分かってたから宮園学園はやめろって言ったのにな。まぁ受かるだけの実力はあるみたいだから、あとは本人の気持ち次第だな」

 確かに。

 入学するために必死で勉強をしていた澪ちゃんなら、やる気さえあればテストは普通に合格できると思う。

 何か澪ちゃんのやる気を出させる方法はないのかな……。

 「あ! そうだ。だったら今日の夜ご飯、澪ちゃんの好きな物作らない?」

 「お! いいなそれ。ちょうど今日親帰り遅いし、今から食材買って帰ろうぜ!」

 私たちは駅の近くのスーパーで夜ご飯の材料を揃えることにした。

 「澪ちゃんの好物といえば、やっぱオムライスかな」

 「だな。じゃあついでに唐揚げも追加で!」

 「それは樹くんの好物でしょ」

 「頼むよー。唯の唐揚げマジで美味いんだもん。代わりにわかめスープ作るからさ!」

 おっ、ラッキー。

 樹くんは料理が壊滅的に下手だ。

 どこをどうすればあんな味になるのか。

 でも何故か樹くんが作るわかめスープだけは美味しかった。

 本人曰く、

 「オレはわかめスープを極めたんだよ」

 との事だった。

 程なくして会計も済ませ、私たちは樹くんの家へと向かった。

 「あ……」

 その時、ひとつのポスターが目に入った。

 「ん? どうした? あぁ、あのポスターな。確か『君に会いたい』っていう映画じゃなかったか?」

 予告編を観てから、ずっと映画館で観たいと思っていた映画だ。

 「うん。予告が流れてきて、ずっと観たいと思ってたんだよね」

 「確か秋ぐらいに公開だったよな? 連れてってやろうか?」

 「え! いやいや申し訳ないし、大丈夫だよ!」

 「いいのいいの。ついでに澪も誘って一緒に観ようぜ」

 樹くん……。

 あんな性格じゃなかったら絶対モテてたよ。

 「ありがとう。せっかくだしお言葉に甘えちゃおうかな」

 「それにしても、ホント唯は恋愛映画好きだよな」

 「いいじゃん! キュンキュンして、観てるだけで幸せな気持ちになれる」

 「でも当の本人は彼氏なしと……。うぅ……同情するぜ」

 そんなことを言いながら頭を撫でてくる。

 樹くんだって彼女がいないくせに。

 こうやって歩いてるところを周りの人が見ると、私たちは恋人同士に見えるのだろうか。

 実際、「何度も二人は付き合ってるの?」「二人はお似合いだね」という言葉をかけられる。

 さっきの先輩たちだってそうだ。

 だけど私は樹くんに対して恋愛感情とか、そういったものは全くない。

 どちらかというとお兄ちゃんって感じ。

 それは多分、樹くんも同じだろう。

 私の事をただの幼馴染、良くて妹くらいにしか思ってないだろう。

 でもそれでいい。

 むしろ付き合うとか、そんな状況の方が気まずくなる。





 「おーい。卵とき終わったよ。あと何すればいい?」

 「あとは私に任せて。樹くんはスープお願い」

 「っしゃ! 任せろ。あ、唐揚げの肉は大きめによろしくな!」

 はいはい。

 全く……。

 これじゃあどっちが歳上か分からないじゃない。

 料理が出来上がった頃、ちょうど澪ちゃんが帰ってきた。

 「ただいまぁ。もう課外なんて一生受けたくない!」

 「おかえり。だから言ったろ? しっかり勉強しとけって」

 「でもぉ……。ん? あれ、なんかいい匂いしない? お母さん早く帰ってきたの?」

 「いや、これは……」

 「あ! 澪ちゃん! おかえりー」

 「唯!?」

 「どうしたの?」と目で訴えかけているのが分かる。

 「澪ちゃん課外頑張ってると思って、私たちで一緒に夜ご飯作ったんだよ!」

 「え! 本当? 嬉しいぃぃぃ」

 全く……。

 気分屋な所まで二人はそっくりなんだから。

 「ほらほら。手洗って早く飯食おうぜ」

 「急いで着替えてくる!」

 そう言って、澪は走って自分の部屋に向かった。

 「じゃあその間にオレたちは準備すっか」

 「そうだね」

 「じゃあ俺机拭いてくるわー」と言いながら樹くんはリビングへ向かった。

 ……結局楽な方選ぶんかい。





 「いただきまーす」

 「んー美味しい!」

 「やっぱ唯の唐揚げ最高だな!」

 「ありがと。スープも美味しい!」

 ご飯を食べ終えると、私たちは一緒に片付けを済ませた。

 「唯ー! 兄貴も、ありがとね!」

 「おう! ところで、宿題とか出たんじゃないのか?」

 「げっ……」と言う澪ちゃんの声が聞こえた。

 「嫌ぁぁぁ!!!」

 「私も手伝うから。一緒に頑張ろ?」

 うるうるした瞳でこちらを見てくる澪ちゃん。

 「ったく、唯はこいつを甘やかしすぎなんだよ」

 そこからは三人で勉強会をした。

 高校生活は楽しいけれど、この気を遣わない関係が一番好きだと改めて感じた。
エピソード6
side九条理央


 『理央くん頑張れー! 全然当たってないぞー』

 『ちょ、少しは黙っとけ』

 『わぁー取れた! 凄い!』

 『……これやる』

 『良いの!? ありがとう! 私が欲しかったぬいぐるみ!』

 『夏祭りに来てクマのぬいぐるみとか……』

 『別に可愛いからいいんですー。あ! 綿あめだ!』

 『そんなに走ったら危ないだろ。ほら……。はぐれないように手、繋ぐぞ』

 『うん!』

 『……射的、もっと練習しないとだな』



***



 「理央? おーい! 理央くーん!」

 「……っるさい」

 「あ、やっと起きた。いくら暑いからってずっと寝てばかりじゃダメだろー」

 「ここ俺の家なんだけど……。なんで勝手に入ってんだ?」

 季節は流れ、もうすっかり夏になった。

 今年の夏は例年以上に暑い。

 「てか本当に今年暑いよなぁ。マジで太陽神経おかしいんじゃないの?」

 「太陽に文句言ってもしょうがないでしょ……」

 「それもそうかぁ!」

 樹のことは嫌いじゃないが、流石に夏の蒸し暑い日のこいつのテンションは少し疲れる。

 「さて理央くん……。夏といえば、なんでしょうか」

 「……スイカ、かき氷、そうめん」

 「って食べ物ばかりやないかい! そうじゃなくて夏祭り! ほら、明日は夏祭りがあるだろ。これを逃して夏乗り切れるもんかぁぁぁ」

 どうやら暑さのせいでこいつもおかしくなったようだ。

 いつも以上にテンションが高い。

 「えぇ……。面倒くさ」

 「とか言ってー。結局楽しむくせに。明日の夕方に迎えに来るから、絶対起きてろよ!」

 げ……。

 強制かよ。

 「はいはい」

 「あ! 浴衣も忘れるんじゃないぞ」

 「分かったって」

 ……どうやら樹は俺に休みというものをくれないみたいだ。





そうこうしているうちに、約束の時間となった。

 「理央ー! 迎えに来たぞー」

 いつもよりテンションの高い樹の声が聞こえる。

 「あれ? っておい理央! なんでまだ着替えてないんだ?」

 俺はしまったと思った。

 「……が、分からなくて」

 「え? なになに?」

 「浴衣の着方が分からなかったの!」

 仕方がないだろ。

 夏祭りに行くことはあまりないし、前はお店に行って着付けをしたんだから。

 「おいおい。そういうことは早めに言ってくれよな。てっきり着ていきたくないのかと」

 ……実はその方向に話が進まないかと期待をしていました。

 「まさか。樹、手伝ってくれない?」

 「はいはい。しゃーない。貸し一な」

 正直こいつに貸しは作りたくないが……。

 まぁ仕方がないだろう。




 「おー。やっぱ賑わってんなぁ」

 この夏祭りはここら辺でいちばん有名な祭りだ。

 様々な屋台が並ぶことはもちろん、夜に打ち上げられる花火は全国屈指のものだ。

 「そう言えばかき氷食べたいって言ってたよな」

 「適当に言っただけだし」

 「まぁまぁ。オレも何か食べたかったし先ずは腹ごしらえしようぜ」

 それから俺たちは、りんご飴、イカ焼き、焼きそばなど、屋台で様々なものを買って食べた。

 俺は次にどの屋台に行こうか考えていると、

 「あれ。あそこに居るの唯じゃね? 澪と行くって言ってたのに、あいつどこにいるんだ?」

 俺は一瞬ドキッとしてしまった。

 大きなイベントだし、来てる可能性は高いと思ってたけど、まさかタイミングが被るとは。

 できるだけ、バレないようにしよう……。

 そう思っていたが、

 「おーい! 唯ー」

 「ちょ、おい!」

 「あれ? 誰かと話してるな。知り合いかな」

 あ……。

 本当だ。

 でもあの雰囲気は知り合いと言うより……。

 「あの……。すみません。今友達を待ってて」

 「いいじゃん! 今その子居ないみたいだし、俺らと一緒に遊ぼうよ!」

 「いや……。本当、すみません」

 唯が嫌がっている。

 俺が助けるのは不自然かもしれない。

 それでも放っておくことはできなかった。

 彼らのところに行って止めようと思っていると、

 「あれ、樹は……」

 「あれ? お兄さんたち、オレの連れに何か用?」

 「は? 誰だお前」

 「オレ? オレはまぁ……。こいつの彼氏?」

 「え……?」

 「そういう割にはこっちは友達程度にしか思ってないみたいだけどな」

 「だから今日告白しようとしてたの! お前ら邪魔しないでもらえる?」

 樹とは思えない怖い顔で少年たちを睨んでいる。

 それより告白って……。

 本当なのか?

 気が付けば唯に声をかけていた人達は立ち去っていた。

 代わりに何やら楽しげに話している唯と樹の姿が見える。

 俺は何故か胸が締め付けられるような思いがした。

 「あれ? 九条理央じゃん!」

 あまりにも放心状態だったのか、声を掛けられるまで後ろに人が居ることに気が付かなかった。

 「君は……。樹の妹さん、だよね?」

 直接会うのは初めてだったけど、樹に雰囲気が似てるからすぐに分かった。

 「そうそう! 一ノ瀬澪だよ! それよりこんなところでどうしたの? 兄貴と夏祭り来てたんじゃなかったっけ」

 そういうアンタは唯と夏祭り来てたんじゃなかったのかよ。

 「あぁ……。あそこ」

 俺はそう言って、二人が話しているところを指した。

 「わぁ……。ほんっとあの二人お似合いだわ」

 実の妹でさえ、そう思うのか。

 「あのまま付き合って、もし結婚したら唯私のお姉ちゃんになるってこと? めっちゃアリなんですけど!? 理央もそう思わない?」

 いや、俺に聞かれても分かるわけないでしょ。

 「……そうだな」

 俺は否定する理由もなかったから、ただ一ノ瀬の言葉を肯定した。

 だけどその声は、自分が思っていた以上に冷たいものだった。

 「もしかして嫉妬してる?」

 「……は?」

 いや、誰が?

 誰に嫉妬だって?

 「理央なんかイライラしてるように見えたから」

 俺がイライラしてる?

 自分でも分からないこの感情が嫉妬なのか?

 「私的には唯がお姉ちゃんになってくれた方が嬉しいけど、あの2人にはその気がないみたいだし……。どうしてもって言うなら協力してあげてもいいけど?」

 何馬鹿げたことを言っているんだ。

 「そうだ。射的は得意? うち、唯に取ってあげたい商品があったんだけど苦手でさ」

 射的……。

 「……まぁ、苦手ではないな」

 「お! 良かった。おーい。二人ともー!」

 大きい声で呼ぶのは兄妹似たもの同士だな。

 「おい。澪! 唯を置いてどこに行ってたんだ?」

 「マジでごめん! 射的で唯が好きそうな商品あったからそっちに行ってたのよね」

 「はぁ……。全く。それで、その商品はどこにあるんだ?」

 「……うち思ったより、射的苦手だったみたい」

 呆れる樹の声が聞こえる。

 こういうところを見るとやっぱりお兄さんという感じがする。

 「大丈夫! 私は気持ちだけで嬉しいよ!」

 「いや、それじゃあ申し訳ないし、ジャジャーン! 助っ人を用意しました!」

 ……え?

 いや、急に俺に話振るなよ。

 ほら。

 唯も戸惑ってるじゃないか。

 「理央が? 射的得意なのか?」

 「まぁ、苦手ではない」

 そんなことを言っている間に、俺たちは射的台に到着した。

 「東雲が欲しいのはクマのぬいぐるみだよな」

 「えっ! どうして分かったの?」

 しまった……。

 「一ノ瀬がそう言ってたから」

 「いや。うち何もいっ……」

 「だよな。一ノ瀬?」

 「あ、そうそう! 唯クマのぬいぐるみ欲しがってたなーって思って」

 唯は不思議そうな顔をしていたが、俺は気に止めず射的に集中した。

 狙いを定めて……。

 「ほら。取れた」

 「すご! うちなんか何回やっても取れなかったのに」

 そりゃあ、沢山練習したからな。

 「……ほら」

 「あ……ありがとう」

 ……まぁ、こんな反応で仕方がないよな。

 でも喜んでるみたいだし、良しとするか。

 「お! そろそろ花火が始まるみたいだな。折角だし、四人で見ようぜ!」

 一番の名物の花火が始まるみたいだ。

 実を言うと俺は少しワクワクしていた。

 「唯! はぐれないように手、繋ぐか!」

 え……?

 「ちょっと! いくら唯が方向音痴だからって彼氏でもないのに、軽々しくそういうこと言わないの!」

 「あ、やっぱマズかったか?」

 二人のやり取りを唯が楽しそうに見ていた。

 おかしい……。

 「理央どうした? もしかしてオレと手繋ぎたかったのか?」

 「なわけない」

 「そんなあからさまに否定しなくてもいいだろ」と言う樹の声が聞こえてくる。

 やっぱりおかしい。

 確かに樹は普段と変わらないように見える。

 一ノ瀬は樹にその気はないと言っていた。

 だけどさっきの表情はやっぱり……。

 未来が変わりつつある。

 その現実に、俺は少しずつ焦りを感じ始めていた。
エピソード7
side九条理央


 「ねぇ、あなたが理央くんよね?」

 またかよ……。

 最近はこんな風に声をかけられることも減ってきたのに。

 俺はそんな感情を隠すように、努めて明るい声で返事をした。

 「そうだけど……って、え?」

 俺は目の前に居るこの人を知っている。

 でもなんで、この人が俺に何の用だ?

 「有栖……さん」

 「あら。私の名前を知っているのね」

 「そりゃあ、生徒会長ですから。もしかして、俺何かやらかしましたか?」

 この人も学校の高嶺の花のような存在だったから、そうでもなければ俺なんかに声をかけないはずだ。

 「そう身構えないで。私は会長としてじゃなく、白銀有栖として君に声をかけたんだから」

 じゃあやっぱり、この人も……。

 「あ、勘違いしないでね。私、あなたの事が好きとか、そういうんじゃないから」

 ……エスパーか?

 「そもそも君には好きな人がいるじゃない」

 一ノ瀬もそうだが、この人もなんなんだよ……。

 「いや……。別に」

 「東雲唯」

 !!

 「どうして彼女の名前が出てくるんですか」

 「あれ? 気のせいだった? でも前夏祭りでも会ったみたいだし」

 「それはたまたまで……って言うかなんで知ってるんですか?」

 「さぁ……。何でだろうね?」

 「まさか、ストー……」

 「あ、言っておくけどストーキングとか、そんな犯罪まがいなことしてないからね」

 それはそうだよな。

 よりによってこの人がそんな事をするとは思えない。

 「……そんな事を言う為だけに俺を呼び止めたんですか。特に用がないなら失礼しますね」

 そう言ってその場を離れようとした時だった。

 「ねぇ、私の話聞かなくていいの?」

 「何を言いたいのか分かりません」

 「へぇ……。本当に? ねぇ、理央くん」

 「────」

 ……ッ!!

 「……どうしてそれを」

 「あれ? 図星だった? かまをかけてみたんだけど」

 そんなはずがない。

 彼女の物言いは確信めいたものを感じた。

 「違いますよね。確信しているんですよね。どうして知ってるんですか!」

 「さぁ……。どうしてだろうね?」

 そう言って彼女は同じような言葉を繰り返す。

 ……危険だ。

 どうして彼女があの事を知っているのか分からないが、本能的に彼女は只者ではないと感じた。

 この人とはあまり関わらない方がいい。

 「あ、そう言えば唯ちゃんだけど……」

 「やめろ!」

 俺は気付いたら大声で叫んでいた。

 「私、まだ何も言ってないんだけど」

 「あいつには……唯には危害を加えるな」

 「……何を考えているのか分からないけど、私はあの子に危害を加えるつもりはないわ。私もあなたと同じ気持ちだもの」

 どういうことだ?

 白銀有栖が俺と……同じ気持ち?

 ますます意味が分からない。

 「ねぇ理央くん。自分から行動に移さなかったら何も変わらないよ? 小さなことでも、自分が変わろうとすれば、それが大きな変化に繋がるんじゃないかな」

 ……。

 俺はなにも言い返すことができなかった。

 「あなたの未来は自分自身のものなんだから、もう少しちゃんと向き合った方がいいわよ。君は変化を恐れているだけ」

 「それは……」

 俺はやっぱり、何も言えなかった。

 「しんみりしちゃったね。こんなつもりはなかったんだけど。でもやっぱり理央くんは唯ちゃんにメロメロなんだなー。もう! 可愛いだから」

 「そんな事……ない」

 彼女に対する不信感は消えないままだった。

 だけど彼女の姿が記憶の中のあの人と重なり、どうしても強く言い返すことはできなかった。





 俺は有栖さんと話を終えると、忘れ物をしていたことに気付き、教室へと戻った。

 「電気がついてる……」

 誰かまだ残っているのかな。

 そんなことを思いながら教室の扉に手をかけた。

 「……唯」

 教室には唯が居た。

 寝てるのか?

 寝るなら家に帰ってからの方がいいのに。

 そう思いながらも、俺は唯を起こさないよう、できるだけ静かに扉を開けた。

 さっきの有栖さんとの会話が蘇る。

 俺はそっと唯に近付いた。

 彼女はどうやら勉強中に寝てしまったみたいだ。

 机の上には、難しい用語がびっしりと書いてある医学書が置いてあった。

 「……医者になりたいのか?」

 この高校に入学したのだから、医学部への進学を目指すのは珍しいことではない。

 ただ彼女の場合は目指す意味が他の人とは変わってくるのだろう。

 彼女の父親は、東雲病院の院長を務めているという話を聞いたことがある。

 きっと、彼女は父親の跡を継ぐつもりでいるのだろう。

 そんなことを思っていると、

 「うぅ……う」

 !!

 悪夢を見ているのか……?

 俺はいてもたってもいられなくなり、つい声をかけてしまった。

 「唯! 起きろ!」

 「はぁっ……!」

 幸いな事に、唯は直ぐに目を覚ました。

 「大丈夫か? うなされてたけど」

 どうしたんだ?

 悪い夢でも見たのか?

 「よく、分からない……。夢を見たような気がするんだけど……」

 「こういう事……よくあるのか?」

 今日の俺なんか変だよな。

 いつもみたいに接しないと、俺の決意が揺らいでしまうのに。

 「どうだろ。自分では気づいてないだけで何回かあったのかも」

 彼女の冷たい態度に少し驚いてしまう。

 いや……。

 いつもの俺の態度を考えれば当然か。

 「……」

 「……」

 また沈黙が流れてしまう。

 普段の俺ならそのまま帰るんだろうけど、何故か今日の俺はそうしたくなかった。

 「医者になりたいのか?」

 「……うん」

 「そうか」

 俺、前はどんな風に話してたっけ?

 あまりにも昔のことで、どう接したらいいか分からなくなってしまう。

 唯の雰囲気がいつもと違うからか、つい俺も気まずくなる。

 そんな事を考えていたら、今度は唯が質問してきた。

 「理央くんは……やっぱり大学に進学するの?」

 「いや、普通に就職するつもり」

 「えっ! 勿体ない!」

 「!!」

 びっくりした……。

 俺の反応を見た唯がそのまま話を続ける。

 「いや、頭良いのに勿体ないなぁって思って」

 「あぁ……。別にやりたい事もないから」

 唯にはああは言ったものの、実は大学に行きたいと言う気持ちはある。

 ただ、大学に進学するためにはお金がかかる。

 俺には進学できるようなお金は無い。

 「そうなんだ……」

 唯の返答を最後に、また会話が途切れてしまった。

 「……気まずい」

 慣れない会話にそんなことを思う。

 それでも少しでも会話ができたことが嬉しかった。

 いつも冷たく接してしまってごめんな。

 それでも唯のことが心配なんだ。

 俺と一緒に居たら、お前は不幸になってしまうだろ。

 言いたいことは山ほどあるのに、怖気付いてしまうのは、有栖さんが言うように変化を恐れているからなのだろうか。
エピソード8
side東雲唯


 「唯! また明日ー」

 「また明日!」

 今日は一段と暑く、早めに部活が終わった。

 「まだ帰る気分じゃないし、教室で勉強でもしようかな」

 そんなことを考えながら、誰もいない夕方の教室へと向かった。

 「時間もあるし、受験対策でもしようかな」

 そう決めた私は、カバンから医学書を取り出した。

 もちろん参考書を使った対策もしている。

 ただ、生まれた時から医学の世界に囲まれて育った私は、父が使う医学書を借りて、専門的なことを学ぶこともある。

 早い時期に対策をするに越したことはない。




 
 どれくらい経っただろうか。

 気が付けば私はいつの間にか眠っていた。

 「うぅ……う」

 たす……けて……。

 怖いよ……苦しいよ。

 い……ゆい……。

 「唯! 起きろ!」

 「はぁっ……!」

 ……理央くん?

 どうしてここにいるの?

 「大丈夫か? うなされてたけど」

 私がうなされていた……?

 「よく、分からない……。夢を見たような気がするんだけど……」

 真っ暗な空間が広がっていて、悲しい気持ちになった気がする。

 でも、その夢の内容は思い出せそうになかった。

 「こういう事……よくあるのか?」

 今日の理央くんなんか変だな。

 いつもは話しかけるなって雰囲気出してるのに、今は理央くんの方から話しかけてくれている。

 「どうだろ。自分では気づいてないだけで何回かあったのかも」

 いつも冷たくされるから、私もつい素っ気ない態度をとってしまう。

 でも仕方がないじゃん。

 突然自分のことを嫌っていた人が急に優しくなったら、誰だって戸惑うものでしょ。

 「……」

 「……」

 また沈黙が流れてしまう。

 「医者になりたいのか?」

 「……うん」

 「そうか」

 そんな気まずそうな顔をするなら何も聞かなきゃいいのに。

 というか私も私だよね。

 前は挨拶くらい無視をされても普通に接することができたのに、どうやら今日はそれが難しいらしい。

 悪夢のせいで私までおかしくなったみたいだ。

 でも理央くんの進路は気になっていたから、私からも質問をしてみることにした。

 「理央くんは……やっぱり大学に進学するの?」

 「いや、普通に就職するつもり」

 「えっ! 勿体ない!」

 「!!」

 あ……。

 理央くん急に私が大きな声を出して驚いたみたい。

 今の反応はどう考えても不自然だったよね。

 「いや、頭良いのに勿体ないなぁって思って」

 私は自然な流れになるよう、そのまま話を続けた。

 「あぁ……。別にやりたい事も無いから」

 「そうなんだ」

 そこからまた会話が途切れてしまった。

 もう話題もなくなってしまった。

 「……気まずい」

 やっぱり私は理央くんが苦手で、そんな事を思ってしまう。

 でも、理央くんは私が悪夢にうなされていたのを本気で心配しているようだった。

 それに、今日の話し声はいつもより心做しか優しかった。

 もしかしたら……これが本当の理央くんの姿なのかもしれない。

 そんな風に考えると、心のどこかで彼ともう少し話してみたい、彼のことをもっと知りたいと思うようになってきた。

 思えば夏祭りの時も不自然だった。

 私のことが嫌いなら放っておけば良いのに。

 どうして急に優しくなるの?

 私だけに冷たく接しているのはどうして?

 私……理央くんのことが分からない。

 聞きたいことは山ほどあった。

 それでも、直接本人に聞く勇気もなく、ただ気まずい空気だけがその場に漂っていた。





 ピンポーン

 「はぁい」

 「こんにちは! 唯は居ますか?」

 「澪ちゃん、いらっしゃい! 唯なら今自分の部屋にいるわよ」

 「ありがとうございます」

 「唯ー!」

 「澪ちゃん! いらっしゃい」

 私たちは今日、勉強会をする約束をしていた。

 「にしても二人で遊ぶのって久しぶりじゃない?」

 「遊ぶんじゃなくて勉強するんだけどね。でも本当に久しぶりだね! 最近は他の人と一緒のことが多かったし」

 「だよねー。夏祭りも最後の方は結局四人で回ったしね」

 夏祭り……。

 ふとその時の思い出が蘇ってきた。

 いつもと様子が違った理央くん。

 様子が違うと言えば、この前の教室でのことだって……。

 「あれ、あそこにあるぬいぐるみって……」

 「あぁ、あのクマのぬいぐるみね。どこに置こうか迷ったけど、やっぱり一番見やすい棚に置くことにしたんだ」

 「結構気に入ってるみたいだね」

 気に入ってる……。

 まぁ、そうなのかな。

 あのぬいぐるみは理央くんから貰ったものって考えると不思議な気持ちになるけど、それでも嬉しいものは嬉しかった。

 「そうだね。可愛いし、お気に入りだよ」

 「へぇ、もしかして理央が取ってくれたからとか?」

 「えっ……!」

 急に理央くんの名前が出てきたから驚いた。

 「別に、誰から貰っても嬉しかったよ。元々は澪ちゃんが私にあげようとしてたんでしょ? だからより嬉しく感じるのかな」

 「うちが元々ねぇ……。これ言ってもいいのかな」

 どうしたんだろ。

 澪にしては珍しく歯切れが悪い物言いだ。

 「どうしたの?」

 私は澪の言うことが気になったので、話しやすいように促した。

 「いや……理央、うちがこれ唯にって言ったって話してたけど、うち何も言ってないのよね」

 ん……?

 つまり、どういうことだ?

 その表情を読み取ったのか、澪がそのまま続ける。

 「このぬいぐるみ、うちが何も言ってないのに、唯が欲しいものだって気が付いたみたいなの」

 そうだったの……?

 でもどうして、私はこの事を理央くんに話したことはないのに。

 「不思議だよね。もしかして、前にぬいぐるみの事話したことあった?」

 「いや、そもそもあまり話したことないし、少なくとも私の記憶の中では私の好きな物とか、言ったことはないよ」

 「記憶の中では……か」

 そうだ。

 私もそこが引っかかっている。

 小さい頃の記憶なんて、あまり覚えてないという人がほとんどだと思う。

 でも私の場合、言葉では表現しづらいけど、何かが抜け落ちたような、あまりにも遠い過去すぎて忘れたような、とにかく不思議な感じがするのだ。

 それは理央くんの存在も同じだ。

 理央くんは何故か私の好みを知っている。

 それもあまり話したことがないのに。

 それに実を言うと、私自身も初めて会った気がしない。

 まるで昔に会ったことがあったような……。

 でもそんな記憶は私の中に存在しない。

 「これは、俗に言うアレなのかもね」

 神妙な空気を消すように、澪の声が響いた。

 「アレ……とは?」

 澪がその後に言う言葉が、何故か私は怖かった。

 「運命ってやつ!」

 「……え?」

 どうやら私の考え過ぎだったようだ。

 澪の予想外の言葉に、反応に困ってしまう。

 「ほら、運命の人って言葉にしなくても伝わる、みたいなこと言うじゃん?」

 そう……だったかな?

 「もしかしたら前世で会ってたのかもしれないね。だったら妙に不思議な感じがするのも違和感ないかも!」

 ……前世で会ってた。

 理由は分からないけど、その言葉が私の頭から離れなかった。

 「まぁ、うちらは現在を生きているわけだから、前世のこととかは分からないけど。実際どうなの? 唯は理央のことどう思ってる?」

 私は理央くんのこと……。

 「初めは……私にだけ冷たくて、一緒に居ると気まずいし、できることならあまり関わりたくなかった」

 「うんうん。そんな雰囲気が出てたよ」

 「でも今は、もっと理央くんと話したい。理央くんのことが知りたい。理央くんと……仲良くなれたらなって思ってる」

 そう言うと、澪は目を輝かせながら私の方を向いた。

 「それってもしかして……!」

 「もしかして私、理央くんと友達になりたいのかな?」

 「……マジかよ」

 そう言う澪は呆れた表情をしていた。

 「あれ。私何か変なこと言った?」

 「いや、何も。二人とも鈍感だなー」

 私は澪の言葉がどういう意味なのか分からなかった。

 「まぁいいわ。そんな理央と仲良くなりたい唯に一つ提案があるの」

 「提案?」

 「理央と遊びに行ったらどう?」

 えっ……!

 それは急じゃない?

 「流石にそれは……。急に遊びに誘うとか、不自然過ぎない?」

 「恋愛初心者の唯にはハードルが高かったか」

 れっ、恋愛!?

 なんで急にそんな話になるのよ。

 「じゃあ、うちがセッティングしてあげる! うちと兄貴も一緒だったら不自然じゃないんじゃない?」

 「良いのかな……。何か申し訳ないし、何より理央くんが承諾してくれるのか……」

 「そうかな? 意外と理央は楽しむと思うけどな。なんなら唯以上に」

 理央くんが楽しむ姿なんて想像できないけど。

 それでも私は澪の提案を受けることにした。

 「じゃあ、申し訳ないけどお願いしてもいい?」

 「任せて!」

 緊張してドキドキするけれど、楽しみだな。

 あ……それより、

 「そう言えば、そろそろ勉強始めないとね」

 「え……あ、そうだったぁぁぁ」

 澪の絶望した声が聞こえる。

 「ほら。まずは課題から終わらせるよ!」

 そこから私たちは、辺りが夕焼けに包まれるまで勉強を続けた。
エピソード9
side東雲唯


 『ねぇ、明日予定空いてる? 一緒に映画でもどうかなって思ったんだけど』

 『明日なら何も予定入ってないな。ちなみにどんな映画だ?』

 『えっとね……「君に会いたい」っていう映画!』

 『……ガッツリ恋愛ものじゃん。俺苦手なんだけど』

 『いいじゃーん。前理央くんの好きなアクション物観たでしょ? 意外と面白かったし、もしかしたら理央くんも気に入るかも!』

 『……分かった。じゃあ明日駅前に集合な』



***

 

 今日は約束の遊びに行く日だ。

 澪ちゃんったら、「何して遊ぶの?」って聞いても「秘密!」ってしか言わなくて、結局当日までどこに行くのか分からないままだった。

 「あ……」

 駅前にあるあの映画のポスターが目に入った。

 「もう公開されてるのか。観に行きたいな」

 前に樹と約束してたから、改めて誘ってみるのも良いかもしれない。

 そんなことを思いつつ、皆が来るのを待っていると、

 「……理央くんだ」

 「あ……」

 お互いまだ気まずいのか、よそよそしい雰囲気が漂う。

 「……おは、よう」

 !!

 「おは……よう」

 まさか向こうから挨拶してくれるとは思わなかった。

 いつもだったら私が挨拶をしても無視されていたから。

 それだけでも驚いていたのに、理央くんはそのまま話を続けた。

 「あ……その、東雲の後ろにあるポスター」

 「えっ? あぁ……『君に会いたい』だよね。予定が合えばいつか観に行きたいな」

 ていうか、理央くん『君に会いたい』なんて知ってたんだ。

 恋愛映画とか興味なさそうなのに。

 その時、理央くんが不思議そうな顔をした。

 「もしかして一ノ瀬から何も聞いてないのか?」

 「えっと……今日のこと? 当日まで秘密って言われて、何も教えてもらえなかった」

 「今日この映画を観に行く約束だったけど」

 「えっ! そうなの!」

 どうして澪は教えてくれなかったのよ。

 「俺も観たいって思ってたから丁度良かったわ」

 「意外……。理央くん恋愛映画とか苦手そうなんだけど」

 「あ……まぁ、意外と好き……かも」

 ハッキリとしない返事だったけどそれよりも会話が続いていることに驚いた。

 「……アクション映画とかの方が好きそうなイメージだった」

 「え! そう見えるか?」

 これ絶対好きな反応じゃん。

 「好きなんだね。アクション映画」

 「でも今日の映画も楽しみにしてるから」

 私も楽しみだ。

 少しだけだけど、理央くんのことが知れた気がする。

 「あ! 二人共もう来てたんだ!」

 そこに樹と澪がやってきた。

 「じゃあ揃ったことだし、そろそろ行きますか」

 「映画を観に……だよね」

 「えっ? 唯どうして知ってるの? 驚かせようと思ったのに!」

 やっぱり……。

 澪のことだから、きっと驚かせようとしてるんだなとは薄々感じていた。

 「理央くんが教えてくれたの」

 「もう! なんで言っちゃうのよ!」

 「口止めされてなかったし。でも東雲喜んでたっけよ」

 「そうなの? だったら良かった!」

 それから私たちは映画館へと向かった。

 「やっぱ混んでんなぁ。予約しておいてよかったな」

 本当に知らなかったの私だけなのね。

 「そうだ! 席なんだけどどうする? 四席並んで空いてるところがなくて、二人ずつに分かれないといけないんだけど」

 「じゃあ、 私と澪ちゃんで……」

 「ここは、オレと澪が一緒だな!」

 何でそうなるの?

 「理央もそれでいいよな?」

 「え、あ……うん」

 そして何で理央くんはそれを承諾するの?

 よく分からなかったけど、一番の目的は映画を観ることだし、特に席は気にしないことにした。

 映画のストーリーはよくある設定だった。

 幼馴染の二人はなかなか素直になれず、互いに好意を抱きながらも、何度もすれ違ってしまう。

 そんなある日、彼女は突然彼の前から姿を消してしまう。

 傍にいることが当たり前になっていた人が、いざ目の前から居なくなると、どれほどの喪失感に襲われるだろうか。

 彼女が突然姿を消した理由を探し、最終的には本音でぶつかり合い、お互いが心を通わせる。

 そんなストーリーだった。

 ありきたりな設定だけど、私は苦悩や葛藤を描いた物語が好きだった。

 そういう困難に立ち向かう時こそ、平凡な日常の中にある幸せに気が付くことができるから。

 自分にとっての幸せってなんだろう。

 そう考えるきっかけを与えてくれる。

 それに加え、『君に会いたい』は細かな描写が印象的で、伏線も所々に散りばめられており、つい見入ってしまう作品だった。

 没頭しすぎていたのか、あっという間に終わってしまったように感じる。

 「やっぱ観に来てよかった! 理央くん、一旦二人と合流しようか」

 そう言って理央くんの方を見ると、

 「えっ……」

 そこには何故か泣いている理央くんが居た。

 確かに感動する映画だったけど、ハッピーエンドだったし、これほど泣くものでもなかったんだけど。

 もしくは意外と涙脆いとか?

 「理央くん? この映画泣くほど良かった?」

 そう聞いた途端、理央くんは驚いたような顔をしていた。

 「泣いてる……? 俺が?」

 どうやら自覚していなかったようだ。

 「……この映画感動したもんな」

 それが涙の理由ではないんだろうけど、楽しんでいたというのは本当みたいだから、感動の涙ということにしておくことにした。

 「ほら、二人が見たら心配するでしょ? 涙拭いて」

 そう言ってハンカチを差し出す。

 「……え」

 「あ! 一回も使ってないから大丈夫!」

 「いや、そういうことじゃなくて。……ありがと。洗濯して返すな」

 「分かった」

 あれ。

 これ明日も話す流れになった?

 そんなことを思いつつ、私たちはエントランスへと向かった。

 「やっぱ観に来て正解だったね! すっごく感動した!」

 「こいつ、すげぇ号泣しててさ。マジ驚いたわ……ってえ? まさか理央も泣いたのか?」

 「……うっさい」

 「照れんなよー」

 「あはは!」

 驚いた顔で理央くんがこちらを見た。

 「ごめんね。つい、理央くんって可愛いんだね」

 「可愛い……」

 あ、男の子に可愛いはマズかったかな。

 それでも理央くんは特に気にしていないようだった。

 むしろ少し嬉しさを滲ませている。

 「ちょっと兄貴」

 「ん? ……あぁそうだな」

 何やら二人が話しているようだった。

 「あー……。理央、唯。オレたちこの後用事あって抜けないとなんだよね」

 「ごめん! 最初に帰らせてもらうね」

 「大丈夫。元から映画だけの予定だったしな」

 「私も大丈夫だよ!」

 「わりぃ。じゃあまた学校でな!」

 ……今気が付いたけど、これって理央くんと二人っきりになるってこと?

 まずい。

 どうしよう。

 そんなことを考えているうちに、二人の姿はもう見えなくなっていた。

 「……えーと」

 「とりあえず……歩くか」

 「そうだね」

 私たちは駅に向かって歩き出した。

 その時、ふと花屋が目に入った。

 「あ……クリスマスローズだ」

 「クリスマスローズ? もう販売されてるのか?」

 「うん。小苗だけどね」

 「買いに行くか? 好きなんだろ?」

 「えっ? まぁ、今日は映画観る分しかお金持ってきてないし、また今度かな」

 まただ。

 また、このなんとも言えない不思議な感覚。

 今日で、少しは距離が縮まったよね?

 じゃあ聞いてみてもいいんじゃないのかな。

 「ねぇ、理央くん。一つ聞きたいことがあるんだけど」

 「なんだ?」

 「私たちって前会ったことあるの?」

 理央くんはピタッと立ち止まった。

 「どうしたんだ急に」

 その声は決して冷たいものではなく、単純に疑問に感じているという声だった。

 「どうして私の好きな物を知ってるのかなって思って。話したことないはずなのに。だから昔話したことがあったのかなって思ったの」

 「……とりあえず座ろうぜ」

 理央くんの言葉に促されて私たちは近くのベンチに座った。

 「私、実は記憶が曖昧っていうか、昔のことあまり覚えてなくて」

 「……」

 理央くんは静かに私の話を聞いている。

 「だから、もしかしたらその時に会ったことがあるのかなって」

 何故か理央くんは黙ったままだった。

 「半分、正解……かな」

 しばらく経って理央くんが放った言葉は意味深なものだった。

 「樹がよく東雲のこと話してたんだよ」

 そうなの?

 なんだか釈然としないけど、本人が言うのならそれしか理由がないよね。

 「理央くんだけが私のことを知ってるみたい」

 「そうか?」

 「なんか……悔しい。私ももっと理央くんのことが知りたい。もう少し仲良くなりたいって思ってるのに。だから……」

 「それって……」

 「だから、私と友達になろ!」

 「……え?」

 「実は私理央くんとずっと話してみたかったの。今日、沢山話せて嬉しかった」

 「……俺も、楽しかった」

 理央くんも同じこと思ってたの?

 それはなんだか嬉しいな。

 「……友達。うん。俺も……仲良くなれたらって思う」

 ……ッ!

 その言葉は思った以上に嬉しかった。

 「俺たちは今日から友達(・・)な」

 そう言って彼は私に微笑んでくれた。

 初めて私に見せてくれた心からの笑顔は、家に帰ってからも忘れられなかった。
エピソード10
side九条理央


 「じゃあ、今日の部活は終わり! お前ら、しっかり体休めろよ」

 はぁ……。

 やっぱ強豪校ともなると練習はキツイな。

 数ヶ月前に三年生が引退し、一年生も本格的に練習に参加するようになった。

 想像はしていたが、いざ体感すると思っている以上に体力は削られるものだった。

 「理央お疲れ。一緒に帰ろうぜ」

 「お疲れ様。今日は東雲と一緒じゃないのか?」

 「唯? まぁ別にいつも一緒に帰ってる訳じゃないし、今日は部活のメンバーでご飯食べに行くって言ってたぞ」

 俺はなんで唯の名前を出してんだよ。

 これじゃあ変に思われるじゃないか。

 「……そっか」

 俺はどう反応すれば良いか分からず、ただ流すように返事をした。

 「あ……『君に会いたい』だ」

 家に向かって歩いていると、駅に貼ってあるポスターを見つけた。

 「もう公開されてるのか。そういえば唯と観に行く約束をしたな」

 「そう……」

 「あ、どうせなら理央も一緒に行かないか? 澪が理央と唯誘って遊ぼうって言ってたし」

 協力ってこういうことだったのかよ。

 俺と唯が一緒に遊びに行くって明らかに不自然じゃないか。

 「樹は……東雲と二人で行かなくていいのか?」

 「オレ?どうしてオレが唯と二人で行くんだ?」

 「……東雲のこと好きなんじゃないの?」

 ずっと笑顔だった樹が一瞬表情が固まったのが分かった。

 「そう……見えるのか?」

 ハッキリとした返事じゃない。

 樹がそんな反応をするということは、少なからず自分でも自覚はしているということだろう。

 「唯はきっと俺のこと兄貴程度にしか見てないんだろうな。まぁ、自業自得だけどな」

 樹の悲しそうな表情が強く頭に残る。

 「そんな暗い顔すんなって! 俺は幼馴染として傍に居るだけで満足だから!」

 これは……こいつの本心なんだろうか。

 長い間一緒にいても、人の本心はなかなか分からないものだ。

 「だから、理央は思う存分に楽しんでくれたらいいんだよ。映画一緒に観に行くか?」

 「……うん」

 唯と一度しっかり話してみたかったし、この機会が丁度良いと思って樹の提案を承諾することにした。





 映画を観に行くことになった約束の日。

 あれから学校で何回か目が合った気がするが、特に会話をすることはなかった。

 そもそも、今日俺が来ることを知っているのだろうか。

 そんなことを思っていると、駅で待っている唯を見つけた。

 「……理央くんだ」

 「あ……」

 急に名前を呼ばれたことに戸惑い、つい反応に困ってしまった。

 「……おは、よう」

 その声はあまりにも弱々しいものだった。

 「おは……よう」

 !!

 まさか挨拶を返してもらえるとは。

 唯が無視をすることはないだろうけど、いつも冷たい反応をしてしまう俺に挨拶を返したことに驚いた。

 だから俺は、勇気を出して話を続けてみた。

 「あ……その、東雲の後ろにあるポスター」

 「えっ? あぁ……『君に会いたい』だよね。予定が合えばいつか観に行きたいな」

 いつか……?

 まさか何も聞いてないのか?

 「もしかして一ノ瀬から何も聞いてないのか?」

 「えっと……今日のこと? 当日まで秘密って言われて、何も教えてもらえなかった」

 「今日この映画観に行く約束だったけど?」

 「えっ! そうなの!」

 どうして一ノ瀬は教えなかったんだよ。

 「俺も観たいって思ってたから丁度良かったわ」

 「意外……。理央くん恋愛映画とか苦手そうなんだけど」

 「あ……まぁ、意外と好き……かも」

 得意ではないのに、俺はつい嘘をついてしまった。

 「……アクション映画とかの方が好きそうなイメージだった」

 「え! そう見えるか?」

 あ……。

 これはあからさまだったかな。

 「好きなんだね。アクション映画」

 「でも今日の映画も楽しみにしてるから」

 これは本心だった。

 「あ! 二人共もう来てたんだ!」

 そこに樹と一ノ瀬がやってきた。

 「じゃあ揃ったことだし、そろそろ行きますか」

 「映画を観に……だよね」

 「えっ? 唯どうして知ってるの? 驚かせようと思ったのに!」

 やっぱり……。

 夏祭りの時もそうだけど、ほんとサプライズが好きなんだな。

 「理央くんが教えてくれたの」

 「もう! なんで言っちゃうのよ!」

 「口止めされてなかったし。でも東雲喜んでたっけよ」

 「そうなの? だったら良かった!」

 それから俺たちは映画館へと向かった。

 「やっぱ混んでんなぁ。予約しておいてよかったな」

 「そうだ! 席なんだけどどうする? 四席並んで空いてるところがなくて、二人ずつに分かれないといけないんだけど」

 「じゃあ、 私と澪ちゃんで……」

 「ここは、オレと澪が一緒だな!」

 何でそうなるんだ?

 「理央もそれでいいよな?」

 「え、あ……うん」

 そして何で俺はそれを承諾したんだ?

 でもこれは折角の機会だと思い、特に席は気にしないことにした。

 没頭しすぎていたのか、あっという間に終わってしまったように感じた。

 この映画を観たのは二回目なのに、いや二回目だからこそ登場人物たちの心情が痛いほどに分かった。

 「……理央くん? この映画泣くほど良かった?」

 え……?

 しばらくの間余韻に浸っていたのか、急に唯の言葉が耳に入ってきた。

 「泣いてる……? 俺が?」

 きっと……"あの日"のことを思い出したせいだろうな。

 この映画はあまりにも俺に重なる部分が多かったから。

 「……この映画感動したもんな」

 だけど本当のことを言う訳にもいかず、それっぽい事を言って誤魔化した。

 「ほら、二人が見たら心配するでしょ? 涙拭いて」

 そう言って唯はハンカチを差し出した。

 「……え」

 「あ! 一回も使ってないから大丈夫!」

 「いや……そういうことじゃなくて。……ありがと。洗濯して返すな」

 「分かった」

 あれ、もしかしてこれは明日も話すって言ったようなもんじゃないか?

 そんなことを思いつつ、俺たちはエントランスへ向かった。

 樹には泣いたことをバカにされたけど、不思議と嫌な気持ちじゃなかった。

 その後に唯の笑顔が見れたから。

 そう思っていたのに……。

 「ねぇ、理央くん。一つ聞きたいことがあるんだけど」

 唯が突然駅前でそんなことを言った。

 「なんだ?」

 「私たちって前会ったことあるの?」

 ……え?

 唯が……どうしてそれを?

 「どうしたんだ急に」

 「どうして私の好きな物知ってるのかなって思って。話したことないはずなのに……。だから昔話したことがあったのかなって思ったの」

 「……とりあえず座ろうぜ」

 俺は冷静さを保つために、近くにあったベンチへ座ることを提案した。

 「私、実は記憶が曖昧っていうか、昔のことあまり覚えてなくて」

 「……」

 どういうことだ?

 唯の記憶が曖昧?

 そんなはずはないのに。

 「だから……もしかしたらその時に会ったことがあるのかなって」

 唯の鋭い質問に答えに悩んでしまった。

 「半分、正解……かな」

 悩んだ末に出た答えは、自分でもよく分からないものだった。

 「樹がよく東雲のこと話してたんだよ」

 間違ったことは言っていない。

 昔も今も、口を開けば唯のことを話している。

 「なんか、理央くんだけが私のことを知ってるみたい」

 「そうか?」

 そう思うのも当然かもしれない。

 「なんか……悔しい。私ももっと理央くんのことが知りたい。もう少し仲良くなりたいって思ってるのに。だから……」

 「それって……」

 ……ほぼ告白じゃん。

 「だから、私と友達になろ!」

 「……え?」

 「実は私理央くんとずっと話してみたかったの。今日、沢山話せて嬉しかった」

 ……だよな。

 樹の好意に気が付かないなら、告白なんて思考はないだろうな。

 でも真っ直ぐ向き合ってくれた唯だからこそ、俺も本心を伝えたくなった。

 「……俺も、楽しかった」

 ……友達。

 友達かぁ。

 「……友達。うん、俺も……仲良くなれたらって思う」

 友達という響きが俺にとっては特別なものに感じられた。

 上手く話すことができなかったのに、こんな風に仲良くなれる日が来るなんて、思いもしなかった。

 「俺たちは今日から友達(・・)な」

 そう言って俺は唯に精一杯の笑顔を見せた。

 間違いなく、一歩ずつ前進している。

 俺はその事実を嬉しく感じていた。

 それがいけなかったのか……。

 俺は思った以上に浮かれすぎていたのかもしれない。

 二度と間違いは繰り返さないと思っていても、未来はそう簡単には変えることができないというのに。