第四章 乗り越えるべき試練〈Last obstacle〉

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 蓮は意識を取り戻した。すぐにきょろきょろとあたりを見回す。
 周囲は一面、おどろおどろしい黒色や紫色のグラデーションで満ちており、何かが蠢くかのようにぐにゃぐにゃと、ひっきりなしに色が移り変わっていた。頭上には血のような赤の星々が見られ、時折、雷のような光がはるか遠くで轟音を鳴らしている。
(ここはどこだ? 俺たちは確か堕天使とやらと戦って、勝ちはしたけどみんなずたぼろで、アキナは異様な姿になって)
 蓮が訝しんでいると、ふっと隣に人が現れた。濃紺のセーラー服姿のアキナだった。蓮を視認すると、小さな顔は花が咲くような笑顔になった。
「蓮くん! 良かった、生きてた! ……でも私たち、どうしてこんな不思議空間に? それとあの敵とクウガはどこ?」
 一転、アキナは整った眉を不審げに顰めた。
「わからないよ。俺もさっきこの世界で目が覚めたんだ。それとさっきの敵はな、アキナが倒したんだよ」
 蓮が厳かに真実を告げると、「えっ」と、アキナはぽかんとした表情を浮かべた。
「やっぱり意識がなかったのか。えっとな、光線で殺されると思った瞬間、反撃してぶっ飛ばして。そんでもあいつは無傷で戻ってきて。そしたらアキナがあいつの霧を吸い込み始めて。すぐに全身が漆黒蹴姫(ダークネスキッカー)の鱗に包まれて」
「え、全身? 腕とか胸とかもってこと?」混乱しきった声音でアキナが問うてくる。
「うん。で、あいつが攻撃してきたけど、アキナは意にも介さず踵落としをして一撃で倒した。簡単に説明するとこんなとこだよ」
「……そうか。全然覚えてないや。なんか、怖い、自分が」
 憂いを帯びた面持ちでアキナが呟いた。蓮は何を告げるべきかわからない。またグラウゼオがアキナに跪いた件は、いうべきかどうかがわからず言えなかった。
「まあ考えたってどうしようもないよね。今はこのわけのわからない状況をどうにかしないとだね」
 アキナの静かな意思表示に、蓮は「ああ」と答えた。
 直後、蓮たちのいる直径十メートルほどの黒色の足場の一角に、同色の階段が下から上へと出現し始めた。
 二人は顔を見合わせて、小さく頷きあった。そしてぽっかりと宙に浮く黒色の階段を上り始めた。幅は狭く、二人で並んでも狭く感じるほどである。進行方向、斜め上を見ても終わりは見えず、階段はどこまでも続くかのように思われた。
 百段ほど行った頃、少し先に何かが出現し始めた。二人がぴたりと立ち止まると、やがて黒一色の扉が姿を現した。幅は階段の倍ほどで、高さは蓮の三倍以上あった。
 蓮が右の掌で触れると、扉は音もなく開いた。二人は扉をくぐり、内部の空間に目を遣った。
 中は円形の部屋だった。直径は、歩幅にして三十歩程か。天井はなく、頭上では数多の星々が邪悪な輝きを見せている。
 壁には石が敷き詰められており、等間隔に松明の炎が燃えていた。だが周囲をほんのり照らすだけで、そこはかとなく暗い雰囲気だった。
 蓮が様子を確認し終えるや否や、部屋の中心から黒みがかった透明の光が差し込んできた。しばらくして、人の形をした何かが光と同じルートで降りてくる。
「……魔臣ディヴァラか。まーた厄介な奴が出てきたね」呆れたような調子でアキナが呟いた。
(アキナ、また敵の名前を口に出して……。どうなってんだ? 意識してないのか?)
 不安を抱きつつも蓮は、ディヴァラと呼ばれた敵を注視する。
 ディヴァラは、蓮と同程度の背丈だった。胸から膝は、黒色の革の鎧で覆われている。ただ異常なのは、肩から伸びる顔と両手だった。
 鎧と同色の兜を被る顔は三面。どれもがいかめしい骸骨のもので、目の部分には不気味な赤色の光が宿っている。
 毒々しい紫色の腕は六本。その全てがアキナの脚ほどの太さで、剣、槍、斧、片手弓、ブーメランと、それぞれが異なる装備をしていた。腕の一本は徒手で、怪しげに開閉を繰り返している。
「『仲良しこよしでよろしくね』って感じじゃあどう見てもないよね。戦闘は避けられない、か。そんじゃあとっととぶっ倒して、この不愉快度マックスな世界からおさらばしちゃいますか」
 不穏な調子で言い放つと、アキナはムエタイの構えを取った。蓮も覚悟を決め、精神集中すべく呼吸を整え始めた。