空調は常に入っているのだが、やはりここはちょっと独特の空気だ。世の常ならぬ気配が漂っている。

 僕はゆっくり、音を出さないように戸のあった方角へ向かった。今ならここに人の来る心配はないはず……。

 と、油断していたところ豆腐を切ったように地面に目が走り、音も無く床が持ち上がる。

 僕は度肝を抜かれ本棚の陰に身を潜めた。

 社長の息子だ! 名前は……なんだっけ? 紀見屋仙一、そう、紀見屋仙一だ!

 天井の最近LEDに変わった電灯の光を前額部に受け、なにか聖なるもののように輝かせながら、鼻歌を歌って地面からのっそり現れた。

「だあれ?」

 相変わらず優しい声だ。いや、ちがう。そうじゃない。

 気づかれていたのか?

「誰かいる?」 

 耳たぶの裏側を撫ぜていくような声音。親し気というわけでもない。ただ、妙に惹かれる。このまま出て行っても受け入れてくれそうな気がするのだ。

 しばらく見ていると仙一氏は苦笑いし、恥ずかしそうに二階の店舗の方に出て行った。

 危なかった。ただのハッタリだったのだ。出て行ってしまうところだった。

 僕は用心のため、もう少し隠れて様子を伺い人のいないことを確かめ床の戸に近づいた。

 ザラザラしたコンクリートの床に耳を貼り付け、地下の様子を確認する。……物音は聞こえない。

 大丈夫であろう。おそらく。もしもまだ人がいた場合の誤魔化し方を、瞬間的に何十通りも考えながら僕は床の蓋を開けた。

 埃っぽい、黴臭い臭いが僕の鼻腔の奥を刺激する。反射的に蓋を閉めそうになるが我慢した。

 当然かもしれないのだが、中には明かりがない。僕は少し迷ったが結局地下階へ降りて落とし戸を閉めてしまった。

 真っ暗だが仕方ない。用心のためだ。

 懐中電灯の一つも持ってこなかった自分の迂闊さが悔やまれる。

 手探りで周囲をまさぐり、電気のスイッチを探した。いや、そんなものがあるのかどうかもわからないのだが、おそらく存在するだろうと仮定してのことだ。

 周囲は明らかに紙の質感であった。通常の本の背表紙とは少し違うが、書物であることは間違いなさそうである。

 やがて指の先にスイッチらしきものが当たった。パッと明かりが点く。

 僕はぎょっとした。紙束が山のように積まれていて、ある意味予想通りなのだがマンガ本のようには見えなかった。

 和綴? というのか紙質からも現代に製本されたものとは思えない。

 異様な雰囲気は体中の毛穴からビシビシ感じる。

 紙の層は何か生き物の断面のように見えて汚らわしく感じられた。