ここ最近、ギルドに配達されてくるゼクセリア共和国のメジャー新聞では、タイアド王国が混乱しているとたびたび特集が組まれている。
タイアド王国はルシウスの故郷アケロニア王国と同じ円環大陸の北西部にある。
間に小国があるからお隣さんではないが、王族同士が縁戚にあるので、ふたつの国は同盟国となっている。
ギルマスのカラドンたちが目を通した後の新聞は食堂に置かれるので、冒険者たちも暇なとき眺めている者が多かった。
「よっしゃ、一稼ぎしてくるか!」
国が混乱しているときは、かえって高額報酬の依頼が増えるものだ。
王侯貴族など社会の上層部からの護衛依頼が増える時期でもある。
混乱に乗じてハイクラスの人々を害そうとする輩が増えるためだ。
「おじさんたち。行かないほうがいいよ」
食堂で配膳の手伝いをしていたルシウスが、横から口を挟んだ。
「行かないほうがいい。タイアドはあまり良い国じゃないしね」
そうルシウスがルシウスが忠告したのは、七人の冒険者パーティーに対してだった。
だがパーティーはあっさりスルーすると、こうしちゃいられないとばかりにココ村支部を出ていくのだった。
「……僕はちゃんと忠告したからね」
小さく呟くルシウスの小柄な背が、ちょっとだけしょんぼりと更に小さく見える。
テーブル席で午後の紅茶を楽しんでいた女魔法使いのハスミンは、魔女らしい黒い先折れ帽子のつばを弄りながら、そんな光景を見ていた。
「“忠告”かあ。うーん、ルシウス君ってやっぱり……」
可憐な美少女のような顔に憂いをのせて、水色の瞳を翳らせていた。
ランチタイムも終わり、給仕の仕事を手伝っていたルシウスも遅い昼食だ。
今日のランチはマグロのオイル漬けツナを使った焼き飯と海藻とタコのマリネ、それにいつものワカメスープである。
このツナもルシウスはココ村支部に来てから初めて食したのだが、噛み締めるとじゅわっと炊き込まれたスープとオイル、魚の旨味が溢れてきて美味い。
夕食だとこれを使ったグラタンをたまに料理人のオヤジさんが作ってくれるのがルシウスの楽しみだった。
あと軽食用にほぐし身をマヨネーズや玉ねぎのみじん切り、パセリなどのハーブと和えたものを挟んだツナサンドは絶品だ。
簡単にマヨネーズと和えただけのほぐし身を入れて握った例の黒い塊、“おにぎり”にしても美味い。ぺろりと五個はいけてしまう。
大盛りにしてもらった焼き飯定食をモリモリ食べ終わり、食後のお茶を貰って、冒険者たちが読んでいた新聞に目を通す。
「タイアド王国、ねえ」
見出しによると、故郷アケロニア王国と同じ、円環大陸の北西部にあるタイアド王国では今、大問題が発生しているそうな。
王太子が、婚約者だった公爵令嬢と婚約破棄して、まさかの男爵令嬢と結婚すると宣言したらしい。
「あれ? タイアド王国の王太子の婚約者ってたしか……」
確かグレイシア王女様のおじい様、先王ヴァシレウス大王の最初の王女様が何十年も前にタイアド王国に輿入れしていたはずだ。
今の王太子は、その王女様とは別の側室との孫。
王女様の孫の公爵令嬢は、その王太子の従兄弟で婚約者だったはず。
「お、詳しいこと知ってるのか? ルシウス」
「オヤジさん。知ってるけど、あんまり気分のいい話じゃないよ」
厨房の片付けを終えて、自分も遅い昼食の料理人のオヤジさんが横から新聞を覗き込んできた。
「タイアド王国のこと何か知ってんのか?」
「そりゃね。うちの国と因縁のある国だから」
事務処理に一息ついたのか、ギルマスたちもお茶を飲みに食堂へやってきた。
気づくと時刻は午後の二時だ。
魔物の襲来がないと暇を持て余すのが、ここ冒険者ギルドココ村支部。
ギルマスのカラドンや料理人のオヤジさん、他の冒険者たちに促されて、ルシウスは概要を話すことにした。
ルシウスはまず、自分の故国であるアケロニア王国のことから説明していった。
ルシウスの故郷、アケロニア王国の先王ヴァシレウス大王は近年稀に見る傑物で、円環大陸の中央にある神秘の“永遠の国”から大王の称号を授けられた偉大な王様だった。
永遠の国はハイヒューマン、人類の上位種たちの国で、名目上、円環大陸のすべての国を統括していると言われている。
あまり実態が知られていない謎の国なのだが、世界各国の教会や神殿、それに冒険者ギルドなどの本部があるのはこの国の中だ。
人々や国に対して、名誉称号を時折授与することで知られている。
ステータスに自然に発生したり、修練によって獲得するスキルとは比べ物にならないほど価値のある称号を。
アケロニア王国の王族は勇者の子孫と言われていて、心ある優れた王が代々即位することで有名だ。
ヴァシレウス大王も若い頃はともかく、年老いた現在では穏やかで優しいおじいちゃんだった。
しかし、そんな彼を激怒させたことがある。
それが、最初の子供だったクラウディア王女様が嫁入りしたタイアド王家の、彼女への仕打ちだ。
クラウディア王女様は今の王様テオドロスのお姉さんで、グレイシア王女様の伯母にあたる。
故人だ。
クラウディア王女様は13歳でタイアド王国の当時の王太子に輿入れした。
タイアド王国での成人年齢は16歳。
さすがに早すぎる結婚だが、当時険悪だった両国の関係を取り持つための婚姻だったので、無理やり早めに結婚させたという経緯があった。
実際には嫁入り先のタイアド王国の成人年齢に達してから正式な婚姻の儀を挙げましょうね、という国同士の取り決めを行っての輿入れだった。
そして翌年、クラウディア王女様は十四歳で出産。
子供は男の子だったが一ヶ月で亡くなってしまった。
父王のヴァシレウス大王にその話が届いたのは、赤ん坊が亡くなった後のことである。
「妊娠も出産もなーんにも知らされなかったんだよね、うちの国。アケロニアとタイアドは間に他国があるとはいえ、同じ北西部にあるのにさ」
苦々しくルシウスが顔を歪めた。
この話を、ルシウスは当事者のヴァシレウスやその友人である父メガエリスから兄と一緒に聞かされていた。
さすがに王族や高位貴族の一部しか知らない話で、アケロニア王国の国内でも一般には流布していない話だった。
あまりにも、酷い話なので。
「え、いや、ちょっと待って。13歳で嫁入りして翌年十四歳で出産……?」
「そ。16歳の成人年齢になってちゃんと結婚式挙げるまで手を出しちゃ駄目だぞって国同士で取り決めてたのに、相手の王太子が押し倒しちゃったんだよね」
野蛮だよね、信じられないよね、とルシウスが憤慨している。
「待って……ほんと待って、うちの娘もいま13歳なんだけど、その歳で……ええええ!?」
「タイアドの王太子、マジ鬼畜。許すまじ」
「……確かに酷いな」
「もうとっくに王様になって今は退位しちゃってるけどねー」
ちなみにそのクラウディア王女様は、その後しばらくしてもうひとり王子を産んですぐに亡くなってしまった。二十代の早いうちに。
どう考えてもろくな扱いをされていなかったことが明らかである。
「まだ大人になりきれないうちに子供を産まされた最初の出産のときに、身体を壊しちゃってたんだと思う」
一番最初に儲けた、思い入れのある王女様をあまりにも早くに亡くしてしまったヴァシレウス大王。
それはそれは深く悲しみ、以来ずっとタイアド王家を憎んでいる。
だからアケロニア王国にとってのタイアド王国とは、同盟国とは名ばかりの敵性国家だ。
このことを、アケロニア王国では騎士団の将校になると必ず幹部実習で習う。
なぜ、アケロニア王国では成人貴族が全員、問答無用で軍属にさせられるかの理由だからだ。
いつでも敵性国家タイアド王国と戦争できるように、である。
ルシウスはヴァシレウス本人から「あのとき何で王太子をぶち殺しに行かなかったのか。今でも後悔している」と何度も聞かされたことがある。
具体的には当時、アケロニア王国側で別の国と小競り合いがあり、タイアドに割くためのリソースがなかった。
間が悪かったのだ。
それに、亡くなるまでの数年間の間に、クラウディア王女本人が何度も父親のヴァシレウス大王に対して両国の仲を取り持つ書簡を故国に送り続けていた。
彼女は険悪だった両国の間を結ぶためタイアド王国に輿入れしているのだ。
最後まで自分の使命を忘れなかった賢女でもあった。
「で、そのクラウディア王女様が二番目に産んだ王子が臣籍降下して公爵になった。その娘さんが、今回王太子に婚約破棄された公爵令嬢ね。うちの国のヴァシレウス大王様のひ孫様だよ」
名前はセシリア。
まだ16歳ピチピチのご令嬢だ。
ヴァシレウス大王などアケロニア王族は黒髪黒目で知られている。
だが彼女はタイアド王家の血のほうが強く出た容姿らしく、金髪碧眼でやや垂れ目の愛らしい少女と伝わっている。
ところで、アケロニア王国から娶ったクラウディア王女を早死にさせた後のタイアド王国はどうなったのか。
さすがに、13歳の少女を犯し孕ませる王太子のいるタイアド王国の評判は、国際社会で落ちまくった。
タイアド王国側も隠していたそうだが、こういう話はどこからか漏れていくものだ。
もちろんアケロニア王国が密かに各国上層部に広めさせたからだ。
そのせいで、タイアド王家は他国の有力な王侯貴族との新たな婚姻を、クラウディア王女以降まったく結べていない。
国内でもせいぜい伯爵家以下の家格の子息子女との縁を結ぶのが精一杯な時期が続く。
するとどうなるか。
王家の力が衰える。
「ふーん。ヴァシレウス大王はそうやって王女様の復讐を進めていったのねえ」
「そうだよ。退位して息子のテオドロス様に国王の座を譲ってもまだ続けてると思う。もちろんテオドロス様も、その娘のグレイシア様もね」
こんな話、世間話で聞いちゃっていいのかな? と女魔法使いのハスミンもギルマスたちも料理人のオヤジさんも冒険者たちも、内心冷や汗ものだった。
だがルシウスの様子を見ている限り、まだ子供のこの子が知ってる程度のことなら問題ないのだろう。
それでも、タイアド王国がクラウディア王女との間に生まれた第一王子を王太子にしていればまだ挽回はできたはずだった。
アケロニア王国のヴァシレウス大王にとって孫にあたる王子だ。
ところが何とも愚かなことに、その正妃クラウディアとの間の第一王子は、後に臣籍降下させられている。
後継者には王妃だったクラウディア王女とは別の寵愛する側室との間に生まれた第二王子が指名されている。
この時点で、アケロニア王国のヴァシレウス大王はタイアド王国を見限った。
実の孫の、臣籍降下させられた元第一王子の公爵の家族だけを支援し続けて、王家とは限りなく断絶に近い状態が現在まで続いている。
「普通はね、そういうことやらないよね。何のために同盟を結ぶためアケロニア王国の大事な王女様を娶ったんだよっていう」
「しかも、アケロニアのクラウディア王女が産んだのは第一王子でしょう? 正妃との間の第一子を王太子にせず臣籍降下させるとは……ちょっと考えられないことです」
サブギルマスのシルヴィスも眉を顰めている。
たとえ不仲な夫婦だったとしても、政治上やってはならない判断だ。
「今回は大丈夫なのか? アケロニア王国、タイアド王国に攻め入り案件じゃね?」
ギルマスのカラドンも髭を弄りながら難しい顔になっている。
そもそも、アケロニア王国からタイアドと緊張関係にあって騎士の派遣が難しいので、代わりに寄越されてきたのがこの聖剣持ちのお子様なのだ。
「ヴァシレウス様はもうお年だし、今さら戦争ってことはないと思うけど。ヤバいのはお孫様のグレイシア王女様だね。血の気が多いから、喜んで喧嘩を買うと思うよ」
グレイシア王女様は子供の頃から、自分が生まれるずっと前に亡くなってしまった、悲劇の伯母クラウディア王女のことを教えられて育っている。
女性だから剣はさすがに握らせてもらえなかったそうだが、彼女は代わりに護身術と徒手空拳の拳闘術を身につけていて、なかなか強い。
彼女の夫は夫婦喧嘩のとき、妻がファイティングポーズを取ったら即降参すると決めているそうな。
王族は皆、次にタイアド王国がやらかしたらもう容赦しないと決めている。
そうルシウスは聞かされていた。
「そっか、お前んとこの王女様と、タイアドで婚約破棄された公爵令嬢は親戚同士か!」
「そういうこと。またいとこだね」
新聞には、アケロニア王国とタイアド王国の緊張状態が特集されていたが、具体的にすぐ戦争どうの、という話までにはなっていなかった。
「戦争やるのかな……もし開戦したらヴァシレウス様、“大王”の称号を返上しなきゃだ。でも、そこまでの覚悟があるとしたら……」
これ以上のことはルシウスにもわからなかった。
大人たちはあれこれ意見交換していたが、ルシウスはその中にあまり入れない。
まだ子供の学生だ。知識も経験も足りなすぎた。
アケロニア王国とタイアド王国の確執のきっかけについて話していたら、半月ほど後、タイアド王国の王太子はもっととんでもないことをしでかした。
新聞を読みながら、さすがのルシウスも呆気に取られてしまった。
「えええ。婚約破棄したのにまた再婚約しようとした? しかも正妃じゃなくて公妾で召し上げる? ついでに浮気相手の男爵令嬢を、婚約破棄した公爵家の養女にして王太子に輿入れさせろって命じた? ……ないわー」
意味がわからない。
「公妾ってなんですか?」
「国が認めた王族の愛人、ですかね」
ここは民主主義のゼクセリア共和国だから、馴染みのある制度ではない。
顔に疑問符を浮かべた受付嬢クレアにサブギルマスのシルヴィスが答えている。
「自分から婚約破棄した公爵令嬢に、今度は愛人になれって言い出したのか……」
「タイアドの王太子、頭おかしいんじゃねえの?」
「これを王太子にしてるタイアドも頭沸いてる」
「一応、スペアの王子もいるみたいだけどねー」
二人ぐらいまだ下に弟王子がいたはず。
庶民の冒険者たちの感覚でも「頭おかしいわこいつ」と感じるぐらいだから、当然ながら当事者たちはもっと嫌悪感を感じるだろう。
ルシウスすら「酷いわこれ」としみじみ思った。
「ヴァシレウス様たち大丈夫かな。普段怒らない人が怒ると怖いんだよね」
「うちのアケロニア王国ってさ、王族は皆すごい話のわかる人たちでね。そんな人たちを激怒させるんだから、タイアド王家は余程のものだよ」
ルシウスが通っていた学園の中等部には他国からの留学生が何人かいたが、誰もがアケロニア王国の王族の話を聞くと「自分もこの国に生まれたかった!」と涙するぐらいまともな王族のいる国なのだ。
「皆、人間できてるけど、限度ってもんがあるよね」
「お前は王女様にここに騙し討ちみたいに送り込まれてるじゃん。それはOKなの?」
「……グレイシア様には帰ったらお説教するもん。国王様も先王様もほんと覚えてろー!」
絶対にお説教一晩コースをやってやる。とルシウスは胸の内の兄に誓った。
ついでに詫び料としてお高いチョコレートを数箱ぐらい貰わないと割に合わない。
(お前、そんなこと言ってるけど一時間くらいで飽きちゃうくせに)
「お?」
最愛の兄が呆れたように笑う声が聞こえた気がした。
辺りをキョロキョロ見回すが、当然兄はいない。
あまりにもお兄ちゃんが恋しすぎて空耳まで聴こえるようになっていた。
更に数日後、ルシウスの故郷アケロニア王国が近隣諸国に向けて声明を出したと新聞に記事が載った。
『我らアケロニア王国が誇る偉大なるヴァシレウス大王のひ孫セシリアを婚約破棄し、公妾に貶めんとした愚かな王太子よ! 貴様がタイアド王国の国王となるならば、我が国はその在位期間中の国交を断絶する!』
それはそれは、怒髪天をつくような猛烈なメッセージが延々と続いた。
「うはあ。グレイシア様、すごーい」
「へえ。勢いはすごいけど、この文面だと戦争しそうにないわねえ」
ある意味、戦争を仕掛けるより大きなダメージを与えることを選んだといえる。
アケロニア王国とタイアド王国なら、タイアド王国のほうが国土が大きく人口も多い。
しかし現在ではアケロニア王国のほうが国力が上だ。
アケロニア王国は魔法魔術大国と言われていて、魔導具や魔力を使って精製するポーションなどの薬品類、そして魔石の生産と輸出で発展している国だ。
当然、タイアドだってアケロニアからたくさんそれらを輸入して、上は王侯貴族から下は庶民までの生活を成り立たせている。
国交断絶されたら、それらの生活に必要な、特に魔石が手に入らなくなる。死活問題だ。
「さて、タイアド王国はどう出るか」
反撃に出るか、それとも。
ココ村支部内だけでなく、ゼクセリア共和国でもアケロニア王国とタイアド王国の確執は注目の的だ。
メジャー新聞だけでなく、中小の新聞や雑誌でも連日特集が組まれていた。
それでまた数日経つと、新聞にはタイアド王国の王太子が廃太子の上で廃嫡され、浮気相手の男爵令嬢の家に婿入りする旨、王家が決定したと公表された。
一国家として異例の急スピードの意思決定だった。
「うん。妥当な線じゃないかな」
「元凶の王太子を切り捨てたわけか。まあ一番楽なやり方だよな」
ちなみに新聞には、婚約破棄された公爵令嬢セシリアが一時的に祖母クラウディアの祖国であるアケロニア王国に避難する旨も記載されていた。
「確かに、このままタイアド王国にいても、ろくなことにならなさそうだもんね」
ちなみにその後、タイアド王国の公爵令嬢セシリアは、何と60歳以上年上の曾祖父であるアケロニア王国の先王ヴァシレウスに嫁ぐことになる。
しかも、政略結婚ではない。驚きの恋愛結婚で。
それでまた各国の新聞を騒がせることになるのだが、今はまだ誰も知らない未来の話だった。
ところで、タイアド王国には廃嫡された元王太子を含め三人の王子がいた。
第一王子が廃嫡され廃太子にもなったため、第二王子が繰り上がりで新たな王太子となることが発表された。
が、ここでまたタイアド王国はやらかした。
もうすっかり各国の主要新聞はタイアドの話で持ちきりだ。
この一ヶ月ほどの間だけでもほとんど毎日、常連ネタになっている。
冒険者ギルドのココ村支部内でも、娯楽が少ないから職員も冒険者たちも、顔を合わせればタイアド王国の話ばかりしている。
王太子の婚約破棄から続く一連のタイアド王国の醜聞にとどめを指すようなこの出来事を、記者は淡々と記事にまとめ上げていた。
ここ数代、問題行動の多い王族が続いていた中で、良識のある王子として知られていた第二王子には年上の恋人がいた。
剣聖サイネリア。
王子より年上。
平民出身だが幼い頃に剣の才能を見出されて後に騎士団長の養女となったことが縁で、第二王子の剣の指南役となった女性だ。
凛とした美しい女性と伝わっている。
二人は幼馴染みでやがて恋に落ちたのだが、ここに来て第二王子が王太子となってしまった。
元から、王子と平民出身の貴族の養女の関係では結婚は難しいだろうと言われていた。
ましてや王子が王太子という次期国王が確定した身となってしまっては、尚更だった。
新たな王太子には、その立場に相応しい他国の姫君が婚約者として決定されることとなった。
そう、第二王子は近年のタイアド王族として珍しく良識ある人物だったから、その人柄を買われて他国の姫君との縁談を結べたわけだ。
だが、しかし。
ここで新たな王太子となった、『良識ある人物』のはずだった第二王子は、恋人の剣聖サイネリアに対して、とても不誠実で愚かなことを仕出かした。
自分と他国の姫君との婚約発表の場で、自分の恋人である剣聖サイネリアを、側近に下げ渡すことを宣言したのだ。
己の恋人を、下賜すると。
剣聖サイネリアはその命令を断った。
元平民の自分と結婚できないのは仕方がない。いつでも別れる覚悟はできていた。
だが、だからといって剣聖の自分を“キープ”するためだけに、勝手に身柄を他の男に下げ渡されるなど真っ平だと。
本来なら、彼女がただの平民でも、また現在の騎士団長の養女の身分であったとしても王族の命令には逆らえないはずだった。
ただ、彼女はタイアド王国の国民ではあったが、剣聖の称号持ちだった。
聖なる魔力を使う者には、称号に“聖”の文字が入る。
代表的なものは聖者や聖女だが、剣聖は剣技をもって聖なる魔力を使う魔力使いの術者なのだ。
聖なる魔力持ちは、国家権力の支配を受けない。たとえ特定の国に所属していたとしても、命令を拒否する権利がある。
円環大陸の国際法でそう定められている。
例外は、建国期から現在まで自国民出身の聖者や聖女を擁するカーナ王国ぐらいのものだ。
それがこの円環大陸における決まりである。
これまでは騎士団長の養女として、また第二王子の恋人だから、彼らのいるタイアド王国に尽くして来た。
だが、本人の了承も取らずに勝手に恋人を側近に下賜するような男の命令など、剣聖サイネリアは受け入れる気はなかった。
命令を拒絶されたことで面子を潰された新王太子は、怒って剣聖サイネリアをタイアド王国から追放した。
聖なる魔力持ちは数が少ない。
その貴重なひとりである剣聖サイネリアを追放した。
新聞では、彼女が当該記事の執筆時点で既にタイアド国内から出奔していることが綴られている。
この出来事によって、ただでさえ前王太子による醜聞で失墜していたタイアド王家の名声は、地の底まで落ちることになった。
一連の経緯を見る限り、『良識ある人物』としての新王太子の第二王子の評判とは、剣聖サイネリアの内助の功だったのだろう。
記者はそう記事を締め括っている。
「タイアド、もう長くないね。もしかしたら、僕たちが生きてる間に崩れるかも」
恐らく、アケロニア王国からクラウディア王女を娶った頃には既に崩壊の兆しが出ていたのだろう。
タイアド王国も、始祖の建国王は偉大な戦士だったと伝わっている。
このような愚かな子孫によって幕を下ろすことになるとは、建国の祖も報われないだろうと思う。
「剣聖サイネリアの件は全冒険者ギルドにも通達が出たぞ。冒険者登録に来たら上に報告上げろって」
「冒険者登録させないってこと?」
「まさか。その逆だ。いざってとき居場所を把握しておきたいだけさ。聖なる魔力持ちだから魔物退治にゃ打ってつけの人物だし」
髭面ギルドマスターのカラドンによれば、むしろギルドとしては剣聖サイネリアをフォローする側に回るだろうとのことだった。
「……そういえばルシウス君も聖剣持ちでしたね。将来的に剣聖になる可能性があるのでしょうか」
「どうだろ。ステータスには『魔法剣士(聖剣)』としか表示されないんだよね」
探るように灰色の瞳で問いかけてくるサブギルマスのシルヴィスに、ルシウスはわからないと両腕を広げて「お手上げ」ポーズを取った。
周りが自分に対して、剣聖に進化することを期待しているのは知っていたけれども。
「でも、聖なる魔力を持つ者は皆、世界のために活躍しているでしょう? 君も聖剣持ちとして、将来は教会や神殿に所属するのでは?」
「ううん。僕はアケロニア王国の貴族だし、帰国したらまた学生に戻って卒業したら兄さんたちと同じ魔道騎士団に入るよ」
ルシウスの話に出てくるのは、大好きなお兄ちゃんやパパ、仲の良いアケロニア王族の皆さん、それにおうちの家人や学校で仲が良かった友達の話など、ごく近い人間関係のことばかりだ。
最近はギルドの人々や親しい冒険者たちのことも口にするようになった。
このお子様、人当たりは良いが、人そのものの好き嫌いはかなり激しいと見た。
「おう、ルシウス。冒険者ランクがSSまで上がると、各国上層部からの指名依頼の請負い義務が発生するぜ。国の軍属になるならその間、冒険者証は休眠状態になるぞ」
「えええ。じゃあSランクまでで止めておく」
現在、ルシウスの冒険者ランクはBランク。
特例措置によるハイスピードなランクアップはここまでだ。以降は討伐実績の積み重ねで、冒険者ギルド所定のポイントが貯まるたびにランクアップしていくことになる。
もっとも、ここココ村支部で討伐するお魚さんモンスターたちはDからSランクまで、下位ランクから高位ランクまで満遍なく魔物が出る。
ココ村支部に常駐する期間が長くなればなるほど、ルシウスも自動的にランクは上がっていくことだろう。
そろそろAランクに上がる頃だった。
その日は早朝にお魚さんモンスターが現れたので、朝食後はもう暇なココ村支部だった。
第二弾が来ることもあるが、今日は他の冒険者たちもいるので余裕がある。
「買い出しに行きます! ルシウス君、一緒にどう?」
「行きます! 初めての外出は逃せない!」
ルシウスがココ村支部に送り込まれてきたのは6月。もう翌月の7月、すっかり夏だった。
そしてこの間、ルシウスは一度もココ村支部とココ村海岸から外に出ていない。
お魚さんモンスター退治のために派遣されているので、頑張っているうちに外に出る機会を逃しっぱなしだったのだ。
というわけで、受付嬢クレアと、荷物持ちに手伝うという女魔法使いハスミンに連れられてお出かけである。
ギルドのあるココ村は、大した設備もなく冒険者ギルドや灯台のためだけの小村だ。
必要な物資は徒歩数十分かかる内陸の町まで出なければならない。
配達を頼めれば良いのだが、不気味なお魚さんモンスターが出没するココ村支部まで来たがる配達員は少ない。
足りない分はこうして受付嬢クレアが冒険者たちに荷物持ちの依頼を出して買い出しに出ている。
「食料も海産物は豊富だけど、やっぱりお肉や卵も食べたいですしねー。お菓子や果物、お茶やお菓子なんかも」
「お菓子お菓子!」
一番近い町、ヒヨリもそう規模の大きな町ではない。
だがこちらにも冒険者ギルドや商業ギルド、教会、商店街など必要なものは揃っている。
町の外に魔物が出ることと、少し離れた山の中にダンジョンがあるため、そちら攻略のために発展してきた町だった。
「うふ。紳士様、エスコートしてくださる?」
人通りの多い商店街に入る前に、ハスミンが白くたおやかな手をルシウスに差し出してきた。
「喜んで、ハスミンさん!」
「あー! ずるい、私も私も、ルシウス君!」
「じゃあクレアさんも!」
右手にハスミン、左手にクレアと両手に花になった。
「あれ?」
女性二人に挟まれて、この状況にルシウスはふと首を傾げた。
ハスミンは成人女性として華奢だが背丈は標準だ。
クレアはそれよりちょっとだけ小柄。
二人とも、まだ子供のルシウスよりは背が高い。
「ンフフ。これで迷子になる心配なし!」
「ここ、はぐれると合流するの大変ですからねー」
「!?」
これエスコートじゃない。
迷子防止措置だ!
「やー! 迷子になるほど僕、子供じゃないもん!」
「んまあ。誤解よルシウス君。あたしたちが迷子にならないためよお」
「そうそう。私とハスミンさんのお手手を離しちゃダメですよー?」
「やー!」
「「離さないもーん」」
女性といえど二人とも冒険者。ルシウスが必死に手を振り解こうとしてもまったく外れてくれない。
「ルシウス君のお父様から、人の多いところに行くときはちゃんと手を繋いで離さないようにって注意を貰っているんです」
「おうちの人とお出かけするときも、お兄ちゃんたちとお手手繋いでたんでしょ? それと同じよう」
ルシウスのパパ、メガエリスからの手紙には、好奇心旺盛な子供なので目を話すとあっという間に見失ってしまいます、と書かれていた。
「お手手繋いでくれないなら、次からはギルマスに抱っこされて持ち運ばれますからね?」
「ひえっ」
ギルマスのカラドンは大剣使いだけあって腕も太腿も丸太のように太い。ルシウスぐらいなら小脇に抱えて平気で運ぶだろう。
「お手手つなぎます……」
おんなのひとこわい。つよい。
そう呟きながら、左右のお手手をつないでお買い物に付き合うルシウス少年だった。
とりあえず、日用雑貨の類から。
清掃用品やアメニティグッズなどは専門の清掃員が掃除に来てくれるときに補充してくれているので不要だ。
クレアたちは、ココ村支部に常駐する職員の日用品をいくつか頼まれている。
あとはやはり一番の大物は食料品だ。
これも配達を頼んではいるのだが、ココ村支部を利用する冒険者は数が少ないため発注の品数も多くない。
少量を頻繁に注文して配達させるには問題のある場所にあるのがココ村支部。
仕方ないから職員自ら買い出しに来るしかないという悪循環がここにも。
「ハスミンさん、お願いしまーす」
「おっけー」
次々にメモに記入していた物品や食料品をクレアが買い込み、精算を済ませた端からハスミンが荷物に触れていく。
そして買い物が消える。
「あれ、それって……」
ハスミンの黒い魔法使いのローブの腰まわりに光の帯状の円環が出現している。
「ハスミンさん、環使いだったの?」
「そうなのよう。本当は冒険者じゃなくて、占い師が本職なんだけどね」
この世界、魔力使いには2種類あって、旧世代と新世代に分かれている。
旧世代は、ルシウスのような魔法剣士や一般的に魔法使いや魔術師といって誰もが想像するものだ。それぞれ固有の魔力の使い方をする術者たちの総称である。
大きな特徴は、自分自身が持つ魔力の総量によって実力、つまり使える術の威力が決まることだろう。
この辺はわかりやすい。魔力の多い者ほど強いということなので。
新世代はハスミンのような、環と呼ばれる光のリングを身体の周りに出して、魔力を使うコントロールパネルとして使う。
こちらは環を通じて、自分が持つ魔力以外に他者や外界から魔力を調達できるところに特徴がある。
上手くいくと、自分の実力以上の術の発動も可能になる。
ただ、旧世代と比べると強い術者があまりおらず、積極的に戦うよりバフ担当などサポート役が多いと言われている。
「でもハスミンさん、結構強いよね」
「あらそう? 魔法使いの修行して使えるようになったの、本当にここ最近なんだけどね」
そんな話をしているうちに、買った品物をすべて収納し終わった。
「アイテムボックスのスキル持ちは環使いだけですからねえ。ハスミンさんは容量多い方だから助かります」
「木箱五箱分ぐらいだけどね。残り一箱とちょっと。買う量に気をつけて」
「はい!」
またお手手を繋いで次の店だ。
「ルシウス君、環に興味ある?」
「ううん、ないよ。僕より強い環使い、見たことないし」
メリットを感じない。
環使いはココ村支部を利用する冒険者たちの中にも一定数いたが、ランクはどちらかといえば低めの者が多かった。
ハスミンはBランクだからその中では高いほうだ。
「まあそうね。……でもアイテムボックスとか使ってみたくない?」
断られたが、ハスミンが食い下がった。
「んー。僕、必要な道具なら魔法樹脂で作れるし、あんまり必要性を感じないかなあ」
「そっかあ……」
それ以上はハスミンも食い下がらなかった。
しつこく迫ることはせず、商店街の屋台を指差して話題を切り替えた。
「あっ、ワッフル! ふたりとも、ちょっと休憩、甘いもの食べましょ!」
「「賛成です!」」
女の人ならお店で落ち着いて食事したいのではないか、とルシウスが素朴な疑問を抱くと、
「「ここの屋台は別格!」」
とのこと。
二人のオススメのワッフルの屋台は若い女の子中心に行列ができている。
せっかくなので三人で並んで順番を待ちながら、おしゃべりしていた。
「バターのいい匂い。これ、持ち帰れるかな?」
「ああ……明日は食堂、いつものオヤジさんいない日かあ」
週に一度か二度だけの臨時料理人は何かとルシウスに突っかかってきてウザい。
作る料理も飯マズなので、彼の当番の日は食堂に近づかないルシウスだ。
「クレアさんとハスミンさんは、あの飯マズをどうやって乗り切ってるの?」
「んん……それはね……」
「おいしくないなりに、まあ……やり方があるんですよ……」
両隣で二人が顔を逸らした。
そうこう言っている間に順番が回ってきた。
プレーンが一番美味しいとのことなので、食べ歩き用に三人分三枚と、ルシウスの明日のおやつ用に二枚。更にギルドの皆へのお土産を箱に詰めてもらった。
近くにベンチがあるというので、そこに向かう途中、グレアが人数分のアイスティーを買ってくれてワッフルと一緒にいただくことにした。
「さくふわあ〜!」
クレアとハスミン、二人のオススメというワッフルはこの辺の名物らしい。
材料はすべてゼクセリア共和国産。
小麦粉のしっかりどっしりしたパン生地に、たっぷりのバターと大きめの砂糖の粒がたくさん入っている。
それを格子状の鉄板で上下から生地に押し付けて、薄く一個ずつ手のひらサイズに表面をカリッと香ばしく焼き上げてあった。
かぶりつくと、溶けたバターのコクのあるミルキーさと、小麦の風味がすごい。
そこにさくっと噛み締めると崩れていくパールシュガーの食感が楽しい。
「これ、兄さんの好きな味だ。たくさん買っておうちに送ります!」
「あら、お魚さんじゃなくていいの?」
「そろそろ食いきれなくなってきたから、たまには別なもの送れって言ってたって、兄さんのお嫁様から手紙来た」
「ココ村海岸のお魚さんモンスター、巨大ですもんね……」
しばし三人とも無言で熱々の焼きたてワッフル攻略に夢中になった。
「ふう。美味しかった! ……プレーン以外にオススメってある?」
「あたしはチョコレートがけが好き」
「チーズ入りも美味しいですよー。ピンクペッパーが粒ごと入ってて、ピリッとしてて美味しいんです」
「ふむふむ」
「日替わりもあるから、来るたび試してもいいかも」
「紅茶入りも美味しいの〜♪」
「わかった! ちょっと注文してくるね!」
クレアたちから食べ終わった後の包み紙を受け取って、屋台まで駆けていくルシウス。
「ふふ。かーわいい。うちの子にもあんな頃があったなあ」
「あれ、ハスミンさんってご結婚されてましたっけ?」
「昔ね。もう旦那も子供たちもいないんだけどね」
「そうでしたか……」
力のある魔力使いは、見た目通りの年齢ではないことが多い。
聖剣使いのルシウスも実年齢は十四歳だが、実質10歳ほどにしか見えないし、同じようにハスミンも二十代前半の外見だが実年齢はかなり上だ。
クレアは受付嬢としてハスミンの実年齢を知っている。
ちょっと信じられないような生まれ年だったが、こういう事例は魔力使いには時々あるものだ。
この世界、長生きしている者の中には800歳なんて者もいるぐらい。
「注文してきたよ! クレアさん、焼き上がったらお会計お願いします!」
「はいはーい、了解です!」
まだ子供のルシウスの討伐報酬はギルド側が預かっている。
今日も、ルシウスに必要な日用品や欲しいものなどはクレアが支払って、後から精算することになる。
「ルシウス君、明日丸一日、ワッフルだけじゃお腹いっぱいにならないでしょ?」
「でも、あの料理人の作ったもの食べるの、ぼくいやだよ。顔も合わせたくない」
「うーん……」
二人ともルシウスから、飯マズの臨時料理人が彼に対して注文を後回しにされたり、わざと冷めた料理を出されたりすることを聞いていた。
数回そんなことを繰り返されたので、嫌気がさしたルシウスは、臨時料理人が当番の日は売店の携帯食だけで食事を済ませているのである。
とはいえ、あの臨時料理人が手を加えていない常備のパンや軽食なら、食堂の冷蔵魔導庫内に入っている。
せめてそれだけでも取りに行ければ随分楽になるだろうに。
「ああいう手合いは、周囲が注意すると悪化するのよね……」
ちなみにギルマスたちギルドの者は、臨時料理人のルシウスへの態度をしっかりチェックしている。
かといってすぐ解雇にできないのは、いつもの料理人のオヤジさん非番の日にココ村支部まで来てくれる代わりを見つけるのが難しいからだった。
あんな態度の悪い飯マズ料理人でも、僻地のココ村支部の貴重なメンバーだった。
「あの手のタイプは権威に弱いって相場が決まってるわ。あの料理人がいるとき食堂に入るなら、ココ村支部で一番の上司と一緒がいいわね」
「いちばん……ギルマス?」
いいえ、とハスミンは細くたおやかな指先でルシウスの唇の端にくっついていたパールシュガーの欠片を取ってやった。
ひょいっとそれを自分の口に放り込みながら、
「ココ村支部で一番の支配者って誰だと思う? ねえクレアちゃん」
「あー、そうですね。ギルマスじゃないです、はい」
「えっ、誰々!?」
「「サブギルマスのシルヴィスさんよ」」
「そうだったの!?」
灰色の髪と目の穏やかだが、策士ふうの雰囲気を漂わせているお兄さんだ。おじさんと呼ぶと怒るので注意が必要な人だ。
冒険者ランクはAランクのシルヴィスよりSSランクのカラドンのほうが上なのだが、いざというときの立場はシルヴィスのほうが強いらしい。
「ええ、シルヴィスさんは元々、カレイド王国の貴族の方なんです。だからゼクセリア共和国の首脳部との交渉を担当してくれているんですよ」
カレイド王国は円環大陸の北部にある国で、なかなか歴史のある国だった。
もっとも、そんな彼でもココ村支部の維持費を捻出させるのが精々で苦労している。
ゼクセリア共和国自体がまだ共和国になって新しい国なので豊かではないためだ。無い袖は振れない。
「だからね、もしあの臨時料理人と関わらなきゃならなくなったら、ギルマスよりシルヴィスさんを巻き込みなさい。彼もさすがにシルヴィスさんの前じゃあなたに無体なことは言えないし、できないはずよ」
「……僕だって他国の貴族なのに。なにこの違い?」
「あの人、最初にルシウス君をただの下働きだって勘違いしてましたからね。その最初の印象のせいで舐められてるのかも」
「むう……」
何とも気分の悪い話だった。
だが、そういう話ならば遠慮なくサブギルマスを利用させてもらおう。
携帯食でも腹は膨れるが、あの飯マズ料理人がいる日は食堂でジュースもお茶も飲みたくないから、飲み物は水しかなくて味気なかったのだ。
「わかった。アドバイス通りにしてみるね!」
「うんうん」
いいこいいこ、とハスミンに青銀の髪の頭をナデナデされるルシウスだった。
「うちの可愛いルシウスに意地悪する料理人、だと……? おのれ、我がリースト伯爵家の総力をもって、いざぶっ潰さん!」
次男ルシウスから届いたお手紙をぐしゃりと握り潰したパパこと、麗しの髭ジジ、リースト伯爵メガエリス。
「父様、落ち着いて。ちょっと手紙見せて」
夕食後、家族用のリビングでルシウスが魔法樹脂に封入して送ってきた焼き菓子を、紅茶と一緒に楽しんでいたリースト伯爵家だ。
ルシウスのお兄ちゃんカイルは、バターの香り豊かなワッフルを幸せそうに食べているお嫁さんブリジットをこれまた至福と言わんばかりに見つめながら、父親の手から手紙を引っこ抜いた。
ざっと、父と弟と同じ湖面の水色の瞳で手紙を読んでいく。
「ふうん。下働きと勘違いされて、平民の料理人風情に見下されたわけか。幼稚な嫌がらせまでされて。……まあ、あいつにしては我慢してるほうじゃないの」
「あらー。ルシウス君、可哀想ですわ。あなた、何か私たちにできることはないのかしら?」
食後だったが、ルシウスの送ってきてくれたワッフルなる焼き菓子の美味なことといったら。
いつもの王宮用とは別に、おうち用にも何十枚も送ってくれていた。
なお王宮用には明日、義父のメガエリスがまた献上しに行くとのこと。
ブリジットがちら、と給仕に目をやると、心得たというように二枚目をさりげなく皿の上に追加してくれた。よし。
「あいつはこんなことぐらいで潰れるタマじゃないよ、ブリジット。オレはむしろ相手の料理人のほうが心配だけどね」
「あらー、そうなんですか?」
「そりゃそうだよ。リースト伯爵家の男は甘くないからね。ルシウスだってまだ子供とはいえその辺はしっかりしてるさ。ね、父様」
「そうかもしれんが、私の気が済まーん!」
もう行っちゃおうかな、ゼクセリア共和国のココ村行っちゃおうかな、とワッフルに次々かぶりついている。
「……ものすごく美味いな、これ」
カイルもチョコレートがけのワッフルを口に運んで驚いている。
チョコレートは市販の甘いスイートチョコレートだが、ワッフルのバターの豊かな風味とパールシュガーの食感が面白い。
すべて渾然となって口の中が幸せだった。
しかもルシウスが焼きたてをそのまま、時間経過のない魔法樹脂に封入して送ってきてくれたものだ。
チョコレートがけのものはさすがに溶けないようワッフル本体は冷めていたが、出来たてには違いない。小麦もバターもフレッシュで味が良い。
カイルのいつものクールで無表情ぎみの口元が綻んでいた。
今回は皿の上でナイフとフォークでそのまま食しているが、アイスクリームやホイップした生クリーム、フルーツなどを足しても美味な感じだ。
「美味しかったよって、ルシウス君にお返事書かなきゃですね、あなた」
「うん……。ついでに、料理人の件はお前もリースト伯爵家の男なら毅然と狡猾に処理せよって書いておいて」
狡猾? とブリジットはやや疑問に思ったが、あまり突っ込まないほうが良い気がしたのであえてスルーした。
それより気になることがある。
「兄のあなたがお返事書いたほうが、ルシウス君も喜ぶんじゃありませんか?」
毎回、ルシウス側からの手紙は半分がお兄ちゃんのことを心配し尋ねているものなのだ。
しかし、いまだにカイルは弟に返信を一度も書いていない。
「オレはあの脚の生えた魚の解析で忙しいんだよ。……まったく、通常業務の他に余計な仕事増やされて大変なんだ」
「あなた……」
それでもワッフル一枚をしっかり食べ終えて、カイルは自室へと戻っていくのだった。
「男兄弟って難しいですねえ、お義父様」
長男カイルのお嫁さん、ブリジットは緩い茶色の癖毛に灰色の瞳の、ややぽっちゃり体型でおっとりした女性だ。
細かいことを気にしない性格が長所で、いつも大らかな彼女がしょんぼりしていると、愛らしい仔犬が落ち込んでいるようで心が痛む。
「……相性ばかりは、どうにもならんからのう」
「あらー……」
のんびりした彼女の口癖を聞いていると和むのだが、そんな彼女も最近ちょっと沈みがちだ。
夫カイルとその弟ルシウスの間を何とか取り持とうとしてくれているのだが、あのカイルの様子だとやはり難しいのだろう。