無欠のルシウス~聖剣の少年魔法剣士、海辺の僻地ギルドで無双する


 お魚さんモンスターが来ない暇なときに限って、冒険者たちが増えるものだ。
 ギルドの利用者が増えると、その分だけたちの悪い者も来るようになる。

 食堂で配膳の手伝いをしていたルシウス少年は、最近見るようになった二十代後半の冒険者パーティーのテーブルの横を通り過ぎるとき呼び止められた。

「おーい、お嬢ちゃん。こっちにもランチ定食みっつー!」
「わああっ!??」

 むにっ

 と揉まれた。
 何を?
 尻をだ!

「おい! 僕の尻は安くはないぞ!?」
「おう、ならいくらならヤらせてくれるんだ、お嬢ちゃんよう」
「お嬢ちゃんだとお……?」

 足を組んでニヤニヤ笑っている男たちを見上げる。

 ちらっと食堂内を見回す。
 こういうときに限ってギルドの職員も、いつも気怠げにお茶を飲んでる女魔法使いのハスミンもいない。
 料理人のオヤジさんは調理に集中していてこちらを見ていない。もうー。

「お嬢ちゃんだろ。こーんな可愛い顔し……テェッ!?」

 わざわざ立ち上がって頭を撫でて来ようとした男に素早く足払いして、これまたさらに素早く腹部に蹴りを入れた。
 男はルシウスに向けて両脚をおっ広げて背中から床に倒れ込む。

「!???」

 げしっ

 そのまま悶絶して倒れた男の股間をブーツの足裏で踏み付ける。

「ふーん。いくらなら出せるの? ちなみに僕んちはちょっと前までは貧乏だったけど、今は持ち直してなかなかのものだよ。ちょっとやそっとの端金じゃ許してあげないからね?」

 ぐりっ

 小柄な少年のはずなのに、倒れた男を見下ろす瞳は冷たく凍えている。
 そしてその小さな身体から放たれる威圧感ときたら。
 同じテーブル席にいた男の仲間も呆気に取られていた。

「あ、足をどけろォッ!」
「ん。潰されることをお望み、と」

 ぐりぐりっ

「ま、待て、話し合おおおうッ!」
「話し合いもクソもないのにお尻触られた僕の立場がないんだけど?」

 ぐりぐりぐりいいっ

「あっ、や、やめ……っ、アーッ!」



「お前ら、次やったら出入り禁止な」

 ルシウスに股間を踏み潰された男は、髭面ギルドマスター、カラドンのお説教を食らった後でココ村支部を出入り禁止処分の警告を通告された。
 ギルド本部に問い合わせてみると、他の支部でも職員や女性冒険者たちへのセクハラ騒ぎを起こしている常習犯だという。

「次に似たようなトラブル起こしたら冒険者ランク二段階落ちだからな。覚えとけー」

 Bランクだから次にやらかしたらDまで落ちる。初心者さんランクだ。
 そもそも、円環大陸全土で、未成年への手出しは犯罪として重い刑罰を規定している国が多いのだ。

「ったく、子供に変なことするんじゃありません!」

 この子供に何かあったら、本国から 過保護なパパ(モンペ)が飛んできちゃうじゃん。

 魔法剣をぶっ放す元魔道騎士団の団長様だ。絶対怖いおじさんが来るに決まっている。
 このルシウスの父親なら仕事できる系の冷徹溺愛パパに違いない。

 実際は愉快な溺愛系髭ジジなのだが、カラドンが実態を知ることは結局ないまま終わるのが残念なところだった。

 冒険者からセクハラを受けた、いたいけなルシウスを慰めようとした女性陣の受付嬢クレアや女魔法使いハスミン。
 だが当の本人は何でもないというように笑っていた。

 ルシウスの実家のおうち、リースト伯爵家は一族みなとても麗しい容貌をしていることで知られているそうだ。
 青銀の髪、綺麗な湖面の水色の瞳など、派手な外見の持ち主のためか、男女の区別なくものすごくモテるという。

 同じくらい、良くない意味で揶揄われることも多い一族だという。
 なので、いざというときの対処方法は子供の頃からしっかり周囲の大人たちから教え込まれているそうなのだ。

「舐められたら終わりだって習ってるよ。いやらしいことしてくる大人はその場で潰せって」
「な、ナニを!?」
「いやらしいことしたくなるトコを!」

 持っていたジュースのグラスを思いっきり握りしめる。
 ミシィッと軋んだ音をたてたので慌てて力を抜く。

 そうだ、何といってもルシウスは魔法剣士。魔力を使って身体強化の術を使えば、男の下半身の剣を引っこ抜いたり潰したりぐらいは朝飯前。そういう存在だった。

 なかなか面白い話だったので、ギルマスや他の冒険者たちも食堂でルシウスの周りに集まって、詳しく聞いてみることにした。
 今後の参考のために。いろいろと。



「僕の父様は筋肉ムキムキでお髭まであるおじいちゃんなのに、いまだにモッテモテ。女の人にも男の人にも」

 モテすぎて奥さん、つまりルシウスの母親が怒ったので、中年期の後半から髭を生やし始めたらしい。
 しかし髭ぐらいでは麗しのリースト伯爵の美貌は隠せなかったようで、騎士団内でもちょっと油断すると筋骨隆々の騎士たちが「閣下、お慕いしておりましたあッ」と告白してくるし、王宮を歩けば侍女や女官たちから秋波を送られ、匿名のラブレターや贈り物で騎士団のロッカーはいつも溢れていたそうだ。

 そういう環境だったので、麗しのモテ男メガエリスそっくりの息子ルシウスもその兄も、護身術は徹底的に学ばされている。

「護身術はね、王女様のおじい様にたくさんコツを教えてもらったんだよ! 王女様のおじい様も、若い頃はお色気がすごかったから変なのに絡まれやすかったんだって」
「お、おい、アケロニア王国の王女様のおじい様って……」
「ヴ、ヴァシレウス大王かよおお!」

 たくさんのすごい偉業を成し遂げたアケロニア王国の先代国王で、円環大陸唯一の“大王”の称号持ちだ。
 王族にランクがあるとすれば、大王は王の上位職ともいえる。
 今、世界中に大王の称号持ちは彼しかいない。
 そんな生ける伝説がルシウスのお国の先王陛下だった。

 ルシウスにとっては、いつもお高いチョコレートを分けてくれる、抱っこ好きのおじいちゃんだったけれども。

「迫ってくる女の人には期待を持たせないよう上手くあしらって、男の人は二度と少年を襲おうとしないようメスオチするまで調教したって。……メスオチってなあに?」
「ちょっとー! ヴァシレウス大王、こんな子供に何教えてんのー!??」

 女魔法使いのハスミンが悲鳴をあげた。
 しかしちょっと楽しそうだ。下ネタはわりと好きなタイプと見た。

「辞書に載ってるかな?」
「おやめなさい! 載ってません!」

 いつも勉強に使わせてもらっているギルド備品の辞書に手を伸ばそうとしたルシウスの横から、慌ててサブギルドマスターのシルヴィスが辞書を取り上げた。



 周りの大人たちはあまりのルシウスの無知さに呆れている。
 確かになりは小さいが、十四歳ならもっとお色気ごとに興味津々でもおかしくないはず。

 とりあえず大人たちを代表してハスミンが突っ込んでみた。

「ルシウス君さあ。貴族ならその手の性教育って受けてるんじゃないの?」
「性教育……学校ではあったよ」
「ちゃんと勉強した?」
「……恥ずかしくて、クラスの子たちと紙飛行機飛ばして遊んでた」

 頬を染めて、もじもじと左右の指を突き合わせている。
 あ、これダメなやつだ、と皆悟った。
 そうはいっても荒くれ者の出入りの多い冒険者ギルドにいれば、そのうち学んでいくだろうけれども。

 このルシウス少年、なかなか賢いのだが、故郷の学園での勉強の成績はギリギリ中の下ぐらいだったようで、ココ村支部にやってきてからというもの学園の担任教師から定期的に学習参考書が送られてくる。
 ココ村支部はルシウスの課題の進捗を管理するよう依頼されていた。

「こりゃ、保健体育の懸念事項として先生に報告上げといたほうがいいかもなあ……」

 ご自慢の髭を引っ張りながら、ギルマスのカラドンが呟いた。

 このココ村支部に常駐している限り、お色気的な意味で大人たちの餌食にさせるつもりは毛頭ないが、ちょっと本人に危機感が足りない気はしている。



 ちなみに、悪戯されたルシウスが犯人をお仕置きしたこの日以降、ギルド内の武器防具の売店では男性向けの股間プロテクターがよく売れたそうだ。

 翌日、ルシウスにお仕置きされた冒険者の男が、その股間プロテクターを装備して見せに来た。

「ふはははは! 見ろ! これでちょっとやそっとの衝撃など恐るるに足らず!」
「ふーん」

 ルシウスは極寒の据えた目になった。
 そして無言で屋外の解体場に行って、分厚い木の板と金属板を持ってまた食堂に戻ってきた。

「はい、皆さんご注目!」
「え、ルシウス君、なになに〜?」

 ギルド職員や冒険者たちの視線がほどほどに集まったところで。

 バキィッ

 身体強化も何も施していない拳で、まず木の板を叩き割った。

「次はこっちね!」

 今度は股間プロテクターを買ったと自慢げに言っていた冒険者に、腰の辺り、というか股間の辺りで金属板を持たせた。

「いっくよー。せーの!」

 ルシウスは脚全体に魔力を込めた。
 ネオンブルーに輝く魔力が膝の辺りに集積する。

 メキョッ

 金属板はルシウスの小さな膝の形に大きく窪みを作った。

「「「………………」」」

 見物していた一同、無言である。



「で、その股間プロテクターとやらは、木の板や金属板より丈夫なわけ?」
「い、いや、それは」
「試してみる?」

 金属板を蹴り上げたまま、ぷらーんと宙に浮かせて揺らしたままの自分の膝を指差した。
 このお子様、体幹が鍛えられているようで、片足立ちしていても体勢が安定している。

 じーっと湖面の水色の瞳で見つめられて、冒険者の男は冷や汗を流した。
 やばい。また潰される。今度は股間プロテクターごと!

「僕の蹴りを防ぎたかったら、オリハルコン製の股間プロテクターでも持ってこーい!」
「は、はいいい一、すいませんでしたルシウス様ー!」

 とりあえず、変な手出しすると物理的に潰されることはみんな理解した。

 ちなみにルシウスに悪戯した冒険者グループは、へこんだ金属板を二度見、三度見すると青ざめて、その日のうちにココ村支部を後にした。
 その後、彼らが他の支部でセクハラ被害を起こしたと聞くことはなかったそうな。



 その日、ココ村海岸にやってきたお魚さんモンスターはまず巨大イカのクラーケン数体。
 これまた巨大なシーフードモンスターだったが、冒険者たちが倒す間もなく後発組の別のお魚さんモンスターに捕食されて終わってしまった。

 後に残ったのは、クラーケンの生殖器にあたる長い2本の脚と、硬くて食べにくいと思われる嘴のあたりだけ。

 そして後発のお魚さんは赤かった。
 鮮やかな深紅の体色、優雅に広がる長めのヒレ。……の隙間から伸びるしなやかな両脚。いつものやつだ。
 見るからに触り心地の良さそうなしっとりした体表面。
 何より大きく潤んだ澄んだ瞳。かわいい。デカいけど。

 そんな真っ赤で巨大なお魚さんモンスターが十数匹、のしのしと歩いて砂浜に上陸しようとしている。

「おっきい金魚さん?」

 こてん、と小首を傾げたルシウスに、横からサブギルマスのシルヴィスが訂正してきた。

「いえ、あれはキンキという魚です。深海魚なのであまり浅瀬には出てこないはずなのですが……」

 暗器を構えつつ、灰色の髪のサブギルマスは思案げな表情になった。
 ここココ村のあるゼクセリア共和国は比較的温暖な気候の地域なのだが、巨大な生足のお魚さんモンスターが出没するようになってから、本来生息するはずのない海域のシーフードモンスターたちも押し寄せてきている。
 原因は不明。調査したくてもリソースが足りない。いろいろと。つらい。

「キンキはカサゴの仲間です! 高級魚ですよ、滅多に食べられないんですから!」

 こちらも弓を構えた受付嬢のクレアだ。
 受付嬢のはずなのに戦闘に駆り出される。それがココ村支部の悲哀でありクオリティである。



「お前、キンキっていうんだね」

 じーっと、ルシウスの湖面の水色の瞳と、キンキの大きな瞳が見つめ合った。
 とにかく色が鮮やかで美しく、瞳が大きくて可愛らしい魚だ。
 ちょっと唇が尖っているところも可愛い。

「僕、これ三体欲しいです。おうちと王女様と学校にそれぞれ一体ずつ送りたいの」
「お前、自宅はともかく王女様と学校のガキンチョどもはこれ見たら泣かねえ?」

 確かにキンキは真紅の体色といい、大きく澄んだ瞳といい外見の良い魚だ。
 でも脚生えてるけどいいのそれ?

「んじゃ、食堂で食う分に一体、ルシウス用に三体。残りは魔石にしちまってOK! シルヴィス、クレア、ハスミン、補助頼むぞ!」

「「「了解です!」」」

 まず女魔法使いのハスミンが、暗器使いのサブギルマスのシルヴィスの使う暗器や、弓使いの受付嬢クレアの矢に麻痺効果の付与を行なう。
 その付与付き暗器と矢でキンキの大きな瞳や脚を狙い、痺れさせて動きを阻害していく。
 お魚さんモンスターたちが陸で動けるのは、なぜか生えている人間の両脚による機動力のためだ。
 その辺を狙ってやれば、対処は比較的容易だった。

「おし、できるだけ一ヶ所に追い込む! ルシウス、魔法樹脂で固めるならそっちの端のやつからな!」
「はーい」

 生きの良い魔物をいきなりそのまま魔法樹脂に封入はできない。
 今回のように麻痺させたり、ある程度攻撃して弱らせてからでないと固めている途中で魔法樹脂を破壊してしまうためだ。
 四体分、麻痺でシビシビしているキンキをパキパキパキッと固めていく。

 その間にギルマスのカラドン手動で、剣士や拳闘士たちがキンキたちを浜辺の一ヶ所に追い込んでくれている。

 ルシウスはざっと辺りを見回した。
 浜辺から少し高台に上がったところに冒険者ギルドの赤レンガの建物が。あちらはダメだ。
 反対側には灯台がある。そちらもダメ。

「えと、えと……」

 高火力高出力のルシウスの聖剣で一気にお魚さんモンスターをやっつけるのが楽ということで、ギルマス主導で聖剣一振りで片付くよう敵対をまとめてくれているのだ。

 これまで、何も考えずに聖剣をぶっ放してきた結果、お魚さんモンスターを討伐の成果である魔石ごとじゅわっと蒸発させてしまったり、海の沖に向けて吹き飛ばしてしまったり。
 魔石の回収が不可能になってしまうと、他の冒険者たちは食っていけなくなるし、ギルドの運営にも悪影響を及ぼす。

『いのちだいじに、ませきかいしゅう』の作戦をギルマス、サブギルマスにこんこんと諭されたルシウスである。
 大丈夫。ルシウスはちゃんと学習するお子さんだ。

「あ、この角度いい感じ! よーし、行くよー!」
「散開!」

 戦闘員が一斉にキンキたちから離れる。

 ぶわあっとネオンブルーの魔力が、ルシウスの小柄な身体と、握り締めている両刃の金剛石ダイヤモンドの聖剣から噴き出す。

「成敗!」

 光り輝く聖剣から放たれた衝撃波が、一ヶ所にまとめられたキンキたちの巨体にクリティカルヒット!

 クギャアアアアアアー!

 と悲鳴を上げて消えていくキンキたち。
 今日のお魚さん討伐は終わりである。

「よし! ちゃんと出力抑えめで頑張った!」

 誇らしげに胸を張るルシウスの前には、十数個の拳大の真紅の魔石が落ちている。
 ちゃんと形が残っている。よし。

「キンキの魔石は本体の体色と同じで美しいんです。宝飾品にも使われるぐらいで。高く売れますよ」

 とはサブギルマスのシルヴィスの解説だ。
 連携プレーによる討伐報酬は山分けとなる。一同わっと歓声を上げた。



「あら? 何かしらこの香り」

 魔石の回収し終わり、このまま砂浜に残ってお砂遊びをするというルシウス以外はギルドに戻るという。
 自分も彼らに続こうとして、女魔法使いのハスミンは辺りに漂う芳香に気づいた。

 爽やかだけど嗅いでいると気分が落ち着くような、スーッと頭の中がクールダウンするような香りだ。

「フランキンセンス……ううん、もっとウッディな感じね。これ何だっけなあ……あ、松脂か!」

 昔、ハスミンが家族でピクニックに出かけたとき、現地に松林があったことがある。
 針のような松葉をまだ幼かった頃のハスミンが口に含んで年の離れた姉が慌てていた記憶が思い出される。
 ごわごわして樹皮が鱗状に剥がれている木の幹から樹液が滲み出ていて、うっかり触ったらべったり落ちなくなって泣いたこともあった。
 その樹液が松脂だ。加工して弦楽器の弦に塗ったり、道具のグリップの滑り止めに使ったりする。
 その松脂や、松葉など、松の樹木によく似た芳香が砂浜に漂っている。

「辺りに松林……ないわね」

 海岸に塩害に強い松などの針葉樹を植林することは多いが、ココ村海岸では特に見当たらない。
 樹木は内陸の町に近いところまでいかないと生えていない。
 もう少しゼクセリア共和国が国力をつけてくれば、植林にも力を入れるのだろうけれど。

「そもそも、香りの発生源もないのよねえ」

 あるとすれば、先ほどルシウスがぶっ放した聖剣の余波のネオンブルーの魔力だけなわけで。
 当の本人は波打ち際の少し手前で、楽しげに砂を掬ってはペタペタ固めてお城をひたすら作っている。

「……魔力に香りがあるってこと? ……まさか」

 そうだ。聖剣持ちということは、聖剣を通して聖なる魔力が使えるということではないか。
 つまり術者本人に聖なる魔力がある。

「詳しい人を呼ばなきゃダメかあ。ついでだからココ村海岸の調査できそうな人にお手紙書ーこうっと」

 手に負えなくなる前に本職の魔力使いを呼ぶに限る。



 ここ最近、ギルドに配達されてくるゼクセリア共和国のメジャー新聞では、タイアド王国が混乱しているとたびたび特集が組まれている。

 タイアド王国はルシウスの故郷アケロニア王国と同じ円環大陸の北西部にある。
 間に小国があるからお隣さんではないが、王族同士が縁戚にあるので、ふたつの国は同盟国となっている。

 ギルマスのカラドンたちが目を通した後の新聞は食堂に置かれるので、冒険者たちも暇なとき眺めている者が多かった。

「よっしゃ、一稼ぎしてくるか!」

 国が混乱しているときは、かえって高額報酬の依頼が増えるものだ。
 王侯貴族など社会の上層部からの護衛依頼が増える時期でもある。
 混乱に乗じてハイクラスの人々を害そうとする輩が増えるためだ。



「おじさんたち。行かないほうがいいよ」

 食堂で配膳の手伝いをしていたルシウスが、横から口を挟んだ。

「行かないほうがいい。タイアドはあまり良い国じゃないしね」

 そうルシウスがルシウスが忠告したのは、七人の冒険者パーティーに対してだった。
 だがパーティーはあっさりスルーすると、こうしちゃいられないとばかりにココ村支部を出ていくのだった。

「……僕はちゃんと忠告したからね」

 小さく呟くルシウスの小柄な背が、ちょっとだけしょんぼりと更に小さく見える。

 テーブル席で午後の紅茶を楽しんでいた女魔法使いのハスミンは、魔女らしい黒い先折れ帽子のつばを弄りながら、そんな光景を見ていた。

「“忠告”かあ。うーん、ルシウス君ってやっぱり……」

 可憐な美少女のような顔に憂いをのせて、水色の瞳を翳らせていた。



 ランチタイムも終わり、給仕の仕事を手伝っていたルシウスも遅い昼食だ。

 今日のランチはマグロのオイル漬けツナを使った焼き飯と海藻とタコのマリネ、それにいつものワカメスープである。
 このツナもルシウスはココ村支部に来てから初めて食したのだが、噛み締めるとじゅわっと炊き込まれたスープとオイル、魚の旨味が溢れてきて美味い。
 夕食だとこれを使ったグラタンをたまに料理人のオヤジさんが作ってくれるのがルシウスの楽しみだった。
 あと軽食用にほぐし身をマヨネーズや玉ねぎのみじん切り、パセリなどのハーブと和えたものを挟んだツナサンドは絶品だ。
 簡単にマヨネーズと和えただけのほぐし身を入れて握った例の黒い塊、“おにぎり”にしても美味い。ぺろりと五個はいけてしまう。

 大盛りにしてもらった焼き飯定食をモリモリ食べ終わり、食後のお茶を貰って、冒険者たちが読んでいた新聞に目を通す。

「タイアド王国、ねえ」

 見出しによると、故郷アケロニア王国と同じ、円環大陸の北西部にあるタイアド王国では今、大問題が発生しているそうな。

 王太子が、婚約者だった公爵令嬢と婚約破棄して、まさかの男爵令嬢と結婚すると宣言したらしい。

「あれ? タイアド王国の王太子の婚約者ってたしか……」

 確かグレイシア王女様のおじい様、先王ヴァシレウス大王の最初の王女様が何十年も前にタイアド王国に輿入れしていたはずだ。
 今の王太子は、その王女様とは別の側室との孫。
 王女様の孫の公爵令嬢は、その王太子の従兄弟で婚約者だったはず。

「お、詳しいこと知ってるのか? ルシウス」
「オヤジさん。知ってるけど、あんまり気分のいい話じゃないよ」

 厨房の片付けを終えて、自分も遅い昼食の料理人のオヤジさんが横から新聞を覗き込んできた。

「タイアド王国のこと何か知ってんのか?」
「そりゃね。うちの国と因縁のある国だから」

 事務処理に一息ついたのか、ギルマスたちもお茶を飲みに食堂へやってきた。
 気づくと時刻は午後の二時だ。

 魔物の襲来がないと暇を持て余すのが、ここ冒険者ギルドココ村支部。

 ギルマスのカラドンや料理人のオヤジさん、他の冒険者たちに促されて、ルシウスは概要を話すことにした。

 ルシウスはまず、自分の故国であるアケロニア王国のことから説明していった。

 ルシウスの故郷、アケロニア王国の先王ヴァシレウス大王は近年稀に見る傑物で、円環大陸の中央にある神秘の“永遠の国”から大王の称号を授けられた偉大な王様だった。

 永遠の国はハイヒューマン、人類の上位種たちの国で、名目上、円環大陸のすべての国を統括していると言われている。
 あまり実態が知られていない謎の国なのだが、世界各国の教会や神殿、それに冒険者ギルドなどの本部があるのはこの国の中だ。

 人々や国に対して、名誉称号を時折授与することで知られている。
 ステータスに自然に発生したり、修練によって獲得するスキルとは比べ物にならないほど価値のある称号を。



 アケロニア王国の王族は勇者の子孫と言われていて、心ある優れた王が代々即位することで有名だ。

 ヴァシレウス大王も若い頃はともかく、年老いた現在では穏やかで優しいおじいちゃんだった。

 しかし、そんな彼を激怒させたことがある。
 それが、最初の子供だったクラウディア王女様が嫁入りしたタイアド王家の、彼女への仕打ちだ。

 クラウディア王女様は今の王様テオドロスのお姉さんで、グレイシア王女様の伯母にあたる。
 故人だ。

 クラウディア王女様は13歳でタイアド王国の当時の王太子に輿入れした。

 タイアド王国での成人年齢は16歳。
 さすがに早すぎる結婚だが、当時険悪だった両国の関係を取り持つための婚姻だったので、無理やり早めに結婚させたという経緯があった。

 実際には嫁入り先のタイアド王国の成人年齢に達してから正式な婚姻の儀を挙げましょうね、という国同士の取り決めを行っての輿入れだった。



 そして翌年、クラウディア王女様は十四歳で出産。
 子供は男の子だったが一ヶ月で亡くなってしまった。
 父王のヴァシレウス大王にその話が届いたのは、赤ん坊が亡くなった後のことである。

「妊娠も出産もなーんにも知らされなかったんだよね、うちの国。アケロニアとタイアドは間に他国があるとはいえ、同じ北西部にあるのにさ」

 苦々しくルシウスが顔を歪めた。
 この話を、ルシウスは当事者のヴァシレウスやその友人である父メガエリスから兄と一緒に聞かされていた。
 さすがに王族や高位貴族の一部しか知らない話で、アケロニア王国の国内でも一般には流布していない話だった。

 あまりにも、酷い話なので。

「え、いや、ちょっと待って。13歳で嫁入りして翌年十四歳で出産……?」
「そ。16歳の成人年齢になってちゃんと結婚式挙げるまで手を出しちゃ駄目だぞって国同士で取り決めてたのに、相手の王太子が押し倒しちゃったんだよね」

 野蛮だよね、信じられないよね、とルシウスが憤慨している。

「待って……ほんと待って、うちの娘もいま13歳なんだけど、その歳で……ええええ!?」
「タイアドの王太子、マジ鬼畜。許すまじ」
「……確かに酷いな」

「もうとっくに王様になって今は退位しちゃってるけどねー」



 ちなみにそのクラウディア王女様は、その後しばらくしてもうひとり王子を産んですぐに亡くなってしまった。二十代の早いうちに。
 どう考えてもろくな扱いをされていなかったことが明らかである。

「まだ大人になりきれないうちに子供を産まされた最初の出産のときに、身体を壊しちゃってたんだと思う」

 一番最初に儲けた、思い入れのある王女様をあまりにも早くに亡くしてしまったヴァシレウス大王。
 それはそれは深く悲しみ、以来ずっとタイアド王家を憎んでいる。
 だからアケロニア王国にとってのタイアド王国とは、同盟国とは名ばかりの敵性国家だ。

 このことを、アケロニア王国では騎士団の将校になると必ず幹部実習で習う。
 なぜ、アケロニア王国では成人貴族が全員、問答無用で軍属にさせられるかの理由だからだ。
 いつでも敵性国家タイアド王国と戦争できるように、である。

 ルシウスはヴァシレウス本人から「あのとき何で王太子をぶち殺しに行かなかったのか。今でも後悔している」と何度も聞かされたことがある。

 具体的には当時、アケロニア王国側で別の国と小競り合いがあり、タイアドに割くためのリソースがなかった。
 間が悪かったのだ。

 それに、亡くなるまでの数年間の間に、クラウディア王女本人が何度も父親のヴァシレウス大王に対して両国の仲を取り持つ書簡を故国に送り続けていた。
 彼女は険悪だった両国の間を結ぶためタイアド王国に輿入れしているのだ。
 最後まで自分の使命を忘れなかった賢女でもあった。

「で、そのクラウディア王女様が二番目に産んだ王子が臣籍降下して公爵になった。その娘さんが、今回王太子に婚約破棄された公爵令嬢ね。うちの国のヴァシレウス大王様のひ孫様だよ」

 名前はセシリア。
 まだ16歳ピチピチのご令嬢だ。
 ヴァシレウス大王などアケロニア王族は黒髪黒目で知られている。
 だが彼女はタイアド王家の血のほうが強く出た容姿らしく、金髪碧眼でやや垂れ目の愛らしい少女と伝わっている。



 ところで、アケロニア王国から娶ったクラウディア王女を早死にさせた後のタイアド王国はどうなったのか。

 さすがに、13歳の少女を犯し孕ませる王太子のいるタイアド王国の評判は、国際社会で落ちまくった。
 タイアド王国側も隠していたそうだが、こういう話はどこからか漏れていくものだ。
 もちろんアケロニア王国が密かに各国上層部に広めさせたからだ。

 そのせいで、タイアド王家は他国の有力な王侯貴族との新たな婚姻を、クラウディア王女以降まったく結べていない。
 国内でもせいぜい伯爵家以下の家格の子息子女との縁を結ぶのが精一杯な時期が続く。

 するとどうなるか。
 王家の力が衰える。

「ふーん。ヴァシレウス大王はそうやって王女様の復讐を進めていったのねえ」
「そうだよ。退位して息子のテオドロス様に国王の座を譲ってもまだ続けてると思う。もちろんテオドロス様も、その娘のグレイシア様もね」

 こんな話、世間話で聞いちゃっていいのかな? と女魔法使いのハスミンもギルマスたちも料理人のオヤジさんも冒険者たちも、内心冷や汗ものだった。
 だがルシウスの様子を見ている限り、まだ子供のこの子が知ってる程度のことなら問題ないのだろう。



 それでも、タイアド王国がクラウディア王女との間に生まれた第一王子を王太子にしていればまだ挽回はできたはずだった。
 アケロニア王国のヴァシレウス大王にとって孫にあたる王子だ。

 ところが何とも愚かなことに、その正妃クラウディアとの間の第一王子は、後に臣籍降下させられている。
 後継者には王妃だったクラウディア王女とは別の寵愛する側室との間に生まれた第二王子が指名されている。

 この時点で、アケロニア王国のヴァシレウス大王はタイアド王国を見限った。
 実の孫の、臣籍降下させられた元第一王子の公爵の家族だけを支援し続けて、王家とは限りなく断絶に近い状態が現在まで続いている。

「普通はね、そういうことやらないよね。何のために同盟を結ぶためアケロニア王国の大事な王女様を娶ったんだよっていう」
「しかも、アケロニアのクラウディア王女が産んだのは第一王子でしょう? 正妃との間の第一子を王太子にせず臣籍降下させるとは……ちょっと考えられないことです」

 サブギルマスのシルヴィスも眉を顰めている。
 たとえ不仲な夫婦だったとしても、政治上やってはならない判断だ。

「今回は大丈夫なのか? アケロニア王国、タイアド王国に攻め入り案件じゃね?」

 ギルマスのカラドンも髭を弄りながら難しい顔になっている。
 そもそも、アケロニア王国からタイアドと緊張関係にあって騎士の派遣が難しいので、代わりに寄越されてきたのがこの聖剣持ちのお子様なのだ。

「ヴァシレウス様はもうお年だし、今さら戦争ってことはないと思うけど。ヤバいのはお孫様のグレイシア王女様だね。血の気が多いから、喜んで喧嘩を買うと思うよ」

 グレイシア王女様は子供の頃から、自分が生まれるずっと前に亡くなってしまった、悲劇の伯母クラウディア王女のことを教えられて育っている。
 女性だから剣はさすがに握らせてもらえなかったそうだが、彼女は代わりに護身術と徒手空拳の拳闘術を身につけていて、なかなか強い。
 彼女の夫は夫婦喧嘩のとき、妻がファイティングポーズを取ったら即降参すると決めているそうな。

 王族は皆、次にタイアド王国がやらかしたらもう容赦しないと決めている。
 そうルシウスは聞かされていた。

「そっか、お前んとこの王女様と、タイアドで婚約破棄された公爵令嬢は親戚同士か!」
「そういうこと。またいとこだね」



 新聞には、アケロニア王国とタイアド王国の緊張状態が特集されていたが、具体的にすぐ戦争どうの、という話までにはなっていなかった。

「戦争やるのかな……もし開戦したらヴァシレウス様、“大王”の称号を返上しなきゃだ。でも、そこまでの覚悟があるとしたら……」

 これ以上のことはルシウスにもわからなかった。
 大人たちはあれこれ意見交換していたが、ルシウスはその中にあまり入れない。

 まだ子供の学生だ。知識も経験も足りなすぎた。

 アケロニア王国とタイアド王国の確執のきっかけについて話していたら、半月ほど後、タイアド王国の王太子はもっととんでもないことをしでかした。
 新聞を読みながら、さすがのルシウスも呆気に取られてしまった。

「えええ。婚約破棄したのにまた再婚約しようとした? しかも正妃じゃなくて公妾で召し上げる? ついでに浮気相手の男爵令嬢を、婚約破棄した公爵家の養女にして王太子に輿入れさせろって命じた? ……ないわー」

 意味がわからない。

「公妾ってなんですか?」
「国が認めた王族の愛人、ですかね」

 ここは民主主義のゼクセリア共和国だから、馴染みのある制度ではない。
 顔に疑問符を浮かべた受付嬢クレアにサブギルマスのシルヴィスが答えている。

「自分から婚約破棄した公爵令嬢に、今度は愛人になれって言い出したのか……」
「タイアドの王太子、頭おかしいんじゃねえの?」
「これを王太子にしてるタイアドも頭沸いてる」
「一応、スペアの王子もいるみたいだけどねー」

 二人ぐらいまだ下に弟王子がいたはず。

 庶民の冒険者たちの感覚でも「頭おかしいわこいつ」と感じるぐらいだから、当然ながら当事者たちはもっと嫌悪感を感じるだろう。

 ルシウスすら「酷いわこれ」としみじみ思った。

「ヴァシレウス様たち大丈夫かな。普段怒らない人が怒ると怖いんだよね」



「うちのアケロニア王国ってさ、王族は皆すごい話のわかる人たちでね。そんな人たちを激怒させるんだから、タイアド王家は余程のものだよ」

 ルシウスが通っていた学園の中等部には他国からの留学生が何人かいたが、誰もがアケロニア王国の王族の話を聞くと「自分もこの国に生まれたかった!」と涙するぐらいまともな王族のいる国なのだ。

「皆、人間できてるけど、限度ってもんがあるよね」
「お前は王女様にここに騙し討ちみたいに送り込まれてるじゃん。それはOKなの?」
「……グレイシア様には帰ったらお説教するもん。国王様も先王様もほんと覚えてろー!」

 絶対にお説教一晩コースをやってやる。とルシウスは胸の内の兄に誓った。
 ついでに詫び料としてお高いチョコレートを数箱ぐらい貰わないと割に合わない。

(お前、そんなこと言ってるけど一時間くらいで飽きちゃうくせに)

「お?」

 最愛の兄が呆れたように笑う声が聞こえた気がした。
 辺りをキョロキョロ見回すが、当然兄はいない。
 あまりにもお兄ちゃんが恋しすぎて空耳まで聴こえるようになっていた。



 更に数日後、ルシウスの故郷アケロニア王国が近隣諸国に向けて声明を出したと新聞に記事が載った。


『我らアケロニア王国が誇る偉大なるヴァシレウス大王のひ孫セシリアを婚約破棄し、公妾に貶めんとした愚かな王太子よ! 貴様がタイアド王国の国王となるならば、我が国はその在位期間中の国交を断絶する!』


 それはそれは、怒髪天をつくような猛烈なメッセージが延々と続いた。

「うはあ。グレイシア様、すごーい」
「へえ。勢いはすごいけど、この文面だと戦争しそうにないわねえ」

 ある意味、戦争を仕掛けるより大きなダメージを与えることを選んだといえる。
 アケロニア王国とタイアド王国なら、タイアド王国のほうが国土が大きく人口も多い。
 しかし現在ではアケロニア王国のほうが国力が上だ。

 アケロニア王国は魔法魔術大国と言われていて、魔導具や魔力を使って精製するポーションなどの薬品類、そして魔石の生産と輸出で発展している国だ。

 当然、タイアドだってアケロニアからたくさんそれらを輸入して、上は王侯貴族から下は庶民までの生活を成り立たせている。
 国交断絶されたら、それらの生活に必要な、特に魔石が手に入らなくなる。死活問題だ。

「さて、タイアド王国はどう出るか」

 反撃に出るか、それとも。
 ココ村支部内だけでなく、ゼクセリア共和国でもアケロニア王国とタイアド王国の確執は注目の的だ。
 メジャー新聞だけでなく、中小の新聞や雑誌でも連日特集が組まれていた。



 それでまた数日経つと、新聞にはタイアド王国の王太子が廃太子の上で廃嫡され、浮気相手の男爵令嬢の家に婿入りする旨、王家が決定したと公表された。
 一国家として異例の急スピードの意思決定だった。

「うん。妥当な線じゃないかな」
「元凶の王太子を切り捨てたわけか。まあ一番楽なやり方だよな」

 ちなみに新聞には、婚約破棄された公爵令嬢セシリアが一時的に祖母クラウディアの祖国であるアケロニア王国に避難する旨も記載されていた。

「確かに、このままタイアド王国にいても、ろくなことにならなさそうだもんね」

 ちなみにその後、タイアド王国の公爵令嬢セシリアは、何と60歳以上年上の曾祖父であるアケロニア王国の先王ヴァシレウスに嫁ぐことになる。
 しかも、政略結婚ではない。驚きの恋愛結婚で。
 それでまた各国の新聞を騒がせることになるのだが、今はまだ誰も知らない未来の話だった。


 ところで、タイアド王国には廃嫡された元王太子を含め三人の王子がいた。
 第一王子が廃嫡され廃太子にもなったため、第二王子が繰り上がりで新たな王太子となることが発表された。

 が、ここでまたタイアド王国はやらかした。

 もうすっかり各国の主要新聞はタイアドの話で持ちきりだ。
 この一ヶ月ほどの間だけでもほとんど毎日、常連ネタになっている。

 冒険者ギルドのココ村支部内でも、娯楽が少ないから職員も冒険者たちも、顔を合わせればタイアド王国の話ばかりしている。



 王太子の婚約破棄から続く一連のタイアド王国の醜聞にとどめを指すようなこの出来事を、記者は淡々と記事にまとめ上げていた。

 ここ数代、問題行動の多い王族が続いていた中で、良識のある王子として知られていた第二王子には年上の恋人がいた。

 剣聖サイネリア。

 王子より年上。
 平民出身だが幼い頃に剣の才能を見出されて後に騎士団長の養女となったことが縁で、第二王子の剣の指南役となった女性だ。
 凛とした美しい女性と伝わっている。

 二人は幼馴染みでやがて恋に落ちたのだが、ここに来て第二王子が王太子となってしまった。
 元から、王子と平民出身の貴族の養女の関係では結婚は難しいだろうと言われていた。
 ましてや王子が王太子という次期国王が確定した身となってしまっては、尚更だった。

 新たな王太子には、その立場に相応しい他国の姫君が婚約者として決定されることとなった。
 そう、第二王子は近年のタイアド王族として珍しく良識ある人物だったから、その人柄を買われて他国の姫君との縁談を結べたわけだ。



 だが、しかし。

 ここで新たな王太子となった、『良識ある人物』のはずだった第二王子は、恋人の剣聖サイネリアに対して、とても不誠実で愚かなことを仕出かした。

 自分と他国の姫君との婚約発表の場で、自分の恋人である剣聖サイネリアを、側近に下げ渡すことを宣言したのだ。

 己の恋人を、下賜すると。

 剣聖サイネリアはその命令を断った。
 元平民の自分と結婚できないのは仕方がない。いつでも別れる覚悟はできていた。
 だが、だからといって剣聖の自分を“キープ”するためだけに、勝手に身柄を他の男に下げ渡されるなど真っ平だと。

 本来なら、彼女がただの平民でも、また現在の騎士団長の養女の身分であったとしても王族の命令には逆らえないはずだった。

 ただ、彼女はタイアド王国の国民ではあったが、剣聖の称号持ちだった。
 聖なる魔力を使う者には、称号に“聖”の文字が入る。
 代表的なものは聖者や聖女だが、剣聖は剣技をもって聖なる魔力を使う魔力使いの術者なのだ。

 聖なる魔力持ちは、国家権力の支配を受けない。たとえ特定の国に所属していたとしても、命令を拒否する権利がある。
 円環大陸の国際法でそう定められている。
 例外は、建国期から現在まで自国民出身の聖者や聖女を擁するカーナ王国ぐらいのものだ。
 それがこの円環大陸における決まりである。

 これまでは騎士団長の養女として、また第二王子の恋人だから、彼らのいるタイアド王国に尽くして来た。

 だが、本人の了承も取らずに勝手に恋人を側近に下賜するような男の命令など、剣聖サイネリアは受け入れる気はなかった。



 命令を拒絶されたことで面子を潰された新王太子は、怒って剣聖サイネリアをタイアド王国から追放した。

 聖なる魔力持ちは数が少ない。
 その貴重なひとりである剣聖サイネリアを追放した。

 新聞では、彼女が当該記事の執筆時点で既にタイアド国内から出奔していることが綴られている。

 この出来事によって、ただでさえ前王太子による醜聞で失墜していたタイアド王家の名声は、地の底まで落ちることになった。

 一連の経緯を見る限り、『良識ある人物』としての新王太子の第二王子の評判とは、剣聖サイネリアの内助の功だったのだろう。
 記者はそう記事を締め括っている。



「タイアド、もう長くないね。もしかしたら、僕たちが生きてる間に崩れるかも」

 恐らく、アケロニア王国からクラウディア王女を娶った頃には既に崩壊の兆しが出ていたのだろう。
 タイアド王国も、始祖の建国王は偉大な戦士だったと伝わっている。
 このような愚かな子孫によって幕を下ろすことになるとは、建国の祖も報われないだろうと思う。

「剣聖サイネリアの件は全冒険者ギルドにも通達が出たぞ。冒険者登録に来たら上に報告上げろって」
「冒険者登録させないってこと?」
「まさか。その逆だ。いざってとき居場所を把握しておきたいだけさ。聖なる魔力持ちだから魔物退治にゃ打ってつけの人物だし」

 髭面ギルドマスターのカラドンによれば、むしろギルドとしては剣聖サイネリアをフォローする側に回るだろうとのことだった。

「……そういえばルシウス君も聖剣持ちでしたね。将来的に剣聖になる可能性があるのでしょうか」
「どうだろ。ステータスには『魔法剣士(聖剣)』としか表示されないんだよね」

 探るように灰色の瞳で問いかけてくるサブギルマスのシルヴィスに、ルシウスはわからないと両腕を広げて「お手上げ」ポーズを取った。
 周りが自分に対して、剣聖に進化することを期待しているのは知っていたけれども。

「でも、聖なる魔力を持つ者は皆、世界のために活躍しているでしょう? 君も聖剣持ちとして、将来は教会や神殿に所属するのでは?」
「ううん。僕はアケロニア王国の貴族だし、帰国したらまた学生に戻って卒業したら兄さんたちと同じ魔道騎士団に入るよ」

 ルシウスの話に出てくるのは、大好きなお兄ちゃんやパパ、仲の良いアケロニア王族の皆さん、それにおうちの家人や学校で仲が良かった友達の話など、ごく近い人間関係のことばかりだ。
 最近はギルドの人々や親しい冒険者たちのことも口にするようになった。

 このお子様、人当たりは良いが、人そのものの好き嫌いはかなり激しいと見た。



「おう、ルシウス。冒険者ランクがSSまで上がると、各国上層部からの指名依頼の請負い義務が発生するぜ。国の軍属になるならその間、冒険者証は休眠状態になるぞ」
「えええ。じゃあSランクまでで止めておく」

 現在、ルシウスの冒険者ランクはBランク。
 特例措置によるハイスピードなランクアップはここまでだ。以降は討伐実績の積み重ねで、冒険者ギルド所定のポイントが貯まるたびにランクアップしていくことになる。

 もっとも、ここココ村支部で討伐するお魚さんモンスターたちはDからSランクまで、下位ランクから高位ランクまで満遍なく魔物が出る。

 ココ村支部に常駐する期間が長くなればなるほど、ルシウスも自動的にランクは上がっていくことだろう。

 そろそろAランクに上がる頃だった。



 その日は早朝にお魚さんモンスターが現れたので、朝食後はもう暇なココ村支部だった。
 第二弾が来ることもあるが、今日は他の冒険者たちもいるので余裕がある。

「買い出しに行きます! ルシウス君、一緒にどう?」
「行きます! 初めての外出は逃せない!」

 ルシウスがココ村支部に送り込まれてきたのは6月。もう翌月の7月、すっかり夏だった。
 そしてこの間、ルシウスは一度もココ村支部とココ村海岸から外に出ていない。
 お魚さんモンスター退治のために派遣されているので、頑張っているうちに外に出る機会を逃しっぱなしだったのだ。



 というわけで、受付嬢クレアと、荷物持ちに手伝うという女魔法使いハスミンに連れられてお出かけである。

 ギルドのあるココ村は、大した設備もなく冒険者ギルドや灯台のためだけの小村だ。
 必要な物資は徒歩数十分かかる内陸の町まで出なければならない。
 配達を頼めれば良いのだが、不気味なお魚さんモンスターが出没するココ村支部まで来たがる配達員は少ない。
 足りない分はこうして受付嬢クレアが冒険者たちに荷物持ちの依頼を出して買い出しに出ている。

「食料も海産物は豊富だけど、やっぱりお肉や卵も食べたいですしねー。お菓子や果物、お茶やお菓子なんかも」
「お菓子お菓子!」

 一番近い町、ヒヨリもそう規模の大きな町ではない。
 だがこちらにも冒険者ギルドや商業ギルド、教会、商店街など必要なものは揃っている。
 町の外に魔物が出ることと、少し離れた山の中にダンジョンがあるため、そちら攻略のために発展してきた町だった。



「うふ。紳士様、エスコートしてくださる?」

 人通りの多い商店街に入る前に、ハスミンが白くたおやかな手をルシウスに差し出してきた。

「喜んで、ハスミンさん!」
「あー! ずるい、私も私も、ルシウス君!」
「じゃあクレアさんも!」

 右手にハスミン、左手にクレアと両手に花になった。

「あれ?」

 女性二人に挟まれて、この状況にルシウスはふと首を傾げた。
 ハスミンは成人女性として華奢だが背丈は標準だ。
 クレアはそれよりちょっとだけ小柄。
 二人とも、まだ子供のルシウスよりは背が高い。

「ンフフ。これで迷子になる心配なし!」
「ここ、はぐれると合流するの大変ですからねー」

「!?」

 これエスコートじゃない。
 迷子防止措置だ!

「やー! 迷子になるほど僕、子供じゃないもん!」
「んまあ。誤解よルシウス君。あたしたちが迷子にならないためよお」
「そうそう。私とハスミンさんのお手手を離しちゃダメですよー?」
「やー!」

「「離さないもーん」」

 女性といえど二人とも冒険者。ルシウスが必死に手を振り解こうとしてもまったく外れてくれない。

「ルシウス君のお父様から、人の多いところに行くときはちゃんと手を繋いで離さないようにって注意を貰っているんです」
「おうちの人とお出かけするときも、お兄ちゃんたちとお手手繋いでたんでしょ? それと同じよう」

 ルシウスのパパ、メガエリスからの手紙には、好奇心旺盛な子供なので目を話すとあっという間に見失ってしまいます、と書かれていた。

「お手手繋いでくれないなら、次からはギルマスに抱っこされて持ち運ばれますからね?」
「ひえっ」

 ギルマスのカラドンは大剣使いだけあって腕も太腿も丸太のように太い。ルシウスぐらいなら小脇に抱えて平気で運ぶだろう。

「お手手つなぎます……」

 おんなのひとこわい。つよい。

 そう呟きながら、左右のお手手をつないでお買い物に付き合うルシウス少年だった。