無欠のルシウス~聖剣の少年魔法剣士、海辺の僻地ギルドで無双する


「オヤジさーん。お昼に食べたあのおにぎり美味しかった。お夕飯にも食べられる?」

 お砂遊びから戻ってきて、シャワーで砂と日焼け止めを念入りに落としてから食堂に入ったルシウスだ。

「炊き込みご飯かい」
「そう!」
「同じものじゃ芸がないねえ。少し違う料理にしてあげるよ。卵は好きかい?」
「大好き!」

 生も半熟もしっかり固めもバッチリだ。

 それでワクワクしながら待っていると、出てきたのはオムライスだった。
 黄色いやや半熟の玉子焼きに、特にソースなどはかかっていない。

「いただきます。……あ、中身が炊き込みご飯!」

 昼間、おにぎりの中に入っていた黒い糸くず、もといヒジキの煮物の入った炊き込みご飯だ。
 卵は特にオムレツのように胡椒やハーブが入っている様子はない。鮮やかな黄色のみ。

 ここココ村支部に来てからというもの、食堂で食べる料理はアケロニア王国出身のルシウスには珍しいものが多い。

「む!」

 やや半熟の玉子焼きとヒジキの炊き込みご飯とのコントラストに、ルシウスは湖面の水色の目を見開いた。

「オムレツのとこが美味しい!」

 とても風味の良い料理だった。
 魚や海藻から取った濃いめのスープで、玉子焼きが味付けされている。
 なるほど、玉子焼きにしっかり味が付いているからソースなどがかかっていないのだ。
 バターでふんわり焼き上げられていて、意外とそれが炊き込みご飯と合う。ものすごく合う!



「大人たちはだし巻き玉子だけど、ルシウス君はこっちのがいいだろ」

 夕食どき、ギルドマスターを始めとする職員たちも仕事を終え、食堂で一杯引っ掛けている。
 彼らのテーブルの上には棒状の玉子焼きがカットされたものに、大根おろしが添えられたものが。
 酒は本日はライスワインのようだ。飲む気満々じゃないか。

「飯はシメがいいよなー」
「お酒飲む人はそう言う人多いよね。僕の父様や知り合いの大人の人たちもそうだよ」

 ちなみにルシウスの父メガエリスは酒が入ると笑い上戸だし、先王様のヴァシレウスなどキス魔になる。
 被害者多数だが、ルシウスはまだ唇は誰にも許していない。ファーストキッスは死守している。
 たとえ相手が偉大な先王様でもダメ絶対。

 絡み酒の人たちなので、お酒のあるお食事会ではいつも、お兄ちゃんと一緒に早々に避難していたルシウスだ。
 そういうときは、別室でふたりっきりでデザートを食べることができる。
 そういう特別感のある時間がルシウスは大好きだった。



「あっ、ルシウス君、いたいた! お国からお手紙届いてますよー、はい!」

 遅れて食堂にやってきた受付嬢兼事務員のクレアが、手紙を渡しに来てくれた。
 彼女も今日は仕事は上がりのようで、ルシウスの食べているオムライスに目を輝かせて、同じものをオヤジさんに注文していた。

「席、ご一緒してもいいかな?」
「どうぞー」

 受け取った手紙の差出人は、アケロニア王国のグレイシア王女様だった。
 いったん食事の手を止めて、スパッと即興で創った魔法樹脂のペーパーナイフで封を開けた。

『そろそろお前の兄と交代しても良いぞ?』

 手紙には、既にルシウスのお兄ちゃんカイルが新婚旅行から戻り、魔道騎士団の通常任務に戻っていることが書かれている。

「兄さんはキモカワ萌え属性はないんだ、脚の生えたお魚さんなんか間近で見たら倒れちゃうよ! ここは僕が頑張るしかない! 兄さんのために!」

 王女様はわかっていて手紙を書いている。

「兄さん、僕が送ったお魚さんモンスターたちにドン引きしたって、父様やお嫁様がお手紙くださったもの。こんな僻地に来させてお嫁様と離れ離れにするのもかわいそう」

「僻地で悪かったなー!」
「でも新婚男が来ちゃいけないところなのは同意ー!」
「えっ、でもルシウス君のお兄さんなら超イケメンでしょ、いい男が来るならあたしは大歓迎よ?」
「……いい男……」

 受付嬢クレアと女魔法使いのハスミンが、またオムライス攻略に戻ったルシウスをじっと見る。
 本人、きゃるん♪ とした麗しく可愛らしい青銀の髪と湖面の水色の大きな瞳の美少年だ。
 よく大好きだと語っているお兄ちゃんとはそっくりらしい。この顔が大人になったら?

「間違いないわね」
「間違いないやつです。最高のイケメンですね。でももう奥さんいるんですよねえ……残念」

 こんな僻地ギルドじゃまともな出会いなどほんどない。


 ギルドから借りたカンテラを持って、金髪の可憐な女魔法使いハスミンは夕食後、腹ごなしに海岸を歩いていた。
 魔女らしい先折れ帽子もローブも真っ黒なので、カンテラに照らされた白い顔と純金色の髪だけが浮き上がって見える。

 海岸には少し高台に冒険者ギルドの三階建ての建物が。
 やや離れた位置には、灯台がある。
 灯台にはゼクセリア共和国の兵士が常駐しているそうだが、数日ごとの交代制で、彼らが特に冒険者ギルドに立ち寄ることもない。
 互いの間に交流などもないそうだ。

「うーん。昼間のルシウス君の聖剣を見たとき、まさかと思ったけど」

 ルシウスが大量の吸血オクトパスを殲滅させた聖剣から放たれたのは、聖なる魔力だ。
 ネオンブルーの魔力の余波は、半日以上経った夜になっても、海岸付近をほんのり発光させて残っていた。
 まるで空の星々が海と地上に降りてきたかのような美しい光景に、ハスミンはうっとり溜め息を漏らした。

「何という強大な魔力。しかもまだ十四歳ですって? 将来が恐ろしいわ」

 あの、まだ幼さの残る小柄な聖剣の魔法剣士は、吸血オクトパスを完全に殲滅するのみならず、海の魔物が大量発生する海岸の浄化までしてのけた。
 海の魔物たちは対岸のカーナ王国側からやってくるから、またしばらくすればこちら側の海岸まで押し寄せてくるだろう。

「でも、もう何日かは来ない……来れないでしょうねえ、魔物は」

 ハスミンは他に何人か聖なる魔力持ちを知っていたが、ルシウスほど高火力の魔力使いは見たことがなかった。

「欲しいわ、あの子。今のうちに唾つけて他に持っていかれないようにしないと」

 ハスミンの水色の瞳が輝く。
 行方不明の友人の捜索のためココ村支部を拠点に冒険者活動していたハスミンだが、成果を得られずそろそろ故郷に戻ろうかと考えていた。

 だが、考えが変わった。
 あの聖剣の持ち主の子供の側にいよう。



「そうと決まれば、町の宿屋から荷物引き上げてこーようっと。あたしもココ村支部で寝泊まり決定ね」

 ルシウス少年は宿直室を借りているようだが、ギルドの建物裏手には職員寮用の建物があるのだ。
 ギルドマスターのカラドン、サブギルドマスターのシルヴィス、そして受付嬢のクレアはそこに部屋を持っている。
 ココ村支部は僻地で職員の数も少ないから、部屋は空いているはず。
 ギルド側も、魔法使いのハスミンが常駐するとなれば利用を断りはしないだろう。


 新婚旅行から戻ってきて二日後から、長男カイルは職場である王都の魔道騎士団に再び出勤し始めた。

 お嫁さんである、緩い茶色の癖毛とグレーの瞳のぽっちゃり系女子ブリジットは、専業主婦として家政を取り仕切っていくことになる。
 とはいえ、リースト伯爵家は中堅どころのお貴族様の家で、家人たちは粒ぞろい。
 既に当主メガエリスの妻は亡くなって久しいため、父と息子二人の男世帯の家の中のことは家人たちが上手に回している。
 ブリジットの女主人としての修行はのんびり進めていこうという話になっていた。



 朝、出勤する夫を見送ったブリジットは、義父のメガエリスと家族用のプライベートサロンでお茶を楽しんでいた。
 メガエリスも長男と同じ魔道騎士団の所属だが、息子は現役、父は顧問で半隠居状態。ゆえに大抵自宅にいる。
 夫カイルの弟ルシウスから手紙が届いたとのことで、ブリジットも読ませてもらうことにしたのだ。
 今回はお魚さんモンスターは送られてこなかった。一安心。

「ルシウス君、冒険者ギルドで活躍してるのですよね。そういえば、何でまだ学生のルシウス君がそんなことになったのです?」
「う。そ、それはだな……」

 そうだった。まだこの嫁に事情を話していなかった。
 そこでメガエリスは、次男ルシウスが、本当は兄夫婦の新婚旅行について行きたいと言っていたことと、それにまつわる親子喧嘩とルシウスの家出、王女様に嵌められてゼクセリア共和国の冒険者ギルドに派遣されてしまうまでの経緯を掻い摘んで話した。

「あらー。そうでしたか、ルシウス君も一緒だったら楽しかったのにねえ」
「なぬ!?」

 意外な事実発覚。
 この嫁的には夫の弟が新婚旅行に来るのはアリなのか!?

「ふふふ、カイル様ったら口下手で、私とふたりきりだと間が保たなかったというか。ルシウス君がいたら賑やかで楽しかったかなあって」
「そ、そうか……それなら親の私が変な気を遣わず、ブリジットに先に訊いておけば良かったか……」

 そうしたら、自分は可愛い次男ルシウスを殴る必要もなく、勝手に遠隔地に派遣されてしまうこともなかったというのか。

 もしかしないでも、我が家にとってこの嫁は大当たりでは?
 優秀だが神経質なところのある長男カイルに、おっとり大らかなこの嫁は好相性のようだった。



 ところで、この嫁は何が決定打となって長男カイルとの結婚を決めたのだろう?

 リースト伯爵家の者は青銀の髪と湖面の水色の瞳、白い肌など、とにかく麗しい容貌の持ち主として知られている。
 基本、モテ男モテ女の家系だが、逆に美形すぎて本命とするには敬遠されやすいところがあった。

 長男カイルと、王都の子爵令嬢だったブリジットは先月始めに見合いしたばかり。
 その場でカイルは彼女に求婚し、翌月の今月6月にスピード結婚まで漕ぎ着けている。
 父のメガエリス的には、学生時代も、騎士団員となってからも彼女らしい影のない長男を心配していたので、息子の決定に反対などするはずもない。

「ふふ。お義父様、リースト伯爵領では虫を食べる文化があるそうですね?」
「なぬ、虫だと!?」

 ブリジットは灰色の瞳を悪戯っぽく輝かせて笑った。

「お見合いのとき、カイル様が私に言ったんです。『うちの領地はポーション材料に虫のエキスを使うことがあるけど、そのまま食べることも多いんだ。そんな家の男と、君は結婚できる?』って」
「はあああ!? 何じゃそれは!?」

 聞いてない。さすがにそれは聞いていない!

「物を食べたら歯を磨いてうがいをし、香草を噛むのがエチケットですよ、とお答えしましたの」
「う、うむ」
「口から虫の脚が飛び出てさえいなければ、我慢しますわ、とも」
「おう……」
「そうしたら、直後にこう、私の前に跪かれて。『君はオレの運命の人だと思う。結婚してください』と求婚されましたのよ」
「なるほど……」

 もちろん、リースト伯爵領に虫食文化などない。
 魔法薬のポーション材料に、ある種の虫のエキスを使うことは事実だが、ごく一部に過ぎない。

「つまり、カイルの奴はそなたを試したわけか……」
「はい。見事、“お試し”をクリアーしてお嫁さんになりましたわ♪」
「息子が済まない……本当に済まない……」

 あいつ何やっとんじゃ、とメガエリスは長男カイルを一度締め上げることを心に誓った。

 本当なら嫁入り前に話しておくべきことだったが、長男夫婦はお見合いからゴールインまでスピード結婚だったので、なかなか話す機会がなかったことがある。

 次男ルシウスのお兄ちゃん愛のことだ。

 元々、とても仲の良い兄弟だったカイルとルシウス。
 だが、実はルシウスはメガエリスの実子ではないし、カイルの弟でもない。
 それでも子供の頃は仲が良かったのだが、メガエリスの妻である兄妹の母親が亡くなった頃から雲行きが怪しくなってきた。

「あの子たちの母には年の離れた弟がおってな。姉を慕っておったのだが、ルシウスが物心つく頃に亡くなっている。それがルシウスのせいだと逆恨みしたのだよ」
「ええと、どういうことなんです?」

 疑問符を顔に浮かべたお嫁さんに、メガエリスは小さく息をついて、屋敷の地下室へと案内した。
 家人の執事長や侍女長も一緒だ。

「ルシウスは私たち夫婦の実の子ではないのだよ。だが、妻の弟はルシウスを私の不義の子だと勘違いしていて、誤解だと言っても理解しようとせぬ。姉が死んだのは私の不義で悩み苦しんだからだと思い込んでおる」
「あらー……」
「詳しい理由を説明しておらなんだ私にも責はある。だが、妻の弟とはいえ他人に話すわけにはいかぬ当家の事情というものがあってだな」

 一族や、王家と一部の貴族たちしか知らないリースト伯爵家の秘密がある。



「良いか、ブリジット。これから見るものは一族以外のものには他言無用ぞ」

 地下室の扉の前でメガエリスは嫁のブリジットに言い聞かせた。
 実家の家族にも駄目ということだ。

「カイルの妻となったそなたは既に我がリースト伯爵家の女主人だ。だからこそ、教えておく」
「は、はい」

 執事長が扉を開く。彼と侍女長が先導し、メガエリスの後をついて地下室に入ったブリジットは、そこにあったものに驚愕して、上げかけた悲鳴を口を両手で塞ぐことで何とか飲み込んだ。

「これが、我が家の秘密だ」

 地下室はそう広くない。家族用のプライベートルームほどだろうか。
 氷のように透明な樹脂の柱が数十本立っている。
 その中に人や、人でないものが封印されていた。

「お、お義父様、これはいったい?」
「我が家の秘術、魔法樹脂だ。我がリースト伯爵家の祖先や縁のあった者たちを封印したものでな……」

 手近な魔法樹脂の柱を撫でて、メガエリスが溜め息をつく。
 その中には十代半ばほどの緑のドレスを着た、長い髪の少女が入っていた。
 髪色が青銀色で、ブリジットの夫カイルや、その父メガエリスと容貌がよく似ている。

「過去、身の危険が迫ったときに保存された者たちや、難病で治療方法が見つからなかった者、絶滅寸前の種族など事情は様々だ。我が一族は魔法の大家だが、彼らを守るための家でもある」
「あらー……」

 ブリジットは言葉もない。

「ルシウスはこれらの中で、最も古いうちの一体だった。十四年前、ここに忍び込んだまだ子供だったカイルが発見してな。あの子の前でちょうど術が解けて、赤ん坊だったルシウスが現れたというわけだ」
「ああ、だから“実の子”ではないということなんですね」
「そうだ。だが、あの子は私やカイルとよく似てるだろう? ご先祖様の誰かの血筋なのは間違いない」

 そうして魔法樹脂の中から出てきた赤ん坊に、メガエリスはルシウスと名付けて、自分たち夫婦の次男として国に届けた。
 ただし、公にはできなかったが、懇意にしていた先王ヴァシレウス、国王テオドロスと王妃、王女グレイシアといった主だった王族たちには事情を話してある。

「我が家の者はそれで良かったのだが、妻の弟は突然現れたルシウスが妻の実子でないことを見抜いた。妻は事情があるのだと弟に説明したが、弟は理解せず、ルシウスを私の不義の子だと決めつけたのだよ」
「それは、まあ、何と申しますか……」

 不貞の結果生まれた子供の話は、貴族社会ならよく聞く話だが、何ともいえない話である。

 ブリジットは地下室内の魔法樹脂の中の人々を見回した。
 確かに、こんな光景は縁戚とはいえ他人には話せない。
 魔法の大家のお家事情だ。おいそれと説明できるものではなかった。


「誤解が解けぬのは残念だったが、話が通じぬ妻の弟とは疎遠にならざるを得なかった。だが、妻が亡くなった後でこの弟はまた話を蒸し返してきてな……」

 亡き妻の弟は、わざわざ王都に引っ越してきて仕事を見つけ、それからメガエリスの長男カイルに接触し始めたという。

「カイル様にですか。それはまたどうして?」
「弟のルシウスはお前の実の弟ではないぞ、と言うためだけにだ。だが、ルシウスを発見した当の本人に告げ口した気になっているのだから噴飯ものよ」
「………………」

 ルシウスが実の弟でないことは、発見者当人のカイルにとっては当たり前のことだ。
 だが、母親の弟である叔父に、一族の秘密が絡む弟ルシウスのことを説明することはできない。



「そうしたら、妻の弟は次に悪辣なことをやり始めた。カイルとルシウスの間に不和の種を蒔き始めたのだ」

 さすがに度が過ぎている。
 事態が発覚してすぐにメガエリスは亡き妻の弟にリースト伯爵家と、本家の者への接近禁止命令を出した。
 妻の実家に一度は戻ったようだが、現在は行方不明となっている。

「その、不和の種というのはどんなことなのですか?」
「……息子たちは、どちらも魔法剣士として天才なのだ。だがルシウスのほうは次元が違う。何せ扱う魔法剣が聖剣だからな」
「せ、聖剣」

 伝説級の武器だ。持ち主は現在、世界中を探しても数人いるかどうかと言われている。

「カイルとて、何十本もの魔法剣を創り出せる傑物よ。だが、ルシウスはたった一本の聖剣で兄の実力を軽々超えていった」
「あらー……。男兄弟でそれはキツいでしょうね」
「妻の弟はカイルに、弟に劣る兄であってはならないと、ことあるごとに諭しては劣等感を刺激していたようだ。そうしたら仲の良かった兄弟はあっという間にギクシャクし始めた。まあ、カイルだけだがな」

 元々繊細な気質だった兄カイルは、悪意のある叔父の策略によって、すっかり捻くれた性格になってしまったという。

「ルシウス君はどうだったのです?」
「あの子はそんな小難しいことを考えるたちではない。昔から今に至るまでずーっと、『兄さん好き好き』と可愛らしく慕っておるわ」
「あらー」

 なるほど、温度差のある兄弟なのだなとお嫁さんブリジットは理解した。

「鳥の雛が最初に見たものを親と思い込むようなものだったのだろうか……。ならば私が最初に目覚めたルシウスの前にいたら、『父様好き好き』な息子になっていたのだろうか……」

 何やら難しい顔をしてメガエリスが悲しい顔をしている。
 兄カイルは親離れが早かったし、弟ルシウスは物心つく前から兄にべったり。
 子煩悩な父は少し寂しかった。



 その日は暇だったので、午後は食堂でおやつを食べながらギルドマスターのカラドンや冒険者たちの武勇伝を聞いていたルシウスだ。

 ルシウス自身は口を開けば大好きなお兄ちゃんのことばかり(時々はパパのことも)だが、案外人の話を楽しげに聞くので、すっかりココ村支部の人気者だ。

「家族仲が良いなら、ここに一人で来てるのは寂しいだろ」
「うん……。父様からは手紙来るけど、兄さんからのはまだ一通もないのがつらい」
「兄弟仲悪いのか?」
「悪くはないよ。でも最近距離を感じてたっていうか」

 側に寄っていくと頭を撫でてくれるし、勉強も教えてくれるのだが、気づくと姿が見えない。
 またルシウスが近づくと相手してくれるのだが、少し経つとやはりどこかへ行ってしまう。

「好きな奴にはツレなくして気を持たせろって言うよな?」
「でもお兄さんだとどうなの? あたし、男兄弟いなかったからわかんなーい」

 ギルドマスターのカラドンと、女魔法使いのハスミンが軽口を叩き合っている。

「そこ、間違ってますよ! 好きなことは積極的にポジティヴな感じに伝える! 下手な小細工なんかしてると見透かされて逃げられますからね!?」
「わーお。クレアちゃんの経験談?」
「その通りですよチクショー!」

 受付嬢クレアは下手に男に気を持たせて失敗した経験があるらしい。

「ツレなくするか、ポジティヴ押せ押せで行くか……」

 ルシウスはどちらもシミュレーションしてみた。



 その一。

「に、兄さんなんて好きじゃないんだからね!」
「ふーん。オレだってお前なんか好きじゃないよ。じゃあね」

 ツンデレ発言すると、手をひらひら振って去っていく兄のリアルな姿が浮かんだ。


「つらたん。悲しくて泣いちゃう(;ω;)」

「「「そういうお兄ちゃんかー!!?」」」

 クールな感じのお兄ちゃんらしい。

「お前なあ、ルシウス。面倒くさい妹みたいなこと言ったら兄貴だってウザイだろが」
「でも鬱陶しいとか言われたことないもん」

 ここ数年、距離を置かれやすくなったというだけだ。



 その二。

「兄さん! 僕は兄さんが何でも一番だよ!」
「あっそ。まあ、……好きにしたら?」

 自分とよく似た顔の兄が、薄っすら頬を染めている姿がありありと浮かんだ。


「テイクツー! テイクツーでいく!」

 これはアリかもしれない。可能性を感じる!



「愉快な子ねえ」

 金髪水色目の女魔法使いハスミンは愉快そうに笑った。

 戦わせれば無双だし、人懐っこいし、家族が大好き。
 こんな僻地ギルドにいることが信じられないような子供だった。

「ルシウス君はいつもご機嫌で良い子ですよねえ」

 受付嬢のクレアも頷いた。
 食堂の同じテーブル席でハスミン、受付嬢、ギルドマスターで今後の戦略の相談をしていたのだが、ルシウスがお兄ちゃん語りを始めたので笑いながらそっちに耳を傾けていたのだ。

 海からお魚さんモンスターがやって来ないときは、暇を持て余すここ冒険者ギルド、ココ村支部。
 常駐しているルシウスも例外ではない。
 ギルド側では差し障りのない書類仕事を手伝ってもらったり、同じく暇を持て余した他の冒険者たちが駄弁っている食堂の給仕などをお願いしたりしていた。
 そう、今もお兄ちゃん語りにひと段落ついて給仕に戻っている。

「おーい、こっちにエールふたつー」
「はーい、お待ちくださーい」

 容貌も、小柄でフットワークが軽く、青みがかった銀髪に湖面の水色の瞳はいつもキラキラと輝いていて、麗しく可愛らしい。
 そんな子供が人懐っこいものだから、一見さんの荒くれ冒険者たちともすぐ馴染んで可愛がられている。

「貴族の子だから、傲慢なとこあるかなって思ってたら、全然そんなことなかったですよね」
「まあ、あのヴァシレウス大王のアケロニア王国の貴族だからな。あそこは王族(うえ)の人柄が良いから、一般的にイメージするような傲岸不遜なお貴族様は少ないほうだ」

 ルシウスは円環大陸の北西部にある、魔法と魔術の大国アケロニア王国からやって来ている。

「ただ、十四歳にしては小柄ですよね。あれだと8歳……いや、せいぜい10歳くらいにしか見えません」
「強い魔力持ちは成長が遅いって聞いたことがある。そのせいじゃねえかな」

 成人前の成長期は特に個体差が激しいと言われている。

「言動も幼いわよね。おうちの方、心配じゃないのかしら」
「親父さんは無茶苦茶心配してるな。毎回すんごい分厚い手紙来るし。ただ、戦力的には何も問題ねえから、上手く実戦経験を積ませてやってくれだと」

 最初こそ何でこんな子供が、と頭を抱えていたギルドマスターだが、蓋を開けてみればとんでもない最終兵器持ちだった。



「結局、アケロニア王国以外からは応援、どっこも来ませんでしたねえ」

 受付嬢クレアがペンを片手に嘆息した。
 ココ村支部のあるゼクセリア共和国はもちろん、近場のカーナ王国やカレイド王国他、なしのつぶてだった。
 特に対岸のカーナ王国は、ココ村の海岸に海の魔物が出没する原因のひとつなのだが、国境の外はまるで知らんぷりだった。解せぬ。

「最終手段は、冒険者ギルドの本部に頼めば良かったんだけどよ。それやると、テコ入れされて国との関係も悪くなっちまうし」

 最悪、ココ村支部の廃止もあり得た。
 だが、ゼクセリア共和国自体がまだ弱い国なのに魔物が来ることがわかっているココ村支部を廃止したら、それこそ本末転倒である。
 ギルドマスターのカラドンには、こうした国との関係の調整も業務の内だった。

 そして、こんな僻地のココ村支部に支援しても、各国にメリットなどない。
 本来ならゼクセリア共和国が対処すべき問題だから、どの国も内政干渉になることを忌避して静観されているというところだろう。



「何でアケロニア王国だけ人員や物資を送ってくれたのかしら?」
「んー。多分、俺が今の国王様と面識あるからだろうな。俺、若い頃にアケロニア国内のダンジョン近くのギルドを拠点にしてたことがあっから」

 まだ結婚もしておらず、冒険者活動に夢中になっていた頃だ。

「アケロニアにも海があるんだが、たまたまそこに今の国王様が新婚旅行に来てたわけ。お忍びだったみたいだから護衛もそんな数連れてなくて、そこに海から魔物が来ちまったんだよな」

 そのとき、たまたま海辺の宿屋にいた冒険者カラドンが、当時まだ王太子だった新婚の現国王夫妻を助けたことがある。

「理由があるとすりゃ、そのときの恩を返してくれたってことじゃね?」
「義理堅い王族ねえ。今どき珍しいじゃない」

 結果を見れば、ルシウスを派遣してきたのは上手いやり方だった。
 自国の騎士を派遣すると費用も嵩むし、内政干渉を疑われて他国からの批判が出る可能性もある。
 まだ学生のルシウスなら、冒険者登録をして社会経験をさせていると堂々とした言い訳が立つ。
 活動費用はルシウス自身がお魚さんモンスターを倒した討伐報酬で賄える。
 ココ村支部は安定した強力な戦力を使うことができる。

「ルシウスがいるうちに体制固めねえとな」

 そうは言っても、やはりまだ十四歳の子供というのがネックだ。
 いつ本国に帰還するかわからない。
 そのときまでに、どれだけ支部の体制を固めておけるかが勝負だった。



 冒険者ギルド、ココ村支部を利用する冒険者たちが、ここに居つかない理由はいくつかあった。
 僻地すぎる。それもある。
 資金難。それもある。
 人員不足。もちろんだ。

 他は、ココ村支部に来ると、体調を崩すことが多いのだ。
 水が合わないのか、そのせいもあってこの支部にはなかなか冒険者たちが居つかなかった。

 気づいたら、冒険者はルシウスと女魔法使いのハスミンだけ、という日が増えている。

「ルシウス君は平気なの?」
「僕、身体すごく丈夫だよ。お腹も強いの」

 ちょっとくらい食べすぎたぐらいでは屁でもない。
 むしろ育ち盛りだからお腹はいつも空いている。



 だが、そんなルシウスを弱らせるものがあった。
 ココ村支部は職員の数が少ない。
 それは食堂も同じことだ。人の出入りの多い支部なら料理人と配膳とで最低五人はいるはずの食堂に、ここは町から毎日来てくれるオヤジさん一人しかいないのだ。
 それも、朝から晩まで一日詰めてくれている。
 もう年は六十を超えていて、妻にも先立たれ子供たちも独り立ちしているからと、長時間労働でも笑ってこなしてくれていた。

「ここは客も少ないから、どうってことないよ」

 と笑ってくれるオヤジさんに胸キュンとなるギルドの人々だった。



 本来なら週休二日のところを、毎日出勤でも大丈夫だと言ってくれているオヤジさん。
 しかし、さすがにそれだとギルド運営規則に反するため、最低一日は休んでもらうことにしていた。

 その週に一日だけのオヤジさんの休日には、臨時で料理人に来てもらっている。
 彼も少し離れた内陸の町の食堂の料理人で、まだ三十代ほどの痩せぎすの男だ。

 この臨時の料理人の男は週に一日しか出勤しないが、今のギルドマスターたち上役や職員より少しだけ古株だった。
 そのせいで妙に態度がデカい。
 最近ではぽっと出のルシウスが気に入らないという態度をよく見せていた。



 魔物が来たり来なかったりのココ村支部。
 ルシウスは暇なときはギルド内の仕事や、食堂で配膳を手伝っていた。
 そのため、来たばかりの冒険者や外部委託の下働きの者の中には、ルシウスが冒険者だと知らない者もいた。
 週一ほどの間隔で食堂の臨時料理人として町からやって来る男もその類だ。
 新人がギルドマスターや冒険者たちに可愛がられているのが気に障るらしい。

「ルシウス君、ご飯行かないの?」

 食堂に臨時の料理人の男が来る日は、ルシウスは二階の自分の部屋になっている宿直室か、ギルドの事務室にこもって食堂に寄り付かない。

「今日はあの人がいる日だから、売店の携帯食にする」
「ああ……それね」

 事務室にいたギルマスのカラドン、受付嬢のクレア、サブマスのシルヴィスもげんなりした顔になった。

「オヤジさんと比べると、まあ何だ。ちょっとな」
「不味いですよねえ、彼の料理。前日のうちにオヤジさんが仕込んでおいてくれるスープだけが救いです」

 言葉を濁したカラドンに、シルヴィスは容赦なくズバリと斬り込んだ。
 そうなのだ、あの臨時料理人は、料理人なのに飯マズ属性。
 それだけならまだしも、ルシウスにだけ態度が悪くて、ルシウスの注文をいつも後回しにする意地の悪いことをするので行きたくないのだ。
 しかも後回しにしておきながら冷めた料理を出してくる。さすがにあの男の料理はもう要らない。

「ルシウス君。ご飯代わりにはならないだろうけど、チョコ食べる?」
「食べる!」

 アケロニア王国の王女様から送られてきたお高いチョコレートを、いつもよりちょっとだけ多めに受付嬢クレアが手渡してくれた。



 二階への階段を上がりながら、チョコレートを口に放り込む。

「なんか、あの人と関わると嫌なことになりそうな気がするんだよね」

 ルシウスには“絶対直観”という、精度高めの予感スキルがある。
 あの臨時の料理人の男に、このスキルがビンビン反応している。

 油断はできないぞと、いつも笑顔を絶やさないルシウスは表情を引き締めた。


 ルシウスが宿直室の小さな机で、ひとり侘しく携帯食の栄養バーを齧っていると。

「来たぞー! 海から魔物が来た!」

 階下から見張り役の叫びが聞こえてきて、ハッとなって携帯食を慌てて水で流し込んだ。

 海辺にはすぐ出られるよう、ブーツとウエストポーチは常に身につけている。
 本来なら防御力を高めるため革のベストも着用するようギルド側から指導されていたが、6月とはいえ暑い日の多くなってきた海辺での戦いには邪魔だからと着けていない。
 もう鉄剣はやめて、武器は自前の聖剣を使うことにしている。
 ギルドマスターからは「出力抑えめで! 海岸壊すダメ絶対!」と言われていた。

 一階に降りると、冒険者たちやギルマスたちは既に砂浜に出ているようだ。
 ルシウスも出入り口に向かいがてら、ちらりと食堂のほうを見た。
 例の男は厨房の中にいて、何やら料理の下拵えに集中しているようで、ルシウスの視線には気づかなかった。



「今日はお魚さん……じゃないや、青い海老さん?」
「残念、ルアー(誘惑)ロブスターだ! こいつのハサミで傷つけられると誘惑かけられてトリップしてるうちに頭から食われちまう! 気をつけろ!」

 真っ青の甲羅を持った巨大なロブスターが十数体、まず数体が砂浜に上がろうとしてきた。
 これまた、どれもルシウスの体長よりずっと大きい個体ばかり。

「わあ。脚がたっくさん!」

 甲殻類のロブスターには脚が何本も対に生えているが、その本来の脚の隙間からムカデのように一体あたり五対十本の人間のごく短い脚が生えていた。
 ルシウスが最初に見たお魚さんモンスターたちは、ふつうの人間の脚だったが、ポイズンオイスターやこのルアーロブスターなどのようにいくつかバリエーションがあるようだ。

「えっ。……速い!?」

 本来の脚と人間の脚の相乗効果で、ガサガサガサッと青いルアーロブスターが高速移動している。

「まずい、あのスピードで来られたら接近対応できない人たちが危ない!」

 大剣を持って海へ駆けているギルドマスターの横をすり抜けて、一番近くまで迫ってきたルアーロブスターに向けて駆け出した。
 手の中には魔法樹脂で剣を作りながら。

「ルシウス、距離を保ちながら戦え!」
「もう遅いでーす!」

 そのままぴょんっと砂地を蹴って、ルアーロブスターの上に乗っかった。
 頭の部分より少し後ろに着地すると、大きなロブスターのハサミはそこまで届かない。

「わあ。ハサミぎざぎざしてるー」
「バカ、素手で触るんじゃなーい!」
「大丈夫。手はちゃんと魔法樹脂で保護してるよ!」

 ハサミや身体の胴体の大きさのわりに、目玉はそう大きくない。
 両目の近くから長い触覚が伸びていて、背に乗ったルシウスを叩き落とそうとしてくる。

「おっと。そんな攻撃じゃやられないよー」

 ぱしっと2本の触覚の髭を両手でそれぞれ掴んだ。


 ギーギーギー!


 鳴き声なのか甲羅の軋む音なのかわからない悲鳴を上げて、ルアーロブスターが悶える。

「お?」

 そうして触覚を片手でまとめて、もう片方の手の聖剣でハサミをぶった斬ろうとしたところで、ルシウスはあることに気づいた。

 右の触手を引っ張る。
 ルアーロブスターはその真っ青な身体を右に向けて進んだ。

 左の触手を引っ張る。
 今度は左を向いて進み出した。

 両方一気に後ろに引くと止まる。

「ふむ。じゃあ両方上に引っ張ると?」

 勢いよく前に向かって突進した!