何にせよ、彼らの系列でルシウスが会うのは4人目になる。
ハスミン、フリーダヤ、ロータス。そしてリコ。
多分、これまで会った中では一番、一般人に近い。能力的にも価値観的にも。
もう料理人のオヤジさんへのレクチャーは一通り終わったそうで、冒険者たちと一緒に少し酒を入れつつ夕飯にするところだったそうだ。
「環使いって、全員が魔力使いかと思ってました」
「儂は元は北部の実業家でね。病気で死にかけてたところを聖女ロータス様に救ってもらったんだ」
「そのまま実業家は続けなかったの?」
「環に目覚めた後、実業家としての儂の使命はもう終わったなって感じたんだよね。しばらくファミリーの仲間たちと一緒にいろいろ試して、一番向いてたのが薬師だったんだ」
以前リコが持っていた資産などは大半を処分して寄付したが、僅かに残った屋敷や金銭は別のファミリーが管理人として管理を続けているそうだ。
ライスワインの小さなグラスを片手に、アジの刺身やたたきに舌鼓を打ちながらリコが話してくれた。
今日は集まっている冒険者の数がいつもより多かったので、料理人のオヤジさんがブッフェ形式にしてくれている。
ルシウスとフリーダヤが釣ってきたアジは大型のクーラーボックスから溢れるほどあったので、必然的にアジ祭りとなった。
刺身やたたきは、たっぷりの生姜や大葉、ネギなどと一緒に大皿へ。
醤油やポン酢、あるいはレモンなどお好みのタレで食べる。
シンプルな塩焼きも、頭を落としたものが並んでいる。
これは必ず押さえておきたいやつ。アジを一番素朴に味わえる。
他にソテーや、甘辛い醤油タレの蒲焼きもある。
エスカベッシュという、白ワインビネガーで作るアジのマリネはビール派やワイン派たちに人気のようだ。
アサリと一緒に煮込んだアクアパッツァもなかなかの人気だ。
「すり身でつみれ汁もあるよ。浜大根入り」
「つみれ!」
よくイワシなどを近場の漁師が売りに来たとき作ってくれるやつだ。
味噌味スープがとても美味しいが、今回は塩味のスープのようだ。
アジのつみれは今回ルシウスも初めて食べる。どんな味がするのだろう?
なお、浜大根は浜辺に生えている大根の野生種だ。
生だと苦味と渋味があるが、加熱するとふつうに食べられる。
「いやいや、飯が美味くてビックリしたよね。ゲンジ君には薬師スキルも伝授したから、今後は回復機能のある薬膳メニューを開発してくれるんじゃないかな」
アジ料理にご機嫌の薬師リコが爆弾を投下した。
「回復機能ってつまり……」
「ただでさえ美味いオヤジさんのメシが……」
「ポーション化する、だと……?」
それもう最強じゃん、と冒険者たちが戦慄している。
そうして皆が夕飯を楽しんでいると、オヤジさんがまた厨房から新たな料理を持ってきた。
大皿に盛りに盛られたそれは、アジフライ。
カラッとキツネ色に上がったそれは、匂いからして殺人級だ。
添え物のキャベツスライスなど新鮮サラダもたっぷりと。
「ソースかタルタルソース、好きなほうで食べてね」
とカットレモンも添えて、希望者にアジフライを配膳していくオヤジさん。
アジフライの山がみるみるうちに消えていく。
基本、オヤジさんが作る料理は何でも安定して美味いのだが、フライ物のときのオヤジさん特製のタルタルソースはヤバかった。
ふつうのタルタルソースだと、マヨネーズに玉ねぎやパセリのみじん切りを入れて、茹で卵のみじん切りは入れたり入れなかったり。
オヤジさんの場合、玉ねぎは酢漬けの浅漬けで、さらにオリーブオイル漬けのニンニクを刻んだものが少し入っている。
そこに玉ねぎを漬けていた酢や、ニンニクを漬けていたオリーブオイルでマヨネーズを少々伸ばし、今回は茹で卵も加えたバージョン。
レモンはお好みで各自で絞るので、タルタルソースには入っていない。
「最初、何も付けないで食うじゃん? 次に塩。レモン。ウスターソース。タルタルソースの順。で最後にソースとタルタルソースをたっぷり両方かけて、ガブっと」
それが自分のアジフライのときの作法だと自信満々のギルマスのカラドンに、「わかる!」と頷く面々。
派閥的にはウスターソース派とタルタルソース派で二分されている。
「アジフライおいしい」
ルシウスの故郷アケロニア王国はあまり揚げ物のない国だった。
過去に、加熱した油で調理した料理で全国的に食中毒が流行したことと、油脂の摂りすぎで魔力が乱れるという研究があり、文化的に非推奨の食事に指定されているのだ。
多少、素揚げがあるぐらいで、パンや菓子に使うバターを除くと、炒め物やサラダに使う以外の油脂の用途は少ない。
多分、帰郷してもココ村支部で食べているようには食せない気がするので、ここぞとばかりにフライ物に齧りついていた。
何といっても釣りたて獲れたて捌きたてのアジだ。
しかも今、真夏はアジの旬でもある。
お魚さんも海の中でプランクトンなどの餌が豊富で肥えていて、身もしっかりしている。
刺身や塩焼き、ソテーも美味だったが、やはりアジフライは格別だ。
オヤジさんは短時間でカラッと揚げる派のようで、外はカリッと、中の身は蒸されてふわっと。
ザクッと齧りつくと、白身魚ほど上品でなく、赤み魚ほど野暮ったくない。
それでいて脂の乗ったふわふわ柔らかな身の旨みときたら堪らない。
ルシウスもソース、タルタルソース、両方好きだが、
「お醤油でたべるアジフライ、すごくおいしい!」
「「「その手があったか!」」」
目から鱗とばかりに、今までなかった味変に一同ビックリしている。
「俺の故郷だと、大根おろしと醤油で食べる派もいたねえ。……いるかい?」
「「「お願いします!」」」
それで、さっそく用意してもらった大根おろし+醤油で食べるアジフライに、皆して新しい境地に開眼していた。
「僕、大根おろしでさっぱり食べるの好きー」
おやつ感覚で何枚もいけてしまう。
「刺身と同じ魚だしね。醤油で合わないわけがないのさ」
オヤジさんの至言、きた!
今回、締めは2種類用意されていた。
ひとつめは、アジのユッケ丼。
薬師リコから薬師スキルの伝授を受けて、生卵の浄化ができるようになったとのことで、コチュジャンという甘辛い唐辛子味噌で和えた生のアジの細切りを、刻み海苔を敷いたご飯の上へ。
後はたっぷりの小口ネギと胡麻油を少々、真ん中に生卵の黄身をのせて白胡麻をぱらり。
ふたつめは、焼きアジのほぐし身を使った炊き込みご飯で、そのままでも良いし、出汁茶漬けにアレンジも可能だ。
「他のメニューが良ければ言ってくれたら作るからね」
とオヤジさんは言うが、この頃になると皆はもう悟っている。
オヤジさんがそのときに作ってくれるものが一番美味しい!
ユッケ丼と炊き込みご飯だと、味がバトルってしまう気がする。
炊き込みご飯は明日の朝に持ち越しも可能だとのことなので、大半はユッケ丼を選択した。
新鮮なとろ〜んとした黄身に絡む、これまた新鮮なコチュジャン和えのアジ。
そこに胡麻油のコクと香ばしさ。海苔の磯の香り。
「今日もオヤジさんのごはんがおいしい。しあわせ」
頬っぺたをピンク色に染めて、至福に浸る。
コチュジャンはちょっと辛かったが、甘みの強い調味料で、オヤジさんが強い辛味の苦手なルシウス用に量を調整してくれたこともあって美味しくいただくことができた。
今日も美味しいごはんをたくさん食べて、ふわんふわんした気分で寝ぐらの宿直室へ戻ろうとしたところ、薬師リコに手招きされた。
「ルシウス君だったか? これな、フリーダヤから頼まれてた綿毛竜の翼から作った特殊ポーションな。日持ちしないから寝る前にでも飲んで」
忘れてた。
先っぽをパキッと折って飲むタイプのアンプル型ポーションを受け取って、ちょっとルシウスは途方に暮れた。
「……これ、飲まないとダメかな?」
「別に儂は構やしないけど。でも飲まなきゃ素材にした翼は無駄になっちまうねえ」
「うう……」
パキッとアンプルを折って、目をぎゅっと瞑ってその場で中身を一気飲みした。
味はしない。無味無臭だ。
ピコン
ステータスに変化が起きたことを知らせるお知らせ音が聞こえた。
「竜種の加護は付いたかい?」
「付いた! 『綿毛竜の恩人』と『竜種の加護』ふたつ!」
おおお、と歓声が上がる。
知性ある魔物の代表格、竜の恩人ときたか。
「またアケロニア王国に報告書を書かなきゃな。ルシウスのパパさん、喜ぶだろうな〜」
このお子さんはいったいどこまで成長するのだろう。
楽しみだけどちょっと怖いと思うギルマスのカラドンなのだった。
さて、まだ子供で寝るのが早いルシウスを始めとしてギルマスたちや他の冒険者たちも部屋や宿へ戻った後。
食堂に残ったのは、料理人のオヤジさん、魔術師フリーダヤと聖女ロータス、占い師ハスミン、そして薬師リコの5人だ。
「皆さん、まだ腹に余裕はありますか。あるなら締めに寿司でも握りますよ」
「お、いいねえ」
今日のアジは本当に物が良かったそうで、鮮度を保つ保存用の魔導具に何匹か取ってあるらしい。
ささっとオヤジさんが厨房で作ってきたのはアジの棒寿司だ。
本当に本当の締めだから、ひとり数巻ずつ、生姜醤油で。
ついでに、とっておきのライスワインの吟醸酒を冷酒でキリッと硝子の猪口に一杯ずつ。
「では、新たな環使いゲンジ君の誕生に乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」
そう、薬師リコから薬師スキルの手解きと伝授を受けている最中に、何とオヤジさんに環が発現してしまったのである。
オヤジさんの環は胸回りに出た。
この位置に出る者は、物事の調和を取ったり、人間関係が円滑になりやすいというアドバンテージがある。
料理人として、利用客に合わせた食事を作り提供するオヤジさんにピッタリではないか。
「いやあ、まさかこの俺が魔力使いになるとは……ビックリです」
お猪口片手にオヤジさんが恥ずかしそうに頬を掻いている。
「ステータス見せてもらったけど、ゲンジ君、異世界転移者なんだね」
「醤油や味噌を好む人に多いわよね、異世界からの転生者や転移者」
「こだわりが強いからすぐわかるわよね、あれ」
ここココ村支部の食堂では当たり前にある醤油や味噌を使ったメニューだが、実は円環大陸の全体で見れば珍しい調味料だった。
「この醤油の使い方が上手い人は多いね。異世界からの来訪者」
「ライスワイン好きもね」
「米の使い方も神がかってるし」
米食文化は円環大陸全土にあるが、水だけで炊き上げた白いご飯を食べる文化というのが、実はとても珍しい。
米は大抵の場合、ピラフや炒めた焼き飯に使う。
醤油や出汁で味付けした料理で白いご飯を食べる者がいたら、異世界からの来訪者やその関係者だったというケースが多かった。
「もう何年前になりますか。気づいたら自分の店から、見たことも聞いたこともない場所にいて。たまたま料理ができたもんだから、ここの前の前のギルドマスターに食堂の料理人として雇って貰えたんですよ」
それだけでなく、調理師ギルドに登録して身分証を確保する手伝いをしてもらったりと、かなりの世話になったという。
「転生者じゃなくて転移者か……。元の世界に戻りたいとかは?」
「そりゃあ、ありますよ。でも連れ合いもとっくに亡くしてますし、息子も一人立ちしてるんで。ただ、まあ……そろそろ生まれるはずだった孫の顔を見れなくなったのだけがね。寂しいというか」
雇用してくれた当時のギルドマスターも調べてくれたのだが、異世界からの来訪者が元の世界に戻れたという記録は見当たらなかったという。
「私たちの系列には異次元世界へ向かうためのノウハウがあるけど、元いた同じ世界に行けるかはわからないなあ」
「あ、いや、そんなにこだわっているわけじゃないんです。今の生活も案外気に入ってるんですよ。冒険者たちみたいな荒くれ者を相手に料理を作るのが案外、性に合っていて」
元はニホンという国のある世界で、小さな小料理屋を営んでいたという。
「もし必要なことなら、環があなたを導く。元の世界と親しかった人たちを思い出して辛くなったときは、環を出すように練習してみて」
もう一杯だけ、とライスワインを注いでもらいながら聖女のロータスが言った。
純正聖女の彼女は酒に酔うことはまずないが、アルコール飲料の味は好きでよく嗜む。
「ついでにあなたに課題を出すわ。調理スキルの特級ランク保持者で薬師スキルも獲得したなら、完全回復薬の調合資格がある。初級ポーションから始めて、超特級ポーションであるエリクサーも作れるようになること」
「エリクサーですか!? ……いや、まあ……自信はないですが頑張ってみます」
ロータスから料理人ゲンジへの課題の提示に、フリーダヤとハスミン、リコは何やらニヤニヤと笑っている。
本人は謙遜した様子だが、案外あっさり作ってしまうのではないか、という表情だ。
「どのスキルにも言えることだけどね、特級ランクまで到達した者にしか見えない境地というのがあるんだ。エリクサーが完成したら連絡をリコに。それと」
隣の席から身を乗り出して、魔術師のフリーダヤがゲンジの胸元を軽く叩いた。
すると胸回りに光の円環、環がスーッと浮かび上がる。
「君にもアイテムボックスを授ける。元が魔力使いじゃないから容量は……まあ木箱一箱分はあるね。なかなかだ」
ゲンジの環に片腕を突っ込んで、何やら仕掛けを施している。
「あと、一度このアイテムボックスに入れたものは、同じファミリー間ならやりとりができる。我々と連絡を取りたいときは手紙でも書いて送ってくれればいい」
物品のやりとりの仕方は、ステータス画面から簡単に行える。
フリーダヤはゲンジに「ステータスオープン」と唱えさせ、目の前に表示されたステータス画面の簡単な使い方を教えていった。
「たまに料理の自信作を送ってくれると嬉しいな。君の料理はとても美味しい」
どちらかというと、こちらのほうが本題っぽかった。
「にしても、この支部に飯マズ持ちがいるんだって? ハスミンに聞いたときは驚いたよ、滅多にないレア属性だからな」
アジの棒寿司を口に放り込んで、リコがしみじみ言う。
「飯マズってのはさ、人間性に問題があるか、世界の理に反したことのペナルティかが大半なんだ。解除するにはよほど徳を積まないとね」
「……あの料理は本当に酷かったよね……」
フリーダヤとロータスは、よりによってココ村支部に到着した当日に、あの飯マズ料理人の洗礼を受けている。
「危うくバッドステータスがかかるところだった。全ステータス数値ダウン系の」
「飲み水や調味料は問題なかったから救われたわね。あとは、あの子の魔力に救われた」
あの子、即ち魔法剣士で、ロータスが聖者に覚醒させたルシウスのことだ。
「あの子、相当に魔力が多いわね。今、この支部全体をあの子の聖なる魔力が浸透してるわ。実に素晴らしい」
「言われてみれば、ルシウス坊主が来てからこの支部の利用者たちに怪我や不調が減ってる気がしますね」
ゲンジがルシウスがこのココ村支部に常駐するようになってからを思い返している。
「でもそろそろまた、あの飯マズ男の当番日よね……イヤだわあああ……」
ハスミンが自分で自分を抱きしめて震えている。
料理人二人の都合にもよるが、だいたい一週間から十日間に一度のペースであの飯マズ男の当番が回ってくる。
「彼の当番のときは、基本、料理の材料を揃えて、蒸したり炒めたりするだけで良いように前日に準備してあったんです。だから俺もまさか、そこまで酷い料理だとは思いませんでした」
「ということは、彼が手を入れると飯マズが料理に付与されるわけか。あまり良い状態ではないね、彼」
ココ村支部周辺に発生するお魚さんモンスターの異常が、あの飯マズ男に関連していることは既に掴めている。
あとはどう追い詰めていくかだった。
あらかた相談し終わった後でリコを本拠地に送るためロータスが空間転移で消えていく。
残ったフリーダヤやハスミン、ゲンジも解散することとなった。
その日の晩、ルシウスは夢の中であの綿毛竜の仔竜と再会した。
『ピュイッピュイッ!』
(人間の子よ! この間はボクを助けてくれてありがとう!)
小さな仔竜は勢いよくルシウスの胸の中に飛び込んできた。
ぽふん、と白く柔らかな羽毛に覆われた仔竜を受け止めると、その背中には魔法樹脂の透明な翼がぱたぱたと動いていた。
その翼や小さなふわふわ羽毛の頭を優しく撫でてやりながら、
「新しい翼は大丈夫? 不具合があったらまた来てね。調整するから」
『ピュッ、ピュイッ』
(全然平気! クールでハイカラだねって仲間たちに褒められてるよ!)
ルシウスの腕の中で仔竜は自慢げに胸を張った。可愛い。
「そっかあ。……あのね、君の翼をあの後見つけたんだけど、薬師の人にポーションにしてもらって飲んじゃったんだ。ごめんね」
『ピューイッ!』
(問題ないよ! 君がボクの一部を取り込んでくれたお陰で、ボクはこうして君に会いに来れたんだもの)
「あ。加護をありがと。でもここ、夢の中でしょ。現実世界では会えないの?」
『ピュアア……』
(お母ちゃんがもっと大きくなるまでは群れの中から出たらダメだって)
魔法樹脂の透明な翼は目立つ。
少なくとも自衛できるぐらい大人になって、竜種らしい強さを身につけるまでは駄目と言われたそうだ。
「そっか。じゃあ再会できるのはお互い大人になってからだね。楽しみにしてる」
『ピュイッピュイッピュイッ!』
(ボクも! ボクもまた君に会いたい! 大人になったら君を乗せて空を飛びたいな!)
「お空! 楽しみ! 楽しみにしてる!」
『ピュイッピュイッ』
(楽しみ! 楽しみ!)
「! そうだ、忘れてた! ねえ君、君の翼をむしった相手のことを教えて!」
お別れする前に、聞いておかねばならないことを思い出せた。
『ピューピュイッ!』
(人間の男だよ。気持ち悪い魔力を持ってて、ボクは森で果物を食べてるときに捕まったんだ)
「森……」
ココ村海岸から内陸部、最寄り町とは反対方向に該当する地域がある。
そしてハッと気づいた。
「もしかして、あの飯マズ男、森林地帯に潜伏してるのかも」
これはあの男を調査しているサブギルマスのシルヴィスに報告せねばならない。
それから、仔竜を襲った男の特徴を確認すると、間違いない。
あの飯マズ男ケンの外見的特徴と一致した。
『ピューピュイッ』
(あの男、ボク以外にも魔物や動物を痛めつけてたみたいだ。君も気をつけて)
そうしてひとしきり、もふもふな綿毛竜の仔竜と戯れた後で。
仔竜はルシウスの腕の中からぴょんっと空中に飛び出した。
『ピュイッピュッ』
(そろそろ帰るね。ボクに翼を付けてくれたあの容赦のないお姉さんにもお礼を言ってくれるかい?)
「ロータスさんに? あ、そういえば僕もまだお礼言ってなかった」
あのときは仔竜の翼を魔法樹脂で修復するなりの母竜来襲でそれどころではなかったのだ。
『ピュイッピュイッ』
(あとね、ボクに君から名前を付けてほしいんだ。カッコイイやつ頼むよ!)
「えっ、名前!? ええと〜」
目の前に浮いている仔竜を、ルシウスは湖面の水色の瞳でじっと見つめた。
「羽毛ふわふわ……フワン?」
安直すぎる。仔竜の反応は芳しくない。
「お腹ぷくぷくだねえ。プーちゃん?」
ギュルウ〜と仔竜が鳴く。不満そうだ。
「お腹ぽんぽんもしてるから、ポンポン君とかポポン君とか」
グギャア〜! と仔竜が低く唸った。
却下!
君、ネーミングセンスないね!
「仕方ないなあ。じゃあ羽毛が雪みたいだからユキノ君だ。ユキノ・リースト。今この瞬間から君は僕んちリースト伯爵家の一員だよ」
「ピュイッピュイッ♪」
これは大当たり!
かくして仔竜ユキノはルシウス少年に竜の加護を与え、今後それなりに長い付き合いとなるのである。
冒険者ギルドの建物の、食堂横の出入口から出るとそこには日除けのサンシェード付きのテラス席がある。
夏の外でも海辺なので、日陰だと風が通ってそこそこ涼しく過ごしやすい。
ラベンダー色の髪と薄い褐色肌の聖女ロータスは、朝食後、雨でなければ午前中はこのテラス席に座って海のほうを盲目の瞳で眺めていることが多かった。
「ロータスさん。これ」
ルシウスは早起きして海辺のヤシの木から取ってきたココナッツの実にストローを刺したものを、聖女のロータスに渡した。
聖女や聖者への捧げ物に適すものは、新鮮な果物や甘い菓子、油で揚げた浄性の高い菓子を中心に、彼らの好むものや、捧げる側の誠意を込めた手作りのものなどがある。
ルシウスの故郷のアケロニア王国に聖女聖者はいないが、聖なるものを祀る神殿はあるので有力貴族家の出身であるルシウスも基本的な作法は心得ている。
「ありがとう。あなたも飲む?」
ロータスがココナッツを受け取るや否や、目の前でココナッツが2つに増殖した。
ストローの刺さったココナッツを思わず受け取ってしまったが、手の中のココナッツと目の前の聖女様を何度も見てしまったルシウスだ。
「ろ、ロータスさんを鑑定して見てもいい?」
「どうぞ?」
ちょっと動揺しながらも許可だけは取った。
人物鑑定スキルの発動。
聖女ロータス。
何とスキル欄に『物質化』がある。
ココナッツは物質化スキルで増やしたらしい。
「お隣いいですか?」
返事はない。さっそくココナッツジュースを啜っている。
聞くまでもないのだろう。
遠慮なく隣の席に座らせてもらった。
「あのね。綿毛竜の子供のこと、助けてくれたのにまだお礼を言ってなかったから」
「あら、義理堅いのね」
「お世話になった人にはちゃんとありがとうって言いたいです。……ありがとうございました」
「………………」
軽く座ったまま頭を下げると、隣からわしわしと青銀の髪の頭を掻き回すように撫でられた。
よくできました、ということらしい。
「いつも、ここで何を見てたんですか?」
「あれよ。カーナ王国」
ロータスが指差すココ村海岸の対岸には、隣国の小国カーナ王国がある。
「カーナ王国は知ってる?」
「地図で名前だけなら」
「あそこは円環大陸で唯一、自国の聖女や聖者が帰属している国でね。国の下に邪気が溜まっていて、そのせいで魔物や魔獣の害が常にある。その一部がここ、ココ村海岸にも来ているわけ」
そういえば、ココ村支部に来たばかりのとき、そんな話を聞いたような、聞かなかったような。
「辛うじて聖女たちの力で退けることができているけれど、さすがにそろそろ限界みたいね」
「ロータスさんが対処にしに行くの?」
「行けるなら行ってやりたいものだけど、生憎あの国に私の環は動かなくてね」
「ふうん」
ルシウスもココナッツジュースを飲みながら話を聞いていた。
ほんのり甘いココナッツジュースは夏の水分補給に最適だ。
「そういえば、仔竜の治療と引き換えに環の修行しろって言ってましたよね。僕は何をすればいいんですか?」
これが話の本題だ。
「しばらくは、安定して出せるようになるのが最優先ね」
ロータスがおもむろにルシウスの顔に手を伸ばしてくる。
「あれ?」
この聖女は最初に会った日以来、顔を合わせればこうしてルシウスの額を突いてくる。
今回でもう何度目になるだろうか?
ロータスの甘い蓮の花の芳香がふわっと鼻腔をくすぐったかと思えば、トン、と眉間近くを突かれる。
ふと、ルシウスは己の頭の中がやけに静かなことに気づいた。
自分の中に何もない。
それまであったはずの堤防が決壊したかのように、思考が止まっていた。
自分の身体を見下ろすと、腰回りに例の環が光って出現している。
「魚だ! 魚が来たぞー!」
ハッと我に返った。今日のお魚さんモンスター来襲だ。
環もすぐに消えてしまった。
「僕、先に行きますね! ロータスさんは?」
「すぐ行くわ」
たたたっと足早に海辺へ駆けていく小柄な後ろ姿を、ロータスは盲目の瞳で見つめている。
「……あの子、何でこんなに環が馴染まないのかしら?」
比類なき最強の聖女ロータスの魔力伝授を何度授けても、すぐに元に戻ってしまう。
パートナーのフリーダヤにも確認したら、環開発者の彼が行っても同じだそうだ。
「そんなに強い執着を持ってる子には見えないけど」
むしろ、とても素直で明るく気質の良い子供なのだが、人は見かけによらないということなのだろうか。
お魚さんモンスターを討伐し終わった後、一足先にギルドに戻ってきた聖女ロータスは食堂で待機していたパートナーに寄って行った。
「フリーダヤ。あの子の鑑定分析はできた?」
「鑑定自体はできるけど、彼、どういうわけかステータスの数値や項目の大半がバグってるんだよね」
ロータスに訊かれた魔術師のフリーダヤは両肩をすくめた。
フリーダヤは人物鑑定スキルの上級ランク持ちだが、それでもルシウス少年のステータスは半分も読めなかった。
「それには理由がある。訳は本人に聞いてくれるか」
後から戻ってきた髭面ギルマスのカラドンが汗を拭き拭き、後ろから声をかけてくる。
「ルシウスは?」
「解体場でデビルズサーモンを捌いてるぜ」
しばらくすると、お目当てのルシウスが討伐報酬のお魚さんの魔石も受付で納め終え、捌いたデビルズサーモンの切り身をバットにのせて元気いっぱいで食堂に入ってきた。
「やあ、お疲れ様」
「あ、お疲れ様でーす!」
先にフリーダヤとロータスが食事をしていて手を振ってきたので、ルシウスは自分もオヤジさんに定食を頼んで彼らのテーブル席へ向かった。
そこで定食が出来上がるまでの間に、またトン、とロータスに額にやられたのだ。
気づくとまたルシウスの腰回りには環が出ている。
「そろそろかな」
「そうよ。……あなた、頑固すぎるわ。もっと柔らかな生き方をなさい」
ロータスの嗜めるような言葉がルシウスの中を素通りしていく。
「この子、人としておかしなところは何もないのに、どうしてこんなに環の効きが悪いのかしら」
「変な執着も感情の問題もなさそうなのにねえ」
「隠れ偏屈なのかしら」
「案外、人に言えない趣味を持ってたりとか?」
何やら散々言われている。
「あれ? いやちょっと待って……え? えええ?」
「どうしたの? まあこのお兄さんたちに話してご覧よ」
何だかすごいムズムズする。
普段はあまり考えないようにしていた感情の奔流が内側から溢れ出してきそうだ。
「デビルズサーモン定食、お待ち!」
料理人のオヤジさんが定食のプレートを持ってきてくれたが、止められない。
そのまま居てもたってもいられず、怒涛のように己の唯一、最愛への愛を語り始めた。
そう、『大好きなお兄ちゃん』への想いだ。
「えっ。……やだ、なにこれ!?」
慌てて自分の両手で自分の口を塞いだが、衝動が抑えられない。
その上、これまたフリーダヤが絶妙なタイミングで相槌を打ってくるものだから、止まらなかった。
頼んだばかりの熱々の料理は手を付けられることがないまま、どんどん冷めていく。
「そ、それで、どうなったんだい?」
ハッと気づくと、何やら疲れたようなフリーダヤの問いかけに、ようやくルシウスは我を取り戻した。
既に、昼食の時間からおやつの時間も過ぎて夕方になり、そして夕飯の時間帯になっている。
この間、ルシウスはずーっと喋りっぱなしだった。
昼前にお魚さんモンスターを倒した後は、冒険者たちは思い思いの時間を過ごしている。
今はこの食堂で、酒を飲みながら歓談している者が多かった。
「あなたの大好きな人のことは、それでおしまい?」
それまで、相槌を打っていたフリーダヤとは対照的に椅子に座って目を瞑って話を聞き続けていた聖女のロータスが、ゆっくり盲目の目を開いて問いかけてきた。
フリーダヤ、ロータス、そしてルシウス。
三者三様でそれぞれ頭部、足元、腰回りに環が浮き出ている。
少し考えて、ようやくルシウスは自分なりの答えに辿り着いた。
「僕の想いは……重たすぎたようです。そっか。だから我が最愛は僕が嫌い……なんだろうな」
これまで、あまり考えないようにしていたのに。
何となくお兄ちゃんから距離を置かれるたびに、自分の中のブラックボックスに押し込め続けてきたものだ。
「いや、自分で気づけて何よりだよ。むしろ、今まで誰も君に教えてくれなかったの?」
「うちの一族は、その……皆揃ってこだわりが強いので、僕もそんなに目立たなかったというか」
むしろ、程度の差はあってもだいたい同じだったかも。
特にリースト伯爵家の兄弟はどちらも麗しいこともあり、弟のルシウスが兄カイルに引っ付いている姿を皆が微笑ましく見守ってくれていたように思う。
(兄さんもそんなにあからさまに僕を邪険にはしなかったけど。だから僕も兄さんに甘え続けたら、最後にはいても諦めて側にいることを許してくれてたんだ)
だから何となくルシウスも兄に甘えたまま、今日現在まで来てしまった。
「あなた、その人から離れたほうがいいわ。完全な離別の必要はないけど、せめて違う場所に住むとか、距離を作ったほうがいい」
「……そうですね。故郷に戻れば別宅もあるので、いろいろ考えてみます」
何にせよ、まだココ村支部の問題が片付いていない。
ルシウスがアケロニア王国に帰還できるのは、だいぶ先のことになるだろう。
「ちょっと外、お散歩してきます。ごはんは後で食べるので置いといてください」
どことなくしょんぼりした感じで、ルシウスは夜の海岸へと出て行った。
「なるほど、あれが原因かあ。大した情熱の持ち主じゃないか」
「他者への報われない想いが影を落としてたってことね。そうとわかればこれで……」
悪巧み、もといルシウス少年の育成計画を練ろうとしたところで、ロータスはハッと何かに気づいた顔になった。
「しまった。深い内省の後に敵に襲われると危ない!」
盲目とは思えない素早い足取りで、浜辺のルシウスを追った。
ルシウスはようやく現実を直視した。
「僕、兄さんから嫌われてるかもしれない」
そもそも、おかしなことは最初からいくつもあったのだ。
ここに来てから、父親からは山ほど手紙が届いたが、一番欲しかった兄からの手紙は一度もない。
お魚さんモンスターに脚が生えたことへの分析結果も、結局は魔道騎士団の研究班の別の研究員が書いたものに、お嫁様が補足した手紙が付属しているのみだった。
そういった積み重ねが多分、兄の自分への答えのような気がする。
食堂でフリーダヤとロータスと別れて、ルシウスは夜の海岸をとぼとぼと歩いた。
「我が最愛。僕のいちばん大好きなひと。そうだ、僕はあの人を苦しめてるだけなんだ」
言葉にすると、その切実さが胸に迫って来る。
ちょうど自分が作った砂のお魚さんモンスターオブジェのところまできた時点で耐えられなくなり、像の傍らにしゃがみ込んだ。
「兄さん。会いたい。お顔を見たい。声ききたい。側にいたい。側にいて、一緒に……」
もう後から後から涙が止まらない。
「ほんとなんなのこれ。あの二人が余計なことするから!」
ひっくひっくとえずきながら悪態をつく。
「き、嫌われてることなんて、考えたくもなかったのに」
波の音しかなかった海辺に、夏の湿った暑い空気をまとったルシウスの号泣が響いていく。
やがて涙も尽きかけた頃、ルシウスの周りに甘い蓮の花の芳香が漂った。
「嫌い……嫌われてる……」
しゃがみ込んだまま俯いて、涙を流しながらぶつぶつと呟いているルシウスの姿に、聖女のロータスは僅かに目を細めた。
幸い敵はいなかったようだが、ネガティヴ方向の良くないほうに向かってしまったようだ。
ロータスは自分も砂に膝をついて、ルシウスを抱き締めた。
蓮の花の甘い香りがより濃厚になる。
「大丈夫。あなたは愛されてるわ」
「嘘だ!」
「いいえ。……あなたと同じ重みではないかもしれないけれど、あなたは最愛から愛されている」
ルシウスの環に触れ、そこから読み取った情報でわかる。
「ただね、人には相性というものがある。それは仕方のないことよ」
「………………」
「そろそろギルドに戻りましょう。食事、食べてなかったでしょ?」
昼からずーっと喋りっぱなしで、飲み物もほとんど飲んでいなかったはずだ。
「……おなかすいた」
くうう〜とルシウスのお腹が小さく鳴った。
しゃがみ込んでいたルシウスにロータスが手を差し伸べてくれる。
案外、節張った指の彼女の手を取り、よっこらせと立ち上がる。
そのまま手を繋いだままギルドへと戻って行った。
以降、ココ村支部でルシウスによる『大好きなお兄ちゃん語り』はピタリと止まった。
食堂に戻ると、さすがに手を付けないまま半日経過してしまった食事は料理人のオヤジさんに片付けられてしまっていた。
ルシウスが頼んでいたのはデビルズサーモンの蒸し焼き定食だったのだが。
「デビルズサーモンは冷めると脂が生臭くなっちまうからね」
また新しくできたてを作り直してくれたのだった。
「僕、早くあの飯マズ男を片付けて、故郷に戻ります。そろそろ、うちの美味しい鮭も食べたくなってきたし」
もりもりサーモン定食を食しながら、ルシウスは決めた。
ココ村海岸に出没するお魚さんモンスターの謎も、解析の得意な魔術師のフリーダヤによって解決しつつあるわけだし。
というより、伝説級魔力使いが既に二人もココ村支部にいるのだ。ぜひそちらにお任せしたい。
「うち、なかなか有名な鮭の名産地なんですよ。こんなのより、ずっとずっと美味しいんですから。おふたりもアケロニア王国のリースト地域にお越しの際は絶対絶対、食べていってくださいね!」
これに驚いたのがフリーダヤだ。
ルシウスを待っていた彼は、ロータスと手を繋いで戻ってきた早々に帰る気満々のルシウスに慌てた。
「え、もう帰るの? そう急がないでさ、せっかくだから、環が使えるようになるまで僕たちのところで修行していきなよ」
「必要ないです。無我を作るため感情の執着をなくせ、が環使いこなしの秘訣なのでしょう? 僕は我が最愛への想いを捨てたくないから新世代の環使いにはなりません」
自分が何度ロータスから額を突かれてもすぐ環が消えてしまうのは、大好きなお兄ちゃんへの想いの強さが阻害しているからだ。
この想いを止めるなんて絶対嫌だった。
それに、ルシウスは別に環など使えようが使えまいが、ぶっちゃけどうでもいい。何も困らない。
嫌われてようが何だろうが、相手に嫌がられない距離を置きつつも、もうちょっと近い場所にいたい。
「えええ……どうするよ、ロータス?」
困ったようにフリーダヤが隣のロータスを見る。
盲目の彼女は目を開いたまま、何か考えるような顔つきでじっとルシウスのほうを見ていた。
「あなた、相当に魔力量が多いみたいだけど、何か理由があるの?」
「ああ、それは当然です。僕は人類の古代種ですから」
「「!?」」
そこでルシウスは、家族と一族の主要人物以外は誰も知らない己の真の出自を話した。
「僕の家は、魔法樹脂の使い手なんです。僕はその始祖筋の家の息子だったんだけど、生まれてすぐに魔力を暴走させて手に負えないからって、魔法樹脂に封じられてしまったんです」
「えっ。これは聞いてないぞ、ハスミン!」
「だって話してないもーん」
食堂の別のテーブルで他の冒険者らとワインを飲んでいたハスミンが、しれっと舌を出していた。
「わーい驚かせたー!」と周囲の人々とハイタッチして喜んでいる。
「く、詳しい話を聞いてもいいかい?」
「まあ構いませんけどー」
ルシウスは魔族と呼ばれたハイヒューマン一族の出身だ。
だが、生まれ持った魔力が強すぎて、家族に魔法樹脂の中に封印された。
だいたい一万年が経過して、故郷の今の実家の倉庫に大切に保管されていたのが、約十四年前に解けた。
それからは現在まで、ルシウスは普通の人間の子供と同じように成長してきている。
ルシウスの経緯はそんな感じだ。
「すごい話だな。……ロータス、君はその一族のこと聞いたことある?」
「魔法樹脂を使う、青銀の髪の一族……ないわね。相当古いでしょ」
「あなたがたは確か800年生きてるんですっけ? 僕の先祖たちが今の故郷に移住したのは千年以上前で、それからまったく国外に出てませんから、知らないのも無理はないかと」
古代種というのは、人間の上位存在であるハイヒューマンのことで、すべての円環大陸の人類の祖先にあたる。
今はほとんど数がおらず、現在も生きている者たちは円環大陸中央部の永遠の国に集まって滅多なことでは外に出ない。
魔法や魔術を扱う魔力使いたちは、このハイヒューマンの血が流れているから魔力を持つと言われていた。
「ごちそうさまでした!」
デビルズサーモンや付け合わせの野菜は完食、スープまでしっかり飲み干してごちそうさま。
「よし、じゃああとは、あの飯マズ男を始末しておしまい! 明日から僕もシルヴィスさんに付いて探索のお手伝いを」
「おっと、それには及ばねえ」
ギルマスのカラドンが、サブギルマスのシルヴィスを伴って食堂の中央に冒険者たちの視線を集めさせた。
「皆、聞いてくれ。明日はまたケンの料理当番の日だ」
うええ〜イヤだーとそこかしこで声が上がる。
それからカラドンは、臨時料理人である飯マズ男ケンが他国の工作員の可能性が高いことや、可能なら明日中に彼を捕縛する方向で動くことを一同に伝えた。
皆、何となく気づいてはいたが、ギルド側からの公式見解は今回初めてだ。驚いている者も多い。
「問題は海の魔物が押し寄せてきた場合とバッティングした場合だ。どうも魔物もケンの野郎がけしかけているらしい。そこで……」
皆、ギルマスの言葉を固唾を飲んで聞いていた。
「明日はケンが厨房のシフトに入る十時から厳戒態勢に入る。早めに出勤してきた場合に備えて7時にはギルド内外で待機!」
ついに来た。
ギルドを挙げての大型任務のランクはA。
決戦は明日!
元々、“料理人のオヤジさん”としてココ村支部の食堂で冒険者から慕われていた彼、ゲンジは臨時料理人の飯マズ男のことを疑っていた。
いつも彼がシフトに入った翌朝は、汚れがちゃんと落とされていない皿やまな板、包丁などの洗い直しから始まるのだ。
いくら何でもおかしいレベルで汚れが残っている。
それに、翌朝はありえないほど厨房の残飯が多い。
前日のうちに準備していた材料がほとんどそのままゴミ箱行きになったかの如き量だ。
ただ、違和感は多かったが料理人にも様々なタイプがいるわけで。
雇われ料理人如きの自分が口を出すのも憚られていたからこれまでは黙っていたに過ぎなかった。
「あれっ、オヤジさん、今日休みなんじゃなかったの?」
午前中、9時半頃に食堂に行くと、ギルマスのカラドンや、最近やってきた有名魔力使いのフリーダヤらと談笑していたルシウス少年が駆け寄ってきた。
「最後に一度、彼の料理を食べてみようと思ってね。今日は一般の利用客として来たんだよ」
「そっか。上手くいけば今日でもう機会がなくなるもんね。食べるほどの価値ないけどね、あんなゴミ飯」
ゲンジは、ケンという飯マズ男との面識はない。
それから10時近くになると、厨房の裏口から飯マズ男が入ってきた。
食堂の緊張感は高まりつつある。
『いいか、お前ら。事前の打ち合わせ通り、できるだけ途切れることなくケンに注文を出せ。厨房から移動させないように』
『ラジャー、ギルマス!』
注文はルシウス少年と一緒に出すことにした。
だが、ゲンジの注文品はすぐ出してきたが、ルシウスの注文した定食が出てきたのはそれから何と30分後。
基本、どの料理もいつもゲンジのオヤジさんが前日に5分以内に温め直しだけで提供できるようにしているはずなのに、である。
「これは聞きしに勝るとんでもなさだね」
ゲンジが注文したのはアジの焼き魚定食だった。
前日のうちに彼自身が干物にしてあらかじめ焼いておき、注文が入ったら温め直して皿に盛り付けるだけで良いようにしてあったものだ。
小鉢の漬物やサラダ、スープ、米飯などと合わせた定食セットになっている。
「………………」
温め直すはずの焼き魚は、魔導具の冷蔵庫内から取り出したものが、皿も焼き魚も冷たいままで出てきた。
温め直しすらしていない。
表面には軽く塩が振られているが、それだけだ。
それでもゲンジは箸で焼き魚の身をほぐし、一口、二口食したのだが。
「……う」
不毛な味わいが舌を麻痺させていくようだった。
さすがに飲み込めず、慌ててテーブル上の紙ナプキンに焼き魚を吐き出し、水を一気飲みして何とか息をつくことができた。
一緒に注文したはずのルシウスの料理はまだ来ない。
ゲンジと同じテーブル席で、厳しい表情で厨房を見つめている。
「おい、クソガキ! 持ってけ!」
厨房から飯マズ男がルシウスに怒鳴る。
ルシウスは無言で立ち上がり、厨房のカウンターへ向かった。
だが、男が差し出してきた煮魚定食のトレーを湖面の水色の瞳で一瞥すると、
「あ、その食事、僕は結構ですから。他人に回すこともしないほうがいいですね。捨ててください」
ルシウスの変声期前の高い声が響いた。
食堂内に緊張が走る。
「貴重な食料を無駄にしようっていうのか! このクソガキめ!」
「その『貴重な食料』に唾を入れるあなたほどじゃありませんよ」
「!?」
食堂内が一気に騒然となった。
『唾を入れた』とは何だ!?
「ルシウス君。何かあったのかい?」
ここ最近、調査で昼間留守にすることの多かったサブギルマスのシルヴィスが、しれっとした表情でルシウスのところへやってくる。
何か騒ぎが起こるなら、一方的に敵視されているルシウスのときだとわかっていた。
「この人、何をするかわからないじゃない。料理に物品鑑定スキルを使ったら唾が入ってたから食べなかったんだ」
「彼が食事にそんなことを!?」
さも驚きました、という派手なリアクションでシルヴィスはカウンターに置かれたままの料理を見る。
シルヴィスはギルドの副責任者で物品鑑定スキルを持っている。
実際に鑑定してみると、ルシウスが言う通り、男の唾が入っていたことが確認できた。
「うえっ。俺、あいつと口喧嘩したことあるんだけど。その後あいつが運んできた料理ってもしかしたら!?」
「ただでさえ不味い飯に何つうことを……」
食堂内で他の冒険者たちが、ルシウスたちに聞こえるようにヒソヒソ話をし始めている。
「何だ、なにがあったんだー?」
とそこへ、大根役者っぽくギルマスのカラドンの登場だ。
彼は演技が上手くないので、トラブルが起こったらすぐ食堂出入口向かいの事務所まで他の冒険者が呼びに行くことになっていた。
「ギルドマスター。実は……」
シルヴィスから話を聞いたカラドンは難しい顔になっている。
何だ何だ、と冒険者たちも集まってくる。
「ケン。さすがにこれは見過ごせねえ。仮にも厨房を預かるものがやっていいことじゃない。わかるな?」
「ぎ、ギルマス、これは……っ」
威圧を滲ませながら渋い顔をしている飯マズ男が、せわしなくカラドンやルシウス、周りのギャラリーたちに目線を動かしながら、しどろもどろになっている。
(あっ! こいつ、ポケットから海の中にあったのと同じ色の魔石を……)
厨房用の白い前掛けの横の隙間から、ズボンのポケットの中で何やら男が操作している。
指の隙間から、平たい鶏卵大の大きさの黒い魔石を握っているのをルシウスは見た。
「悪いが、今日で辞めてもらえるか。今日の分の日当は事務所で受け取りを……」
今、事務室には魔術師のフリーダヤと聖女のロータスが向かって、尋問の準備を整えて待っている。
「チッ、金なんか要らねえ! くそ、このガキが余計なことさえ言わなけりゃ!」
ギロっと音がしそうなほど睨まれたが、逆恨みもいいところだ。
「おい、あんた。料理への異物混入は調理師スキル剥奪レベルのペナルティだぞ! いったい何をやってるんだ!」
「オヤジさん、来ないで危ない!」
一言、言ってやらないと気が済まなかったオヤジさんまで厨房に来た。
だが、それを隙と見た飯マズ男が手元の壺から塩を掴んで、思いっきりルシウスたちのほうへ投げつけてきた。
「!? オヤジさん、ぼくのうしろへ!」
咄嗟にルシウスは小さな身体でオヤジさんを後ろへ突き飛ばし、庇った。
ルシウスの全身からネオンブルーに輝く魔力の奔流が溢れ出す。
瞬時に腕の中に出現させた聖剣と相俟って、投げられた塩の塊は魔力に弾かれてルシウスたちにかかることはなかった。
「いい加減にしろよ! お前が諸々の黒幕だってのはもうわかっているんだぞ!」
聖剣を構え直し、少しずつ男に迫っていく。
だが、しかし。
「魚だ! お魚さんモンスター来ちゃいました!」
「くそ、やはりバッティングか!」
「あっ、逃すな!」
海岸の見張りがお魚さんモンスター来襲を告げたときの一瞬の隙を突いて、飯マズ男が厨房の裏口から逃走した。