リースト伯爵家の次男ルシウスに送る、ココ村海岸のお魚さんモンスター発生メカニズムへの分析結果が魔道騎士団の解析班から上がってきた。
報告を受けて、騎士団長から早急に冒険者ギルドのココ村支部へと分析結果のレポートを送るよう命じられた、リースト伯爵令息のカイルだったのだが。
「ココ村への飛竜便の発送は翌朝7時か……」
邸宅に帰宅するなり、食事も取らず執務室にこもったものの、ペンは何も便箋に書き出しておらず止まっている。
弟のルシウスや父のメガエリスとよく似た湖面の水色の瞳と麗しの顔には、憂いがある。
「あなた。すこし休憩されませんか。お夜食をお持ちしましたの」
「ブリジット。身重の身体なんだから、先に休んでいなさいと言っただろう」
「大丈夫ですわ。妊婦用のポーションが体質に合うようで、つわりもすぐ治まってますし」
ワゴンに載せて簡単なサンドイッチとマグカップに入れたミルクスープを持って、妻のブリジットが訪ねてきた。
隣には彼女付きの侍女もいる。
時計を見ると、時刻は夜の十時を過ぎている。
溜め息をついて、カイルはペンを置いた。
最愛の妻が持ってきてくれた夜食に手をつけて、少し気晴らしをしよう。
「この間、ルシウス君が送ってきてくれたカニピラフも美味しかったですねえ。また送ってねってお手紙書いちゃいましたわ」
「あー。それなんだけどね、ブリジット。騎士団からの報告書に添える手紙を、ちょっとだけ代筆してもらえたら助かるんだけど」
「あらー」
こちらは夫に付き合って、ノンカフェインのハーブティーを啜っていた緩い茶の癖毛の妻は、グレーの目をちょっと瞬かせた後、困ったような顔になった。
結婚して今月で三ヶ月。
毎回、何かしら理由をつけて、カイルは妻に代筆をやらせてくる。
決して強引ではないけれど……。
「あなた。ルシウス君にお手紙、書いてほしいですわ。ほら、あなただってココ村支部からのお料理、美味しいって召し上がってたじゃありませんか」
仕方なく、ついにやんわりとお願いに入ったお嫁さんである。
夫とその弟との間に微妙な雰囲気があることは理解したが、慕ってくる弟を一方的に無視しているのは、やはりいただけない。
義父のメガエリスも、彼らを生まれる前から見守ってきている家人たちも、皆とても心配しているのだ。
「……ブリジットは、地下のアレは見たんだっけ?」
「ええ、お義父様に連れられて」
この本邸の地下室にある、魔法樹脂で封印された者たちのことだ。
「あいつも、元はあの中の一体でね。オレは子供の頃、こっそり忍び込んで発見したんだ。他はほとんど大人で、立ったまま魔法樹脂の中で眠ってる様子なのに、あいつだけ赤ん坊で顔とか尻とか真っ赤に腫れ上がっててさ」
もそもそとサンドイッチを齧りつつ呟く夫の話を、ブリジットは大人しく聞いていた。
「じい様の話だと、千年以上前から家に伝わってる赤ん坊なんだって。それがこう、オレの前で解凍されて飛び出てきたんだからビックリしたよね」
「あらー」
「もう驚いたのと怖いのとでパニックだよ。それに顔が腫れてたのはどうも、誰かに殴られたからだったみたいで。ヒッヒッて引きつけみたいに泣き声も上げられないぐらい消耗してたし。慌てて父様たちのところへ連れて行ったんだよね」
ブリジットは義父メガエリスから、ルシウスに関して簡単に説明を受けている。
夫から聞くのは初めてかもしれない。
「そしたら父様があいつを次男にするって決めて、家族全員で一生懸命に名前を考えてね」
「ルシウス、良い名前ですよね」
そうして家族や兄弟の微笑ましいエピソードが続く。
聞いていると、この兄弟の仲が微妙だったことを忘れてしまうほど。
初めてルシウスが発した言葉は“パパ”ではなく“にー”だったし、カイルが学園の中等部に上がるまでは毎晩一緒に眠っていたことなど。
そこに羨ましがった父親のメガエリスが乱入してきて、父と息子三人で眠る夜も多かったこと。
「………………」
それきり、カイルは黙り込んでしまった。
しばし、残りのサンドイッチやスープを口に運び、会話が途切れる。
(な、何なのでしょう、何かとてつもなく空気が重いですわ……)
多分、この後で夫カイルから語られることが本番である気がする。
夫にも食後のお茶を入れて差し上げたかったブリジットだが、ここはあえてじっと待つことにした。
「あいつが初めて魔法剣を出したとき、それが聖剣だったんだよね」
「はい。そう伺っておりますわ」
庭でカイルが父のメガエリスと魔法剣の操作訓練をしていたとき、それまでなかなか使えるようにならなかったルシウスの手の中に、光り輝く聖剣が現れた。
「あいつ、魔力が光るんだよね」
「………………」
「色はネオンブルー」
あらー、それは綺麗ですね、と言おうとしてブリジットは口を噤んだ。
多分、今そういう合いの手は求められていない。
「君も知ってるかもだけど、光る魔力っていうのは聖属性だ。あいつは聖なる魔力持ちだったってこと」
「………………」
聖剣の持ち主なら剣聖かなとブリジットは思ったが、やはり口には出さずにいた。
夫のカイルは日頃から口数が少なく、自分の感情を抑圧する傾向にある。
自分から話しているこのような機会は貴重なのだ。妨げないほうがいい。
「最初にルシウスが聖剣を出したとき、……側にいたオレは頭がすーっとスッキリしてね」
「聖なる魔力で、ということですね。ならば浄化でしょうか」
ブリジットも下級貴族とはいえ子爵家出身の女だ。
王都の王立学園を卒業しており、在学中は魔力使いたちのことも学んでいる。
「……そういうこと。聖なる魔力に触れて浄化されるって、……はは、浄化されなきゃいけないような何を持ってるんだオレはって、絶望したよね」
執務室のソファで夜食を一通り食べ終えていたカイルは、両手でその麗しの顔を覆ってしまった。
「それからもずっと、ルシウスが近くに来るたび浄化された。オレはそんな、ろくでもない人間なんだ」
「……そうして自分を省みることのできる人が、ろくでなしであるはず、ないじゃありませんか」
ブリジットはこのとき、夫の本質を正しく理解した。
薄々気づいてはいたことだが、あまりにも繊細すぎる。
そして潔癖すぎて余裕がない。
(お見合いのときから、ちょっと捻くれた方だとは思ってましたけど。なるほど、物事を悪いほうに考えがちな方なのね)
ただ彼にとって幸運だったのは、そんな傷つきやすい己の心に寄り添ってくれる、強く優しい女性を妻として娶れたことだろう。
「あなた。私がずっとお側におります。それにほら、来年の春になれば娘か息子も一緒ですわ」
ブリジットは反対側のソファに座っていた夫の隣に座り直して、顔を覆っていた腕を取って自分の下腹部へと導いた。
まだ妊娠の初期で、ほとんど膨らみはなかったけれども、そこには確かにふたりの愛の結晶が存在している。
「……君に似た女の子だといいな」
ブリジットは緩い茶の癖毛と、グレーの瞳のぽっちゃり系の女性だ。
人懐こい中型犬みたいな印象がある。
あまり物事を深く考えないが、思いやりのある懐の深さはそれなりに夫を助けているようだ。
「あらー。私みたいな平凡な女より、旦那様に似た男の子がいいですねえ。とても素敵な紳士になるでしょうから」
貴族夫人や令嬢たちのお茶会や夜会に参加すると、『外見格差婚』などと陰口を叩かれているのが、自分たちリースト伯爵令息夫妻だ。
ブリジットが見たところ、リースト一族の血はとても強い。
ましてやブリジットが結婚したのは、血の濃い本家の嫡男だ。
恐らく、男女どちらの子が生まれても青銀の髪と湖面の水色の瞳、麗しの容貌を持って生まれるものと思う。
「……ルシウス君が嫌いなのではなく、ご自分が弟に変な影響を及ぼさないか心配されてたんですね」
「………………」
それを弟本人や父親に伝えないところが、彼の自尊心なのだろう。
「お手紙、書きませんと。どう書けば良いのです?」
「いいのかい?」
「仕方ありません。旦那様に無理してほしくありませんもの」
この夜以降、ブリジットは夫カイルに、彼の弟ルシウスのことを訴えることを一切止めた。
手紙の代筆や、支援物資の手配なども文句ひとつ言わずにすべて引き受けた。
義父のメガエリスや家人たちにもこの夜の会話を伝え、カイルに負担をかけさせない方向に方針を定めることとなった。
(あとはルシウス君が帰ってきてからですね)
本当なら二人しかいない兄弟なのだし、仲良くしてほしいが、拗れたカイルの感情を解さないことには難しいだろうと思う。
ココ村支部に新たに冒険者としてやってきた魔術師フリーダヤと聖女ロータスは、ここを拠点にココ村海岸を調査してくれるという。
彼らは、フリーダヤのほうは円環大陸の中央にある神秘の永遠の国に所属の魔術師。
ロータスは完全フリーで、どの国や団体にも属さない。
どちらも冒険者登録をしているそうで、ランクは名誉あるSSSランクとのこと。
ということは、実力的には最高峰だ。かなりできると見た。
冒険者ランクはSSになると、そのとき滞在している国からの指定依頼を受ける義務が発生する。
たとえばギルマスのカラドンがそうだ。
ところが、更にひとつ上がって最高ランクのSSSになると、今度はどの国や団体にも縛られることがなくなる。
まさに、名誉ランクと言われる所以だ。
「やっと来てくれましたね、我が師たち。このままあたし一人で対処しなきゃならないのかって、冷や冷やしたわー!」
女魔法使いのハスミンは、二人が到着して大喜びしていた。
聞けば、ハスミンは彼らの弟子で、既に200年近く生きている魔力使いとのこと。
ギルド3階のギルマスの執務室に集められたところで明かされた真実に、さすがのルシウスも目を剥いていた。
「……ハスミンさんがこの人たちを呼んだの? もしかして、やたらと僕に構ってたのって……」
「そ。ルシウス君はすごく強いし、聖剣の持ち主だから、もしかしたらと思って。でもあなたはあたしより強いから、師匠にはなれないし」
「……僕、環使いになるのはイヤだなあ」
勝手に新世代の魔力使いからターゲットにされていたらしい。
勝手すぎる。何てことだ!
ちなみに、聖女ロータスから強引に『聖者覚醒』させられたルシウスは、フリーダヤとロータスペアを警戒して、二人とは慎重に距離を置いていた。
二人から環使いの修行をするよう言われたが、拒否している。
「あのね、僕の国ではあなたたちの使う環は要注意の術式に指定されてるんだ。民間はともかく、貴族の魔力使いに環使いはほとんどいないよ」
ルシウスの故郷、アケロニア王国は魔法魔術大国と呼ばれているが、旧世代の魔力使いたちの国だ。
新世代が使う環の使い手の数は少ない。
「僕の実家も魔法の大家だけど、もう何世代も前に環を扱うことはしないと決めているよ。……悪いけど、あんまり僕に関わってほしくないです」
「君のところでは、環についてどう聞いてるの?」
とは、若葉のような薄緑色の髪と瞳の魔術師フリーダヤだ。
およそ800年前に環を開発した当の本人である。
見た感じ、飄々とした、悪意を感じさせない優男だったが油断はできない。
どう聞いているも何も、環は新世代の魔力使いたちを象徴する唯一の術式で、概要だけなら魔力使いは誰でも知っている。
まず、旧世代が自分が本来持つ分や儀式、生贄からのみ調達できる魔力を、新世代の環使いたちは光の円環環を通して他者や外界といった世界から直接使うことができる。
ただし、調達できる魔力量は術者の力量や器次第なので、まったく訓練や努力が不要というわけではない。
環使いは、同じ系列に属していたり、親しい者同士なら、離れていても互いの環を通じて物品や情報のやり取りが可能である。
今、円環大陸の各国にある通信用の魔導具や、移動のための転移魔術陣は環使いたちが開発したものである。
そして、女魔法使いのハスミンがたまに使っているアイテムボックス機能が環にはある。
この、異次元空間に物品を収納する術式は、とうとう旧世代たちが開発できなかったもののひとつだ。
「うん。よく勉強してるね」
「こういうの、学校で習ったよ。それと注意事項もね」
環を使うためには、執着を落とす必要がある。
「その執着を落としすぎて、責任を放り出して家や国から出奔してしまう危険性がある。だから、王侯貴族制のアケロニア王国では環は推奨されてません!」
「やっぱり、そう言われてるかー」
「結婚前日に環に目覚めて、結婚相手を置き去りにして家を出てしまった人もいると聞いてるよ」
「あ、それは」
ルシウスの隣に立っていたハスミンが笑いを噛み殺している。
「そ、それ、それね、あたしのお姉様だわ。ガブリエラっていうの。結婚式の前日に我が師フリーダヤが家に来てね。お姉様を環使いに覚醒させて連れて行っちゃったのよね」
200年近く前の出来事だという。
「やっぱり要注意じゃない。結婚前日の花嫁が出奔するってどんだけなの?」
「まあ、あれにはいろいろあってね……」
「ちなみにお姉様に捨てられた相手は、後にあたしの旦那様になったの。結果オーライ!」
「ええええ。なにそれ?」
フリーダヤとハスミン師弟は互いに顔を合わせて苦笑いしている。
聖女のロータスは我関せずだ。
とそこへ、いつものやつ。
「魚だ! 魚が来たぞー! 総員、戦闘配備!」
さて、ココ村支部のビッグネームな新人二人は戦ってくれるのだろうか?
超弩級の有名人、魔術師フリーダヤと聖女のロータスがココ村支部にやってきてからも、ルシウスの日々は変わらない。
お魚さんモンスターを倒しながら、発生原因を探る。
最近では、諸々の黒幕かもしれない飯マズ料理人の監視も任務に加わった。
あの腰回りに出た環はその後消えてしまって、再び出そうとしても自力では出すことができなかった。
(別にこのまま出せなくなっても困らないし)
そのたび、こちらもフリーダヤと一緒に冒険者ギルドの寮に宿泊し続けていた聖女ロータスが音もなく忍び寄ってきては、ルシウスの白い形の良い額を指先でトンと突くのだった。
聖女ロータスから幾度となく聖者に覚醒するための洗礼を受けるも、そのたびにルシウスは己を襲う衝撃と衝動から逃げ続けた。
そして、さすがに、800年級の魔力使いは強かった。
主に聖女ロータスのほうが。
いつものお魚さんモンスター、今回は海岸を埋め尽くさんばかりのカニさん、舞踏クラブの群れを相手にして、その圧倒的な力を見せつけた。
8月の真夏日、陽光燦々の真っ昼間に押し寄せてきた真っ赤なカニさんの群れ。
魔術師のフリーダヤのほうは暑さで早々にダウンして、長い薄緑色の髪を後頭部で高く結い直し、長く白いローブも腕まくりしていた。
「来たぞー! 舞踏クラブだ、今回は数が多い!」
「へえ。どれどれ?」
ギルマスの執務室にいた一同は階下に降りた。
とりあえず入った食堂から見える窓の外、海岸を見たフリーダヤがあまりの光景に吹きだしている。
「あ、脚!? 人間の脚生えてるんだけど何あれ!?」
「その反応、久々で新鮮だなー」
す、とこちらはマイペースにココナッツウォーターで水分補給していた褐色の肌の美女、聖女ロータスが手早く中身を飲み干して、真っ先に外へと向かう。
彼女はフリーダヤとは違って、いつも超然としてどこか涼しげな雰囲気を纏っている。
背中まであるラベンダー色の髪も下ろしたままだし、暑さを感じさせない。
「ロータス、外は日差しが強いから帽子、被ろうか」
「ん」
すかさずフリーダヤから渡されたつばの広い麦わら帽子を被り、日差し燦々と照りつけるココ村海岸に、盲目ながら危なげのない足取りでロータスが出る。
ルシウスたち冒険者もその後に続いた。
伝説級の聖女様のお手並み拝見である。
その薄っすら濁った水色の瞳でロータスが海のほうを見つめている。
「随分と数が多いわね」
トン、とサンダルを履いた爪先で軽く砂地を叩いた。
すると聖女ロータスの足元に鮮やかなネオンピンクの魔力を纏わせた光る円環、環が出現する。
大きさは直径1メートルほど。
もう一回トン、と砂地を叩くと、ネオンピンクの環から波紋のように同じ色の魔力の波が何重にもロータスを中心にして広がっていった。
「わあ、良い香り」
ロータスの魔力の波紋が通り過ぎていったルシウスたち冒険者は、彼女の聖なる芳香に包まれる。
蓮の花の甘く神秘的な香りだ。
魔力の波紋は、海の沖から海岸を目指して向かってきていたお魚さんモンスターたち、今回は主に舞踏クラブの群れに直撃した。
ロータスのネオンピンクの魔力でカニさんたちを捕捉。
「よし」
またトン、とロータスが今度は足元の自分の環を爪先でやや強めに叩いた。
ボンッ
沖合でカニ中心のお魚さんモンスターたちは弾けてバラバラに解体された。
一気に、まとめて、一匹たりとも漏らすことなく。
殻の中の身まで吹き飛んで。
「ん? 魔石に変化したわね。回収しておくわよ」
更にトン、とロータスが環を爪先で叩くと新たな波紋が発生し、お魚さんモンスターたちがいたところまで広がった。
次の瞬間には一気に網のように収縮させて海岸まで魔石をまとめて回収し、目の前に積み上げた。
「えっ。こ、これで終わり!?」
「舞踏クラブ、カニカニダンスを踊る間もなく……!」
「さすが最強聖女……」
ものの数分で終わってしまった。
「僕の聖剣の威力を上回る破壊力とか……」
しかも武器も何も持ってない魔力だけでこの攻撃力、何と恐ろしい。
その上、最初にルシウスが聖剣を使ったときのように遠隔で沖合の魔物を倒しているにも関わらず、バッチリ魔石まで回収の隙のなさ。
ルシウスはもう面白くない。
面白くないったら面白くない。
「いや、これは年の功だから。比べちゃダメだよー」
「そういうフォロー、イラッとくるんでやめてもらえます!?」
呆然としていたら、魔術師のフリーダヤに肩をポンっと叩かれて宥められた。
違う。今ルシウスが欲しいのはそういう言葉じゃない。
「だいたい、ロータスさん一人に戦わせておいて、フリーダヤさんは何もしてないじゃないですか」
「えっ。だって彼女一人で用足りたじゃない?」
「まあそうですけど……」
あとは、巨大化しきれなかったと思しきミニクラブが、よちよちっと小さな脚で数十匹、海岸まで上がってきたので、人海戦術で一匹ずつ潰していった。
こちらもルアーロブスターなどと同じで、ハサミを落としてしまえば普通のカニに戻った。
魔石に変化しなかった分は今日のお夕飯行きとなる。
「よーし、今晩はカニ祭り!」
海老のときといい、最近、料理人のオヤジさんの腕がキレッキレである。
「カニが来るのは久し振りだねえ」
カニバサミを手入れしながら、とても良い笑顔だった。
舞踏クラブは、カニが魔物化したモンスターだ。
今回、食用にできたもののうち、脚部が長く太くて身の食べ応えのあるものはタラバ系のカニ。
脚が細いが味噌も含めて味の良いズワイ系やワタリガニ系のカニ。主にこの3種類だった。
食べやすいタラバガニは、蒸して脚に切れ込みを入れて、前菜代わりにカニ酢や、各自お好みのソースで。
「わあ、すごい」
関節をパキッと折って、慎重に引っ張ると、ちょっと赤みがかった柔らかい繊維質な白い身がでろーんときれいに取り出せる。
まずはそのままで蒸し立ての熱々を一口。
おいしい。すごくおいしい。
もう口の中でいっぱいにカニがダンスを踊っているかのよう。
しばし、無言で一同、カニをもぐもぐするのだった。
殻の内側に残ってしまった身をカニナイフでこそげ落とすのに集中することもあって、カニを食すときは無言になりがちなのだ。
他、甲羅の身をオヤジさんが丁寧に解して、味噌と合わせたものは酒飲みたちの肴だ。
あるいは、カニの身に玉ねぎやハーブを加えて円盤形にまとめ、パン粉の衣を付けて揚げたカニカツなども。
そのままでも、レモンをキュッと絞っても、そしてウスターソースなどをかけてもいける。
揚げたてのカツにナイフを入れると、ザクッと衣のたてる音からしてもう堪らない。
「明日のランチはこのカニでクリームコロッケにしようかね」
「わああ……」
カニ肉たっぷり、濃厚なホワイトソースでオヤジさんが作るのだ。間違いないやつだ。
もうルシウスなどは今から期待に涎を垂らさんばかりである。
そして今回、主食は選べる2種を用意してくれていた。
カニのトマトソースパスタと、カニ入りオムライスである。
一同、その究極の選択に唸った。
「ど、どっちも絶対に間違いないやつ……!」
だってオヤジさんが腕を振るう料理だもの。
間違いだらけの飯マズ男とは訳が違う。
そしてこういうとき、絶対に間違いない選択というものがある。
「両方注文します!」
キリッとした顔で真っ先に注文したルシウスに、場が沸いた。それな! 間違いない!
「やっぱり、おいしいものでひとはなける」
ほろほろと麗しの顔に涙を流しながらルシウスが呟いた。
甘味たっぷりの真夏の熟れたトマトで作ったカニのトマトクリームパスタ。
ふわとろ系の半熟オムライスは、中のカニピラフにもカニ肉たっぷり。
そう、普通のオムライムなら中身はケチャップライスだが、オヤジさんはカニピラフで攻めてきた。こわい。オヤジさんの本気がこわい。
上にかけられたフレッシュトマトのソースまでカニ入り。
カニはカニというだけで美味しい。
そこに、生で食べても美味しい真夏の日差しで完熟したトマトをソースにしてたっぷり合わせ工夫されたパスタとオムライスは、まさに夏の芸術だった。
「トマトばっかじゃんとか思ったけど、すまん。マジ美味いわこれ」
ギルマスのカラドンも大絶賛だった。
最近の料理人のオヤジさんは本気だ。
特に、あの飯マズ料理人のシフト日から数日は本気で食堂の利用者たちを仕留めにかかっている気がする。
「彼、飯ウマの人か! これは驚いた、こんなところで出会えるなんて」
「すごいわ、とても美味しい。ここ百年ほどで一番美味しいかも」
伝説級のふたりもご満悦だった。
これはもう、決まりだ。
「おうちに送らなきゃ。オヤジさん、大量注文お願いします!」
使命感に駆られていつもの注文を入れるルシウス。
「カニの殻剥きを手伝ってくれるかい?」
とオヤジさんはズワイガニの細い脚を持って示した。
これが手間のかかるやつなのだ。
「はい、喜んでー!」
「あ、私も手伝うわ。この料理ならアイテムボックスにストックしておきたいもの」
「え」
まさかの聖女ロータスが助っ人に手を挙げてきた。
「ロータスさん、目が見えないのに大丈夫?」
カニ退治や、今も食事に不自由している様子はないものの。
「視力がないだけで、知覚は発達してるの。こう見えて案外、器用なのよ」
「そっかあ」
そうして、ココ村支部とルシウスの故郷のアケロニア王国を結ぶ飛竜便が来るまでに、せっせとカニの殻剥きをすることになるのだった。
「随分たくさん作るねえ。おうちって大家族?」
「いえ、実家は父と兄夫婦と使用人たちだけです。兄のお嫁様がご懐妊で、栄養のある美味しいもの送ってあげたくて」
そう、ついに先日、おうちのパパからお兄ちゃんのお嫁さんが赤ちゃんできたよのお知らせが来たのだ。
出産予定日は来年の初夏辺りだそうな。
夕食後、厨房を覗けるカウンター席に座って、魔術師のフリーダヤがカニを剥き剥きするルシウスとロータスを見物している。
今晩はカニだけ剥いておいて、調理は明日、オヤジさんが再び厨房に入ってからお願いすることになる。
「それにしては数多すぎない?」
「王宮の王女様もご懐妊なんですって。前に海老ピラフを送ったらつわりの最中でも食べられたから、そっち用にも送れって」
「君はアケロニア王国の貴族なんだって? 王女様ってヴァシレウスの娘か」
「お孫様ですよ。ヴァシレウス様を知ってるんですか?」
「まあ古い付き合いでね。アケロニア王家とは800年」
「わお。案外世の中狭いですねー」
そんな話をしながら、剥き剥き剥き剥き……。
厨房に残っていたすべてのズワイガニの脚肉を、ひたすら剥いていく。
最初に、茹でた脚を縦にオヤジさんが包丁で切ってくれているので、あとはカニナイフで中の身をこそげ取っていくだけの簡単なおしごと。
ちなみに剥いた後の殻はオヤジさんが煮込んで、明日のスープになるらしい。
夏も終わりの8月下旬。
「ランクアップおめでとさん。ルシウス・リーストをAランクに昇格する!」
「ありがとうございます!」
来る日も来る日もお魚さんモンスターを討伐しまくって早2ヶ月。
最低ランクからスタートしたルシウスも、ついにAランクまで冒険者ランクが上がった。
夕方、髭面ギルマスのカラドンに呼び出されたと思ったら、まさかのランクアップ。
そして冒険者証も更新されたのだった。
ランクアップしたからどうということはないのだが、異例のハイスピード昇格で他の冒険者たちからは、やっかみ混じりで散々に揉まれた。
「くそー先越されたあああ!」
「えへへ。お先にごめんね!」
そして食堂では、何と料理人のオヤジさんがお祝いにスイーツを作ってくれたのである。
「気に入ってくれるといいんだけど」
と控えめなオヤジさんが差し出してきたのは、ホールのゼリーケーキだった。
鮮やかなエメラルドグリーンのゼリーの中に、海藻や岩が色付きのキャンディーやクリーム、チョコレートで作られていて、更に。
「お魚さんが泳いでるー!?」
そう、こちらもゼリーやフルーツで様々なお魚さんがエメラルドグリーンの海の中を泳いでいる。
そんなゼリーケーキだった。
オヤジさんは料理だけでなく、製菓もいけるお人だったのだ。
「わあ、鮭、鮭がいる!」
「こっちはカニと海老か!」
「これ鯛か。まさにめで鯛ってやつ〜」
そして夕飯は、ルシウスの好きなサーモンパイだった。
ランクアップも嬉しい、お祝いケーキも嬉しい。
大好物まで出てきてもう大興奮だ。
食後は皆でメロンソーダ味のゼリーケーキを美味しくいただいて、さあ解散というところで。
「ルシウス。ランクアップのお祝いに私からアイテムボックスを授けようと思うんだけど、受け取ってくれるかい?」
魔術師フリーダヤがにこやかに笑いながら来た。
「う。そ、そりゃ、欲しいなとは思うけど」
アイテムボックスは現状、環使いしか持てない。
それにアイテムボックスさえあれば、こうしておうちから離れていても、おうちで大切にしていたぬいぐるみや玩具も入れておける。
次々送られてくるせいで保管場所がなく、泣く泣く捨てざるを得なかったおうちのパパからのお手紙の束も持ち歩けるだろう。
でも、最近来たこの男と聖女は、どうにも要注意な気がする。
ルシウスの中の警報器が鳴りっぱなしなのだ。
「ルシウス君。環は使えて損はないのよ。アイテムボックスもあって困るものじゃないでしょ?」
「そりゃそうだけど」
それなりに親しくなっていた女魔法使いのハスミンの追撃。
さりげなく食堂の出入口への道を塞がれた。
しまった、逃げられない!
「そうそう、あると便利だからねー」
「だけど」
トン、とまた聖女ロータスに無言で額を突かれた。
「!」
ルシウスの腰回りに環が出現する。
いつもならすぐ消えてしまうルシウスの環に、フリーダヤが即座に片手を突っ込んだ。
「えっ!?」
「はいはい、アイテムボックス、組み込んでおいたからねー。これで私とロータス系列の環使いと物品その他のやり取りができるようになるから」
「アイテムボックスもこれで完備ね! バッチリ!」
フリーダヤとハスミンが盛り上がっている。
その傍らで聖女のロータスも満足そうだ。
「……本人の許可なく勝手なことするって、すごく印象悪いんですけど……?」
思いっきり眉間に皺を寄せて嫌そうな顔になる。
しかし環使いたちは、ルシウスの恨み節など聞いちゃいない。
結果、ますます、フリーダヤとロータスから逃げ回るルシウスなのだった。
冒険者たちが退治しているとはいえ、ココ村海岸にはお魚さん以外のモンスターも出没する。
野犬や野良猫などが魔物の被害に遭うこともあり、朝になると夜中に魔物に襲われた小動物の死骸が海岸に転がっていることがある。
「猫ちゃん。お墓ぐらい作ってあげたいけど……」
砂浜に落ちていた猫の死骸に胸が痛むルシウスだった。
だが、朝、一緒に海岸を散歩していたギルマスのカラドンは首を振った。
「気持ちはわかるが、キリがねえ。その辺の草むらに置いとけ」
「……うん」
せめて、野鳥に突っつかれないで済むよう、簡単に砂地を掘って冷たく動かない身体を埋めてやるのだった。
「けど、最近こっちの被害も増えてきてるな……魚のモンスター以外まで打ち上げられてきてるって、何でなんだよ」
比較的知能の高い魔獣の幼生なども、ココ村海岸の浜辺へ打ち上げられることがあった。
「竜種なんかだと、独り立ちするまで絶対に親が手放さないって聞くよね」
「人間と同じで、賢い生き物は一人立ちするまで時間がかかるからな」
などと話していたのが、朝のこと。
そして同じ日の夕方、明日の朝食にアサリのスープが飲みたかったルシウスはギルドから借りたバケツとシャベル片手に、いそいそと潮干狩りのため海岸へ。
今夜一晩、厨房で砂抜きをしておけば、明朝に料理人のオヤジさんが美味しく調理してくれるのだ。
いつもお魚さんモンスターが上陸してくるところは貝が逃げてしまっているので、少しギルドの建物から離れた浜辺へと、ほてほてビーチサンダルでアサリ漁り。
波打ち際で、ちょっとだけ小さな穴が空いているように見えるところをさくっとシャベルですくうと、ざらっと面白いくらいに貝が取れる。
ココ村海岸はお魚さんモンスターが大量出没するようになってから、漁師も出入りできなくなっていて手付かずのためだろう。
持ってきたバケツがいっぱいになるまで、アサリやハマグリなどを獲って、ルシウスは陽が落ちる前にギルドに戻ることにした。
「ん?」
きゅ……きゅ……ん……
何か動物の小さな鳴き声がする。
辺りを見回すが、陽の暮れかけた浜辺には砂以外、ほとんど何もない。まばらに海水に強い雑草が生えているぐらいで。
あとはルシウスがお砂遊びで作ったお魚さんモンスターや城などのサンドアートがあるぐらい。
いや待て、その砂のオブジェから鳴き声がする!
「えっ、……嘘でしょ……」
ルシウスはお砂遊びでオブジェを作るとき、必ず台座を作ってから、城なりお魚さんモンスターなりを乗っける形で成形する。
その台座と砂の隙間に、薄汚れた綿毛の塊が押し込まれている。
鳴いているのはその綿毛だ。
大きさは小型犬ほどだろうか。
(綿毛じゃない、これ綿毛竜だ……!)
全身に鱗の代わりに綿毛のような羽毛が生えている竜で、その羽毛は魔法防御を持つ稀少な素材になる。
慎重に砂と台座の間から綿毛竜を引き抜いてそれから砂を払うと、ルシウスは息を飲んだ。
「つ、翼が……」
大きさからすると、卵から孵ってようやく羽毛が生え揃った頃だ。
小さな一対の翼があるべき背中は、根元付近から翼が骨ごとむしり取られたようで赤黒く血が固まってしまっている。
(不味い。こんな小さな竜がこんなところで傷ついてるだなんて。親に嗅ぎつけられたらヤバい!)
しかも綿毛竜は、ふわふわの羽毛を纏う愛らしく優美な姿とは裏腹に、極めて魔力量の多い竜種として知られている。
魔力量が多いとは、それだけ強い竜ということだ。
自分たちの子供の血の匂いを嗅ぎつけてココ村海岸に押し寄せて来ないとも限らない。
翼を失った仔竜を抱え、辺りを見回す。
千切られた翼は見当たらない。
とそのとき、ふっ、と辺りが一気に暗くなった。
ゴロゴロ……と遠くで雷が鳴っている。
「ヤバ……これ多分、親に捕捉された……」
片手で綿毛竜の幼生を抱え、もう片方でアサリの詰まったバケツの取っ手を掴んで、ルシウスは慌てて冒険者ギルドへと走るのだった。
浜辺で潮干狩りをしていたはずのルシウスが抱えてきたものに、食堂で思い思いに過ごしていたギルドの面々や冒険者たちは騒然となった。
外は大嵐になっていて、遠くでは雷も鳴っていた。
ルシウスは、びしょ濡れになって食堂に駆け込んできた。
「る、ルシウス君、その腕の中のやつって……?」
「綿毛竜の幼生です。僕が作った砂の像の下に押し込められてて……」
綿毛の塊、もとい羽毛で覆われた綿毛竜は、腕に相当する羽根付きの翼があったはずの背中には何もない。
傷口は膿んで、生臭い臭いが漂っている。
相当に酷い状態だった。
ルシウスは食堂の面々の中に売店の店員を見つけると、駆け寄った。
「ポーション! ポーションください、一番高いやつ!」
「る、ルシウス。ダメだ。そうなっちまったら、もうポーションぐらいじゃ……」
騒ぎを聞きつけたギルマスのカラドンが事務室の方からやってきた。
ルシウスの抱えている仔竜の状態を見て、難しい顔になっている。
ポーションで怪我は治せるが、欠損は修復できない。
それはエリクサーの領域で、エリクサーは非売品のレア物なのだ。
売店の店員もカラドンに同意した。
そして翼を持つ生き物は、翼を失ったら長くは生きられない。
その上、もう虫の息ではないか。
「で、でもこのままだと、この子の親が来たら……」
仔竜の死体を見た親竜が何を仕出かすかわからない。
そして、竜、いわゆるドラゴンは魔物ランクS。
危険がココ村支部に迫っていた。
そこへ、冒険者たちと歓談していた聖女のロータスがやってきた。
周囲から手渡されたタオルでルシウスのびしょ濡れになった髪を拭いてやりながら、
「それ、まだ生きてる?」
「生きてます!」
「聖女の私が治してあげてもいいわ」
「えっ、ほんと!?」
ぱあっとルシウスの困り顔が明るくなった。
だが、しかし。
「代わりに、あなたは環の修行をなさい」
「こんなときに取引してくるひと、すごくいや!」
「イヤで結構。さあ、どうする?」
あらかたルシウスの濡れた髪の水滴を拭い終わったところで、試すようにじっと、盲目の瞳で見つめられた。
まさか、ここでそれを取引材料、いやルシウスの修練を生贄に要求してくるか。
周囲もさまざまな反応を見せながら二人を見守っている。
ぐぬぬ、とルシウスが唸っている。
小柄な身体からネオンブルーの魔力が噴き出して、遠鳴りのように鈍く響かせている。
ピュイ……
ハッとしてルシウスは腕の中の綿毛竜を見た。
悩んでいる時間はない。
「わかった。言う通りにする」
「よろしい」
盲目の聖女はひとつ頷いて、周囲の人々に怪我の治療キットやお湯などを持って来させた。
衛生を考えれば食堂以外の場所で処置したほうが良いのだろうが、ここは冒険者ギルドだ。
怪我をした冒険者たちが血みどろのまま酒を飲むなどよくある話なので、その辺は誰も突っ込まない。
そして聖女ロータスは食堂のテーブルをひとつ占拠して、翼を失って血だらけ砂だらけの綿毛竜の汚れを清めるようルシウスに指示を出した。
キュッ、ピイイイーッ!
できるだけ傷口には触らないようにしたが、それでも翼のあったところの近くに触れると仔竜は最後の力を振り絞るようにして暴れ出した。
「フリーダヤ、押さえてて」
「了解」
暴れる仔竜を魔術師フリーダヤに任せ、聖女ロータスはルシウスを見た。
「綿毛竜の翼の形状はわかる? この仔竜のサイズで魔法樹脂の翼を創りなさい」
「形……何となくなら……」
昔、お兄ちゃんと一緒に眺めたモンスター図鑑に綿毛竜も掲載されていた。
だが詳しい形状となると記憶が少々怪しい。
ルシウスの手の中で、透明な魔法樹脂の形がぐねぐねとして定まらない。
「ルシウス君、綿毛竜は成竜なら翼の形はこれです。羽毛を抜いた後の形状はこれ!」
すかさず受付嬢のクレアがメモに鉛筆で大雑把に綿毛竜の全体像を描いて見せてくれた。
更にその上から色ペンで、羽毛のない生肌状態の翼のラインを描き加えていく。
受付嬢の彼女だったが、この過疎ギルドでは討伐報酬の魔物や魔獣の査定買取りにも関わるので、一般の冒険者より魔物の知識があるのだ。
「こんな感じ?」
言われるままに透明な一対の翼を作った。
サイズ的にはルシウスのお手々を広げたぐらい。
「うん、よく出来てる。これをこの仔の新しい翼にするのよ」
そこから先は、見るからに痛かった。
聖女のロータスは、千切られた仔竜の翼の、僅かに残っていた根元の組織を無理やり骨や神経などごと、指半分ほどの長さまで増殖させた。
その上で、力技でルシウスが作った魔法樹脂の翼と仔竜の背中を、自分の持つネオンピンクの魔力を接着剤代わりにして有機的に繋いだのだ。
当然、神経を直接弄られた仔竜は暴れに暴れる。
前足の爪で抱えていた腕を傷つけられるも、さすがに古き魔術師のフリーダヤは「いたたたた!」と悲鳴を上げながらもビクともしなかった。
「せ、せめて麻酔魔法を使ってあげてー」
冒険者の誰かが突っ込んだが、仔竜は最後のほうにはもう精魂尽き果てたように、フリーダヤの腕の中でぐったりとしていた。
だが、その背には魔法樹脂の透明な翼がしっかりと補強されていた。成功だ。
しかも、ちゃんと翼が動いている。
「一から翼の欠損を修復するんじゃないの?」
「生憎、そんな自然法則に反したことは無理よ。義肢代わりの翼を機能させるのがせいぜい」
「坊主、これその子に飲ませてやって」
「オヤジさん」
料理人のオヤジさんが厨房から、グラスに入れた旬の桃ジュースを持ってきてくれた。
固形物が無理でも液体なら飲めるだろうとの配慮だ。
深めの小皿にジュースを注いだが、仔竜には自力で飲む気力が残っていないようだった。
少し考えて、ルシウスは救急キットの中から脱脂綿を取り出してジュースを含ませてから、仔竜の口元に持っていく。
「あ、飲んだ。よかった〜」
ちゅう、ちゅう……と少しずつ脱脂綿からジュースを飲んでいく仔竜に、皆が相好を崩したところで、それは来た。
「!!!」
ぎゃおーんとも、ぐおおおおーとも言い難い、轟音のような咆哮が冒険者ギルドの建物を揺るがした。
一同、恐る恐る食堂の窓から外を見る。
「来ちゃった……」
怒りに全身の羽毛を真っ赤な魔力に染めた綿毛竜の成竜が、マジ切れ顔で食堂内を覗き込んでいた。
ちょっと目が血走っている。こわい。
建物の外は大嵐になっている。
そして、ルシウスが予想した通り、獰猛な雄叫びをあげて綿毛竜の親竜がやってきた。
このままでは食堂の窓が突き破られてしまう。
慌ててルシウスは窓を開けて、仔竜を抱えたまま、するっと外に飛び出した。
「おい、テイマースキル持ちいるか!?」
「オレ持ってるけど中級ランクです、ドラゴンなんて無理ー!」
ギルマスの確認に数名手を上げるが、高ランクのテイマー持ちはいなかった。
もう食堂内は阿鼻叫喚だ。
「君、持ってるよね、テイマースキル」
「ある。でもここは、彼のお手並み拝見といきましょう」
こちらは悠々と出入口からお外に出た、魔術師フリーダヤと聖女ロータスの伝説ペアだ。
この事態にもさすがの貫禄、まるで動揺していない。
他の面々も恐る恐る後に続く。
なお、売店の店員や料理人のオヤジさんは非戦闘員なので、食堂内で待機である。
「ひいいいっ。大丈夫なんでしょうか、あれ!?」
「一応、冒険者ギルドの建物には防御魔法がかかってるから、よほどのことがない限り平気だって聞いてるよ」
とりあえず、仔竜を治療していたテーブルを片付けて、傍らに置きっぱなしになっていた、ルシウスが潮干狩りで取ってきたアサリのバケツを厨房へ。
アサリを洗って塩水で砂抜き処理を済ませてから、窓際で心配そうに事態を見守るオヤジさんなのだった。
「言い訳になるけど、僕はこの子が瀕死のところを見つけて手当てしただけなんだ。翼は修復したけど……」
ルシウスの腕の中で、少し回復したらしい仔竜が母竜に向かってピュイッピュイッと訴えるように鳴いている。
そして見せつけるように、魔法樹脂製の透明な義翼のある背中を母竜に向けた。
綿毛竜の親竜は、全身真っ白な羽毛に覆われた巨大な竜だった。
冒険者ギルドの3階建ての建物の半分以上の大きさがある。
嵐の中、大雨の水滴を魔力で弾いて全身を輝かせている姿は荘厳だったが、激おこ状態で唸っている姿はルシウスでも怖い。
「だ、ダメかな? 無理? できたらこのまま引いてくれると嬉しいんだけど。この子も、仲間の群れに戻せないなら一人立ちするまでは責任持って僕が育てるよ」
ルシウスの腕の中から、仔竜と親竜がピュイッピュイッ、ぐぎゃぎゃぎゃーとやり取りを繰り返している。
そしてどう折り合いがついたものか、軽く腕を前脚で突っつかれて腕を開くと、魔法樹脂の翼を少しずつ動かして仔竜が浮き上がる。
そこをすかさず、親竜が仔竜をぱくっと口に咥えた。
どうやらこのまま子供を連れ帰ることに決めたようだ。
「今後は気をつけて。今、この海岸付近は危険だからね」
一応の注意を伝えると、親竜はギロっと大きな瞳でルシウスを睨んだ後、大きな双翼を羽ばたかせて大嵐の中を飛び立っていったのだった。
後に残されたのは綿毛竜の大量の羽毛だった。
ピコン、ピコン
ルシウスのステータスにお知らせ音が鳴る。
物品鑑定スキルで羽毛を見てみると、魔法防御や物理防御、それに安眠など様々な機能を持つ素材であることが判明する。
「お礼なのかな?」
どの羽毛も防水加工されているかのように、雨を弾いている。
何かの役に立ちそうだ。辺りに散らばった羽毛が風で吹き飛ばされないうちに、すべて集めておくことにした。