目が覚めたら、知らない場所にいた。

「……痛っ……くない? あれ?」
 
 襲いくる激痛に耐えようと苦悶の表情を浮かべていたが、予想に反して全身は驚くほど軽かった。
 むしろリンチされる前よりも良好な状態だった。

 どういうことだろうか。
 なぜかふかふかなベッドの上にいるし、部屋もかなり広くて豪華な内装だ。
 てっきり、あそこで死んだと思ったけど、どうやら俺はあの魔族の女性に助けられたようだ。

「はぁぁ……情けないな」

 不甲斐ない自分に対して溜め息を溢した。
 抗う力がないばかりに、見知らぬ誰かに助けられてしまった。

 憂う気持ちを胸に抱きながらベッドの上で座り込んでいると、部屋の扉が小気味よくノックされる。

「——失礼致します」

 すぐに部屋の扉が開かれた。
 丁寧な言葉と共に入室してきたのは、煌びやかな装飾が施されたロングワンピースを身に纏う美しい女性だった。
 繊細にあしらわれたフリルやリボン、ボリュームのあるスカート部分やキュッとしまったウエスト部分は、上流貴族のように見えた。

 ただ、その容姿は黒いロングヘアを除き人間とは乖離している。
 目鼻立ちがはっきりした端正な顔つきは別として、ピンと尖って伸びた耳は、森の妖精と呼ばれているエルフそのものだった。

 初めて見た。ツノの生えた魔族の女性と同じく、目の前の女性もまた正真正銘の魔族だ。
 
「……あなたは?」

 俺は美しい容姿に視線を奪われながらも、女性に名を尋ねた。

「キリエ・シルフベル。ご覧の通り。種族はエルフでございます」

 指でスカートをつまみ上げながら、上品な所作で頭を下げている。

「えーっと、キリエさん……」

「何でしょう」
 
「エルフのあなたがいるってことは、ここは人間界ではないってことですか?」

 人間界には純真な人間しか住んでいない。
 俺や父さんのような例外を除いて。

「ここは人間界とは隔絶された地、つまりは魔界です。魔人(ハーフデーモン)のソロモンさんは何となく雰囲気でお分かりになるでしょう?」

 名乗ってないのに名前を把握されていたって事は別にどうでもいいとして……ここが魔界という事実に驚きを隠せない。

「ま、まかい……って言いましたか?」

「ここは魔界でございます」

 魔界ってあれだよな。魔族が住んでるところだよな。
 一般的な魔族は生きた人間を食用や娯楽用として家畜化してるって噂を聞いたことがある。
 悪を統べる魔王はもっと酷いらしく、趣味は拷問と侵略、そして無慈悲な虐殺。気に入らない奴がいたら、味方であろうと簡単に殺すらしい。

 やばい! こんな場所にいたら俺も殺されてしまう!

「……あー、すみません。用事思い出したんで帰りますね! 治療してくれてありがとうございました! じゃ!」

 俺は即座にベッドから抜け出した。
 キリエさんのことは一瞥もせずに、一目散に部屋の外へと続く扉に手をかける。

 しかし、扉は固く閉ざされていてびくともせず、全体重を乗せて押し引きしても全く開く様子がない。

「魔法で施錠しておりますので簡単には開けられませんよ」

 キリエさんは至って平静な口ぶりだったが、俺からすれば絶望しか感じない。

「はぁぁぁぁ……俺のことを閉じ込めてどうする気ですか? 殺したり食べたりしますか? 見せ物にするならもっとユニークな人間がたくさんいると思いますけど?」

 若干不貞腐れた俺は扉に背を預けてへたり込んだ。

 もうダメみたいだ。
 
 助かったと思ったのに、やっぱり死ぬ運命にあるらしい。
 つくづくツイてない。

「やはり人間の目から見た魔族の印象は随分と酷いものですね。むしろ我々はそのような残忍な行為を忌み嫌っているというのに……」

「え?」

「何でもありません。とにかく、既にソロモンさんの記憶は摘出しておおよその事情は把握済みですのでご安心を。
 どうせ人間界に戻っても碌なことはないのでしょう? それならいっそ魔界で暮らしてみるのも悪くないのでは?」

 見透かすような視線を向けてくる。
 記憶を摘出したとかいう意味不明な言葉だって嘘には聞こえない。

「でも、バリーはもうあれに懲りたら悪事は辞めるんじゃないですか? 領主の跡取りになるって言ってましたし……」
  
 バリーさえいなくなれば街を抜け出せる。

「残念ですが、バリー氏は領主である父親ぐるみで悪事を働いておられるみたいなので、あの程度のことでは挫けません。むしろ、今はソロモンさんのことを血眼になって探しているくらいです。何をしでかすかわからず、こちらも動向から目が離せない状態です」

「……もし、俺が人間界に帰ったらどうなりますか?」

「すぐに捕まって処刑されるでしょうね。それでも構わないのであれば、そちらの魔法陣からご自由にお帰りください。帰還場所は例の森の湖畔に設定してありますので、どうぞ?」

 キリエさんはしてやったりとでも言いたげな笑みを浮かべると、選択とも呼べない決まりきった選択を委ねてきた。
 もちろん俺は押し黙って首を横に振る。

「では、ソロモンさんに会わせたいお方がいるのでついてきてください」

「はい」

 俺は大人しく従うと、キリエさんの後を追った。

 最初から選択肢なんてなかったらしい。
 ひょいひょいと手のひらの上を転がされていただけだったみたいだ。

「お体の具合はいかがですか? 痛むところはないですか?」

「不思議なくらい調子が良いです」

「良かったです」

 俺はキリエさんと共に部屋を出て回廊を進む。

 ここで気がついたのだが、俺が身につけていたズタボロだったはずの革鎧は、チャコール色の綺麗な装いに変わっていた。
 いわゆる貴族が身に纏うような正装に近いだろうか。窮屈な着心地ではあるけど、以前のような汚い格好よりは何百倍も良かった。
 全身の生傷や汚れなんかは一切見当たらないし、きっと眠っている間に色々と手をかけてくれたのだろう。

 疑問だらけだけど、静かに前方を歩くキリエさんに大人しくついていけば、ここがどこで俺は何をされるのか、そしてなぜ助けられたのか、その全てがはっきりする気がする。

「キリエさん」

 道中、前を歩くキリエさんに声をかける。
 いくつか気になることがあった。

「何か?」

 キリエさんは立ち止まると、こちらに体を向けて聞き返してきた。
 しかし、同時に前方から歩いてくる魔族らしき者の姿が見えたので、俺は質問を喉の奥に引っ込めて言葉を濁す。

「……あ、いえ、なんでもないです」

 今はどこを目指しているのか、これから何をされるのか、今後の詳しい話を今のうちに聞いておこうと考えたが、何となく向こうの魔族がこちらを睨みつけているような気がしたので憚られた。