廊下から騒がしい笑い声が響いてくる。奴らが来ても僕は堂々としていた。
「ボチ也、証拠出しな。」
朝の一言目がこれだ。そう来ると思っていたから昨日無理矢理にでも彼女を塾から連れ出した。今思い返せば強引だった。僕のせいで彼女は塾を無断欠席する羽目になってしまった。
「はい、証拠の写真です。」
昨日こっそりと撮った彼女がクレープを満面の笑みで頬張っている写真を提示する。それにしても、一気に入れすぎだ。そこがかわいい。認めよう。僕は彼女が好きだ。真面目で、でも行動が少々幼稚で、表情がコロコロ変わる。本当にかわいいと思う。僕が写真を見ながらそんなことを考えていると奴らの声が聞こえた。
「嘘でしょ。何かの間違いだよね。」
「絶対拾い画だよ。」
「だ、だよね…。こんな美人がボチ也なんかと付き合うわけがないよね。」
奴らの顔には焦りの表情が見えた。
「ねえ、ボチ也。どうせこれ拾い画でしょ。嘘つくなよ。」
「いや、昨日カフェに行った時の写真です。その後のツーショットもありますけど…。」
僕はそう言ってスマホを操作し、彼女と撮ったツーショットを奴らに見せた。
「ど、どうせ合成写真だろ。」
「そーだ、そーだ。こんな美人と付き合っているなら今日連れて来い。うちら、今日B市のショッピングモール行くから。七時にフードコート集合ね。もし、本当に彼女なら彼氏のこと優先するはずだから来てくれるよね。」
また彼女に迷惑をかけることになってしまうが、僕は断ることができなかった。今ではみんなが平等な社会だが、封建制度が行われている江戸時代を生きているかのように、僕は奴らに逆らうことができない。確か今日は先生の都合で塾が早く終る日のはずだから彼女に頼んでみよう。
「分かりました。」
 授業が始まっても彼女をどうやって誘うか考えていた。僕がいじめられていることを彼女にはあまり言いたくない。きっと奴らと会ったらバレてしまうだろうけど僕の口から彼女に言いたくなかった。優しい彼女のことだから会った途端に奴らに何か言ってしまうかもしれないから。僕のことを庇ったら彼女が危ない目に合ってしまうから。絶対にそれだけはさせたくなかった。けれど、その話をしないとすると、なんて言ったら彼女はついて来てくれるのだろうか。僕の考えはまとまらないまま六時間目の授業まで終わってしまった。
 考えながら歩いていると、気づけば塾の開始時間になっていた。僕は急いで教室に駆け込んだ。先生には何も言われなかったが、呆れているのは目に見えて確かだった。もちろん彼女は自分の席に座り、しっかり授業を受けていた。
「よっ。」
僕は昨日のように彼女に挨拶をする。彼女は集中しているから返してくれないだろうと思っていると、他の人に気づかれないよう小さく片手を上げ、小さな声で
「よっ。」
と返してくれた。このおかげで退屈な授業ものりのりな気分で受けることができた。真面目な彼女がこんなことをする相手は僕だけだろうか。そんなことを考えていると授業が終わった。彼女は帰りの支度をしながら僕のことを伺っている。早く終る日は誰よりもいち早く帰る僕が、まだ残っている理由が気になるのだろう。
「どうしたの。」
やはり気になっていたみたいだ。結局彼女が尋ねて来た。
「なあ、今からデートしないか。」
誘い方を考えていなかった僕の口からは咄嗟にこんな言葉が出た。彼女と僕は本当に付き合っているわけでも無いのにデートなんて言ってしまった。きっと彼女は僕なんかに興味は無いだろう。彼女にはもっといい人が似合う。僕なんかは到底彼女と釣り合わない。彼女も僕の言葉に固まってしまっている。きっと、デートとか僕が言ってしまったから困っているのだろうなと思っていると彼女がいきなり僕の目を見た。
「い、行きます。絶対。」
「おーけー。待って、なんで敬語。」
本当に反応が可愛すぎると思い少し笑いが溢れた。僕たちの間に優しい風が吹き、彼女の柔らかい髪を優しく揺らした。
 電車に十五分乗ってショッピングモールまで向かった。人混みは苦手だが仕方が無い。それより彼女の時間の方が心配になった。
「ごめん、こんなに遠くまで連れてきちゃって。」
「いいよ、気にしないで。今日、塾早く終るってお母さんたち知らないから。それに、いつか君とここに来たいと思っていたし…。」
「それなら良かった。」
彼女がそう考えていたと言うことを知ってとても嬉しく感じた。
「何かしたいことある。」
彼女を無理矢理連れてきてしまった少しの償いとして時間まで彼女の好きなようにしてあげようと思った。
「あのですね、ゲームセンターに行きたいです。」
真面目な彼女がそんなところに行きたいと言うとは思わず少し驚いた。彼女も少し恥ずかしがっているようで敬語でかしこまっていた。そんな彼女も新鮮で愛おしかった。
「じゃあ、行こっか。」
優しい彼女といると自分も優しくなれる。学校でしているような目付きにならずに、優しい顔になれる。僕をこんな風に変えられるのは彼女だけだ。彼女は僕にとって唯一無二の特別な存在だ。
ゲームセンターにはそこら中にカップルが散らばっていた。僕たちも周りからはカップルとして見られているのかと思うと、ふと昨日のカフェの店員が脳裏に蘇った。あの人には僕たちがカップルに見えていた。もしかすると今もカップルにしか見えないかもしれない。そんなことを考えていると彼女が立ち止まった。
「えっ、まじ。」
彼女がゲームセンターに来たかった理由が今やっとわかった。
「うん、まじ。」
やったこともない、機械の前中に入れられて、カメラの前に立たされて僕は人生初のプリクラを撮った。何分経ったか分からないくらい笑顔を作って、何枚撮ったか分からない写真を、何分編集したのだろうか。時計を見ると、十五分しか経っていなかった。
「まじで最悪だ。」
ただでさえ、笑顔を作るのが苦手なのにその笑顔が印刷されて彼女の手に渡ると考えるとテンションが落ちた。
「私と撮るの嫌だった。」
彼女は拗ねたような、悲しそうな表情をした。
「違うって、そうじゃなくて。始めてだったから上手く出来てるか分からなくて。お前と撮ることになるんなら練習しておけばよかったなって思っただけであって…。」
彼女のその表情が新鮮で直視出来ず、目をそらしながら必死に説明する。
「ふは、冗談だよ。」
いきなり彼女が笑い出した。からかわれたと分かっても不思議と嫌な気分にならなかった。むしろ彼女も冗談を言うんだと思うと何故か嬉しくなってしまった。
彼女は写真を大切そうに鞄にしないながら問いかける。
「ねえ、次何したい。」
彼女の気遣いだろう。本当に彼女は優しい。だから僕はその優しさを逆手に取ることにした。甘えることにした。僕は最低なやつだ。本当に最低だなやつだ。時計を見ると丁度いい時間になっていた。
「ごめん、ついて来てくれる。」
僕は彼女の返答すら聞かないまま歩き出した。彼女は優しいから付いてきてくれると信じて。
「ねえ、ねえどうしたの。」
僕の予想通り彼女は戸惑いながらも付いてきてくれた。
「ごめん、今は来て。」
僕は振り向くことなく一言呟いた。緊張と焦りと不安で僕の歩くペースはどんどん速くなる。落ち着こうとすればするほど気持ちがざわめいてくる。彼女は追いかけてくれているだろうか。後ろを確認する勇気も出ないまま目的地、フードコートに着いてしまった。
「お腹空いたの。」
彼女はさが心配そうに尋ねてくる。そりゃそうだろう。いきなりこんな態度をされて、怒らない彼女は優しすぎる。僕の心配なんかして。
「違う。」
彼女の優しさを真っ向から否定する。震えているのがバレないように、あえていつもよりも口調を強めた。
「あれじゃね。」
奴らの声が聞こえた。見なくても分かる、あの人を小馬鹿にするような声。
「ねえ、知り合いなの。」
彼女の声が聞こえる。誰よりも優しい声が聞こえる。その声に僕は思わず振り向いた。彼女に迷惑をかけたくない。でも、でも。
「ごめん、少しだけ我慢して。」
僕は彼女の手を握る。奴らに付き合っているように見せるため。彼女を咄嗟に庇えるようにするため。僕が勇気を貰うため。ごめん。もう一度心のなかで呟く。今から彼女と地獄巡りをするような気分だった。ごめん、僕のせいでごめん。
「連れてきました。」
結局、逃げることなど出来ず奴らの前に彼女を連れて行くことになってしまった。
「ナイス。…で、あんたがボ、こいつの彼女って本当。」
奴らの期待している答えは「ノー」。彼女には「ノー」と答えてほしい。そうしたら、彼女だけは奴らに地獄を落とされずに済むから。彼女には「イエス」と答えてほしい。僕の彼女だと高らかに宣言してほしい。彼女が地獄に落とされるとわかっていても彼女の彼氏でいたいと願ってしまう。たとえこの関係が嘘でも僕を彼氏としてみてほしい。そんな矛盾した気持ちを抱えながら僕は彼女の返答を待った。頼む「ノー」と言ってくれ。頼む「イエス」と言ってくれ。
「うん、そうだけど。」
彼女の回答はあっさりとしていた。やばい、彼女は何も分かっていないのかもしれない。これから地獄に落とされるなんて分からずに答えているに違いない。そんな不安と彼女が認めてくれた喜びが市松に広がっていると、繋がった手がギュッと握りしめられた。彼女の手から僕に彼女の決心と勇気が伝わってくる。まるで僕は一人ではないと言ってくれているような温かさにようやく落ち着いてきた。彼女はきっともう理解している。僕とコイツラの関係を理解している。それでも、彼女が手を離すことはなかった。
「ふーん。そうなんだ。」
奴らの目はギラギラと光っている。彼女の返答が気に食わなかったらしい。狙いを定めて猛獣を狙うハンターのような目付きをしていた。
「私に何か用事。」
彼女の優しい声ではなかった。いつもより、明らかに強気で喋っていた。
「えー、ボ…そいつと付き合うのやめたほうがいいよ。そいつ、地味だし、不気味だし。絶対浮気されるよ。性格終わってるから。本当に今すぐ離れたほうがいいよ。」
彼女たちが僕の悪口を盛大にかました。地味で不気味で性格終わっていると言うのは理解できたが、浮気をするという点だけは理解できなかった。彼女のことが大好きだから。でも、彼女が「そうなんだ、じゃあ別れよっか。」と言わないか不安になった。彼女はきっと分かっている。奴らが今、彼女に放った言葉は脅しだ。僕から離れないとあなたは私たちの敵になると言う意味の脅しだ。彼女は僕の手をもう一度強く握り深呼吸をした。そして、自分の腕を僕の腕に絡ませた。彼女との距離がぐっと近くなる。彼女の匂いが僕の鼻をくすぐると同時に彼女は顔を上げた。
「大丈夫だよ。凌也君は優しいし、面白いから。それに浮気なんかしないよ。人の悪口絶対に言わないくらい性格いいから。あっ、人の悪口を言わないのは人として当たり前だったね。じゃあ凌也君はそれ以上だから、別れなくても大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。だけど、私は凌也君の彼女だから、あなたたちよりも凌也君のこと知ってるよ。それに凌也のこと信じてるし、大好きだから。忠告ありがとう。でも、これからはあまり凌也君のこと何も見ないで、何も知らないで事実じゃないこと言うのやめてね。」
彼女の口から出た言葉は信じられないものだった。たとえ嘘でも、彼女に信じてる、大好きと言われたことが脳裏から離れなくなった。彼女は本当に強い。僕なんかとは違う。彼女は僕と違う世界を生きている。それでも、彼女に触れることが出来るのは奇跡だ。
「じゃあもう行くね。凌也君、次どこに行く。」
彼女は奴らに笑みを浮かべながら手を振る。奴らの悔しそうに歪んだ顔が見れる日が来るなんて思わなかった。奴らの自信満々の人を小馬鹿にしたような笑顔を壊せる人がいるなんて思わなかった。彼女の足取りは軽くなんのダメージも受けていないように見えた。だけど僕は知っている。奴らに話す時、彼女が怖がって少し震えていたことを僕だけが知っている。考え事をしながら歩いていると僕らが着いたのは結局本屋だった。
「ごめん、何も言わなくて。」
僕は心からの謝罪を彼女に送る。僕のせいで彼女は怖い思いをすることに、奴らに敵対されることになった。
「ん、大丈夫だよ。」
彼女は笑った。だけど、いつもの笑い方とは違った。「本当は大丈夫じゃないだろ。」と言いかけたがやめておいた。これは彼女の勇気と気遣いを否定することになるから。僕と話しながら彼女が見ていたのは手だった。そう、僕は完全に手を繋いだままだったと言うことを忘れていた。
「ごめん。」
僕は手の力を緩めたが、彼女は逆にしっかり握りしめた。
「待って、もう少しこのままでいさせて。」
彼女の言葉に僕の脳は少し停止しフルパワーで動いていた。やっとのことで脳が追い付くと僕の顔は火が吹いているかのように熱くなった。
「ごめん、今の忘れて。」
顔を赤くした彼女が言う。
「嫌だ、忘れない。離したくないから。」
彼女の本当の言葉か、嘘の言葉かなんてどうでも良かった。ただ、彼女が発した言葉に僕の欲望は耐えられなくなってしまった。手を繋いだまま僕らの間に美しい沈黙が流れる。気まずさ等は存在しない神聖な時間だった。心地よい。だけど、僕はどうしても彼女の伝えたいことがあった。
「あのさ、さっきはありがとう。」
僕のことをあそこまでよく言ってくれる人は彼女が始めてだったから。
「…忘れて。恥ずかしい。」
彼女が顔を赤くした。自分の言ったことを思い出したみたいだ。
「嫌だ、絶対に忘れない。僕のこと信じてるっていう言葉も、…その後の大好きっていう言葉も。」
可愛い顔をもっと見たくて彼女をからかう。彼女の顔が余計に赤くなる。あの時の夕日よりも真っ赤に染まった彼女を見つめる。愛おしい。彼女のことで頭がいっぱいになる。こんなにも一生懸命になれることが嬉しかった。僕は小さく笑った。
「か、からかわないで。」
彼女は真っ赤な顔で少し拗ねたような、怒ったような表情をする。
「ごめん、面白くてつい、ははっ。」
彼女といると楽しくて忘れてしまう。そう、僕と彼女は恋人ではない。僕の一方的な片思い。だから、彼女が僕のことを大好きと言うのは嘘だろう。そう、僕たちの関係は嘘から始まり、嘘で成り立っている。一瞬でもこのことを忘れ、僕は信じてしまった。彼女が好きだ。しかし、彼女に言ってはいけない。この関係が壊れてしまう。そう自分に言い聞かせ話を戻した。
「ありがとう。だけど、このままだとお前が奴らの標的になる。奴らは狙った敵を絶対に逃さないんだ。だから…。」
そうだ、奴らは彼女になにをするか本当に分からない。
「心配しなくて大丈夫だよ。あの人達とは学校違うし、何かあったら君が守ってくれるでしょ。」
「そうだけど…。」
「じゃあ大丈夫。それとも君は私のことを弱いと思ってるの。」
違う彼女は強い。誰よりも強い振る舞いをする。だからきっと、いつか我慢しきれず、爆発し壊れてしまう。彼女が壊れてしまうなんて考えたくない。
「そうじゃない。お前は強いよ。あいつらに立ち向かえる勇気がある。ずっと従い続けた僕より断然強い。でも、心配だよ。…友達の心配をするのは当たり前だろ。」
自分で友達と言ってから肩を落とした。そう、僕たちは友達。僕は彼女を友だちとして認知しなければならない。そうしないときっと僕は暴走してしまう。僕に言い聞かせるために彼女に友達だと言った。彼女が繋いだ手の力をそっと抜くと簡単に手は離れてしまった。あとに残ったのは彼女のぬくもりだけだった。僕たちの関係もこんな簡単に切れてしまうかもしれない。僕の頭の中は黒い黒い世界に飲み込まれそうになった。
「私は大丈夫だよ。だけど、かなり煽っちゃったから君が何か言われないか心配だな。」
そんな僕に手を伸ばしてくれるのは彼女だった。彼女はいつも自分のことより僕の、他人のことを優先して考える。呆れるほどに優しい彼女を安心させたくて言葉を選ぶ。
「僕は大丈夫だと思う。きっと奴らも少しビビってるだろうから。」
僕が大丈夫になるのは本当だ。だけど、奴らがビビっていると言うのは嘘だ。今や奴らがスコープで覗いているのは彼女の方だ。彼女をどうやって壊そうか考えているところだろう。彼女も分かっているのだろう。僕に向ける顔は無理矢理作った笑顔だから。
 外に出るとすっかり日は落ち、肌寒くなっていた。冷たい風が横切った。暗く黒く染まった僕の心に追い討ちをかけるかのように。
「じゃあね。」
彼女から別れを告げる。本当はもっと彼女と一緒にいたい。けれど時がそれを許してはくれなかった。
「待って。約束の本渡すから。」
少しでも一緒にいたくて鞄の中から本を探す。渡すタイミングなんてたくさんあったけど、そうしなかったのはこういう事を予測していたからかもしれない。
「ありがとう。家に帰ったら早速読んでみるね。」
彼女が小さくはにかんだ。でも、暗くて表情はよく見えない。喜んでいるのか、面倒臭がっているのか。こんなに人の気持ちを知りたいと願ったのはいつぶりだろう。
「うん、返すのいつでもいいから。読んだら感想教えて。引き止めてごめん、またな。」
僕の欲望が抑えられているうちに僕から彼女に別れを告げる。でも、「じゃあね」ではなく「またね」と言う言葉で。また会うことを約束して。
「またね。」
彼女はその約束を承諾してくれたらしい。彼女から返ってきた言葉に安堵を覚えた。空を見上げる。月が輝き僕や彼女だけでなく星やこの世界も照らしていた。