次の日学校に行くと華音と美智子はもう学校に来ていた。
「あれ、香奈。おはよ。」
美智子がニヤニヤしながら私の方に近寄ってきた。
「おはよう。」
「ねえ、香奈。証拠は用意できたの。」
華音までニヤニヤしながら聞いてきた。
「…うん。」
「は、見せろよ。」
私は昨日撮ったツーショットを華音達に見せた。
「えっ、これ香奈の彼氏なの。嘘でしょ。」
何故か華音も美智子も動揺している。何だろうと私が思っていると騒ぎを駆けつけた他の人も私の写真を見た。
「えっ、めっちゃイケメン。この人が香奈の彼氏なの。」
「うん、そうだけど。」
もう一度写真を見る。彼はイケメンなのか。彼がイケメンだとは思ったことは無かった。ただかっこいいとは思う。
「えっ、私今何て…。」
「ん、香奈なんか言った。」
「ううん、なんでもないよ。」
私、今なんて思った。彼をかっこいいって思ったの。私が異性に興味を抱くなんて始めてだった。彼のことを考えていると少し恥ずかしくなってきた。この気持ちは何なのだろうか。
「おーい、みんな席つけ。」
知らず知らずのうちにチャイムが鳴っていたらしい。先生が教室に入ってきた。
「出席取るぞ。…相原、…市川、……。」
名前を呼ばれた生徒が次々に返事をしていく中、私は窓の外を見てぼーっとしていた。
「佐々木…。おい、佐々木。佐々木香奈。」
「はっ、はい。」
ぼっーとしすぎていたらしい。先生から名前を呼ばれても気が付かなかった。
「ったく、しっかりしろよ。」
彼のことを考えると頭の中が彼のことだけになってしまう。昨日は楽しかったな。気がつくとチャイムが鳴っていた。私は先生の話を何も聞かずにショートホームルームを終えたのだった。
「あのさ、香奈。あんた調子乗ってるだろ。」
美智子が私の席まで来た。
「そんなことないよ。」
「あんた彼氏いるからって見せつけるようにぼーっとして…。ほんとにうざい。」
本当にそんなつもりはなかった。ただ今日はなんだか調子が出ないだけだ。気がつけば彼のことを考えてしまっている。チャイムが鳴り美智子が自分の席に帰ったあとも、彼のことを考えずにはいられなかった。彼はどんな学校生活を送っているのだろうか。彼は今何をしているのだろうか。私は何故こんなにも彼のことが気になるのか答えがわからなかった。きっと、自分とは違うからだと無理矢理思い込んでいた。
彼は今日も遅刻をしてきたを
「よっ。」
彼は相変わらずマイペースで、昨日のように片手を上げて挨拶をする。
「よっ。」
授業中なので私は昨日よりも小さく返した。退屈な授業も彼が隣にいれば何故か楽しく感じた。今日は先生の事情でいつもよりも終わるのが早かった。まだ太陽はギラギラと輝いていた。いつもならすごいスピードて帰る彼がまだ教室に残っていた。
「どうしたの。」
「なあ、今からデートしないか。」
「デート」と言うこの三文字に何故か気持ちが高ぶってきた。
「い、行きます。絶対。」
「おーけー。待って、なんで敬語。」
彼は小さく笑いながら私を見つめる。その視線と優しい風が私の心をくすぐった。彼が私と遊びに行くことをデートと言ってくれることが嬉しかった。
電車に十五分揺られ大きなショッピングモールまで来た。人混みが苦手そうな彼が何故こんな場所に来たのか不思議で仕方なかった。
「ごめん、こんなに遠くまで連れてきちゃって。」
「いいよ、気にしないで。今日、塾早く終るってお母さんたち知らないから。それに、いつか君とここに来たいと思っていたし…。」
何も考えずに思ったことを口にしていた。やらかしてしまった。彼はひいてしまったかもしれない。完全に彼とここに来た興奮で口を滑らしてしまった。
「それなら良かった。」
私が思っていた言葉と全然違う返答が来て少し、いや、とても驚いた。
「何かしたいことある。」
彼が優しい目付きで尋ねてくる。彼のその目が私の心をくすぐる。彼になら私は素直になれる。本当にしたいことを言える。私が心をここまで許しているのは彼だけだ。
「あのですね、ゲームセンターに行きたいです。」
恥ずかしくて敬語になってしまう私に彼はまた小さく笑う。
「じゃあ、行こっか。」
また、彼の優しい目を向けられ心が癒された。体の緊張や、私の凍った心をすっと溶かしていく。私は、彼の目が、彼の笑顔が、彼の声が好きだ。私は彼が好きだ。そう気づいた途端私の体は燃えるように熱くなってきた。とりあえず、落ち着け。そう自分に言い聞かせながら彼の隣を歩いた。
ゲームセンターに着くとそこら中に高校生のカップルたちがいた。私たちもこんなふうに見えているのかなと思い、体が熱くなっていくのを感じながら目的の場所に到着した。
「えっ、まじ。」
「うん、まじ。」
彼の驚きと嫌そうな表情を横目に私たちはプリクラの機会に吸い込まれた。
「まじで最悪だ。」
それから十五分後、無理矢理の作った笑顔から開放された彼が呟いた。
「私と撮るの嫌だった。」
私はわざと、若干拗ねたように悲しそうに尋ねた。
「違うって、そうじゃなくて。始めてだったから上手く出来てるか分からなくて。お前と撮ることになるんなら練習しておけばよかったなって思っただけであって…。」
何故か私から目を逸らしながら必死に否定する彼の姿に私は笑いがこらえきれなくなった。
「ふは、冗談だよ。」
「何だよ、めっちゃビビったじゃん。」
印刷された思い出を無くさないよう大切に鞄の中にしまい込んだ。
「ねえ、次何したい。」
私ばかりしたいことしていたら悪いと思い、今度は私が彼に尋ねる。すると彼は表情を曇らせて時計を見た。
「ごめん、ついて来てくれる。」
彼は私の返答も聞かないまま歩き出した。
「ねえ、ねえどうしたの。」
彼らしくない行動に戸惑いと不安を感じ彼の背中に尋ねた。
「ごめん、今は来て。」
一言そう言うと彼は振り向くこともせず、黙々と歩き出した。彼の歩くペースが速くなる。その都度、私たちの距離は広がっていく。このことが私の不安をより一層煽った。
モールの中を少し歩いてフードコートに着いた。
「お腹空いたの。」
「違う。」
彼はまた振り返らずに返答する。その背中は少しだけ震えているように見えた。いつも猫背なその背中がより一層小さく見えた。
「あ、あれじゃね。」
突然、席に座っていた高校生くらいの女子が立ち上がって彼を指差した。
「ねえ、知り合いなの。」
彼が振り返ることはないと知りながらもう一度尋ねる。すると予想外に彼は振り向いた。
「ごめん、少しだけ我慢して。」
そう言った途端、私の手を温かい何かが包みこんだ。何か、それは彼の手だった。彼に癒されていると彼は先程の女子たちの前で立ち止まった。
「連れてきました。」
「ナイス。…で、あんたがボ、こいつの彼女って本当。」
繋いだ彼の手が震えて、表情はこわばっている。この人たちに対して彼は敬語を使っていた。この二つの情報からなんとなく状況を理解することができた。
「うん、そうだけど。」
この言葉と同時に彼の手を強く握る。伝わってほしい。君は一人で無いと伝わってほしい。君が苦しんでいるなら私が助けてあげると伝わってほしい。私は彼に救われたから。
「ふーん。そうなんだ。」
彼女たちの目はギラギラと光っている。正直に言うと怖かった。逃げたしたかった。華音や美智子に似ていて震えてしまいそうになる。だけど、食いしばれ、今だけは。彼を守れるのは私だけだから。
「私に何か用事。」
私は強気で問う。大丈夫、声は震えていない。
「えー、ボ…そいつと付き合うのやめたほうがいいよ。そいつ、地味だし、不気味だし。絶対浮気されるよ。性格終わってるから。本当に今すぐ離れたほうがいいよ。」
華音や美智子たちと同じような言い方をするので私は瞬時に理解できた。これは脅しだ。彼から離れなかったら、私を敵対視すると言う意味の脅しだ。その意味を知っているからこそ私は深呼吸をする。大丈夫、彼がついている。
「大丈夫だよ。凌也君は優しいし、面白いから。それに浮気なんかしないよ。人の悪口絶対に言わないくらい性格いいから。あっ、人の悪口を言わないのは人として当たり前だったね。じゃあ凌也君はそれ以上だから、別れなくても大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。だけど、私は凌也君の彼女だから、あなたたちよりも凌也君のこと知ってるよ。それに凌也のこと信じてるし、大好きだから。忠告ありがとう。でも、これからはあまり凌也君のこと何も見ないで、何も知らないで事実じゃないこと言うのやめてね。」
私は真っ向から彼女たちを否定する。彼女たちの脅しにも気がついていないフリをして、彼の腕に自分の腕を絡ませて満面の笑みで感謝の言葉と否定の言葉を投げつけた。彼とより近づいたことで、より彼の温かみを感じる。彼が隣にいたからこそ自分の意見を言うことができた。彼が隣にいたからこそ否定の意見を述べることができた。怒りと悔しさの表情を浮かべる彼女たちに手を振る。
「じゃあもう行くね。凌也君、次どこに行く。」
演技は得意だ。毎日、毎日演技していたら嘘の笑顔を家族も本当の笑顔だと信じ込んている。だから、性格の悪い言葉を彼女たちにぶち込んだ。私は強いとアピールするために。これ以上、彼を傷付けることがなくなるように。
彼女たちから離れて結局本屋に避難した。
「ごめん、何も言わなくて。」
「ん、大丈夫だよ。」
彼と繋いだ手はまだ繋がったままだった。私の目線から彼が気がついた。
「ごめん。」
彼が離そうと緩めた手を、私はしっかり握りしめた。
「待って、もう少しこのままでいさせて。」
無言で頷いた彼の顔は赤みがかっていた。自分が言ったことを理解する途端私の体も熱くなってきた。
「ごめん、今の忘れて。」
理性が戻って来ると恥ずかしさが私を襲った。何を言っているだ私は。モールの冷えた空気が私の汗を冷やした。
「嫌だ、忘れない。離したくないから。」
私のせいだろう。彼に気を使わせてしまった。彼の言葉がたとえ嘘でも、私はその言葉に甘えることにした。少しの沈黙が続いた。しかし、気まずさなど無かった。それ以上に彼との時間を心地よく感じた。
「あのさ、さっきはありがとう。」
沈黙を破ったのは彼の方だった。今思い返せばとてつもないようなことを言っていた気がする。
「…忘れて。恥ずかしい。」
「嫌だ、絶対に忘れない。僕のこと信じてるっていう言葉も、…その後の大好きっていう言葉も。」
私はそんな恥ずかしいことを言っていたのか。私はどんな顔をしていたのだろう。彼が小さく笑い始めた。
「か、からかわないで。」
「ごめん、面白くてつい、ははっ。」
そうだ、彼と私は恋人ではない。私の一方的な片思い。だから、彼が大好きという言葉を忘れないと言うのは嘘だろう。そう、私たちの関係は嘘から始まっている。嘘で成り立っている。一瞬でもこのことを忘れ、私は信じてしまった。彼が好きだ。しかし、彼に言ってはいけない。この関係が壊れてしまう。そう自分に言い聞かせた。
「ありがとう。だけど、このままだとお前が奴らの標的になる。奴らは狙った敵を絶対に逃さないんだ。だから…。」
「心配しなくて大丈夫だよ。あの人達とは学校違うし、何かあったら君が守ってくれるでしょ。」
「そうだけど…。」
「じゃあ大丈夫。それとも君は私のことを弱いと思ってるの。」
「そうじゃない。お前は強いよ。あいつらに立ち向かえる勇気がある。ずっと従い続けた僕より断然強い。でも、心配だよ。…友達の心配をするのは当たり前だろ。」
友達その言葉は私の心をえぐった。そう、私たちは友達。彼は私を友だちとして認知している。それなら、私も彼を友だちとして接しなければならない。彼と繋いだ手の力をそっと抜くと簡単に手は離れた。あとに残ったのは彼のぬくもりだけだった。きっと、私たちの関係もこんな簡単に切れてしまうんだろうな。
「私は大丈夫だよ。だけど、かなり煽っちゃったから君が何か言われないか心配だな。」
「僕は大丈夫だと思う。きっと奴らも少しビビってるだろうから。」
私は彼に偽りの笑顔で優しく微笑む。大丈夫、これを偽笑いだと気づく人はいないから。
モールの外に出るとすっかり日は落ちていた。冷たい風が吹く。秋が来たのかな。黒く染まった夜空が私と私の心を覆った。
「じゃあね。」
今日は私から別れを告げる。
「待って。約束の本渡すから。」
彼は自分の鞄から一冊の本を出す。
「ありがとう。家に帰ったら早速読んでみるね。」
「うん、返すのいつでもいいから。読んだら感想教えて。引き止めてごめん、またな。」
「またね。」
また、それが響く。また会える。空を見上げると黒く染まった空に数個の星が弱々しく輝いていた。
「あれ、香奈。おはよ。」
美智子がニヤニヤしながら私の方に近寄ってきた。
「おはよう。」
「ねえ、香奈。証拠は用意できたの。」
華音までニヤニヤしながら聞いてきた。
「…うん。」
「は、見せろよ。」
私は昨日撮ったツーショットを華音達に見せた。
「えっ、これ香奈の彼氏なの。嘘でしょ。」
何故か華音も美智子も動揺している。何だろうと私が思っていると騒ぎを駆けつけた他の人も私の写真を見た。
「えっ、めっちゃイケメン。この人が香奈の彼氏なの。」
「うん、そうだけど。」
もう一度写真を見る。彼はイケメンなのか。彼がイケメンだとは思ったことは無かった。ただかっこいいとは思う。
「えっ、私今何て…。」
「ん、香奈なんか言った。」
「ううん、なんでもないよ。」
私、今なんて思った。彼をかっこいいって思ったの。私が異性に興味を抱くなんて始めてだった。彼のことを考えていると少し恥ずかしくなってきた。この気持ちは何なのだろうか。
「おーい、みんな席つけ。」
知らず知らずのうちにチャイムが鳴っていたらしい。先生が教室に入ってきた。
「出席取るぞ。…相原、…市川、……。」
名前を呼ばれた生徒が次々に返事をしていく中、私は窓の外を見てぼーっとしていた。
「佐々木…。おい、佐々木。佐々木香奈。」
「はっ、はい。」
ぼっーとしすぎていたらしい。先生から名前を呼ばれても気が付かなかった。
「ったく、しっかりしろよ。」
彼のことを考えると頭の中が彼のことだけになってしまう。昨日は楽しかったな。気がつくとチャイムが鳴っていた。私は先生の話を何も聞かずにショートホームルームを終えたのだった。
「あのさ、香奈。あんた調子乗ってるだろ。」
美智子が私の席まで来た。
「そんなことないよ。」
「あんた彼氏いるからって見せつけるようにぼーっとして…。ほんとにうざい。」
本当にそんなつもりはなかった。ただ今日はなんだか調子が出ないだけだ。気がつけば彼のことを考えてしまっている。チャイムが鳴り美智子が自分の席に帰ったあとも、彼のことを考えずにはいられなかった。彼はどんな学校生活を送っているのだろうか。彼は今何をしているのだろうか。私は何故こんなにも彼のことが気になるのか答えがわからなかった。きっと、自分とは違うからだと無理矢理思い込んでいた。
彼は今日も遅刻をしてきたを
「よっ。」
彼は相変わらずマイペースで、昨日のように片手を上げて挨拶をする。
「よっ。」
授業中なので私は昨日よりも小さく返した。退屈な授業も彼が隣にいれば何故か楽しく感じた。今日は先生の事情でいつもよりも終わるのが早かった。まだ太陽はギラギラと輝いていた。いつもならすごいスピードて帰る彼がまだ教室に残っていた。
「どうしたの。」
「なあ、今からデートしないか。」
「デート」と言うこの三文字に何故か気持ちが高ぶってきた。
「い、行きます。絶対。」
「おーけー。待って、なんで敬語。」
彼は小さく笑いながら私を見つめる。その視線と優しい風が私の心をくすぐった。彼が私と遊びに行くことをデートと言ってくれることが嬉しかった。
電車に十五分揺られ大きなショッピングモールまで来た。人混みが苦手そうな彼が何故こんな場所に来たのか不思議で仕方なかった。
「ごめん、こんなに遠くまで連れてきちゃって。」
「いいよ、気にしないで。今日、塾早く終るってお母さんたち知らないから。それに、いつか君とここに来たいと思っていたし…。」
何も考えずに思ったことを口にしていた。やらかしてしまった。彼はひいてしまったかもしれない。完全に彼とここに来た興奮で口を滑らしてしまった。
「それなら良かった。」
私が思っていた言葉と全然違う返答が来て少し、いや、とても驚いた。
「何かしたいことある。」
彼が優しい目付きで尋ねてくる。彼のその目が私の心をくすぐる。彼になら私は素直になれる。本当にしたいことを言える。私が心をここまで許しているのは彼だけだ。
「あのですね、ゲームセンターに行きたいです。」
恥ずかしくて敬語になってしまう私に彼はまた小さく笑う。
「じゃあ、行こっか。」
また、彼の優しい目を向けられ心が癒された。体の緊張や、私の凍った心をすっと溶かしていく。私は、彼の目が、彼の笑顔が、彼の声が好きだ。私は彼が好きだ。そう気づいた途端私の体は燃えるように熱くなってきた。とりあえず、落ち着け。そう自分に言い聞かせながら彼の隣を歩いた。
ゲームセンターに着くとそこら中に高校生のカップルたちがいた。私たちもこんなふうに見えているのかなと思い、体が熱くなっていくのを感じながら目的の場所に到着した。
「えっ、まじ。」
「うん、まじ。」
彼の驚きと嫌そうな表情を横目に私たちはプリクラの機会に吸い込まれた。
「まじで最悪だ。」
それから十五分後、無理矢理の作った笑顔から開放された彼が呟いた。
「私と撮るの嫌だった。」
私はわざと、若干拗ねたように悲しそうに尋ねた。
「違うって、そうじゃなくて。始めてだったから上手く出来てるか分からなくて。お前と撮ることになるんなら練習しておけばよかったなって思っただけであって…。」
何故か私から目を逸らしながら必死に否定する彼の姿に私は笑いがこらえきれなくなった。
「ふは、冗談だよ。」
「何だよ、めっちゃビビったじゃん。」
印刷された思い出を無くさないよう大切に鞄の中にしまい込んだ。
「ねえ、次何したい。」
私ばかりしたいことしていたら悪いと思い、今度は私が彼に尋ねる。すると彼は表情を曇らせて時計を見た。
「ごめん、ついて来てくれる。」
彼は私の返答も聞かないまま歩き出した。
「ねえ、ねえどうしたの。」
彼らしくない行動に戸惑いと不安を感じ彼の背中に尋ねた。
「ごめん、今は来て。」
一言そう言うと彼は振り向くこともせず、黙々と歩き出した。彼の歩くペースが速くなる。その都度、私たちの距離は広がっていく。このことが私の不安をより一層煽った。
モールの中を少し歩いてフードコートに着いた。
「お腹空いたの。」
「違う。」
彼はまた振り返らずに返答する。その背中は少しだけ震えているように見えた。いつも猫背なその背中がより一層小さく見えた。
「あ、あれじゃね。」
突然、席に座っていた高校生くらいの女子が立ち上がって彼を指差した。
「ねえ、知り合いなの。」
彼が振り返ることはないと知りながらもう一度尋ねる。すると予想外に彼は振り向いた。
「ごめん、少しだけ我慢して。」
そう言った途端、私の手を温かい何かが包みこんだ。何か、それは彼の手だった。彼に癒されていると彼は先程の女子たちの前で立ち止まった。
「連れてきました。」
「ナイス。…で、あんたがボ、こいつの彼女って本当。」
繋いだ彼の手が震えて、表情はこわばっている。この人たちに対して彼は敬語を使っていた。この二つの情報からなんとなく状況を理解することができた。
「うん、そうだけど。」
この言葉と同時に彼の手を強く握る。伝わってほしい。君は一人で無いと伝わってほしい。君が苦しんでいるなら私が助けてあげると伝わってほしい。私は彼に救われたから。
「ふーん。そうなんだ。」
彼女たちの目はギラギラと光っている。正直に言うと怖かった。逃げたしたかった。華音や美智子に似ていて震えてしまいそうになる。だけど、食いしばれ、今だけは。彼を守れるのは私だけだから。
「私に何か用事。」
私は強気で問う。大丈夫、声は震えていない。
「えー、ボ…そいつと付き合うのやめたほうがいいよ。そいつ、地味だし、不気味だし。絶対浮気されるよ。性格終わってるから。本当に今すぐ離れたほうがいいよ。」
華音や美智子たちと同じような言い方をするので私は瞬時に理解できた。これは脅しだ。彼から離れなかったら、私を敵対視すると言う意味の脅しだ。その意味を知っているからこそ私は深呼吸をする。大丈夫、彼がついている。
「大丈夫だよ。凌也君は優しいし、面白いから。それに浮気なんかしないよ。人の悪口絶対に言わないくらい性格いいから。あっ、人の悪口を言わないのは人として当たり前だったね。じゃあ凌也君はそれ以上だから、別れなくても大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。だけど、私は凌也君の彼女だから、あなたたちよりも凌也君のこと知ってるよ。それに凌也のこと信じてるし、大好きだから。忠告ありがとう。でも、これからはあまり凌也君のこと何も見ないで、何も知らないで事実じゃないこと言うのやめてね。」
私は真っ向から彼女たちを否定する。彼女たちの脅しにも気がついていないフリをして、彼の腕に自分の腕を絡ませて満面の笑みで感謝の言葉と否定の言葉を投げつけた。彼とより近づいたことで、より彼の温かみを感じる。彼が隣にいたからこそ自分の意見を言うことができた。彼が隣にいたからこそ否定の意見を述べることができた。怒りと悔しさの表情を浮かべる彼女たちに手を振る。
「じゃあもう行くね。凌也君、次どこに行く。」
演技は得意だ。毎日、毎日演技していたら嘘の笑顔を家族も本当の笑顔だと信じ込んている。だから、性格の悪い言葉を彼女たちにぶち込んだ。私は強いとアピールするために。これ以上、彼を傷付けることがなくなるように。
彼女たちから離れて結局本屋に避難した。
「ごめん、何も言わなくて。」
「ん、大丈夫だよ。」
彼と繋いだ手はまだ繋がったままだった。私の目線から彼が気がついた。
「ごめん。」
彼が離そうと緩めた手を、私はしっかり握りしめた。
「待って、もう少しこのままでいさせて。」
無言で頷いた彼の顔は赤みがかっていた。自分が言ったことを理解する途端私の体も熱くなってきた。
「ごめん、今の忘れて。」
理性が戻って来ると恥ずかしさが私を襲った。何を言っているだ私は。モールの冷えた空気が私の汗を冷やした。
「嫌だ、忘れない。離したくないから。」
私のせいだろう。彼に気を使わせてしまった。彼の言葉がたとえ嘘でも、私はその言葉に甘えることにした。少しの沈黙が続いた。しかし、気まずさなど無かった。それ以上に彼との時間を心地よく感じた。
「あのさ、さっきはありがとう。」
沈黙を破ったのは彼の方だった。今思い返せばとてつもないようなことを言っていた気がする。
「…忘れて。恥ずかしい。」
「嫌だ、絶対に忘れない。僕のこと信じてるっていう言葉も、…その後の大好きっていう言葉も。」
私はそんな恥ずかしいことを言っていたのか。私はどんな顔をしていたのだろう。彼が小さく笑い始めた。
「か、からかわないで。」
「ごめん、面白くてつい、ははっ。」
そうだ、彼と私は恋人ではない。私の一方的な片思い。だから、彼が大好きという言葉を忘れないと言うのは嘘だろう。そう、私たちの関係は嘘から始まっている。嘘で成り立っている。一瞬でもこのことを忘れ、私は信じてしまった。彼が好きだ。しかし、彼に言ってはいけない。この関係が壊れてしまう。そう自分に言い聞かせた。
「ありがとう。だけど、このままだとお前が奴らの標的になる。奴らは狙った敵を絶対に逃さないんだ。だから…。」
「心配しなくて大丈夫だよ。あの人達とは学校違うし、何かあったら君が守ってくれるでしょ。」
「そうだけど…。」
「じゃあ大丈夫。それとも君は私のことを弱いと思ってるの。」
「そうじゃない。お前は強いよ。あいつらに立ち向かえる勇気がある。ずっと従い続けた僕より断然強い。でも、心配だよ。…友達の心配をするのは当たり前だろ。」
友達その言葉は私の心をえぐった。そう、私たちは友達。彼は私を友だちとして認知している。それなら、私も彼を友だちとして接しなければならない。彼と繋いだ手の力をそっと抜くと簡単に手は離れた。あとに残ったのは彼のぬくもりだけだった。きっと、私たちの関係もこんな簡単に切れてしまうんだろうな。
「私は大丈夫だよ。だけど、かなり煽っちゃったから君が何か言われないか心配だな。」
「僕は大丈夫だと思う。きっと奴らも少しビビってるだろうから。」
私は彼に偽りの笑顔で優しく微笑む。大丈夫、これを偽笑いだと気づく人はいないから。
モールの外に出るとすっかり日は落ちていた。冷たい風が吹く。秋が来たのかな。黒く染まった夜空が私と私の心を覆った。
「じゃあね。」
今日は私から別れを告げる。
「待って。約束の本渡すから。」
彼は自分の鞄から一冊の本を出す。
「ありがとう。家に帰ったら早速読んでみるね。」
「うん、返すのいつでもいいから。読んだら感想教えて。引き止めてごめん、またな。」
「またね。」
また、それが響く。また会える。空を見上げると黒く染まった空に数個の星が弱々しく輝いていた。



