彼女と付き合ったことになったらしい。でも、僕は彼女との関係を奴らに言おうか迷っていた。僕と関わっていたら彼女までがいじめられてしまうかもしれない。どうしよう。僕は僕を守るか、彼女を守るか。僕が考えていると廊下からぎゃははと言う声が聞こえた。奴らが来た。僕はなるべく目立たないように背中を小さく小さく丸めた。
「あっ、ボチ也じゃん。」
そんなことも意味がなかったらしい。彼女たちの鋭い目に見つかってしまった。
「ボチ也、彼女てきたの。」
「やめなよ、出来るわけないって。」
「そりゃそうだよ、ぎゃはは。」
「……た。」
「はっ、何か言った。」
僕は勇気が出ない。どうしよう。彼女に迷惑をかけることなんてしたくないのだ。でも、でも。
「出来た。彼女出来た。」
奴らの顔に珍しく動揺が走った。
「はっ、嘘つくなよ。」
「嘘じゃない。」
奴らは僕が嘘をついていると思っているのだろう。
「誰だよ。ボチ也に加担したやつ。」
奴らの目は、僕を助けてくれた人を処分しようとしているようでギラギラと光っていた。狙った獲物は逃さない。こいつらはいつもそうだった。狙われたら誰一人こいつらから逃げることはできない。
「この学校じゃないから。」
「じゃあ、どこで会ったんだよ。」
「塾。」
流石にこの学校じゃなかったらこいつらも諦めるだろうと思った。
「ふーん。名前は。」
「……香奈。」
言おうかどうかとても迷った。しかし、今名前を出さないほうがこいつらを興奮させてしまうと思った。
「じゃあ、明日証拠持ってきてね。」
「えっ。」
「えっじゃないでしょ。だって、本当にボチ也と付き合っているんだったら証拠くらいあるでしょ。逆に明日にしてあげる私ってめちゃ優しいよね。…わかったら返事。」
「…はい。」
彼女に迷惑をかけたくない。だけど、僕はこいつらに逆らうことができない。でも、どうすればいいのだろうか。彼女は塾をサボって遊びに行くような人ではない。塾で写真を撮っても、どうせただの知り合いだろ、と言われるだろう。どうすればいいのだろうかと考えるばかりで解決策は浮かばず、今日一日の授業の内容は何一つ頭に入って来なかった。

 放課後になり、僕はいつもより早く塾に向かった。彼女は遅刻なんてしてこないし、僕がいつも行く時間には彼女はもう席に座って静かに待っているから。僕が急ぎ足で向かっていると冷たい風が吹いた。そして、蝉が鳴いた。不思議な感じだ。冷たい風と蝉は共存できないものだと思っていたから。ふと、視線を感じた僕は我に返って振り向いた。見つけた。感じた視線は僕が探していた人物からだった。僕は彼女に近づき、手を上げた。
「よっ。」
彼女は少し混乱しているらしい。
「よっ。」
間があったが、彼女も僕と同じように返してくれた。嬉しくなって少しだけ微笑んでしまった。しかし、彼女は止まってくれなかった。どんどん塾に近づいていく。着いに塾が見えてしまった。これ以上近づいたらもう戻れない。僕は腹をくくった。
「なあ、一緒に塾サボろう。」
彼女は驚いたのか、目を見開いて僕を見つめていた。
「いや、知ってるよ。お前がそういうことしないことくらい。だけどさ…。」
証拠が欲しいなんて図々しいことは喉に引っかかって出てこなかった。きっと駄目だろう。彼女は僕と違って真面目な人だから。僕が諦めていると彼女はいきなり顔を上げた。
「いいよ、どこ行く。」
彼女の返答に目玉が飛び出るかと思った。彼女がサボったことなんてない。僕だけのために彼女にそんなことさせたら駄目だろうといきなり理性が戻ってきた。
「えっ、でもお前。無欠席…」
「いいの。私が良いって言ったら良いでしょ。」
真面目な彼女がした判断だと未だ信じがたかった。彼女にもきっと理由があったのだろうとどうにか自分の心を落ち着けた。
 駅前の商店街まで来てしまった。そっと時計を見ると塾はとっくに始まっている時間だった。
「ね、ねえ。何か食べない。お腹空いてるんじゃないの。」
別に僕はお腹が空いてなんていなかった。それよりも彼女が塾をサボってまで僕と出かける意味がわからなかった。
「いや、別に。」
「…あの、ちょっとだけお腹空いちゃって…。」
考え事をしていて何も考えずに返答してしまっていた。
「ああ、そういうこと。」
僕は自分にがっかりした。だからこそだろうか。何故彼女が僕とフリでも付き合って欲しかったのかが分からなかった。ふとカフェが目に入った。僕が立ち止まったから彼女も振り向いた。彼女は僕が見ていたものに気がつくと目をキラキラと光らせた。
「ここで、食べていくか。」
彼女は満面の笑みで僕を見つめた。
「うん。」
彼女の笑顔といい返事に僕は少し笑いが溢れた。
「すみません、チョコバナナクレープ一つお願いします。」
知らぬ間に彼女は注文をしていた。全く、どんなにお腹が空いているのだろうか。
「あっ、あとコーヒーも一つお願いします。」
ちょうど、のどが渇いていたので僕はコーヒーを頼んだ。
「はい、チョコバナナクレープとコーヒーです。ごゆっくり。」
席で座って待っていると店の人が届けてくれた。彼女の方を見ると目をキラキラさせてクレープを見つめている。かわいい…。僕は今、何を思ったのだろうか。
「見てないで早く食えよ、腹減ってるんだろ。」
自分自身の照れ隠しのため、彼女に早く食べるよう促した。コーヒーを一口飲む。ほろ苦いコーヒーは僕の心を落ち着かせるのにちょうど良かった。
「ん。めっちゃ美味しい。」
彼女もやっとクレープを口にし、とろけそうな顔をする。僕は無意識に写真を撮ろうとスマホを構えていた。
「そうか、よかったな。」
スマホをしまいながらそう答えた。少しぶっきらぼうな言い方になってしまったが、彼女はクレープに気を取られて気にしていないらしい。パクパクとすごい勢いで食べる。全く、どんなにお腹空いてるんだよ。
「がっつくなよ。喉に詰まるぞ。」
彼女が少し顔を赤らめた。
「美味しいんだから仕方ないでしょ。」
「へいへい、そうですか。」
彼女の少し怒った顔に何故か緊張した。僕は無意識に彼女に返答し、目を合わせないよう店内を見回していた。僕が飲み終わっていたら彼女が気を使うだろうからと思い、僕はゆっくりちびちびと飲んだ。彼女が食べ終わると僕は外の空気を吸いたくなった。何故だろうか。いつもより鼓動が早く感じた。
「行くぞ。」
彼女に申し訳ないと思いながら、僕は早足でレジに向かった。
「お会計は八百円です。」
見ると彼女はまだ、自分の鞄の中を探っている。今だ、と思いながら彼女の分も勝手に支払った。今日は僕のせいで彼女は塾を無断欠席することになってしまった。だから、せめてもの罪滅ぼしのつもりで僕は彼女が財布を用意する前にお金を勝手に払った。
「ありがとうございました。」
店員の声で彼女は支払いが終わったことに気がついたらしい。
「えっ、ちょっ、お金。」
「いいよ、このくらい。」
「えっ、でも…」
「いいから」
どうしても払おうとしてくる彼女を無理矢理丸め込んだ。そして、彼女より先に店から出る。
「ふふ、青春ですね。」
ドアが閉まる前に聞こえた店員の声に僕は動揺した。僕たちはカップルのフリをしているだけだ。それが店員に本当のカップルに見えるのであれば、僕たちは上手くできているということであるのに、なぜだか緊張してしまった。僕が動揺を隠した時に彼女も後から追ってきた。セーフ、僕は心のなかで呟いた。
「あの、ありがとね。」
「ん、いいよ。別に…。」
いつものように答える。僕たちの間に沈黙が流れた。
「見て、雲がけっこう早く流れているよ。」
彼女は空を見ていたらしい。
「雲は流れてるんじゃない。流されているんだ。雲に意思はないから、ただただ風によって運ばれるだけ。逆らうこともできずに流されている。」
ほとんど無意識だった。
「ふーん。」
彼女は僕の言葉で何かを考えている。考えていたことを勝手に喋っていた。僕には意思がある。だけど、奴らには逆らえない。僕は反対方向に動きたくても無理矢理連れて行かれる雲みたいだ。奴らに逆らいたくても、結局は奴らの思い通りになってしまう。ふと、横を見ると彼女も考え事をしているみたいだった。彼女はどんな生活をしているのだろうか。きっと、友達に慕われて、いつもクラスの中心にいるんだろうな。僕とは違う。僕なんかとは違う。彼女は誰にも流されず、彼女の意見を貫けると思うから。僕なんかとは違う世界を生きていると思うから。考え事をしていたら彼女の足がふと止まった。
「ねえ、ここ見てもいい。」
「あっ、僕も見たい。」
本屋だった。彼女も本が好きなのかな。僕たちは本屋に入った。
「あっ、この作者僕好きだよ。ミステリーで、巧妙に伏線が張ってあったり、トリックが考えられてておすすめ。」
僕の好きな本を見つけると、彼女に読んでほしくなった。
「へー、君はミステリーが好きなんだね。」
「うん、面白いから。」
そう、面白い。この本のトリックは裏切らないから。絶対に思った通りに作用して、絶対に狙った獲物を仕留める。それにトリックをたくさん知っていたら、いつか使えるかもしれない思ってしまっているから。彼女が買おうかどうか迷っているので、僕はいいアイデアを思いついた。
「ねえ、じゃあ一冊おすすめなやつ貸そうか。」
「いいの。」
彼女が興味津々に聞いてくる。
「うん。じゃあ、明日塾に持ってくる。」
「ありがと。」
嬉しそうに笑う彼女。彼女なら大切な本を貸しても大丈夫だと信じている。彼女なら本を傷付けることをしないだろう。彼女と約束をして本屋を出る。空を見ると日が傾いていた。
「もう、こんな時間か。」
冷たい風が吹いた。少し肌寒くなっている。空が赤く赤く染まっていた。あの時みたいだなと思う。
「今日は、ありがと。楽しかった。」
僕は彼女に心からの感謝を伝える。
「私も。あのさ、最後に写真撮ってもいいかな。」
彼女が恐る恐る聞いてくる。僕は無言で頷いた。夕日をバックにして僕は少し微笑んでカメラを見る。シャッター音と共に僕らの思い出が一枚の写真にまとまった。
「ねえ、それ僕にも送ってくれない。」
証拠という言葉が僕の頭を横切った。
「じゃあ、連絡先教えて。」
「わかった。」
スマホを彼女に差し出すと彼女と繋がった。少し恥ずかしくなってきた。
「じゃあね。」
手を上げ挨拶をする。
「うん。後で送っておくね。じゃあね。」
彼女が僕の真似をして手を上げた。楽しかった。今日は本当に楽しかった。今日中に証拠も用意することが出来た。彼女のおかげだ。どうしてだろうか。彼女のことは信用できる。彼女といると嫌なことを忘れることが出来る。冷たい風が僕の頬を撫でる。もうすぐ夏が終わる。日はすっかり落ちていた。