私と君の 僕と君の 嘘

 彼と上手く付き合えたらしい。フリだけど。私は少し浮かれた気持ちで学校に登校してきた。このことを、早く華音たちに伝えたくて仕方がなかった。華音は驚くかな。美智子は少し不機嫌な顔になるかな。そんなどうでもいいことをゆっくり考えながら私は優雅な足取りで教室に向かった。
「みんな、おはよう。」
私が声をかけると、周りにいた人たちが振り向いた。その中には華音と美智子の姿もあった。美智子がニヤニヤしながら私に近づいてくる。
「ねえ、香奈。どうしたの。そんなにうきうきして…、もしかして、彼氏でも出来たの。」
いつもなら逃げたくなるような嫌な笑顔も、この顔を崩せると思うと、今日だけはとても素晴らしく思えた。私は、ふわっと笑った。
「うん、そうなんだ。」
私の発言で教室中に沈黙が走った。やはり美智子の顔には、あのいやらしい笑みはなく戸惑いの表情が浮かんでいた。すると、今まで大人しく黙っていた華音が立ち上がった。
「ねえ、香奈。香奈の彼氏って誰。」
にこにこと笑う表情の奥には怒りが隠されているのがわかった。きっと、私に恥をかかせようとしたのだろう。しかし、恥をかいたのは美智子だった。だから、華音は怒っていると感じた。華音の怒りを肌にチクチクと感じた。まさか、華音に怒られるとは思っていなかった。
「えっと、凌也君。」
「は。そいつ誰だよ。」
美智子まで口を挟む。
「違う学校だけど、同じ塾の人。」
「証拠は。その人と付き合ってる証拠は。なんなら、その人が存在する証拠は。」
まさか、ここまで言われるとは思わなかった。証拠なんてあるわけがない。なぜなら私たちは本当に付き合っていないのだから。
「じゃあ、今週中に証拠品を手に入れてきてね。」
華音たちはまた笑っていた。私はまた変な条件を取り付けられてしまったらしい。季節外れの蝉の声に少し目眩を感じた。

 放課後になり私は塾に向かった。少し冷たい風が私の頬を撫でた。そして、また季節外れの蝉が鳴いた。ふと目線を上げると、少し離れたところに彼がいた。呼んでもいないのに彼はいきなり振り返った。彼は私を見つけると私の方に向かって歩いてきた。
「よっ。」
彼が片手を上げて挨拶をしてきた。
「…よっ。」
少し間があったが私も同じように返した。一瞬、彼が笑ったように見えた。いや、きっと気のせいだろう。半袖の彼と蝉の鳴き声。季節外れのものが私の周りに集まり、少し笑えてきた。彼といるとよく笑わされるなと思いながら、彼と塾まで向かった。
 塾が見えてきた。そんな時だった。
「なあ、一緒に塾サボろう。」
彼がいきなり私に問いかけてきた。「サボる」この三文字に私はびっくりした。
「いや、知ってるよ。お前がそういうことしないことくらい。だけどさ…。」
彼は何か言いたげな表情をした。しかし、彼はそこで言葉を切って黙ってしまった。サボるなんてもちろん論外だ。そう思った瞬間に華音の声が脳裏に蘇った。「証拠」。そう私には今「証拠」が必要なのだ。きっと彼はマイペースにただ遊びたいだけなのだろう。でも、私はそれを利用しようと思った。
「いいよ、どこ行く。」
私の返答に驚いたのか、彼は目を見開いて私を見つめてきた。
「えっ、でもお前。無欠席…」
「いいの。私が良いって言ったら良いでしょ。」
私は人生で始めて塾を無断欠席した。
 私たちは駅前の商店街まで来た。たくさん並んだ店が、私の空腹のお腹をくすぐった。
「ね、ねえ。何か食べない。お腹空いてるんじゃないの。」
私は恐る恐る尋ねる。異性に食いしん坊だと思われるのは嫌なので、少し彼に押し付けた。
「いや、別に。」
そうだった。彼は空気を読むなんてことをしない。彼に断られてしまったので、もう正直にいくしか選択肢はないだろう。
「あの、ちょっとだけお腹空いちゃって…。」
「ああ、そういうこと。」
ああ、めちゃくちゃ恥ずかしい。こんなことなら最初から自分がお腹すいたと言えば、いや、ふらっと消えて軽食でも買ってくればよかった。と思っていると彼が立ち止まった。どうしたのと言おうとして振り返ると、彼の目の前にはカフェがあった。
「ここで、食べていくか。」
彼が尋ねてくる。もう、もう彼ってば。もう。天才かよ。
「うん。」
私の良い返事に彼は少し笑った。
「すみません、チョコバナナクレープ一つお願いします。」
私はウキウキしながら魔法の言葉を唱えた。好きなものを食べることができる魔法の言葉。塾をサボって食べるクレープなんてどんだけ罪深いんだ、と思っていると彼がいきなり乗り出してきた。
「あっ、あとコーヒーも一つお願いします。」
クレープ屋のお姉さんが私たちの席まで例の物を運んでくれた。
「はい、チョコバナナクレープとコーヒーです。ごゆっくり。」
目の前でキラキラと光っているクレープに口の中でよだれが溢れた。
「見てないで早く食えよ、腹減ってるんだろ。」
もう、彼ってば何もわかってないんだから。優雅にコーヒーを飲んでいる彼を横目で見ながら、クレープを口の中に入れる。
「ん。めっちゃ美味しい。」
「そうか、よかったな。」
口の中に広がる甘さが格別だった。私はとにかく無我夢中で食べた。
「がっつくなよ。喉に詰まるぞ。」
彼に見られていたらしい。
「美味しいんだから仕方ないでしょ。」
「へいへい、そうですか。」
もう、私になんか興味がないというように周りの景色をぼんやり眺めながら、またコーヒーを一口飲む。コーヒーのほろ苦い匂いがクレープの甘さと中和されてまさに最高だった。私が食べ終わったのを見計らって彼もコーヒーを飲んでいたのか知らないが、私たちはほとんど同時に食べ終わった。
「行くぞ。」
彼はせっかちなのだろうか。私はもう少し余韻に浸っていたかったが、彼が席を立ってしまったから仕方が無い。
「お会計は八百円です。」
私が財布を出そうとバックの中を探していると
「ありがとうございました。」
と言う声が聞こえた。
「えっ、ちょっ、お金。」
「いいよ、こんくらい。」
「えっ、でも…」
「いいから」
そのまま彼は店を出てしまった。
「ふふ、青春ですね。」
私も店を出ようとしてドアノブに手をかけた時、店員さんに声をかけられた。私はにっこり笑い返して彼を追いかけた。
「あの、ありがとね。」
「ん、いいよ。別に…。」
また沈黙。空を見上げると雲が流れている。
「見て、雲がけっこう早く流れているよ。」
「雲は流れてるんじゃない。流されているんだ。雲に意思はないから、ただただ風によって運ばれるだけ。逆らうこともできずに流されている。」
「ふーん。」
逆らうこともできずに流されている。この言葉が妙に私の心に引っかかった。私には意思がある。雲とは違うのに、それなのに、私もただただ周りに流されているだけではないのか。ふと、横を見ると彼も何やら考え事をしているようだった。彼はどんな生活を送っているのだろうか。きっと、一人でマイペースに何かしてるんだろうな。私とは違う。私なんかとは違う。彼は誰にも流されず自分の意志を尊重できると思うから。私なんかとは違う世界を生きていると思うから。
 考え事をしていたら気づくと本屋の前にいた。
「ねえ、ここ見てもいい。」
「あっ、僕も見たい。」
珍しく彼と意見が一致した。私たちは本屋と言う名の聖なる領域に足を踏み入れた。
「あっ、この作者僕好きだよ。ミステリーで、巧妙に伏線が張ってあったり、トリックが考えられてておすすめ。」
「へー、君はミステリーが好きなんだね。」
「うん、面白いから。」
正直、私もミステリーはけっこう好きだ。だけど、どちらかと言うと恋愛小説の方が好きだ。
「ねえ、じゃあ一冊おすすめなやつ貸そうか。」
彼がそう提案してきた。
「いいの。」
「うん。じゃあ、明日塾に持ってくる。」
「ありがと。」
彼の部屋には何冊の本があるんだろう。彼はどんな本を持ってきてくれるんだろうか。
「もう、こんな時間か。」
彼の声と少し冷たい風が私を我に返した。空を見ると、日は傾き、空は赤く赤く染まっていた。時間が経つのは早い。
「今日は、ありがと。楽しかった。」
「私も。あのさ、最後に写真撮ってもいいかな。」
彼は無言で頷いた。夕日をバックにして私はカメラに向かって笑顔を作る。シャッターを押す。今日の思い出が私のスマホに保存された。
「ねえ、それ僕にも送ってくれない。」
「じゃあ、連絡先教えて。」
「わかった。」
スマホとスマホをかざし合わせて彼の連絡先をもらった。
「じゃあね。」
彼が手を上げた。
「うん。後で送っておくね。じゃあね。」
私も手を上げ返した。証拠。彼と別れた瞬間に思い出した言葉。証拠なら今日用意できた。彼のおかげだ。どうしてだろうか。彼といると華音たちのことなどちっぽけだと思ってしまう。彼といると嫌なことを忘れることができる。冷たい風が私の頬を撫でる。もうすぐ秋が来る。日はすっかり落ちていた。