「ねえねえ、みんな好きな人いないの。」
高校に入学して、なんとなく入ったこのグループはいつも恋愛の話ばかりする。でも、下っ端の私は笑顔で付き合うしかなくて、もしも拒絶したらどうなるのか怖くて逆らえずにいた。
「香奈は好きな人いないの。」
なんとなく流そうと思ったらいきなり、私の名前が呼ばれた。私は動揺していないフリをして
「いるよ。」
と答えるだけが精一杯だった。仲間外れにされたくなかったから。
「えっ、だれ。」
みんなの注目が一斉に私に向いた。私は、しまったと思った。なぜなら、私に好きな人はいない。まず、好きって何なのかが分からない。多少、この人のこと気になるな、と思う人はいた。しかし、好きという感情までに発展したことはなかった。それでも、私は動揺しないように、笑って誤魔化そうとした。しかし、それだけでは誤魔化し切れなかった。
「じゃあさ、十月までに彼氏作ってよね。」
美智子が煽るようにそう言った。周りのみんながいい案と言うかのように頷いた。私は美智子が苦手だ。美智子はこのグループの頂点に立つ華音のお気に入りで、人をからかって笑いを取る。そして、華音の機嫌を取ることを最優先するのだ。私が何も答えられずにいると、美智子はそれを肯定と受け取ってしまったようで、他の話に変わってしまった。私は十月までに彼氏を作らないといけないことになってしまった。正直無理だ。今は九月の三週目なのだから。けれど逆らえない。なんであんな嘘を言ってしまったのだろうか。今さら後悔しても仕方がないことが頭の中をぐるぐる回った。絶対に失敗出来ない、このことが私を強く不安にさせた。
 放課後になり、私はいつものように塾に行ったが、今日のことが頭から離れず、勉強に集中することが出来なかった。
「すみません、遅れました。」
「遅いぞ。何やってるんだ、凌也。」
遅刻して入ってきた凌也は私と同級生で、小学校の頃から知っていたが、ほとんど話したことがなかった。
彼は眠そうに一度あくびをしながら、頭を掻いた。寝起きなのか、起きてからそのままなのか知らないが、髪の毛がぐちゃぐちゃに乱れていた。
私の隣が彼の席なので、彼は眠そうな目で少しづつ近づいて来る。クーラーがガンガンに効いた部屋で何故そこまで眠たそうに出来るのかがとても不思議だった。ずっと見つめていると、彼が私の方を振り返った。やましい事は何一つないのに、とっさに目を逸らしてしまった。すると、彼はいきなりノートを少しだけ破り、その破片に一生懸命何かを書いている。何だろうと思っていると、彼がその紙切れを渡してきた。話した回数も片手で数え切れるような仲なのに、いきなり何だろうと思いつつ見ると、そこには「何」と言う一文字が書かれていた。あんなに一生懸命書いていたのに、この一文字だけとは思わずに吹き出しそうになった。私は、その紙切れの裏に「別に」の二文字だけを書いて彼に渡した。彼はそれを見て不思議そうな顔をした。彼が何かを尋ねて来ようとした瞬間に
「こら、凌也。集中しろ。」
と言う声が教室に響いた。前を見ると、先生が怒った表情で彼を見ていた。彼は先生に怒られたのでしっかりやる事にしたらしい。集中して、ノートを取り始めた。目が黒板とノートを行き来するときに、寝癖がぴょこと動いていて面白かった。憂鬱な塾の時間が終わり、帰ろうと荷物をまとめていた。すると、彼がいきなりこっちを振り返った。
「ねえ、さっきなんで僕のこと見てたの。」
寝癖をぴょこぴょこさせながら不思議そうに聞いてくる彼に私は思わず吹き出してしまった。
「え、何。どうしたの。」
「いや、寝癖。寝癖がずっと気になってて…くくっ」
途中、こらえきれなくなった笑いが溢れた。
「僕さ、今日遅れたじゃん。それ、寝てたんだよね。家のソファーで。」
「だからか。ぴょこぴょこしてて面白くて、つい」
「いや…それだけじゃないかも、原因。僕、いつも髪直さないから。」
「いや、直そうよ。」
「めんどくさいんだよ。…お前、意外と面白いな。」
会話をしていると彼も笑い始めた。これが、私が彼とちゃんと話した、始めての日だった。

 月曜日、学校に行くと美智子たちがいきなり私の前に出てきた。
「どうしたの。」
「ねえ、香奈さ。彼氏出来たの。」
美智子が意地悪な笑みを浮かべて聞いてくる。
「いや、まだだけど。」
「なるべく早くしてね。そんなに私たち待てないから。」
華音も美智子と一緒になって笑っていた。つまり期限日まで待たないと言いたいのだろう。何としてでも早く成し遂げなければならない。この言葉が私の頭の中を巡っていた。

 今日も紙切れを渡された。前回の塾で渡してきたのと同じくらいの小さなノートの切れ端だった。「どうした」紙切れにはその四文字が書かれていた。前回の一文字よりは増えだが、今だ文字数は少ないままであった。私は「別に」の二文字を返す。前と変わらない二文字を。私が知っている言葉の中で最強の二文字を小さな紙切れに添えた。塾が終わると彼が話しかけてきた。
「ねえ、何かあったんでしょ。」
「別になにもないよ。」
良くも悪くも、感は良いらしい。しかし、私は真剣に悩んでいるのに、何も知らず、能天気に聞いてくる彼に少し苛立ちを覚えた。
「関係なくないかな。今まであまり話したこともないような仲だったじゃん。」
「関係なくないよ。だってもう話したことあるもん。」
彼との会話は少しだけ噛み合わなかった。並んで歩いていると、私たちの前を風が横切った。肌寒くなってきている。もうすぐ秋が来ると知らせるかのように冷たい風がまた吹いた。夕焼けがきれいだった、そのせいかもしれない。彼が話しかけてきたから、そのせいだったかもしれない。果たしきれない不安で押しつぶされそうだった、そのせいかもしれない。
「ねえ、話があるの。」
私は自分でも気付かぬうちに彼を呼び止めていた。彼は眠そうな顔で振り返った。
「私と…私と、付き合っていることにしてくれないかな。」
言ってしまった。私の顔は赤くなっているかもしれない。人生で始めて告白したのだから。彼はどんな顔をしているだろうとふと気になった。その時、ちょうど夕焼けが彼の後ろに来た。彼の顔が逆光で見えなくなった。どんな顔をしているんだろう、そんなことはもうどうでも良くなった。私はただただ彼の答えを待ちながら夕焼けを見ていた。それほどまでにその日の夕焼けは美しかった。長い沈黙が続いた。実際にはそこまで長くなかったかもしれない。太陽の位置があまり変わっていないから。彼に引かれたかもしれない、そう思っしまうと私は耐えられなかった。ごめん冗談、と私が言おうとした時、
「うん、いいよ。」
彼が頷いた。正直信じられなかった。何故最近話した人と付き合っているフリができるのかよく分からなかった。けれど、これで私は仲間はずれにされなくて済むと思うと嬉しかった。彼に助けられた。けれど彼の迷惑になるかもしれない。嬉しさと、心配で私の心はぐちゃぐちゃになっていた。
「あのさ、僕帰るから。」
「あっ、うん。ありがとう、じゃあね。」
きっともっと言うべき言葉はあったと思う。けれど、今の私にはこの言葉が精一杯だった。どうしよう。フリだけど、人生で始めての彼氏が出来てしまった、フリだけど。とりあえず明日みんなに報告しなくては。頭の中がバグりそうなので、とりあえず考えることをやめた。