次の日、目が覚めるとお母さんが洗濯物を片手にベッドの前に立っていた。
「おはよう、香奈。これ、香奈の運動着じゃないよね。こんなに大きい訳ないし、これ他校のだよね。」
「そ、それは借り物。」
お母さんの顔は笑っているのに、瞳の奥から激しい怒りを感じた。きっと何か良からぬ勘違いをしている。
「あのね、お母さん。昨日、学校で水道掃除してたら服がびしょびしょになっちゃって。そのまま塾に行ったら友達が貸してくれて…。」
「中西凌也君との関係って本当に友達なの。」
「うん。」
そうだ。運動着なのだから彼の名前がわかってしまうのは当然だ。お母さんはそれ以上追求せずに部屋から出ていった。彼の運動着を丁寧に紙袋にしまった。
 学校に着き靴を履き替えようとしてふと、靴の中を覗いた。金色に輝く細い針が上履きの中に隠れていた。昨日のこともあり確認して良かったと胸を撫で下ろす。画鋲を取り、教室へ向かった。
「行きたくないな。」
私の独り言などに反応してくれる人はこの学校には一人もいない。教室の戸を開けると上から黒板消しが降ってきた。間一髪のところで身を躱すと、舌打ちが聞こえてきた。顔を上げるのが怖かったが、冷静を装い、いつもの様に入場した。
「おはよう。」
私の言葉に返してくれる人はいなかった。それどころか誰一人目を合わせようとしなかった。その中を突き進み席に着く。引き出しに物を入れようとしてノートや教科書がぐちゃぐちゃになっていることに気が付いた。
「今日から全部持ち帰らないとな。」
誰にも聞こえないよう独りでに呟く。泣きたい。けれど我慢する。大丈夫。私には味方がいる。心強い味方がいる。彼のことを考えるだけで落ち着く事が出来た。教科書のしわを一つ一つ伸ばしながら耐えていた。
 誰にも話しかけられず放課後を迎えた。チャイムが鳴った瞬間に教室を飛び出したおかげで華音たちに何かされることはなかった。そのまま駅まで走り、電車に飛び乗った。予定よりも一本早い電車に乗ったので、駅で彼を待つことにした。駅につくと彼との待ち合わせの場所に向かう。予想通り彼はまだ来ていなかった。近くのベンチに座り彼を待っていると、二人組の大学生くらいの男性が近づいてきた。
「ねえ、君一人。可愛いね。良かったら俺たちと遊ばない。」
何なのだろうか、こいつらは。ナンパされているとは分かる。けれどナンパされている理由がわからない。
「人を待っているのでお断りします。」
「君が待っているのは女友達かい。それなら、その子も入れて四人で遊ぼうよ。」
私の口からため息が漏れる。どうしてこう言う人がいるのだろうか。チャラいし私の苦手なタイプだ。どうやって断ろうか考えていると声がした。
「あ、いたいた。ごめん、待ったか。ってこいつら誰だよ。」
彼が来た。彼が来てくれた。いつも、彼は私のピンチに駆けつけてくれるヒーローだ。
「なんか、いきなり話しかけられて。」
彼が鋭い目つきで男性たちを見る。
「僕の彼女に何か用か。」
「ただ、俺たちはこの子が可愛いから遊びに誘おうとしただけで。」
彼が男性たちに軽蔑するような冷たい眼差しを向ける。普段の彼からは想像出来ない一面が見れて私の鼓動は早くなる。
「僕の彼女が超可愛いことは、僕が一番知っている。だから、彼女が可愛いことは大いに認める。だけど彼女に手を出すことは絶対にさせないからな。」
男性たちは恐る恐る逃げていった。彼の言葉に心が熱くなる。ここまで言ってくれる彼が愛おしく感じてしまう。
「ありがと、守ってくれて。」
「別に大したことじゃないし。」
彼の恥ずかしがっている曖昧な返事。
「本当、恥ずかしがり屋なんだから。」
彼に聞こえないくらいの声で小さく、小さく呟く。彼が何も反応しないことに安堵を覚え、私たちは電車へと向かった。
 水族館の入口にはたくさんの人が集まっていた。人の体温で温まった熱波が流れてくる。平日でこの人数なら、土日祝はもっと人が多いのだろう。
「人多いけど大丈夫。無理しなくて良いよ。」
少し引き気味の彼に問いかける。
「大丈夫。」
彼は答えると同時に私の手を握った。
「迷子になるなよ。」
予想すらしていなかった彼の以外な行動に心臓が掴まれたような感覚がした。
「すみません、学生二人分お願いします。」
彼が率先して道を切り開いてくれる。
「学生書のご提示をお願いしますね。」
私は重たい荷物が入った鞄をとりあえず置きその中から取り出した。彼は一生懸命鞄の中をゴソゴソと探っている。やっと見つけたらしい学生書はぐちゃぐちゃになっていた。
「もう、そう言うの大事にしないとダメだよ。」
私が少し怒ると彼はシュンとした。彼にもし耳が生えていたら、普段はピンと立つ立派な耳がペタンとなり、クーンと鳴いているんだろうな。想像しただけで少し笑みがこぼれる。
「なんだよ。」
今度は少し拗ねた様な顔だ。
「別に何も。」
「何もないわけ無いだろ。そんな可愛い顔して…。」
彼が言葉を途中で切って下を向く。恥ずかしがっている。最近は彼の仕草でも彼の感情が読み取れるようになってきた。
「何言ってるの。可愛い顔してるのは君の方でしょ。」
私はあえて彼の言ったことを冗談として受け取った。そうしないと、この水族館で告白してしまうような気がしたから。もし、彼が冗談で言っていた場合、私が彼に告白すると彼を困らせてしまう。この楽しい時間ももうなくなってしまう。彼は嘘つきなので、私が可愛いと言うのは十中八九冗談だろう。でも、私が言った言葉は本当のことだ。
「あらあら、仲の良いカップルだこと。」
定員さんにからかわれてしまった。全く、彼が変なことを言い出すから。なんとかチケットを買い私たちは入場口のゲートをくぐった。入ると最初には、円柱大きな水槽の中でサメや小魚などあらゆる種類の魚たちが泳いでいた。
「わー。きれい。」
彼を見るとまるで子供のように無邪気に目を輝かせて、食い入るように魚たちを見ている。
「ふふっ、可愛いんだから。」
「おい、聞こえてるぞ。」
どうやら私の独り言を聞いていたらしい。ムッとした表情で私を見つめていた。私たちのやりとりに痺れを切らしたようにサメがゲースにぶつかった。まるで俺を見ろとでも言いたいかの様な迫力とタイミングに私たちは一緒に吹き出した。
「あはは、いいね。この子、ちょーかわいい。最高なんですけど。ふふっ。」
「くくっ、なんだよ、俺たちの邪魔する気か。」
サメは身を翻して、美しく泳いでいる。水に光が入り込み、まるでコンサート会場の様な美しさを醸し出していた。
「まるで、有名シンガーだな。」
彼がボソッと呟く声が聞こえる。考えていたことが同じでついつい笑ってしまった。
「なんだよ、ったく。」
少し不思議そうに笑う彼が愛おしい。じっと見つめ過ぎたかもしれない。彼が照れくさそうに鼻を搔き、私の目を片手で塞いだ。
「ちょっと、見えないって。」
「何が見えないのかはっきりいいな。」
彼の少しいたずらな声が聞こえる。
「えっと、さめ…。」
「本当のこと言わないと離さないから。」
もう、恥ずかし過ぎる。白昼堂々人前でいきなり目隠しをされて、挙句の果てに恥ずかしいセリフまで言わないといけないなんて。
「君。君のこと見てたの。」
「ふーん、なんで。」
彼は意地悪だ。彼がくすくす笑う声が聞こえる。私の顔は恥ずかしさで真っ赤になっているだろう。まだ、一つ目のゾーンなのに私はギブアップしそうだった。
「考えていたことが同じでびっくりして君の顔見たら、君の笑った顔が可愛かったから。可愛すぎたから。」
私が思ったことを全部言った。言葉と一緒に魂まで出てしまうかもと思いながら。視界が明るくなる。彼の手が離れたのだ。すると何故か彼が自分の顔を覆い隠していた。
「もう、可愛いって言うの禁止。」
彼の紅葉のように赤く染まった耳を見た私はチャンスだと思った。
「へー、なんで。事実を言えって言ったの君だよね。」
「いや、お前がそんなこと考えていたなんて普通に考えつかなかった。それに、僕可愛くないし。」
彼の照れた顔が可愛くてついつい余計にからかいたくなる。
「安心して。君は世界で一番可愛いから。」
この一言が気に食わなかったらしい。彼が自分の顔から手を離して私を彼の胸へと引き寄せる。彼の腕が私を包み込む。
「馬鹿だな、お前は。世界で一番可愛いのはお前だ。これだけは絶対に譲らないからな。」
彼に抱きしめられていることだけで飛び出そうな心臓に、追い討ちをかけるかのような彼の言葉。耐えろ、私。飛びそうな意識を頑張って私に結びつけ気絶しないようにする。鼻血が出そうだ。本当に心臓に悪い。運が良いことに私の脳はまだ少しだけ生きていた。こんな時にしか言えないようなセリフを彼にぶつけよう。私は決心して、上を向き、彼と目を合わせる。予想以上に近くて私の心臓は今度こそ飛び出るかと思った。けれど、このくらい近いと自然と彼の心音も伝わってくる。彼も心臓が飛び出るのではないかと言うくらい爆音を立てていた。
「あ、あのさ。」
恥ずかしいのは私だけではないと知り、自然と勇気が湧いてきた。
「これからは、名前で呼び合いたいです。」
最後の方は声がとても小さくなってしまい聞こえているか分からなかった。それでも熱心に彼が耳を傾けてくれたおかげで伝わっていたみたいだ。
「何で敬語なんだよ。」
彼は可笑しそうに微笑む。私の言葉を最後まで聞き漏らさずに聞いてくれていたと言うことが伝わり嬉しかった。
「もちろん、僕もそうしたいと思ってたよ。香奈。」
彼に呼ばれただけで、生まれた時から人生を共にしてきた私の名前が特別なものに感じた。
「ありがと、凌也君。」
「僕は君付けかよ。…ま、良いけど。」
そっぽを向きながら彼が言う。彼は本当にわかりやすい人だ。こんなに恥ずかしがっているのがわかる人は彼くらいだろう。
「つ、次どこ行く。」
彼が話をそらすように尋ねる。その姿も愛おしい。
「このコース行きたい。ショーに間に合うから。」
今度は私から彼の手を取る。いつの間にか離れていた温もりが戻ってきた。彼の温かさに癒される。
「ほら、行くぞ。」
彼に力強く腕を引かれる。その行動が、暗闇にいた私の心を救い出してくれるように感じた。大丈夫、私はまだ大丈夫。少し肩に背負った重みで体が痛いだけだから。
「どうした。」
「あっ、少し考え事してただけ。」
私たちは館内を歩きながら見た。彼は普段の不真面目さからは感じ取れないほどの博識だった。
「詳しいんだね。」
「…このために調べてきたから。」
彼の言葉を聞いて驚く。興味がなさそうな彼が私とのデートのために調べてきたという事実に胸が躍る。彼も楽しみにしてくれていたと分かって心が弾む。
「なんだよ。恥ずかしい事言わせんな。」
彼が照れたような拗ねたような顔をした。
「ごめんて。」
「後で仕返してやる。」
彼の言葉に二人で笑った。そのままショーに向かう。時間が早いせいかベンチはまだまだ空いていた。
「前に座ろうぜ。」
「後ろがいいな。」
私たちは見事同時に真逆の言葉を発した。
「えー、濡れたくない。」
「濡れたい。」
「じゃあ別々に座る。」
「それは嫌だ。」
私たちは腕を組んで考えた。私たちが言い争う間に人がちらほら増えてきた。
「じゃあ間を取ろう。」
議論を重ねた結果彼の言葉で真ん中というポジションに決定した。
「香奈、背が小さいから前じゃないと見えないと思ったのに。」
「そんなに、小さくないし。ここでも全然見えてるし。」
私は少し拗ねると頭をわしゃわしゃと撫でてきた。彼は私を幼児と勘違いしているに違いない。膨らました頬が一層膨らむ。
「ごめんて、始まるよ。」
気がつけば開演時刻になっていた。先ほどまでちらほらしていた人が、今では私の視界を塞ぐような量になっている。
「ん、見えない。」
「だから言ったじゃん。」
彼は持ち前の高身長を生かして背筋を伸ばさず楽にして見ている。一方私は前の人と前の人の間から覗き見たり、首をぐっと伸ばしたり色々な方法を試す。
「全く。だから、前に行こうって言ったじゃん。」
彼が呆れながらため息までついている。濡れたくなかったのだから仕方が無いと自分の中で解決しようとする。
「ん。」
隣から彼の声がした。振り向くと膝の上に置いていた荷物を全部退かして彼が自分の太ももをポンポンと叩く。何かを待っている。その何かに気がついた途端、私の顔からは火が出るような感覚がした。
「絶対に無理矢理。私重いし凌也君が潰れる。それに、凌也君が私の頭で見えなくなっちゃうよ。」
「良いから、良いから。早くしないと終わっちゃうよ。」
彼がにっこり笑いかけてくる。
「絶対に重い。凌也君を潰しちゃう。」
「体重何キロ。」
彼が真面目そうな顔で尋ねてくる。本当にこの人の脳内辞書にはデリカシーと言う言葉が存在していないみたいだ。
「女の子に聞くものじゃないから、それ。」
「多分お前なら大丈夫だし。一応。て言うか、忘れてるかもだけど僕運動部だよ。筋肉なら若干付いてるよ。」
意味不明な説得を受けて仕方なく彼の膝に乗った。乗ったと言う表現よりは、体を付けたという表現のほうが当てはまるかもしれない。自分の半分くらいの体重を彼に任せ、残り半分は若干空気イスをしなんとか誤魔化そうとした。しかし、文化部の私には体力など無く、すぐに足が震えてきた。待って、やばい。これはやばい。私は自分の半分の体重でさえ支えきれなくなってきた。少しずつ彼の太ももにかかる重みが大きくなってくる。神様、お願いします。彼だけは気づきませんように。心の中で必死にお願いする。しかし、そんなお願いも虚しく彼に気づかれてしまったらしい。彼がいきなり私を抱き寄せた。いきなり強い力で後ろに引かれた私は結局彼に全体重を預けることになってしまった。また私が不正しないようにとバックハグをされながら。
「だから無理するなよ。そんなことしてたら歩けなくなるぞ。」
彼の言うことも一理ある。現に今、私の足はもうクタクタだからだ。さっきまで半空気イスをしていたことに加え、今でに無いほどの教材類を持ち歩いているからだ。彼の拘束も解けず、疲れてもいたので私は彼に身を預け、ショーに集中することにした。イルカたちは身を翻しながら、凄まじいほどの技を繰り出す。思った通りで前の方の人たちは全身プールに浸かったくらいにびしょびしょになっていた。
「え、あんなに濡れるもんなの。」
彼が少し引き気味に尋ねる。少しばかり顔が引きつっているように見えた。
「前にしなくて良かったでしょ。」
「うん、助かった。」
最後はイルカのクロスジャンプだ。二匹のイルカがお互いを信じ合いぶつからないスレスレのところを跳んでいる姿はとても美しかった。照明がイルカの皮膚に当たりキラキラと輝いている。素晴らしいショーに私の熱は収まらず、終わった後もたくさんの拍手を送った。
「すごかったね。」
「だな。よく見えただろ。」
彼の膝の上と言うことを忘れてすっかり楽しんていた。
「うん、ありがとう。」
恥ずかしさで自然に声が小さくなる。そんな私に彼は優しく微笑んだ。
「じゃあ他も観て回ろっか。」
彼の笑顔でいつもの私を取り戻し、もう一度重い鞄を持とうとした時に少しぐらついたのを彼は見逃さなかった。
「どうした。具合悪いか。」
「違う違う。大丈夫だよ。」
ただ鞄が重すぎるだけ。その言葉をそっと飲み込む。余計な心配をかけたくなかった。良くも悪くも鈍感で鋭い彼にはきっとバレていたのだろう。
「あ、分かった。腹減ったんだな。」
そう言い、私の鞄を私から奪い取る。少し強引な優しさに心が締め付けられる。
「重。これ、何が入ってるんだよ。」
「ええっと、教科書とか…。」
彼に嘘や言い訳は逆効果だと思った私は正直に答える。
「やっぱり香奈、偉いな。」
彼の思わぬ返答に腰が抜けるかと思った。彼は私を真面目な人だと思っているのかもしれない。そうじゃないとそんな発想は出てこないだろう。
「あはは。」
騙したような感覚に私は乾いた笑いを返すことしか出来なかった。私たちは一階まで降り、水族館に付いているカフェに向かった。天然な彼は私が本当にお腹が空いたと思ったのだろう。そう思っていてくれたほうが良かった。お腹が空いているわけではないのでそこまで期待せずにメニューを見る。私の目は一つ目の商品に釘付けになった。
「ぺ、ペンギンパフェ…。」
青色のソーダ味のアイスと白いバイラ味のアイスでペンギンの形が作ってある特大パフェだ。流石に一人て食べ切れる量ではない。
「なあ、香奈。これ食べたいの。」
彼がメニューを指差しながら聞いてくる。
「うん、可愛いから。」
でも、流石にこのサイズを一人で食べることなどできない。おなか的にも、お財布的にもきつかった。仕方が無いので諦めようとした。
「二人で一緒に食べるか。僕も気になっていたし。」
なんていい人なのだろう、この人は。
「りょ、凌也君…。」
「えっ、何。ダメだった。」
「君は神ですか。」
真面目な顔で問う私に彼は吹き出した。
「いや、だって。食べたいの我慢してたんだろ。流石に一人じゃ食べきれないよな、この量。て言うか、ここに二人用って書いてあるし。」
書いてあっても、それに気がついて、私に配慮してくれる彼に胸がときめく。この人はどれだけいい人なのだろう。どうしてこんなにいい人がいじめられてしまうのだろう。私はそのことに不思議で仕方なかった。私の思考を無理矢理止めたのはペンギンパフェだった。定員さんが持ってきてくれた大きなペンギンはとても可愛かった。スマホを取り出し写真を撮る。可愛い。癒されながら思い出を切り取っていく。
「ねえ、一緒に撮りたい。」
彼が少し俯き気味に言う。恥ずかしがっているのが可愛くてその写真を撮った。
「ねえ、今撮った。」
「よし、一緒に撮ろう。」
彼の質問には答えずに彼の意見に賛同して、カメラの視点を変える。自分とペンギンと彼が映るように収めシャッターボタンを押す。
「撮れたよ。」
「送って。ホーム画面にしたい。」
「え、恥ずかしいんだけど。私がして良いなら良いよ。」
「じゃあいいよ。二人でお揃いにしよう。」
お揃いと言う響きが私の脳に浸透する。彼と同じものを持つ嬉しさに気持ちが高ぶった。スプーンで少し掬って口に入れる。ふわふわなのに舌の上でとろりと溶ける。まさに絶品だった。
「んまぁ。」
美味しくてついつい声が漏れてしまった。彼を見ると相当彼の口に合ったのかすごい勢いでスプーンが行き来している。一生懸命になっている彼に笑いが溢れる。カメラを構えても気が付かないのでこっそりと一枚撮る。
「今、撮ったろ。」
彼にバレてしまった。なんと言おうか迷っていると、パシャッとシャッター音がした。
「お返し。」
「今、絶対に変な顔してた。消して。」
「そっちの消したら消してもいいよ。」
「…じゃあいい。」
「いいのかい。」
彼と話しながらこっそり一口。ペンギンが跡形もなく消えるまで、そう時間はかからなかった。
「美味しかった。」
「だな。」
私たちは水族館をまた見歩きながらペンギンを思い出す。泳いでいる本物のペンギンコーナーに着くと笑みが溢れた。
「なんか、美味そうに見えてきた。」
声を出して笑うのを頑張って耐えていたが、彼の一言で我慢しきれなくなった。
「あはは、それ私も思った。」
彼も一緒になって笑う。
「香奈はさ、大学とか決めてんの。」
場違いな彼の質問に少し動揺する。私には子供の頃からエンジニアになると言う夢がある。その過程で行く高校も選び、大学も自分の中では決めてある。
「一応、T大学だけど。」
「そこ、偏差値エグいところじゃん。やっぱり頭良いよな。」
「何でいきなりそんなこと聞くの。」
彼の唐突な質問に疑問を持っていたが、結局直接尋ねる事にした。
「いや、僕将来の夢とかなくて。今、ペンギンの飼育員になろっかなって思ったから。」
彼の思いも寄らない返答にまた笑いが蘇る。
「凌也君がいきなり真面目な話するから、頭を打ったのかと思ったけどそう言うことか。びっくりした。」
「香奈は僕をなんだと思ってるんだよ。」
彼の言葉は私が想像する斜め上を来るので本当に飽きない。また、そんな彼を愛しいと思う。彼が好きだ。隠さないといけない気持ちがどんどん膨らんで来る。爆発寸前の気持ちを抱えることで精一杯な私をよそに、彼は魚を食べているペンギンを目をキラキラと輝かせながら眺めている。そのまま私たちは三十分近くペンギン観察に費やした。
 閉館時刻を伝えるチャイムが館内に鳴り響き、私たちは急ぎ足でゲートに向かう。ここを越えれば彼との時間は終わってしまう。そんな寂しさを抱えながらゲートを出ようとした。
「待って、あと十五分ある。」
彼が私の手を引き戻した。いきなり後ろに引かれて危うく転倒しそうになった私を彼が抱きしめた。
「ごめん、力加減間違えた。」
「あ、ありがとう。」
沸騰しような頭を館内のエアコンが一生懸命冷やす。水族館は私の味方らしい。
「どうしたの。」
なんとか冷静を保つことに成功し彼に尋ねると彼は指を差した。彼が示した場所はお土産ショップだった。
「こんなところにあったんだ。」
「今見つけたから寄って行きたい。」
「ん、いいよ。私も探してたし。」
彼は嬉しそうに笑うとお土産ショップに吸い込まれるかのように入っていった。私も彼を追いかけるようにショップに行くと、予想通り彼はペンギンのグッズのところを見ていた。私は店内をぐるりと見歩くと、ペンギンのシャープペンシルが色違いで売っていた。彼に買ってあげようと思い、それらを持ちレジへ向かう。その途中に中くらいのペンギンのぬいぐるみに目が奪われた。思わず手に取るとふわふわで気持ちが良かった。他にも可愛い物がたくさんあったが金欠なので流石にここでセーブした。彼も買い終わったらしく、残り時間もわすかだったため、館外で戦利品の見せ合いをする事になった。近くの公園のベンチに座り、袋の中からまずあのぬいぐるみを取り出す。
お互いの出したものを見て思わず顔を見合わせて笑った。
「同じじゃん。」
彼と私が持っていたものは同じだったのだから。彼もこの目に見つめられ、我慢ができなかったのかもしれない。このきゅるん目から逃れられるものはいないだろう。自分と彼ぬいぐるみを並べる
「可愛い過ぎる。超可愛い。」
私がぬいぐるみたちをべた褒めしていると彼が尋ねて来た。
「あのさ、香奈って僕のこと可愛いって言ったじゃん。世界で一番可愛いって言ったじゃん。じゃあさ、僕とそのぬいぐるみどっちの方が可愛いと思う。」
思わぬ質問に驚いて振り返ると彼は少し意地悪そうな顔をしていた。彼の冗談はたまにすごい時がある。彼は天然だから、この質問もきっとその影響だろう。いじられたらいじり返したくなる。
「もちろん凌也君だよ。」
私は即座に返す。彼の一瞬動揺した顔を見て、少し達成感を得る。彼に今日はいじられっぱなしだったのでお返しができて嬉しい。同時に、自分の発言が恥ずかしかった。
「ねえ、これ見て。」
話を変えるべく、さっき買った二本セットのシャープペンシルを彼に見せた。
「え、可愛い。それ、どこにあったの。」
「一個あげる。」
私は一本をそっと出して彼の手に乗せた。
「え、いいの。ありがとう。」
彼が大切そうに受け取った。
「実は僕も。これどっちが良い。」
彼が持っていたのはペンギンの二個セットのキーホルダーだった。
「可愛い。こんなの売ってたんだ。」
さっきの彼と同様で私も見つけられていなかった。
「磁石でくっつくんだって。」
彼が水色のペンギンを私の手の上にそっと乗せた。彼は青色のペンギンを大切そうに持っている。
「ありがとう。本当に。」
「それはこっちもだよ。あのさ、提案があるんだけど。せっかくホーム画面お揃いだからさ、このキーホルダーをスマホに付けないか。」
「いいね。」
彼の素晴らしい発想に私は秒で乗った。彼とお揃いのキーホルダーが揺れるスマホを大切に鞄にしまった。日が短くなり、暗くなりつつあったので私たちは駅へと向かった。
「今日も楽しかったね。ありがとう。」
「ありがとうは僕のセリフだよ。僕もすっごい楽しかった。ありがとう。」
駅に着くとちょうど電車が来る時間だったので、私たちは電車に乗り、空いていた席に腰を下ろした。重たい鞄を足元に置くと、一気に疲れが私を襲った。急な眠気に逆らえず、私は気を失うかのように眠りに落ちた。
 「おい、起きろ。僕もう着くぞ。」
彼に肩を揺らされてやっとのことで起きることができた。次は彼が降りる駅らしい。
「うん、ありがとう。」
「よだれたれてるぞ。」
私は、眠の余韻に浸ることなく飛び起き口もとを覆う。彼のニヤニヤした顔を見て、まだうとうとしていた私をしっかり起こすための冗談だと分かった。少し頬を膨らませると彼は楽しそうにくすくす笑った。
「じゃあ僕降りるから。またね。」
「うん、またね。」
私たちは約束が含まれる挨拶を交わす。明日は塾があるため彼と会える。今までは好きでなかった塾が今ではかけがえのない場所になっている。私が考え事をしているといつの間にか自分が降りる駅に着いていた。電車から降りると冷たい風が私の前を横切り、思わず身震いする。指先が冷える。寒いので急ぎ足で家に向かった。
「ただいま。」
「おかえり、今日遅かったね。」
「まあね。」
自室に向かい扉を開ける。いつもの部屋の風景が並んでいた。枕元にペンギンを置く。まだ真新しいそれは見慣れた部屋を変えるのに十分だった。
「香奈、ご飯よ。」
一階からお母さんの呼ぶ声がしたので、私は階段を駆け下りた。
「今日はテンション高いね。なんか良いことでもあったの。」
お母さんに指摘されるくらい私の頬は緩んでいたらしい。でも、彼と私の関係は秘密にしてある。根掘り深掘り聞かれるのは分かっているし、正直に話すのであれば学校での事も言わなくてはいけなくなる。出来れば私の大切な人たちには気づかれることなく穏便にやり過ごしたいと思っているため隠す。たとえ家族であっても私の手の内は全て明かさないと決めているのだから。
「別に。」
いつものような口調で、いつものような返答を返す。
「まま、聞いて。今日学校でね、さやかちゃんと遊んだの。」
咲来が無邪気に話し始めたため私への調査は終わった。咲来が話している隙に私はご飯を終え自室に向かった。鞄の中から教材類を出し整理する。明日必要な教科だけを鞄に詰め込み試しに背負ってみる。
「重い、これが明日から続くのか。」
肩に乗った重みは私の気持ちをどん底に突き落とす。泣いてはいけないと分かっていても、現実と向き合ってしまい目に涙が滲む。視界がぼんやりと霞んでいる。目をこすりなんとか持ち直し寝る準備を進めた。
「きっと、明日は大丈夫。」
布団に入り希望を語る。たとえ、そんなことに意味がないと知っていても、そうしないと耐えきれなかったから。