気がついたら、ここにいた。

目の前には輝く海が広がっていて、
太陽は今も世界を焼いている。

( ここ、どこだろ・・・ )
気がついたら知らない場所にいるというのは
よくあること。だから、別に動揺なんてしない

辺りには人なんかいなくて
みんな涼しい部屋に引きこもっているのかもしれない。

隣の木でセミが喚いていて嫌でも夏を感じてしまう。
夏なんか大嫌いだ。
暑いだけで、陰気な僕には良さなど全く分からない。

「暑いな」
チリチリとコンクリートが焼ける音が聞こえてくる
日陰で涼もうとチャリを押す足を早め高架下まで走って向かう。

「疲れた、」
チャリを止めて一息つく

というかここはどこなんだろう。
時折懐かしさや既視感、
それに類似したものを感じるのは何故なのか。

自分の力でここに来たはずなのに全く記憶が無い

最近は物忘れが特に酷かったがまさか直近のことですら思い出せないのかと自分の頭を少しだけ憎む。

高架下は風通しが良くスーッと風が通り抜ける感覚が
心地よい
足元がふらついたので近くの階段にドタンと腰をおろす

木々がざわめく音、鳥のさえずりや波の音、それらすべてが僕を魅了しこの場所から離さなかった。

ふと、手に持っていた手提げ袋の中をあさってみる。
すると、こぶりな小説が出てきた。

「こんなの持ってたっけ、?」
記憶にない小説だったが表紙に惹かれページを開く。

風がやみ、あたりはページを捲る音しか聞こえない。

「なんか、にてる。」
小説の主人公は、忘れっぽくて、気弱で、なんだか僕に似ている。そう感じてしまうと物語に感情移入してしまい読む手が止まらない

しばらく時間が立ち、
気づけば物語も終盤に差し掛かっていた。
物語の続きを求め次のページを開こうとしたとき

「あ、ここに居たんだ。」
こちらに呼びかけるような声が聞こえた。
知り合いが近くにいるのかと思い顔を上げると
そこには透き通った目をした綺麗な女の子がいた。

知らない子。でも、なんだか、、懐かしい子。

女の子は僕の横に腰掛け名前を呼んだ。

「ゆうや。」

なんで僕の名前を知ってるんだろう。
そんな問いを発そうと女の子の方に目をやるが彼女に対して
感じる不思議な感覚が僕の思考を奪ってしまった

可愛い人だな、と女の子に見惚れていると

「ねえ、何読んでるの。」
女の子は僕に尋ねた。

彼女は僕のことを知っているのかもしれないけれど、
僕は彼女のことを知らない。

正直に話した方がいいのだろうかと俯いていると

女の子は少し青ざめた顔で「まさか、ね。」
とつぶやき、僕の方をじっと見つめた
人と関わることがあまりないのでどうしても居心地が悪い。

「あ、あの、、、」
「ねえ、ゆうや、私のこと、わかる?」

なにか話題を振ろうと乾く喉から絞り出した声は女の子の声にかき消されてしまった。

「えっと、あの、ごめんなさい、わから、なくて、、」
知らない子なのに、なにかを見落としている気がして
どうしようもない罪悪感で動悸が止まらない。

女の子はそんな僕の様子を見て大きく深呼吸をする

何を言われるのだろうかと身構える僕に女の子は一言

「私、ゆうやの彼女だよ。」

そう、言った。

 •
 •
 •

そんなわけない。

こんなにどんくさくて、

ちっともカッコよくない僕に彼女なんて。

さっきまで僕を魅了していた木々のざわめきや波の音はもう聞こえない。

全身に汗がまとわりついていて気持ちが悪い。

僕は、、、夏に。

この場所に、化かされているのかもしれない。



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私はどうやら、生涯を誓った彼に忘れられてしまったらしい。

「は、はは、ごめん、
変なこと言っちゃって、ビックリするよね、ほんとごめんね」

乾いた笑いを発する体とは裏腹に私の心はずぶ濡れで泣きそうになってしまう。

いつかは忘れられちゃうのかな、
そう漠然とは考えていたがいざ目の当たりにしてしまうと動揺でおかしくなってしまいそうだ。

彼は2年前、若年性アルツハイマーだと診断された。
大学1年生の夏だった。

若年性アルツハイマー型認知症とは65歳未満の人が発症する認知症であり、
脳の神経細胞が少しずつ減ってゆき、正常に働かなくなる病気なのだ。

最終的には寝たきりになり意思疎通が難しくなる可能性が高い。

陽気で心の優しい彼だったが大学に行く時間を間違えたり家の場所が分からなくなったりすることが増え父親と病院に掛かったことで診断された。

それを彼の口から聞いた時、もちろんショックだった。
彼といることに責任を持てないなら別れた方がいいのかと考えることも沢山あった。

それでも彼と過ごしてきたのは彼が私に与えてくれる愛情や幸せを上回るくらい私も彼に幸せや愛情を注ぎたいと思ったから。

溢れそうになる涙をぐっとこらえ彼の方に向き直る。

すると彼は口を開いた

「ごめん、君のこと思い出せなくて、、ぼく、なんだかおかしいんだ。」

目に涙を浮かべて声は震えていた。

「だから、さ、僕と君のこと教えてくれないかな。」

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僕はどうやら少々厄介な病気にかかっているらしい
病名はわからないけど脳の病気だって。

僕の記憶力が乏しいのもそいつのせいなんだって少し安心した。

彼女と僕は高校で出会ったらしい

病気にかかる前の僕は明るくハツラツとしていたらしいけどそんな僕はちっとも想像できないや。

彼女からたくさんの思い出話を聞いたけどやっぱり彼女のことは思い出せない。

うつむいてしまった僕を彼女は心配そうな目で見つめる。

「ごめん、やっぱ思い出せないな、」

そう言うと彼女は優しくほほえみ「大丈夫だよ」と言った

でもやっぱり目には涙が浮かんでいて彼女を傷つけてしまった罪悪感でどうにかなってしまいそうだった。

「私はほんとに大丈夫だから、ねえ、ゆうや少し歩かない?」

「え、?う、うん、わかった」

唐突な提案に僕は少し驚いてしまった。

「じゃあ、行こっか。」

病気に掛かる前の僕もこんなふうに彼女に振り回されていたのかな、なんて考えるとちょっぴり胸が痛くなる。

なんでこんな気持になるんだろう、
やっぱり僕、おかしいよね。

僕は彼女に連れられて花畑のある遊歩道に来た。

「なんか、来たことあるかも。」

そうつぶやくと彼女は幸せそうな笑顔で微笑んだ。
そんな彼女の顔を見ていると僕まで口元が緩んでしまう。

花を眺めながら歩いていると彼女がそっと僕の手をにぎる。

僕からしたら、女の子と手を繋ぐなんて初めてで、すごくドキドキしてしまう。
前の僕もこうやって手を繋いでいたのかな、と考えてまたチクリ。

「あ、ゆうや、見て」

彼女が指差す先には各々が立派に咲き誇るひまわり畑があった。

「本当だ、あたり一面、きれいだな。」

「前来たときはなかったんだよ。すごく進化してるね。」

感嘆の声を漏らす彼女の横顔がきれいで、ひまわりなんかそっちのけで彼女に見入ってしまった。

この時間がずっと続けばいいのに・・・

そんな僕のわがままな願いなんて叶うわけなくて、2人で周った遊歩道も終わりが来てしまった。

「ゆうや、家まで送るよ。」

僕にもプライドはあるけど今は彼女を頼らないと。

「ありがとう、ごめんね。」

僕の手を引く彼女の姿は、悲しみを孕んでいて、それでて、しっかりしていて、
こんなにも彼女に想ってもらえる僕は本当に幸せものだ。

「着いたよ」

彼女の笑顔が僕に突き刺さる

あぁ、僕はほんとに鈍いな、今更彼女への想いに気づくなんて。
彼女が僕じゃない僕を好きでいるようで、それに嫉妬して。

気づいたときにはもう遅い。

僕は彼女を忘れてしまうのに。

だって、僕は今日、どうやって彼女に出会ったかですら忘れているのだ。

病気は少しずつ僕を蝕んでいく。

「ゆうや、私、ゆうやに完全に忘れられても、ずっとゆうやから離れたりしないよ。はは、重いかな。」

「そんなことない。きっと僕は君を忘れても、何回も、何千回でも君に恋をするよ。僕こそ重いよね。」

「ううん、そんなことない。」

涙を流しながら君が言う。

そんな君を僕は精一杯抱きしめる。

そう、たとえ僕が君を忘れてしまっても、僕は何千回、何億回でも君と恋に落ちるよ。



幸せに包まれる中僕の記憶が薄れていく。



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気がついたら、ここにいた。

目の前には輝く海が広がっていて、
木々が紅色、黄色に衣替えをし始めている。

( ここ、どこだっけ・・・ )

何故かはわからないけどここは僕の大切な場所な気がするんだ。

「ゆうや!」

後ろを振り返るとそこには透き通った目をした綺麗な女の子がいた。

愛しいな。

恋に落ちる音がした。