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その瞬間だけ、周りの音が聞こえなくなった。
混雑した駅構内で、偶然2人を見つけてしまった。
友達と改札を通ろうとしたときに、偶然目についた。好きな人――それから、その人についての恋愛相談をしていた人。
楽しげな2人はこちらに気づくことなく、そのままどこかへ行ってしまった。
「どうしたの?」
隣にいる友達が不思議そうに訊ねる。友達も知っている2人のことだ。話すか一瞬だけ迷って「何でもないよ」と首を横に振った。付き合ってるとは聞いてないし、変に噂になったらかわいそうだ。なんて、言わなかったのは自分のためかもしれない。少しだけ罪悪感を感じた。
「何線で帰るのがいいかなって。あっちが良さそう」
「内回りに乗るのがいいと思うよ」
なるほど、とうなずく。2人の向かっている先からして鉢合わせることは、きっとない。何も悪いことはしていないはずなのに、どうしてか、心の中で焦りを感じて足が急いてしまった。
何でこんなところにいたんだろう。おかげで友達と買い物を終えて、満足感でいっぱいだったあたしの心は一気に突き落とされた。
その日は家に帰ってから、部屋にこもってようやくあれが現実だったのだと受け入れられた。さっきの映像を思い返して心臓がつかまれたかのように痛み、息が詰まるような感覚に襲われた。
2人って、もう付き合ってるのかな。あたしは何も聞いていない。
ひとりになると思考の逃げ場がなくて、ぼんやりと考えたくもないそれを考え始めてしまった。
涼は、目的によってはあたしとだって2人でどこかへ出かけるし、他の子と出かけることもある。誘われて目的が合えば人数は気にしないような人だ。
だから、まだ付き合ってるわけではないのかもしれない。そうであってほしいと願いたい。
……でも、涼は出かけるときに自分から誘うタイプじゃない。仲が良い友達ですら誘われるのを待ってしまうような、ちょっと面倒な人なのだ。
それを知ってたから、あたしは自分から誘っていた。毎回、わかりやすいくらいに自分からだった。
涼から誘ったとすれば、そうまでして一緒にいたいほどの相手だってことだろう。渚から誘ったとすれば、涼のことが好きだってことだろうか。たくさん相談して、話を聞いてもらっていた。自分がどうなるかばかりに気を取られて、渚が涼をどう思っているか考えたことがなかった。
何にしても、並んで歩く2人はカップルだと言われてもうなずいてしまいそうなほど素敵に映っていた。
数日後の花火大会の日。よりによって、ひとりが来れなくなって渚と涼とあたしの3人で花火大会へ行く予定になってしまった。花火大会の会場に向かう途中のことで、もうどうにもできなかった。さすがにいつもと違った場所へ行くのに涼だけを誘う勇気がなくて、渚にもお願いして4人の予定だったのに。
こんなことなら、2人を見たあの日にあたしもキャンセルしておけば良かった。
涼は学校が違うから休みの日以外ではなかなか会えない。偶然、文化祭に友達と来ていた涼と意気投合して仲良くなった。そこから、何かと理由をつけて会おうとあたしから連絡していた。
この夏休みが終われば、あたしは涼に会う機会がほとんどなくなる。もしかすると今日が最後かもしれないと思うと、断りの連絡を入れることができなかった。
待ち合わせ場所近くのベンチに座り、蒸し暑さにため息をついた。駅前でもらったうちわで扇ぎながら、辺りを見回す。花火大会へ向かう人たちの中に涼も渚も見当たらない。はしゃぐ人たちを見て、あたしもそうでありたかったと思った。
どうしても渚のことが気になってしまう。渚が最近になって彼氏と別れたのも、そういうことだったのかな。
彼氏と別れたあと、渚の元彼から『渚は他に好きな人がいるんだって』とこっそり聞いていた。渚のほうは別れた理由をすれ違いだとあたしに言ったのはどうしてだろうと、ちょっと引っかかっていた。
涼のことが好きだったとしたら納得がいく。あたしが涼を好きだと言って相談してたんだから、渚はあたしに言えなかったんだろう。もし逆の立場だったら、あたしだってとても言えない。
どうしよう。ぎゅっとうちわの柄を握りしめる。会うの怖いなあ。あたしはどうしたらいいんだろう。
涼は夏休みが終わったら勉強に専念するから、なるべく毎日塾へ行くと言っていたし、あたしだって同じだ。勉強をがんばらなくちゃいけない。何かと理由をつけて会いに行っていたのも終わりにしないと。
告白するなら今日が最後のチャンスだと思っていた。次会えるとしても卒業のあたりになるだろう。
どうせ会えなくなるなら、当たって砕けるのもありなのかな。
涼がおすすめしてくれて買った、涼と同じ機種のスマホを出して、苦笑する。こんなところまでお揃いにしたがってしまった。見るたびに思い出さないように、今度は自分で選んで機種変更しよう。
連絡が来ていないか確認するも誰からも何も来ていない。
花火大会で混雑しているせいなのか、はたまた2人とも連絡をしてきてないだけなのか。渚からもうすぐ着くと来ていて、それに対してのあたしの返信で止まっている。既読はついてるから、どちらも読んではいるんだろう。来ない人が読んだだけなのかな。
時計を確認すれば、もうすぐ花火の始まる時間が迫っていた。
約束をしたばかりの頃は今日が楽しみで楽しみで仕方なかった。花火大会について詳しく調べて、集合時間も見る場所もバッチリ決めていた。つい最近なのに、もう遠い昔のことみたいだ。
このままだと、行こうとしてた場所に着くまでに花火が始まってしまう。がんばっても間に合わない可能性もある。
「――ほのか! 遅れてごめん!」
うつむくあたしの耳に、2人分の声が聞こえて顔を上げた。
あたしは息をゆっくり吐いてから「混んでたよね」と口の端を上げた。どうかうまく笑えていますように。
ああ、あたしもう今日はダメかもしれない。このまま帰りたいなあ。帰っちゃダメかな。今なら帰れる。けど、それができるなら、たぶんこの状況になる前に断れている。
2人一緒に来るなんて聞いてない。涼から「暑い中待たせてごめん」と、あたしが最近好きな飲み物を渡されても、素直に喜べなかった。
涼があたしに興味がないのなんて、とっくに知っている。涼の目の前でもよく飲んでいたからって、あたしの好きな飲み物を知るはずない。これは、渚の采配だ。
「人ほんとスゲーのな。連絡しようとしても全然送信されなくて」
「いーよ。花火は始まる前で良かったね」
涼の顔を真っ直ぐ見ることができずに、あたしはそう言った。
「あれ、ほのか浴衣着るのやめちゃったの?」
「あー……うん。妹に貸したら返ってこなくて諦めた。渚は浴衣、かわいいね」
涼に少しでも意識されたくて買った浴衣は、残念ながら今後も出番がなさそうだったので、妹に貸したというよりあげてしまった。
渚に相談して『せっかくだから浴衣着て来たら?』と提案されて決めたからこそ、着ることができなかった。
「それで、花火を見る場所なんだけど――」
予定していた場所に行ってる時間はないことを伝え、屋台がある通りまで行くと人がさらにすごそうだということで、このまま花火を見ることにした。
ベンチに座って、花火が始まるのを待つ。あたしの隣には涼。その隣には渚。
何も話さなくても心地よかったはずの空間が、いつもと違って張り詰めたものに感じられた。もうどうやっても、2人を見かける前のあたしには戻れそうもない。好きって厄介だ。友達のことなのに、黒い感情が湧いてしまう。
「あ、もう始まってる?」
涼の呟きに「ほんとだ」と渚が明るい声を出す。あたしは、夜空に広がる花火にため息をかき消してもらうことにした。
3人でいて、楽しかった頃が恋しい。今は喉の奥がぎゅっと狭まっているような苦しさを感じてしまって、逃げ出したい。それなのに、この時間が終わらなければいいのにとも思ってしまう。
隣に涼がいて、あたしの隣で、あたしと同じように花火を見ている。
その事実がどうしようもなく、愛おしくて、悲しい。同じ花火を見ているだけで、気持ちは重ならない。
「えっ何!?」
変な声を上げてしまった。花火も中盤に差し掛かった頃、フラッシュの眩しさに目をぱちくりさせる。
「あ、わり。光っちゃった」
見れば涼がスマホをこちらに向けている。驚いて反応できずにいると、涼はくすくすと笑った。
「完全に油断してた。それなら、あたしもせっかくだし涼のこと撮っとこうかな」
あたしもスマホを出してカメラを連写に設定する。それから、花火そっちのけで涼を撮った。カシャカシャとあまりに連写してしまって、ぶれてばかりの涼の写真に笑っていると涼からまた撮られた。
「動くなよ。ほのかブレるだろ」
「ちょっと、今動いてなかったんだからね。撮るならちゃんと撮って! っていうか、渚も笑ってないでこいつ何とかしてくれる⁉」
あたしはケラケラと笑う渚のことも連写して、こっそり画面に2人の姿を映していた。しばらく撮ってから確認すると、うまく撮れているのもあれば、目を閉じているのもあったり、半目だったり。面白い写真がたくさんフォルダに溜まっていた。
それを一緒に見て笑い合う。気まずさを完全に忘れることはできなくても素直に楽しいと思える時間だった。
「はー、マジ笑った。ほのかも渚も可笑しすぎ」
「あははっ。もう涼、途中からキメキメでポーズとるんだもん。ほのかもノリノリだし」
「ほんとにね。渚だってポーズとるから面白いの撮れたよ」
2人が花火に視線を戻したのを横目に、あたしは満たされた気分になっていた。
涼のことが好きで、渚のことも好きだ。この2人と一緒にいるときの雰囲気も好きだった。
それは例え渚が涼を好きで、涼が渚を好きだったとしても変わらない。これまで楽しかった時間がなくなってしまうわけじゃない。
たくさんの思い出があるから、そのひとつひとつを大事にできる。それがあれば、あたしはもう、それで充分じゃないかな。
「わたし、飲み物買ってくる。自販機そこにあったから。2人は何がいい?」
渚が急に立ち上がって、花火に背を向ける。
じゃあ俺も、と立ち上がろうとする涼の肩を渚がおさえて、「適当に買ってくるね」と行ってしまった。あたしも行く、とはまったく言う隙がなかった。
急に2人になると思っていなくて、意識したとたんに右側だけが火照ったように熱くなった。ちらっと隣に目をやると、涼はまた花火の写真を撮っている。あたしといても緊張感ゼロ。それが嬉しいやら悲しいやら。
「はー……夏休み終わってほしくないなあ」
ほんの呟き程度の大きさの声。花火で涼の耳までは届かないだろうと思ったものの届いたらしく、涼が「俺も」と小さく笑った。
それだけで、胸がぎゅっと締め付けられたように苦しくなる。何の苦しさなのか、よくわからない。
あたし涼が好きだったんだな、ってしみじみと思う。涼が、あたしにとっては一番近くにいる人だった。あたしに気づいてくれて、あたしの世界に色をくれた人。
好きだって自覚したとき嬉しかった。渚に打ち明けたとき、応援するって言ってくれて嬉しかった。
おしゃれを意識し始めたのも、苦手なメイクも、お菓子作りを始めたのも、興味のなかったことに興味を持ち出したのも。全部全部、涼に少しでもかわいいと思われたかったから。少しでも涼と共通点がほしかったから。
涼に次会えるときまでにがんばろうと過ごす毎日が愛おしかった。会えた日はドキドキして、帰り道は反省して。それを渚に話すと元気をもらえて、楽しかった。
恋を知らなかったあたしが、好きという感情がこんなにも素敵で、大変で、一喜一憂を繰り返すものだと知ることができただけでも良かった。そういうことにしよう。
涼がいて、渚がいたから、確かにあたしの“今”がある。
「ねえ、涼」
あたしは、涼と渚の味方でありたいと願っている。
すぐに気持ちを切り替えることはできないし、ショックな部分はもちろんある。色んな気持ちになってまとまらないけど、一番に応援したい。
だから、花火が終わる前に。この夏が、あたしの夏が終わってしまう前に。……最後に。
「渚のこと、どう思ってる?」
言わせてほしい。2人の背中を押せるのが、あたしであるといい。せめてもの、身勝手な感情。
「え?」
突然のことに驚いたように、カメラをおろしてこちらを見る涼。そんなに目を見開いて驚かなくても、と思わず笑ってしまう。
あたしだって、ついさっきまでこんなことをするつもりはなかった。いつもみたいにふざけて、笑って、そのまま会わなくなればいいかなと思ってた。
もし渚と涼が付き合ってる、もしくは近いうちにそうなったと知ったとき。あたしは何もしなかった自分を後悔するだろうと思ったし、行動しないことを選んだのは自分なのに渚を嫌いになってしまう。渚は悪くなくても、あたしの勝手な感情で。
そんなのは絶対イヤだと思った。渚が帰ってくる前に、ぜんぶ終わらせてしまおうと思った。何となく叶わないとわかっていた、この恋に終止符を打ちたかった。想いを伝えることではなく、涼の気持ちを確認することで終わらせるのはずるいかなあ。
「渚のこと、好きなんだよね?」
ここで気持ちを伝えたところで、変に気を遣わせたくない。告白する勇気がなかったとも言えるけど、涼の気持ちを確認するのだってかなり勇気がいることだった。なんて、言い訳がましいことを頭の中で並べているうちに、涼が「ほのかにはバレたか」と小さく笑った。
「あたしの目をごまかそうと思ったってそうはいかないよ。告白しないの?」
全然気づいてなかったくせして、我ながらえらそうな口ぶりになってしまった。涼はさほど気にする様子もなく、あごに手を当てて唸る。
「どうなんだろ。俺だけの気持ちが突っ走って、キモいとか思われたら嫌だし。受験終わるまではこのままでもいっかな」
今はまだ、泣くときじゃない。背筋をしゃんとして、凛としていたい。泣くな。がんばれ、あたし。涙をこらえて、自分で自分を奮い立たせる。
「受験終わるまで渚が待ってくれるとは限らないでしょ」
「それもそうだな。え、ほのか的にはどう? 俺、脈あると思う?」
「さあ。あるんじゃないかなあ」
「てきとーだな」
花火がまぶしくて、うつむきながら「絶対なんて言って違ったら困るでしょ」と言った。
「涼に罰金とられそう」
「とらねーよ。けど、ちょっと勇気もらった」
「そこはばっちり勇気もらいなよ」
「いやー、ちょっとだな」
がんばれの活を入れるため、涼の肩を叩く。顔を上げて涼と目が合うと微笑まれた。この笑顔が好きで、彼女になりたいと願った。
彼女になれるのは、あたしじゃない。でも、少しだけ背中を押すことはできた。
「ただいまー。買ってきたよっ」
「ありがとう。あ、えっと。あたしもう帰るね!」
渚が帰ってきたタイミングで、ジュースを受け取ったあたしは笑顔のままでそう言った。
「えっ」と声を出した涼にあたしは親指を立てて見せる。口パクでもがんばれと伝えた。大きくうなずいた涼の目が覚悟を決めた色をしていた。
もしかすると、もう二度とあたしはこの2人を見ることはないのかもしれない。
「ほのか、ありがとう。気をつけて。また今度!」
また今度。またがあると思ってくれているんだ。また会いたいと思ってくれるくらいの友達の距離。それがちょうどいい距離だった。
充分すぎるくらいしあわせな時間をたくさん過ごせたって、いつかあたしが今日を振り返ったときには思えたらいい。
今はまだ、いくら良しとしようとしたところで、何もかも苦しくて、どうしようもないから。いつかの未来に期待をのせておくことにしよう。
「渚、あのね」
「うん? 何で帰るの?」
まだ花火は綺麗に咲いているのに、帰ると言い出したあたしに渚の眉は下がっていた。不安そうに見えるのは、あたしの気のせいじゃないだろう。
「あたし、渚の味方だからね。ちょっとダメな味方だけど、がんばってほしいって思ってるからね」
渚は目を見開いたかと思うと、口は開くのにうまく言えないらしく、みるみるうちに大きな目が潤んでいった。
「ごめん……っ、ごめんね」
そのごめんねで、改めて渚は涼が好きだったんだとわかる。あたしのほうこそ、謝りたい。
好きなのに言えないまま苦しめてしまった。あたしの相談にのってくれて、応援してくれていたんだ。あたしの話を聞いていて、つらかったこともたくさんあっただろうに。
だけど、あたしはごめんねとは言わなかった。何も返事をせず、ただうなずいた。あたしの謝罪は、渚のこれからに邪魔なものだ。
「じゃあ、またね。元気でね」
最後まで笑顔で2人に手を振って、その場を離れた。
あーあ。最後くらい、かっこつけられてたらいいなあ。
帰りの電車から見えた遠くの花火は、泣きそうなくらい綺麗だった。