広めの古民家をリフォームして作られたこの民宿『みかみ』は、一階が僕ら家族の居住スペース兼スタッフルーム。二階は全て客室となっている。一部屋八畳ほどの部屋が三つ。
売りといえば宿泊費の安さと遠くに海が見えるくらいなもので、お客の大半は釣り人か、一癖二癖ある変わった人ばかりだ。
「えーっと、〈食べ終わる頃に食器を下げに来ます。ごゆっくりお過ごしください〉——翻訳っと」
「Bien gracias‼ アリガトゴザイマス!」
今日の客は物好きな若いバックパッカーが一人。スマホの翻訳アプリのおかげでなんとか接客できるが、文化や宗教の違いで面倒事になることも稀にあるから緊張感がある。去年「メッカの方角はどっちだ」と急に聞かれて戸惑ったことを思い出す。最終的には何故か一緒にお祈りをさせられた。
今回はとりあえずそういったイレギュラーはなさそうだ。
「アリガトー」と手を振る青年にお辞儀をして部屋を出る。主だった仕事が終わってふぅと一安心の吐息が漏れた。
マニュアル化された接客上のやり取りは同級生との日常会話ほど気疲れしないが、それでも心は摩耗する。
「佳樹、少しは部屋片づけときなさいよ」
食卓で残り物の煮物と刺身の切れ端を口に運んでいると、母が呆れたようにそんなことを言ってきた。
普段から客室の掃除には口うるさいが、僕の部屋について何か言ってくるのは珍しい。
「え、何急に」
「急じゃないわよー! 明日から“おてつたび”で大学生の子が来るって言ったでしょー? あんたの部屋には入らないだろうけど、見られても大丈夫なくらいにはしときなさいよ。特に本、足の踏み場もないんだから」
「……はいはい」
そうだった。完全に忘れていた。最悪だ。
おてつたび、名前の通り「お手伝いをしながら旅をする」というコンセプトで主に観光地の宿泊施設などで始まったサービスだ。
施設側は宿を、手伝う側は労働力を提供することでウィンウィン——当然空き時間は自由に過ごすことができる——という数ヵ月前に母から聞いた概要を思い出す。サイトを見てみるとやはり全国有数の温泉街とか、リゾート地だとかが人気なようだった。
温泉も出ず、有名な観光地でも何でもないこんな辺鄙な土地の民宿にわざわざ来るなんて人は相当な好事家だ。実際、母がおてつたびの受け入れ宿として登録してから数ヵ月は全く応募者が居なかった。
「どんな人なの」
一応聞いてみたが、相槌のようなもので実際のところ大した興味は無い。
こんな催しに乗る時点で社交的で意識が高くて行動力と決断力がある——僕の対極にいるような人だろうと予想はつく。
「メッセージでしかやりとりしてないからそんなの分かんないわよ。シキさんって子で東京の大学通ってて……そうそう、すごく丁寧な文章でね、あたしの方まで畏まっちゃうくらい。あんたと気が合う感じの子だったりして。あっ、畏まるといえばこの前のお客さんで——」
お得意の会話の急カーブによっておてつたびの話は突然終わりを告げた。
母はこの家で唯一社交的でおしゃべりだ。東京のおばあちゃんは「赤ん坊の頃から黙ってる時間の方が短かった」と言っていた。この民宿も、せっかく引っ越すならと母がほぼ独力で始めたことだ。凄まじい行動力である。
多少がさつで騒がしいが、僕は母を尊敬している。
母のマシンガントークに適当な相槌を入れながら、斜めの席で静かにビールグラスを傾ける父に視線を向ける。それに気づいた父はグラスに口を付けたまま小さく肩を竦めて見せた。
そして目配せで「気にせず行け」と伝えてくれる。少なくとも僕はそう解釈したので、それに甘えることにした。父は寡黙だが、僕と思考が似ているから何となく連帯感がある。
「ごちそうさま。客室見てくる」
「はーい。ありがとね」
お客さんの食器類を下げれば仕事も終わりだ。特にトラブルなく、今日の業務は終了。
好きなだけ本を買うために始めたこの手伝いも、三年目ともなれば新鮮さも抵抗感も薄い。明日から始まる夏休みの過ごし方——ほぼ、どの積読から手を付けるか——を考えていたらあっという間だった。
自室へ入り、床に散らばる本を躱して布団に飛び込む。シャワーは帰ってすぐに浴びたから良いとして、薄目で見る自室は母の言う通り確かに少し部屋が散らかっている。これは人が来るとか関係なく整理するべきだ。
頭ではそう思うのだが、どうにも身体が重い。それに、そよそよと吹き込む夜風が何とも気持ち良い。心地よさの中でボーっと今日の反省と明日以降のことを考えている内に抗い難い眠気に襲われ、そのまま意識は徐々に泥濘に呑まれてしまった。