-「なに書いてるの?」

あどけない少女の顔を覗かせて、横に座る彼女がそう僕に尋ねてきた。
僕は、それに内心ドキッとしながらも、平静を装って応える。

「まだ何にも。.....先生がさあ、無茶なこと言ってきてさあ。」

「無茶?」

「そう。頭の中に出てきたもの、何でもいいからノートに書き出してこいって。」

「ふうん。それはなに?夏休みの宿題の日記みたいな感じ?」

「違うよ。あーでも、そんなようなもんなのかな?時期的に。うん、やっぱそうかも。」

すると彼女は、「なにそれー!なんかふわっとしててウケるー!」と笑ってみせ、次に悪戯っ子の笑みをして言った。

「じゃあさ、私のこと書いてよ。」

「えー。嫌だよ。」

「えーなんでよぉー。傷つくー。」

「....なんで君のこと書かなきゃいけないのさ?」

「なんでって....。だって、先生が言ってたんでしょ?何でもいいからノートに書き出せって。」

「...そう、だけど.....。だけど、君のことは、なんとなく....書きたくない。」

「なんで?その心はっ?」

僕は、口説いてると思われたくなくて「その心」を隠すことにした。

「なんだって良いでしょ。」

「あーそー。でもさ、実際問題。何か書かなきゃまずいんじゃないの?まさか白紙で出すわけにはいかないでしょ。」

未だに一文字も書かれてない真っ白なノートを指差しながら彼女は言った。
僕はそれにつられるように、ノートに視線を落とす。
うん....。ホント。どうしようか。

「こうなったら、テキトーにスイカの絵でも描いとくか。」

「あー夏だからねえ。.....って、おいおい。こいつテキトーに書いたな?ってバレバレやぞ?」

「だよなあ。何か良い案ない?」

「えぇ!?私に聞くぅ!?」

「頼むよぉ〜。サナエもん。」

「しょうがないなあ〜、のび太君。」

ふふっと笑って、「じゃぁ~、」と彼女は目の前に広がる河川を見て言った。

「キラキラ。」

「キラキラ?」

「そ。水ってさ、日の光にあたるとすっごくキラキラして見えない?」

僕はそう言われて、河川の水面を見る。
まあ、確かに日の光に反射してキラキラしてるけど。でも、それがなんだっていうのか。

「直人にとって、キラキラしてるものってなあに?」

「え?」

「あるでしょ?一つくらいは。直人がキラキラしてるなあ〜綺麗だなあ〜って思うもの。まずはそれを書いてみたら?ねえ、直人が思うキラキラしてるものってなあに?」

「そりゃぁ...」

「君だよ」と言いかけたのを慌てて抑えて、わざとらしく「そうだなあ.....」と顎に手をあてて考える。

「宝石、とか?指輪?あ、でも、分類的には一緒か....。うーんと。貴金属。」

すると、やはり。彼女は呆れた目をして言った。

「そういう意味のキラキラしてるものじゃなくて..。うぅーん。なんていうか....人の心、とかさ。」

それを聞いた途端、自分でもビックリするくらいの低い「はぁ?」という声が出た。

「人の心?何言ってんだお前。」

「.........」

「人の心なんか、綺麗なわけないだろ。」

「...じゃあ、」

「?」

「じゃあ、何で私は生まれたの?」

さぁっと生暖かい風が、僕ら、いや、僕に吹いた。


―そう。僕と会話してる彼女は、僕が妄想で生み出した人物だ。実際にはいない。存在しない。

いつ頃だったけ。彼女が出てきたのは。

「あれはねー。直人が中学の頃ひどいいじめにあった頃だよ。」

今までの重苦しい空気は何だったのか。いつもの明るい口調で、彼女、サナエは言った。

「ああ、そうだった、ね....」

思い出したくもないが。確か、その頃だった気がする。

「あの頃の直人、すっっごい卑屈で暗くてさー。なに話しかけても無視か、やっと喋ってくれたと思ったら"うるさい"だの文句ばっかりで。へーこらしましたぜ!」

「.......」

「でも、今みたいに普通に話せるようになって。こうやって外にまで出られるようになって。成長したよね!」

「.......」

笑って言う彼女に、だけど僕は笑い返せなかった。
代わりに、すごく喉が渇いたので、さっき自販機で買った天然水のペットボトルの水を一気飲みする。

「おいおい。ちょっと一気に飲み過ぎじゃあないの?大丈夫?」

「.....大丈夫。夏なんだから、これくらいの水分補給は普通だよ。」

そして。ノートに「キラキラ」とだけ書く。

「...なあ、今更、なんだけど、さ。なんで、サナエは出てきたんだっけ。」

「ふふっ、なんでだと思う?」

そんな「いくつだと思う?」的なノリで言われても...。

「質問を質問で返さないで欲しい。」

「ごめんごめん。でも、その話しをするんだったら、さっきのキラキラしてるのは人の心っていう話しに戻るけど、それでもいい?」

「それが分からない。なんでそう言い切れるの?」

「んー。それは、私が、"直人の中のキラキラ"だから?」

「は???」

サナエは時々こういう意味不明なことを言うから困る。

「じゃあ、逆に聞くけど。直人はなんで人の心はキラキラしてない、綺麗じゃないって言い切れるの?」

「そんなの決まってる。自分自身含め、人間なんて、どす黒くて、醜くて、汚い心の奴らばっかりだからだ。」

「....本、当に?本当に、そう.....思ってるの?直人...」

「?」

今までとは違う、少し震えた声がしたので、不思議に思って彼女を見てみたら、なんと、彼女は頬を伝わらせて涙を流していた。

「えっ!!!?ちょ、え!!?え!?え!!?ちょ、なんで....なんで泣いてんのっ!!?ちょっと!!!」

ハンカチ!は、持ってない!タオルなら、トートバッグに入ってるが、いや、そもそも妄想の中の存在に涙拭くものを渡しても意味ないか!?

「ごめん...。でも、直人自身含めて汚い心って言われて、じゃあ私は一体なんなの?って思っちゃって....。なんか、存在否定されたみたいに感じちゃって....。すごく、悲しくなっちゃって...」

「...........」

<あーあ。女の子なーかした。いーけないんだ♪いけないんだ♪>

突然、頭の中に第三者の声がしたので、何だ?誰だ?と声のした方に顔を向けると。
そこに、僕が乗ってきた自転車が一台。

「...お前か。」

<そうです。ボクが言いましたが、何か?>

「何か?じゃない。今まで何にも発言してなかったくせに。何でサナエが泣き出した瞬間に..」

<ボクがいつ何を言おうが、べつに良くないですか?そういうとこですよね。直人さんが今でもぼっちな理由って。>

「よし決めた。前輪後輪パンクさせて、もう二度と走れん体にしてやる。」

<べつにいいですけどー?それやったら、後で困るのは直人さんなのもお忘れず。>

ムカつく!ただの自転車のくせして、くそムカつく!!!!

<ほら。ボクに悪態ついてる暇あるなら、彼女に何か、ごめんねとか謝罪の言葉でもかけておやんなさいよ。気が利かねえ主人だなあ。あー、あと、気が利かないといえば、自転車を日向に置くなよ。座った時、めっちゃくちゃあっちぃぞ。尻、ヤケドしますよ?まあ、直人さんが尻、ヤケドしても、こっちとしては"ざまぁ"としか思いませんけども?あ、あとそれと。タイヤも日に当たりすぎると、>

僕は、くそうるさい自転車をガッ!と両手で掴むと、日陰へとぶん投げた。
当然、ぶん投げられた自転車は、ガッシャーン!と派手な音をたてて、その場で寝転ぶ。

「....これでいいか?自転車。」

<......直人さん、自転車をぶん投げちゃいかんよ...。周りから見たら、狂った人と書いて、狂人に見えますよ?>

「黙れ。走るだけの鉄の塊。それ以上僕を怒らせたら、お前をここに捨て置いて、僕は歩きで帰るぞ?」

<不法投棄!ダメ!絶対!>

くそムカつく自転車が何か言ってるけど、今はそれよりも、と、彼女の方を振り向く。
が。いつの間に消えたのか。そこにサナエの姿はなかった。

「.......」

すると。頭の中で遠く小さくサナエが言った。

ごめんね。今は、落ち着くまでそっとしておいて...

「.......」

ああ。やっちまった。やらかした。
僕はその場にがっくりと座って項垂れた。
.....サナエのことだ。謝るから出てきて欲しいと懇願しても、きっと応答してくれない。

「.......」

ふと。視界に、「キラキラ」とだけ書いてあるノートが入る。
そうだ。こいつを何とかしなくちゃ。でも、何を書けば.....

すると。さっきサナエと会話したことが頭に思い浮かぶ。

『直人がキラキラしてるなあ〜綺麗だなあ〜って思うもの。まずはそれを書いてみたら?』

「.........」

<〜♪川は〜ながれ〜て、どこどこいく〜のぉ〜?♪>

『ねえ、直人が思うキラキラしてるものってなあに?』

「.........」

僕はほぼ無意識にペンを取り、ノートに「サナエ」と書いていた。

<泣きなぁ〜さぁ〜い〜♪笑い〜な〜さぁ〜いー♪いつの日〜かぁ〜いつの日〜かぁ〜♪んふふふふんふ〜ん♪♪>

「うるせえよ!!!!さっきから!!!あと歌詞忘れてんじゃねえよ!!!」

僕は、さっきから雑音のごとく入ってくる下手くそな歌の主に向けて怒鳴った。
が。それがいけなかった。怒鳴った直後。「え!?なに!?」と現実(リアル)で声がしたから。

「...ぁ..」

見ると、部活帰りらしき女子中学生が、僕のことを驚愕、いや、違うな。恐ろしいもの、気持ち悪いものでも見るような顔で見ていた。

「っ!」

僕はノートやらを俊敏な早さでバッグに仕舞いこみ、倒れている自転車を起こし、それに跨がると、その場から疾走した。

「お前のせいだからな。」

自転車を漕ぎながら、そんなことを元凶に呟くと、全く反省してない<ごめんねごめんねー!>が返ってきた。

こいつ。マジでどこかに捨て置きたい。


***********


「直人君、この"くそうるさい自転車"っていうのは?」

河川敷で泣かせてから、サナエは数カ月出てきてくれなくなった。

「直人君?」

理由は分かってる。僕の失言が原因だ。
だけど、あれからずっと考えているが、なんでサナエが泣いたのか、ずっと分からない。

「直人君、もしかして具合悪い?大丈夫?」

僕は、なんて言えば、なんて謝れば許してもらえるんだ?
それとも、あそこで嘘でも、「うん。サナエの言うとおり、人間の心はキラキラしてて綺麗だね。にこっ。」とでも言った方が良かったのか?

「直人君、」

いや。そんなこと言ったら、悲しませるというよりも怒らせてたんじゃないか?どちらにせよ、バットエンドじゃないかくそっ。

「あー!くっそ!!」

「!」

苛立ち紛れに、思いきり自分のももを叩くと、心療内科の先生がビックリして背筋が伸びたのが分かった。それでようやく僕の意識は現実(リアル)に戻る。

「ぁ」

「あ、ごめんね。何か私..怒らせちゃったかな?」

「あ、いや..。すんません。考え事してました。」

「あ。そうなんだね。でも、ありがとうね。ノートに色々書いてきてくれて。」

と。先生はノートを軽く持ち上げて笑ってみせる。

「はい....」

「それで、この"くそうるさい自転車"っていうのは....」

「ああ、それは、あの、色々..自転車がうるさくて....人が集中してるのに大声で歌ったりしてて....」

「うんうん。あれだよね。べつに誰かに自転車でチリンチリン!ってベル鳴らされたわけじゃないんだね。ほら。たまにいるじゃない?しつこく自転車のベル鳴らしたり、車のクラクション鳴らす人。私もああいうの苦手でねえ。そういうんじゃない?」

「あ。はい...。」

先生は「そっか。よかった。」と安心した顔を見せ、次の話題へと移る。

「この"サナエ"、さん?というのは?」

「!!」

今度は僕が緊張で背筋をピンと伸ばす番だった。
しまった!あれから消すのをすっかり忘れてた!!

「あーーいや、そのぉ〜〜.......なんというべきか....。あー....えぇ〜と...。あは、あはははっ。」

「何か聞いちゃまずいことだったかな?」

ヤバイ!これじゃあ、なんかエッチなことでも空想してたのか?こいつ。とか思われるじゃないか!それだけは絶対にイヤだ!!

「さ、サナエはっ!サナエ、さん、は、あの、僕の....ぼ、ぼくの、あの、き、キラキラ.....してる、してるもの、で....」

「キラキラ?あー、そういえば、ここに"キラキラ"って書いてあるね。キラキラとサナエさんは繋がってるんだね?」

「まあ.....はい、そう、です...ね...」

答えながら、先生が言った"繋がっている"という言葉になぜだろう。ん?と引っ掛かった。

....サナエとキラキラは、繋がっている....?

「...........」

「直人君?大丈夫?」

「え。あ、はい....」

「....うん。じゃあ、今日はこのくらいにしとこうか。薬は、いつものやつでいいよね?あ。ノートはこのまま続けてもらっていいかな?できる範囲でかまわないから。」

「はい....。」

そして僕は靄がかかった頭のまま、診察室を出て、会計の待合室のソファにすとんと腰を下ろす。

サナエとキラキラは、繋がっている.....?

分からない。なぜ、そこで僕は引っ掛かりを感じている...?


【それは、私が、"直人の中のキラキラ"だから?】

分からない。

【でも、直人自身含めて汚い心って言われて、じゃあ私は一体なんなの?って思っちゃって....。なんか、存在否定されたみたいに感じちゃって....。すごく、悲しくなっちゃって...】

分からない。

【直人はなんで人の心はキラキラしてない、綺麗じゃないって言い切れるの?】

それは...みんな、汚いから。綺麗じゃないから。

【...本、当に?本当に、そう.....思ってるの?直人...】

「.......」

そういえば、最期に見たサナエの顔は泣いてる顔だったな。
どうせ最期に見るなら、明るく笑った顔が良かったな....
そう。僕が一番好きな、サナエの笑顔。

「もう一度だけ、見たいな...」

なんて思うのは、厚かましいことなのかな。

「っ.....」

「お兄ちゃん、これ、あげる。」

何かに押し潰されそうになった時だった。
急に視界に小さい手のひらに乗ってる飴玉が現れた。

「は....」

顔を上げると、3,4才くらいだろうか。女の子が意を決した顔で、僕に飴玉を差し出していた。

「ぇ....」

「あげる!これ食べたら、元気になるよ!」

「..........」

すると、その子の父親だろうか。隣に座っていた男の人が「すいませーん。」と申し訳なさそうに謝り、すぐに女の子を引っ込ませようとした。

「.......」

が。何か思い悩んだ間を取ったかと思うと、「あの、」と再びこちらに向き直った。

「大変、不躾なお願いだと重々承知なんですが。ここはどうぞ一つ、もらってやってくれませんか?」

「...えぇっと....?」

「あのね!お兄ちゃん、わたしのお母さんとおんなじ顔してるからね!お父さんがね、元気がない時は、この魔法のアメ食べると元気になるんだよって言ってね!ゆみもね!食べたら元気になったから、お兄ちゃんにあげる!」

すると。次に父親が、捕捉するように言った。

「この子の母親、実は今うつ病で、ここに通院してるんですけど...。この子が、何かお母さんの力になれないかなってすごく思い悩んでいたので、つい私が"魔法の飴"のことを話したら、すっかりその気になってしまって...。」

ああ。なるほど。
すっかり信じ込んでいる娘の手前、「魔法の飴なんて嘘なんだよ。」とは言えないから、ここは一つ嘘に付き合ってくれ、と。そういうことか。

「....ありがとう。」

「食べてみて!元気になるよ!」

「うん。あとで食べさせてもらうね...」

「ダメ!今!今食べて!今じゃないと、魔法消えちゃうよ!?」

え。この飴の魔法って期限あるの?

「優美。お兄ちゃんに無理言っちゃだめだよ。お兄ちゃん、困ってるでしょ?」

「でもゆみ、お兄ちゃんが元気ないから、魔法のアメ食べてほしいのぉー!」

「でもお兄ちゃん、困ってるから...。あとでちゃんと食べてくれるって言ってるし、渡しておわりにしよ?ね?」

「んーーーーん!!!」

赤い風船のように頬をぷくっーと膨らませ、目がうるうるとなっている。端から見てもすぐ分かるほど、優美ちゃんはもう大泣きする寸前だ。

病院内で大泣きされては、この男の人も僕だってたまらない。すかさず、僕は「わかった!じゃあ、今食べる!食べるよ!」と言って、飴の包み紙を開け、飴玉をパクリ。

「.......」

うん。甘い。いちごみるく味だ。

「ね?元気出たでしょ?」

「っ!」

優美ちゃんが満足そうににこっと笑った顔を見た瞬間。僕はほんの一瞬だけ息をするのを忘れた。

だって、優美ちゃんとサナエは似ても似つかないのに、その時サナエがダブって見えたから....

「.......」

「お兄ちゃん?大丈夫?どこかいたいいたい?」

「!だ、大丈夫ですか!?もしかして、甘いもの泣くほどお嫌いでしたか!?すみませんっ!無理言ってしまって!!」

え。泣く?誰が?

と。同時に。自分の頬に、何か液?みたいなものが流れたのが感じ取れた。試しに、それを手で拭き取ってみる。

え?もしかして、これは涙?僕、今、泣いてるのか?

「....あの、どうぞ、よかったらハンカチ使って下さい。」

優美ちゃんの父親らしき人は、そう言って、僕にハンカチをくれた。
僕は、ものすごく小さい声で、「すみません。」と言うのがやっとだった。

やがて。その親子は看護師さんに呼ばれ、男の人は僕にペコペコ頭を下げつつ診察室へと消えた。

「.......」

あとには、甘い甘いいちごみるくの味だけが口に残った。


******

<♪あま〜いメロディ〜♪風にのれば、んふふ〜♪みーつめるキャッツアイ♪>

「...なんでキャッツアイ?」

僕は小さくなった飴玉を未だに口の中で転がしながら、漕いでる自転車に問う。

<だって、心奪われちゃったんでしょ?直人さんがぁ〜、今舐めてる飴をくれた女の子に!>

ぐふふ、と気持ち悪い笑いをした後、自転車は某怪盗アニメに出てくる刑事の声マネをして言った。

<彼女は、とんでもない物を盗んでいきました。....あなたの心です。>

「バカか。」

悪態をつきながら、今度はちゃんと自転車を日陰に停め、例の河川敷に腰を下ろし、ノートを開く。

「.......」

<直人さーん、暑いんだから、こんな外じゃなくて、図書館とかで涼みながらすれば?>

「図書館は人の目があるからイヤなんだ。それに、今、飴食べてるし。」

<じゃあ、自宅!家は?>

「母さんがいるからイヤだ。」

<ワガママー!>

さて。今日、思い浮かべた物。なに書こうか。
僕は、ノートに「病院でもらったいちご味の飴、すごく甘かった」とだけ書いてみた。

「...いや、これじゃあ、ホントに夏休みの日記じゃんか....。」

と。自嘲気味に笑った時だった。

「なんだなんだー。なんか一人で楽しそうじゃないか、少年。」

「っ!」

すごく聞き慣れた、いや、すごく聞きたかった声が、すぐ横から聞こえた。

「.......っ、さ、ナエ.......」

居たのだ。ずっと会いたくて、ずっと話したかった、あのサナエが。 僕の横に。
上は白いブラウス、下は黄色いパンツを穿いた、いつもの格好のサナエが。

「お久しぶり。直人。」

さぁっと、生暖かい風が僕を揺らした。


「っ、サナッ...、」

「ちょっと待った。」

ようやく、感動の再会!と、思ったら。手のひらを見せられストップされた。

「はえ?」

「色々直人も言いたいことあるだろうけど、まずは謝ってほしいな。直人自身含め人の心は綺麗じゃないって言ったことについて。」

「....ドウモスミマセンでした。」

すると。サナエはにこっと笑い。

「直人君はあれかな?今度は私を怒らせたいのかな?」

あ。サナエの額に怒りマークが見える。

「...いや、だって、わかんないんだよ...。考えても考えても。キラキラってなんだよって。人が綺麗じゃないなんて、僕は嘘でも言えない。感じない。」

また悲しませてしまっただろうか?と、サナエを恐る恐る横目で覗うと、サナエは悲しそうな、静かな微笑みをしていた。

「...........」

「...ま。仕方ないことなのかもね。直人が、そう思っちゃうのは。」

表情を隠すように、サナエはそう言ってクルッと僕に背を向けた。
その行動が、なぜだろう。泣かれるより、ズキッと心が痛んだ気がした。

「じゃあさ。あの女の子はどうだった?直人から見て。心がどす黒く見えた?汚いものに見えた?」

サナエが、僕に背中を向けながら問う。

「あの女の子って.....。飴玉くれた子?まさか、それを聞くためにわざわざサナエは出てきたの?」

いつの間にか全部舐め切ってしまった飴の甘ったるさを感じながら、僕は逆にサナエに聞いた。

「いいから。私の質問に答えて。」

「.....んー、我が儘な子だなあ、とは思った、かな。でも、あの時は泣かれまいと必死だったから、どす黒く見えたとか、そんな感じる暇はなかった。」

「そっか。」

そう言ってサナエは「ねえ、」と、またいつものような悪戯っ子のような顔をして振り向いた。
その”いつもの”サナエを見られて、僕は内心ほっとする。

「なんで、あの女の子は直人に飴玉くれたと思う?」

「”なんで”?」

「だって、おかしくない?あの女の子にとって、"魔法の飴"は特別な飴なんだよ?普通なら、自分と大事なお母さんのために取っておこうって思わない?なんで、見ず知らずの直人なんかにあげたの?」

「..........」

「ねえ、これってさ。心が綺麗じゃなかったら、できないことじゃないかな?」

ああ。そうか。と、この時僕は一人納得した。
だから、あの時。女の子、優美ちゃんが笑った時、サナエがダブって見えたのか。

サナエと優美ちゃんは、心が綺麗だから.....

「ねえ。直人。直人は、人間は汚い、どす黒いって言うけどさ、そんな感情ばっかりじゃないんだよ?綺麗な、キラキラしてる部分が誰にでもあるんだよ。持ってるんだよ。」

「.....そんな....ことは....」

また、””そんなことはない”と反論しようとしたが、できなかった。
だって、サナエが、また、あの悲しい笑顔をしていたから。その笑顔は反則だ。きゅっと胸が痛くなる。

そんな僕のことなどお構いなしに、サナエは目を瞑り、何か暖かいものを手で包み込むように、自分の胸に手をあてて言った。

「キラキラしてる瞬間っていうのはね、色々あるんだよ。
何かに一生懸命に取り組んでる時。
誰かに優しくされた、した時。
努力したことが実った時。認められた時。
誰かに、なにかに恋をしてる時だって.....」

「.....そう、なのかな?でも、他の人はそうかもしれないけど....。自分に、そんなことは...」

「あるよ!!!」

「!!?」

ぎゅっ!と、いきなり両手を握られ、僕は色んな意味で驚く。

「だって、私は、直人のキラキラが具現化してできた存在なんだよ!?だから、直人がキラキラしてないなんて、そんなことあるはずない!!」

「???え??は??」

またこの人は、なにを言っているんだ??

「...ちょっと待って。整理させて。..前にも、そんなこと言ってたけど....。サナエは元々僕が妄想で生み出した存在で....」

「そうだけど、正確的にはそうじゃないの。私は、直人の中にあるキラキラで出来た存在なの。」

ミーン、ミーン、ミーンと蝉が暑苦しく鳴いている。日も照ってきた。心なしか、頭の中も熱くなってきた。
ああ、今年も暑い夏になりそうだ.....

<ああ♪こ~としも、夏がきたぁ~♪来たね、来たよ、来たぜ、来たわ♪>

「直人!今は現実逃避しないで!理解に苦しむのは分かるけど!」

僕は今にもショートしそうな頭を抱えながら、改めてサナエに問う。

「えぇ〜っと、....どういう原理で、サナエは...出来たの??」

「それは、実は私にも分からない...。でも、直人がいじめで、なにもかも絶望してた時。多分だけど、その時に分離したんだと思う。本心と綺麗な心が。それは直人が、この心は失くさないように、暗い黒い心に押し潰されないようにって、無意識に、守るためにしたんだと思う。」

ああ。なるほど。つまり僕は「精神分離」したんだ。
心療内科とかの先生がよく言ってる。
人間は強いストレスを感じると、心を守るため、無意識に心を分離、もしくは遮断させることがたまにある、と。二重人格とかがそれにちょっと近いかもしれない。

そう理解したら、サナエが「存在否定されたみたいで悲しい」と言って泣いた理由が、ようやく分かった。

「さて。ここで問題です!」

「はい?」

サナエが人差し指を立てて、いきなりクイズが始まった。

「私はどうして、この”サナエ”という女性の姿なのでしょーか!?」

くっ。これはまた難問だ。

「...えーっと、僕の中で綺麗なものといったら....、女性という、独断と偏見、」

「んー、ちょっと惜しいかな。」

え。惜しいの?

「...居たんだよ。ちゃんと。現実に。沙奈絵(さなえ)さんっていう人が。」

「..........」

ミーン、ミーン、ミーンという蝉の音がやけにでっかく聞こえた。
暑い。でも、僕が今かいてるのは単なる汗じゃない。冷や汗だ。

「...っそ、それは.....、それは、いつの頃の、話し....?」

ごくり。と唾を飲み込んで聞くと、サナエは河川を見ながら答えた。

「沙奈絵さんは、直人が生まれる前からいたよ。ご両親同士が仲良くて。血は繋がってないけど、歳が離れた本当の姉弟みたいな関係で。ここで座って、お話しもよくしてたんだよ?」

そうサナエが言った直後。今立っている場所から、サナエに瓜二つの女性と小さい頃の僕が座って話しをしている姿が浮かんで見えた。

【ねえ。直ちゃんにとって、キラキラしてるものってなあに?】

【えっとねー、ビー玉!】

【ビー玉かあ~。確かにキラキラしてて綺麗だね】

【サナエお姉は?キラキラしてるもの、なあに?】

【私?私はね....】


【「人の心」かな。】

当時の沙奈絵お姉の声と、今の僕の声が重なった。
そうだ。確か。そう言ってた。そういう人だった。

「でも、沙奈絵さんは、直人が小学校に上がったばっかりの頃合いに重い病気にかかっちゃって、それからずーっと入院してて....。
亡くなる数日前に、直人に言ったこと覚えてる?」


【ねえ、直ちゃん。人はね、キラキラしてる部分が誰にでもあるんだよ。持ってるんだよ。
何かに一生懸命に取り組んでる時。
誰かに優しくされた、した時。
努力したことが実った時。認められた時。
誰かに、なにかに恋をしてる時だって.....。
そのこと、直ちゃんは忘れないでね.....。
約束だよ。】


「.....っ僕は、バカだ...。なんで.....、今の今まで、忘れてたんだ....。大事な、好きだった人の、約束だったのに....」

下を向いたら、ポタポタッと何かが地面に落ちて濡れた。汗でも雨でもない。これは僕の涙だ。
だって、視界がぼやけて、心が痛い。

「きっと辛い悲しい記憶だったから忘れようとしてたのかもね。でも頭ではしょうがないことって分かってても、心はそう簡単には忘れない。···うん、忘れてなんか、なかったんだよ。直人はちゃんと、覚えてた。」

「....は....」

顔を上げたら、ぼやけてるけど、優しく笑ってるサナエが映った。

「だって、私は、直人の中にあるキラキラで出来た存在なんだよ?」

「...........」

「忘れてたら、私は”こういう形”で出てこなかったと思うな。
だから、直人はちゃんと覚えてたんだよ。沙奈絵さんのことも。沙奈絵さんとの約束もね。」

「.....っ!」

「ねえ、直人。沙奈絵さんの代わりに言わせて。」

”約束、覚えててくれて ありがとうね。直ちゃん”

ここまでが僕の限界だった。
一人河川敷でわんわん泣いていたから、端から見たらすごく滑稽だったと思う。

【♪君と夏の終わり♪将来の夢♪大きな希望、わーすれない♪10年後の8月♪また出会えるの信じて~♪さいこ~のぉ~♪思い出を~♪】

またクソうるさい自転車がクソへたくそな歌を歌っている。


でも。悪くない選曲だ。

ー完