「うわー! 何をするんじゃ!」

 財布を奪われ、うろたえながら取り戻そうと暴れる司教。

「ちょっと、あなた! 止めなさい!」

 シスターもソリスを押さえにかかる。しかし、レベル124の圧倒的なパワーに一般人が敵うわけがない。

 ソリスは二人をはねのけるとピョンとテーブルの上に飛び乗り、金貨十枚を財布から抜き取った。

「こんないい加減な祈祷してたら、女神様から罰が当たるわよ!」

 司教に財布を投げつけるソリス。

「くぅぅぅ……。この異端者が!! 曲者だ! 出会え出会えーー!」

 司教は怒りで顔を真っ赤にしながらピーピー! と笛を吹きならした。

 バタバタと廊下を誰かが駆けてくる足音が響いてくる。

「ちっ! 何が『異端者』だ! 生臭坊主が!!」

 ソリスは辺りを見回し、窓を開けるとそのままピョンと外に飛び出した。

 へっ!? キャァァァ!

 五階の窓から飛び降りる少女を見て、司教もシスターも息をのむ。しかし、ソリスにとってはこの高さはもはやただの『小さな挑戦』にすぎなかった。彼女はバサバサっと葉を散らしながら庭木の枝をうまくつかむと、クルリと軽やかに空中を舞い、次々と枝を渡り歩きながら高度を下げていく。その流れるような動きは、まるで森を躍動するサルのよう。最後には、三メートルはあろうかという高い塀を軽々と飛び越え、消えていく。

 司教とシスターはお互い顔を見合わせ、人間技とは思えないソリスの身のこなしに首をかしげていた。


       ◇


「困ったわ……。司教ですらあのザマなんて……。この街じゃダメだわ……」

 石畳の通りを、ソリスは人波をかき分けながら唇を噛みしめた。この街は中堅の地方都市で、その賑わいは王都に劣る訳ではない。しかし、高度な魔法が息づくのはどうしても魔塔のある王都になってしまう。ソリスが求める解呪の術も、遠い王都でしか見つからないのだろう。

 街の中心部を抜け、城門のそばの馬車のターミナルまで来ると、ソリスは王都の方向にある隣街【リバーバンクス】行きの馬車を探してみる。王都は遠いので直行便はあまりなく、街をいくつか経由していくのが普通だと聞いていたのだ。

 ずらりと並ぶ馬車には行先がボードに掲げてあるので、ソリスはそれを見ながら隣街の名前を探した。

「おや、お嬢ちゃんどうしたんだい?」

 人のよさそうなひげを蓄えた小太りの中年男が声をかけてくる。

「え? リバーバンクスに行きたいんだけど……」

「お嬢ちゃん一人で?」

 中年男はけげんそうにソリスの顔をのぞきこんだ。

「え、ええ……」

「ふぅん、じゃあ、乗せてってやるよ。丁度そっちへ荷物を届ける用事があってな」

 ニコッと笑う中年男。

「えっ……? いいんですか?」

「乗合馬車では荒くれ者と一緒になると大変だしね」

 男はウインクして向こうに停めてある自分の馬車を指さした。


       ◇


 ソリスは白パンとチーズを買い込むと男の馬車に乗りこんだ。

「よーし! では出発だ!」

 男は御者台に乗り、手綱をビシッと波打たせる。

 ブルルッ!

 車輪が(きし)む音を響かせながら、二頭の馬が栗毛の輝きを放ちつつ、古びた茶色の馬車を引きだした。

 パッカパッカという小気味の良い蹄鉄(ていてつ)のリズムが石造りの街並みに響き、心地よい揺れにソリスはゆったりとため息をつく。

 やがて馬車は立派な石造りの城門をくぐり、ソリスは後ろの窓から小さくなっていく街の姿を眺めていた。

 生まれてからずっと三十九年間過ごしてきた故郷。いいことも嫌な事もたくさんあった思い出あふれる街。それがこんなことで去らねばならなくなるとは……。ソリスは自然と湧いてくる涙を手の甲で拭い、濡れた目に街の最後の光景を焼き付けていた。

 
        ◇


 どこまでも続く麦畑の一本道をのどかに進んでいく馬車。さわやかな風が吹き、麦畑にウェーブを描いていく。

 ソリスは白パンにチーズを(はさ)み、空腹をいやす。

少し奮発して買った白パンは柔らかく、チーズの芳醇な旨味と相まって至福の時をもたらしてくれた。

「やっぱり白パンは美味いわ……」

 いつも茶色いパンで我慢して三人で分け合っていたことを思い出し、ふぅと大きくため息をつくソリス。そんな暮らしをしていたのはたった一週間前の話。今では遠い昔のように感じてしまう。

「ふわぁぁ……」

 お腹もいっぱいとなってうつらうつらしてくるソリス。あまりにも濃すぎた一日に、疲労は限界を超えていたのだった――――。


        ◇


 ガタガタガタッ!

 いきなり馬車が揺れ、ソリスは慌てて目を開けた。

 さっきとは打って変わって鬱蒼とした森が広がっている。どうやら麦畑を抜け、森に入ってきたようだったが、どうも様子がおかしい。道幅が妙に狭いし、ひどく凸凹(でこぼこ)だった。

「オジサン! この道は何なの?」

 ソリスは御者台の男に聞いてみる。

「この道がね、近道なんだ。ちょっと揺れるけど辛抱してね」

 男は振り向きもせずそう言って淡々と凸凹道を進んでいった。

「いいから、ちょっと止まって!」

 ソリスは叫んだが、男は無視して進んでいく。明らかに怪しい。

 やがて道の先に男たちが五、六人待ち受けているのが見えてきた。皮鎧に身を包んだボサボサ頭に無精ひげのむさくるしい男たちだった。山賊だ。

 ドウ! ドウ!

 御者は男たちのところで馬を止める。

「おう、今日は小娘一匹だ」

「ご苦労、どれどれ……?」

 男たちがゾロゾロと近づいてきて馬車のドアを開け、ニヤニヤしながらソリスを値踏みした。

 ソリスはまんまと騙された自分のバカさ加減にホトホト嫌になる。若い娘がフラフラしていたら捕まって売り飛ばされる。それは孤児院の頃何度もきつく言われていたことだった。改めて自分はもうアラフォーではないことを思い知らされる。

 とはいえ、レベル124の自分であれば山賊など恐くもなんともない。面倒なのは手加減ができないことだった。

 もちろん、山賊など殺してしまえばいいのだが、まだ人を殺したことがないソリスにとっては今、その判断をするのは荷が重かった。

 この時ふと『この世界の人間はシンプル』と、言っていた筋鬼猿王(バッフガイバブーン)の言葉が頭をよぎる。確かに普通の冒険者なら、山賊に襲われたら何の躊躇もなく殺しているだろう。自分は本当はこの世界の者では……ない? ソリスは背筋がゾクッとした。

「おう、嬢ちゃん。両手を前に出しな」

 ほほに大きな傷跡のあるバンダナした男が刃物をチラチラさせ、ニヤニヤしながら声をかけてくる。

 ソリスは仏頂面で、すっと両腕を前に出す。

「よーしいい子だ……」

 男が縄を出して手を縛ろうとした時だった。

 パァン!

 衝撃音がして、男はすっ飛んでゴロゴロと森の方へと転がり落ちていった。

 へ? は?

 山賊たちは何が起こったのか分からず、目を丸くしてソリスを見つめる。

 軽く平手打ちをしただけなのにすっ飛んで行ってしまった男を見て、ソリスはふぅとため息をついた。