圭悟は子どもの頃、積み木のような小さな家にお邪魔したことがある。
その頃、圭悟の祖母はまだ元気だった。背筋をしゃんと伸ばして、一人でどこへでも出かけていた。
ある初夏の日、祖母と二人で家にいた圭悟に、祖母が楽しげに言った。
「けいちゃん、おばあちゃんと友達の家に遊びに行く?」
圭悟は小学校に通い始めていた頃だったけど、学校にはあまりなじんでいなかった。圭悟は友達と遊ぶより、一人でパズルをしたり本を読んだりする方が好きだった。
祖母はそんな圭悟のことを、けいちゃんは大人ねぇと言って、受け入れてくれる人だった。だから知らない人のお家に行くのは気が乗らなかったけど、祖母が誘うのだから行ってみようと思った。
こくんとうなずいた圭悟に、祖母は秘密を打ち明けるように言った。
「お友達のお家はね、居心地がいいけど、ずっといちゃだめなの。……だから、けいちゃん。おひさまが赤くなってきたら、お家に帰ろうね」
圭悟はもう一つうなずいて、祖母に手を取られて家を出た。
子どもの頃は距離感がなくて、圭悟はどれくらい歩いたのかよく覚えていない。でも石段を下って、河原を横目に見て、それでもう目の前だったから、そんなに遠くはなかったと思う。
でもそのお家にいたときは、夢の中にいたみたいに現実味がない。
そこは雨上がりに木々の下を通ったときみたいな、緑の匂いがしていた。祖母と話をしていたお友達は、細身で優しげな、まだ若い女性だった。振舞われた焼き菓子は、一口で思わず笑ってしまうくらいに甘くておいしかった。
でも圭悟はそれより、そのお家にいた同い年くらいの女の子が一番不思議だった。
圭悟は知らない子とお話しするのは苦手だったから、その女の子と木の葉で出来たパズルをしていた。
二人で黙ってピースをあてはめていて、ほとんど言葉は交わさなかった。
ただ圭悟は気づいていたことがあった。……女の子のスカートの後ろに、ふさふさした狐の尻尾がついていた。
女の子はふいに圭悟の視線の先に気づいて、にこっと笑った。その悪戯っぽい笑い方は、圭悟よりちょっとお姉さんだった。
圭悟は恥ずかしいみたいな思いになって、下を向いた。そうしたら女の子が、初めて口を開いた。
「大丈夫。お家に帰ったら忘れちゃうから」
圭悟はその言葉に顔を上げて、首を傾げた。女の子はなんだか寂しそうに笑って、何にも言わなかった。
その日はおひさまが空から降りてくる時間が、いつもより早い気がした。
やがて祖母も寂しそうにお友達に言った。
「また来るわね」
「ええ。お元気で」
名残惜しそうにお友達も祖母に言って、祖母は圭悟を見やった。
圭悟は一緒に遊んでくれた女の子を見て、お礼を言った。
「ありがとう」
女の子は先ほどの、悪戯っぽい笑い方に戻ってたずねた。
「また来る?」
「えっと……」
言葉につまった圭悟に、祖母のお友達が言葉を挟んだ。
「引き留めてはだめよ。そういうお約束でしょう?」
「はぁい」
女の子は残念そうに返事をして、圭悟に手を振った。
圭悟は女の子に手を振り返して、祖母のところに戻った。
おひさまが赤くなってきた頃、圭悟は祖母とお家に帰った。
家に帰ったら、どうやって女の子のお家に行ったのかわからなくなった。不思議な女の子がいたことも、どうして不思議だったのか思い出せなくなった。
祖母はしばらくして体調を悪くして、もう一人で出かけることはなくなった。
圭悟も、未完成のまま置いて来たパズルがどんな絵だったか、今は思い出せない。
でもあるとき、女の子の悪戯っぽい笑い方だけ、ふいに思い出した。
それは圭悟が高校生になって、ある女の子と校内ですれ違ったときのことだった。
その頃、圭悟の祖母はまだ元気だった。背筋をしゃんと伸ばして、一人でどこへでも出かけていた。
ある初夏の日、祖母と二人で家にいた圭悟に、祖母が楽しげに言った。
「けいちゃん、おばあちゃんと友達の家に遊びに行く?」
圭悟は小学校に通い始めていた頃だったけど、学校にはあまりなじんでいなかった。圭悟は友達と遊ぶより、一人でパズルをしたり本を読んだりする方が好きだった。
祖母はそんな圭悟のことを、けいちゃんは大人ねぇと言って、受け入れてくれる人だった。だから知らない人のお家に行くのは気が乗らなかったけど、祖母が誘うのだから行ってみようと思った。
こくんとうなずいた圭悟に、祖母は秘密を打ち明けるように言った。
「お友達のお家はね、居心地がいいけど、ずっといちゃだめなの。……だから、けいちゃん。おひさまが赤くなってきたら、お家に帰ろうね」
圭悟はもう一つうなずいて、祖母に手を取られて家を出た。
子どもの頃は距離感がなくて、圭悟はどれくらい歩いたのかよく覚えていない。でも石段を下って、河原を横目に見て、それでもう目の前だったから、そんなに遠くはなかったと思う。
でもそのお家にいたときは、夢の中にいたみたいに現実味がない。
そこは雨上がりに木々の下を通ったときみたいな、緑の匂いがしていた。祖母と話をしていたお友達は、細身で優しげな、まだ若い女性だった。振舞われた焼き菓子は、一口で思わず笑ってしまうくらいに甘くておいしかった。
でも圭悟はそれより、そのお家にいた同い年くらいの女の子が一番不思議だった。
圭悟は知らない子とお話しするのは苦手だったから、その女の子と木の葉で出来たパズルをしていた。
二人で黙ってピースをあてはめていて、ほとんど言葉は交わさなかった。
ただ圭悟は気づいていたことがあった。……女の子のスカートの後ろに、ふさふさした狐の尻尾がついていた。
女の子はふいに圭悟の視線の先に気づいて、にこっと笑った。その悪戯っぽい笑い方は、圭悟よりちょっとお姉さんだった。
圭悟は恥ずかしいみたいな思いになって、下を向いた。そうしたら女の子が、初めて口を開いた。
「大丈夫。お家に帰ったら忘れちゃうから」
圭悟はその言葉に顔を上げて、首を傾げた。女の子はなんだか寂しそうに笑って、何にも言わなかった。
その日はおひさまが空から降りてくる時間が、いつもより早い気がした。
やがて祖母も寂しそうにお友達に言った。
「また来るわね」
「ええ。お元気で」
名残惜しそうにお友達も祖母に言って、祖母は圭悟を見やった。
圭悟は一緒に遊んでくれた女の子を見て、お礼を言った。
「ありがとう」
女の子は先ほどの、悪戯っぽい笑い方に戻ってたずねた。
「また来る?」
「えっと……」
言葉につまった圭悟に、祖母のお友達が言葉を挟んだ。
「引き留めてはだめよ。そういうお約束でしょう?」
「はぁい」
女の子は残念そうに返事をして、圭悟に手を振った。
圭悟は女の子に手を振り返して、祖母のところに戻った。
おひさまが赤くなってきた頃、圭悟は祖母とお家に帰った。
家に帰ったら、どうやって女の子のお家に行ったのかわからなくなった。不思議な女の子がいたことも、どうして不思議だったのか思い出せなくなった。
祖母はしばらくして体調を悪くして、もう一人で出かけることはなくなった。
圭悟も、未完成のまま置いて来たパズルがどんな絵だったか、今は思い出せない。
でもあるとき、女の子の悪戯っぽい笑い方だけ、ふいに思い出した。
それは圭悟が高校生になって、ある女の子と校内ですれ違ったときのことだった。