二人はあの湖に来ていた。ミツハが飛ぶと言ってくれたが、新菜がチコと鯉黒に土産を持って帰りたかったので、自分の脚で歩くと断った。飛べるミツハに歩かせてしまったことは悪かったとも思うが、次第に色を青からピンクへ、ピンクから金色へと変えていく頭上の大きなカーテンを木々の間から垣間見ながらの山登りは、天雨家から湖に向かった時とは気持ちが雲泥の差であった。

二人は元気のいい草を踏みしめながら歩いた。こがねに輝いていた雲の端も灰に覆われ、やがて夜去方(よさりつかた)となる。流石に鬱蒼と生えている木々が視界を遮るので、ミツハが鱗珠に力を籠めて、輝かせてくれた。銀の明かりを頼りにさらに上ると、ちょろちょろと水の流れる音がするから、湖から下る細い川が近いに違いない。意気揚々と森を抜けると、拓けたそこには果たしてあの時のままの湖がその水面にひっそりと夜空の星を映して居た。そして。

「ミツハさま、ほら!」

……いや、湖の湖面が映していた光は、空の星々だけではなかった。小さく明滅する黄色の光……、蛍がそこかしこに飛び交っていた。

「おお……、これは凄いな……」

感嘆の様子でミツハが言う。蛍は右に左に、上に下にと、恋の相手を求めて飛んでいた。ゆるりゆるりと浮遊する黄色の光は、奥の池に浮かび上がる祈りの念にも似ている。ミツハが目を細めた。

「君は、美しいものを見つけるのが上手いな」

「鯉黒さんはご覧になったことがあるかもしれませんが、チコさんは蛍をご存じないですよね? 蛍を連れて帰ることは、出来ないでしょうか?」

ミツハから創られ、宮奥から出たことがないチコが下界のものを直に見たり触ったりしたのは、きっと新菜がミツハに持って帰った土産のラムネくらいだろう。ものでもあんなに喜んでくれたのだから、ミツハに祈る念にも似たこの美しい蛍を見せてあげられたら喜んではくれないだろうか。新菜はそう考えたのだった。新菜の言葉に、ミツハは腕を組み、ふむ、と思案する。しかし。

「しかし新菜。蛍の命は短い。それにこの光は番う相手を求めての、狂おしい光だ。その恋を止めてまで、私は蛍を宮奥に迎えるのはどうだろうかと思うのだが」

はっとした。きれいだからと、その命に思いを馳せることが出来ないようでは、神嫁失格だ。新菜はミツハと蛍に謝罪する。

「広くものごとを見ることが出来ていませんでした。命の生き様こそ神さまのお喜び。今を一生懸命生きている蛍にも申し訳ないことを考えました。改めます」

「指摘を直ぐに受け入れられるのは、君が素直な証拠。君は私の伴侶として、道を誤らないだろうと確信するよ」

新菜は眉を下げて微笑んだ。しかしチコたちへの土産の案が振出しに戻ってしまった。帝都からは離れてしまったし、今から戻るにはもう時間がない。どうしようかしら、と思案していると、ミツハが微笑した。

「しかし、私も彼らにこの美しい光景を是非見て欲しいとは、思う。そこでだ」

ミツハは新菜に片目をつむってみせた。仕掛けを聞いた新菜は、なるほど、と納得して、宮に戻ることにした。