その後、門前町でどら焼きを土産に買い求めた。水ようかんのときと同じく、店を切り盛りする夫婦が、餡を作るのに美味しい水を使っている、と言っていたからだ。ミツハにとって生地に卵や砂糖を使っていて目新しかったことも、決め手となった。前の時代まで、どら焼きの生地は小麦粉のみを使用したものだったからだ。

包まれた焼きたてのどら焼きを持って歩いていると、ミツハがちらちらと新菜の手元を見てきているのが分かった。

「気になりますか?」

ミツハに問うと、ミツハはきまり悪げに笑って、頭を掻いた。

「いや……、餡子の味だとは思うのだが、どのような味なのだろうかと気になって……」

「では、召し上がりますか?」

そう言って、新菜は紙袋からどら焼きを一つ、ミツハに渡した。先ほど焼きあがったどら焼きは、まだほかほかとあたたかく、渡されたミツハは、おおっ、と目を輝かせた。

「ふわふわとやわらかいが、しかししっかりとした手ごたえもある……。供え物であたたかいものはないから、新鮮な感覚だ」

そう言って、こがね色に焼かれたどら焼きをほおばる。はむっとひと口噛みしめれば、ミツハの美しい口がやわらかい生地を食み、白い歯がそれに埋まっていく。むぐむぐと咀嚼する様子から、ミツハは味を堪能しているのか、顎を上げ、目をぎゅっと閉じた。

「ん……、んまい! 餡子のやさしい甘さ、卵の芳醇な香り、すこし、はちみつが入っているのだろうか、喉の奥から鼻に抜ける濃厚な蜜のにおいがまた、饅頭とはまったく異なっていて、とても旨いぞ!」

興奮しきりの様子で新菜に訴えてくるから、微笑ましくなってしまう。

「良いお買い物が出来ましたね」

「そうだな。持って帰ると冷めてしまうだろうから、チコたちには火に当てて温め直してから渡してやろう」

自分の感動をチコや鯉黒にも伝えたい、というミツハのやさしさに、新菜も心があたたまる。午後のざわめきの中、そう話をしていると、駆けてきた子供が新菜にぶつかった。

「あっ!」

子供はぶつかった拍子にその場で転び、手に持っていた小銭を地面に落とした。新菜は慌てて子供を立たせると、着物に着いた土を払ってやり、足元に転がった小銭を拾って渡してやった。

「ごめんなさい。怪我はない?」

顔を覗き込み、問うと、まさにその時、子供の腹がぐう、と鳴った。時間は午後三時を過ぎたところ。水宮(すいぐう)に居たら、ミツハが茶と菓子を持って、仕事をしている鯉黒と新菜を呼ぶ頃だった。

腹の音に子供は恥ずかしそうに耳を赤くし、もじもじと俯いた。見れば着物は擦り切れていて、まるでミツハに会う前の新菜のような身なりだった。新菜は膝をつき、子供と目線を合わせると、お腹が空いているのね? と尋ねた。

「そ……、そんなことは……っ!」

子供は弾かれたように顔を上げたが、その時またぐう、と腹が鳴る。流石に言い訳が厳しいと思ったのか、減ってる、と小さく呟いた。

「弟と妹に、ご飯を分けちゃったから……」

「それでお腹が空いているのね? お金を持っているのに、ご飯は買わなかったの?」

子供の手には、新菜が拾って渡した小銭が握られている。贅沢なものは無理だが、握り飯くらい買えるだろうに。新菜の視線に、子供は首を振った。

「これは、とーちゃんとかーちゃんから預かったお金だから……。最近、雨が良く降って、畑の野菜が育って売れるんだ。とーちゃんとかーちゃんが、あまうかみさまのおかげだって言ってて、神さまにお礼を言いたいんだって。でも、まだまだ畑の仕事はいっぱいあるから、あたしがとーちゃんとかーちゃんの代わりにあまうかみさまにお礼を言いに来たの」

これは、おさいせんだから、使っちゃ駄目なんだ。

そう言う子供は、満足そうに微笑んだ。新菜は子供の言葉に耳を傾けながら、背後のミツハの様子を感じていた。ミツハは子供の言葉を聞いて、一瞬息を呑み、それから小さく息を零していた。

新菜は手に持っていた紙袋からどら焼きを取り出し、子供に差し出した。

「?」

「あのね、お姉ちゃんは神さまにお祈りをするお仕事をしているの。今のあなたの言葉、必ず神さまに届けるわ。神さまは人からお祈りされるのが、なにより好きなの。だから、あなたはお父さんとお母さんの気持ちのこもったそのお賽銭で、神社の神さまに一生懸命、お祈りしてあげて欲しいの。そのお礼に、このお菓子をあげるわ。これでお腹いっぱいになってね」

「いいのっ!?」

新菜の言葉に、子供は目を輝かせた。差し出されたどら焼きをもぎ取るように手に取ると、その場でぱくりと大きな口に頬張った。子供はひと口のみならず、ふたくち、みくち、と食べ進み、頬をパンパンに膨らませると、先程のミツハのようにぎゅっと目を閉じ、そして喉を震わせながらその場でじたばたと足踏みをした。頬張ったどら焼きを咀嚼しきって飲み込むと、子供は大きな目が零れるかと思うくらいに見張り、新菜を見た。

「おいしいっ! ねえ、お姉ちゃん、これ美味しいねっ! すっごく美味しいから、残りの半分は弟と妹に持って帰って良いかな!?」

一生懸命に言う子供に、良いわよ、と微笑み、頷く。すると背後から、ぬっと腕が伸びてきた。ミツハだった。

「子供。これも持って行きなさい」

ミツハはそう言うと、土産の分のどら焼きを新菜が持っていた紙袋から取り出し、子供に与えた。子供は目の前に差し出されたふたつのどら焼きに、目を輝かせてミツハを見上げた。

「いいのっ!?」

「良いとも。良い話を聞けた礼だ。ご尊父、ご母堂にもよろしく伝えてくれ」

「ごそんぷ? ごぼどー?」

「お父さんとお母さんのことよ」

新菜の助け舟に、子供はミツハにも元気よく、うん! と頷いた。そうして新菜が紙袋に入れてやったどら焼きを持って、神社の方へと走っていく。子供の後姿を見送りながら、新菜とミツハはあたたかい気持ちになっていた。

「……君という巫女姫を得ることが出来て、本当に良かった……」

「ミツハさま?」

この場でミツハが言及するなら、あの子供のやさしさについてだと思ったが、違うようだった。

「もし鈴花が私の正式な巫女姫であったとしても、あの子供に自分の持っていた菓子を与えようとはしなかっただろう。君は巫である前に、ひとりの人として真(まこと)の道を選べる人だ。そういう人を、私は得難いものだと思っているし、君と契約出来たことによる私の雨で、そのような人が、ひとりでも増えると良いと思っている。そして、そういう君を巫女姫と出来、花嫁と出来たことは私とっての幸運だとしか言いようがないと思うんだよ」

凪いだ蒼の瞳が新菜を見、子供が消えた雑踏を見、そして行き交う人々を見つめる。勧請の儀式で力を得ていたあの時のようなまなざしに、新菜はミツハが今の一連でもそうであったのだと知る。

すべてが変わった。変わっていく。新菜の行ったことはきっかけに過ぎず、今、ミツハを取り巻く環境が変わっていき、神と人の良き関係が戻りつつあることを、新菜は穏やかな気持ちで受け止めていた。

「ですが、チコさんと鯉黒さんへのお土産がなくなってしまいました。困りましたね……」

「彼らは土産がなくとも文句を言うような心の狭い者たちではないぞ」

「鯉黒さんは違うかもしれませんが、チコさんはずっと宮に居られるのですから、宮奥にないものは喜んでくださると思ったのです。……つまり、私が、お二方にお土産を持って帰りたかった、という気持ちもあるのです……」

眉を寄せて、さて、困った……、と新菜が悩んでいると、今しがたのミツハを思い、ふと思いつくものがあった。日没までにはまだ時間はあり、その思い付きは実行できそうだった。

「ですのでミツハさま。今からあの湖に行きませんか?」