「何なのですか、あの貴妃は」

 人払いをして三人だけになるのを待って丞相に静かに詰め寄る。

 胸の内は荒れ狂っていても、それを見せる訳にはいかない。丞相が愛する夫の無二の親友にして、幼馴染みであったとしても。

「それには全く同感だ」
「ふふふ、なかなかの逸材でしょう。皇貴妃もそう思いませんか」

 不機嫌な夫と違い、この腹黒い男は全くもって楽しそう。睨みつけそうになるのを抑えるだけで、自分を褒めたくなる。

「少なくとも滴雫(ディーシャ)貴妃は、皇帝の寵愛を得ようなどとは微塵も考えていらっしゃいません。何より此度はお2人の失態では? 正直、あの宮の惨状には絶句しましたよ」

 一切悪びれず、寧ろ指摘してくる男のなんと憎らしいことか。

 恐らく陛下も私と同じ。苦々しく感じ、悪態でも吐こうと口を開きかけた。

 しかし先制()撃は丞相の方が早かった。

「何より貴妃が入宮してから今しがたまで、陛下の行動にこそ問題があったのですよ? 皇貴妃にも、昨夜は必ず陛下にディーシャ貴妃の元へ行くように説得して欲しい。そうお願いしておりましたが? この数ヶ月、ずっとです。そうなさっていれば他の貴妃同様、ディーシャ貴妃もだたそこに在るだけの、お飾りの妃でいらっしゃったのですから」
「「それは……」」

 夫婦そろって丞相の正論に、言葉を詰まらせてしまう。

「加えて皇貴妃。もうお気づきですね。貴女の事も、あの貴妃は既に見透かしています。貴女がした事も、しなかった事も」

 思わず唇を噛む。

 ディーシャ。若干十四歳ながらも、腹黒い丞相が貴妃に据えた少女。そしてただの後ろ盾どころか、喜々として肩を持つ少女。

 この男にそれだけの事をさせる程、器量と度量を兼ね備えている少女。

 ディーシャは入宮前から、今回のような問題が起きると、もしかしたらそれ以上の事が起きる事も予測して、先手を打っていたに違いない。

 丞相から何らかの情報を得て、入れ知恵されていたのでは?

「申し上げておきますが、私は手も口も出していなければ、何も入れ知恵もしておりません。全てはディーシャ貴妃が自らの力で情報収集を行い、推察し、規格外の事をやってのけているだけ。まさか己の持参金を、国家予算一年分も納めるなど、誰が予想すると言うのです?」

 清々しい程の笑顔で、勘違いを指摘されてしまったわ。顔に出ていたのかしら?

 とはいえ丞相の言葉が本当だとすれば、ますますディーシャは油断ならないという事になる。

 そもそも持参金を国家予算に匹敵するほど納めたなど、報告を受けてはいなかった。額が額だし本来ならあって然るべきなのに……。

 いえ、言い訳ね。本来なら、私自らが確認すべきだったのだもの。たかが田舎の伯家と侮り過ぎた。

 これだと確実に、後宮の長である皇貴妃としての責任が果たせていなかった事を、有耶無耶にはできない。そればかりか、あの者の考え次第で更なる追求をされてしまう。

 私の立場が今以上に危うくなる……。

 不安が私を襲い、自信も削られていく。

(ユー)? 晨光(チャンガン)、何の事だ?」
「それは……」
「丞相!」

 思わず彼の言葉葉を遮ってしまう。けれど陛下を見やれば……もう隠し立てはできないと悟る。

「暫し陛下と二人にして。私が自分で話すわ」

 丞相は私にとっても、長らくの付き合いとなる。共に陛下を支えてきて、気心も知れた一人。私の胸の内もよく知っている。

 もう随分と前から、丞相は私の気持ちを陛下に曝せと言われてきた。けど、どうしても決心がつかなかった。

 それ程に私は陛下を愛し過ぎ、陛下も私を愛し過ぎた。

 子ができていれば……きっと違っていた。

 そもそも後宮に住まう他の貴妃達が、入宮しなかったかもしれない。最悪でも、今のように互いの命を奪い合う仲に発展する事は防げたはず。

 何より私自身が、こんなにも醜い嫉妬に身を焦がす事はなかった。

 夫からの寵を、己の地位を手離したくなくて、専属女官達の行きすぎた言動に目を瞑るなど……。

 こんなだから、女官達を完全に統制する事もままらなくなってしまったのよ。

『そろそろこの場にいる私を睨む女官達も理解しておくべきではない? 少なくとも先ほどの破落戸のようになれば、お前達自身が危なくなると何故想像できないのかしら? 特にお前は皇貴妃に長らく仕える、皇貴妃が信を置く女官では? 破落戸の時と違い、ここはもう私の宮なのよ?』

 ディーシャと女官達とのやり取りを思い出し、焦燥に駆られる。

 逆の立場であったなら、皇帝の寵愛を受ける皇貴妃に仕え、傲慢になっていた女官達に膝を着かせる事が出来ただろうか。